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午後の女子マラソンの見学の前に、100KM圏で唯一残っていた美しい村、Yevre-le-Chatelに出かけた。本村はイルドフランスとサントルロワールの境界に位置する13世紀に立てられた古いChateauを中心にした、清潔で花に溢れた小さな村。美しい村の2003年バージョンで新たに追加に成った4村の1つ(2001年度から4村が追加、1村が落ちて144村に成った)。小さなパン屋さんのショウウインドーに猫の置物に混じって本物の猫が居て、それが動いて驚いた。写真で黒が置物、白が本物の猫 村から帰宅後、2時過ぎから女子マラソン見学にパリに出た。今回はレースを追って、徒歩とメトロでの移動を試みたが、後半はメトロの乗車に手間取った(反対側のメトロの駅にレース中のため、中々道路を横断できず)のと通過時間の読み違いも有り、30KM地点のリパブリック駅前では、先頭集団の通過後の到着に成ってしまった。急いで最後のサンドニのスタジアムへの移動を試みたが、RERの途中駅で16時40分に成り、これもGive-Upに成った。もう少し、事前に移動方法と移動時間を良く調べておくのだったと後悔しきり。結局、コンコルド広場とアンバリッドを望む2ヶ所での見学に終わった。写真は、アンバリッド付近で先頭集団を引っ張る、野口、大南、坂本。 自宅に戻ったのもレース終了後に成り、残念ながら日本人選手の入賞ゴールの瞬間は見ることが出来ず。
2003年08月31日
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世界陸上の男子マラソンを見に行った。午後2時20分のパリ市庁舎前のスタートをテレビで見た後で、アパートを出発、取敢えずは凱旋門までメトロで出た。トールドフランスの時に比べたら、市民の関心は低いのかフランス人の人出は少なく、やたらと日の丸の小旗を持った日本人が目に付いた。凱旋門から少し離れたFoch通りに陣取って選手の到達を待った。先導の警察車両の通過後に、選手が大集団であっという間に通過して行った。スタートより50分経過した、15時10分前後の通過で有ったが、レースの前半で動きの無いタイミングでもあり、余りに呆気なく一瞬で観戦が終了してしまった。 最終的に5位に入賞した油谷選手が元気に先頭集団を引っ張っていた。佐藤、尾形選手を入れて、中国電力勢は何れも元気そうに見えた。後半戦は、急いで自宅に引き返して、テレビで観戦したが、油谷選手が銅メダルの可能性が有っただけに残念であった。
2003年08月30日
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久々の車通勤であるが、雨の影響もあり、随分廻りの風景が秋めき、暗く成ったと言うのが第1印象。すっかり忘れていたが、午後3時よりフランス語の個人レッスンが有り、ほぼ3週間ぶりのフランス語で、先生の話が聞き取れず愕然とした。帰りの機内で、先生より借用していたフランス語の初級本を数ページ読むだけの遣っ付け仕事では役に立たず。日本での夏休み中の様子を詳しく紹介させられ、先生からはフランスの猛暑の悲劇の話を聞いた。何故、8月の猛暑で、11500人ものフランス人が亡くなったのか、今フランスで様様な議論がされている。日本でも核家族と言う概念は崩壊しつつあるが、極端な個人主義のフランスでは、老人の同居は先ずあり得なく、裕福な家庭では、2000-2500ユーロ/月の家賃を払って、医療設備が完備した有料制の老人ホームに入れるが、殆どの庶民的老人は、子供夫婦と分かれて、1人でアパートで暮らしているケースが多く、他人とは没交渉の日常生活を送っている。特にヴァカンスシーズンには、身寄りも遠くに出かけてしまい、今年の異常高温の中で、成すすべも無く亡くなった1人暮しの老人が多数出た様だ。今も、500人前後の老人の遺骸の引き取り手が分からずに、身寄りを捜索しているとの事で、多くのフランス人が行過ぎた個人主義に後ろめたさを感じ始めている様にも思われた。ラフラン首相が、休日を1日返上して、その収益を高齢者の支援対策費にしてはとの提案をしたが、世論調査でも高い指示を得ている。マスコミでも、酷暑の悲劇について、独り暮らしの老人への社会の無関心を問題視して、市民自身が反省する必要が有るとの論調が出ている。昨夜テレビで世界陸上の200M決勝レースを見たが、末次選手が見事銅メダルを獲得した。フランスのテレビ中継でも、末次選手への感心が高く、金、銀の米国2選手以上に、” Suetsugu ” ” Shinngo”の片言の日本語を連発していた。
2003年08月29日
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2週間ぶりにフランスに戻った。既に猛暑の峠は越えており、日中は25度前後まで気温が上がるが、朝晩は気温が10度代前半まで下がり肌寒い状態。帰宅時に、世界陸上が開催されているサンドニのスタジアム前を車で通ったが、照明が煌煌と点っていた。パリへの機内は予想以上に空いていたが、世界陸上の観戦ツアー客と思しき団体客が大勢いた。
2003年08月28日
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フランス人より扇子を4本買ってきて欲しいとの依頼があり、登山中に壊れてしまった時計のバンドの交換と併せて、府中のデパートに探しに出掛けた。扇子4本の予算は、30ユーロのため、1000円/本以下のものを探したが、デパート以外の所も含め1500-6000円が相場で、1000円の物は中々見つからず。それでも、何とか1000円の扇子を探して、価格ターゲットに沿った4本の扇子を買い込んだ。問題は、フランス人には扇子の相場が判らない為に、直ぐに壊れた場合の品質評価、クレームである。2000円以上の扇子と比較したが、色やデザインのセンス以外にも骨組みの竹や紙の品質には、やはり差が有りそう。週末に家族で、長時間教会で過ごすが、暑さに悲鳴を上げているとの説明であったが、既にパリでは猛暑の峠は越しており、有り難味が薄いかも。
2003年08月26日
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3日間の山歩きと睡眠不足解消のため休養日にした。疲労が溜まり、おまけに筋肉痛で、歩くのにも難儀している。久々にメールをチェックしたが、仏、米とも今週から、夏季休暇明けで、本格的な仕事が始動しており、メールの処理に時間を取られた。8月28日に仏に戻るが、直に米国出張に出かける予定。
2003年08月25日
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4時台には槍や穂高の近辺が薄く染まったが、雲が多く、ご来光は望めなかった。裏銀座方面は、朝焼けに山並みのシルエットが浮かんだ。 朝5時10分に笠が岳山荘を出発、笠新道の入り口である抜戸岳に向う。スリップ事故でも有ったのか、最近ルートが変更に成り、抜戸岳の山頂付近経由に成ったため、山荘よりの登り返しが長くなった。笠新道の入り口で休憩のあと、杓子平へと一気に下った。途中、ルート変更前のコースを取り、楽をして来た人が何人か居た。杓子平の南稜で最後の笠の眺望を楽しんだ後、樹林帯のジグザグの下りに入った。登山道に高度表示が付けられていたが、中々高度が下がらない。行けども行けども急な折り返しが続き、下りには強いはずが、だんだん踏ん張りが効かなくなり、足が上がら無く成って、バランスが崩れて危ないと背後の息子より指摘を受ける。そのうちに、情け無い事に、膝も笑い出してきた。それでも救いは、眼下の林道がだんだんと大きく見えてくる事と沢音が近くなる事で、漸く笠新道入り口に到着。リュックを下ろして、その上に座り込んでしまった。息子は、林道を600M歩いてわさび平小屋まで行き、冷えたトマトを買って来てくれた、感謝。ここから林道を40分歩き、新穂高温泉に出て、バスの出発時間までに無料の上宝村営の温泉で3日間の汗を流した。2泊3日の中高年向きのコースを選択したが、それでもきつい山旅であった。日頃の車浸けの生活の中で、足腰の衰えを痛感。
2003年08月24日
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睡眠不足の体には、朝一番の登りは堪える。鏡平小屋から弓折岳鞍部までの1Hの登りが長く感じられた。稜線に出ると、さすがに気持ちの良い風が吹き、気分が爽快に成った。笠が岳までの稜線歩きは、すばらしい展望に合わせて、秩父平の雪田やお花畑等退屈しない。抜戸岳の稜線から仰ぐ、笠が岳の三角錐が美しい。 笠が岳の小屋は見えるが、なかなか近づけ無い、最後のガレ場では、「ガンバレ」の4文字が2度も出てきた、最後の登りをバテバテで登ってくる人の多さを物語っている。笠が岳山荘には、11時30分に到着、はやばやと宿泊の手続きをしたが、小屋の人からは、今晩は今年最高の宿泊客が見込まれ、2人/布団に成る見込み告げられた。予約だけで150人との事。小屋で昼食を取った後で、空身で15分を掛けて、笠の頂上に立った。雲は出ていたが、午後に成っても展望が利いた。眼前の槍、穂高を始め、背後には裏銀座の雄大な眺望を心行くまで楽しんだ。100名山の、残り13座の内、鷲羽岳、水晶岳、黒場五郎岳の3座を遠望する事が出来た。写真は左のピークが水晶岳、右のピークが鷲羽岳。 山での楽しみの1つは、夕食前の時間を小屋の前で、のんびりと雄大な景色を見ながら過ごす事である。2時過ぎ当たりから、笠新道を登ってきた登山者が続々と到着、特に中高年の登山者は一様に疲れ果てて、座り込んで動かない人が多い。見ていると、暫くして漸く重い口を開き、こんなにへばった事は無いとのつぶやきが聞こえてきた。さすがに、「聞きしにまさる笠新道」「下りもしんどい笠新道」と謳われた笠が岳だけの事は有る、つくづく鏡平経由にして、良かったと思った。その後も登山者が続々と山荘に到着、最終的には定員100名の小屋に250人以上宿泊したようだ。食事は5回に分けて実施、廊下や食堂にまで布団や小屋のシラフを並べて足の踏み場も無い状態。仰向けに寝る事もまま成らず、身動きが取れない体制で、夜中にトイレに行く事は全く不可能であった。翌朝は朝4時15分よりの朝食のため、3時40分より並んだが、漸く1回目の食事に潜り込めた。男女共同のトイレにも延々と行列が出来る有様。夏山シーズンの週末の大混雑を体験したが、今年の夏は悪天候続きで有った事が、今回の大混雑に繋がったので有ろうか。
2003年08月23日
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年に一度の、息子との日本百名山巡り。今年の夏は、北アルプスの笠が岳に2泊3日で出掛けた。1年ごとに体力が衰え、限界を感じながらの山行で有るが、今年もやっとの思いで、87座目の笠が岳の頂上に立てた。自宅を朝の6時過ぎに出発、スーパあずさの始発で松本へ、新穂高温泉の登山口を歩き出したのが12時前。ここの笠新道の登りは、北アルプスの3大急登に1つに数えられるきつい直登ルートで、ここを登るのは敬遠して、鏡平経由で笠が岳に登り、笠新道で下山する2泊コースのルートを選択。左俣林道のわさび平小屋で、冷えたトマトをかじったが、これは美味かった。百名山の鷲羽岳、水晶岳から下山して来た、中年夫婦2組の登山者と話をしたが、同世代の男性からは、親子で登山するのを羨ましがられた。夫婦での登山は、なかなか我侭が言えないが、親子では気を使わずに登れて良いなとの仰せ、奥さんも強く同意していた。鏡平への小池新道はゆるやかな登りで有ったが、体力不足がもろに出て、小屋直前の最後の登りでは全身汗まみれのメロメロ状態、漸く16時40分に鏡平小屋に到着。小屋からは、夕日に染まった槍ヶ岳や穂高連峰の雄大な景色を堪能した。 鏡平小屋は予想より混雑が少なく、運良く1人/布団1枚を確保出来た。但し、ここからが最悪の展開。同一フロアーには、中高年の単独の男性登山者が集められたが、大鼾を掻く人が3人も居て、全く眠れず、夜中に何度も時計を見る羽目に成った。飛行機の機内で使う耳栓を持ってくるべきで有った。
2003年08月22日
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江戸東京博物館に夫婦で出掛けた。いろいろな展示が有ったが、最も興味深かったのは、庶民の生活であり、中でも長屋の中でのお産の場面で、産婆さんが、赤子を立たせて産湯に浸けている様子を兄が見ているシーンで有った。江戸時代は、史上まれなほぼ300年近くの平和が続いた時代であり、果てしない暴力の連鎖が続く現代の世界状況を見るに付け、江戸を考えさせられる事が多かった。乱世を乗り越えた江戸の人々(庶民を含め)が、平和を保つためには、自らが如何すれば良いのかを判っていたのでは無いかと思われる。暴力は循環するので、家庭内暴力の有る環境で育つと、子供時代の被害者は、大人に成ると加害者に成る。お産に立会い、弟が産湯に浸かっている姿を長屋で見て育てば、自己の理念を実現するのは、暴力も厭わずと言う”目には目を”の人生観よりは平和主義者が生まれると思う。江戸時代の平和が続いた最大の政治的、社会的な原則は”喧嘩両成敗”であろう。一旦争い事が起こると、怒りの連鎖反応が起こるので、それを断ち切るには、相手を根絶やしにするしか方法が無くなり、圧倒的な武力に拠る抑圧とテロの応酬という悪循環が際限無く続く事に成る。この、喧嘩両成敗の原点は、人が争いを起こすときは、どちらが正義で悪かと言う話では解決できないとの認識。忠臣蔵の松の廊下の様に、刀を抜いたら切腹と言う厳然とした掟が出来ていた事で、この掟を担うべき国連がテロの標的に成った事には、救い様の無い事態である。
2003年08月21日
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東京は、依然としてはっきりしない空模様で、雨が降りそうな気配も有ったが、運動不足解消に、思いきって高尾山に出掛けた。自宅を出たのが11時過ぎで有ったため、高尾山口を歩き始めたのが、12時30分。快調に稲荷山の尾根を登って、高尾山の頂上には寄らず、一丁平を越えて城山に登った。ここに来ると決まって、茶店でなめこ汁を頼む事にしている。真夏に高尾山を歩くのは不向きではあるが、今年は既に秋山の装いで、はぎの花や秋の蝶である大型のあさぎまだらが優雅に舞っていた。この高尾山ー城山ー弁慶橋ー相模湖のコースは東海自然歩道のルートに当たっており、2,3年前に比べたら、格段に登山道(特に城山から弁慶橋への下山路)が整備されていた。山を歩いていたのは、中高年者と小中学生ばかり。
2003年08月20日
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夜中の4時半頃に、突然猫のけたたましい鳴声で目が覚めた。我が家はマンションの1階で、部屋のテラスの前には芝生の庭が付いており、これまでにも犬や猫の侵入に悩まされてきたが、深夜にたたき起こされた記憶は無い。眠い目で、外を確認したが、良く判らなかった。今朝、家内が窓を開けた所、テラスに野良猫が3匹おり、驚いて声を出したら、親と思われる2匹がさっと逃げて、子猫は境のフェンスの下を潜って、隣家のテラスへと逃げた。丁度、お隣の奥さんもテラスに出ておられたタイミングで有り、子猫の闖入に驚きの声が聞こえてきた。数日前に、同じマンション内の庭で3匹の子猫が生まれたそうで、いろいろな所を渡り歩いている様子。棟続きのマンション生活では、野良猫が入ってこない様に自己故防衛をせざるを得ないが、はて如何すれば良いのやら。
2003年08月19日
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府中に出掛けた帰りに、啓文堂書店に立ち寄った。ビジネスの新刊書では、興味をそそられる新たなテーマは見つからず、7月の出張訪日時に、日本のデフレの原因を分析した書籍を3冊買って読んだが、あらたに読書欲が沸くテーマは見つからなかった。結局、養老孟司の”逆さメガネ”と河村幹夫の ”50歳からの人生設計図の描き方”の2冊の新書を買った。帰りの電車の中で、逆さメガネを読み始めたが、Mドングリさんの日記に出ていた、養老天命反転地の写真が出ており、テーマは教育論であるが、社会論、文明論として興味深い内容の様に思われ、楽しみだ。
2003年08月18日
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午前中は、本当に久しぶりに、サンデーモーニング、サンデープロジェクトのテレビを通して見てしまった。プロジェクトでは、ヤッシーが住基ネットの問題提起をしていたが、この人の頭の良さと芯の強さに改めて感心させられた。サンデーモーニングでは、北米の大停電事故の徐々に明らかに成ってきた事実関係や日本の冷夏と世界的な異常気象が主要テーマに成っていた。欧州の熱波も北米の停電も、想定すべき異常値へのリスク管理のハードル(許容コストの上限)や社会的な価値観のレベルを一変させ得る、インパクトの大きさで有る。東北地方の今年の冷夏、7月の日照時間は例年の2,3割で、93年以来の米の凶作の可能性が有るとの事。欧州は、熱波と7,8月は殆ど雨が降らなかったことから、野菜の被害が拡大する一方で、葡萄だけは少雨、高温により、濃密に早く熟して、20世紀、21世紀で最高の出来に成る予想されている。フランスには葡萄酒カレンダー成る物があり、年代と地方のマトリックスの中で、4ランクの出来映えを一目でチェック出来るもので、ほぼ全ての地方で最高ランクの出来映えで有った年は、1975年以降では、1989、1990、1995年である。葡萄の出来が、異常気象のバロメータと言うのは短絡過ぎるかも知れないが、何かの相関関係が有るかもしれない。何れにしても、今年の夏の象徴的な欧州の熱波と米国の大停電事故が、人類(特に米国)の思いあがった活動(大量消費、効率優先)がもたらす地球温暖化のシナリオにリンクしていそうだ。
2003年08月17日
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世界的に異常続きの夏に駄目押しをした感の有る北米の大停電であるが、この事件は今後に大きな影響を残しそうだ。5000万人に影響が出た事と安全保障上の弱点を世界に晒した事にも成り、このままでは済まない。米国のクリントン政権のリチャードソン氏が米国の電力システムは開発国並とコメントしたそうだが、今回の事故は、電力系統の安定性を重視し、系統保護や送電ネットワークの2,3重化や発電、送電の一括運営(地域電力会社)による、システムダウンのリスク管理を徹底した日本と比較してみると、想像を超えた事故の波及度と停電時間の長さで有ったと思われる。この原因究明が進み、本質的な米国の電力システムの弱点がクローズアップされる事は時間の問題であり、そうなればブッシュ政権、米国経済に取って致命的な影響が出そうだ。貿易赤字と財政赤字の双子の赤字の中で、今回の事故対策に大規模インフラ整備の大出費が発生し、減税政策による税収減に追い討ちを掛けて、米国経済は破綻に向いかねない。一方、日本ではエンロン事件に加えて今回の事故が、電力のコスト削減、自由化論議の逆風に成りかねない。米国流の行き過ぎた効率優先で、部分最適に陥り、安全や安定供給が置いてきぼりにされるのは誤りとしても、自由化や規制緩和にまでブレーキがかかる事は十分Watchして行く必要が有るのでは。この電力問題は、フランスでも猛暑の影響が来年当たり出てくるのでは。今夏の異常高温が続く中で、75%の発電量を占める原子力発電所の冷却水の温度を冷やすための、緊急放水が話題に成った。但し、フランスではエアコンの普及率が10%以下と今年の夏に電力需要が急増したと言う話題は聞かなかったが、来年以降、エアコンが普及してくれば電力問題が顕在化すると思われる。
2003年08月16日
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三重からの帰路、湯河原の母を訪問した。熱海で新幹線を降りて、東海道線への乗換えを目指したが、関東、東海地方の大雨で、御昼過ぎから熱海ー小田原間が不通に成っており、復旧の見込みが立たないとの放送が有った。熱海駅は、大混雑しており、タクシー乗り場に向ったが長蛇の列で、おまけに一向にタクシーが来ない。次にバス乗り場に行ったが、ここも全く見通し無く、いろいろ考えを巡らして、小田原、湯河原方面から来たタクシーの戻り車を捕まえるのが手っ取り早いと判断、海岸沿いのルートは渋滞を想定して、山越えルートの出口付近を聞いて、そこに移動してタクシーを待つ事にした。この考えがずばり的中して、直ぐに湯河原への戻りタクシーをゲットできた。運転手さんの話では、最初に海岸ルートを来たときは湯河原ー熱海が2Hかかり、山越えルートは未だ渋滞して居ないとの事で、スムースに湯河原に移動できた。結局、この日は1日中東海道線は不通であった。
2003年08月15日
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今朝の新幹線で三重に移動した。予想外の涼しさで、長袖の上着を着るのが有りがたいぐらいの気候である。御盆休み中で、のぞみでも喫煙席しか空いていなかった。子供連れの旅行者が多く、禁煙席が取れずに、仕方なく、喫煙席にせざるを得なかった人が多いのでは。旅行シーズン中は、JRも料金を高くするだけでなく、禁煙席の車両を増やすなどの、サービス本位の柔軟性が有っても良いのでは。但し、車内には何人かの同じようなビジネス客も居たが。今朝の朝日新聞の一面に熱地球の記事が出ており、フランスの異常気象の内容が紹介されていた。老人の死亡が相次いでいる記事が出ていたが、今後この問題は政治問題に発展する予感有り。干ばつによる農作物被害も10億ユーロと出ていたが、田舎巡りをしていて、特に東部のローヌアルプ地方のトウモロコシ他の野菜が枯れていた事を思い出した。先週末の、ラングドックルッション巡りでも、大規模な畑では、スプリンクラーで水を撒き続けている光景を見た。 葡萄だけは事情が異なり、暑く乾燥気候の方が生育が良く、ワイン業者は大喜びで、新聞にも例年より3-4週間早く、葡萄の収獲が始まったと出ていたが、キャン近くの葡萄畑でも実がたわわに成り、収獲の近い事が見て取れた。
2003年08月14日
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パリでの寝苦しい夜と、汗まみれの目覚めに比べたら、東京は本当に快適な一夜であった。午前中はパソコンに向い、メールのチェックとラングドッグルッション旅行中の写真をヤフーフォトのアルバムに整理した。昼過ぎから、家内と聖蹟桜ヶ丘に出かけた。前回の帰国時に作り直したメガネのフレームの調整が上手く取れておらず、耳が痛くて仕方なかったので、メガネ屋さんで、再調整してもらった。後は何時も通り、おそばやさんで昼食を取り、喫茶店で御茶をした後で、衣類の夏物バーゲンと食料品の買い物をした。何故か、フランスでは衣料品の買い物をしなくなった。色のセンスは素晴らしいが、首廻りのサイズで合わせると袖が長すぎて非常に着心地が悪いので、一度で懲りてしまった。
2003年08月13日
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夕方7時前に、調布の自宅に到着。既に夏休み中の会社も多いのか、中央線、京王線ともに空いていた。東京地方は雨が降った影響も有るのか、フランスに比べたら、随分気温が低い。但し、湿度は高く、過ごし易いとは言いがたい。今回の帰国は、一部仕事の予定も有るが、基本はプライベートな夏休みで、里帰り割引料金よりのビジネスへのアップグレード券を使用した。パリのラウンジでは、多くの議員バッジを付けた先生方を見かけた。機内で、フランスの美しい村の本を参考にして、これまで訪問した村のデータの整理をしてみた。全144村の内、これまでに97村を訪問しており、ほぼ全地域を網羅した事に成る。地域的に抜けているのは、ブルターニュの西部、ボルドー以南の大西洋岸、プロバンスの一部で、次回の訪問で、100回記念を達成出来ると思う。
2003年08月12日
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後30分で、CDGに向けて出発するので、時間切れで今日の日記を更新する。アパートの部屋の気温は現在36度、我ながら扇風機も無く良く頑張っているもんだ。人間に取って最も怖いのは、所謂茹でガエル、知らず知らずの内に快適さに成れて、ぬるま湯状態から抜けられなく成る事だ。不思議なもので、今の36度は昨日までの40度に比べれば凌ぎ易い方だ。前回の帰国時に、森永卓郎さんの、”年収300万円時代を生き抜く経済学”を読んだが、今の日本には既得権益とおさらばした、発想の転換が必要で、更にシンプルライフを目標にしようと思っている。物が無ければ、無いで、何とか我慢が出来るもの。この時間まで、3日間の日記の更新、帰国の準備、掃除、洗濯と家事に精を出して、汗を流して頑張った。では、次回の日記は日本から。
2003年08月11日
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暑さと睡眠不足で食欲も無くなり、バテ気味だ。今日は帰路をA75クレルモンフェラン経由と決め、メネルブ、オラルグ、クベルドワラードと帰路の北東上に位置する3村を巡る計画。カルカソンヌに至る、D118沿いのリモー付近には、広大な葡萄畑が広がっている。既に黒い葡萄の実が葉っぱの下側にたわわに実って居た。 最初のミネルヴでは背後の丘に登って、雄大な景色を楽しんだ。フランスの緑溢れる大地というよりは、スペインの乾いた台地に近い印象がしたが、村の背後には葡萄畑も広がっていた。2村目のオラルグでは、灰色の石灰岩の山懐の村で、狭い路地の村を歩きまわったが、不思議な事に、この村の人や動物は夏ばてせずに元気で有った。村の中に、パンのみを頑固に売っている職人気質のパン屋さんを見つけた。 他の村で見つけた犬は夏バテで、舌をだして木陰にへたり込んで居る犬ばかりであったが、ここの犬は元気に動き回っており、シャターチャンスに苦労した。最後のラクラベルドワラードでは、シテの1画に古い家並みが保存されている。ここでも、向日葵と魔除けの御守りが目に付いた。 帰路は、A75が全通しているわけでは無く、所々一般道を走る地点が大渋滞で、特にMillauを抜けるのに2H掛った。フランスではエアコン付きの車は贅沢の部類に入る。渋滞での、のろのろ運転時に、若者達の非冷房車からは、裸で窓から体を出して水浴びをしたり、犬は悲劇的で窓から顔を出して喘いでいた。エンジンがオーバヒートした中古車が頻繁に一般道で停車しており、猛暑のドライブは忍耐と体力勝負。今回の全工程は、猛暑の中2200km、40hの長丁場で有った。
2003年08月10日
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山間、川沿いのキャンでは有るが、昨夜は暑かった。勿論、部屋にクーラーなどは無い。今日のコースは、Jau峠(1506M)を越えてプラド近辺のウス、ヴィルフランシュドコンフラン、モス、カモンの4村を巡る計画。一昨年家族でこの近くのサンマルタンカニグーを訪問しており、カニグー山の景色は懐かしい。最初の訪問地のウスは丘の急斜面に張りつく家並みが美しい。 丘の頂上のサンヴァンサン教会からの眺めは素晴らしい。家々のドアには、向日葵のドライフラワーやオブジェが飾られている。これは向日葵が天気予報代わりに使われて居た名残。ウス以外の村にも、ドライ向日葵や魔法使いのオブジェを良く見かけた。2村目のビルフランシュドコンフランは、スペインまで僅か15kmの距離で、長い間軍事上の要衝に成ってきた。村の背後の中腹に、ルイ14世時代にフォールリベリアと言う要塞が建てれた。ここまでは、鉄道の駅より30分の道を歩いて登った。 帰路は、723段の地下階段を下って、一気に下の村まで降りたが傾斜は緩くて、歩きやすい。ここの鉄道の駅からは、かわいい黄色の観光周遊列車が出ており、3Hで廻って来れる。村の土産物屋で民芸品などを見たが、魔女やお化け物が多く、興味深かった。3村目のモスでは、村の上部の広場で面白いものを見つけた。オレンジの大木を見つけたが、何となく違和感があり、近づいて良く見ると、オレンジに針金を通して、木にぶら下げている。鮮度は抜群で、偽者とは気が付かない。広場には、この村で上演される魔女演劇の広告まで出ていた。近くの家からは、食事中の笑い声とおしゃべりが響いてきた。ユーモア好きで陽気な村人の一端をモスで見る事が出来た。 ホテルへ戻る道路上で野菜や果物を売っている屋台を見つけたので立ち寄った。おばさんの顔は、スペイン的な顔立ちであった。もも3個とトマト2個を買った、料金は全部合わせても1ユーロと安い。宿に戻って食べたが、人工的な色や味は一切無く、素朴で懐かしい、子供の頃に食べた野菜や果物の味がした。
2003年08月09日
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今日から夏休みに入り、日本への帰国前に2泊3日で、トゥールーズの南東部のスペイン国境に近い、ラングドッグルション地方の美しい村巡りに出掛けた。兎に角、猛烈な暑さで連日40度前後の気温、殆どの旅行者(男の若者)は上半身裸に成り、水を被りながらのドライブ。初日は、仕事のメールの返事を書いていて、出発が6時30分と遅れた。自宅を出て僅か15分で、事故渋滞に遭遇、乗用者とトラックの衝突事故で、怪我人がタンカで救急車に載せられる所で有った。A10に入り渋滞も無く、調子に乗って150KM/時の流れに乗って運転していたが、オルレアンの手前で何故か廻りの車が急に減って、嫌な感じがしたが、そのまま車を走らせていた。突然、道路を横切っている電光掲示板の画面が切り替わり、629 CZJ TROP ・・・・と表示された。全部読み取れず、何の数値か考え込んだが、何と自分の車の番号では無いか、これは完全にスピード違反が記録されたのではと覚悟を決めた。その後は、140KMを越えないように運転したので、8H掛って、漸く最初の目的地のラグラースに2時20分に到着。途中、11時ごろに2度目の事故渋滞に遭遇、こちらは乗用車とオートバイの横転事故で、ここも怪我人がタンカに載せられていた。後で会社に電話して電光表示の件を確認した所、最近設置された自動警報機で、罰金対象には成らず、単なる警報との情報で有った。一安心したが、ティケットの送付が無いことを祈ろう。ラグラースは川辺に建つ、8世紀に創設されたベネディクト派のドルビュー修道院が有名。何時もの事であるが、周囲の山を確認して、展望の効きそうな裏山に登った。 写真手前の建物が修道院である。村と修道院の間には、オルビエ川が流れ、村を出た所に川をせき止めた天然のプールが出来ており、折柄の猛暑の中で、多くの村人(大人も子供も)が泳いでいた。2村目のカステルヌーは、村の頂きにヴィコンタール城が大きく聳え、対面には見張り塔が立っている。 18世紀には廃村化したが、現在は修復されて、中世カタロニアの城塞建築を今に伝えている。今日の宿は、カルカソンヌから50km入ったオード川沿いの、静かな街のキュイランで、2泊する事に。宿のマダムが一人旅の日本人中年に、痛く気を使ってくれた。9時過ぎから宿のレストランでDinnerを取ったが、地元の赤ワインのハーフボトルを空けて、酔っ払ってしまった。
2003年08月08日
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最近会社の食堂の手抜きが目に付くので、今日は事務所のメンバー3名とVernonに昼食を取りに出た。今の時期には、ほとんどの仏人は夏休み中で、残っているのは日本人全員と入社1年以内の新人だけ。セーヌ川沿いの中華レストランに入ったが、あれほど日差しを浴びながら、外で食事をするのが好きなフランス人も、全てが室内に篭って食事をしている。我々は、セーヌを見下ろすテラスにパラソルを設置してもらい、屋外で食べる事にした。思った程は、暑くない。サンジェルマンの居住者の話では、オープンカフェやレストランには人が集まらず、数少ないクーラ付きのレストランには口コミで大勢人が集まって居るとの事。クーラも扇風機も無い、当にサバイバル生活を送っている。熱帯夜続きで、毎晩T-シャツが汗まみれに成る為、早く目が覚めてしまう。来週月曜日には、夏休みを兼ねて、日本に帰国するので、後少しの辛抱、8月下旬にフランスに戻ってくる頃には、短い夏も終わっているはず。フランス人に聞いても、こんな夏の記憶は無いそうで、クーラや扇風機が飛ぶように売れ、クーラ付きのレストランが繁盛している。いよいよ明日から夏休み、フランス人の半分では有るが、有意義に過ごそう。
2003年08月07日
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昼食後の昼休みに、運動不足解消を目指して,工場の敷地内を歩いた。 散歩の途中の、工場の従業員用の駐車場の奥の草地に、林檎の木が10本ほど生えており、実が色づいて来たと聞いたので、実をもいで食べて見た。酸っぱいだけでなく、渋くてとても食べられる代物では無かった。 日差しが強い中で、建屋の廻りを一周してきたが、湿度が低い事も有り、気持ちの良い汗を掻いた。 昨日の日記で書き漏らしたが、昨晩Pacyの中華レストランに出張者と遅く成ってから出かけたが、今までに経験した事が無いほど多くのお客さんが入っていた。 店のオーナー(中国人)の喜びかたは普通でなく、我々が入店するや直ぐに近づいてきて握手をされた。やたら上機嫌で、頼みもしないのに、あさひビールの小ビンを持ってきたので、サービスしてくれるのかと思いきや、日本のビールかどうかを確認に来ただけであった。 Eure郡の警察関係者の団体客(家族を含めた50人前後)の予約が入ったそうで、それ以外にも不思議な程沢山のお客が来ていた。 日曜日の日記で触れた、YAHOO PHOTOのアルバムが何とか完成したので、URLを載せる。これまで、写真の入れ替えを頻繁に行い、古い写真は削除せざるを得なかったが、YAHOOは30Mの容量があり、暫くは大丈夫と思う。http://photos.yahoo.co.jp/karlneuilly
2003年08月06日
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今日は明日の便で日本へ帰国するエンジニアのフランス人との確認、申し送り作業に手間取り会社を出たのが10時近くに成ってしまった。4週間に渡る2名の長期出張者への慰労を兼ねた食事をして、パリのドゴール広場に近いホテルまで送って帰宅したら、12時を過ぎてしまった。兎に角暑い、12時を過ぎても30度を越えている。今週から猛暑がぶり返し、パリも連日35度を越える異常気象であるが、特に内陸部の気温は40度を越す信じ難い状況。昨日は、帰宅時に車に乗り込んだ時の気温が41度も有り、頭が朦朧とした。 昨夜は、窓を開け放して、蚊よけのアースノンマット方式の殺虫剤を点けて寝たが、起床時には汗でTシャツがびっしょり濡れていた。 ここの所、蚊にも悩まされており、手足に刺された後が残っている。 網戸とクーラー(扇風機ですら)が無いので、たまにやってくる猛暑には本当に苦戦している。 喉元過ぎればで、結局扇風機を買わずにここまで来たが、 そろそろ限界か。 今日は、Officeで汗を拭きながら仕事に励んだが、これも初めての体験。 足が蒸れてしょうがないので裸足に成った、これ又初体験。 今夜も、寝苦しい一夜が待っている。
2003年08月05日
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バカンスシーズン真っ最中では有るが、出勤者の総数が大きく減った印象は無い。補充に学生アルバイト等を大量に入れて、頭数だけは揃えている事も影響していそうだ。キーマンでも4週間の休みを取るが、前後半が上手くバランスされており、日本の様に一斉シャットダウンで無くとも何とか廻っている。工場の仏人責任者は、日本人以上ににWork Folicで、夏休みは、今週末の金曜日から月曜日までの僅か4日間だけである。今週から自宅付近の道路事情に変化が有った、普段は路上駐車場に空きスペースが出来るなどと言うことは終ぞ見た事が無いが、今日の帰りにはぼこぼこと穴明きに成っていた。パリを離れた人が増えたためで有ろうか?
2003年08月04日
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楽天の画像の倉庫の100枚、50K/枚の制限で、写真の整理に半年前から破綻を来していたが、楽天仲間の皆さんに習って、YAPOO PHOTOを先週末より立ち上げ、今日1日掛けてジャンル別に再整理した。整理が悪く、1年間掛けて取りこんだ映像データの所在の確認に思いの他手間取った。朝の9時から始めて、フランス編9分類、オランダの花畑、スペインのピレネー紀行と全部で11種類のファイルに成ったが、選定にてこずり、6時過ぎまで掛ってしまった。6時30分より、パリに和食を食べに出たが、毎日少しでも歩かねばと、アパートよりブローニュの森を抜けて、ポートマイヨールまで歩いた。今日も昨日に続いて日差しが強く、公園の中ではトップレスに成って日光浴している女性を見かけた。何時もブローニュの森を散歩するときには、視線のやり場に苦労する。
2003年08月03日
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交通渋滞最悪のヴァカンス週末では有るが、運動不足解消と減量の為に、1ヶ月ぶりの村巡りに思いきって出かけた。昨年度の同時期の交通渋滞を調べ、渋滞はリオン以南のA7が最悪と判断、マコンから左折するアルプス方面は、夏場はさほどの渋滞は無いはず、朝早くパリを出ればA6のピークにも巻込まれないとのと体験的な都合の良い解釈をして、モンブランの北部のアルプス山中の村、シ・フェール・ア・シバルお目的地に選んだ。予想が的中して渋滞も無く、10時40分に目的地に到着。先ずは村の案内板をチェック、周囲の山々を観察する。村の東側の奥に、一際尖ったピークが有り、時間的な余裕も出来たので、そのピークの麓までハイキングする事にした。見積もりは往復4H、村からは四囲の山々へのハイキングコースが有り、Circue de chivalのルート表示有り。方角から行って目的地で有ると判断、案内札に沿って、いざ出発。川沿いの牧草地の中のアップダウンコースで、マウンテンバイクでサイクリングを楽しむ人に何度も抜かれる。1H45分で車道に合流、行き止まりの道に、沢山の車が駐車しており、そこから登山道が始まり、多くの家族連れが登って行く。渓谷沿いに展望の優れたポイントが有る物と思われ、後を付いて行った。其処から山道を更に1H歩いて、上高地の様な開けた川原に到着、景色を楽しんで渇いた喉を潤した。途中の山道からは、目的のピーク(案内板よりTenneverge2988Mと判明)を正面から見る事が出来た。 廻りの家族連れハイカーお見ると、暑さのせいも有るのか、10台の若い女性は、上半身ビキニ(水着?)で歩いているし、小学生は下着で歩いている子供も何人か見かけた。ビーチではトップレスが当たり前のお国柄ではあるが、山にまで開放感が溢れた居たとは、複雑な心境。久々に汗を掻いて爽快な気分であるが、ここまでの山道で日頃の運動不足が響き、足首の痛みとふくらはぎが何度も攣りそうに成った。45年近い山歩き暦で、足の筋肉と膝だけは絶対の自信が有ったが、今回はこの過信も見事に吹き飛んだ。細々と完登を目指していた日本百名山も、ここらで年貢の納め時かと寂しい思いに刈られた。考えてみれば、昨年の夏休みに登った、北海道のトムラウシ岳(87座目)から山歩きは1年間御無沙汰している。毎日少しづつでも、歩かなければと反省しきり。帰路はコースを変えて、痛む足を引きづりながら、それでも早足で歩き、15時30分に村に戻った。5H近くの行程。続いて、スイス国境のレマン湖畔の美しい村、イヴォアールに寄った。ここは、場所がら観光地化しており、早々と退散。スイスのジュネーブに近く、レマン湖の対岸はスイス。 帰りも全く渋滞は無く、途中のサービスエリアで今日始めての食事をゆっくりと取った。走行距離1260KM、18H15分間の長い1日。
2003年08月02日
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今日のパリは久々の快晴で、暑い1日に成った。出張者を連れて、サンジェルマンアンに夕食を食べに出かけたが、最初に予定していた日本食(非日本人オーナ)レストランは、夏季休暇でお休み。中華に変更したが、ここは廻りのレストランがお休みで有った事も有り、大混雑していた。2日前から車のエンジンの調子が悪くなり、加速時に振動が出て、今朝は点火系の異常表示が出た。10万KMを越えると、いろいろ問題が出てくる。前回のトラブル時と同じ症状であり、ルノーの修理工場で急いで点検してもらった。点火プラグ(6気筒で6個)の1個が寿命で壊れた前回と同じ故障であった。 ルノーの寿命品交換時のルールで、壊れた部品は無償で交換するが、予防保全での壊れる前の交換は自己負担に成るとの説明を受けた。 遠出した時に壊れるリスクを考えて、この際残りの4個も自己負担 (合計240ユーロ)で変える事にした。 プラグ1個が壊れて点火できなくとも、運転は何とか継続(ノッキング状態で)出来るが、エンジンに無理が掛り、環境にも悪影響を与える事に成る。
2003年08月01日
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