2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全30件 (30件中 1-30件目)
1
今朝は昼過ぎまで熟睡できるかと思いきや、何時も通り6時前に目が覚めた、睡眠時間は何と5時間。午後から昼寝をする事にして、昨日の村巡りの日記を先ずは片付けた。家事を手早く仕上げねばと、早めに買い物に出かけた。ヌイイの朝市では、中華の惣菜、野菜、乳製品を仕入れた。ここの野菜は本当に新鮮で有りがたい、ミニトマト、ほうれん草、インゲン、マッシュルーム、ニンジン、帰ったら早速カレーを作る予定。乳製品は、卵、牛乳の定番に、今日は美味しそうなチーズケーキを見つけたので、これを買う事に。一切れが大きすぎるので、顔見知りの叔父さんに、半分に切って貰い、その一切れを欲しいと伝えた。叔父さんがナイフを持って来て、これを当に切ろうとした瞬間、女将が顔色を変えて、人の良い叔父さんに、ダメと怒鳴った。半分に切ったら、残りが売れないと怒っているのか、叔父さんは、申し訳なさそうな顔をしたので、笑ってそのサイズで良いとOKを出した。2人の関係は夫婦か主人と使用人の関係かは判らないが、恐ろしきはがめつい女将のあの怒った顔である。ああ、女性は怖い。朝市の後は、エッフェル塔の近くに有る日本食品店のKで、9KGの米(こしひかり種のカリフォルニア米で日本で食べている米より美味しい)やおでんだね、調味料、和野菜を仕入れた。1人暮しの身成れど、毎日朝夕ご飯の自炊で有り、9KGのお米が、3ヶ月持たない。毎月出張や外食が有る中での、このお米の消費量の多さは日本国内組みにも負けないであろう。エッフェル塔近くで、乗馬や荷馬車など大規模な馬のパレードに出くわした。延々と行列が続いてやって来る光景は壮観であった。帰宅後、2時半までに家事を終えて、2H待望の昼寝が出来た。未だ寝たり無いが気分はすっきりした。
2003年11月30日
コメント(1)

休み無しの2週間であったので、週末にゆっくり休養したいとの思いも有ったが、ストレスと運動不足解消を口実にやはり遠出してしまった。1ヶ月ぶりの村巡りに、残ったエリアで最も近場を探したが、500KM圏は有ろうはずも無く、結局リヨンの南部のローヌ、アルプ地方の村巡りと決めたが、1400KM、18Hの長丁場の1日に成って仕舞った。フランス人は何かに付け極端を行くが、オフシーズンには全く観光客を見かけない、特に午前中にその傾向が強い。今回訪問した、ドローム県、アルディシュ県、ローヌ県の5村の中でも、午前中訪問のドローム県のローヌ川を見下ろす高台に位置するミルマンド、ラキャルダデマールでは、観光客は1人も見なかった。出会った村人も1-2名と言う状況で、寒い午前中には家に篭って外には出歩かないのであろう。勿論、カフェやレストランも閉店していた。ミルマンドは前から行きたいと思っていた村で、果樹園に囲まれた鷲巣村で芸術家の村としても名高い。季節はずれの今でも、サクランボの果樹園と判る畑や葉が落ちたが、たわわに身の付いた柿の木を見かけた。ここの迷路の様な石畳の階段を登り、村の頂上に有る教会の墓地を経由して、PIN(松)林の裏山をハイキングしたが、手が凍える様に冷たかった。折角、毛糸の帽子、マフラ、手袋の冬場3点セットを持って来たのに、車の中に置き忘れてしまった。この村で出会った生き物は、御婆さん1人と写真の利口犬のみ。狭い道で小生が近づくと、鎖を引きづって喜んで駆け寄ってきた。カメラを近づけると、きちんと座って、ポーズを取ってくれた。 芸術家の村らしく、猫の陶器の置物が並んだ店を見つけたので、店内に入ろうとしたが、鍵が掛っていた。中々味の有る、哲学的な表情をした猫の顔である。 次ぎのラギャルダデマールは、村の頂上に有る8角形の塔が目を引く、ロマネスク様式のサンミッシェル教会が有名である。中はシンプルな構造で、見掛けよりは広かった。教会前の高台から、ローヌ川を見下ろすと、背後に原発が白煙を吹き上げていた、フランスでは何処にでも見かける景観であり、ミルマンドからも別の原発が望めた。次ぎに、ドローム県より移動して、アルデッシュ河畔に切り立つ崖に張り付いた、バズラック、ヴォーギュエの2村を巡った。バズラックでは河原から、村の背後の丘へと狭い村を歩き回った。ヴォーギュエも、小さな集落で有ったが、対岸から眺めた村の全景は美しい。 河原では、犬を連れた家族連れを2組見かけたが、寒い中、川に浮かんでいた鴨を犬が水中に入って追い掛けていた。帰宅すべき時間に成っていたが、何時もの欲張り癖が出て、帰路リヨン近くのサントクロワアンジャレに寄道した。ここは13世紀創設の修道院が、今でも一つの集落として使われているユニークな村である。 中庭を挟んで、かっての僧坊が食料品店や住居に成っており、中庭も駐車場兼用と観光地と言うより生活感に溢れて居た。更に奥に進むと、mairie(村役場)やecole(教室)迄出て来たのには驚いた。
2003年11月29日
コメント(1)

今週の水曜日から、フランスは急に寒くなった。朝8時のPacy到着時の気温は久々の氷点下。 それまでの、雨模様だが暖かかった気候が、寧ろ異常値ではと思われる。 今朝は、久しぶりに霜が降りた広大な畑と綺麗 な朝焼けを見ながらの通勤ドライブと成った。帰宅時にも、Pacyの駐車場から日没後の残照と半月が拝めた。 今日は、仕事中に血圧が上がるような出来事が有った。 難しい舵取りが要求されるGlobal調達で、フランス 側と日本側の優先順位の付け方の違い(日本の 品質NO1とフランスのコストNO1)から、最終決断に苦労している中で、フランス人担当者がUnfairでPoliticalな動きをした為、12年ぶりに仕事上で激怒する羽目に成った。 過去のビジネス生活で、3度目の体験である。 最初は米国のHOUSTON赴任時に米国人に対して(15年前)、2度目は東京で、日本人に対して(12年前)。 過去の2度の体験でも、プラスよりはマイナスの作用が大きかったように思われる。 今日も瞬く間に、この話しがフランス人に伝わり、アシスタントのKさんの所に、Karlさんは怖い人なの、怒りっぽい人なのとの問い合わせが有ったそうだ。 自身の信条として、誠実と気概を貫いてきただけに、Unfairな事をやられると、我慢が出来無くなる。 齢を重ね、多くの体験を積んでも、三つ子の魂百まで変わらずとは、進歩が無いね。
2003年11月28日
コメント(1)
おいどんはさんより、トリビアの泉で問い合わせの有った、パリのシャンデリゼ通りでの蟹蒲ブームの話しを、昼食時にフランス人に聞いてみた。 昼食を共にした3名のフランス人全員が蟹蒲の事は良く知っており、SURIMIと読んでいるそうだ。 kaki(柿)やjudo(柔道)の様に、辞書に載っているかを調べて見たが、小生のPETIT DICTIONNAIREには見当たらず。 蟹の身に見えるが、中身は魚のSURIMIである事も良く 知っていた。 但し、この蟹蒲は最近ブームに成った訳では無く、仏では25年ぐらい前から出まわり、値段が安かった事も手伝って、広くフランス中に広まったそうだ。会社の食堂でもサラダに付いて良く出される。 シャンデリゼで流行っているというのは、眉唾の様で、目新しい話しや最近の流行では無いとのコメント。
2003年11月27日
コメント(4)

今朝は寝不足と疲労が重なり、起床時間が1H遅れてしまった、それでも睡眠時間は6Hと寝不足解消には至らず。重い体を引きずって、9時過ぎに会社に到着。午前中は溜まった業務に励み、午後には4週間ぶりの仏語のレッスンを受けた。眠気と格闘して、頑張っていたが、見かねた先生より、今日はここまでにしましょうと何時もより30分早く終了。仕事の方も早く切り上げて、アパートに急いで戻った。パソコンに向かうと、週末に客先を案内した時の写真の整理を始めてしまった。地上最大の作戦で有名な連合軍のノルマンディ上陸地点であるオマハビーチ 米軍の墓地の有る海岸に設置された連合軍の配置図会の写真。 無駄骨に終わったが、ミレーやルソー等芸術家が移り住んだ事で有名なフォンテンブローの近くのバルビゾン村の趣の有る邸宅の写真を載せる。 睡魔に負けそうなので、今日の日記はここまで。
2003年11月26日
コメント(0)
先週の火曜日から続いた8日連続の客先対応も今日が最終日。ドゴール空港まで、夜行便に乗る客先を見送り、PM10時に4日ぶりに自宅に戻った。慣れないツアコンの仕事に、カロリー過多の食事、睡眠不足と当に疲労困憊のぼろぼろ状態で漸く開放された。最終日の今日のスケジュールは、フランス旅行のベテラン組みと新人組の2手に判れての行動で、小生はベテラン組みの希望に沿って、バルビゾン、フォンテンブローを案内した。運悪く、両所共に火曜日が休館日に当たっており、MuseeやChateauには入れなかった。3時半にセーヌのボトームッシュで合流し、1Hのセーヌ遊覧を楽しんだ。ここでも中国人の団体客が大型バスで大挙して乗りつけ、遊覧中の解説も中国語が使われて居た。5時には、エッフェル塔にストロボが点滅し、中国人は歓声を挙げていた。この辺の美的感覚は、人種に拠って大きく異なりそうだ。セーヌの遊覧の後で、最後の夕食を、シャンデリゼのLADUREEで軽く摂った。今回の招待旅行では、客先と4日間Fullに行動を共にして、本当に多種多彩な話し合いをしたが、最後に多くの客先から、小生の貴重なGlobal体験を纏めて本を書けば、売れるよと新顔で言われた。
2003年11月25日
コメント(4)
今日は、招待客先の研修日で、午前中はPacyの工場見学と新製品への要望、意見交換。午後は、弊社の姉妹会社のヴォードレイユ工場を訪問した。今回の招待客先は各社の経営TOPで、貴重な意見交換、提言を頂いたが、ヴォードレイユでは通訳のK嬢が参加出来なかった為、小生が仏語の通訳を急遽やる事に成った。説明内容の理解度は、50%程度と苦しい展開に。研修後は、パリのMで牡蠣鍋コースの夕食を摂ったが、やはり年輩者には和食が何よりの御馳走の様で、喜んで頂けた。食後には、最後のパリでの夜と言う事で、カルチェラタンのCabaret、PARADIS LATINでショウを見学した。疲労と寝不足の為、目を擦りながら舞台を見ていたが、美人ダンサーに拠る歌や踊り以外にも、犬を使った腹話術やサーカスの空中ブランコの出し物が有り、結構楽しめた。
2003年11月24日
コメント(0)
漸くルーアンのホテルでネットの接続が可能に成り、2日分の日記を書いている。招待客先4名の内、1名はモンサンミッシェル体験が有るため、こちらの面倒はアシスタントのK嬢にお願いして、パリの美術館巡り後、ルーアンのホテルで落ち合う事にした。本体は小生の車で、パリのホテルを朝8時30分に出発、一路モンサンミシェルへ向かう。ここは最近、日本人の団体旅行客の主要ツアーコースに成っている。今日は、異常なほど日本人の団体観光客を見かけた。悠々自適の高年層のみで無く、若者の姿が目立った。初めてモンサンミッシェルを訪れた3名は、スケールの大きさに驚かれた様子。帰路は、Normandyの連合軍上陸地点を見たいとのMさん希望に添って、オマハビーチと米軍の墓地へ寄り道した。5時の閉館時間の4分前に、Memorial cemetaryに滑り込み、何とかデジカメ撮影できた(4人ともデジカメの愛好者)。夕食は、ルーアンの有名フレンチで摂ったが、嫌な事が有った。勘定を払う際に、不明な料理の追加記入、飲み物の本数の水増しを発見したので、責任者に抗議した。直ぐに誤りを認めて請求書を訂正して来たが、どう考えても、日本人と知って意図的に誤魔化したのではと思われて成らない。
2003年11月23日
コメント(1)
漸く多忙な1周間が終わり週末がやってきた。今日帰国する日本からのBoard会議メンバーには、12時にホテルに迎えに行く事で了解してもらい、午前中は溜まった家事をこなした。6時5分CDG発の帰国便まで余り時間の余裕が無いので、シャンティーを案内した。ここは、Chateauと馬の博物館が有名であるが、残念ながら、名物の馬のショーは15時30分のスタートで、これは時間の関係で割愛する事に成った。彼らを4時過ぎに空港まで送り届け、そのまま今度は、17時25分着のエアフラで到着するフランス招待客先の出迎えをした。今回は客先と行動を共にするために、シャンデリゼ沿いのHOTELに同宿する。夜は、8時30分より近くの中華レストランでWellcome dinnerを開いた。明日は、モンサンミッシェル、ルーアンへの観光ガイドの仕事が待っている。
2003年11月22日
コメント(0)
今日は仏側株主のHQで、Board会議が実施された。昼食は客先食堂でFrench、夕食は日本側メンバーだけで、久々にパリ一区のMで和食を食べた。ブルタニュー直送のカキ鍋コースで、一息つけたが、何時もの様に食が進まなかったのは、自分だけでなく、連日のFullコースFrenchで、食欲減退の日本側Boardメンバーも同様の反応であった。ブルタニュー地方の地ビールを仕入れたとの事で、これを飲んだが癖の無い、口当たり良いビールで有った。体は正直な物で、4日連続の重い食事に拒否反応を起こし、顔ににきびが出来てきた。顔ににきびなど、40年ぶりの事で有ろうか、まだまだ青春の残り香が何処かに残っていたと喜ぶべきか、複雑な心境。今日から、別の日本からの招待客先が来仏するので、週末を含めて、接待外食コースが火曜日まで続く、これはもはや過食拷問?
2003年11月21日
コメント(3)
今日も昼、夜ともFullの会食で流石に3日連続と成るといい加減辟易としてくる。パリのレストランでワイン通の、Gさんにボジョレヌーヴォに付いていろいろ質問した。最大の関心は、如何言う経緯でボジョレヌーヴォが世界的なヒット商品に成ったかと言う事。ワイン事業としては、今年取れた新酒を大量に世界中に販売できる事は、在庫レスでこんなに旨みの有る商売は無いはずで、その事業戦略に強い興味を持っていた。Gさんの解説に拠ると、先ずはBeaujolais(ボジョレ)はブルゴニュ地方南部のボジョレマコンの南からソーヌ川沿いのリヨン近郊までの南北約50kmに及ぶ広大な丘陵地帯。地名の由来は、ボジョレ地方の旧中心地で有った、ボジュ(Beaujeu)から。この地区はぶどう品種、土壌、醸造法においてブルゴニュの他地区とは異なる独特の世界を形成している。栽培品種ガメはこの地区とマコンやロワールの一部でのみ認められている。花崗岩質土壌と独特の醸造方法によりフルーティな赤ワインを作り出すことに成功したと言うのが通説であるが、彼の解説では、成功の秘訣はMarketing戦略に尽きるそうだ、彼はMarketing mgr。もともとボジョレ地方のワインは品質が高くなく、名前を憶えられなかったが、ある人物が起死回生に期間限定のワインを強く売り出す事を強くPromoteした結果、記念行事好きなフランス人に受けたそうだ。11月の第3木曜日にその年の新酒を一気に解禁する手法は世界的にヒットした。この習慣は大都市リヨンの伝統的なビストロで、ボジョレの収穫を祝って、収穫1ヵ月ほど後に樽から直接グラスに注いで楽しんだものを、大きくPRして世界に広めた。但し、彼の様なワイン通には、僅か2ヶ月間しか賞味期間が無いワインは、本当のワインとは言えないとの見解で、一緒に食事をした他のフランス人も同様の意見で厳しい見方をしていた。
2003年11月20日
コメント(3)
昨晩から3回連続のFrenchのフルコースでうんざり。連夜の遅い帰宅で、眠い目を擦りながら日記を書いている。今夜は、フランスで初めての体験と成った、三星レストラン、ルドワイヤン(LEDOYEN)での会食。仏側BoardメンバーのTさんより招待を受けた。流石はパリの中でも、非常に長い歴史と格式を誇る最高級レストランで、2002年にミシュランの三星レストランに認定されている。パリ中心部では珍しい一軒家の緑に囲まれた大きな洋館で、創業は1792年、ナポレオン時代の建物。料金も250ユーロ/人前後で、値段も当に3星。
2003年11月19日
コメント(2)
販売マイレージキャンペーンでご招待した日本よりの客先10名とモンマルトル広場のレストランで食事をした。食事の前に、何人かのメンバーは記念にと、似顔絵を画いてもらった。50ユーロの所を、粘って26ユーロまでの値下げ交渉成立。機内が満席のため、大半のメンバーは眠れなかった様で、3Hのフルコース後半は半分寝ていた人が目だった。最後のコーヒータイムに全13名のオーダーをメモに取るため、注文内容毎の人数を日本式に数えていると(カフェ正、デカフェT、紅茶正)、Garconが興味を持った様で、正の意味を聞いてきた。5進法で、棒1本が一つを表していると説明したら、興味深々で有った。フランス流の数え方も5進法で、横棒4本の後は縦串と、日本流とは異なる表記方式であるが、発想は良く似ていると思われた。
2003年11月18日
コメント(2)
時差ぼけで3時に目が覚め、何時もより1H早く自宅を出た。2週間ぶりの真っ暗闇の中での運転でもあり、慎重に速度遵守で出勤した。午前中は、今週の込み入ったスケジュール調整やBoard会議資料の確認で、ゆっくりお茶を飲む時間も無かった。昼休みに、溜まった新聞に目を通していたら、FTのWeekend版に、2面ぶち抜きで、Koizumi:the enigmaの記事が出ていた。興味深い記事では有ったが、中身を精読する時間は無いので、斜め読みをしたが、記者が小泉さんの上大岡での選挙応援演説風景を見て、謎の人(enigma)小泉に迫ったもので、欧米人の日本政治の不思議に対する素朴な疑問を、記者の体験談を通して纏めた長文の記事であった。小泉改革のポピュリズム手法や離婚を経た小泉さんが女性に何故圧倒的人気が有るのか、自民党総裁選では抵抗勢力が政策の異なる小泉さんを何故選んだのか、その疑問が、小泉パンフを掲げた何千人と言う女性の聴衆を見ていて理解できたと言うもの。時間が無いので、その先は読めなかった。
2003年11月17日
コメント(1)

12日ぶりのパリであるが、暖かい気候が続いている。今日は終日雨模様で、アパートに篭りっきりで有った。来週は、、日本からの客先が2組、おまけにBoard会議まで予定されているので、スケジュールが非常にタイトに成る。今日は1日中、頑張って資料作成に励んだ。帰国直後の日曜日に、仕事に追われるとは因果な巡り合わせでは有るが、月曜日を除いて、全て客先対応が必要に成り、時間が無いので詮無い事ではある。仕事の合間に、持ち帰った野菜を使って料理にも励んだ。台所の出窓に置いているゼラニュームの花は、今回の10日間の不在後にも、元気な姿を見せてくれた。長期出張の前にはたっぷり水をやっては居るが、それにしてもこの花の生命力には感心する事頻り。
2003年11月16日
コメント(2)
現在、成田空港のラウンジで日記を書いている。今朝は、久々に冷や汗を掻いた。空港第2ビルで成田エクスプレスを降りる時に、乗車口に置いておいたショルダーバックが見当たらない。場所を勘違いしたと思い、急いで反対側の降り口をチェックしたが、ここでも見付ける事は出来なかった。発車間際で迷った挙句、先ずは駅員への届出を急がねばと、ここで下車して直ぐに届け出た。駅員も慣れた物で、盗難に合うことは先ず考えられず慌てた為の勘違いで、直ぐに空港駅で見付かると笑われてしまった。暫くして、荷物が見付かったとの電話連絡が有った。何処で見つけたかは確認が取れず、釈然としなかったが、急いで第2ビルに戻った。不審物が紛れ込んでいないか、荷物を確認したが、当然何も見付からず。パプニングの幕開けで有ったが、今日は楽天ホームページ開設の1周年記念日である。この一年、このHP開設で私生活も随分変化が有った。忙しくてもネタが無くても、何とか毎日日記を書くと決めたが、今日まで記入率98%で来れた。毎月の様に、海外出張で飛び廻ってきた中で、毎日日記を書くというのは、本当に苦しく辛い思いもしたが、兎に角それなりの達成感は持つ事が出来た。これも偏に、楽天仲間の皆様の励ましや書きこみに勇気付けられた物で、1年間有り難うございました。追記、今日の日記記入で、記入率が99%に変わりました。
2003年11月15日
コメント(10)
東京での最後の仕事を終えて、明日フランスに帰国する。帰りに近くのスーパーに寄って、フランスに持ち帰る野菜を沢山仕入れて来た。今回は軽装できたので、持ち帰り可能な食料を欲張って揃えたが、さすがに重く、明日の成田までの移動が思いやられる。スパーで食料品を買い、重い荷物を持ちながら自宅まで歩き始めたが、途中のケーキ屋の前で、明日が次男の24回目の誕生日である事を思いだし、店に飛び込んでしまった。店に入った後で、これ以上荷物は持てないと後悔したが、何とか成るさと言い聞かせ、誕生日用デコーレションケーキを買った。予想通り、ケーキを水平に持つ事は出来ず、傾いたままそろりそろりと歩き始めたが、このままではケーキが型崩れするは必至で、近くのバス停留所でバスを待つ事に方向転換した。帰宅してケーキを確認したが、イチゴが1個落ちた程度の被害で済んだ。肝心の次男は今日は帰宅が遅いそうだ。家に居た長男からは、おやじ良く気が付いたと誉められた。
2003年11月14日
コメント(2)
フランスよりMarketingメンバーも来日し、11月11日に発売開始した新商品の拡販PJ会議を実施した。会議終了後、居酒屋(畳席)で打ち上げ、懇親会が開かれた。かなりお酒が廻り、座が盛り上がった所で、フランス人のMarketing MgrのGさんが、やおら立ち上がり、グラスを持って歌を謳い始めた。見ていると、グラスを頭の上に掲げ、次ぎに鼻の上、顎の下、最後は下半身と歌いながら、艶かしい動作をしている。聞くと如何やらフランスの春歌らしい。最後は全員で立ちあがり、同じ動作や歌を真似て、大合唱と成った。フランスでは、テーブルでおとなしくワインを飲むか、せいぜいPartyでダンスをするぐらいであるが、あの普段は真面目腐ったGさんから春歌が出るとは。さすが、Marketingのベテランで、世界中を飛び廻り、営業の前線や客先とお酒を飲みなれているだけの事は有ると、感心する事頻りであった。
2003年11月13日
コメント(0)
今日は久しぶりに山手線で都心のOfficeへ通ったが、車窓の掲示写真が随分と垢抜けして来た事に気が付いた。特に原宿駅では、”Harajyuku Fashion Board”と銘打ち、美女を配した大型広告写真が多数並んでいた。パリ程の大胆な写真は無いにしても、地味な広告が多かった数年前と比べると大いなる進歩。朝日新聞の夕刊に、面白いフランス関係の記事が出ていた。「ネズミ取り」新設式典に急ぐ大臣が速度違反をしたと言う記事で、サルコジ内相やドロビアン運輸省が時速70KMの所を、+30KMオーバーで走ったのを、自動車雑誌の取材班が現行犯として押さえたと言う内容。論理的な言い訳に策を凝らすフランスらしく、内務省は、大臣の身辺警護等の事情に拠るもので、違法では無いと弁明しているそうだ。この記事で嫌な事を思い出した、フランスに戻ってポストを真っ先にチェックせねば、違反調書が届いている可能性が強いのだ。
2003年11月12日
コメント(0)
東京ビッグサイトで開催されているシステムコントロールフェア会場に出掛けた。本フェアも隔年開催と成り、規模も縮小傾向に歯止めが掛らない。各社とも同じような新製品の投入で差別化商品を探すのが難しくなっているが、今回の特色は従来国内展示会の色彩が強かったものが、よりGlobal展示会の方向に様変わりしてきた事である。ドイツのハノーバメッセとは比較には成らないが、出展メーカも欧米の一流企業が単独、JVで参入し、製品仕様もGlobal standardが前面に出ていた。こう言う展示会では、最近御無沙汰している昔の仕事仲間や業界のメンバーと再開するチャンスでは有る。今日も、数年振りに多くの国内外の懐かしいメンバーと再開できたが、みんな年を取ったね。
2003年11月11日
コメント(0)
三重からの帰路、名古屋駅のホームで知人を見かけたので、近寄って声を掛けた。古くから付き合いの有る販売会社の中部支社長で、欧州の景気動向と中部地区の市況の情報交換をした。ホームで別れて、のぞみに乗りこんだら不思議な物で、たまたま同号車、同列のC,E席であった。11月5日に日本へ帰国して直ぐに、国内を飛び廻って居たが、漸く自宅に戻った。同行したフランス人に取って、小生の行動はなかなか理解に苦しむ様だ。仕事で、ゆっくり自宅に滞在できないのは理解出来るにしても、滞在先から奥さんに電話を掛けないのは信じられないと哀れみの目で見られている。
2003年11月10日
コメント(0)
今日は、母より日頃の出来事を聞かされた後で、お昼から真鶴の馴染みのT寿司に地物のにぎりを食べに行った。ここの鯵やカワハギ、カンパチのにぎりは絶品。帰りに、これも何時ものパターンで夢公園近くのギャラリー付きの喫茶店Kでお茶を飲んだ。ここの奥さんは創作ケーキや自家製パン作りで、地元では有名な人で、テレビにも取り上げられた事も有るそうだが、とても気さくでチャーミングであり、野草やハーブに溢れた店の雰囲気を含めて、すっかりフアンに成っている。夕方7時前の熱海発の新幹線で、再度三重に戻った。HOTELで選挙の開票報道を見出したら、止まらなく成り、結局体制の判明する12時ごろまでテレビを見ていたが、その後が悪い。時差の影響か、完全に眠気が消えてしまって、結局寝付いたのは3時近くに成ってからで有った。
2003年11月09日
コメント(0)
午後3時まで、フランス人も土曜日出勤させて会議を続けた。その後、重い荷物を抱えて最寄り駅まで急いだが、結局予定していた電車には間に合わ無かった。名古屋から、こだまで熱海まで移動して、湯河原の母を訪ねたが、熱海までの所要時間が2Hも掛り、今回ののぞみ増発のダイヤ改正で、こだまへのしわ寄せが更にひどく成っていた。多くの停車駅で、のぞみ、ひかりの通過待ちが有り、各駅での停車時間が6-7分とうんざりさせられた。明日は総選挙、パリでの不在者投票も考えていたが、結局行動を起こさずに帰国してしまった。今日のニュースで不在者投票が160万で過去最高の数値と成ったとの報道が有ったが、やはり大使館に問い合わせして不在者投票へのActionを取るべきで有ったと後悔している。フランスでの日本人向けの刊行物にも、不在者投票の案内が出ていたが、良く理解できなかった。明日の天気予報は、曇りのち雨の所が多い予想が出ているが、結果を左右する投票率は前回を越えるので有ろうか、母は頑張って坂道を歩いて投票に行くそうだ。
2003年11月08日
コメント(0)
昨夜のホテルからもネットが接続出来ず、漸く湯河原の母の所に移動してきて1日遅れの昨日の日記が書ける様に成った。三重での1日掛りのタフな打ち合わせを終えて、フランス人お気に入りの、松阪肉の専門レストランKに行った。ここは、直営牧場から仕入れた松阪肉を販売する肉屋に併設されたレストランで手頃な値段で霜降り肉を食べれる所で、今日も別件で来日していた仏人メンバー2名にも声を掛けたが、彼らもとても喜んでJoinした。中でも頻繁に来日している経理のAさんは、この店でも有名人で、店に入るなり親しげに声を掛けられていた。鉄板焼きかしゃぶしゃぶが彼らの定番メニューで有るが、今日はすき焼を食べさせた。食事中の会話で面白かったのは、購買のBさんの週末の京都観光旅行での不思議な体験。仏人2人でレストランに入って驚いたそうだ、お客は全て男性ばかりのグループか単独で有った。食事の後半に成って、廻りを見回すとデザートを食べているお客は1人も居らず、恐れを成してレストランでのデザートは諦めて、甘味の店を探して、デザートを食べに入店した。ここでは逆に、店の全てのお客は女性軍団で有ったそうだ。週末に男性同士、女性同士で食事をする事が先ず信じられず、奥さんを家に置いて、自分だけで仲間と食事などに行ったら、離婚騒ぎだそうだ。それにしても、本当に異様な光景で有ったとしみじみと語ってくれた。
2003年11月07日
コメント(0)
日本への出張中には移動が多いので、HOTELでネットに接続出来ないと本当に困る。仕事の緊急の連絡やHPへのアクセスが出来なくなり、例え数日でもデジタルディバイド状態に追いこまれる。今朝5時30分に自宅を出発した時は雨がひどく、コートを着て行ったが、これが大失敗。気持ちが悪いくらいの暖かさで、大きな荷物に併せて、コートを抱えての移動と成った。昨夜到着したフランス人に、成田到着時に今日のTicketを買う様に指示、日本語で行き先まで書いたメモを渡して居た。今朝、窓口で時間をロスするのを恐れての配慮で有ったが、これが裏目に出た。彼らが購入した切符を確認したが、何と直ぐに必要な物とは違った切符を手にしていた。今日の予定はJRの二ノ宮駅で途中下車、夕方名古屋まで移動するスケジュールで、新幹線の小田原までの自由席と名古屋までのスルーした乗車券を買う予定が、小田原、名古屋間の自由席特急券を持っていた。慌てて追加で小田原までの自由席特急券を買ったが、悪い事は重なる物で、同行したルーマニア人が乗車券を自動改札で機械に取られたと訴えた。慌てて自動改札に戻り、切符が埋もれてないかを探す様に駅員に頼んだ。見る見る内に発車時間が迫り、ここは諦めて新幹線の改札に取って返し、事情を説明して、切符無しで発車間近の列車に飛び乗った。日本人のツアコン1人に、仏、米、ルーマニア人様御一行様5人を連れての、汗まみれの1日がスタートした。小田原で駅員に事情を説明したら、手書きの名古屋までの乗車証明を発行して呉れたので、ルーマニア人は追加のお金を取られる事は無かった。欧州人に取って、本ケースで乗客を信用して、この様な処置をしてもらった事は驚きで有ったようだ。
2003年11月06日
コメント(0)
定刻より遅れて、午後2時40分に成田に到着。パリも急に暖かくなり、迷った末にコートは持参しなかったが、日本もとても暖かく、取敢えずはコートが不要でホットした。今回は荷物を少なくして軽装(着替えは持参せず)で来たので、通関の係員からいろいろ質問を受けた。成田エクスプレスのホームでCO-7便の荷物タグを付けた米国人のビジネスマンを見かけたので、HOUSTONから来たのでしょうと話しかけたら驚いていた。日本に居住している米国企業の社員で、奥さんの親がHOUSTONのクリアレークに住んでおり、病気の見舞いに里帰り、本人だけは明日からの重要会議にとんぼ帰りして来たそうで、いろいろ話している内に親しく成り、名刺交換までしてしまった。この初対面の人に対する親しみの感覚は、仏と米国では大きなGAPが有る。明日は、5時起きでフランス人を東京駅近くのHOTELに迎えに行かねば、今日の移動は、仏人はエアフラ、小生はANAと別便で来た。
2003年11月05日
コメント(0)

午前中は日本への出張準備のため出社、午後一旦アパートに戻って急いでパッキング。最近日中に会社の近くのHaute Normandyを走る機会が無かったが、今が黄葉の盛りでとても綺麗だ。30分ぐらいは寄り道をする時間が有りそうだったので、Vernon経由、セーヌ川に沿ってMante迄一般道を走って、帰宅する事にした。廻りの山は黄葉が素晴らしかったが、残念ながら横道にそれる時間は無い。セーヌ越しに1枚だけ写真を撮った。 帰宅後急いで準備をし、アパートの大家さんに挨拶をして、一路メトロでドゴール空港へ。今回もほぼ満席状態で、空港ロビーは女子高校生の集団を含めて、日本人旅行者で溢れていた。含めて
2003年11月04日
コメント(0)
10月31日より、漸くと言うよりとうとう新型レーダーに拠るスピード違反の自動処理システムが開始された。これによりスピード違反を認知したデジタル写真に基づき、車両の所有者に自動的に反則調書が送付される。 機械が判断するので、恣意性の入り込む余地は無く、 10KMオーバでも即速度違反調書が自動送付される事に成るので戦々恐々である。 週末の2日間で3000件の検出記録が出て、今日から違反者に反則調書が送られてくるので、自宅に来るのは明日以降と言う事に成る。 インターネット情報では、A13には新型レーダーの設置は無かったので安心していたが、多くのフランス人は制限速度を完全に守って会社に来たそうだ。 移動式のレーダーが何処に設置されるか判らないために、全ての高速道路はリスクが有るとの事。但し、このシステムの合法性に付いては、情報自由全国委員会(CNIL)より多くの勧告が出されており、それを考慮した省令が発布される見込みである。
2003年11月03日
コメント(0)

11月4日の火曜日から又日本へ出張するので、今週末は家事の分量が減って嬉しい。近くのブロニュー森からヌイイまで落ち葉を踏んで散歩したが、バス停の広告写真にやたらセクシーな写真が目立つので、思い立ってバス停コースを辿って見た。男女の触れそうで触れない香水の広告、 同じ下着メーカ(Chantelle社)の4色(白、赤、青、柄)のブラジャーの広告。 ヌイイのバス停の写真広告は、巡ってみて判ったが、全てと言って良い程どれも色っぽい。車で全国を廻っていても、思わず見とれてしまうユニークな写真を頻繁に見かける。秋に成って、何故かブラジャー姿の女性の写真が目に付く。アキテーヌの有る地区だけで、曙の顔と一目でわかる相撲の仕切りの写真が有ったが、果て何の広告写真であったかはさっぱり判らなかった。
2003年11月02日
コメント(1)

昨夜寝る前に、メテオフランスのネットで今朝の天気予報を調べたら、雨の記号が付いていないのは、西部のブルターニュ地方のみであった。美しい村の本を見ると、3箇所の村が有り、その1つは、Ile de seinと言う島で、Audierneと言う港から船で渡ると書いてあった。泥縄式に、先ずはその港に真っ先に行く事を決めて寝た。出発は5時半、パリも雨はあがっていた。霧の中をA11、A81でレンヌを越えてN24でロリアンに向う途中で、ポリスの双眼鏡に拠る速度違反摘発に遭遇、110KM制限の所を130KMで走行して居たので、違反キップが届く確率は約50%と思われた。落ち込んで、Audierneの船着場に付くと、それらしき船も観光客も居ない、嫌な予感がしてTicket売り場に行くと、閉鎖されている。時間を確認すると、何と11月から2月のOffシーズンは朝9時30分の1便のみであった。色鮮やかで、大きく良く目立つ、Ticket売り場の看板が恨めしい。 諦めて、次ぎの目的地ロクロナンに向う。ぽかぽか陽気の中で、ブルターニュの海岸線を白波と青い大西洋を眺めながらご機嫌なドライブ。実はブルターニュのイメージは、灰色の海と空、強い風等マイナスイメージが強く、食わず嫌いで有ったと反省。コートダジュールまでとは言わないが、11月なのに、花が咲き乱れ、明るく光に溢れているとは予想もしなかった。ロクロナンでは、アイルランドの司教ロナンを奉った15世紀建造のサン・ロナン教会が一際目を引く。教会の裏手に廻ると、フランスでは珍しい洗濯物が野外に干してあったので、それを背景に写真を撮った。この教会の中に、髑髏を左手に抱えた女性像の彫刻が有ったが、教会で頭蓋骨を見たのは初めてであった。 村の背後の丘に登り、廻りの景色や黄葉を楽しんだ後で、墓地に行って見た。11月1日は、トウサン(Toussaint)と呼ばれる祝日だ。これは、カソリックの全ての聖人を纏めて祝う、万聖祭で、フランス人はこの日に、菊の花を先祖の墓に手向ける。当に日本のお彼岸と一緒である。お墓では予想以上に、全ての墓に真新しい花、特に菊の花が供えて有り、有る意味壮観であった。多くの家族ずれが、墓参りに来ていた。 2村目のル・ファウはAulne川の河口にあり、公益商人の宿場町として栄えた村で、繊細な鐘楼と不思議な動物?オブジェを軒下に配した、サン・ソヴァール教会が川岸に立っていた。 ブルターニュは、確かにフランスの他地方とは趣が異なる。しかし、今回の訪問は秋の小春日和の陽気で有ったために、ケルトの印象は薄かったが、冬の鉛色の空の時期に来れば、又全然違った印象に成るのでは。
2003年11月01日
コメント(13)
全30件 (30件中 1-30件目)
1