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我がヌイイのアパートの大家さんは、お向かいに住んでいる。 とても日本びいきで親切であるが、過干渉気味な所が偶に傷では有る.アパートでトラブルが発生すると、朝メモに書いて、 大家さんの部屋の前に、依頼の手紙を出しておく。必ず即日返事を呉れて、1-2日で修理や交換の手続きをしてくれる。 今回のトラブルは、シャワールーム内のシャワーの金属製のケーブルに亀裂が入り、水が横から飛び出すと言うトラブルで有るが、これが3回目の発生で有る。 如何しても、シャワーヘッド部の取り外しと固定を繰り返す為に、固定部のケーブル口出し位置のR部分に、メカニカルなストレスが掛かる。 今回は3度目のトラブルでも有り強い調子で抗議した。予想としては使い方(ヘッドを取り外して、再度元の固定場所に戻すときに、きちんと挿入しないから)への反論が来ると考えていたが、謝罪一方で驚いた。 昨夜、帰宅した時には、既に新品に交換されていた。 要求を出して、2日後の交換であったが、一昨日も明日に交換が延びる事へのお詫びの手紙がドアーに張ってあった。 流石に昨夜の手紙には、今回のトラブルの詫びに追記して、使い方の説明をするので、声をかけて欲しいと記されていた。 技術屋の評価としては、製品の基本設計に無理が有り、機械的なストレスの掛からない構造の物に変えて欲しい所で有るが、その要望は該当する製品が有るかを調べてからにしようと考えている。 朝、お礼の手紙をドアに張りつけて出社した。 フランスでは、平気でお客様の気持ちを逆なでする顧客志向ゼロのメーカやサービス業が多い中で、家主のMonjoinおばさんの対応には関心する事頻りである。
2003年10月31日
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昨夜のTF1の8時のニュースで日本関連の放送が2件有り、何れもセンセーショナルな内容で、多くのフランス人から質問責めに有った。”Hikikkomori”と”イルカの撲殺 ”で特にイルカの映像は極めてショッキングな内容であった。日本の漁民が、イルカを網に追い込んで、棍棒で撲殺して居る映像で、辺りの海は血で真っ赤に染まると言う強烈な映像であった。おまけに日本人はイルカの肉を食べるのが好きとの解説までしていた。会社の多くのフランス人や仏語の先生も、この映像にはショックを受けた様で、日本人はクジラだけでなく、イルカの肉も食べるのか、果てはマーケットで売っているのか、愛すべイルカを殴り殺すなんて野蛮人のする事だと詰問された。先ずは、これが事実かを調べると回答をしたが、如何にも具合が悪い。特にイルカは、知的レベルが高く、人間の仲間としての共感や親しみが強いだけに、日本のイメージが大きく損なわれると心配してくれた人も居た。関係部門に問い合わせをして確認したが、如何も特定の地域ではイルカを食べる習慣が残っており、映像そのものは間違い(他国の映像や創作)では無さそうだ。海外で生活していると、いろいろの状況に出くわす。
2003年10月30日
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今年中に予定時間の仏語レッスンを消化する 必要が有り、今日と明日連続の授業と成った。 全くの初級から始めて、前回から漸くNiveau2 のQuestionnaireを始めたが、知らない単語が ぞろぞろ出てきて憶えきれない。 今日のハイライトは、EnvieとAvoir envie deの違いを知らずに、大笑いと成った事。 何時もの様に、熟語を指定されて文章を作る レッスンをやったが、先生より、avoir envie de を指定されたので、 J’ai envie de Mr Tims. Parce que il comprend assez bien le Francais. と書いた。 先生が変な顔をして、文章を確認に来た。 赤い顔をして、大笑いを始めた。 envieはjalouse(ジェラシー)と考え、同様に仏語を 習っている、ニュージーランド人のティムさんの上達が 早いので、ジェラシーを感じていると言いたかったので あるが、この意味は彼とベッドを共にしたいという意味 で、貴方はホモだったのとからかわれた。 J’envie Mr Tims. Parce que・・・・としなければ。
2003年10月29日
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今日のPacyは1日中、霧が掛かっていた。 冬時間で、朝は明るくは成ったが、今週は毎日 霧の中のドライブが続いている。霧で視界が利かないのと、速度違反のフラッシュ を恐れて、安全運転が暫くは続くであろう。 今朝のPacy到着時の気温は-3度、会社の近くの畑の中の道路で、霧が晴れたので車を降りてみた。寒い、畑の野菜も凍り付いており、枯れてしまうのではと入らぬ心配をしてしまった。 帰宅時にPacyで野菜や牛乳を買い込み帰路に付いたが、既に気温は-1度で、視界が利かないほどの濃い霧が出ていた。A13の高速に乗るまでは、時速50KMののろのろ運転。道路の両側に大きな並木が続く所は、熱が逃げて気温が下がるのを防ぐ効果が有るのであろうか、不思議と霧が懸っていない。それでも高速に乗って、パリに近づくと見る見る気温が上がり、ヌイイに着く頃は9度に成った。霧も高速に乗ると直ぐに晴れてしまった。ヌイイの街中で急スピードで前に割り込んできた車が居た。信号待ちで窓を開けて、タバコを投げ捨てた。見ると若い女性である。何時も気になっては居たが、若い女性の喫煙者が本当に多く、しかもマナーが悪い。フランスでは、もともとタバコの税率が欧州内でも特に低く、現在税率の変更が実施されている。先週も2度目の引き上げが実施され、来年の1月に予定されている再度の引き上げで、フランスは英国に次いでタバコが高価な国になる。当然の如く、タバコ業者はストを構えて反対しており、政府は補助金を支給する計画で有るが、喫煙をカルチャーと絡めた議論まで出ている。政府は、欧州で一番高い若年層の喫煙率の低下とタバコに拠る死亡率の低減を謳っては居るが、勿論税収の増加も狙っているはず。会社内でも、驚くほど多くの若い女性がタバコを吸っている。この国では、タバコが他人に迷惑を掛けている言う感覚は薄いようだ。
2003年10月28日
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今日は会社の産業医からインフルエンザの予防接種を受けた。昨年は接種後に体調不良に成ったので、今夜は早めに寝る事に。先生は全く英語が話せないので、健康診断時にはCommunicationには苦労している。今晩シャワーを浴びて良いのかの確認に手間どった。帰宅後テレビを見ていたら、ニュースでRadorによるスピード違反の自動取締りの特集をしていた。設置されたRadorより、設定された速度以上の車が撮影されて、分析センターのコンピュータで車体番号が確認され、直ぐに違反チケットが自動発送される仕組みで、自動化が進んだ為に、従来の様に何ヶ月も遅れて違反切符が送付されてくることは無い。輪転機でチケットが大量に印刷されるのを見ているといよいよ本取締りが本格化するとの緊張感が出てくる。キャンペーン効果は今の所抜群であるが、抜け道を探すのに長けているフランス人の事、設置場所が完全に判明、違反速度が(+何KMでフラッシュが作動)が判れば、スポット対応する様に思われる。フランスでは、日本と違い年輩者で猛スピードで走る輩が多いが、これは数十年前にはスピード制限が無かった事が影響している様だ。一番知りたかった、Radorの設置状況の映像は写らなかった。
2003年10月27日
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今日からフランスは冬時間で、1H時間が遅れ、日本との時差は8Hに成る。この時間調整は欧州、北米など北半球だけでなく、南半球でも一斉に行われ、北は冬時間、南は夏時間となり、暫くは時間調整に苦労する事だろう。日本、フランス、米国、ニュージーランドとテレビ会議をやる事も多く、更に会議時間の調整が難しく成る見こみ。今日は例に拠って、1日中家事に追われた。但し2H昼寝をしたので、気分はすっきりした。夕方の5時半までは、自宅に篭りっぱなし。先週末に日本食品店で買い込んだ大根、コニャクとおでんだねを使っておでんを煮込み、これを午餐ブランチにして夕食を早めに食べた。その後、運動不足解消に歩かねばと思い、セーヌの対岸のPuteauの背後の丘陵地の高台に有る、公園に出掛けたが、既に5時で閉園しており、残念ながら夕焼けは拝め無かった。
2003年10月26日
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大ショック。昨夜23:30分に疲れて村巡りから帰宅後、何時ものせっかちな性分から、写真だけでも整理しておかねばと、疲れた体に鞭打ってPCへのデータ撮りこみ作業を開始した。エクスプローラでの撮りこみ作業手順を、何時もより端折って実施した所、単純なCopy不能だけでなく、有ろう事かデジカメ側のデータも全て消失してしまった。何処か異なるエリアにCopyされたのかを含め、あれこれ手を尽くして作業したが、如何にも成らず諦めて寝た。今朝、気分一新して調査再開。PC側の故障を疑って、同様の操作をして、新しい写真データを送ったが、これはNG。何時もの作業に戻して再トライした所、OKと成った。取敢えず、PCの新たな故障ではない事は判明したが、PC操作で、デジカメ側のデータが全て消失すると言うのは本来の姿とは思えず、原因究明する必要有り。今回の1件は、今後の反省材料にする必要がある。パリから600KM圏の村は既に行き尽くしており、如何しても日帰りでは強行軍のスケジュールと成る。週末に一泊で出掛けると、溜まった家事や仕事の返信が遅れるなど弊害が出るので、ジレンマに陥っている。前置きが長くなったが、本来の旅行記は写真データが無く、精神的な落ち込みも有るので簡単にする。今回の村巡りは、今まで以上の強行スケジュールで全行程1500KM、19Hに成ってしまった。おまけに今回は、帰路寄り道をして、予定以外の2件の村を追加で訪問した、地図を見て、帰路の近くに村が有ると、つい欲張ってしまう。今回は、現地での時間節約の為に、自分でお握りを作って持参した。何度やっても、家内の様に固く締まった塩加減の良い物が作れない。6時間掛けて最初の訪問地のサランに10:30に到着。気温は-1度、お昼前と言うのに一面の霜がそのままで、村全体が霧に包まれている。近くの高台に登って、黄葉した葡萄畑に囲まれた村の景色を楽しみにしていたが、これは適わず、小さな村内を散策した。兎に角、気温が氷点下で、村で見かけたのは老人1人。今朝の高速道路走行中の最低気温は-6度で有った。今週末からSchool holidayが始まり、家族連れの旅行者を多く見かけたが、高速道路はオフシーズンなのか、行きも帰りもがらがらで有った、最も時間帯の影響かも。これで、アキテーヌ地方はスペイン国境を覗いて、全て訪問した事に成るが、特徴に乏しく、ルムーザンやオーベルニュに比較すると余り魅力は感じなかった。
2003年10月25日
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帰宅してパソコンを開こうとしたら、行き成りSafe modeに嵌りこみ、Offする事も侭成らなく成り、最後は禁じ手のHard resetをしたが、これでも上手く行かず、多いにあせった。結局はADSLのラインを外せば正常画面に戻れる事が判り、今はWANADOOのlocalでネットに接続している。そろそろ自宅のパソコンは寿命が来たのか。もともと秋葉原で安売りをしていたものを手に入れたので、バッタ物で有ったのか、Serial NOも無く、最初からマニュアルのカーソルキーも壊れていた。今朝は-2度まで気温が下がり、出張者をPacyのホテルにピックアップに行ったときには、屋外駐車の車のフロントグラスは全て氷結していた。 途中の道路でも所々に氷結箇所が有った。 昨年、車のフロントガラスの氷落としを何度かした事を思い出したが、これから気が滅入る長い冬が来ると思うと憂鬱だ。 今日始めて、遅まきながらコートを着た。 仏語のレッスンが年間契約で、今年中に残り18H(9回)消化の必要が有るが、11月は2週間の日本、中国への出張、12月は米国へ1週間と、余り時間に余裕が無く成ってきた。 今日も朝8:30分からレッスンを受けたが、状況描写を文章で与えられ、手紙やFaxで回答、と言うより断りの言い訳を書く練習で有った。苦手の動詞の活用以外は、得意分野の問題で、先生からも中々良く出来たと誉められた。 先生は来週で、丁度50歳を迎えるそうで、両親や兄弟の家族の一族全34名が今週末に大挙してVernonの自宅に集まるそうで、とても楽しみにしていた。 26日の日曜日に、全員でGiverny(モネの家で有名)のレストランで食事をするそうだ。 フランスでもキリバン年齢は縁起が良いそうで、特に日本の喜寿(77歳)や米寿(88歳)に相当するのは80歳で、昨年故郷のStrasbourgでお父さんの Surprise Birthdayを兄弟全員が揃ってやったと楽しそうに説明してくれた。
2003年10月24日
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今日は今年一番の冷え込みで、日中も気温が上がらず、震えて仕事をしていた。出社時も帰宅時も2-3度で、天気予報では明日は氷点下の可能性も有り、山間部は-6度で雪の予報も。フランス人の同僚より、近く設置される速度違反自動記録Radorの配置場所の地図が送られてきた。毎日通勤で使っているA14に6台ものRadorが配置されており、トンネル内では制限速度が70-80KMであり何時もは120KM前後で走行しているので、即罰金や免停の危険も有った。帰宅時に地図上の該当個所を気を付けて見てきたが、Radorらしき物は見付ける事が出来なかった。速度違反の自動記録データが2日で自宅に送付されて、罰金を払い込む事に成るそうだ。このRadorは、パリのみで無く、全国的に設置される予定で、該当場所を良く頭に叩き込んで置かねば。
2003年10月23日
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今週は、3日間連続で1日中会議が有り、夜は遅くまでレストランで食事をすると言う日が続いて、いささか疲れ気味。今夜は日本からの出張者を連れて、サンジェルマンアンレに和食を食べに行った。フランスでは、和食と言っても日本人が調理する純日本式の店はパリ等の大都市に限定され、パリ近郷でもオーナーやシェフが日本人以外のアジア人の所が殆ど。あれだけ料理に対しては辛口のフランス人が、事和食に限っては、日本人の和食と他のアジア人種の和食の見分けが付かないのは何故だろう。中華より和食の方が儲かると言って、中華より和食に方向転換する中国人オーナーが次々に出てくるのを阻止出来ないのは、お客が甘いからで複雑な心境である。但し、この店には時々やってくるが、寿司のネタや焼き鳥の味は、珍しく来るたびに改善されている。最初に来たときは、不味い料理で、数ヶ月で店がつぶれると散々悪態をついたが、今では結構多くのお客が入っている。
2003年10月22日
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2日連続でパリで会食。フランスでは、このビジネスディナーはとても大事なイベントで欠席する事は侭成らない。特に客先や関連部門と、込み入った話をする必要が有る時には、Dinnerが格好の場所と時間を提供してくれる。仕事上の付き合いで、夕食に招待された時のレストランのランクで、自分が如何評価されているのかも判かってしまう程。仕事では、最終的には人対人の信頼関係や相性が決め手に成る事を考えれば、このDinnerの選定もビジネス上の重要なFactorの一つである。
2003年10月21日
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朝の9時から夜7時30分まで、オーストリアからの訪問者との会議をRueil Malmaisonでやった後でパリの有名レストラン”Marius&Janatte”で会食した。さすが高級店で、食事に来ているのは老夫婦や高級マダムの一団、老/中年紳士と30台のカップルを3組も見かけた。如何言う間柄か興味深く眺めていたら、仏人からあそこに座っている男性は、UDF(フランス民主連合)の有名な議員で閣僚経験者の?(名前を聞いたが忘れた)と教えられた。今は落ち目に成っているそうだ。メニューを見ると、前菜が20-30ユーロ,メインが30-50、デサートが15-20と料理だけで100ユーロを越える店で、確かに高いが、味やサービスはExcellentで有った。
2003年10月20日
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何時もの日曜日と同じ様に、朝から家事に追われた。洗濯、アイロンがけ、料理、ヌイイの朝市への買出し、パリの日本食品店へ和食材の仕入れへと漸く一段落が付いたのが3時。車が余りに汚いので、洗車に行かねばと迷っていたが、思いきってPacyの上流のEure川の黄葉見物を兼ねて、何時も会社帰りに使っているPacyの自動洗車場に行く事にした。ウーレはセーヌの支流で、Pacyからシャルトルの先まで流れが続いており、流域は自然に溢れて居る。黄葉には少し早かったが、馴染みの橋の上から写真を撮った。 帰りに洗車場で車を洗ったが、雑巾やブラシを持参してこなかった為、ホースからの水圧のみでは、こびり付いた汚れ(虫?)を落とす事は出来なかった。帰りのA13では、異常と思われるほどの徹底した交通取締りをやっていた。速度違反のチェックは4箇所で、マントの料金所では、右端の現金払いのゲートから出た車を、検査場所に寄せて車内や床下に潜り込んで検査をしていた。爆弾事件のタレコミでも有ったのであろうか。そう言えば、午前中にパリに買い物に出た時に、エッフェル塔前のセーヌ沿いの道路が警官に拠って閉鎖されており、迂回路が大混雑していた。
2003年10月19日
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風邪気味で、今週末の村巡りは自重しようかと言う考えが一瞬頭を過ったが、やはり誘惑に負けて出掛けた。昨日の仏語のレッスンで、Private面でのこれからの人生の目標を、仏全土の144村の美しい村訪問と日本国内の100名山走破と答えた手前、行けるときに頑張らねばと言うのが、手前勝手な言い分。因みに、今回のアキテーヌ地方の3村を加えて109村に成った。100名山の方は現在87座であるが、こちらは健康、体力不安が有り、完登は難しいかも。さて、今回のコースはBordeauとToulouseの中間に位置する、パリから600KM圏で全走行距離1250KM、16Hの行程。夜明け前のA20で雨に降られたが、日中は良い天気に成った。途中の気温は、明け方の高速上の最低気温は0度、日中は21度まで気温が上がった。この時期に出かける人は少なく、高速はガラガラ状態。A20のリムージュで高速を下りて、最初の目的地、ビジョル・ル・オー迄N21の国道を延々と200KM走った。途中で給油した時に、2台の青バイが隣にやって来た。バイクも制服も全て青1色の交通取締り警官を見たのは、初めて。いや、本当に格好が言い、目線が合った時に微笑みかけて来たので、挨拶をした。こちらが給油を終えてBoutiqueから戻ると、彼らもバイクから離れたので、青バイの所に行って、しげしげとバイクを観察したが、BMW製で正体不明のハイテク機器が所狭しと並んでいた。土曜日は交通取締りが各所で頻繁に実施されており、今回も一般道で2度検問に出会った。一般道では検問個所が予め把握出来る、対向車がパッシングで知らせてくれる(ほぼ全対向車)からで、今回も直ぐに速度を60KMまで落して無事クリアー、こちらも対向車に検問を知らせる様にしている。最初のビュジョル村は高台に位置し、落ち着いた雰囲気の生活の匂いのする村で、中央広場を覗いては広い庭の有る民家が続いていた。無料の現代絵画の展示も見ることが出来た。村を散策中に、仏人旅行者3名が、珍しそうに民家の庭を覗く込んでいた。こちらも釣られて覗きこんだが、柿がたわわに実っていた。こちらが日本人と気づいて、これは ”Kaki ”と聞いてきたので、exactmentと答えた。フランスで柿の実が成って居るのを見たのは初めての体験。 彼らがKakiと言う言葉を使ったのが不思議(日本に詳しい?)であったので、帰宅後に辞書で調べたら、確かに出ていた。shiitakeと同様、柿はkaki。パリの日本食品店でも柿を見付けて、何処から調達したかを聞いたときには、イスラエルから輸入したとの返事であった。2村目のモンフランカンは、遠くから眺めるには格好の村で有るが、中に入ると大きすぎて、観光地化されすぎており、直ぐに退散した。3村目のモンパズイエは、5月に訪問したミディーピレーネのソブテール村の広場とそくっりな構成であり、興味深い。 村の広場の廻りの回廊を歩いていると、店の中から5歳前後の子供がヘルメットを被り、ドライバーを持って出てきた。興味津々で何をするのかを見ていると、店の前に停めて有った自分の自転車の修理(?)を始めた。タイヤにドライバーを突き刺そうとしており、パンクの修理が御希望であろうか、若いテクニッシャンに乾杯。
2003年10月18日
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今朝も再び車を停めて、朝焼けの写真を撮った。時間は8時10分、ワイシャツ姿で車を降りたが、何せ気温は2度、寒かった。帰宅時も、夕焼けのタイミングだったので、再度写真を撮った、8月17日の朝焼けと夕焼けのセット写真が撮れた。 仏語の先生と昼食を食べた時に、何とか時間を工面して今週中に一度レッスンを受けたいとの希望を出して見た。今朝8時30分から、2時間を都合して貰った。現在40Hコースの折返し点に来たが、今年中に残りの20Hを消化する様に会社の教育担当よりフォローが来た。今日のレッスンは口頭試験の形式で、先生からの色々な質問に答える事に成った。結構込み入った質問で、人生の今後の目標を仕事面と個人生活面で答えるなど回答に苦労した。こちらからも類似の質問をして、先生の人となりを探った。人を教える事に生きがいを感じている事やBTS(仏の技能短期専門学校)よりDirecterのOfferが来ている事などをうれしそうに話してくれた。先生の旦那は既にRetireしており、家でぶらぶらしているが、家事は一切しないそうで、仏でも団塊世代の家事は、100%妻の仕事だそうだ。
2003年10月17日
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朝の冷え込みが厳しく、8時の気温が2-3度に成ってきた。帰宅時の気温は12-13度と比較的暖かで有るが、Neuillyの街中で見かける人々はオーバーやマフラーを身に付けて、すっかり真冬モードに成っている。アパートは暖房が入って居るが、これが大の苦手だ。大家さんからのメモでは、今年は貴方の要望を考慮して、温度を低く設定したと書いてあったが、未だ高すぎるし、兎に角室内が乾燥して、喉のいがらっぽさが取れない。寝る前に、床に水を撒いてはいるのだが。出窓のジェラニュームが、出張から帰るまで元気で居てくれるかを心配していたが、驚くほどの生命力で、更に新しい花がたくさん咲いていた。秋口の花の色は、鮮やかな朱色とは行かないが、依然として満開状態である、葉っぱの一部は黄葉(?)して来たが。
2003年10月16日
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久々の朝の通勤ドライブであるが、2週間弱で日の出が随分と遅くなった。朝自宅を出た7時過ぎは真っ暗闇で、Pacy到着時の8時に空が赤く染まり始めた。綺麗な朝焼けであったので、車から降りて写真を撮った。 いや、寒かった。今朝のPacy到着時の気温は4度、アパートも既に暖房が入っている。 今週は日本からのお客さまの訪問が延期に成り、フランス語のレッスンを復活してもらう様に先生に頼んで見たが、既に満杯で適わなかった。昼食時ならOKと言われたので、フランス語の先生とEさんとで、近くのフレンチレストランに行った。今回のメニューでは、ダントツに先生の食べるスピードが早く、あっという間にお皿が綺麗に成っていた。何時もの事だが、とても痩せぎすの50歳の女性とは思えない健啖ぶりである。
2003年10月15日
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今朝6時半に12Hの長時間の夜行Flightを終えて、パリに到着。新装成った2Eでの初めての入国審査を受けた。フランスでは従来、極めて甘い審査で質問を受けたり、廻りで足止めを食った人を見たことが無かったが、今朝は正規のゲートに行くまでに警官に拠る検査が有り、質問に答えられない人(仏語、英語が解からず)は留め置かれて居た。これが新しいやり方なのか、日本からの便で無いからなのかは不明である(日本人には甘い)。タクシーで自宅に向ったが、空港からの道が、工事中と事故で道路の閉鎖が2箇所も有り、大渋滞したために、 何時もは40分前後の所が2H近く掛かってしまった。 運転手(黒人女性)がパリに不案内で、Neuillyの所在も知ら無かったので、ナビゲーションに苦労した。 何時も使っているルートが事故で閉鎖されていたため、道路標識に全神経を集中。運転手は気楽な物で、ラジオを聞いて鼻歌を歌いながら言われた通りのルートを走った。 英語が全く話せなかったので、仏語の会話の練習には 成ったが。 漸く8時30分頃にNuillyのアパートに到着。 一旦横に成ると眠ってしまいそうなので、シャワーを浴びて一息ついた後、会社に向った。 寝不足と風邪気味が重なり体調不良で、出張の整理をした後、早めに帰宅したが、帰路3箇所でスピード違反の取締りをしていた。A14のトンネルを出たところで、双眼鏡を覗いていた警官を見つけたが、これは10KMオーバーなので先ずティケットが送付されてくる事は無いと思う。
2003年10月14日
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東莞市のFenggangのHotelで今日訪問するEMSの U社の出迎えを待っていたが、社名表示が中国文字で書いてあり、出迎えの中国人との意思疎通が上手く取れ無かったため、相互で勘違いをして、隣に居ながら、来る当ての無い相手を待っていた。 不審に思って、社名表示を見つめなおした所、お目当ての名前が見つかった。 出足では躓いたが、丸1日有意義な工場見学と打ち合わせが出来た。 年に数回は、中国の生産現場や販売会社を訪れる機会が有るが、変化が激しくその度に新たな発見が有る。 深釧市のPinghuの商工会議所で昼食に洋食を食べたが、奨められて水牛のT-Bornステーキにチャレンジした。 中国では牛のイメージより、水牛が絵に成るが味も中々の物。 深釧より香港までの移動は、往路はフエリーを使ったが、帰りは2重国籍ナンバープレートの車で、国境を越えて、香港の空港まで1.5Hで直行移動できた。 香港NOと中国NOの2つのプレートが付いている。この車を1ヶ月借切ると70KRMB(約100万円)も掛るそうだ。 この車は極めて台数が少なく、厳しい審査が有る。深釧と香港間では、国境で2箇所のパスポートチャックが有るが、このDouble Licence NOの車だけは、両国間の移動が自由に出来る。 中国の一般車は、香港に入れない。 深釧側のパスポートコントロールは一旦車を降りて手続きをしたが、香港側では車に乗ったままで手続きが出来た。 但し、香港では写真照合以外に、マスクをした衛生検査員によるSARS検査が有った。マスクをした女性が車内に体を入れて、額に赤外線を当てられた(体温検査)。 熱が有る場合には、即隔離される可能性が有る事を後から聞かされたが、クワバラクワバラで有った。 中国に出発する前日に風邪を引いていたので、マスクのおばさんが来たときには緊張した。中国、香港では11月に入るとSARSが再発すると信じられており、過去の話では無い様だ。
2003年10月13日
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今朝は雨の中を重い荷物を担いで、京王線のつつじヶ丘駅まで歩いた。昨夜タクシーを頼んだが、朝5時前後は車も少なく、既に予約で埋ったそうで断られた。朝起きると、大雨で家内にも半分荷物を持ってもらい、濡れ鼠に成って、2人で駅まで歩いた。仏に赴任後、息子たちも車嫌いであり、昨年車を処分したためにこう言う事態に陥ったが、それでも車の無い生活も貴重であると言う思いは強い。現在、成田空港のラウンジで日記を書いているが、中国ではメールが繋がらないと思うので、14日まで日記はお休みに。FengGangのHotelでインターネットに接続出来た。ホテルのインターネット専門係の人に部屋に来て貰いいろいろTryして漸く繋がった。
2003年10月12日
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明日の朝は5時に自宅を出て、中国のシンツェンで一泊した後、香港から夜行便でパリに戻る。今日は家内を誘って、一緒に昭和記念公園にコスモスを見に出掛けた。公園内には、珍しい黄色コスモスの群落や、コスモスの丘では斜面全体に満開のコスモスが広がっていたが、何処もアマチュアカメラマンで溢れていた。 立川駅周辺が再整備されて、近代的なショッピング街に成ったと聞いたので、帰りに寄ってみた。駅ビル、グランヂュオの7階の中華街でお昼を食べ、スターバックスの日本版、エクセルシオールでお茶を飲み、帰りにパリに持ちかえる真空パックの佃煮や漬物を買った。
2003年10月11日
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今日は打ち合わせを予定していた相手が休みで、西武秩父線の高麗の里、巾着田に、曼珠沙華とコスモスの群落を急遽、見に行って来た。ここの曼珠沙華は、楽天仲間のMIOさんの日記で写真を見て、是非行って見たいと思っていたが、チャンスが訪れた。曼珠沙華は既に盛りは過ぎており、鮮やかな朱色の群落は残念ながら見ることは出来なかった。 コスモスは今が盛りで、10本/200円で摘み取りが可能に成っていた。 確かに100万本の曼珠沙華の群落の大きさは見事で有るが、余りに人工的な装いで、フランスの自然のままの美しさに慣れた身には感動とは程遠い。川沿いの広大な敷地の中には、土産物屋や飲食用のテントが立ち並び折角の景観が台無しに思われた。日高市の高麗郷民族資料館を見学したが、明治時代に作られた養蚕や茶栽培用の機械の特許の説明は興味深かった。
2003年10月10日
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三重での仕事を終えて、東京に戻る前に、桑名の寿司屋で、最近日本に赴任してきた英国籍の中国人のCさんを交えて食事をした。彼は、仏語、英語、中国語、マレー語に堪能で、米国、仏、アジアでのマーケティング経験が豊富であり、日本市場での拡販に新風を吹き込んでくれるものと期待している。最終便の1本(?)前の、のぞみで彼と一緒に帰京したが、道中新婚の奥さんに5回もTELをしていた。シンガポールに住んで居た奥さんは、都心の運転にも直ぐに慣れたそうで、今夜も最寄の駅まで迎えに着てくれるとの事、うらやましい。こちらは新装成った品川駅で新幹線を降り、遅い京王線に乗って(こんな時間でも満員)、自宅に帰りついた。
2003年10月09日
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都内の客先訪問や出張先の三重のホテルでメールの接続が出来ず、日記の更新が遅れた。移動中に何度も電車の乗換えをしたが、駅の変動ぶりには驚かされた。新宿駅では中央通路が改装中で面食らった。新幹線も品川駅の開設で便利に成ったし、のぞみが大幅増発で出張者に取っては有りがたいが、出費も増える。新宿で京王線に乗りかえる身には、1時間に1本でも新宿始発が出来れば嬉しいのであるが。三重では懐かしい仕事仲間と、全国展開を果たした、Uの江戸町本店に出かけて夕食を取ったが、地元(?)の松茸尽くしで有った。香りがいまいちで、仏のセップに軍配が上がり、有り難味が薄かった。
2003年10月08日
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久々に通勤電車に乗って、スーツを着て、都内の関連部門を廻り、事業内容の報告や情報交換を実施した。スーツを着ないスタイルでの仕事や車通勤に慣れた身には、日本式のビジネスは肩が凝る。ホテルのレストランで秋尽くしの和食を食べたが、自宅で食べたサンマの塩焼きに勝るものは無かった。
2003年10月06日
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例に因って時差ぼけで、朝4時に目が覚め、暗がりの中シャワーを浴びに行ったが、ごそごそ音がしたのか、家内を起してしまった。今回は買い物に行く時間が取れるのが、今日ぐらいな物なので、楽しみにしていたサンデープロジェクトの番組はビデオをセットして、家内と買い物に出た。ユニクロで衣料品を買ったが、カジュアルの靴下が、6枚セットで1000円は安い。日本で真っ先に食べたかった旬のサンマと活きアサリを買い夕食に食べたが、やはり家で食べる食事が一番。帰りに散髪屋に寄った、これも日本帰国時の標準行動パターン。
2003年10月05日
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エアーフランスの夜行便で始めて日本に帰国したが、この便を利用する日本人観光客やビジネス客の多さに驚いた。9時30分に空港に着いたときは既にエコノミーのチェックインカウンターは日本人観光客で長蛇の列に成っていた。ギリギリの時間まで観光に使おうという積りであろう。エアフラの料金がANAやJALと大きく割安とは思えない。日本の航空会社では夜行便は聞いたことは無いが、この夜行便、フランス人はお気に入りで、これが一番楽と言っていた。今回夜行便を使って感じたのは、決して楽では無く、逆に疲れが倍増すると言う事。夕食を食べずに直ぐに寝てしまえば良いので有ろうが、今日は忙しくて、昼食も軽いものを15分程度で平らげ、殆ど何も食べて居なかったので、機内で遅いFullの夕食を摂ったが、食事が終了したのが夜中の2時ごろで、その後は中々眠れずにうとうとしただけで有った。成田に夕方6時頃に到着して、自宅に着いたのは9時前。成田エクスプレスが渋谷駅で止まった時に、窓からMジムのボクシングのスパーリングの様子が良く見えた。近くの外国人旅行者もこれを見つけて、珍しそうに覗き込んでいた。
2003年10月04日
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今晩のパリ発の夜行便で日本に帰国する。今回は、日本、中国への出張で仏に戻るのは10月14日の早朝の予定。PM6時にヌイイのアパートに戻り、荷物を積めて、日記を書いてこれから出発、時間が無いので今日はここまで。次の日記は日本から。
2003年10月03日
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最近は欧州でもリーンマニュファクチャリングと言う言葉が大流行である。狩猟民族の欠点は、流行物に直ぐに飛びついて言葉だけで物事が解決すると思う事だ。今日はルーマニアの調達品先のTOPを呼んで、改善が期待ほどには進まない品質問題のヒヤリングをした。彼らのドキュメントには、驚くほど日本生まれの言葉が出てくる。ポカ除け、ムリ、ムダ、シツケ、これらの言葉がリーンマニュファクチャリングのキーワードとして何度も説明に出て来たが、何処か違和感を感じた。機械化や自動化の対極に有る日本式の物作りは人の質や創意工夫に頼った要素が大きい。これらは、カルチャーにリンクしている所が大きいと思えて仕方ない。ルーマニアの工場を見学した時に、アジアの工場と比べて一番差が有ると思えた事は、作業への集中度の差で有り、多くの作業者が、作業中に見知らぬアジア人を珍しそうに眺めてくれた。そう言う強烈な印象が有るだけに、シツケやムリと言う言葉を聞かされてもリアリティーが薄い。
2003年10月02日
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今日は、フランス語の先生をパリの和食レストラン、馴染みのMに招待した。7月に、先生から地元のVernonのフレンチレストランに招待されたお返しである。パリには、怖くて車で行けないと言われたので、Eさんの車での送迎付きに成った、おかげで彼は今晩はホテルに泊まる嵌めに成った。先生に取って、日本食を食べるのは人生初めての体験で有る。前回の夕食で、先生の大食い、早食いを見せ付けられて居たので、品数の一番多い、定食を注文した。最初の付け出しが冷奴で、箸で豆腐が掴めなくて苦戦していた。通常は自分より早く食べる人は皆無であるが、今日は3人の中で一番遅くて、健康に言いと負け惜しみを言っていた。それでも、固くて掴み易い料理が出てくると、スピードが違う。とても50歳の女性とは思えぬ早さだ。全部でご飯までに7皿、完食であった、最後のご飯は上手く箸で掴めず、これは途中で諦めていた。食事中に先生のキャリアを聞いたが、フランス語の教職専攻(医学部からの転進)でLyseeの教師の後で、フランス語を教える私立学校の教師や企業のケクニッシャンへの社内仏語講習、海外からの駐在者へのフランス語教授など幅広い活動をしている事が判った。数学が好きで、数学も教えていると聞いて、これにはびっくりした。
2003年10月01日
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