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今日はとても暖かかったですね。ミニバラの新葉も元気良く展開し始めています。これなら追い肥をやっておいた方が良いかなと、水肥を水代わりに与えました。あと1月ほどで咲き始めるのですよね。気がつくと近所の家の牡丹の蕾がずいぶん膨らんでいました。 江戸カルタの「と」は何だっけかなととうとう調べるまで思い出せませんでした。土地よりの冷や水でしたね。意味はわかっていますがどうして冷や水なんでしょう。これは年寄りが冷たい水をかぶることを意味するそうです。身体に悪いことを勢いから我慢してやってしまうこと。 こういうことが現代に当てはめると何があるのかなー。最近は年寄りだからと言って動かないと身体によくないと、運動を勧めます。年寄りには無理なのに若いものには負けないとがんばるとよくないぞー・・。江戸時代はそう言って揶揄しているのでしょうね。でも、今はどんどん行動することを奨励している気がします。まあそれだけ栄養状態が良く、体が丈夫に成ってきたということですかね。年寄りの冷や水なんて言わないで、「年寄りだから何でもチャレーンジ、楽しもう」ですね。 京都のカルタでは豆腐にかすがいで、糠に釘で無駄なこと。大阪のカルタでは遠くの一家より近くの隣と言うことで、遠くの親戚より近くの他人の方が頼りになるということですね。 これまでのカルタを江戸と上方で比べると、江戸の方がなんとなく皮肉っぽいのもが多く、上方の方が役に立つものが多い気がします。これからもそうなのかなー。 写真は数年前4月17日の近くのお寺さんの牡丹の蕾の様子です。牡丹の花の鑑賞時期は意外と短いので、忘れないで見に行かなければ。ボタンの蕾
2017.03.30
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江戸カルタは屁をひってであり、上方カルタは下手の長談義。 江戸カルタの意味はおならをしたのに知らぬ顔をしてすましているということ。でも、これは当然ではないかと思うのです。私がしました失礼と公言すべきだといっているのでしょうか。そういう場合もあるかもしれませんが、本来ガスは自然におなかに発生し、出来てしまうもの。公式の場で音がしてしまっても、それを詮索しないですますのが人にやさしさエチケットと言うものでしょう。こういう句があるから学校でいじめがなくならないのかもしれません。 その点、上方のカルタのほうが薀蓄がある気がします。意味は話の下手な人ほど、興味のない話を長々として相手をうんざりさせるということだそうです。角度を変えて考えるとそういう話に付き合っていられる人は優しいですね。まあ年寄りになると同じ話をくどくどと何回もくりかえすようですが・・。 この二つより、カルタには取り上げられていませんが、「下手の横好き」の方が私は好きです。意味は下手なくせに、その物事が好きで熱心であること。類語として「好きこそものの上手なれ」があります。好きであるからこそ、思うように上達しなくても続けていられるのですよね。世の中の進歩の根幹だと思うのです。だから下手でも好きなんだからいいじゃないかと開き直れるのです。 写真ですが、次のものしか関連付けられるものが思いつきませんでした。ヘクソカズラです。この植物は葉をちぎるととても臭いのでこういう名を付けられましたが、花はきれいなんですよね。ヘクソカズラ
2017.03.29
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「ほ」は、江戸カルタでは骨折り損ので上方カルタでは仏の顔も三度ですね。骨折り損のほうは人生での実例を考えたのですが、やろうとしてそれは骨折り損になると事前に話されて止めることで実際にこういうことにあった記憶がありません。 あえて言えば今日も起こったのですが、テレビ番組を録画して、それをコマーシャルの部分を削除するきめ細かな操作をして、やっとDVDやBDRにダビングしようと操作したら、コピー禁止ですと表示がなされてDVD化できませんでした。これを骨折り損と言うのでしょう。ただこの格言は後ろ向きの気がします。 私はこれよりも仏の顔も三度のほうが積極性があって好きです。本当はこれも戒めで、網考えを擦るなよと言うことなんでしょうね。織田信長は1度の失敗は許すが2度根の失敗は許さなかったとか。 でも実際の社会で人を育てるときには、三度くらいであきらめていたら一人前には育たないですね。尊敬もされません。ちょうど数日前にテレビでアイチ自動車の物語を放送していましたが、そこでも何度の失敗を繰り返してそれを乗り越えて絆を深めていく内容でした。まして自分の身内ではあきらめずに何度でも許して成長させていくことが必要になりますよね。 そんなわけで今日の写真は仏つながりでホトケノザです。ちょうど今あちこちで咲き始めていますね。ホトケノザ 昨日散歩道で作ったものです。 雨止んでフッと出かける散歩道 桜の蕾だいぶ膨らむ
2017.03.28
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憎まれっ子世にはばかるの意味は「人から憎まれるような者ほど、逆に世間では幅をきかせるものである」ということらしい。憎まれっ子にはカポネのような犯罪者を指すこともありますが、一般的には同僚には不評でも、上司には評判がよくて出世する人を指している事が多いですね。 しかしこんな場合、周囲の人をおもんばかって、でしゃばることができない普通の人のやっかみも含まれているのでしょう。あの太閤秀吉だっておべっかだけで出世したわけでなく、状況判断に長けていて行動力もあり、人たらしでもあったわけです。政治家だって他を押しのけ、多くの人を納得させて意見を通せる人でなければ偉くはなれません。有力者に頭を下げて取り入ることができるか。うーん、性格によりますね。私は・・・。 人の世界は大変です。さてわが家ではどうかなと考えましたら、居ました。わが家の庭の憎まれっ子。ムラサキカタバミです。ムラサキカタバミの根 ミニバラを始め、わが家の多くの植物は鉢植えで栽培しているので、簡単に根絶できそうなものですが、季節になるといつの間にか芽を出してきてしまうのです。 この植物の厄介なところは細かい球根ができてそれで繁殖することです。草ごとそっくり抜いたつもりでも球根が残ったり、さらにばら撒かれて土の中に隠れてしまうのです。植え替えのときにそれが起こると、古い土も再生して使っていますので、植え替えた土の深くに入り込んでしまい、そこから芽を出した場合は、球根を取り出すことが困難になるのです。 実に生活力旺盛で、毎年この雑草と格闘しています。英語でも「雑草は早く伸びる」という言葉があるようです。でも目の敵にせず、こうした生命力や生活力を少し見習わなければいけないですかね。追伸 ちなみに京都カルタでは「二階から目薬」だそうです。江戸の町では2階建ては少なかったはずです。ということは2階からということわざができたのはわりと新しいのでしょうか?もっとも旅籠などは2階建てが多くあったようですので、江戸時代でもおかしくはないですかね。 雨が上がったので散歩がてら、何時もの古本屋に行ってきました。散歩するにも目的地があった方が行きやすいので何回も行くことになります。できれば行ったときには何らかの買い物をしたいので、何冊あっても1冊だけ買うことにし、あとは次の機会にまわしています。 雨止んで散歩がてらに古本屋 見つけた本はわずか百円
2017.03.27
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江戸イロハカルタでは花より団子ですが、私の場合はどうなんだろうと考えました。 花見に行って美味しいものを飲み食いしたいか?若い頃はそうだったかもしれませんが、食欲もそれほどなくなり、腹が減ったという感覚を感じなくなったこのごろでは、団子を見てもおいしそうと思わないのです。 でも近くに住んでいて時たま来る孫娘は、来ると直ぐに「おなか空いた何か食べるものない」と食欲旺盛です。こうした様子を見ると花より団子が一般的なのでしょうね。 散歩していても目に付くものは咲き始めた花であり、食事処の看板や見本ではありません。花屋さんを覗いて珍しい花がないかを探す方が、食べ物を探すより楽しいのです。先日散歩したときにも咲き始めたシモクレンがとてもきれいでした。咲き始めたばかりで花弁がまだ風で痛んでいません。シモクレン 先日のバラ咲きゼラニウムを入手したのもその気持ちの延長です。心をときめかすもの、それが私の場合花のようです。でもそれも最近は昔ほどではなく、熱中しなくなりました。今は何なんだろう・・。粘土細工や布細工なのかな。 昨日、珍しいものを戴きました。チマキと笹団子です。包んだ笹を開くと笹の香りがフワーッと香りました。べたべたしてちょっと食べにくかったのですが、美味しくいただきました。こういうときには花より団子になるのかな。 追伸 江戸カルタと大阪カルタでは花より団子で一緒ですが、京都カルタでは「針の穴から天覗く」だそうです。こういう違いはどういうところから出てくるのでしょうか。チマキと笹団子チマキと笹団子の中
2017.03.26
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昨日の散歩に続いて久しぶりに園芸店まで自転車で出かけました。買いたいものはないだろうと思って行ったのですが、なんと見つかりました。バラ咲きのゼラニウムです。 このバラ咲きゼラニウム。2011年4月にも苗を購入していました。しかも3鉢。その時はそれほど期待していたほど良い花が咲かなかったのでしょう、直ぐに処分してしまったようです。 今回の鉢は6寸鉢でしっかりと花が咲いていて花型も確認できました。この姿なら確かにバラ咲きと言えるでしょう。購入を決めた時は似た花を以前買ったよなー。でもこれは違うかもしれないと自分に言い聞かせて持ち帰ったのです。バラ咲きゼラニウム ゼラニウムミルフィーユ バラ咲きゼラニューム 帰って来て以前の記録を調べましたら、同じ品種だったようです。でもその時に花の写真を撮ってブログにアップしていませんので、期待はずれだったのでしょう。苗だったから真価を発揮していなかったのかもしれません。今回の花は確認できていますので、これからも安心して栽培できます。 このとき一緒に洞谷藍という苗を買ってきました。初めて聞く名でしたが、調べるとずいぶん出回っている植物でした。これがどのように成長し、夏をどのようにすごしてくれるのか、新しい植物が入手できるとうれしいものだと久しぶりに心がワクワクしました。 いろはがるたのろは、「論より証拠」ですね。この意味はいつまでもことの当否を論じているよりも、証拠が一番説得性があるという意味ですね。この言葉が具体性を持つのは犯罪などの立証でよく使われます。というより盗んだか盗んでいないかとか裁判で争われるような場合しか思いつかなかったのですが、ふと思いつきました。 今日のバラ咲きのゼラニウムだって、普通のゼラニウムしか知らない人にバラ咲きの花があるんだよと言っても信じないでしょう。そんなものあるはずが無いと論じる人がいればこれは水掛け論になります。そこに今回のような写真を見せれば論より証拠でいっぺんに解決します。ドラマの刑事物でも写真が決め手になることが多くありますね。 写真は雄弁ですが、最近は画像加工技術が発達して、写真であっても信用できないことがありますから、大変な世の中です。でもこのバラ咲きゼラニウムは本物ですよ。 追伸 これも上方のカルタは違っています。京都も大阪も「論語読みの論語知らず」だそうです。論語は知っていても、生活態度には反映されていないということですね。知識だけあってもそれが態度に反映されなければ何の意味もないですね。多くの知識を吸収して、教養のにじみ出る人柄だったら素晴らしいです。なかなか成れないですが・・。
2017.03.24
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普通は3日といわれるが私の場合は2日坊主にもならない散歩を今日から再開しました。散歩再開の一つのきっかけになったのが読書でした。 ここのところ毎日本を読んでいて、今はまっているのは阿刀田高さんの本です。実にいろんなジャンルのことをわかりやすく書いているので面白いです。聖書の話やコーランの話、かと思えばちょっとエッチなジョーク集やブラックユーモアなど実に多彩です。 他にどんな本があるのか探したところ「いろはがるた」を解釈できれば作家になれると書いてあるらしい本も見つかり今取り寄せているところです。 その本が届く前にどういう意味か想像してみました。例えば「犬も歩けば棒に当たる」という最初の部分を自分流に解釈して、それを自分の経験に当てはめて文章にすればいいのかなと思ったのです。 それと川柳や俵万智さんの短歌にも興味を持って読み始めていますので、散歩しながら考えると健康にもボケ防止にもなるかなとはじめました。その散歩の途中で早速見つけたのが春の訪れでした。葉牡丹の花 葉牡丹が伸びていた 葉牡丹は冬の彩りですが、春の訪れで花茎が伸びて花が咲きそうになっていました。桜ももう少しで開きそうでしたが、散歩するとこうした出会いがあるのですね。 歩き始めて川柳を考えていたのですがメモを持っていかなかったのでなかなか思い出せません。確かこんな川柳です。「健康に 散歩再開 2日坊主」「散歩して健康目指すも3日坊主」。実際はそうなりそうですが、私が好きな川柳「続けよう3日坊主を何度でも」とするつもりです。 さらに、「犬棒かるた」の棒に当たるとは、今日のように出かければ写真の題材を探せるなど、なにかいいことがあるよと言うことかなと思っていました。出かける前は、何か行動すればよいことがあるという意味かと思って、自分の人生でなにがそれに当たるかななどとも考えていました。 この「棒」の元の意味はなんだろうとネットで調べると、江戸時代は棒でぶたれるという意味で現代とはちがう意味だったようです。どちらに解釈する方がいいのでしょうか?私は良い意味に解釈して積極的生き方のことわざとして残して行った方がよいなと思いました。 追伸 ついでに江戸カルタだけでなく京都カルタと大阪カルタがあるそうで載せました。京都カルタでは「一寸先は闇」 大阪では「一を聞いて十を知る」だそうです。うーん、こちらの方が判りやすいですね。
2017.03.23
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今日はレースドール教室の日。4作目がだいぶ出来上がってきました。2回目の焼成が上がって目もしっかり描けました。 1回目の焼成で袖のレースの粘土が薄かったのか割れてしまいました。その補修のためちいさな花を別に焼いて割れた部分に貼り付け作業をしました。 後姿もまあまあ良くできたかなと思っています。レースドール4作目製作中レースドール4作目制作中後 今月の教室は今日で終わり次回は来月になります。来月の初回にはこのレースドールも完成させることが出来るでしょう。この作品を作るにも、これまでの作りかたとは異なる手法を工夫して試みた箇所もあります。思い通りの色は出せませんでしたが試みが出来ただけで満足です。 今日から次の作品の下準備に入りました。次回作は自由作品として自分で好きなようなスタイルに作ることになっています。課題作品は使用するレースも着せ方も見本があるのですが、自由作品は生地も自由なのでどのように作るか、考えながら作ることになります。 この作品は試行錯誤しながらゆっくりと1年位をかけて作り上げていこうと思っています。あまりどんどん作ると置き場所に困ることもありますので・・・。
2017.03.20
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2日に作り始めた木目込みの手まりがやっとなんとか出来ました。 小さなものは以前作ったのですが、10cm球は初めてです。作り始めて途中で思うように行かなく何度も色を変えようかと思ったのですが、とりあえずこれはこれで作り上げようと完成させたものです。木目込み手まり出来た 木目込み手まり別角度 思ったより和風に仕上がりすぎました。和風の柄を使ったので当然と言えば当然なのですが、もう少し明るい感じにしたかったのです。でもこれはこれで完成にしておいて、次回作るときの参考にしようと思います。 今回作ったことで色々判ったことがあるのですが、最終段階で、金色紐を入れたのですが、これを単に張り込むだけですと全体が平板になってしまって、魅力が出ませんでした。この金色紐をカットした筋にぎゅうぎゅう押し込んで布を張った面が浮き出るようにしたところ、全体的に立体感が出て、木目込みらしくなりました。 こうしたちょっとした細工が全体の見栄えに大きく影響するのだとは、やってみて初めてわかることでした。何事もやってみないとわからないことが多いものですね。 さて、これは一段落しましたので、次は何をはじめようかな・・。気が多くてこまる私です。
2017.03.19
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今日も良い天気。運動不足にならないよう少し散歩してから、木目込みマリの作成を開始しました。 材料や道具類は半年くらい前から少しづつそろえていたのですが、決め込む生地の模様でよいものが決まらず着手していなかったのですが、やっと納得できそうな柄が見つかりましたので、作成を開始したものです。 もともと木目込み細工は、たくさん取り寄せてしまった着物の生地を利用してはじめようと思ったのですが、結局細かい柄がなく、別に調達しました。 土台と成るのは発布スチロールの球体で、それに線を描きカッターで切れ込みを入れておきます。その形に合わせて生地の模様を考えながら少し大きめにカットして、端っこを切れ込みの中に押し込みます。 最初に作ったときはカッターナイフを使用したのですが、専用の道具があることを知り、その道具をネットで検索して購入しておきました。その方がやりやすい感じがします。 まだ作り始めたばかりで完成はもう少し先になりますが、全体が決め込み終わったら、もう一度手芸屋さんに行って筋を埋める金色打ちひもを探さなければなりません。 まあこうした手間隙をかけるのが趣味の良いところなのでしょうね。これから暖かくなればもう少しやる気が出てくると思います。でもその時はバラの世話が忙しくなって、木目込みどころではなくなっているかもしれませんが・・。
2017.03.17
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今日は久しぶりに朝から晴れ。気分がよいので自転車で100円ショップに行って買いたかったものを買ってきました。ついでに工作の材料も。すこしづつやる気が戻ってきました。カードがくれば注文したいものもあるのですが、それはもうすこし先になりそうでs。誹風柳多留20編しっかりとたのむでもなしなむえんま お閻魔様。昔住んでいたところにお閻魔様がありました。今は近所には氷川神社。そこにお参りすることもありますが、特に何をたのむわけでもありません。この句も同じでした。21編すでにご紹介しました句がありました。どこかで間違えたようです。22編いそぐのにさてさて子どもはよけぬもの 道一杯に学校から還る子供たちが今も同じようです。昔も変わらないのですね。盆棚はみんなはたけの月たらず 盆棚と言うのを家内の実家では作っていました。お盆のころに位牌を全部並べてそこに野菜類をお供えしていました。この野菜はまだ熟していない早採りのものなので月足らずなのですね。23編生酔いは祭りの跡のにぎやかし酔っ払いは花見やお祭りにつき物で、それもにぎやかしの一つと言っています。大きな心ですね。24編しりで穴上手に明けて人をいれあまり良くわからない句です。案ずるにふすまか障子を本来なら手で開けるのに、ものを持っているのでお尻で開けて入れたということでしょうか。25編いたい事帯と袴で十二両 おそらく婚礼衣装の借り賃が十二両かかるということでしょう。今も婚礼の貸衣装は高いですよね。着せ替えて母のおかしがる足の裏これもどんな情景を指しているのか判りません。どうして足の裏をおかしがるのでしょう。26編いさかひをしいしい碁打ち仲が能し碁かたきはにくさもにくしと言う類雲もありますこれでほぼ終了です。あとは45編以降にあったのを少しだけご紹介するつもりです。
2017.03.16
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まだ不正使用の件は完全解決していないのですが、気分は落ち着きましたので連載を再開します。 誹風柳多留を全部読んで、面白そうなところだけをピックアップしようと試みたのですが、参考にする本によって掲載されている句がだいぶ違っていました。大正時代に編纂された全編と戦後に編纂された全編とでは同じ句も有りましたが、ほとんどが違っていましたし、順番もだいぶ違っています。 柳多留から抜粋編集したという本も読んだのですが、その句がどこにあったのか見つけられない句がずいぶんありました。出所は同じ江戸時代の刷り物のはずなのですがどうしてこんなに違うのでしょうか。見つかられなかったのかもしれませんが。あまり続ける気がなくなりましたので、かいつまんでご紹介します。2編 水引ではまぐりを釣る雛祭り 雛祭りには生きた蛤も使っていたようで、そのハマグリが口をあけているところに子供が水引を突っ込んで遊んでいたのですね。 生き物のようにとらえるところてん 水中に出来たところてんをつかむようすを、このように表現したのですね。感性がすばらしいと思います。3編 物差しで昼寝の蝿を追ってやり 昼寝している子供のそばで繕い物をしているのでしょうか。物差しでハエを追う親心ですね。 男の子はだかにするとととまらず 男の子は着替えで裸にすると逃げ回って捕まらなくなってしまう。元気です。5編 ふいにでるひなはむすめの吉事なり 娘が嫁に行くことがきまると、ひなも一緒に行くので雛祭りではない時期はずれに出されるという意味。お目出度いことですね。6編 風呂敷をとくと駆け出す真桑瓜 風呂敷をといたら中からマクワウリが転げ出てきたということですね。戦後かなりまでマクワウリが夏に出回っていましたが、今では見かけませんね。若い人は知らないでしょうね。7編なし8編かし本屋無筆な人に付き合わず 江戸時代は本は高価で、貸し本屋が本を持って貸しに行ってました。それで文字の読めない人のところには寄り付かないという意味です。でもこれと対句があります かし本屋無筆に貸すも持っている 文字が読めない人にも貸せる春本を持って貸し歩いたということのようです。9編 金魚売これかこれかとおっかける 江戸時代には金魚を飼うのが流行しました。その金魚売りがこの金魚かと小さな網ですくおうと追いまわしている風景です。 しかられた通りに母はしかる也 時分が育ったときに母親にしかられたとおりに子供を叱って育てているということでしょうか。10編なし11編 さぼてんを買って女房にしかられる12編 朝顔は朝寝のものにしかみづら 今も残る有名な句ですね。13編 女房が留守でながしにわんだらけ 江戸も今も変わらないですね。うん、現代はまめな男性が増えているのかな? きゃっといふむすめの跡を蛙とび 何事が起こったかと思いますよね。14~18編なし19編 はだかっ子はらをたたいてにげるなり 前出と同じ 柳多留は内容が吉原とか旧句どりとか今では理解できない句が多く、現代でも面白く感じる句はそれほど多くないなと感じ始めました。ご紹介するのもあと1回程度でしょう。
2017.03.15
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前回記載しました、カード不正利用の流出経路がほぼ判明しました。この経緯を細かく書くと掲載されないようです。それでかいつまんで記載します。(2回も消えてしまいました) 経路が断定できたのは、ネットに接続するプラウザソフトをこれまでのエクスプローラーからファイヤーフォックスに切り替えたことからでした。 以前、医者に診断してもらってから薬を貰わなければならないのが面倒なので、薬を海外販売会社から取り寄せました。最初に購入したときも、その後にカードの不正利用がなされました。しかしその時はどのサイトを利用したことが悪かったのか判りませんでした。 今回の事件が起きたのもそのサイトを利用して購入した後でした。それで怪しいなとは思ったのですが決定的証拠は見つかりませんでした。 今回の事件の後、何の気なしにファイヤーフォックスのプラウザから、そのサイトを覗いてみてカーソルが申し込みの蘭に動いたとたん、この部分はデータを盗まれる危険があると警告が出たのです。念のためエクスプローラーのプラウザから同じサイトを覗いてみてもなんの警告も出ません。 私が注文を出したのはエクスプローラーのプラウザからでしたので、なんの警告もなく、個人情報やカードのデータを送信してしまったのです。 それで今回の騒動に巻き込まれ、まだ解決していません。自分で使われてしまった会社に電話連絡し不正利用だと訴えなければなりません。さらにその経過報告を再度カード会社にするなど面倒なことに巻き込まれています。 その元凶がガードの甘いネット販売をしている会社でした。ジャパンRXという薬販売のサイトです。その元をたどるとシンガポールの会社のようです。日本語の案内が良くできていましたので、日本の会社だとばかり思っていました。 ネット販売の利用はこれからも不可避だと思います。皆さんもくれぐれもご注意されるようにしてください。少なくとも初めて注文するサイトにアクセスする時は、その信頼性を測るためにもこのファイヤーフォックスというプラウザソフトはお役に立つと思います。この騒動で落ち込んでブログを書く気もおこりませんでしたが、やっと心の整理ができてきましたので今回のご報告です。(追伸 ファイヤーフォックスのプラウザは、問題のないサイトにアクセスして送信するときにはとても時間がかかりますので、問題がない安心できるサイトに使用する時は、エクスプローラの方が断然早いです。どうやら使い分けが必要なようです。)
2017.03.12
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昼頃にカード会社から電話がありました。今月の使用料金の確認とのこと。金額を聞くと使った覚えのない高額な請求になっていました。 さあそれからが大変、自分のカード使用履歴をネットで確認したところ、使用するはずもない会社から45回を超える回数の請求が来ていました。1回が3000円から7000円。総額では20万円を超えています。 請求している会社は音楽などの配信会社。だれかが私のカードの番号を不正入手して、たくさんダウンロードしたのでしょうね。1日で20回近く使用しています。私はそもそもゲームも音楽もネットで使用するなんて無縁の人間ですから、何らかの手段でカード番号とセキュリティ番号のデータを盗んだのでしょう。 私はこういうことに成るのがいやなので原則としてヤフオクやアマゾン、楽天などの安定している会社しかネット決済を使用しないのですが、それでもそれ以外の会社から資材を購入することもありました。こうしたところからセキュリティを突破して番号が盗まれたのでしょうか。 カードは持ち出すことなく、使用するのはネット決済だけ。売店でスキミングされることはありません。ネットのデータがどこかの時点で盗まれたとしか考えられないのです。 カード会社に連絡したら、請求会社に内容を話してくださいということで午後はその対応に当たりっきりでした。これから会社で状況を調べるということで、解決するのは先になるようです。電話連絡で状況は把握したのでこれからはメールでのやり取りと言うことですので、解決までまだまだ時間がかかりそうです。 こういう場合、不正利用されたことがわかっていても、銀行口座からは引き落とされてしまうのでしょうか。だとすると入金しておかないといけないのですが、そんな臨時出費は想定していないので困りました。 最近の使用履歴も念のため調べたら、別の会社で覚えのない利用がありました。これは調べるとゲーム会社のようです。これ以上被害を広げないために即座にカードを停止しました。 ネット社会は便利ですが、こういうことが身近に起こるものなんですね。うーん、これからは決済は面倒でも振込みにした方が良いのかなー?
2017.03.08
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やっと本の全部に目を通し終わりました。目を通したといってもざっとですから良句を見逃しているかもしれません。しかし意地になって目を通した甲斐はあったと思います。 そもそも、誹風柳多留は明和2年(1765年)に初編が刊行されています。1765年と言うとイギリスで産業革命が起こってその真っ最中であり、1774年にマリーアントワネットが即位し、その24年後(1789)にはフランス革命が起こっている。そんな時期です。 世界では大変な時代だったのですが、1853年にペリーが来航するまでは日本は鎖国中で平和な時代だったのですね。目を通し終わりましたので、今日からは第1編から順にあげていきたいと思います。第1編 このシリーズで一番最初に紹介している句もありますが、順番にあげていきます。「五番目は同じ作でも江戸生まれ」初編の第1句です。この当時から江戸生まれと言うのは、特別な意味合いを持つようになってきていたのでしょうね。(解説書が届いたのでそれを見たら解釈が違っていました。江戸では六阿弥陀と言う詣でがはやっていて、坊さんの行基が刻んだ阿弥陀仏のうち五体は江戸の郊外にあるけれど一体だけは上野アメ横の付近の常楽院と言うところにあるので、これを江戸生まれと言ったそうです。郊外と言っても今日の北区、足立区、江東区に当たるそうです。)「かみなりをまねて腹掛けやっとさせ」有名な句ですが、この誹風柳多留の2句目だとは知りませんでした。「衣類までまめで居るかと母の文」衣類までまめかと訊いているのですが、これは衣類を質屋に持っていくほど苦労をしていないかという親心の意味だそうです。「縫紋を乳をのみのみむしるなり」生まれた赤ちゃんが母親のおっぱいを飲みながら着ている着物の紋のところを意地ってむしっている様ですね。それを母親はとがめないのでしょう。「むかしから湯殿は知恵の出ぬ所」西洋ではアルキメデスが湯船に入って、解決策を見つけ出したと裸で飛び出すほど、湯船は知恵を出すところなのですが、日本ではゆったりとくつろぐところなのですね。「すてる芸はじめる芸にうらやまれ」この句はどういうことを意味しているのかちょっとわかりかねています。でも気になりましたので載せておきます。近いうちに解説本を見ることが出来ますので、それで解消するでしょう。(解説書が来ましたので判りました。芸達者な人が今では幸せな素人になっている。それにひきかえこれから芸の修業をして世に出なければ生活していけない。そういう二人の境遇の違いを詠んでいるそうです。これが男性か女性かは分からないそうです。)「子が出来て川の字形りに寝る夫婦」これも有名な川柳。誹風柳多留の初編にありました。「本ぶりに成りて出て行く雨やどり」俄雨で直ぐ止むだろうと雨宿りしていたけれど、止みそうにないので出て行く姿ですね。この句は後のほうの編でも見かけた気がします。「母おやはもったいないがだましよい」母親は腹を痛めたわが子には甘く、子の言うことにはついつい騙されてしまいがち。今も昔も変わらない親心を、騙す側から言っています。おい!子供たち反省しろよ!。いつかはわかってくれるだろう。「飛鳥山毛虫に成りて見かぎられ」江戸時代に桜見物で有名な飛鳥山。将軍吉宗が庶民の楽しみにと植えさせた桜です。それも毛虫が出てくると見に行く人が無くなるわけです。こんなところも川柳にしてしまうそのセンスが面白いです。このときの毛虫は今のアメリカシロヒトリではないはずです。「新世帯何をやっても嬉しがり」新世帯(あらしょたい)とは新婚夫婦の世帯のことです。新婚そうそうはいつの時代もこんな気分ですよね。(これも違っていました。新所帯とは結婚式をあげない本人同士が好きあって同棲した夫婦だそうです。昔は家と家とが結びつくので家具もそれ相応に準備されていましたが、二人だけの結婚なので、所帯道具は必要最小限。本当に何もないので、何をやっても喜ばれたと言う句なんだそうです。)「これ小判たったひと晩居てくれろ」これも有名な句です。そして現代もその気持ちは変わりません。「道問えば一度にうごく田植笠」田植えのシーズンに旅人が道を尋ねたのでしょう。いっせいに顔を向けて応えてくれるその親切さは、今の変わらないでしょうね。でも田植えの風景は変わっていますね。「ひんぬいた大根で道をおしへられ」これも田舎の畑の情景。目に浮かぶようです。「持ちなさい女は後にふけるもの」娘に早めに世帯を持ちなさいと母親が言い聞かせているのでしょうか。現代は世帯を持たなくても生活できる女性が増えていますから、こういう状況ではなくなってきているのでしょうね。(これも違いました。若すぎる嫁候補なので遠慮する男に、女は早くふけるものだからじきにちょうどよくなる、嫁に貰いなさいと薦める仲人の言葉だそうです。)「船の子へ蟹をなげてやる蜆とり」江戸時代のみならず昭和の時代までシジミは朝の味噌汁の定番でした。そのシジミ採りの父親が取れた蟹を船で待っている子供にほらっとなげてやっているほほえましい情景ですね。 さすがに初編には多くの良句が掲載されていました。
2017.03.07
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今日は26編から「琴の上毛虫が落てしばし止み」 屋外での琴の会なのでしょうね。その琴に毛虫が落ちてくればそれは中断しますね。風流とその場の雰囲気が伝わってきます。「いさかひをしいしい碁打ち仲が能し」碁打ちの仲間はそれは替えがたい友人でしょうね。マージャン仲間などいろいろいるでしょうね。「子を持てしるとはおそいおもひ付き」子を持ってはじめて知る親の恩という句を踏まえての川柳なんでしょう。ということはこの句は江戸時代以前にあったのですね。「着せかへて母おかしがる足のうら」これはどういう状況を詠んだのか判りません。解説書が来たときに調べてみたいと思います。「ほれ薬佐渡から出るのがいっちきき」ほれ薬は佐渡から出る金が一番効くと言う川柳ですね。結構知られている句かもしれません。25編「気のきかぬ人と山吹おいてにげ」大田道灌の「七重八重花は咲けども山吹の・・」の句に連関させているのでしょうね。でもどこが気のきかぬ人なのかこれだけではなんともわかりません。私も気が利かぬひとなのかな?飛んで22編から「たれとなくおきなおきなと花の朝」これは朝顔の花がたくさん咲いているのでしょうか。早くおきてみなさいよと催促しているのですかね。私は最近朝寝坊で、夏になっても朝顔がピンシャンして咲いている姿を見ていません。というより最近は朝顔が絡まっている垣根の家なんかありません。21編「五人の内でげひんながよくしゃべり」これと似た状況にときたま出会います。家内と食事に行くと5~6人の女性グループでそのレストランには自分たちしかいないといわんばかりに大声でしゃべっています。もう少し小さな声でというより普通の声で会話して欲しいのですが、興に乗ると大声になってしまうのでしょうね。こういう時はだいたい同じ人がしゃべっています。江戸時代から同じなんですね。「三十八年いきのびてふでをとり」江戸時代は平均寿命が今よりうんと短いので、38歳はきっともう老齢の入り口なのでしょう。まあ38歳は早すぎるとしてもこんな心境になるこのごろです。筆ではないですが。「あのぢい様のかいたのとがくを見る」爺様が描いたガク。絵か書かはわかりませんが、きっと普段の行動からは思いも寄らなかった素晴らしい作品だったのでしょうね。こんな作品が残せるようになったら老後の楽しみも増すでしょうね。 誹風柳多留の書籍を読み通すのが間に合いません。かなり読み飛ばしているのですが・・。良い句がある程度まとまっている編もあれば、ほとんど見つからない編もあります。まあ、もう少し詠み進めれば何か見つかるかもしれません。 ふしぎなのは、他の方が良い句だと紹介している句にまだぶつからないのです。どこか読み落としているのか、それともこれから出てくるのか、もう少しで判明するでしょう。
2017.03.06
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今日も良い天気です。ミニバラもかなり芽を吹き始めていますので、早いうちにもう一度イオウフロアブルを撒布しておかなかればいけないなとは思っているのですが。なかなか出来ません。 誹風柳多留30編は飛ばし29編「ざんねんさもう孝行はならぬ也」孝行をしたいときには親はなしの類義句ですね。「産んだ夢見て夜の長い里の母」嫁入りした娘が出産間近なのでしょうか。夢に見て無事出産を願う母心でしょうね。「鉢植えの梅日当りを追回し」わが家でも珍しい鉢を買った時は、こんなことをしているときもありました。28編「俄雨水かけろんをおんながし」堂々巡りの水かけ論をしている最中に俄雨。急いで逃げていれば頭も冷やされ落ち着いて、水掛け論も流されますね。「引越しの道具配料猫をだき」道具配料とはどういう意味かわかりません。引越し道具の置き場所を差配する人のことでしょうか。差配する人は作業をせずに猫を抱いているということですかね。猫好きの人でしょうね。「風鈴を扇でならす暑いこと」クーラーのない江戸時代では、暑さしのぎは団扇で扇ぐか風鈴の音くらいでしょう。風がないから扇で鳴らす。じっとり汗が吹き出そうです。「ふく水盆にかへり内々で入れ」覆水本に返らずのはずなのに、いつの間にか戻っていた。内緒で入れたんでしょうね。実際のことはなかなか戻りませんね。「おとなしい息子にわかにどらになり」おとなしく良い子だった息子がいつのまにかどら息子になっていたということですかね。それもまた過ぎればいっぱしの大人になってくれることでしょう。27編「もつれた糸嫁にわたして目をこすり」縫い物が得意だった姑も歳にはかないませんね。針を通すのはまだ出来てももつれた糸は手に余ったということでしょう。江戸時代は糸も貴重でしたでしょうから一生懸命解くでしょうが、現代だったらあっさり切ってしまうでしょうね。「木か枝か葉かさぼてんはしれぬ也」ふーん江戸時代にもサボテンがあったのですね。「行き丈の合わぬを親の嬉しがり」普通は選んだ着物の丈が合わなければがっかりするのですが、この句は子供が成長して丈が合わなくなったのを親が喜んでいます。現代でも親心はまったく同じです。 誹風柳多留の中には何を意味しているのかわからない句もたくさんあります。もうじき図書館から全句の解説された本が借りられそうなので、その解説を見ればよい句が見つかるかもしれません。その時はすこし難解な句もご紹介できるかもしれません。でも今度借りられる本はどれくらいの厚さと重さがあるのかちょっと心配なんです。
2017.03.05
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新しいモデムが届いて調子が良いので、安心してたくさん書き込み送信と押したら、あっという間に消えてしまいました。また書き込みです。でも誹風柳多留はもう止めろということなのかな。こうなったら意地でも全部読み終わるまで掲載を続けます。誹風柳多留33編「光陰の矢先にたての板はなし」光陰矢の如し この早い矢を防ぐたてはたしかにありませんね。「たたかれて身のかるくなる○○○」上の句を読んでいて、この○○○の所に入る語はなんだろうと想像したのですが思いつきませんでした。答えは雪の傘です。なるほどそういわれればそうですね。他になにか入れられるものがあるのではないかなと考えたのですが布団ではそうそう軽くならないですね。「串という字をかばやきと無筆読み」蒲焼を売る店の串と言う字を見て、字を知らない無筆の男がかばやきと読んだと言う句ですね。伝わればいいのですからそれもありですかね。32編はばれ句がありますが紹介したい句はありませんでしたので31編。「軒下に花を咲かせる俄雨」この句を最初は俄雨で軒先に雨宿りしたときに軒に滴るしずくを花と読んだのかなと思ったのですが、ことによると俄雨で着物が濡れるのを避けるためにあでやかな女性たちが軒下に集まっているという情景なのでしょうか。判りません。「のまぬやつ弁当くふと花にあき」花見でお酒を呑まない人はもうすることがなくて直ぐに飽きてしまうという句ですが、飲まなくても座を楽しめる人なら花には飽きないと思うのですが・・。「傘はどこか貴様は貴様は貴様は」傘をどこかに置いたのだけれどどこにいったのか、貴様はとすこし怒りながら探し回る。私も最近、者を探し回ることが多くなり、こんな気持ちがすこし判る気もします。昔も今も変わりませんね。 今日はこれくらいでやめて置きます。また消えたらいやですから。31編にもう1句残っていましたので付け加えます。「びいどろの中でおよぐをねこねらひ」ガラス製の金魚鉢の中で泳ぐ金魚を猫が狙っているとう情景。江戸時代の金魚鉢は丸い形でしたので、今の四角い水槽より大きく見えたでしょう。でも昔も今も猫が狙う姿は一緒なんでしょうね。
2017.03.04
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今日は曇りで午後から小雨になりました。朝のうちは何もやる気が起こらなかったのですが、甘いものを食べたら何とか元気が出ました。身体を動かすにはエネルギーになるものが必要なのですね。 先ほどからパソコンの調子が悪く、かなり書き込んでいるのですが突然消えてしまうことが数回繰り返しています。仕方がないので少しづつ書き込んでは下書き保存をしていきます。 誹風柳多留の続きですが、36編から「梅にきて仏法をなく麗しさ」 梅にきて鳴くのですから鶯なんでしょう。それでホーホケキョと鳴くのを法法華経と見たのですね。いままでこういう風には聞こえていませんでした。「古井戸へ利休すんでにはまる所」「下手将棋土産にしろと角を出し」「王よりは飛車が逃げたいへた将棋」「賎が家も桃の頃には院の御所」 この句は好きですね。どんな小さな家でも時分で育てた花が自宅に咲けば底が御所にも負けない大庭園になります。「うつくしさ生まれたままで引きとられ」江戸時代は嫁入りの際に持参金を持っていく風習があったようです。この句ではうつくしいので華美な服もいらず身一つで嫁入りしするという意味でしょう。34編「風呂敷を子に着せて行く俄雨」突然降りだしたにわか雨に、子供に風呂敷をかけて走らせる親心ですね。「家内安全女房と月見なり」家内円満、夫婦で仲良くお月見に出かける様子ですね。 今日は私もパソコンも調子が悪いのでこれくらいで終わりにしておきます。明日は良くなっているかなー。
2017.03.02
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とうとう今日から3月。これから3寒4温が始まって、本格的な春になるのでしょうね。棚のミニバラの芽がだいぶ吹き始めてきました。誹風柳多留4回目です。42編には興味を引く句がありませんでしたので、41編です。「親は爪 子は蠟燭へ火をともし」 私は親子の句が好きなようです。親は倹約しますが子はそんなことをまったく気にせず生活させるということでしょうか。40編から「重箱のすみでとどめをいもさされ」 最初は何を言っているのか判らなかったのですが、重箱の中のサトイモは滑りやすいですよね。はしで刺そうとしてもつるつる逃げる。それを隅に追い詰めてやっと刺すことが出来たということでしょうか。39編では「海底に足跡のあるいい天気」 夏の海の浅瀬で、裸足で歩いているのでしょうか。海の冷たさが心地よい良い晴れなのでしょうね。三流にこんな句があったのですね。38編からは「むか腹のくせに飯より将棋ずき」 怒りやすい人なのに、将棋が好きな人。負けてもう一番と続ける人なんでしょうね。「女房を物さしにして棚をつり」 これは長屋の木造の部屋に女房の手が届く高さに棚を作るため、そばに立たせているのでしょう。今は台所の食器棚も電動で降りてくるのがあるそうです。どっちがいいかな。「腹帯をしめると親の気がゆるみ」嫁に出した娘さんに赤ちゃんが出来るて一安心。昔は子供が生まれないと離縁と言うことがあったようですから、切実な気持ちでしょう。「エエやっと渋柿を喰ふ八年目」桃栗3年、柿8年。種を蒔いてやっと稔った柿が渋柿だったけれど、それでもやっと実がついたと喜んでいるのでしょう。「とけるほど煮こごりに成る面白さ」最近は自宅で煮こごりを作るお宅は少なくなっているのでしょうね。私の小さな頃は、何かの魚をじっくり煮込むとその汁が冬の翌朝にぷるんぷるんの煮こごりに成っていたことを思い出しました。37編にいい句が有りました。「師匠さまこわがるやつは手が上がり」厳しい先生を怖がる生徒ほどしっかりと言いつけを守って実行するため、上手になるという苦ですね。先生を馬鹿にしていうことを聞かなければいつまでたっても腕は上がりません。職人の世界もまじめな人ほど腕が上がるのでしょう。「極楽はおさきまっくらなる所」これはどういう意味なんでしょう。今は極楽でいいけれど、あとが大変だよということでしょうか。気を引き締めて・・。「大笑ひ狸の穴に手を合わせ」深刻な句が続きましたので、笑わせる句も。崖などに穴があると何かの祠のような気がします。中には注連縄や鳥居が飾ってあることもあります。それに似た穴を見つけたのでしょう。手を合わせていたら、それは狸の穴だよと地元の人にでも言われたのでしょうか。明日は36~34編からご紹介します。
2017.03.01
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