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今日は手塚治虫さんを話題にと言ったリクエストもありましたが…鉄腕アトムにジャングル大帝…火の鳥…ブラックジャック…あまりにも有名作品が多すぎて、慢性的メモリー不足の頭では中々整理がつきません。整理完了時期が予想も出来ないのと、ご存じのとおり一貫性のない行き当たりばったりのブログですので、今のところは気長にお待ち下さいとしか申し上げられません。さて、今年は暖冬ですが、北海道では雪祭りが開催される時期となりました。2月5日から11日まで開催される「さっぽろ雪祭り」は全国区ですが、道内ではどこの市町村でも雪祭りは冬期間最大のイベントとして開催される事と思います。過疎の地方都市で開催を担当する商店街や観光関係者は、ここ数年身悶えしながら何とか知恵を絞り出して街を盛り上げているようです。しかし限界集落なんてひどい言われ方までしている街での集客は、大雪山で天然記念物のナキウサギが開くクリスマスパーティに遭遇するよりも難易度は高いようで、年々減る来場者に歯止めをかけるまでには至っていないようです。基本的には子供ためのイベントですから雪像は人気アニメの雪像が中心となっているようです。メインでそびえ立つ雪像は滑り台とセットが基本構造となるものが多く、子供達は厳冬の中お尻が痛くなるほど滑った後、商店街がボランティアで臨時出店しているテント村で「ラーメン」や「おでん」を食べて暖を取るのです。(待っている親は息も絶え絶えになるほど寒い思いをします。)しかしさっぽろ雪祭り会場の飲食店は法外に高額で驚きました。完全に「観光地価格」を設定しているようです。商売の邪魔をするつもりはございませんが、遠方から観光に来られた方は寒いテントの下で鼻水を啜りながら“看板に偽り有りの名物”を食べるよりも、それなりに評価を受け店舗を構えている暖かい店でコートを脱いでゆったりと飲食される事をお勧めいたします。札幌や旭川では、有名タレントさんがゲスト出演しTV放映などもございますが、地方のステージでは、レッドカーペットのオーディションに出たことがある芸人とか、来年売れる予定のアイドルさん達が寒々しく出演することが圧倒的に多いようです。メインはやはり子供ですので、すでにTV放映の終わった戦隊物のヒーロ達が勢いよく飛び出して来るのですが、音響装置の不調ですとか不慣れなバイトスタッフにミスがあったりして、機械的に無口になったヒーロ達が寒そうにポーズを決めるのが精一杯といったステージを繰り広げられたりすることも珍しくありません。そんな事になると見ている方も辛いのですが、関係者に知り合いがいたりすると、あからさまに立ち去る訳にも行きませんので、パチパチと乾いた拍手をしながら後ずさりして会場から離れる事になってしまいます。(気を遣いますね)今年の雪像は皆さんの予想通り「ポニョ」が著作権を完全に無視して北海道を制圧することが予想されています。メイン会場では陸上自衛隊作の大規模な雪像がそびえ立ち、わたくしもその大きさと精密さには毎年感動させられますし、その職人のような技には尊敬の念さえ抱いております。しかし素人の方が制作した小規模雪像コーナーで度肝を抜かれる事もよくあります。それは、昨今“中国”で大暴れしている「おちょぼ口のミッキーマウス」や「ゴルゴ13ばりにニヒルなドラえもん」を彷彿させるような超力作達の存在です。わたくしは、このような“作者の完成予想をはるかに超えた無作為の力作”に心を動かされる事が多く、制作者が運慶を思わせる情熱でスコップを鑿に見立てて振り回している姿を想像したりして、ニヤニヤしながら立ち止まってしまう事がよくあるのです。(その顔の筋肉の弛緩した様子は中年不審者に見えるらしく、長く立ち止まることを家族からは禁止されております。)今年も何処かの会場で”制作者の予想を越える力作”を発見しましたらブログに無断掲載するつもりです。ご覧になりたい方は、制作者の方に発見されないことをお祈り下さいね乱文にて失礼“昨年は家族全員でさっぽろ雪祭りを見学出来たが…今年は無理だろうなぁ…と思う熊”
January 30, 2009
昨日は「巨人の星」でした。シリーズではありませんが、今日は「あしたのジョー」の登場です。巨人の星でも不治の病で飛雄馬さんの恋人がお亡くなりになりますが「明日のジョー」は同じスポコンとはいえ“拳闘”(日本語で書くとすごい語感です。)が題材ですので、同じ葬式が出るにしても野球と比べると壮絶な死に様となっていました。矢吹丈さんの放った“テンプル”へのパンチが原因で力石徹さんが試合終了直後に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいます。試合中の事故とはいえ人一人殴り殺してしまうのですから、まだ純真な心を持っていたわたくしが受けたショックは大きく、次の日は幼稚園時からの持病である仮病が悪化して学校を休んでしまうくらいでした。こちらの地方では雑誌が発売日に店頭に並ぶことはありません。(今もそうですけど。)未だに「北海道“開発”局」なんて役所があるくらいですから、その当時はインフラ整備からも完全に取り残されていたようで、輸送の遅れは当たり前の事と言った認識さえあったようです。特に冬は気象状況により汽車が遅れるのは日常茶飯事であり、せっかく雪の中を学校から走って帰ってきても、楽しみにしていた漫画が届いてない事はよくありました。(小遣いでは買えませんでしたので、当時母が経営していた「駅前理容院」にて、お客様用を拝借して読んでおりました。)「あしたのジョー」を読み出した時は、ふらりとドヤ街に現れた不良少年がボクシングを通して立派に更正し、アル中隻眼トレーナーの丹下段平さんと二人三脚で世界チャンピオンを目指すサクセスストリーだと思っておりました。しかし矢吹さんはわたくしの予想を覆し、ドヤ街のガキ達を先導して窃盗などの犯罪を繰り返しついには少年院に入ってしまいます。少年院では喧嘩や陰湿な暴力シーンがやたらと多く、この漫画は一体どこへ向かうのだろうと思いましたが、この少年院でライバル力石さんと出会いどうやらやっと本筋であろうボクシングにのめり込んでいくのでした。(力石さんは、窃盗とかの犯罪ではなく試合中の事故で入所していたと思います。)少年院で丹下さんからの手紙を見て練習する矢吹さんの真似が小学校で流行しました。空手バカ一代の極真空手ではありませんので、もちろん寸止めのつもりでしたが、そんな事が素人に出来るはずもなく鼻血を出したりして泣く子が続出していました。仲良し同士がふざけて合って殴り合う事態を重く見た先生が、学校内での「左ジャブ」を全面禁止としたのですが、拳闘漫画に熱中している少年達から「打つべし!打つべし!打つべし!」の声が聞こえなくなるのは、豚にまたがり少年院を脱走しようとした矢吹さんが、暴走豚を殴り倒した力石さんに阻止され「豚から転がり落ちて泥にまみれた姿」に子供達が少々幻滅してからとなりました。最終回は矢吹さんが椅子に座り、真っ白に燃え尽きてあたかもお亡くなりになったように見えるエンディングでした。大人は燃え尽きるまで闘いになった矢吹さんに感動して神格化までしていたように思います。今あの頃の青少年達よりもずっと歳を取ってしまったわたくしは、壮絶な闘いを続けてきた矢吹さんが白木ジムで“白髪”の似合うナイスミドルなコーチとなり、ジュリエットを思わせる白木葉子お嬢様と階層の垣根を越えてご結婚され、一姫二太郎に囲まれ幸せに暮らしているラストシーンの方が安心して最終回を読めたのではないかと、すっかり野性味のない「明日のジョー」のラストシーンを頭に描いてはみましたが、そんな事言ったら狂信的なジョーマニアの方に訴えられるかもしれませんので、あっさりとその安定志向のラストシーンを否定いたしました。やはりラストはあの伝説のラストがベストなのでしょうね。(後のちばてつやさんのコメントでは、矢吹さんの死亡は否定しているようでした。)母より…駅前理容院に散髪に来た青年達が「前髪を切らずに長いままにして、垂れ下がらないようにスプレーでしっかりと固めて欲しい」と、漫画でしか出来ないような髪型を注文される事がたまにあったそうです。「散髪5分後には崩れてしまいますよ」と、いつもは七三ビッタ分けの“なりきり矢吹丈”を説得するのに随分と苦労したそうです。乱文にて失礼“画風はともかく「ハリスの風」や「俺は鉄平」を書いた人とは思えない熊”
January 29, 2009
昨日昼休みに親父達が集まって昔の漫画話をしていました。わたくしが小学生の時には少年マガジンに「巨人の星」と「あしたのジョー」が豪華に同時連載されていました。現在は少年ジャンプに「NARUTO-ナルト」と「ONE PIECE」が同時に連載されているそうです。購買層であろう中学生卓球部員に聞きますと、今は色々なジャンルがあるから一概には言えないが、この2編のタッグが強力な布陣であることには間違いはないそうです。これらを読んで面白いと感じてしまいましたら、精神年齢が実年齢と合致していない事を自ら認めてしまう事になりますので、地下鉄の売店で見かけてもポケットの財布に手が行かないようにしっかりと自らを戒めております。当時は現在とは購買層が違いました。出版社は勤労青少年達をターゲットにしていたのだと思います。昭和40年代は高度成長期ではありましたが、小中学生がお小遣いで毎週週刊誌を買うような豊かな時代にはまだ到達していなかったような気がします。ですからわたくし達小学生が読むには重苦しい部分も多々ありました。「巨人の星」の最終回は、父の存在を越えて作り上げた大リーグボール3号を駆使して「父星一徹さん」と親友「伴宙太」のコンビに完全試合で勝利します。しかしそのために飛雄馬さんの左腕は二度と使えなくなってしまったのでした。父は、マウンドに倒れた息子を涙で濡らしながら背負い、敵味方から親子に戻り静かに球場を去る。こんな悲しい最終回でした…父星一徹さんは「獅子は我が子を谷に突き落とし、這い上がった強い獅子だけを育てる」なんておっしゃっておりました。「巨人の星になれ!」と幼い頃からおもちゃはボールだけ、エキスパンダーを改造したような大リーグボール養成ギプスまで作り嫌も応もなく飛雄馬さんにプロ野球それも巨人軍だけを目指させたのです。良くできた息子さんですね。飛雄馬さんは父を恨みながらもその無茶な期待に応え、ついには巨人軍に入団し、名将川上監督の永久欠番16番を引き継ぎます。ここで最終回なら親子鷹の出世物語としてハッピーエンドでした。しかしまだ父子逆境物語は続きました。父星一徹さんは「まだまだ巨人の星とは言えん!」と、ますますヒステリックにヒートアップしていきました。再び親子鷹で茨の道を歩き出すのかと思いきや、あろう事か中日ドラゴンズコーチとして敵に回り、知り尽くしている息子の弱点をさらけ出し、ついには心の支えであった親友の伴宙太までもトレードで引き抜いてライバルに仕立て上げる悪魔の所業でした。小学生だったわたくしは、若くして故障引退にまで追い込むような鬼親を持った飛雄馬さんは本当に悲劇だなぁ“もっと稼ぎたかっただろうなぁ~”と、その切ない心中をお察ししその最終回に涙したものです。努力をしなくても成人になったわたくしは、その後札幌の漫画喫茶で何時間もかけて読んだ続編で、飛雄馬さんが右利きに戻り長嶋巨人を支えた事をしりました。その後見たアニメでは父星一徹さんがお亡くなりになった後は大リーグへ旅立った事を知りました。別編では巨人2軍のコーチになっていた事も知りました。しつこいくらいに水を持ってくる従業員の追加注文から逃れられずにコーヒーを3杯も飲み、帰りの地下鉄代がなくなりましたが、4LDK豪華高層マンションでシルクのガウンを着て高級ワインを飲みながらくつろぐ“飛雄馬さん”の姿を想像すると何だか嬉しくて、ハイライトにチルチルミチルで火を着け、安アパートまで1時間30分の道程を散歩気分で帰った事を、自作の弁当を食べながら思い出していました。乱文にて失礼”スポコンは…あまり好きではなかった熊”
January 28, 2009
1月24日の土曜日は士別出身1年後輩と地下鉄東豊線沿線で呑みました。彼は栄町、わたくしは環状通東ですのでお互いに地下鉄で帰ることが出来ます。2人とも分別のある大人ですから2万円もぼったくられたりするススキノなんて所は選ばずに「元町」周辺で呑む事にしたのです。(本当は同級生がやっているススキノ南6西3第2桂和ビル”焼鳥工場SADA房”で呑みたかったのですがね…)彼は和寒高校出身ですが、10年ほど前に旭川市の「卓心会」というチームにわたくしを“選手”として誘ってくれ、卓球復活に一役買ってくれた友人であります。年齢では後輩ですが、頭頂部を見る限りにおいては会社役員クラスの貫禄を備えております。彼が仕事の関係で札幌に転出したのは知っていましたが、この5年間くらいの詳しい消息は不明となっておりました。昨年の夏頃、札幌大谷の夜間練習に来ていただいている「ウルトラランナーO谷」さん(まだ匿名ですがいつ名前が出るか分かりませんよ)が、北区体育館で練習している時に「熊さんの知り合いだと言う人と練習しました。確か和寒高校出身の○居さんと言っていました。」と聞き、それから携帯でお互いに酔っぱらった時に電話をして「よし呑むぞ!で?いつ呑む?じゃー又電話で連絡取り合おう」と約束を数十回もしていたのですが、それはやはり酔っぱらいの戯言でして1年近く掛かってやっと実現したのでした。「串鳥」のカウンターに座り、にごり酒を冷やでぐいぐい呑みながら昔の試合話で盛り上がっていました。わたくし「3年のインターハイ地区予選では、和寒に負けて2位だったけど、2位3位決定戦に勝って全道に出たんだよなぁ~嬉しかったなぁ~。準決勝は稚内戦でラストまで回る大激戦に勝って大騒ぎだったよ」○居「僕は2年生だったけど良く覚えてるなぁ~その稚内戦熊さんは“2番に出て負けたんですよね”…決勝は確か“熊さんがうちの○木さんに負けて”和寒の優勝が決まったんですよね?」わたくし「負けて負けてとうるさいなぁ~そんな余計な事ばかり覚えてなくて良いんだよ、ほらっ黙って呑めよ!何だか出れば負けみたいに聞こえるだろうが!相変わらずおしゃべりな奴だなっ!」○居「すみません…たまたま覚えていたのがその2試合なだけですから、ところで熊さんが勝ったのはどの試合でしたっけ?2位3位決定戦でしたっけ?」わたくし「もう~しつこいなぁそんな昔の事なんてもう忘れたよ、きっと後は全勝しているはずだよ俺は弱い奴には強かったんだから! もう次の店に行くぞ、大体いい年して、いつまで喰ってるんだよ、何が餅ベーコン2人前追加だよ小学生でもあるまいし、糖尿病か痛風になるぞっ!」と慌ただしく会計を済ませて「串鳥」を後にしました。二次会はやはり元町駅近辺で、少ないスナックの中から飲み放題で安く呑める店をやっと探して3,000円カラオケ込みで、焼酎を呑みました。知りませんでした。彼がカラオケ大王だと言うことを、松山千春から始まりエグザイルまで、彼の頭頂部に負けないくらい幅広いレパートリーを次々とご披露してくれました。彼の戦型である“ペン表・中陣・遅攻型卓球”と比べると数十倍上手いので正直驚きました。二次会では昔の仲間達の話になりました。わたくしが忌々しい負け試合の話から必死で逃亡したせいでもありますけど。懐かしい名前が次々と登場しますが、すでに卒業後30年が経過しておりますので、消息不明(夜逃げとかじゃありませんよ)になっている人も多くいました。お互いの情報を聞いては「おおっそうだ!○○さんが手稲区の大会に出ていた」とか「誰々の子供が中学生で卓球しているよ、親父はペン表だけど子供はシェークだよ、今はペン少ないなぁ」などと、楽しい時間を過ごしましたが、わたくしは次の日吉村杯でしたので「明日辛いからそろそろ帰るか?」とまだまだ話し足りなかったのですが、重い腰を今時の店にしては安っぽく見える妙に背の高い椅子から上げたのでした。懐かしい友人と、懐かしい話をしながら楽しく呑んだので予想以上に時間が経過しておりまして、外に出て時計を見るとすでに1月25日の日曜日「1時」になっていました。いくら土曜日とはいえ東豊線が深夜営業しているはずもありませんので、しょうがなくタクシーで、今夜もいつものように優しいはずの妻が待つ賃貸アパートまで帰ったのでした。まぁ…分別のない大人2人が久しぶりに呑んだのですから、こんな結果になることはある程度予想はしたのですが、妻の予想する帰宅時間を大幅に超えてしまったわたくしには…「いやぁ~○居が帰るって言わなくてさぁ~参ったよ」と言い訳をする道しか残されておりませんでした。許せ“○居”よ!次は栄町で呑むから今回だけは“人柱”になって俺を助けてくれ!乱文にて失礼“もう…昔話で盛り上がる年代になってしまった熊”
January 27, 2009
小樽吉村杯にて観客席の端で末っ子の歩夢を遊ばせていると、「よーし!!!お~」と野太い大声が聞こえてきました。下を見ますと「スネイルズF ○宅」のゼッケンを着けた“角刈りの中高年巨漢選手”がものすごい気迫で試合をしているのが目に入りました。ペンホルダーを握りしめ両膝に痛々しくサポーターを巻いたその勇姿にしばらく見とれていたのですが、得点ボードを見ると“幼気な中学生らしい選手”とセットオールの死闘になっていました。その懸命な姿に心を打たれて歩夢と2人で席に座り直して応援していたのですが、長い試合にそろそろ歩夢が飽きてきた…いえ…5セット目チェンジコート時の「○宅先生」の疲れた足取りを見ていますと…ふと力尽きて負けコートの下にガクリと崩れ落ちる光景が頭をよぎり、そんな打ちひしがれた「○宅先生」の姿を見るのは忍びないと思い心の中で「先生頑張って下さい」と祈りながら歩夢を抱っこして…そっと席を移動したのでした。 (※ええ…本当ですとも、決して歩夢がぐずったからではありませんよ。)しかし…今となってはその結末を見届けておけば良かったと後悔しております。あの怒濤のように押し寄せる日本海の荒波の様なフットワークの凄みは…勝っても負けても最高のネタになったのになぁ~勿体なかったなぁ…十分ネタにしているけど乱文にて失礼“まだまだ面白い事があったなぁ…でも書いたら怒られるかな?の熊”
January 26, 2009
昨日大会会場で「あれ先輩のブログですか?」と聞かれました。先輩なんて呼ばれたのは何年振りですかね、数年前にススキノの呼び込みに「せんぱい!5,000円ポッキリ!どう!絶対嘘じゃないから、せんぱい~5,000!安いよ」と声を掛けられ、20,000円払ったのが最後かもしれませんね。最近ウエブリンク集にも登録していないのに…このブログの事がばれて来ましたね…以前のHPはアクセス数が多くなりすぎて恐ろしくなり閉鎖しましたが、今回はまだ頑張ってみようと思っています。老師のブログに書いてありました。福岡で雪が降ったようです。奥様が作った「可愛い雪だるま」がアップされていました。九州など暖かい所に住む人には、珍しい積雪ですから楽しんで「雪と戯れたり」するのかもしれません。老師は「薪ストーブにくつろぎながら、雪景色がみれるなんて、素晴らしい夜になりました。」 なんて書いていましたが…恐ろしい発言ですね…いつも自身が醸し出している“オーラ”を見失った様なロマンチックな事をおっしゃっておりますが、わたくしは、老師が恍惚の表情で窓の外を見つめたりする姿を想像出来る卓球関係者は“日本には皆無”であると自信を持って断言出来ます。わたくし達に取っては、そんな光景は翌朝の除雪作業を決定させる自然現象にしか過ぎません。南国の方から見ればなんて夢のない寂しい話をするのだとお怒りになる方もいらっしゃるかも知れませんが、なにせ1年の内3ヶ月も降雪と戦い続けていますので、ウインタースポーツの苦手なわたくしは、温暖な地域ではメルヘンチックに感じられている雪を冷めた目で見てしまう事に罪悪感はまったくございません。昨夜も雪で50キロ規制された高速道路(どこが高速ですか?そんな時は割引していただきたいものです…ずうずうしく知人の車に同乗させてもらったのですが)を走りやっと11時に士別に辿り着いたら、なんと家の鍵穴が凍結していて、解氷スプレーを1缶使い家に入るのに30分も掛かりました。気温は-15度以下でしたので、すでに指や足のつま先はしびれていました。あの後更に時間が掛かっていたら今日の地方紙に“熊自宅前で孤独な凍死”とお悔やみが掲載されるところでした。老師は退職後「真冬」にこちらを訪れる予定です。こちらの様子を電話などでお話致しますと…嬉しそうに「おおっそうか!凄いな-30度か!どんな世界か想像もできん!いいぞっ!俺は絶対にその時期に行くからな!」と、随分盛り上がっております。もちろんわたくしは、北海道が一番美しく過ごし安い季節に訪問する事を、心を込めてお勧めしておりますが、そう言いますと老師は「そんな観光客が喜ぶような所を見ても全然つまらん。俺は極限の寒さを味わいたいのだ!熊っ!誰も行かないような極限の酷寒の地を案内せいっ!」とわたくしの地元まるでを北極の様に扱い、余計に気合いを入れてしまう始末です。きっと老師の家族全員が命懸けで反対しても「シロクマも長靴で逃げ出す」程寒い1月に来道するのは間違いないでしょうね…奥様申し訳ございません。せめて名湯巡りくらいはご用意いたしますのでお許し下さい。今回は老師のブログとリンクした内容をアップさせて頂きました。子供達が頑張れば今年の8月に福岡に伺います。10月に訪問した時にも暑かったのですが…8月はものすごい暑さですかね?…でも行きます!!!土曜日は後輩と呑みました…明日アップします。乱文にて失礼“土日で積もった玄関前の雪を朝は時間がないので、夜除雪する熊”
January 26, 2009
今日も2本立て…やはり昨夜も家で呑んだのが良かったのでしょうかね?半年間をランニング・トレーニングと少しの卓球で過ごしたわたくしに、寒風吹きすさび猛吹雪が舞い上がる厳冬の季節がやって参りました。毎年のことでしたが、暗い気持ちになりましたね…寒風なんて言っておりますが、-30度を越えるような気温にもなりますので、ブリザードとでも呼んだ方がその様子を想像しやすいのではと思います。今は体育館などの体育施設には暖房が入っておりますが、当時高校は高校だけでなく学校の体育館には暖房施設がありませんでしたので、外気温との差は“数度”という絶望的な寒さでした。その中でわたくし達は、室内凍傷になりかけながらも健気に安っぽい学校指定ジャージで真摯に練習に取り組んでいたのです。(流石に半袖・短パン姿はおりませんよ)そんな寒さの中ではスマッシュをするとボールが割れてしまうので、-20度以下ではスマッシュ禁止令が出されたりもしていました。わたくしは卓球経験もありませんでしたので、先輩にもまったく期待はされておりませんでした。数です…数の内…重要事項であるべき戦型決定に至っては、たまたま来校していたOBと先輩が慎重に30秒の協議をした結果、部内に一人もいなかった「カットマン」にでもするか?と言った簡単な理由で決定されたていました。もちろん希望なんて聞かれはしませんでした。まぁその頃のわたくしにカットマンだとかドライブマンだとかと言われても返答のしようもありませんでしたので、その件については今持っても恨みに思ったりはしておりませんけど。練習ではそろそろ半年も経ちましたし、雪の中をランニング出して遭難でもされたら捜索費用もかさむと思われたのか、何とか台に付かせてもらい練習をするようにはなっておりました。もちろん人数あわせの練習用といった位置づけでしたので、毎日練習者が偶数であるように祈っていたのを思い出します。この頃のわたくしは、恥ずかしながら「カットマンのようなもの、らしきもの」というのが精一杯の実力を現す表現でした。従いまして練習始めにわたくしとカット打ちの指名を受けた選手の顔を見ると、イオンで30円のキャンディーを万引きした犯人が予想もしなかった死刑宣告を受けた様な落胆の表情をしておりまして、その複雑な心中をいつもすまないとご察し致していたものです。今思い出しても申し訳ない気持ちで一杯になります。素面でお会いしましたならば「足腰を鍛えるために“わざと”右に左に振り回してフットワークの練習をさせて上げたのですよ、あの練習で強くなったはずです。この幸せ者!」とお声をお掛けするつもりです。(そんな技術あるはずないのに)しかしお酒でも呑みながらでありましたらきっと本心が顔を出し「随分と馬鹿にしやがったな!本当はちゃんとお前達だけが上手くなり過ぎないように、いつも気を付けてミスしていたのだぞ!ザマーミロ!」と悪態を吐き散らす可能性が高いと思います。(ミスの言い訳にしては情けない言い訳ですが…)そんなことをしている間に年が明けてしまいました。神社に向かって今年こそ1勝出来ますようにと柏手を打ったわたくしのお正月なのでした。…ランニングで初詣に行けよ!それにしても最近は本当に暖かくなりました。昨年一度も-30度にはなりませんでした。今年に至っては、今日も+5度とか大寒時期の今頃には経験のない暖冬となっています。おまけに大雨が降る有様です。1月末に雨が降る…う~ん?考えられるのは、人知れず布教のために士別に移住したキューバ出身の祈祷師が、あまりの寒さに耐えきれず毎夜ブードゥーの神に温暖化を祈祷しているのかもしれませんね。乱文にて失礼“今晩は居酒屋バスで札幌に向かう熊”
January 23, 2009
風呂は“凍結”で使用不能をお伝え致しましたが…先週末には新たに今度は洗濯機が“凍結”で使用不能となりました。従いまして、本日の夜札幌に向かいますが、持って行く卓球バッグは洗濯物でパンパンに膨れあがっております。古い借家ですので、配管には見てもよく分からないトリックアート手的な逆勾配がついており、流れきらない排水が凍結したようです。洗濯機が動かなかった時にはかなり慌てましたが…よく考えますと洗濯から開放された事になるので、微妙に喜んでも良いのかなと思ったりもしています。さて現在、北海道尚志学園、札幌大谷高校は選抜で好成績を残すことを目標に頑張っています。尚志には女子選手が1名おりますが、北海道優勝!全国出場しますので個人でも全国大会優勝に向けて頑張っていると思います。わたくしも今年こそダイエットという目標に向かって日々節制しており(インフルエンザと風邪を引いていただけですけれど…)そろそろ効果が出ても良い頃だと思っていますが、どういう訳か今のところ一向にその効果は現れてはおりません。昨日書きましたように元々太っていたのだから、今は戻っただけだと自分を“慰めたり”もしますが、そんなことでどうする!これ以上太ったら恐怖の成人病が襲ってくるぞと、今度は“戒めたり”もしております。それで今日は昼食「おにぎり」1個と決め、朝自分で鮭を焼いておにぎりを握ったのですけれど…ついつい「どん兵衛天そば」にお湯を入れてしまう自分を“懲らしめたり”出来ないから、目標を達成できないのは重々分かっているのですけれどねぇ~乱文にて失礼“今ほざいたばかりなのに、どん兵衛のつゆを全部飲んでしまったアホ熊”
January 23, 2009
今日は調子が良いので2回目の更新となります。やはり呑んだのが良かったようです。先日お伝え致しましたようにわたくし達は、何の落ち度もないのに理不尽な先輩達の身代わりに五厘坊主になってしまいました。「あぁ…やはり卓球部になんてはいるんじゃなかった…髪を伸ばして吹奏楽でトランペットを吹いていれば良かった…中学の頃組んだバンドだってまだ解散してないのに“坊主頭”のロックドラマーなんて惨めだぁ~~」と、ふさぎ込んだ日々を送っていたのです。サンプラザ中野でも登場していれば「ランナー」なんかをコピーしたりもしたのでしょうが、当時は「ハゲ頭の芸能人」と言えば笑点の「歌丸師匠」くらいしか思いつきませんでした。しかし原色の着物を着て「大切りで座布団を取られる」事にもなりません。だからといって、パンクロックに変身して坊主頭を狂ったように振り回して怒鳴りまくる程の根性もありませんでしたので、出来損ないの陸軍士官候補生のような様でとぼとぼと周囲の視線から隠れるように登下校していました。しかし二年間我慢して新入生の頭を刈るまでは、卓球部を辞めないと堅く心に誓っておりましたからサボって顧問の先生に首にされる訳にはいきません。全然楽しくなかったのですが渋々練習は休まずに出ていたのでした。その頃は多球練習もありません。初心者であったわたくしは、まともにボールを打つことが出来ませんので、先輩や中学からの部員に相手されず練習はボールを打つよりも球拾いとトレーニング・ランニングの占める割合が圧倒的に多い日が続きました。本当に苦しかったのですが、それが怪我の功名となり“リトル肥満児”のわたくしは、2ヶ月後には体重が10キロ以上も落ち、身長170センチ体重63キロと標準的な体型となっていましたすると今まで苦手としていたスポーツが自分でも信じられないほど出来るようになり(苦手なのに卓球部に入るとは…卓球をなめるなシリーズに掲載されそうですが…)球技大会ではソフトボールで活躍することができ、16キロを走る校内マラソンでは450人中23位となり卓球部の中では2位の好成績を残したのでした。ここでも後輩をいじめるためだけの卓球部の伝統がありました。それは50位以内に入らないと、次の日再度16キロを走る事です。前日は自信がなく中々寝付けなかったのですが、自分でも予想していなかった23位でゴールした時の爽快感は今でも忘れることが出来ません。しかし一番嬉しかったのは、わたくしを卓球部に売った友人が103位で次の日「自転車の先輩に付き添われて、筋肉痛に泣きながら走りに行った事です。」自分の23位よりも数十倍嬉しかったですね「ほら!バチが当たったぞっ!きりきり走れっ!」と校門の影に隠れて満面の微笑みで彼を見送った事を思い出すたびに今でもニヤニヤ笑ってしまいます。そんな事していましたから、大会では1年間1度も勝つことなく「万年1回戦ボーイ」と呼ばれていましたが、ボールを打って惨めな思いをするよりも「トレーニングとランニング」に勤しむ毎日が楽しく感じるようになっていたわたくしなのでした… お前は陸上部かアホ… 乱文にて失礼“今考えると良く耐えたなぁ…と思う熊”
January 22, 2009
昨年末からのインフルエンザ→風邪状態からついに復活を遂げたようです。その原因は病院からもらった薬ではございませんでした…やはり人それぞれに合った治療方法があることを実感しました。20日の夜に職場で日本一のジンギスカン「花の友」で宴会あったのですが、完全復活していないわたくしは断ろうかと思ったのですが…咳き込みながら一人寂しく夕食の支度をする気力もありませんでしたので“渋々”と宴会に参加したのでした。しかしどうしたことか、最初は少々咳をしていたのですが、ジンギスカン3人前にビール2杯からワインを呑み、ライスを食べ、湯豆腐を食べているうちにどんどんと調子が上がってくるのをひしひしと感じていました。これはここで帰らずに呑んだ方が体に良いのではと考え、ついには二次会にまで出席しウイスキーの水割りを数えられないほど呑んだのでした。するとどうでしょう!まさにその効果が絶大であったようでして、本日に至っては弁当を食べる時に味噌汁代わりにカップヌードルなんかも食べようか?と思うほどの回復ぶりでございます。(小さいのですよ!1.5倍を想像してはいけませんよ!)そこで今日ここに「インフルエンザ風邪症候群」収束を宣言致します。それは明日からまた怠惰な呑助生活の復活でもありますけど…(懲りないなぁ)そう考えると“今まで弱気で呑まなかったのが、中々体調が戻らなかった原因”ではなかったかと考えてしまい「無理しても!周囲の人が嫌がって引くほど咳き込んでも呑めば良かった」と、自虐的に郵便ポストに頭突きをカマしたいほど後悔したのでした。(頭割れるか…)ああ…損した…でも割り勘のなかった事なんて記憶にないなぁ?乱文にて失礼“もう新年会もないので…春まで宴会のない熊”
January 22, 2009
卓球をなめてるシリーズあきかわクラブHPより転載 http://www.akikawaclub.chu.jp/?cid=748一般開放の体育館で友達とピンポンをするのなら分かるけど…「卓球専門店の卓球場で卓球をするのにジーパンで来る」着替えに行かせると今度は「シューズを忘れる」こんな小僧には、「鼻の穴からコーラ1リットルを一気飲みさせた後、ゲップをせずに歴代全日本優勝者の名前を一気に読ませる事にしましょう」その苦しみを体で覚えた小僧は、二度とそんな不届きな行動を取ることをやめるはずです。もしもその途中、わたくしの大好きな渋谷選手のところでゲップをしたら、もう許しませんよ「今度は鼻の穴からキリンレモンを1リットル一気に飲んだ後、ゲップをせずに歴代世界選手権優勝者の名前を一気に読ませます」もしもその途中、わたくしの大好きな孔令輝のところで…もうこれ以上は無理か…宇宙選手権もないし…乱文にて失礼“卓球太さんに感謝の熊”
January 21, 2009
卓球をなめた言葉シリーズ【今日の昼休み】職場の同僚「熊一家は卓球一家だよな、俺も中学時代は卓球部だぞ」※シュッシュッと声を出しながらの怪しげなバックハンドの素振りつき。わたくし「そうか?じゃあ今度、家のプレハブ練習場で卓球する?」職場の同僚「うん、でも俺“へら”ないよ“へら”貸してくれる? “ペンのへら”ある?」“へらへら”と、うるさいこと…「熱々の炊きたてご飯」を食べたくなるようなセリフですね、でも卓球に取り組む子供達が聞くと“その気合いが入らない語感”に練習意欲を失う恐れがありますので、そういった無礼な方がおりましたら耳元で「へら?今度そんな“死語”を使ったら二度としゃべれないように口を縫うぞっ!」と、厳しく指導していただくことを希望します。
January 20, 2009
全日本選手権が終わりました。我が家は地上波のみの受信ですので、教育TVで2時間だけの放映でした。(デジタルや衛星でどう放映されたか知りませんけど)平野選手おめでとうございます。素晴らしかったです。王輝は決勝まで1セットも落とさずに勝ち上がっていましたので、やはり帰化選手にはかなわないのかと思いましたが、しっかりと戦術を貫き見事に優勝を勝ち取りました。本当におめでとうございます福島で蟄居中の“塾翁”(“心”なんて名乗っているようですけれど、そんな純粋さを持ち合わせてはいないと思いますので、ここではそう呼ぶことにします)も栃木に帰省した時には平野選手のお父さんと祝い酒でしょうね…羨ましい…そんな羨ましい事があった時にはこんな調子で電話が来ます。「あぁ熊?元気?別に用事はないんだけどさ、昨日たまたま平野早矢香(ここは必ずフルネームで話します)のお父さん(まだお父さんのお名前をお伺いした事はございません)と呑んでたらさぁ~早矢香(二回目からは呼び捨てになります。)から電話が来てさぁ(別に塾頭に電話した訳ではないのに)電話で色々話をしたよ。素直で良い子でさぁ~俺のアドバイスもちゃんと聞くよ、チャンピオンは違うだろう?じゃーな」ブツン…わたくしも電話が来た時には、「いつもそんな話じゃないですか!今度は本人と話させろ!…いえ…お話しできると嬉しいなぁ~」と、お願いしているのですけれど、心の狭い塾頭ですからいつも「そうそう昨日ね、家の近所のラーメン屋で呑んだよ、あれ?話ししたかったの?なんだ言えよ~わかった今度電話来たら必ず話させるよ、うん電話するする、じゃーな」となるのは間違いありません。全日本ですが準決勝終了後、福原選手インタビューで「全日本はそれまでの練習が正しいかどうか確かめる大切な大会。自分がやってきたことは間違っていなかったと思ったので、このまま世界選手権まで頑張っていきたい」と言っていましたが「全日本は練習の確認」の大会なんて言ったら、福原選手を4-0で簡単に粉砕した王輝選手を、あの気迫で倒し3連覇を達成した平野選手の功績を認めてないように聞こえてしまうなぁ~敗戦の弁にしては爽やかではないと思いました。(決勝前のインタビューですが)この前の”写真取られちゃった”の時にはあんな爽やかな受け答えだったのに…福原選手よりも若い19歳で3連覇の水谷選手はインタビューで「この大会で優勝する難しさは、前回・前々回でよくわかっていた。優勝するために考えて練習してきた。来年は4連覇を目指したい。今は有望な若手がいっぱいでてきているけど、その選手たちに負けないようにがんばりたい」と答えています。水谷選手の考え方は立派であると感じましたし、すでに追われる立場になっているからか、来年に向けての前向きな姿勢を感じます。足下をしっかりと固めることも大事ですね。それに全日本選手権を世界選手権の練習のように言ったら、1年間この全日本選手権を目指して頑張って来た選手達に失礼な気もしました。実際に今回混合で3位になったJR北海道の荻原選手達は、日本リーグに加盟しているとは言っても試合のない時には普通の職員と同じように仕事をしていますので、チームが揃わない時には尚志学園の高校生などを相手に自分に厳しい練習をしているのを見かけたりします。決して恵まれているとは言えない環境で立派な成績を残したと思います。もちろんわたくしは福原選手の大ファンでもありますし、根暗とまで言われた卓球のイメージを変えた功績も大きいと思っております。ですから余計にあのインタビューを残念に感じましたので、小声ではありますが一言ほざいてしまいました。(ノンポリの権化と言われておりますわたくしが、珍しくあえて言わせて頂いております。でも苦情は受付致しておりませんよ)しかし腹が立ったのはNHKですね。番組予告欄に「時間延長の場合有り」なんて書いておくのなら、男子の決勝も完全放映して欲しかったです。1セットだけでは納得しませんよ、この放映を見る人はたまたま見るような人じゃないのですから、皆「卓球」が大好きな人間しか見ない事をまったく理解していませんね、小さな抵抗ですが、わたくしは来年の紅白を見ないことをここに宣言致します。相撲ファンや野球ファン、サッカーファンと同じ受信料をお支払いするのに「相撲」は全ての場所を完全中継するし、野球だって誰も見ないような不人気カードでも優勝が決まった後の消化試合でも時間延長して中継するのに“年に一度しか放映のない卓球はブッツリカットですものね”せめて天皇杯・皇后杯は完全中継して欲しいと思います。何度も言うけど年に一度しか放送ないのに…乱文にて失礼“舅のような小言の熊”
January 20, 2009
準決勝で残念ながら2-3で惜敗してしまいました。しかし本当に惜しかった!!!1セット目 11-6、2セット目 11-5 セットカウント2-0でリード!しかし3セット目を10-12、4セット目を11-13とジュースで落としたのが痛かったです…5セット目は力尽きて5本で決勝進出を逃しました。しかし見事に全日本での表彰台をゲットです。荻原家では、妹の直子さんのインターハイ3位入賞に続く全国3位ですね。「全日本選手権混合ダブルス3位」本当におめでとうございます。円山クラブ出身者であり監督でもある荻さんの息子夫妻の健闘と栄光を讃えて「円山クラブOBの全日本選手権混合ダブルス3位入賞を祝う会」をしなければならないのじゃないかなぁ~”悔しくも嬉しい熊”
January 16, 2009
鈴木せり奈さん武蔵野岡崎さんに破れて8入りを逃しました…しかし全国ベスト16は立派な成績だと思います。混合ダブルスは今頃熱戦を繰り広げているのでしょうね、頑張れ荻原夫妻!!!
January 16, 2009
昨日からの猛吹雪!1日で40センチくらいは積雪が増えました。今年はいつにない穏やかな冬でしたが、やはり酷寒大地は甘くはないようです。悲しい話ですが昨年末行きつけの居酒屋を指名停止にしてしまいました。今日はその顛末を少々…本当に激安で良い店だったのですけれど…残念。道北には寒さのためゴキブリは生息していませんでした。引っ越し荷物などに隠れて果敢にも北の地に民族移動を挑んで来たゴキブリはいたのですが、越冬することが出来ずに繁殖するまでには及んでおりませんでした。しかし、このゴキブリ達の生命力は数年前まで「栃木の○犬」と言われ、現在は「福島の接待雀鬼」と呼ばれている「元○犬○P○Cの監督」“心”氏に匹敵する程の生命力であります。冷蔵庫の裏とか居酒屋の炭焼き台の下などの比較的温暖な場所に居を構えることで、ついに越冬能力を身につけたようです。友人達から「あの店もうだめだよ、信じられないことに親父が素手で叩きつぶしたりした後、テッシシュで拭いて終わりなんて空恐ろしい光景を見て“ゲッ”となったりした事はあるけど、この前店の中を焼き鳥の煙に燻し出されたゴキブリ数匹がブンブン飛んでたよ…この冬の最中に飛んでるゴキブリを避けながら呑むような店には行きたくないよ」とか言っていました。しかしそんな話を聞かされても、わたくしは超低料金に引っ張られて時々安酒を呑みに行っていました。店の親父は60過ぎまで神奈川県でジャズのサックスプレイヤーだった変人です。「ゴキブリなんて気にしちゃいけないよ~どこ行ったってゴロゴロいるんだからさ!横浜じゃ当たり前、兄ちゃん気にすんなよ~」なんて無邪気に話すお気楽親父で、そんなアホ親父だからわたくしも気が合ったりして足繁く通っていたのでした。しかしついにその日は訪れました…飛ぶゴキブリをシャドーボクシングよろしく避けながらリズミカルにコップ酒を呑んでいたのですが…肴に頼んだ「もつ煮」の中にあのホラー宇宙サスペンスバイオレンス映画に出ていた“エイリアンの幼虫”を彷彿させるゴキブリが混入しておりました…いくら陽気なわたくしでも「親父~熱処理しているから大丈夫(^^)/だよな~」なんて冗談ですます訳には行きません…親父には何も言いませんでしたけど…残念ながらついに指名停止にさせて頂きました。でも親父…元気で頑張れよ、世の中不景気だけど…とエールを送ります。乱文にて失礼“全日本は後で…熊”
January 16, 2009
鈴木せり奈(札幌大谷中) 対 岡崎 恵(武蔵野)8決定戦 10時荻原夫妻(JR北海道) 対 水野・梶本組(明治・早稲田) 準決勝 12時30分 頑張れ~!!!
January 16, 2009
荻原夫妻(jR北海道)!四元・渡辺組を撃破!!!ベスト8進出!!!さあ頑張れ!!!円山クラブ監督の荻さんも喜んでいるでしょうね。今晩のスポーツニュースが楽しみです!!!
January 15, 2009
全日本ジュニアの部ですが、尚志学園の久住、細川、高田、兼田君達は1回戦全員突破しました。井上先生・大浦さん組も初戦突破でした。セブン卓球で大浦さんが「開会式前に1回戦があるので、負けたら寂しい思いで開会式になります。」と言っていました。突破して良かったですね。1年生四人はもっと勝ち上がりたかったと思いますが、全員1勝したのですから良い結果であると思います。さらなる勝ち星は選抜で上げられるように頑張って下さい。北海道勢で一番の強豪と対戦したのはスネイルズの厚谷君です。世界チャンピオン松平健太君の所まで勝ち上がりました。結果は0-3ですが、しっかりと2回勝ったのは立派ですね。大谷は中野さんが2回戦でミキハウスの松平志穂さん(カデットランキング5位)に1-3。栗原さんが2回戦でやはりミキハウスの高橋真梨子(中体連優勝)さんにやはり1-3。2人とも良い経験になったと思います。佐々木さん細山さんは残念ながら初戦突破はなりませんでしたが、この結果をバネに頑張って欲しいですね。吉國さんは16決定戦で名経大高蔵の市川選手に1-3で惜敗しました。点数は1セット目14-12 2セット目8-11 3セット目 6-11 4セット目10-12 惜しいですね…4セット目のジュースを取っていれば…まぁ「たら・れば」の話はしたらいけませんけど、悔しいです。大進撃は鈴木せり奈さんです。昨日ミキハウスの池田選手を大接戦のリベンジし、今日は奈良女子の宮尾選手をすかっと3-0で破りベスト16入りです。良く頑張りました!16日にベスト8決定戦で武蔵野岡崎選手と対戦します。年末から武蔵野でお世話になっていたので「恩返し」で勝利して欲しいものだと思います。本日から一般も始まりますが、本日一番楽しみな試合はやはり「荻原夫妻」の混合ダブルス4回戦です。あの四元、渡辺組との試合です。見事勝利して今晩のTVニュースに夫婦が登場することを楽しみに待つことにします。乱文にて失礼“全日本を東京体育館で応援したい熊”
January 15, 2009
本日、某バ○フ○イホームページに、今大会“女子最年長”とデカデカと写真入りで掲載されておりました。本人は「年齢で取り上げないでよ!」とご立腹されるかもしれませんが、その努力は誰にでも真似できる事ではありません。尊敬に値します。まだまだ若い者にでかい顔をさせる訳にはいきませんよね、シングルスでの健闘をお祈りいたしております。「女子の最年長は齋藤富美子(札幌Unity)。高校生の中野(札幌大谷高)とのカットペアで女子ダブルス1回戦に登場した。一昨年インターハイベスト8の実績を持つ中島・藤田(横浜隼人高)に0-2と攻め込まれるが、齋藤がかつて世界でベスト8入りした往年のカットを武器に2-2に追い付く。最終ゲームは力尽きたが、強敵相手に見せ場を作った。」…と掲載されておりました。皆さん、卓球レポートを買いましょう!!!もちろんわたくしも長年購読させていただいております。(これで写真と記事の転載を許して下さい)“北海道勢頑張れ!祈る熊”
January 14, 2009
明治大学平岡監督のブログにも書いてありましたが(“同じ卓球ジャンル”のブログとは思えない真面目さでためになります。当たり前ですよね…比べてすみません)用具の値段が天井知らずに上がっています。(平岡さんが北海道にいらした時の講習会は素晴らしいものでした。著書「もっとうまくなる卓球」も読ませていただきました…ですから名前の無断掲載をお許し下さい)数年前にブライスが出たときには「おおっ!ついに5,000円オーバー!」と驚いたものですがその後ブライススピードそしてテナジー、オメガと6,000円を突破して我が家の財務省も予算措置に苦悩を強いられる毎日です。(粒高などでは10,000円なんてラバーもあるようですが外国産特殊ラバーについての記述は、今回割愛させていただきます。)我が家では三人が卓球に打ち込んでおります。(わたくしを除く)メーカーからのバックアップを受けるほどの選手ではありませんので、背中やお腹や袖にメーカー名を背負う事もなく用品用具は全て自前で賄わなくてはなりません。最初は「スレイバーEL」「FX」を使用していましたが、学年が進むと「カタパルト」から始まり「G2」へ、その後「ブライス・テナジー派」へと突き進んでおります。「中学生の使う用具だからそんなに気を遣うことないよ「スレイバー」「マークV」なら全然文句ないよ」という方もいらっしゃいますが、使いこなせるのであればやはり「使いたい」というラバーを使わせたいのが親心であります。又、わたくしが借りて使ってみてもやはり値段に相応な実力を持っているように感じます。わたくしは昨日書きましたように、昭和50年頃に卓球を始めました。その頃を分かりやすく説明しますと「ちょんまげを結った侍に切り捨てられたりすることはありません」が「パソコンと言う言葉は一般には知られていなく、やっと電気計算機が世間に登場して来た時代」であります。(電気計算機とは皆さんが想像するような“電卓”ではなく机の上を占領してしまう程の大きさを誇った超高額事務機でした。)当時の主流裏ソフトラバーは「スレイバー」「マークV」で他の追従をまったく許しませんでした。道北地方ではニッタク、TSPのラバーはあまり見かけませんでした、そう言えばYSPなんてメーカーもありましたが、いつの間にか北の地から消滅してしまいました。カットマンはヤサカ「オリジナル」が多かったのですが、アームストロングの「光」なんてマニアックなラバーを使っている選手もいました。どれも2,000円程度で最高額は「スーパースレイバー」が2,200円だったような気がします。そしてこの年ついに“イボ高”が登場します。ヤサカ「ファントム」です。今ならファントムと言えば「オペラ座の怪人」の方が有名かもしれませんが、その頃は007,008,009と言えば石ノ森章太郎の漫画「サイボーグ007」が連想されました。その後タマスからフェイントシリーズが出て主流になりますが、この頃カットマンは殆どが「ファントムシリーズ」を使っていました。わたくしもご多分に漏れず「コバルト」から「007」に変更したのを思い出します。表ソフトは、TSP商品が士別近郊のスポーツ店になく「スペクトル」は存在すら知られておりませんでしたので、ヤサカ「オリジナル」の完全勝利だったと思います。(田舎で唯一の卓球情報誌卓球レポートに紹介されるはずも有りませんから)スピードグルーの登場でラバーの能力を、後処理で向上させるという手法が卓球界に大きな変革をもたらしたのは事実であったと思います。選手達はそれまで卓球にはなかった“音や感覚”からの爽快感という新たな一面を見いだしたのではないでしょうか?わたくしはそれらの意味も併せて、グルーの登場は卓球界にとって後退ではなく、大きな前進であったと思っておりました。(賛否両論あるのは重々ご承知しております。)しかしその後“諸々の事情”で紆余曲折しながらも世界的に後処理は禁止されることになりましたが、それまでグルーや補助剤使用していた選手が、禁止後のラバーに後処理をしたポテンシャルを要求するのは当然の事だと思います。従いまして各メーカーはスピードだけではなく選手達の求める“爽快感”を満たすために新感覚を備えたラバーの開発を競い合ってここまで来たのだと思います。そうした研究開発の結果、各メーカーから素晴らしいラバーが続々と登場してはいますが、この後いつまで新発売ラバー・ラケットの高性能イコール高額化が続くのか、スピードグルー数回塗りと同じ感覚が出るようになるまで、まだまだ開発競争が続くのか?その選手達の要求を満たすことを、各メーカーが追求するのであれば、苦悩する開発者の睡眠時間は減ることはあっても、増えることはないのではないかと、高額化だけでなく研究員の体調まで心配してしまう心優しいわたくしなのでした。わたくしも身の丈に合った用具を選択すれば良いだけなのですけれど、そう簡単に煩悩を捨てて仏陀の様に悟りを開くことも出来ませんので、まだまだ高額商品(ダイダイソーじゃないですよ)の登場に脅えながらも「新カタログ」が出るのを楽しみに待つ矛盾した日々が続くことになりそうです。それにしてもこんなに円高になっているのに輸入卓球用品が安くならないのは、どうしてなのでしょうか?特に韓国から輸入されている「オメガ」なんかはこの円高差益で随分安く輸入されているはずなのに、6,300円変わらず???という感じがします。使用する予定はありませんが、昨日一時的にですけれど90円台を切った程円高が進んでいるのに愛用者に還元されないのはどうしてなのでしょうね???(円安の時はメーカーが我慢して値上げしなかったからといった返答が出て来そうですけど…数年間は安定していましたよね)乱文にて失礼“用具の進歩について行くのがやっとの熊”
January 14, 2009
低学年から卓球競技を始める今日ではありえないことかも知れませんが、わたくしが卓球をはじめたのは、高校入学後であります。理由は仲が良かった中学の同級生が、高校入学時に先輩から同級生勧誘ノルマを命令され、“焼き”を恐れた友人がノルマ達成のために吹奏楽部在籍でトランペットを吹き、家に帰ったら五木寛之や畑正憲なんかの本を読みながらコーラ1リットルにポテトチップ1袋生活を送りリトル肥満児的に太っていて運動なんて事には縁がない様に見えるわたくしを、卓球部の先輩に“売った”からなのです。(仲がよいと思っていたのはわたくしだけだったのですね)友人曰く「先輩も優しいし全然練習も厳しくないよ、それに運動部に入らないと恐怖の“応援団”に入れられるよ、それくらいなら“楽”な卓球部にでも入った方が絶対に良いよ」といつもへらへら顔の彼が真顔で言うので、運動部なんて考えてもいなかったわたくしもダイエットを兼ねて「そうだな、まぁ卓球くらいなら丁度良い運動だな」と友人に付き添われて軽い気持ちで体育館に体験入部に伺ったのです。その時の先輩が実に優しい先輩で(大学卒業後海外青年何とかで卓球指導で外国に行っておりました。)昼食に「カツ丼」をご馳走してくれたのでした。外食とかに免疫のないわたくしはその“餌”に感動してうかつにも“がっぷり”と釣り針ごと喰いついてしまったのです。まぁ泳げたいやき君みたいなものですね…当時士別高校は、インターハイ9年連続北海道大会出場を達成しており、この年を10年目の節目として頑張っていたようです。3年生には前年度インターハイ北海道ダブルス3位と硬式ジュニアでシングルスもランキング入りしている先輩もいました。この年も地区では優勝候補筆頭と言われていたそうですが…そんな事はわたくしの知るところではありません。インターハイ?ランキング?何それ?と言った感じでした。それよりも嬉しかったのは髪を伸ばしても良いということでした。先輩も坊主ではなくその中の1人は長髪で、鉢巻き(この頃はバンダナなんて言葉は存在しておりません)をして練習をしていました。中学時代の担任は悪さをするとすぐ坊主にする先生で、掃除当番中に「たわしホッケー」をしたり、授業中に「F1プラモデル」を作ったりしていたわたくしは、野球部や柔道部でもないのに年中坊主で通しておりましたので、人一倍嬉しかったのです。しかし、地区予選の始まる1週間前にその長髪で話の分かる先輩の頭がスポーツ刈りに変わっておりました。他の先輩も同じように短くなっております。しかしわたくし達には「刈ってこい」と通達がありません。「やはり良かったなぁ~自分の意志で短くしたりするだけなんだ」と胸をなで下ろした新一年生の群れ達なのでした。しかしそんな美味しい話があるはずもありませんね。その喜びはほんの二ヶ月の事でしかありませんでした。インターハイ予選は予想を覆され士別高校は準決勝で敗退…10年連続全道出場の夢は破れてわたくし達は真っ暗なムードで稚内から長い時間を掛けて汽車で(電車ではありませんよ、ディーゼルですので)士別に帰りました。次の日の練習は優しい先輩達から引退の言葉で始まりました。昨日まであんなに優しかった先輩達から出た言葉は「俺たちは昨日負けてしまったので今日で一応は引退となり受験勉強に入る事になる。良いかでも士高が負けたのは、お前達1年生の応援がしっかりとしていなかったからだ!気合いを入れるために今から神社まで走れ!着いたら境内の坂をダッシュだ!!!」(わたくし達はラケットを振るどころか、大会期間中たったの一度もボールに触れてもいないのに理不尽な話でありますね)驚きながらも神社まで走り、倒れるほどダッシュしている頃やっと歩いて来た先輩達が神社に着きました。正座で横一列に整列させられたわたくし達に浴びせられた言葉は…「士高では全道でベスト4に入らないと坊主にする掟がある。ここまで言えばもうわかると思うが今から俺たちの手で、たるんだお前達一年生の頭を伝統のバリカンで五厘坊主に苅る。これが士高卓球部の伝統だ!文句はないな!さあ一人ずつ前に出ろっ!あ~っはっはっはっはっざまぁ~見ろっ!!!この日を二年間待ちわびたぞ~」ですって…次の朝、1年生卓球部員のいる教室が“大爆笑”に包まれたことは皆さんのご想像の通りであります。後で聞きますと、長い士別高校卓球部の歴史上、全道二位と三位が一回ずつ“だけ”あったそうです。そうですね、ただ後輩の頭をバリカンで刈るために作ったルールとしか思えませんね…そうしてわたくしはこの日“二年後一年生の頭を刈り上げるまでは絶対に卓球部を辞めない!”そうしっかりと心に誓ったのでした!!!…こんな事で一生懸命になってるからベスト4に入る事なんて到底無理なわけですね…だってベスト4に入ったら一年生の頭刈れないもの…乱文にて失礼“昭和50年頃の熊”
January 13, 2009
もう…どうなっているのでしょうか?インフルエンザが終わると今度は風邪をひいたようです。わたくしはもう声が出ないので外出も出来ない状態です。こんな事では来週も呑むことが出来そうもありません。かわいそうに歩夢も昨晩から熱が出たのに併せて咳と鼻水が出て苦しそうです。今日札幌に帰りますが、何とも悲惨な年末年始がまだ続いているようです。いつになったら家族揃って元気になれるのか…日頃の節制が足りないのでしょうね。しばらくぶりの2人での練習ですが、拓蒼はまだ筋力がありませんので、バランスのよい体の使い方が出来るように今帰省中にはバックハンドを多めに練習しました。元々運動神経が良い方ではありませんので(兄も姉もですが…)練習時間の増減で結果がすぐに反映されてしまいます。今帰省では何とか練習をやり込もうと気合いを入れていたのですが、皆様ご承知のように「インフルエンザ」で練習計画をこなすことが出来ませんでした。札幌に帰っての課題はやはり練習時間の確保になると思います。まだ5年生ですがチームの練習が休みの時には、自発的に練習する場を確保するくらいの積極的な気持ちを持たないと道新杯を勝ち抜きホープス選抜に選ばれることは難しいと思います。頑張ろう。明日から三連休ですが、体調を整えないと拓蒼と練習が出来ないので今晩も呑まずに早く寝ることにします。今朝は拓蒼に風邪が移らないでと神頼みをしました。我が家系は浄土真宗ですけどね…そう言えば元大谷高校の国語教師で今は士別に帰り跡を継いで住職をしている呑兵衛の先輩から「大谷に通うなら“改宗”しなさい」といつもお説教されます。檀家になったら呑む回数が増えるだけですので今のところは遠慮させていただいております。追伸:二上卓球スクールのHPが復活しておりました。卓球教室に興味のあるママさんジュニアの方は訪問してみて下さいね。http://www.sinhp.jp/NIKAMITTS/NIKAMITTSTOP.html乱文にて失礼“あまりの惨状に御祓いでもしなくては…と思ったりしている熊”
January 9, 2009
-19度…まだまだっ!!今年は異常に暖かいです。雪も少ないですし、どうした?酷寒大地!!!”暖かい方がよいけど…熊”
January 9, 2009
拓蒼と二人で練習です。懐かしいです。ひたすら無心で練習をする予定です。病み上がりですから無理は禁物ですね。そろそろプレハブ練習場が暖まった頃なので行って来るとしますか(^_^)”熊”
January 8, 2009
我が家のインフルエンザパニックもやっと収束の気配を見せて参りました。今朝は妻も熱が下がりやっと普通の生活に戻ることが出来そうです。皆さんも決してインフルエンザをなめてはいけませんよ(そんな人はいないか…)その感染力は強力で家族の1人が気軽にテイクアウトでお持ち帰りなんかしますと、家中を米空軍B52で絨毯爆撃されたような状況になります。我が家でなんとか難を逃れたのは、予防接種も受けていない「ねこ」だけでした。流石は国民の健康に大きな影響を与えるおそれがある感染症のひとつとして、法律で「五類感染症」に定められているだけの事はあります。(インフルエンザA型ウィルスを尊敬しているわけではないですよ)札幌には明日金曜日の夜に帰る予定です。拓蒼は10日が新年初の円山練習になりますが、昨夜からプレハブ練習場で練習を始めています。元旦の初打ち後の2日から4日間寝込みましたので体力が落ちていて、「ふうふう…はあはあ…」と息を切らせながらの練習でした。今晩もプレハブ練習場で頑張る予定です。6日には職場の新年会がありましたが、野戦病院と化した我が家を放って出席するわけには行きませんので年末の仕事納め宴会に続いて欠席となりました。これはきっと1月4日「新年練習始め東豊線東区役所前白木屋さん飲み会」の時に不届きな冗談で「大K原」先生の“奥様”を泣かせたバチが当たったのだと、あらためて反省をしたところでありました。反省を込めて「大K原先生ご夫妻」にお願いがあります。…いつかあの日の挽回のチャンスをお与え下さい、今度こそ「大K原ご夫妻」が心の底からご満足していただける皇族主催のような気高いお食事会を老舗料理店の「串鳥」で立派に開催してみせますので。あぁ…心ならずもまた今日も最後は「大K原」先生ネタになってしまいました。(それくらい反省しているということです。)あの…実はもう一点心配していることがあります。まさか…インフルエンザA型に倒れてなんかいませんよね…4日はまだ保菌状態であることが判明したしましたので心配をしております。もし感染していましたらご一報下さい、その際には遠い北の空の下から心を込めて1日も早い完治を「ネコ」と一緒にお祈り致しますから。乱文にて失礼“明日は札幌に家族を送って行く熊”
January 8, 2009
やはり新年を迎えトップページを変更しました。最初にブログを開設した時は極寒士別の雪をモチーフにしたトップページでした。今年は初心に戻り頑張ると決意をしましたので、やはり酷寒大地に降る雪の結晶をトップページにしました。さあ~今年も1年間必死で走り続けますよ!!!”熊”
January 7, 2009
年末水道話の続きをします、察しのよい方はお分かりだと思いますが、お風呂に向かう給湯管が完全に凍結して破裂してしまいました。水道は元栓から落として札幌に行っていたのですが、古い借家なので管の傾斜にくるいが生じて水が落ちきらなかったのが原因だそうです。完全復旧するのには大工事が必要なので大家さんと相談して春まで風呂は使用しないことになりました。どうやって風呂を確保するか悩んだ結果、台所にお湯をためて屈み込んで入るか?洗濯機に入るか?随分と悩みましたが、春まで士別では風呂に入らないことにしました。冗談はさておき…士別には第3セクターの温泉がありますがキタキツネでも入れるつもりだったのか、とんでもなく人里離れた所にあります。民営の温泉も自宅とは街を挟んで反対方向にあり車のないわたくしが厳冬期士別の夜を歩いて帰ると凍え死ぬ恐れも多分にあります。残念ながら「極楽温泉三昧」は無理のようです。従いまして風呂は銭湯となるのですが、我が町は数年前に最後の銭湯が過疎のため閉店しました。全ての住民が風呂付き住宅に住んでいるわけではありませんので、行政が街の中央付近にやはり第3セクター銭湯を作り400円で入湯出来ることになっております。ここまでは歩いて15分程度ですからここに通うことになります。まだ新しい施設でありサウナもありますので施設と料金に不満はございませんが、やはり今まで入ろうと思えばいつでも入れた風呂に時間の制約があるのはやはり面倒だなぁと感じますね。(8時30分までに入店しなくてはなりません…閉店は9時です…)追伸;二上卓球スクールのHPにアクセス出来ません…きっとリニューアルオープンを企んでいるものと思われます。新登場を楽しみに待つことにします。乱文にて失礼“我が家は野戦病院状態の熊”
January 7, 2009
今回はいつになく人名に「伏せ文字」を使用しますので無断掲載には当たらないと思いますので"いつになく装飾なし"で記述させていただくつもりです…1月4日は本当に楽しい日でした。インフルエンザも癒えたわたくしは大谷で大河原(ここは伏せ文字でなくてもよいと思います)チルドレンに球出しをしてから居酒屋にどっしりと構えしっかりとビールから焼酎へとなだれ込み楽しい話をしながら10時まで過ごしたのでした。斉藤コーチは年末年始の疲れが蓄積しているのが見て取れる程でした。ここは新年ビールでパーツと疲れを吹き飛ばすのが一番だと思いましたので「行きますか?」となったわけです。もちろん卓球談義に花を咲かせ楽しく呑んでいましたが。本日のメインイベントは初対面となります「大K原」先生(誰だか分かりませんよね?)の奥様“ゆうこりん”でございます。大谷スタッフの方々から結婚した頃は「大K原」先生には「もったいない」「本当に信じられない」「どうやって引っかけたの?」とか言っているのをよく聞きましたが、わたくし的には結婚後10キロ(米袋1つ分ですね)以上も体重の増えた「大K原」先生を見るに…「○に真珠」といった表現が当てはまるのかな?なんて思ったりしていました。三人で呑みながら待っていますと、ついにやって参りました噂の“ゆうこりん”が…人の奥さんや彼女のことは社交辞令で結構ほめ倒す人が多いからどんな奥さんが来るのかな~?なんて下衆の勘ぐり丸出しで待っていましたのですが、これが本当に「豚に…」いえ「○に真珠」です。本当にどうして「大K原」先生なんかと結婚したの?まさかどっきりじゃないかと周囲にカメラがないかを確認したほどです。まったくどうやってだましたのか?結論的には「山形県人は信じられないなぁ~」と肝に銘じ事実は事実として認めることにしました。お話ししていても感じが良く「そうですか大楽毛ですか~奥様の出身地の釧路には従兄弟がいます。ええ~星が浦です。ああそうですか隣町ですか~」なんて、にやついて楽しくお話をしていたのですが、すっかり酔いが回ったわたくしが言ったつまらないジョークで状況は一変致します。わたくし「あれ?大K原先生この前連れてきた奥様とは違う人じゃないですか?今日の人の方が綺麗ですね~やるなぁ~よっ!持てるね大K原~」大K原先生「またぁそんな事言ってぇ~やめて下さいよ~」斉藤コーチ「はっはっはっ~そうなんだ~もてるね~」一 同「大笑い」…のはずでしたが…ゆうこりん “大K原先生を見つめながら沈黙…”斉藤コーチ「あれ?やだ泣いてるの?」ゆうこりん“… 涙 涙 涙 …”大K原先生「嘘だってば俺はそんな事しないって」大慌てのわたくし「いや奥さん冗談!冗談ですって!わたくしの言う事なんて真面目に聞いちゃダメですよ!太りすぎの達磨がしゃべってるとでも思って聞き流して下さい」斉藤コーチ「いや~ゆうこりんそんな事してる時間大K原先生にあるわけないでしょう?練習練習の毎日ですよ、無理無理絶対にそんな時間ないよ」ゆうこりん「…そうですか?ぐすん…そうですよね…」一 同「ああでもないこうでもない」わたくし 危なく「そんな出たお腹で若いねえちゃんが寄って来るわけないでしょう?」と又つまらない冗談を言いかけましたが、二次災害になると手が着けられなくなると思い下らない冗談その2はぐっと堪えました。斉藤コーチのアシストもありやっと誤解も解け(当たり前ですけどね、解けなかったらどえらい事ですから)飲み放題の時間も終わりましたので、笑顔でお開きとなりましたが、最後に“落ち”のついた最高の初春飲み会となりました。しかし愛は盲目とはよく言ったものですねあの超ウルトラスペシャル真面目人間「大K原」先生の浮気話を本気で信じて涙を流すのですから…絶対にないですよ、そんな事ありえません…ええきっとないはずです…ないと思います…のはずです…ええ今は…しかし仲良いなぁ~その気持ちを忘れずに、仲良く呑みながら話されておりました今年の目標を達成して欲しいものだと願っております。あの…お手伝いすると約束しましたので…その節はお呼び下さいませ。ええ!押しますともしっかりと押させて頂きますから!!!返す返すも今回は名前を「大K原」と伏せ字にさせていただきましたので、人物の特定はされていないものと思っておりますので、いつもより気楽に事実を記述出来たと思っております。乱文にて失礼“新春から大慌てで汗をかいた熊”
January 6, 2009
4日はもちろん朝から大谷に新年のご挨拶に行きました。尚志で斉藤コーチに“大谷は明日から練習です”言われておりましたのと昨夜大河原先生ともお話をしていましたので、ジャージ姿にラケットを持って体育館へ行きました。東京合宿組がいませんので中高生と4月入学組併せて10数人程度ですが元気に練習をしていました。わたくしは大河原チルドレンを担当いたしますので、午前中は奥選手と多球練習です。わたくし流の多球を1時間30分ほどいたしました。1対1の多球でしたので大分疲れたようでした。昼は高原コーチ・大河原先生とラーメン店に行きましたが、食欲がないのでラーメンチャーハンセットはやめて「味噌ラーメン餃子3個ライスセット」にしました…インフルエンザ以来本当に食が進まないです…参りました。昼からは大河原チルドレン全員が揃いましたので3人相手に「新年恒例お年玉杯争奪大トーナメント」が始まるまで球出しをしました本当に良い運動になりましたが、子供達に取ってはどうでしたかね?少しでも練習になれば幸いと存じます。結果は順当に佐藤さんの優勝でした。賞品獲得おめでとうございます。午後から東奥学園から2人合宿に来ると言うことで時間を合わせて斉藤コーチも来て高校生全員とお年玉試合です。まさに“あらよっと捻り”アドバイスをして6時までの練習を終え本来であれば帰るところですが…せっかくですのでと「新年のご挨拶ビール」となりました。高原コーチは都合がつきませんでしたので、斉藤コーチとわたくしそれと奥様ご同伴で“大K原”先生の四人で学校近くの居酒屋さんで待ち合わせをして「乾杯」となりました。実はここからが「本番であります」実に楽しいお話をしながらの宴会でした…もう涙がこぼれるくらい…続きはこの後になりますが「大K原」先生覚悟は良いですよね?でも誰にも分からないようにちゃんと名前は伏せ字にしてありますから大丈夫ですよ「大K原」先生!乱文にて失礼“今日は本当は新年会ですが、家の中が野戦病院状態ですので残念ながら欠席となる熊”
January 6, 2009
あけましておめでとうございます。元旦に更新したのですが…ご挨拶する余裕がありませんでした。あらためてご挨拶させていただきました。今日は年末年始インフルエンザで更新出来ませんでしたので、本日中に一挙…2.3更新する予定です…体力が続けばですが。本当に大変な年末年始でした。結局東京合宿に行った明日美以外は全員インフルエンザA型をくらってしまいました。岳幹→わたくし→拓蒼→歩夢→妻の順番でした。やはり予防接種をしていなかったわたくしが一番重く39度を突破しました。予防接種用に妻からもらったお金で呑んでしまったバチが当たったようです。自業自得とはまさにこの事ですね…年末を士別と風連で過ごし元旦には札幌に戻りました。2日には拓蒼が発熱し当番医へ、岳幹はわたくしと東区体育館へ練習に行きました。スネイルズとOBが来ていて一緒に練習してもらいました。これが豪華メンバーでした。大阪経法大のS君、実践中学のK君にスネイルズの厚谷君と去年の北海道ホープス優勝っ子達。良い練習になったようです。わたくしもコムちゃん相手に久しぶりに練習をしました。次の日は体中が痛かったです。おじさんを相手にしてくれてありがとう。3日は尚志学園の練習始めでした。新年のご挨拶と選抜優勝のお祝いを井上監督にし、田子先生にもご挨拶をしました。田子先生が沈痛な表情をしていましたので。理由を聞きますと歯が痛くて夜も寝られないとのこと、5日には歯医者に行ったようですが、早く治る事を祈っております。この日は大谷斉藤コーチが全日本の練習に来ていました。相手をしていた兼田君は緊張で顔が強張っていました…気持ちはよく分かります。ミスをした時に睨まれると身動きが出来なくなりそうですから。ご挨拶を致しますと「おめでとうございます。大谷は明日から練習が始まります。」とご挨拶して下さいました…4日わたくしが大谷に行くことが決まった瞬間でした。帰る頃にはセブンの大浦さんも練習に来られました。井上先生とのダブルス練習を見たかったのですが、拓蒼が寝込んでいるので残念ながら帰ることにしました。この日の夜は呑む予定があったのですが、体調不良の連絡をもらい延期していました。すると夜になって大谷高原コーチから電話がありました。いつもの東京弁で「おとうさん今晩は何かご用事はありますか?もしなけれが鈴木家高原家大河原家で呑みますが一緒にどうですか?とのことです。断る理由はまったくありませんので屯田に出かけて焼き鳥でビール→芋焼酎をいただきました。鈴木先生の奥様はクワザワでご活躍されていた選手です。久しぶりにお会いしましたが、選手時代と全然お変わりがないので驚きました。そろそろ復活して札幌ユニティに所属してマスターズあたりを騒がしていただくと楽しいですね。乱文にて失礼“復活の熊その1)
January 6, 2009
当たり前ですよね、これで移らないようなら誰も予防接種なんてしません。29日の朝からこれは怪しい?と思っていました。やっとインフルエンザが治った岳幹と帰省した拓蒼の練習を見ていましたが、その時にはもう発熱を感じていました。その夜中に苦しくて熱を測ると39度を突破していました。朝もその様子は変わらないので遂に諦めて職場に電話をして休みをもらいました。病院で診察を受けて”予防接種なしで長男を看病しました”どうだっ”良い度胸でしょう?と豪語するとお医者様は笑顔で「お腹を空かせたライオンの檻に入るようなものいです。」とあきれていました。妻に連絡すると岳幹は免疫が出来ているので良いけど拓蒼をすぐ実家に避難させるように”指示”を出されましたので、義父に迎えに来てもらいました。札幌大谷東京合宿→全日本→名古屋オープンに行った明日実を空港まで送った妻もその足で帰省しましたが、ほっかむりにマスク姿で強力栄養剤や手軽に食べられる食料品などをわたくしに渡し、全員が妻の実家に避難しましたので、先ほどまで独居老人のように床に伏せっておりました。もうこれ以上ない年末を過ごすことが出来ました。でも今年は家族は本当に良く欲張った一年でした。それに比べたらまだまだわたくしは頑張りが足りないと叱咤されたのだと思って気合いを入れ直すことにします。まだ体調は回復していませんが、今日は熱も下がりましたのでヨロヨロと活動を開始することにします。明日札幌に帰るつもりでしたが、本日札幌に戻ることにします。寝てるのは何処でも同じですからねトホホ 追伸:年末のお風呂事件は後日お伝え致します。乱文にて失礼”インフルエンザ恐るべしヨレヨレの熊”
January 1, 2009
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