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先週、私の所属する部署の代表として研修会に参加する機会がありました。この仕事、朝も夜も遅い。集合時間が朝の7時台というのが非常にしんどくて、あまり乗り気ではなかった私。でも行って良かったと思います。そこではたくさんのことを学びましたが、なんと言っても心を打たれたのが、グレン・V・エカレンという人の詩でした。聞いてくれと言うとあなたは忠告を始める私はそんなことを頼んでいない聞いてくれと言うとそんなふうに考えるものじゃないとあなたは言うあなたは私の心を踏みにじる聞いてくれと言うと私の代わりに問題を解決してくれようとする私が求めているのはそんなことではない聞いてください!私が求めているのはそれだけだ何も言わなくていい、何もしてくれなくていいただ私の話を聞くだけでいい……「豊かな人間関係を築く47のステップ」より抜粋その詩がスクリーンに映った時、私は涙が出そうだった。私は生徒の「聞いてください」を何度踏みにじったんだろう……生徒の言葉に対して、私は感想以外の何かをつけて生徒に返す。生徒はただ私にそれを教えたかっただけだったかもしれないのに。ただ聞いて欲しい、それだけのことだったかもしれないのに。**************************************************************************大人は自分が意識していないうちに子どもの「聞いてください」を無視しているのかもしれない。もちろん、彼らより少しだけでも年配の私にとっては、彼らへアドバイスすることも大切な仕事だとわかっている。でも、ただ聞いてほしいことだってあるんだ。それはしっかり聞いてあげよう。聞いてもらうだけ。それだけだって人は救われることがある。力になることだってあるんだから。
2005.05.31
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「できません。」月曜日に中間テストを控え、社会の特別補習を受けていた中3の男の子。「社会は大切な用語なんかを覚えて初めてできるようになる教科なんだよ。 できないっていうのは、キミがそれをきちんと覚えてないから。 今から言うとこ、ちゃんと覚えるんだよ。」だけど、その子の口から出てくる言葉は、「覚えられないですよ~。わかりませんよ~。」どんどん不機嫌になっていく男の子。その子は私のことを慕ってくれている。中2から私が教えることになり、それなりに成績は向上させてきた。だから、彼からすると、「先生がなんとしてくれるだろう」という考えなんだと思う。だから、ちょっと厳しく「君のかわりに覚えることは私にはできない。」というと不機嫌度120%(苦笑)最後は、泣かせてしまった。「できない、って言葉を口にする時の人の心の中ってさ、結局それをやりたくな い、って思ってるんだよね。だけど、本当はやらなくちゃいけないことだから、やりたくないなんて言葉は口にしない。代わりに出てくるのが できない なんだと思う。できないって自分も他の人にも言うことで、それから逃げようとしているとしか私には思えないんだ。できない、っていう天井を作った人は、絶対それ以上にはなれないんだよ。」そこで彼の目からポロポロと……でも私は続けてこう言った。「だからキミの言う できない は私にとっては言い訳にしか聞こえない。たかだか社会の重要用語を覚えることすら逃げるようなら、キミはこれから先、もっともっと大きい困難がやってきた時、間違いなく逃げようとする。社会の暗記なんて正直言って私はどうだっていいよ。ただ、何もかもから逃げるばかりの人にはなってほしくない。」彼は涙を必死に隠そうとしながら、社会のテキストに向き合った。**************************************************************************私も今までたくさんの「できない」を言ってきた。でも、気づいてたんだ。それは、「できない」ことを逃げ道に使ってたんだって。他人にとっては言い訳、自分に対しては強力な自己暗示。だから、結果が悪い方に転がったとしても、「できない」ことだったんだから…って頑張らなかった自分を守ることができる。私がそういう自分に気づいたのは大学生の時。それから、できないって思う前にまず行動してみようって思うようになった。中学生の子供達には厳しすぎるかもしれない。だけど、数年後彼らは成人となる。その時、何もかもから逃げ出すような人にはなって欲しくないって心底思うから。Jくん、泣かせてごめん。でも、キミは「できる」んだよ。
2005.05.20
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深夜0時半ごろ帰宅して、テレビをつけてみたら「プロジェクトX」の再放送。大学時代は毎週欠かさず見てたんですよね、この番組。いろいろな困難に立ち向かいながら、決して妥協せずに自分のプロジェクトを実現していく人たちのストーリーを見て、何度も何度も励まされました。ところが、仕事が深夜に及ぶようになってからは、正規の放送時間に家にいることはほとんどなくなり、ビデオにとったところで見る時間もない私……こうしてたまに再放送を見るくらいになってしまったのですが(^^;)今日見たのは、ある高校の先生のお話でした。荒れてどうしようもない工業高校。そこで合唱部を立ち上げ、その合唱部を全国大会優勝にまで導いた先生……脱帽です。自分のことより生徒のことを本気で考えている、それが画面からものすごく伝わってきました。学校と塾という違いこそあるものの、私も教育に携わっています。テレビを見ながら自分と比較せざるを得ませんでした。「私はここまで生徒のこと考えているかなぁ」「私は自分のことをここまで犠牲にできるかなぁ」「私は生徒と真正面から向き合っているのかなぁ」その先生と比較すると恥ずかしながら全て「No」である気がしてなりませんでした。校舎を任されるようになってから2ヶ月になります。校舎の運営責任者、経営責任者……会議ごとに「人数拡大」「目標達成」のプレッシャーを感じ、ここ最近の私は生徒のことよりも経営の方にウエイトが傾いていたような気がします。でも、私がしたいのは塾経営じゃない。小さい頃からずっとず~っと、私は「先生」になりたかった。生徒が大人になった時、あの先生に出会えて良かったなぁ……そう思われる先生になるんだって。確かに民間企業である以上、利益を上げるために目標を達成すること、校舎を拡大させること、それは非常に大切なことです。だけど、それに気を取られるあまり、自分の本来の夢を失っちゃいけないんだと思う。そんなことに気づかせてくれた「プロジェクトX」でした。
2005.05.11
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今日は天気がとっても良かったので、洗車をしましたo(*^▽^*)o忙しさにかまけて全然洗ってなかった私のムーブくん。。。汚くなってたね……ごめんなさいっ。これからはもうちょいこまめに洗います(苦笑)この休み期間中、彼氏がほとんど仕事なのもあって、家にいる時間が圧倒的に長い。朝からワイドショー、二度寝、それが終わると大好きな読書やパソコンをいじって時間を潰す。夕方になれば、実家なので母親のおいしいご飯が勝手に出てくる(^^;)なんてスバラシイ休日なのかしら☆ところがぁっ!!先ほどお風呂に入る前、久々に体重計に乗ってみました……そしてメモリを見て、一度体重計から降りました……(笑)Σ(- -ノ)ノ エェ!? なぁに?この数字?何度乗り直してもどうやらこの数字が今の私の重さらしい…ひょんなことから70キロ近い体重が53キロくらいまで落ちた私。それから約3年、リバウンドもせず、まぁ増えても54キロくらいだったのに…今日見た数字は「55」少々堕落した生活を送りすぎたようです(^^;)ま、でも以前の私に比べたらまだまだ大丈夫さ!!仕事が始まれば普通に戻るでしょー……と自分を力なく励ましてみる。・゚゚ '゜(*/□\*) '゜゚゚・。 でも些細な数キロを気にして、自己嫌悪に陥って、過食して、手を口に突っ込んで吐いて…そこまでしていた過食時代は決して痩せなかった。だから気にしません(ま、多少は気にしますけどネ)。普段はどうしてもインスタント食品に頼りがちな毎日ですが、この数日間は温かい母のおいしい手料理を食べられているんだから☆体も心も「燃料満タン」で6日から仕事頑張りましょ~☆ミ(*^▽^*)ノ彡☆
2005.05.03
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怒涛の4月も終わり、只今GWの真っ最中です。この間彼と久しぶりにビデオを借りて見ました。でもGWということもあってか、観たいものはほとんどレンタル中。そこで彼が観たいといったのが「バトルロワイヤル2」でした。私は前作も観ていませんが、「人を殺す」ことで成り立っている映画だというイメージがあったので本当は観たくなかったんです。初めのうちは、人が血をあげて死んでいくシーンに目をそむけながら、やっぱり観なくちゃよかったなぁ……という思いでいっぱいでした。でも、人が何人も死んでいくうちに、画面を普通に観れている自分がいることに気づきました。決して面白くない、だけど、初めに感じていた気持ち悪さがどんどん薄れていって、その画面を見ていることに違和感を感じなくなっていました。あの映画を作った人は何を伝えたかったんだろう?物語終盤になってくると、登場人物の1人が平和について語り始めました。命の重みのようなことも言っていたような気がします。私には全部空言にしか聞こえなかった。そして、ミスチルの「HERO」の歌詞がふっと頭をよぎりました。ダメな映画を盛り上げるために 簡単に命が捨てられていく違う 僕らが見ていたいのは希望に満ちた光だ**************************************************************************子どもが加害者になってしまう事件が起こると、その子どもがこういった類の作品に没頭していた……なんてニュースを見ることがあります。人がどんどん死んでいく、それが当たり前の映画・アニメ……確かに感覚がおかしくなってしまうのかもしれません。それを自分の今回の体験で実感したと同時に、もう1つ、こんなことがありました。先日起きたJR西日本の脱線事故。遺族の方の気持ちを思うと、ニュースを見ながら涙が止まりませんでした。大事な家族を失った気持ちは痛いほどわかります。私の弟は病気だった。仕方がない、運命だと言われればそれまでです。でも、今回の場合は違う。死ぬ必要なんて何もなかった、健康な人たちが突然命を「奪われた」のですから。「家族を亡くす」という体験をしていない人でも、遺族の方の悲しさ・悔しさは理解できるものだと思います。ところが、あの事故の次の日、ある女子生徒が発した言葉。「かっこいい」意味がわからなかった。その言葉が、脱線事故についての彼女の感想だとわかった時、私は絶句しました。どうしたらそんなことが言えるの?自分の大切な人が突然いなくなる、その悲しみを少しでも理解できれば絶対出てこない言葉だよ……感覚が麻痺してる。私はこういう子供たちにどう接していけばいいんだろう。私が弟を亡くした時に味わった悲しみ、それから8年経つ今も抜け出せない悲しみを彼女に話せば少しは理解してくれるんだろうか……教育に携わっている人間がこんな風に迷っていちゃいけないのかもしれない。だけど、迷いながら、壁にぶつかりながら、それでも私は子どもたちの力になりたい。
2005.05.02
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