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私の勤務先では「秋休み」というこの会社で唯一(?)ステキな制度があります。土曜日からその秋休み☆でも、秋休み後すぐに提出しなければならない書類をついこの間渡された私……土曜日は仕事して来ました(^^;)さて、もう今日になってしまいましたが、旅行に行ってきます。5年ぶりの北海道です。両親と妹を私がご招待!!ずっと親孝行したい、って思ってたんです。普段、仕事のリズムが昼夜逆転の私は、平日家族と顔を合わせることもなければ、家事全般は全て母任せ……微々たる生活費は渡していますが、この年になっても親には面倒かけっぱなしで。1年くらい前、母を見てふっと思いました。「お母さんはいつも仕事とお家の往復で、何にも贅沢してないんだなぁ」って。旅行は、弟が亡くなる直前に家族で九州へ行ったきり……母は苦労ばっかりしてて、なんだか切なくなりました。旅行に連れて行ってあげることが親孝行になるのかはわかりませんが、母においしいものたくさん食べさせてあげたい、温泉でゆっくり疲れをとってもらいたい。父は今私たちとは離れた所で暮らしているから、たまには家族と一緒に楽しい時間をすごしてもらいたい。そんな思いで貯金を始め、ようやく実現することができました。私自身も、最近のオーバーワークで疲れた体を癒してこようと思います。また11月、新たな気持ちで頑張れるように。
2005.10.30
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「十月の夕暮れが寂しげに街を映す」2000年の9月に発売されたミスチルの「Q」というアルバムのラストの曲、「安らげる場所」私はミスチルファンになって11年目。よく「どのアルバムが1番好き?」って聞かれますけど、なかなか答えは出せない……(^^;)だってそれぞれのアルバムにその時の私がリンクして、どれもこれも思い出深いし、どれもこれもいいアルバムだと思うから。その中でもあえて答えをあげるのなら、迷いに迷いながら「Q」を選ぶかなぁ。特にこの季節になると、このアルバムが聴きたくなるんです。だけど、お恥ずかしながら、このCDが行方不明。。。ジャケットはしっかり残っているのですが、肝心のCDがどこかへ行ってしまったんです。探しても探しても見つからず、結局レンタルで借りてきて、ダビングしました。やっぱりいいです、このアルバム。特に「つよがり」。涙が出そうになりました。蚊の鳴くような頼りない声で 君の名前を呼んでみた孤独な夜を越えて 真直ぐに向き合ってよ 抱き合ってよ 早くこの詩が初めて聴いた時から、何度も聴いた今でも切なさで胸がいっぱいになります。今の彼と付き合うまで片思いばかりしていたからですかね…(^^;)秋のひんやりとした空気に、この詩を歌う桜井さんの声と溶け合って私の心にスーッと入り込んでくる。そしてもう一曲、「安らげる場所」。僕はなぜ繰り返す別れを受け入れてきたんだろう?その謎が君と出会い ちょっと解けた・・・この恋の行く先に何があるかは知らないただ静かに手を取っては 永遠にと願ういつも君と二人でこのアルバムが発売された当時は、こんな恋愛に憧れていました。そして今、「繰り返す別れ」は経験していないけれど、今までの恋愛がうまく行かなかった理由が何となくわかった気がします。彼と出会ったことで(〃∇〃)そろそろ丸3年を迎える私たち。正直、まだ結婚の話は具体的になっていないし、どうなることか私たち本人にもわかりません。だけど、私も願っています。「いつも君と二人で」と……
2005.10.25
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ついさっき帰ってきて、ホッと一休みしていると、彼から電話が来ました。明日も彼は朝から仕事なので、こんな遅い時間に彼用の着信音が鳴ってビックリΣ(- -ノ)ノ(ちなみに彼専用の着うたは「and I love you」♪)昨日、昔のケータイを見て懐かしくなった、という日記を書きましたが、彼は私からの昔の手紙を読んで懐かしくなって電話をしたということでした。その手紙というのは去年のクリスマスにプレゼントと一緒に添えたもの。************************************************************************去年もちょうど今頃、私はかなり精神的にクタクタになっていました。初めて受験生の担任を持ったプレッシャーもあったし、私の担任クラスから退学がボロボロ出始めて、「私は先生としての魅力がないのかもしれない……」と自分を責める日々。だけど、彼に落ち込んでいる私の姿を見せたくなかった。彼は彼なりに新しく始めた仕事をとっても頑張っていたから。いつもそばにいる私が落ち込んでいたり、ウダウダしていたら、きっと彼まで私のマイナスベクトルに引き込まれてしまう。足かせだけにはなりたくなかったので、「仕事のことは自分の力で解決しなくちゃいけない」って思っていたんです。そんなある日。一週間の仕事が終わる日は、私は自分の家ではなく彼の家に帰ります。その日彼は私が家にいくと、うつらうつらと眠っていました。私は彼を起こさないように、静かに彼の隣りにいきました。だけどその時彼はムクっと起きてこう言ったんです。「くるみぃ……オマエくせぇよ」?????状態の私。私は香水はつけないし、いつも通りのニオイのはずなんだけど(^^;)その後彼はきちんと起きて、「オマエさ、ものすげー疲れた顔してるよ。今辛いんじゃないのか?」と一言。そう、彼が感じたのは私の「辛気臭い」オーラでした。そして、その彼の一言でそれまで私の胸につかえていたものが、堰を切ったように一気に溢れてきました。自分でも流れてくる涙を抑えることができなくて、彼の前で思いっきり泣いてしまいました。絶対したくなかったことなのに……それから彼は私の話をずっと聞いてくれて、たくさんのアドバイスをくれました。「確かに辞めていく子はくるみっていう先生を心から必要としてなかったのかもしれない。 だけど、そういう子と、くるみを心から先生として必要としている生徒はどっちが多い? くるみ先生がいるから塾に行こう、って思う生徒がいるんだよ。 くるみ先生に励ましてもらったから頑張ろうって思う生徒がいるんだよ。 オマエは今、目を向ける方向を間違ってるよ。 辞めていく子に目を向けて落ち込んでどーする。 今オマエを必要としてくれるたくさんの生徒に目を向けるべきだってオレは思うよ。」その時の私は、彼の言う通りでした。当たり前のことだったのに、凹んでいた私にはそんな当たり前のことすら気づけない状態でした。そして、次の授業から私は私を必要としてくれる生徒に全力を注ごうって思ったんです。**********************************************************************クリスマスの手紙には、彼に対する感謝の気持ちをたっくさん書きました。私がたくさんの大好きな生徒達に出会えて、その大好きな生徒達に慕われる先生になれたのもたーくんの支えがあったから。亡くなった私の弟を「亡くなった人」として腫れ物扱いすることなく、私の「大事な弟」として接してくれたことも本当に嬉しかった。そして、「生まれてこなければ良かった」「もうこの世からいなくなりたい」そんなことばかり考えていた私に、「生まれてきてよかった」「ずっと生きていたい」そう思わせてくれたのもたーくんの存在があったから。一文字一文字丁寧に、心からの感謝をこめて書きました。その手紙を今日彼が久々に読んだそうです。「泣いちゃったよ」彼はそう言っていました。「くるみのこと、改めて大事に思ったよ。」電話を切る直前に言ってくれた言葉。ありがとう。こんな私を好きでいてくれて、そばにいてくれて、支えてくれて。今もかなり心が参っていて、会社を辞めたいってばっかり考えてたけど、ううん、まだまだ私は頑張れそうだよ。ありがと、ホントにありがとう。
2005.10.21
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私がケータイを持ち始めたのは大学2年の時でした。それからちょこちょこ機種変や、ケータイ会社を変えたりして、今のケータイが8代目になります。今までのケータイは全てとってあって、昨日ふっと思いついて電源を入れてみました。いやぁおもしろかったです。今、私と彼はほとんどメールをしないのですが、昔はよくしてたんですね(^^;)付き合い始めの頃、ほとんど毎日のようにメールしてる。内容も結構ラブラブな感じで(笑)今や彼のメールに滅多に登場しない絵文字も、当時は普通に使われてたんだなぁ。(今もたまにはハートとか使ってほしいのにぃ)メールだけじゃなくて、写真もきちんと残ってます。今より10キロ痩せてた彼の姿がバッチリ残ってる(^^;)久々にみると、「おぉかっこいいじゃないかぁ」なんて思ったりしてo(*^▽^*)o私は私でやっぱり3年前は若かったですね……髪も自分で思ってた以上に茶髪だったし、やっぱりどこか子どもっぽい。そして、当時を1番強く思い出したのがあるムービーでした。今の会社に入ったばかりの頃、ホントに毎日毎日叱られてばかりだったし、もちろん授業は話にならないくらい下手くそだったし、自分の選んだ道が間違ってるんじゃないか、って思う日々が続いていました。そんな時、彼が私のムービーに「応援メッセージ」をくれたんです。当時のケータイは10秒しか録画できなかったけれど、その10秒の間に「くるみ、頑張れ!頑張るんだ!」と笑顔の彼。仕事の合間に車まで行って、こっそり何度も何度もそのムービーを見たっけなぁ。そして、「よし!頑張ろう!」って気合を入れ直して授業したんだった(^-^)そんな自分の気持ちを思い出して、昨日はまた新たに「頑張ろう」って思えました。ケータイとしての役割を果たした昔のケータイたちは、私の大事な大事な思い出を残してくれているもの。日記やアルバムと同じ財産になっています。
2005.10.20
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私はよく「先生って怖いよね」と生徒に言われます(^^;)そしていつも生徒には、「これは地じゃなくて作り上げたキャラなの!」と言い返します(苦笑)でも実はこれ、あながち間違いじゃないんですよ。今勤務している塾に採用された後、短い研修期間がありました。その中で最もイヤだったのが「模擬授業」なんですけど、今私の上司である先生に模擬授業を見てもらったことがあります。そしてその第一声。「女の先生は基本的になめられやすいんですよ。 なめられない女の先生っていうのは、体格がいいか、年齢がある程度いっているか。 今のあなたのような、痩せている(これは少し嬉しかったけど 笑)若い先生っていうのは、生徒に1番なめられやすい先生です。」授業の内容云々ではなく、「女性であること」を厳しく突付かれました。そこで、私なりに生徒になめられないキャラを作ってみたところ、今の私が誕生しました(^^;)だから、生徒に「くるみ先生は厳しい」「くるみ先生は怖い」って言われると、変ですけどちょっと嬉しい(笑)今日は「くるみ先生はオーラがある」なんて言われちゃったし(苦笑)そんな私の周りには、いつも生徒がいます。厳しいのに怖いのにそばに来てくれるんですよね。これから先も「先生」でいる限り、厳しくて怖くて、だけど身の回りにはなかなかいない変なお姉さん、そんな先生でいようっとo(*^▽^*)o
2005.10.20
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以前の日記で、先輩先生が外国の男性と恋をした、ということを書きました。メル友として知り合ってから数ヶ月。実際に会ってから2週間ほどで2人は恋に落ちました。それを私に知らせてくれたときの先輩はとってもとってもキレイでした。それから2ヶ月。日本と外国という距離の中、実はあまりうまくいってないそうです。先輩はその男性となら一生一緒にいたい、と思い、その男性も日本を離れて自分の国に帰るとき、先輩に同じことを言ったそうです。今先輩とその彼は、メールやチャットで週に1~2度連絡をとる程度。その中で彼の気持ちがネガティブな方向にしか向かなくなってしまったと…先輩はその男性と結婚を考えていて、日本を離れる覚悟をしているんだけど、彼の方は今さらながら「言語の壁」「国籍が違うこと」に不安を抱き始め、たとえ一緒になったとしても先輩のことをきちんと幸せにしてあげる自信がない、と言うようになったそうです。いくら先輩がポジティブなセリフを言ったとしても、マイナスの思考回路はなかなか手ごわくて……そういえば、私と彼も付き合って10日目に早々と別れの危機がありました。きっかけは本当に些細なことだったけれど、彼にとっては「やっぱり自分は本気の恋をしちゃいけない人間だ。ずっと1人でいるべき人間だ」とまで思わせてしまった。そう思ってしまった彼の気持ちは、私がいくら明るく接しても変わらなかった。彼は私のことを傷つけてしまう・幸せにしてあげられない……先輩の彼と同じようなことを言っていました。だけど、私はそれって違うと思うんです。よくプロポーズの言葉で「幸せにしてあげる」なんて聞きますが、私はそんな言葉嬉しくない。「幸せ」って誰かにもらうものじゃないと思うんです。自分にとって必要な人がいつもそばにいてくれる、自分のことを必要としてくれる、小さな出来事でも一緒に笑える、一緒に感動できる……そんな時、私は勝手に幸せな気持ちになります。彼が特別なことをしなくたって、そこにいてくれるだけで私は勝手に幸せになるんです。逆にもし傷付いたとしても、それは彼の責任じゃないと思います。その彼を好きになった自分の責任。私はこういう自分の思いを一度彼に話しました。「私を幸せにしてあげなくちゃいけない、なんて思わないで欲しい。 私の人生まで背負わないで欲しい。 今の私はたーくんといれば勝手に幸せな気持ちになれるし、 これから先もきっとそうなんだよ。」彼の後ろを守られながら歩くんじゃなくて、一緒に並んで歩きたい。きっと先輩も同じ気持ちだと思います。他力本願の幸せなんて、もしあったとしてももろいものなんじゃないかなぁ…私はそう思います。
2005.10.19
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私はどん底でした。精神的にホントに参っていたと思います。原因は、うまくいきそうだった片思いがうまくいかなくなったこと。自分が一体何をしたいのかまったくわかならくなったこと。片思いをしていた相手は、今の彼です。3年前の10月、私と彼は「友達」としての一線を越えてしまいました。私はその時、自分の思いを全て伝えました。「好きになってしまった」と。だけど、彼の口からは思いもがけないセリフが……「こんなことしといてごめん。オレがくるみちゃんを大好きになる確率は2割しかない。」その2割が一体どこからきた数字かわかりません。きっと、「絶対大好きにはならない」って言いたかったんだと思います。彼は彼なりに過去の恋愛で辛い思いをしていました。4年半付き合っていた彼女がいたそうです。結婚も考えていた。だけど、気性の荒い彼女についていけず、彼は車の中で別れを切り出した。彼女ははだしで車を降り、「私の4年半返してよ!! あなたと結婚できないのなら、私は今ここで死ぬ!!」彼は、そんな彼女を止めるために、ガードレールを素手で思いっきり殴ったそうです。右手からは血がボタボタ流れ、救急病院に行ったら、「複雑骨折」という診断。「右手はちゃんと動けるようにはならないかもしれない。」とお医者さんに言われたと……それから彼は血の滲むような努力をして、右手はそんな過去の話を聞かない限りいたって普通に見えるくらいに回復しました。だけど、彼はそれ以来、「本気の恋」をするのが怖くなった。私が思いを告げた時、「オレは誰とも恋愛しない。誰とも結婚する気はない。」彼ははっきりそう言いました。その日からバイト先でシフトが一緒になっても彼は私を露骨に避けるようになり、私も彼に話しかけることができませんでした。ご飯を食べることも苦痛になりました。ぐっすり眠ることもできなくなりました。仕事中は一生懸命笑顔を作っていたけれど、車に乗った瞬間、まるで子どもが泣きじゃくるように声をあげて泣きました。彼の顔を見るのもしんどくて、バイトを辞めようと思いました。だけど、その時の私は自分が何をしたいのかわからなくなっていました。もともとこのバイトは、教員採用試験に合格するための中継ぎ。そう、私は先生になりたいんだ……そう、先生に…なりたい……の?自分の夢すら見失ってしまいました。教育実習の時の日誌。研究授業をしたクラスの子達一人一人からもらったお手紙。学級担任をしたクラスの子達からのメッセージ。最高の笑顔で36人の子供達と写っている写真。ただただ涙がこぼれてきました。なんで泣いているのか自分でもわからない、そんな涙でした。そしてそんな状態が1ヶ月も続いた時、バイトの休憩中、ふとケータイを見てみると彼からメールが来てる。「久々にビリヤードでも行かない?なんかくるみちゃん元気なさそうだからさ」ちょうどその時期、私はある悟りを開いていたのです。「たーくんの彼女になることは望まない。 だけど、たーくんのことは好きでいよう。 たーくんのことを好きだった時の私は、毎日笑ってたじゃない。 今の私が笑顔でいるためにはたーくんが必要なんだ」それからまた2人でデートをするようになり、私はウダウダしなくなりました。自分の気持ちが届かないとしても、彼を好きでいれば、一緒にいられれば心から楽しいって思えた。それだけで充分だって思えた。************************************************************************そんな10月から3年が過ぎました。いくつもの壁を乗り越えて、今も私のそばにはたーくんがいます。塾の先生という仕事は決してラクではないけれど、毎日たくさん笑ってる。3年前の私にはきっと想像すらつかなかった未来なんだろうなぁ。毎年この肌寒い季節になると、当時の気持ちを思い出しては切なくなるのでした(^^;)
2005.10.18
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中学2年生、中学1年生の2学期は「中だるみ」の時期になりやすいと言われます。それぞれの環境になれてきたこと、また3年生が引退した後、自分たちが部活動の主役になることも大きな原因と言えるでしょう。そして塾を辞める、と言い出す生徒が多くなるのもこの時期。私個人の意見としては、私たちの力を必要としなくなってしまった生徒を無理に引きとどめたいとは思わないのですが、会社的にはそうはいきません。今年もこの時期がきたか……中学校2年生の男の子。成績の伸びが思わしくありません。原因はわかりすぎるほどハッキリしていました。勉強がしたくないんです。それよりも楽しいことがたくさんあるから、勉強しないんです。そして、塾に来ると宿題を忘れた言い訳をしつこいほどしてきます。この間私はかなり厳しく彼に対応しました。おうちでは厳しく物事を言う人がいない、ということも彼のお母さんと話していてわかっていたので、おそらく彼からすれば初めて厳しい叱られ方をしたのだと思います。彼はお母さんに「あの塾は僕にはレベルが高すぎる。」と帰ってから話したそうです。私は宿題を忘れることは、私との約束を破ったこと……約束を破るのは人として決してしてはいけないことだと言いました。そして、今の君は「やらなくちゃいけないこと」からただ逃げているだけだと。そして最後に、その子にこんな話をしました。「Nくんからすれば、私はとっても厳しくて口うるさい先生に見えるだろうね。私だって、Nくんが宿題を忘れてもテストで結果を出せなくても、『残念だったね』『次はやって来るんだよ』って笑顔でいられればこんなにラクなことはない。Nくんだってそういう先生の方が優しくていい先生だって思うでしょ?」黙って頷くNくん。「だけど、私はそういう先生は本当に優しい先生だと思わない。もし私がそんな先生だったら、来年の今頃Nくんは誰よりも辛い思いをするんだよ。『なんであの時もっとちゃんとやらなかったんだろう』って思うんだよ。そして、受験の年の3月……自分の希望が叶わなかったら……Nくんは本当に本当に悲しくて辛い思いをする。私は、君にそういう思いをしてほしくないから、今できることをきちんとしなさい、って言うんだ。」本心から言いました。楽しませること・優しく接することはそれほど難しいことではありません。だけど、それだけじゃこの子は再来年の3月にとっても辛い思いをする。そういう辛い思いをする生徒を毎年数名見てきて、その時ほど自分の指導を後悔する時はありません。今、自分がしたいことを少しだけ我慢して、少しだけ頑張れば、そんな辛い思いをさせずに済むのかもしれない……そう思うから、私は「やらなくちゃいけないこと」から逃げている彼に厳しい対応をしました。だけど、彼には伝わらなかったようです。ただ、「叱られた」としか思えなかったようです。彼のお母さんは、今までいくつかの塾に通わせて比較した結果、私の塾をとても評価してくれています。だけど、肝心の生徒に私の気持ちが伝わらないのなら……そんな評価は全く意味のないものです。彼の状況・性格・育った環境に配慮できない話し方だったのかもしれないな。まだまだ未熟だな…ホント。
2005.10.18
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私が働いている地域では、入試に必ず課題作文が出されます。だから2学期に入ると毎回国語の時間に作文を書かせ、それをうちに持って帰って私が添削をするのですが……なんでこんな日記を書いているかというと、昨日、彼の家で彼が読んでいるビジネス雑誌をぱらぱらめくっていた時のこと。「話し方」についての本を書いたある著者のインタビュー記事。大学生の小論文の添削をしていて、たった1000字程度なのに最後まで自分の主張を通せない学生が多いことに気づいた……と。おぉ大学生でもそうなのか、と変な感心をすると同時に、自分が今添削をしている生徒達は少しでもまともな作文を書けるように頑張ろう!と自分に気合が入ったのでした。私が小学生のころ、結構作文を書かされる機会が多かったように思います。そこで、原稿用紙の使い方を叩き込まれたんですよね。だから中学生にわざわざ「かぎカッコはどの位置、句読点はどの位置、行末に句読点が来た時は…」なんてやらなくていいか~なんて思っていたのですが……ビックリするくらいできませんでしたΣ(- -ノ)ノましてその内容といえば…添削しながら苦笑いばかり浮かんできてしまいます(^^;)例えば、話し言葉と書き言葉が混ざってしまっているもの。「この間」を「こないだ」と書いてみたり、「しっかりやっておけば」を「しっかりやっとけば」と書いてみたり。あと、作文の中で自分の親を出す時に「お父さん」「お母さん」ってそのまま書いてしまう子も多いですね。敬語の授業の時に他人の前では「父」「母」にするんだよ、って言ったのになぁ。すごくビックリしたのは、一文目から突然、「私は~~~だからだ。」と理由を述べる文を書いていた時。インパクトはかなり強かったのですが(笑)一体何の理由なんだ…?といったように……作文が苦手な子の傾向としては、やはり国語が苦手です。とくに論説文。高校入試で出るような論説文は、とても論理が明快で、主張をつかむことはそれ程難しいことではないのですが、作文が苦手な子は本当に理解していないんだなぁと思うような答えを書きます。自分が親になったら、子どもにはたくさんの本を読ませたいな、と思っていました。私の親が気づけばそこに本がある…という環境で私を育ててくれたので、私も自分の子には同じようにしよう、と。だけど、それだけじゃなくて、自分の思っていることや考えたことを文章として書かせるようにもしようっと。この職業をしていて矛盾しているかもしれませんが、私は自分の子どもに「勉強ができて欲しい」とおそらく望まないと思うんです。だけど、自分の意見を誰かにわかってもらえない・誰かの意見を理解できない……というのでは、きっと子どもが困ると思うから。たかが作文ですが、実はどの教科よりも大切だなぁと痛感しています。
2005.10.17
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平日は連絡さえ取らない私と彼。だけど、昨日は「今日仕事が終わったら彼に電話する」と私は決めていました。自分の心が限界を迎えてしまったみたいでした。生徒と接する時以外、笑顔をウソでも作れなくなっている自分に気づいたんです。別に彼にすがるわけじゃない。ただ、たーくんと一緒にいると、自然と笑えるから……お風呂に入った時、「ふぁ~」と一気に疲れが吹っ飛ぶように、たーくんと一緒にいると疲れがどこかに飛んでいくような感覚があるから……驚いたことに、仕事が終わる20分くらい前、彼のほうからメールが来ていました。「仕事終わったらうちにくれば~」って。そして、彼に会った時、実は私の方から電話するつもりだったことを話すと、「やっぱり~?!なんかさー、ビビっときたんだよね。くるみがオレを呼んでるみたいな気がしてさ。」彼は笑ってそういいました。おぉ、すげぇ。素直にその一言(笑)そう、その不思議な「つながり体験」を実は私、夢でもしたみたいなんです。つい数日前、すごく嫌な夢を見ました。彼のおうちに行って、いつも通り彼の部屋のドアを開けると見たこともない女の人が下着姿で泣いていました。彼は、「オマエとやり直すことはない。帰ってくれ」と女の子を説得しているんです。その現場に私が遭遇して、私は無言でドアを閉め、彼の家を出ました。彼は私のあとを追ってきてくれましたが、私は1人にして、と家へ帰る。その後、彼から電話が来て、事の成り行きを聞くと、その女の子は元カノで、突然部屋にやってきて服を脱ぎ、「私ともう一度やり直そう」と泣き出したと言うんです。……私が覚えているのはそこまでなんですが、いつもは夢の内容なんて起きたら即忘れてしまうのに、この夢だけはやたらリアルに覚えていました。起きた時の不愉快さったら……考えただけでムカつく(苦笑)それを彼に話したら、「どんな女の子だった?」と聞かれたので、「私より明るい茶色の髪で、肩より10センチくらい長くて、体は細くて多分あたしよりちっちゃい子だと思う」と覚えている「元カノ」像を話したんです。そしたら、彼、ものすっごくビックリした様子。「ぶっちゃけ、その通りの女の子いたよ……」とΣ(- -ノ)ノ以前、彼が部屋を掃除している時に、女の子からの手紙を発見したって私の目の前に出したことがあったんですけど(普通ありえない行動だと思うけど 苦笑)、どうやら私の夢に出てきた元カノっていうのはその手紙の差出人らしい。その子は彼のことを好きだったけれど、彼の方が一方的に振ってしまったような形で別れたそうです。そんな彼女が私の夢に出てくるなんて……私は写真とかでも一切見たことないのに……こ、こわい……彼がその子と別れたのはもう4年くらい前のことで、きっとその子も新しい恋愛をしているのでしょうけれど、ひょっとしてまだ引きずっているのかなぁ……偶然の夢にしてはリアルすぎですよね(^^;)でも、私の夢の話を一通り聞いた後の彼の一言。「くるみはオレが浮気すると思ってんの?ほんとさー今までのオレじゃ考えられないんだけど、他の女とどうこうしたいって思わないよ。……オレはさ、くるみだけでいいのっ。」嬉しかった。そして、帰るころには、自然と笑顔になれている自分がいました。なんてノロケ話ですみません(苦笑)最近暗いくるみなので、どうかご勘弁(^^;)
2005.10.15
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仕事が終わると、毎日思うこと。「辞めようか、あと1年頑張ろうか……」楽しくないわけじゃない。生徒といる時は、つまり「先生」としている時は、楽しいって思う。やっぱこの仕事が好きなんだなぁって思う。だけど、生徒が来る前、生徒が帰った後、「本当にこのままこの会社にいていいのか…?」っていう自問自答を繰り返してしまう私。私の部署は表面上うまくいっているように見える。生徒人数も好調に伸びてきているし、先生同士も仲がいい。だけど、そのトップに立つ部長に対しては、誰一人として従いたいと思っていない。部下のやる気をすべてそぎ落とすような長時間の会議。いや、あれは会議というより彼の独壇場。時には不調な校舎を吊るし上げる場。授業の前にテンションをものすごく下げられる。部長はもともとカリスマ的存在の「先生」であったはず。私も彼をずっと苦手としていたけれど、「先生」としての部長は悔しいけどすごいって思ってた。ここまで生徒を惹きつける授業をできるなんてホントすごいなぁって。だけど、ここ1年、部長は授業を持つことを拒み始めた。それはそれで忙しいから仕方ないのかなぁ、って思う。でも、今の部長は生徒を1人の人間としてではなくて、「お金」として扱っているようにしか思えない。それが私にはどうしても受け入れられない。確かに私はある進学塾の社員。民間企業である以上、利益を追い求めるのは当然だってこともわかってる。そして今の私は、それに対してきちんと結果を出している。1年間を通しての最大の目標人数を上期だけで達成した……だけど、私は「会社員」としてよりも「先生」でありたいと思う。つまずきながら、自分の弱い気持ちにぶつかりながら、何度も何度も転んで、それでも自分の希望を叶えたい…そういう生徒の力に少しでもなりたいって思う。そんな些細な、先生として当たり前な願いを持ち続けることが難しい環境になってきてしまった。来年はますます「人数獲得」「利益」に厳しくなるみたい。正直、ものすっごく迷ってます。6:4くらいで辞めたいって気持ちのほうが強いかもしれません。だけど、今日、保護者の方と面談をした時にこんなことを言われました。「くるみ先生にアドバイスしてもらったってすごく喜んで帰って来たんですよ。受験が近づいてとっても焦っていたみたいだったのが、最近は前向きに頑張るようになったんですよ。うちの子は本当に先生が大好きみたいです。」「うちにはまだ下に2人いるので、先生、その時もよろしくお願いしますね。」涙が出そうになりました。辞めちゃいけない、私を必要としてくれる子が1人でも2人でもいるのなら、その子たちのために頑張りたい……そう思いました。だけどやっぱり迷ってます。「会社員」と「先生」の狭間で……
2005.10.13
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寿彦へ昨日車に乗っていて、突然寿彦のことを思い出した。突然って言うのはおかしいかもしれない。いつも私はあんたのことを想っている。だけど、心の表面に出てこないように自分でその思いを押さえつけてる。泣いちゃうんだよ。寿彦のこと考えると。こうしてキーボードを打っている今も…ホラもう危ない。涙が出そうだもん。寿彦が私の目の前からいなくなってもう8年。受け入れられない、って思いながら、私は毎日毎日普通に生きている。寿彦がいないっていう現実を受け入れている自分がいる。そしてそんな自分が本当に嫌い。今でも思う。あの病気が寿彦じゃなくて私に降りかかってくれば良かったのに…って。だけど、それは寿彦の辛さをわかっているふりして実際全然わかってないから思えることだっていうことも私はわかってる。自分の体が突然自由が利かなくなる。自分のしたいことが何もできなくなる。「治る」って言われながらも全然良くなっているように感じない。同じ血を分けた姉貴は、何一つ変わらず、学校に行き、バイトに行き、友達と遊びに行き、自由な生活をしている。「なんでオレだけ?」って思ってたよね。なんでオレだけこんなに辛い思いを、こんなに辛い治療をしなくちゃいけないんだ、って思ってたよね。だけど、そんな思いをあんたは一切ぶつけることなく、いつも笑顔を見せてくれた。私は正直言って怖かった。親に聞けない分、私に病気のことを聞いてくるんじゃないか…って。私にすべての思いをぶつけてくるんじゃないか…って。でも、寿彦は私にもそんな気持ち一度もぶつけてこなかった。全部自分ひとりの胸の中にしまってたんだね。あんたが亡くなった後お母さんが見つけたメモ。「オレは自分で自分のことがわからなくなるくらいなら、生きていたくない」本当は、自分がこの先どうなるのか、自分でなんとなくわかってたんだ…私はその時初めて寿彦が1人で不安な気持ちを抱えていたことを知って、お母さんの前で声を上げて泣きました。私は寿彦にどんないいことをしてあげられたんだろう。病気で思うように勉強が進まない寿彦の家庭教師をしながら、「なんでこんなのもわかんないんだよっ!」なんて暴言を吐いたこともあったよね。ホント、最低な姉貴だと思う……でも、どんなに後悔しても、どんなに謝りたくても、私は寿彦に二度と会うことができない。自分の弟に会いたい、って言うのはそんなに大きな願いなのかな…?どんなにどんなに願っても叶えられない、そんなに大きい願いなのかな…2人で好きな音楽の話をしたこと。2人で一緒にお母さんの実家に遊びに行ったこと。2人で大好きな野球の話をしたこと。好きな女の子のことでからかったりもしたっけね。・・そんなたわいもない思い出の一つ一つが絶対に消えちゃいけない宝物。本当ならもっともっと作るはずだったたくさんの思い出を作れなかったから、壊れないようにずっとずっと大切に持っている。本当に天国っていう場所があって、寿彦がいつも私たちのことを見ているのなら、どんな顔して見てるんだろう。笑ってる?笑ってくれてる?こんなふうにあんたを想って目を腫らすほど泣いてる私に怒ってる?泣くな、って。私はね、毎日大変だけど楽しく過ごしてるよ。毎日生徒達に囲まれて、「先生」って慕われて、仕事自体は精神的に辛いこともあるけれど、大好きなたーくんがいつもそばにいてくれて……だけどね、どうしても、「ここに寿彦がいればなぁ」「寿彦がいたらもっと楽しいのになぁ」って思っちゃうの。私のそばにいてほしい人なのに、ちっちゃい時からずっと一緒だったのに、いないんだもん。ごめん。寿彦は自分が望んで命を終わりにしたわけじゃないのに。生きたくて生きたくて……それを突然辞めなくちゃいけなくなったのに。一番辛いのは寿彦だよね。生まれ変わっても絶対、お父さんとお母さんの子どもで生まれてこようね。そして今度は途中でいなくならないで。私と寿彦とみやで飲みに行ったり、ドライブ行ったりしようね。***********************************************************************ふっと弟が亡くなったときのことを昨日車の中で思い出しました。車の中で涙が出そうになりました。弟に会いたくて会いたくて気が狂いそうになりました。そんな自分の気持ちを落ち着かせるために日記に弟への手紙を書きました。だけど、やっぱり会いたくて会いたくて仕方ないです。
2005.10.11
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彼に最後に会ったのは今週の月曜日。その日以来、電話どころかメールのひとつもしていない私たち。これが普通と言えば普通なんです。会える日だけしか連絡をとらないから。いつも私は彼の声が聞きたいなぁ、会いたいなぁ、そう思っていました。だけど、ここ最近の私は違ったんです。彼といると無性にイライラしてしまう時がある。一緒に眠る時も、いつものようにくっつくのがイヤで背中を向けて眠れない時間を過ごした。原因は…今の私の心に余裕が全くなくなっているからだと思います。本当に仕事が忙しくて、校舎はとても好調なのに上司には小さいことで小言を言われ、年上の部下になるパートナーの先生は1人で爆走中…子供達と接している時は楽しいけれど、そうでない時間はしんどいの一言でした。それを彼に少し話したんです。だけど、その返事は私の期待していたものではなかった。真剣に聞いてもらえなかった悲しさと悔しさでイライラしてしまったんだと思います。そんなマイナスベクトルの私は、どんどん悪い方向へ考えていく。彼と付き合って3年になろうとしているけれど、結婚が全然リアルに感じられない。ひょっとしてこの人は私と未来を作っていこうなんて実は思ってないのかもしれない…いつもと同じ彼の笑顔を見ても、私の心はそんなことを考えてしまうようになったんです。もう本当にイヤだった。そんな自分が。私のことを本当に必要としてくれている彼の気持ちを誰よりもよくわかっているはずなのに、その気持ちまで疑う自分が本当にイヤになった。そんな時、ふっと思い出した一通のメール。今年の7月、15歳で亡くなった弟の命日があったので、お墓参りに行ったんです。その日私はお墓の前で泣き崩れてしまいました。彼がそばにいたけれど、どうしても弟に会いたくて、だけどどうしても会えなくて、気が狂いそうになってきて、涙を抑えることができなくなった。彼は黙って私の後ろで私の気持ちが落ち着くまでそばにいてくれました。そしてその日、弟の命日っていうこともあって、離れて住んでいる父も来ていたのですが、私は父に会うことより彼と過ごす時間を優先してしまったんです。そのことで彼に叱られました。「家族は大事にしてくれ」と……だけど、私からすれば両親が離婚さえしなければ父もいつも一緒にいられるんだから、離婚した両親が悪い…と思っていました。今は大好きな父だけど、一時期抱いていた父を許せなかった気持ちが蘇ってきて、車の中でボロボロ泣いてしまったんです。1日に2回も彼の前で涙を見せてしまった、みっともない私。その次の日、私の気持ちをメールにして彼に送りました。メール不精の彼ですが、その日は珍しくすぐに返事が来て……「くるみは辛いことがたっくさんあったけれど、前のことよりこれからのこと考えてお互い生きていこう。昨日あげた指輪はオレの分身。いつだってそばにいるよ。」こうやって改めて文字にすると少し恥ずかしいメールだけど、本当に嬉しかった。そう、彼は私のそばにいつもいてくれたじゃない。そして誰よりも「くるみ先生」を応援してくれてるじゃない…イライラしていた気持ちがすーっと消えていきました。改めて彼に感謝しています。この人がいるから、私は毎日生き生きと「先生」って仕事頑張れるんだ。ありがとう。今とってもたーくんに会いたいよ。
2005.10.07
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久々の日記更新になります。「忙殺」っていう言葉があるけれど、正直今までの私は自分で授業の準備をしなくちゃいけなかったり、自分で休日まで生徒の補習を入れて出勤したり…すべて自分で「忙しい」状況を作っていました。今考えるとそれは「忙殺」じゃないなぁー…苦笑今の私は完璧に誰かから(って会社からに決まってますが…)忙しい状況を「これでもかぁっ!!」と言わんばかりに与えられています。♪もう疲れた 誰か助けてよという桜井さんの歌声が常に頭の中で流れてるくるみです(^^;)そんな私にも楽しみなことがあって☆今月末に北海道へ旅行に行ってきます(^-^)彼氏とではなく、家族とです。旅行の代金はすべて私が支払います。つまり、25歳になって、ある程度の収入をもらうことができてようやくできる「親孝行」ですね。うちの両親は、あまり経済力があるとはいえない人でしたが、それでも私のことを大学まで進学させてくれました。私の進みたい道をいつも全力で応援してくれました。そして今の私がいる。ありがたいってホント思います。この人たちの子どもで生まれてきて良かったって今は心底思います。きっと数年後は私も結婚してしまうだろうから、そうなってからではなかなか旅行になんて連れて行ってあげることはできないし、できるうちに親孝行したいっていうのが私の願いでした。たかが3泊4日の旅行ですが、両親の記憶に残るステキな旅をプレゼントしたいと思います。そのためなら…ホントにしんどいこの忙しい日々を乗り越えることもできるような気がする。がんばれ、くるみ。
2005.10.06
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