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話は先週の週末ですが.... 本人の希望によって次男坊が日本語学校に入学した へへへへ~~~ 話は夏休み.... 今年も楽しい夏休みを送った長男君と次男坊 今年は、おばあちゃんからお小遣いをもらって自分たちで欲しい物を探して自分たちで払うということも経験した うちの長男君は知っての通りまあまあ、日常会話まではいかないけれどとりあえずの日本語はOK (詳しくはこちら) だけど次男坊の場合は彼を入れることのできる日本のデイケアーのなかったし 私も彼が生後6週間からフルタイムで働いていたので彼に日本語で接する機会があまりなかった そのせいで彼はほとんど日本語を理解できない 普段はそれでも不便さは感じてないんだけど今回日本へ行って彼はとても悔しい思いをしたらしい だって、お兄ちゃんは日本語でおばあちゃんともいとこともそして店のお姉さんとも話ができるのに自分はできない... 回転寿司屋に行って ”すみませ~~ん、納豆ください、おねがいしま~す” はマスターしたんだけどそれ以外はちょっと... だけど、やっぱり子供の脳はスポンジというけれど2週間も日本にいるといろいろな単語をピックアップしていた それでもこの次男坊、なぜか長男くんに対してはほかの子に対してはないぐらいの競争心、闘争心を燃やしていて この夏も日本へ行ってとても自分が自分で歯がゆかったらしい 結局自分とおにいちゃんは同等だと思っているのでお兄ちゃんにできて自分にできないことがあるのがとっても悔しいらしい... そんなのしょうがないじゃん...って親は思うんだけど本人にしてみるとそうではないらしい そうして日本へ帰ってきてからしばらくしたら... ”ママ...僕日本語を覚えたい” ”えっ????今なんていった??” ”僕、日本語学校に行きたい” ”え~~~~~~~~” 私のほうがびっくりしてしまった...まさかうちの次男坊からそんな言葉が出るなんて.... そして...そういえば...お友達が、日本語を教える学校が8月25日から始まるって言っていたのを思い出した 本人がその気になっているのでこれはいいかんじ..... 早速、友達に連絡をしてインフォーメーションをもらって連絡した そして、先週の土曜日が最初に日だった 毎週土曜日、9時から11時半までの2時間半の授業あらかじめ、先生に言って、クラスは一学年下のクラスに入れてもらった 土曜日2時間半の授業でも彼は今現地校で9時から4時まで学校に行っているのでそれに比べたら天国だと思っているらしい よしよし....ふふふ... 一応親として、外から様子を見ていたんだけどなかなかよくやっていいるよう 授業が終わってから先生と話したときに先生は ”最初はあまりわからなかったみたいですが名前を書く練習を始めてからは一生懸命集中して練習してましたよ”って いいぞ~~いいぞ~~ そして本人に、学校が終わってから ”どうだった??”って聞いたら ”It's Not BAD" (まあまあだったよ)って よしよし!!! まあいつまで続くかわからないけれども本人がその気だから私もがんばろうっと だけど...うちから片道車で45分なんだけど.... がんばりま~~す@@
2007.08.30
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いつも帰国すると私の属している教会に何度か足を運ぶ その教会では毎月テーマ別にいろいろな教えをひも解いて勉強する会がある今回も母の勧めでその勉強会に行った そして母から、その勉強会にはCちゃんのお父さんさんとお母さんも来るって連絡があったって言われた Cちゃんというのは...私の幼なじみ 彼女とは幼稚園の年中組から一緒だった 彼女の家は大きな工場を経営していてそれも2-3箇所に工場があって毎日何十人もの人が彼女の家のバスで彼女の家の工場に働きに来ていた もちろん彼女の家も大きい家だった そのころの私は彼女のすべてがうらやましかった 大きい家に住み、自分の部屋を持ち私がお小遣いを月に300円もらっているときに彼女は 月1000円もらっていた いつもおしゃれな新しい洋服を着て彼女の周りにはいつもたくさんのとりまきがいたし彼女は小学校5年生で好きな子にチョコレートをあげるという結構ませた面もあったけど彼女はいつでもアメリカ流でいえば ポピュラーガールだった 私といえば、父の仕事の都合で父の働いている病院の用意してくれたアパートに毛が生えたようなところに住み 彼女のようにお小遣いもたくさんもらっているわけではなかったし それに休みごとに家族で旅行に行く彼女とは違いうちは、父は夏休みなんて続けてとることはなかったし(できなかったし) 家族でどこかに行く予定があっても父に急患があるとそれもおじゃん だから、毎年夏休み、冬休み、春休みはおばあちゃんのところへ行っていとこたちと遊ぶのが唯一楽しみだった 子供心に 何でうちはCちゃんの家みたいにお金持ちじゃないし大きい家にも住めないし旅行にもいけないんだろうっていつも思っていた それでも家が近かったので彼女とはいつも一緒に遊んだし彼女のお姉さんも一緒に遊んでくれたりもした それから中学に上がり私たち家族は父の仕事の都合でそこから引っ越すことになった 私たちはお互いを親友だと思っていたので別れは本当につらかった それから中学、高校と月日は流れ彼女ともお互いがお互いのことで忙しく疎遠にはなっていたものの 母同士も結構仲がよかったので彼女の噂は母からいろいろ聞いていた その話では、せっかく入った高校を何らかの理由で退学になりほかの高校に移ったとか... ちょっと悪い友達ができてかなりワイルドな生活を送っているとか.. そして、高校を卒業して私は東京の専門学校に彼女も、東京へと出てきていた 一回だけ、東京ので待ち合わせてあったことがある だけどそのときもCちゃんは昔とあまり変わらなかったんだけどやはり、ブランド物の洋服を着てブランド物のバッグを持ちそのとき六本木に遊びにいったんだけどお金の使い方が私とはぜんぜん違う その当時の私といえば6畳一間のアパートで学校に通いながら仕送りをもらい週に6日はアルバイトをするという貧乏学生生活 ついていけない.. 彼女はやっぱりお嬢さんなんだ...って思った それから彼女には会う機会がなかった 私は、その後、学校を卒業し、就職しそしてそのあとこうやってアメリカへと渡り何を間違ったかこうやってアメリカで暮らしているのだが 母からたまに聞く話では 彼女は19歳で駆け落ち同然で結婚し子供ができたんだけど、すぐに離婚 お姉さんを頼ってしばらくお姉さんのところにいたらしいんだけどシングルマザーはやはり経済的にも大変だったらしい そのうえ、生まれつきの障害があったらしく骨盤の状態があまりよくなく 普通に歩けない状態になってしまったらしいそして、日本のバブルがはじけた同じころ彼女の家の工場もその痛手を負って経営困難に陥り結局その工場を手放したらしい そして、そのお父さんお母さんはいま彼女のことをも東京から呼び戻し その近くのアパートでほそぼそと暮らしているらしい そしてその日、教会に行ったら久しぶりに見るおじさんとおばさんの顔が会った 私は、XXさんですよね....OOです.... といったら、はじめ向こうは気が付かなかったらしいが... 私だと気が付いてびっくり 30年ぶりの再会だった おじさんとおばさんはCちゃんのことをいろいろ話してくれたCちゃんがあなたに会いたがっていたわってもう何年も会ってないよねって 私はちょうど長男君と次男坊の写真を持っていたのでそれをおじさんとおばあさんに見せたらできればその写真をもらっていいかってCちゃんに見せてあげたいって そして、おじさんはおじさんの財布の中からCちゃんと彼女の娘さんが写っているプリクラをくれた 20年以上も会ってないんだけどそのプリクラのCちゃんにはやはり小さいころの面影があった 幼稚園のときから知っている彼女だけど本当に人生は何があるかわからない 小さいころは彼女がうらやましくてうらやましくてしょうがなかったけどそんな気持ちも今となっては小さいころのただのやきもちだった思っている(まあ、隣の芝生は青いということわざにもありますが...) いきなり会って20年の歳月が埋まるとは思えないけれどもっとおばあさんになる前にCちゃんに会いにいけたらなと思う そして、子供のころの思い出を話せたらな...とおもう きっと彼女もいろいろなことがあっただろうしいろいろな苦労もしてきたんだろうしね 私だって、こんなアメリカくんだりまでくるとは自分でも思っていなかったし そんないろんなこと昔に戻っておしゃべりできたらいいなって思う だけど、その前に... 痩せなきゃ.....
2007.08.25
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私らが帰る3日前にやっと仕事をどうにか終わらせた弟家族が青森にやってきた 私も弟も小さいころは春、夏、冬休みそのたびにおばあちゃんのところへ遊びに行ってそこで同じ年ごろのいとこたちと総勢7人 いつも走り回って、遊んで、一緒に寝て楽しい子供時代をすごした そんなこともあって、私と弟にとってはいとこはとても大切な人たち うちの子供たちと弟の子供たちをどうにかして毎年あわせてあげて一緒に遊ぶ機会を作ってあげようとがんばっている 去年はそれで弟が青森に来られないからといって私たちを東京に招待してくれてみんなで東京ディズニーランドに行ってきた そして今年弟は忙しい中、仕事を早めに終わらせてお盆前に青森に帰省したのだ 弟のところには 3歳と6歳の女の子がいるうちは6歳と11歳の男の子 ちょっとこの4人には複雑な人間関係が絡んでいる(ほんとうかな???) まず、6歳のTちゃんはうちの長男君が大~~好きやっぱりTちゃんは一番上だから自分よりも上の子が好きみたい だけど、Tちゃんはうちの次男坊とはちょっと張り合っているような感じがある やっぱり同じ年だからかな?? そして、3歳のMちゃんはとっても強くてドライな子でお姉ちゃんのTちゃんはいつもMちゃんに泣かされてしまう だけど、Mちゃんは次男坊のことが大好きでいつも次男坊の隣に座りたがる 次男坊もMちゃんのことはかわいいんだけど遊ぶにはちと物足りないのでやっぱり長男君のところに行って遊ぼうとするのだが ところが Tちゃんが長男君を放してくれない そこで、Tちゃんと次男坊のバトルが始まる... どこへ行っても誰が誰の隣に座るかでいつもひともめ.. そんなにたいしたことではないと大人の私たちは思うんだけど子供にしてみたら大問題らしい... ?????????? だけど、4人で夜にしいた布団の上でぎゃーぎゃーきゃっきゃっ遊んでいる姿を見ながら私と弟は、私らの小さいころの姿をそれに重ね合わせていた 私たちにもあんな時代あったんだよね~~~って昔を静かに思い懐かしむおじさんとおばさんがそこにはいたのだった...(だれのこと???) 来た次の日には、みんなで健康ランドへ行って、みんなでプールで泳いだ ここでもTちゃんは長男君のおしりを追い掛け回し次男坊は私と一緒にあそんだり しばらくすると今度は次男坊が長男君と遊びたいといって私がTちゃんと遊んだり そして食堂へ行ってご飯を食べるときにはTちゃん、長男君、次男坊、その隣が私そしてその向かいにはMちゃんと弟夫婦 長男君...もててます その次の日は雨が降って外にいけなかったのでみんなでボーリングをしに行った 小さい子達はフェンスのついたレーンでゲームをし大人たちの間には限りないバトルが繰り広げられた 弟とボーリングなんていったことなかったんだけど楽しかった 弟が結構ボーリングうまいなんてその日まで知らなかった そして、私は義妹ともとても仲がよいのでみんなで冗談を言い合ったりハイファイしたり... その後でアイスクリームを食べてゲームで遊んで楽しい一日が終わった そしてその日は母がちょっと出かける用事があるというので弟家族とまた回転寿司に行った 車2台でいったんだけどその帰りに Tちゃんが ”ね..ルークママ...Tちゃんルークママの車で一緒に家に帰ってもいい??” ”いいよ~~だけどねそうしたら、XXX(長男君)が前に乗ってTちゃんはOOO(次男坊)と後ろでもいいかな?” Tちゃん ”じゃあ...やめる...” なんだそりゃ~~~ Tちゃんはやっぱり長男君が大好きで長男君の隣に座りたかったのね 次男坊じゃ役不足...かわいそうな次男坊 そして次の日 彼らは私たちより一日遅く帰るため彼らが私たちを見送る側になった 母が私たちを車で空港まで送ってくれることになっていた 義妹に手をつながれながらMちゃんは ”ばいば~~い、またね~~~” さすがは、ドライな女の子 そしてかんじんのTちゃんは しく しく しく しく...しく しく しく しく... そこで、弟.. XXX(長男君)にもOOO(次男坊)にもまた来年会えるよそして、Mちゃんが小学校に行ったらXXXくんの家に遊びにいこうねって それを聞きながらTちゃん、まだしくしく... だけど、しくしくしながらもTちゃん、ばいばいって手を振っていた さてと...また来年、この子達と会えるように お金ためなくちゃ....これ本音 もててます...長男君...
2007.08.21
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孫たちの来るのを首を長~~~~くして待っていた私の母、おばあちゃん 去年からみたら子供たちもかなり成長していてびっくりしたって言っていた 今年はおばあちゃんといろいろな所へ行っておばあちゃんと一緒にいろいろなことをした うちの子供たちは結構日本食何でもOK, カツどん、冷むぎ、カレーライスマーボー豆腐、三色ご飯、炊き込みご飯チンジャオロース、ラーメン、うどんと、鰻などなどなどなど...なんでもかかって来い!ってかんじ おばあちゃんも子供たちが来ると普段一人であまりたくさん作らない分たっくさんおいしいものを作ってくれる 行った次に日に、おばあちゃんに一人3000円ずつお小遣いをもらって二人の懐はとってもあったかい いま、はまっているポケモンカードを買ったり近くのサンクスまで二人で歩いていってアイスクリームを買ってきたり そうかと思えば、おもちゃさんでずーっとさがしていたスターウォーズのキャラクターを見つけ大喜びで買うといって自分でお金を払って買ったり ここアメリカではちょっとできない体験もできて、本人たちはちょっと大人の気分 外にも何回か外食しに行った 一回近くの食堂(本当に食堂..レストランじゃない...)に行こうという事になった うちから歩いて5分ぐらいなんだけど歩道のないうちの前の道路を歩いていってそれから大きい通りをわたらなくてはいけない 長男君に ”おばあちゃんと手をつないでね、”って言って手をつながせた そうしたら、おばあちゃん ”や~~おばあちゃん、XXX君と手をつなげてうれしいな~~~おばあちゃん、とってもうれしいな~~~”って 次男坊の手を引きながら母と長男君の手をつないでいる姿を見ていたら もう、長男君のほうが背も高いしガタイもいいし、丸っきりの少年 長男君には日本へ行く前からおばあちゃんにやさしくしてあげなよ...って言っていた そのかいあってか彼はとってもおばあちゃんにはやさしくしている スーパーへ行ったときなんかは言わなくてもおばあちゃんの持っている重い買い物かごを持とうとしてくれるし 家に帰ってきても、大きな荷物は手伝ってくれようとする そのときもちょっと恥ずかしそうだったけどおばあちゃんと手をつないで一緒に歩いている長男君がいた きっと、母にしてみれば父となんて手をつないだことはなかったろうと思う彼女がそうやって誰かと手をつないだのはきっと長男君、次男坊が小さいときだったと思う その小さな赤ちゃんだった子が気が付くと自分の背丈を追い越し立派な少年に成長して自分と手をつないで歩いているのが母にとってはとっても頼もしかったんだろう 長男君と手をつないで歩く母は本当にうれしそうだった その後に一日夜にねぶたを見に行った日があった 行くときは、近くまでタクシーで行ったんだけど帰りは、タクシー捕まらないので4人でねぶたの運行場所から家まで歩いて帰ってきた 長男君と次男坊は大きなアイスクリームを片手にそれぞれ母と私と手をつなぎ、近くの川沿いを 4人でおしゃべりしながらぷらぷら歩いて帰ってきた 次男坊は口のまわりはアイスクリームだらけ長男君はそんな次男坊をからかいながらも 自分も口のまわりはアイスクリームだらけ 外は、ちょっと涼しい風が吹いていて空は満天の星空だった そのときも母は ”おばあちゃん、うれしいな~~XX君と手をつなげて嬉しいな~~”って 何回も言っていた 私にとってその30分はなんだかふんわかとしてしあわせな帰り道だった かえる前の日にいきなり次男坊が泣き出た あともう1週間日本に居たいって...とても悲しそうにしくしく泣き出した それをみていたおばあちゃんつたない英語で ”YOU COME BACK NEXT YEAR、I WAIT FOR YOU" それを聞きながらうなずく次男坊 私は心の中で ”あ~よかった...彼は今年も楽しい思い出がたくさんできたんだな”って思ったらなんだ嬉しかった さ~~来年はねぶた跳ねちゃおうかな??
2007.08.19
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日本へ帰って今年は母も連れてお出かけしてきた 浅虫水族館 普段見たこともないような魚や海の生き物に子供たちはとっても楽しそうだった ソフトクリームを食べながら評判のイルカショーを見た イルカかってすっごく頭がいいって聞いたことがあるけどそれよりも何よりもかわいかったわ 三内丸山遺跡 青森に出土された縄文時代住居跡をはじめとして数々の土器や石器などが出土された場所 縄文時代の住居を再現したものがあり実際に子供が中に入ってみることもできた そんなに子供たちには興味が沸かなかったかも知れないけれどここは私が一度は来たかったところ そして、隣の青森県立美術館へもよりこのときは中国旅順博物館展をしていたので子供たちを外でアイスクリームを食べさせて母とじっくり見て回った それから、定番の子供たちの好きなあおもり健康ランドここには大き流れるプールと3台の大きな滑り台があるので子供たちは日本へ来ると必ずここへ来たがる 今回も2回行ったさ 最初は母と一緒に、その次は弟の家族と 母といったときは一緒に初めて足のマッサージをしてもらった母は、年齢からして男の人に足をマッサージしてもらうのは気が引けるって言っていたけどせっかくだから話の種にと二人でしてもらった... 天国だった....ははは... なみおか道の駅 最近、あちらこちらでできている道の駅母がここのレストランの中華そばがおいしいというのでみんなで行って来たそのついでに、そこで売っている農家の人たちが作ったとりたて野菜を大量に買ってきた ここではその野菜すべてに作った人の写真と名前が書いてある きっとこの人たちがその日の朝に畑から取ったものをそこで売っているんだろう そこから買ってきたスイカのおいしかったこと...アメリカで売られている種無しスイカとはわけが違う黒々とした種がたくさん入っているんだけどとにかくみずみずしくて甘くておいしいとしかいえない それからびっくりしたのが、ここら辺でも有名な嶽きみ(岩木手山麓でとれるとうもろこしの名前) これを食べたらほかのとうもろこし...たべれない アメリカのスーパーで2本1ドルで売っているスイートコーンなんて話にならないよ~~~とにかく皮が柔らかくて甘くてこくのあるとうもろこしおいしくて3本も食べちゃった.. それから、去年は行けなかったので今年は行ったよ ねぶた祭り 長男君は、何年か前に跳ねたいというのではっぴを着せて子供ねぶたに跳ねに行ったことがあるし父が生きていたときには、必ず一日長男君をつれて見に行っていた 今年は、母と子供たちと見に行ってきた次男坊ははじめてみるねぶた すっごい迫力にあいた口がふさがってなかった 私はといえば、学生時代ずーっと跳ねていたのでやっぱりあの音を聞くと体がうずうずしちゃうね~~ 長男君も来年は跳ねたいって言ってた そうしたら、次男坊も来年跳ねたいって こりゃあ、来年ははっぴを2着買って子供ねぶたにでも繰り出そうかしら... それから、何回か外に食事にいったんだけど子供たちの大好きなのがこれまた 回転すし それも、から揚げとか、アイスクリームとかも食べれる庶民の回転すし うちの次男坊なんか日本語ぜんぜんしゃべれないくせに ”すみませ~~ん、納豆まきください、おねがいしま~~す” だけはきちんといえる様になった そんな毎日を送っていたから夜は こんな ↓ ↓ ↓ だけど楽しかった... まだまだ続きます...
2007.08.17
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去年は、息子たちの学校の関係で結構早くに日本へ行って結構早めに帰ってきたのでせっかくの一番青森の楽しい時期に居られなかったので 今年は、もちろん楽しいお祭りの時期を狙って行ってきたさ.. 今年は父が居なくなってしまったのでちょっと寂しかったんだけど その分、母を私らの行くところにいろいろ連れ出して楽しいことたくさんしてきた 子供たちも一年ぶりの日本、あの子達にとってはやっぱり日本は天国だから私だってその期待を裏切らないように楽しい思いをさせてあげたかったんだよね 日本へ行って子供たちにせがまれて一番最初に買ったもの... なぁんだ??? これ ↓ ↓ ↓ そう...虫取りの網と虫かご... おまけに、むしめがね アメリカに居るとなかなかそんなものお目にかかったことないんだけど ここは超ど田舎の青森市(でもうちの周りは結構都会だよ...) ちょっと郊外に出ると、ちょうちょやとんぼががんがん飛んでいるのそれを虫取りの網で追いかけている小学生が何人もいて楽しそうに見えたんだろうね きっと彼らは、小学校の自由研究かなんかで虫取りをしていたんだろうけど うちの子供たちは自分たちで昆虫を取って観察しようと決めたみたい だけど、こんなことをしている勘違いの人も居ますが... そんな彼らをつれて何箇所か自然の多い公園に連れて行ってあげた 本当に山の近くの公園で結局、長男君はカミキリムシと、水とんぼを そして、次男坊は大きなとんぼを捕まえて大喜び 二人がそれぞれに虫かごに入れておばあちゃんにもらったスイカの皮を入れて(とんぼってスイカ食べるんですか??) 毎日毎日虫めがねで観察 結構、楽しかったみたい 私らが子供のときはよくやったけれども うちの子供たちもこうやって普段経験できないことができて少しは勉強になったのかな??? だけど、あの後 あのとんぼたちはどうなったんだろう???
2007.08.16
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おととい、日本から帰国しました 今回は約2週間余りの滞在 もちろん、子供たちをつれて旦那は留守番... その間子供たちと母と一緒にいろいろなところへ行ったんだけど今はまだ、なんだか時差ぼけでぼーっとしているのでそれはこれからアップしていきます その時差ぼけに加えてなぜか昨日の朝からうちの次男坊が微熱を出し薬で下げてはいるんだけどそれでもまたあがってくるの 昨日の夜も100Fあって心配だから次男坊の部屋の床に布団のカバーをしいて寝ていたら 次男坊もあまりよく眠れなかったのか何回もおきて水を飲んだり寝返りをしたりと おかげで私もあまりよく眠れない夜をすごしたので今日も眠いんです ああ...ねむい... そして今回の滞在では、父が亡くなったときに、母はもうコンピューターをつかう人がいないからインターネットの一式をキャンセルしてくれといわれそうしたんだけど おかげで日本へ帰ってもネットのない生活...まあ、それもたまにはいいんだけど 旦那が今回は子供たちと長い滞在だから無線LANの入っているラップトップのコンピューターを持たせてくれて ”これで、滞在中の写真とか送ってよ”って それはいいんだけど、旦那がきちんとセットしなかったおかげでそのコンピューターは使えずじまい 飛行機でも預けることはできなかったのでひたすら持ち歩き だけどこれも結構重いものですっかり肩もこってしまって だけど、せっかく善意でしてくれた旦那にはぎゃーぎゃー文句を言うわけにもいかず ただ、重い思いして持って行って返ってきたラップトップだった この2週間コンピューターにも触れずなんだか自分が世間から取り残されたような気がしないでもなかったけど そのうえ、友達には ’あまり更新がないからどこへ雲隠れしているのかと思った”といわれてしまった だけどその分、母ともおしゃべりをし子供たちとも一緒の時間をすごせたのでよしとしないとね というわけで、写真はこの次ね... というわけで.... ああ...また眠気が襲ってきた...
2007.08.12
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