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父が急逝してからもうすぐ1年 妹のときは一年過ぎると気持ち的にとても楽になったのを覚えている だから、今回も一年過ぎたらきっともっともっと気持ちが楽になればな..って思っている 時間が悲しみを癒してくれるっていうのは本当のことで 毎日毎日薄紙をはがすようにちょっとずつ気持ちが楽になってきているけど それでもなんかのきっかけで父のことを思い出し突然涙がとりとめもなく溢れ出すこともまだある 車の運転中に 思い出すこともあって涙で前が見えなくなるときもある それもしょうがないと思う きっとこの空虚感はいつまでたっても完全に癒えることはないだろう そんな中で2冊の本に出会った 一冊は弟の勧めで読んだ本 古代霊は語る - シルバーバーチの霊訓 それと、今日本でとても支持されている 江原啓之の 天国への手紙 という2冊の本 ちょっと最初は躊躇してしまったけれどとっても癒される本でだった 作者も書かれた国も違うけれどもこの2冊の本は私たちが死んだ後の世界のことをやさしくひもといて書いてある そしてその内容は私の教会の教えと同じそして、この2冊も内容はほとんど同じコンセプトだ これを読んで、それを拒絶する人も入るし否定する人もいるだろうけれども私は素直に受け入れることができた この2冊は読んでみる価値はあると思う そんな中でこの春に義両親がカリフォルニアからオクラホマへの引越しの合間にここコロラドへよった時に 義母はうちの旦那に ”お父さんは最近お酒の量も多いし タバコもやめられないし 血圧もコレステロールも高いし きっとあまり長生きはできないだろう” って言っていたらしい そうしていたら こういうことがあって その後で、私と旦那が話していたんだけど もし今、義父が亡くなったら彼はどういうイメージを周りの人に残して逝くんだろう...って きっと、私の中には酔っ払って、酔うと周りの人たちにあたる意地悪な人というイメージが大きいだろうなって思う うちの旦那も自分の中のお父さんはアル中で意地悪のイメージが強いな...って 彼もいつも ”I Want to be someboday"(自分はみんなにすごいって思われる人になりたい) って言うのが彼の口癖なんだけどそんな毎日お酒ばかり飲んで周りの人につっかかってばかりじゃそんなイメージしか周りの人に植えつけられないよねっていう二人の意見 私は幸いなことに父が死んでからも父と交友のあった人たちから ”彼は声はでかいし、厳しい人だったけど根に持たない人だったからとても付き合いやすい人だった”とか ”時には説教されることもあったけれど困ったときには一生懸命世話をしてくれて冗談ばかり言う人だった”とか そして今でも毎月の命日には父の好物を持って家に寄ってくれる人や 父に世話になったからといって独りになった母をサポートしてくれている人も何人かいる そんなことを考えたら へんな話、人は死んでしまったらその人のイメージはもう2度と変えることはできないし周りの人たちの頭の中にあるその人はずーっとその人のままなんだよね...って思ったら もし今私がこの場からいなくなったらどれだけの人が悲しんでくれるのか そして、私はその人たちの中にどんなイメージを植えつけて逝くのかなって思った うちの義父ではないけれどもしいなくなった後でも ”あの人は意地悪な人だったな...” とか ”あの人って口を開けばいつも文句ばかり言ってたよね” なんて思われたらちょっと悲しいよね だってそのイメージは一生消えることはないのだから 私も、毎日子供たちを叱ってばかり私が今いなくなったら子供たちの心の中には僕のママはいつも怒鳴ってばっかりのママだったなんて思われたら悲しいな 昔、長男君が小さいころに(2歳ぐらいのとき)デイケアーで母の日にカードを作ってくれた そのカードにはまま...そうじき....たまご... と書いてあった 先生に聞いたら、うちの長男くんにママはどういうまま?って聞いたら そうじき...たまご って言ったらしい 2才児のママのイメージはそうじきと卵だったようで....???? いずれにしてもその人にまつわるイメージってなかなか変わることはないと思う 毎日の生活の中でやっぱり周りの人と仲良くして幸せな生活ができるように努力することって大切なことなんだと思う そして、私はいつも笑顔でいたなら周りの人たちをも幸せな気持ちにさせてあげられると思うし もし私がいなくなるときにはうちの旦那とか子供たちの心の中にもいつも笑顔で元気な私の姿が残っていればいいなって思う そして...旦那と息子たちにはいつもいつも ”I LOVE YOU” って言ってあげたいと思う そしたらいつのときでも彼らは私が彼らをとっても愛していたんだって思い出してくれるから
2007.09.24
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今日、夕食の支度をしていてあと10分ほどでそれができるので外で遊んでいる子供たちに ’もう、ごはんの時間だから家に入りなさい”って言いに行った そのとき、近くにすむ男の子が竹の長いような棒を持って振り回していたのがみえてあぶないな~~誰も怪我をしなきゃいいなと思って家に入ってきた それから5分ほどしてから外から”ぎゃ~~~~”という叫び声が聞えた次男坊の声だってすぐわかったのですぐに外に出て行ったら どうやら次男坊はその男の子が振り回した竹の棒で指の先を叩かれたらしいすごい勢いで泣いていたので家に連れてきた 次男坊の手は傷もついていないし血も出ていなかったただ先っちょで叩かれたので痛かったらしい それからすぐ手をあらわせて食事をするのにいすに座っていたらベースメントから旦那の登場 ”XXX(次男坊)、すっごい叫び声だったけど何があったんだ”って聞いていた 長男君もその場にいたので彼がその状況を私たちに話し始めた Gくん(近くの男の子、竹の棒を持っていた子)が僕たちのフットボールをとって返してくれなかったんだそしてGくんは持っていた竹の棒を振り回していてそのボールのそばには危なっかしくて近くに寄れなかったんだ 向かいのJさんが外に出てきてGくんにその棒は危ないから気をつけろって言ったんだけどGくんはやめなくって そうしたら、T君がGくんからフットボールを取ろうと思って近ずいて行ったときにGくんがまたその竹の棒を振り回してたまたま近くにいた次男坊の手を叩いたんだって それを聞いた旦那、私に ”お前Gくんに注意したのか?”って 私は ”してないよ...知らなかったもの”って そうしたら家の旦那、俺が注意してくるって言って外へ出て行った そのGくんというのは年は8歳なんだけれど体は大きく私から見てもちょっと暴力的なところがあってそれに、いつもおもちゃのナイフだとか、ライフルだとか刀だとか、大きなアーチェリーの弓矢だとかそんなものばっかり外へ持ってきて遊んでいる そして、その武器を使ってほかの子供たちを追いかけてからかったり怖い思いをさせたりしているのも知っていたので 旦那も今回は言った方がよいと思ったんだと思う Gくんの家の前にはその竹の棒を持ったGくんとGくんおお母さんが立っていたらしい 幸いなことに、Gくんのお母さんは旦那の警告を素直に聞き入れてくれGくんに注意しておくって言っていた 家の旦那は自分の子供でも他人の子供でも良くないと思ったことは注意する性質である たまに、あまりにも正義感が強すぎて大丈夫かなって思うこともあるんだけれど... スキーに行って、リフト待ちをしているときにも子供たちにこうやってかわり順番に列に入って行くんだって教えているときに誰かほかの人がずるをして入って来ようものなら ”ちゃんと順番を守れ、お前は何歳なんだ?ちゃんと順番は守らなくちゃだめだ”ってきちんと注意するし ウォーターパークに行って並んでいるときにすっごく太ったおばちゃんが子供連れで列を割り込んで横はいりをしようとしたときだって ちゃんと列の後ろに並んでくれみんな待っているんだからっていくらおばさんに”You don't tell me what to do"といわれようがくじけない だからこの前のTくん事件のときも(詳しくはこちら)外へ行ってTくんと話しに行った 私は典型的な日本人なのかそういうことがあっても黙って見過ごすことが多かったんだけど アメリカ人は結構、自分の子供他人の子供関係なく注意するべきところは注意し褒めるべきところは褒めてあげるし危険なときには危ないからって言ってあげる親が多いような気がする 去年、うちの次男坊のキンダーのクラスのボランテイアーをしていたときに最初は躊躇していたんだけどやっぱり注意しなければならない子には注意しなくてはいけない状況が何度かあり それで私も少しは慣れてきたのかも知れないけど 私も最近は自分の子供他人の子供関係なく危ないときには危ないというべきだし注意しなければいけない時には注意するべきだと思っている それって本当はすっごく勇気のいることなんだけれどもし、うちの子供たちが何か危ないことをしていたらそれを見ていた人たちにはきちんと注意してほしいしそれは、子供たちを怪我や事故から守る一番良い方法だと思うし それにみんなで住んでいる場所ではそれなりのルールだって必要だから大人としてわかっていない子にはきちんと言ってあげることも大切だと思う 私はそれほど家の旦那のように正義感も強くないし、結構すべてのことをなーなーで済ませることも多いんだけど きちんと言わなければいけないときにはきちんと言えることのできる根性を養っておかないとなあ..って思う こういうことがあるからあんたはアメリカに行ってからとっても強くなたってみんなにいわれるのかも知れないな だけど、特にこのアメリカで生活するうえではこれはとっても大切なことだと思うだからがんばってそんな勇気持ちたいと思う ははは...
2007.09.17
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そうなんですぷんぷん怒ってます...その2があったんです(その1はこちらをどうぞ) 結局、義弟と会ったのはあの金曜日の朝の2分間の会話だけで そのボスと言う人には一度もお目にかからなかった だから、どういう人が私の家に2泊3日泊まっていたのか私は知らなかった 旦那と長男君は帰る日の朝にちょっと会ったみたいだけど... 今回怒っているのはもちろんまたこの義弟くんのこと 9月5日は長男君の12回目の誕生日だったそして、義弟たちがコロラドへ来たのはその次の日だった 長男君は私に ”ねえ~まま...Uncle E(義弟)は僕に誕生日覚えてるかな??プレゼントくれるかな”って何回も聞いていた 私は ”Uncle Eに言ってみなよあなたはまだ子供なんだし彼はあなたにとってアメリカでただ一人におじさんなんだしもし私が、XXちゃんやOOちゃん(私の姪っ子たち)に誕生日だからプレゼントちょうだい”って言われても ”ア~~そうだったね??忘れてた、ごめんね”って言って何かしてあげるよ Uncle Eも忘れていると思うから言ってもいいと思うよ ただ、今回は”ごめんよ...用意してなかったからその分、クリスマスに大きいのをあげるよ”とか ”ごめんよ、忘れてたよ...来年、2年分あげるよ”ってことになるかもしれないけどって言っておいた だって、いまこの義弟はちょっとお金に困っているらしい 3年前に、離婚する前は持ち家もあったし、夫婦で$150.000以上の収入があって夫婦二人でいい車に乗っていいレストランで食事をして着る物だって高いものばかり そして、ちょっとクレジットカードに借金が増えたなと思うと奥さんの両親がクリスマスプレゼントといってそのクレジットカードの借金を返してくれたり その奥さんの両親のご招待で家族で毎年旅行三昧していた それが、義弟が原因で3年前離婚に至ったのだがその後、子供の養育費だの、妻への生活費だの挙句の果てに、仕事場からも解雇されぷー太郎も何ヶ月かしていて だけどそのときには、その持ち家を売ったお金がごっそり手に入っていたからまたいつもの調子で遊び歩いていたら その癖がいまだに抜けない...車のランクを落とせないレストランも相変わらず高いところばかり行く着る物だってそのままいい物ばかりそんなことしてたら毎月の支出が毎月の収入より足が出て今はにっちもさっちもいかない状態らしい この夏には、うちの旦那にお金を貸してくれという打診があったようだがうちの旦那は 生活のレベルを落としてそれなりの生活を始めるという手助けになるのならいくらでもお金だって貸すけれど 今のままのレベルを変えないでただお金が要るというのならまた数ヵ月後には同じことだからお金はかせない といったら”それじゃあ、いらない”という会話があったらしい だから、今回長男君が義弟に言ってもきっと彼から帰ってくるのはそういう答えだろうなって思っていたけどそれでも、義弟の口から長男君に言ってもらうほうが良いだろうと思ってた 長男君も自分はもう12歳なのだからという、躊躇があったんだと思う いろいろ、言おうか言うまいか自分なりに考えていたらしいが ようやくの思いで義弟に言ったらしい そうしたら、彼から返ってきた言葉は”ふ~~ん、そうだったな...それで??あ~~そうだったのか..ん~ん、だから???” とのらりくらりとかわされて結局は、義弟は長男君に具体的には何の言葉もなかったらしい 長男君は、せっかく勇気を振り絞って言ったのに義弟に相手にされなかったのがショックだったらしい 後から ”Uncle Eはなんだか別人みたいなんだか僕たちのことぜんぜんもう気にかけてくれてないみたい今回だって、僕たちに会いたくなかったみたいだし僕の誕生日のことも無視してたし僕たちのこともう好きじゃないのかな”なんだか本当にかわいそうになった 旦那に言ったら、旦那も長男君が義弟に誕生日のことを言って義弟がのらりくらりと話をそらしているのを聞いてきて情けなかったらしい 私は義弟に対して長男君に何もあげなかったのに怒っているのではなくて 彼の話を聞いてあげなかったのに腹が立った私が彼に期待してたのは ”忙しくて忘れてたよ...ごめんこの埋め合わせはあとでするから”って、それだけの言葉だったのに 私と旦那はいつも彼の子供(子供たちのいとこにあたる子)に対してはできるだけのことをしているつもり そうでなくてもその子は両親が離婚してその上、私たちもカリフォルニアから去ってしまったのでかなり寂しい思いをしているらしいし その子は私たちにとってもたった一人の甥っ子よくしてあげたいと思う だけど、そんな気持ちは義弟にはないのかな???なんて思ったらなんだか悲しいような情けないような... だけど、自分たちの気持ちを他人に押し付けてもその人が私たちと同じ価値観を持っているとは限らないし ただ、今度こういうことが起こりそうになったらきっと私は事前に 守りの姿勢に入ってしまうだろうな だってそうやって無邪気な罪のない子供の心を何も考えないで傷つける大人が私は一番情けないと思うから たいしたことじゃないんだけど彼は、ホテル代も甥っ子の誕生日のプレゼントも買うお金はないのに朝の5時まで飲み歩くお金はあるんだなと思ったら本当にむかついたから... 今回は本当に二重のぷんぷんでした ごめんね、文句ばっかりで
2007.09.13
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私ちょっと怒ってます ことの始まりは.... 2週間ぐらい前に、旦那の弟から電話が来た この週にデンバーのコンベンションセンターで彼の仕事関係の展示会があってボスと一緒にデンバーに来るので二人を2日ほどうちに泊まらせてほしいって 旦那だって弟に会えるのはうれしいしうちの息子たちもおじさんに会えるのは嬉しい何せ、彼らはその義弟が大~~~好きだから彼らは結構その日を楽しみにして待っていた そして、先週の木曜日の夜6時ごろ彼から電話が来た 彼はもうその日にもうデンバーについているはず 彼は私に これから、ボスと夕食を食べに行ってそれから飲みにいくかもしれないからまた電話するって 私は、子供たちにおじさんは夕食を食べてから来るみたいだからちょっと遅くなるかも知れないから今日は早く寝たほうが良いよ...って言った そうしたら子供たちは ”え~~~会いたかったのに~~もう少し待っていい??もしかしたら来るかも知らないから”って だけど、結局二人とも疲れていたし次の日も学校だったので彼らを説得して普通に時間に寝かせた それから、2時間ぐらいして義弟からまた電話があって今夕食が終わって、これから飲みに行くからちょっと遅くなるかも?って 私は、じゃあ、ガラージの横のドアを開けておくから私たちが寝ていたらそこから入ってって言って電話を切った 旦那は結局12時過ぎまで待っていたみたいだけどその後、音沙汰も何もないのであきらめて布団に入った そうした酔っ払った義弟とそのボスがうちに来たのは夜中の12時半過ぎ.... 抜き足差し足で入ってきたようだ そして次の日.... 私は6時半に起き、長男は、7時過ぎに家を出て学校へ行き旦那は、7時半には会社へ行き9時ぐらいに次男坊を学校に送っていく時間になっても起きてきやしない 次男坊を送って帰ってきて仕事へ行く支度をしているとようやく義弟は起きてきた 彼は ”昨日はあんなに遅くなって悪かった...今日は少し早めに帰ってくる甥っ子たちにも会いたいし、”って ”じゃあ今夜ね、仕事いってくるわ”といって私はそのまま仕事へ出かけた その夜.... 子供たちは義弟がいつ来るかいつ来るかと待っていたそんな時電話が鳴った8時ごろだった 義弟は”これから夕食を食べてからまた飲みにいくかもしれないからまた遅くなるかも知れない”って言っているので 私は少しカチンと来て ”あなたね~~私らは明日8時には家を出るからもしあなたが甥っ子たちに会いたければ今日早く帰ってくるか明日早くおきて顔をお見たほうが良いわよ”って少しいやみっぽく言ってやった そして電話を切った後に子供たちには義弟はまだ夕食を食べていないからまた遅くなると思うから今日もあきらめたほうがいいかもしれないっていった もちろん、子供たちががっかり...せっかく今日こそはおじさんに会えると思って楽しみにしていたのに... 子供たちがかわいそうだった とっても寂しそうだったけど仕方がないので、そのままいつもどおりベッドに行かせた そして夜の11時私は次の日早いので先にベッドへ行ったけど旦那は義弟のことが心配でしばらく起きていたみたい そして夜中の2時過ぎ旦那がベッドに来たけどその時点でも義弟は帰っていなかった 旦那はそれから何回か起きて帰ってきているかどうか外を見に行っていた 彼として見れは、ただ飲みに行っているんだったら良いけれど事故でも起こしていたら...警察にDUIで捕まっていたら...そう思って心配していたらしい そして結局どろどろに酔っ払った彼らが帰ってきたのは朝の5時半 いいかげんにしろ~~~~@@@### そして次の朝もちろん義弟は私らが出る前には起きて来るはずもなく(注:私は次男坊の日本語学校があるので彼をつれて8時には家を出なければならなかった) 彼は結局この2泊3日の滞在中一回も次男坊には会わなかった 旦那の話では私たちが出かけた後11時過ぎに起きてきた彼らは結局そのまま朝ごはんを食べ空港へと向かったらしい 私は、本当にぷんぷん怒っている 仕事でデンバーに来ることだってあるだろうだけど、子供たちに会うつもりがないのなら会社の金でホテルぐらい取れって!!! そうしたら、子供たちには義弟は仕事でデンバーに来ているから今回は忙しいいから会えなくても仕方ないねって言えるけど うちに泊まりながら毎日飲み歩いて朝の5時半に帰ってくるなんて とんでもね~~~~~ もう絶対泊めてやらない、そんなんだったら~~ うちの旦那も一年に1回か2回しか会えない義弟なので会えるのを楽しみにしていたのに彼もとってもがっかりしていた 私は義弟だから別にそんなに思い入れはないけれど子供たちだけはがっかりさせないでほしかったなと思う 最初から、デンバーにパーティーをする気で来たのなら本当に今度からホテルに泊まってください うちに泊まるっていうからみんな会えるものだと思って楽しみに待っているのだから ぷん..ぷん..ぷん... 私、怒ってます...
2007.09.10
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去年4月にここコロラドに引っ越してきてから降って沸いたような専業主婦生活 最初はちょっと戸惑ったけどそれなりに、CURVESへ行き始めたり、次男坊の学校でボランテイアーをしたりしてたんだけど 去年は、次男坊はキンダーさん(幼稚園)だったから学校に行くのは一日3時間9時から12時まで だから、毎日3時間の私の自由時間はエクササイズとか、夕食の買い物とかであっという間に過ぎていたけれど 3週間前からここでは新学期が始まりその次男坊も ぴっかぴっかの1年生 それと同時に、学校のほうも朝9時から4時まで一日中 これって結構長い時間 その上、いまうちの旦那も家で仕事をしていてなんだかうちの旦那と24.7っていうのもなあ... だから、結構外でいろいろとウインドウショッピングなんてこともしたりしていたんだけど そうするとあまりにも時間がありすぎてなんだか使うつもりでもないお金を使う羽目になっちゃたり 友達からランチに誘われるとすぐ行ってしまうからこれまたいきなり予想外の出費 実は去年から、次男坊が1年生にあがったらパートタイムで仕事をしたいって思っていたの こうやってよく考えてみるとやっぱり自分の時間も大切だけど毎日ちょっとぐらい忙しいほうが自分にあっているのがわかってきた 去年まで二人の子供を抱えてフルタイムで仕事をしてきてそのストレスとか、会社でのストレスがあったりしたけど 私はやっぱり ”ああ忙しい....忙しい...”って言っているほうが性に合っているみたい だけど、去年一年間専業主婦をして初めて、次男坊の学校でボランテイアーをしたりしていたらやっぱり、子供は親が学校の教室にいるのはとってもうれしいらしい そして、学校が終わった後にいろいろなアクテイビティー(サッカーとか野球とか)にもつれて行ってあげられた そういうことは、残念ながら長男君が小さいときにはしてあげられなかった その罪悪感もあって、この生活は多少なりとも続けていきたい 幸いなことに、うちの旦那もここ数年は、フルタイムで仕事をしなくてもパートタイムでもしてくれたらそれだけで家計が助かるというありがたい言葉をもらい 狙っていたのは、学校のパートタイムの仕事 これだったら、 子供たちを学校に送って行ってから仕事に行き子供たちが帰ってくる前に家に帰ってこれる 子供たちが休みのときは休み夏休みも休み... だから、子供たちを放課後にデイケアーに入れる必要もないというわけ 去年までフルタイムで仕事をしていたときは1ヶ月の給料の大半がデイケアー代に消えていた 夏なんてモット大変...1日中だから一週間250ドルなんて払っていた(一人分) そう思っていたらポット出てきたのが小学校のカフェテリアのアシスタントの仕事 一日4時間、週5日 これしかないでしょう... この仕事は一応、カウンティーの職員ということになるのである程度の福利厚生もついてくる... 本当は事務とか学校の会計がやりたいんだけどこの職種はなかなか出てこないし、それにでても人気のある職なのでつくのは難しそう だからしばらく、この仕事をするつもり 前置きがとっても長くなったんだけどそれが 先週の木曜日からはじまった 忙しい...忙しい... 今日も、朝次男坊を送っていってそれから、仕事に行き終わったのが、3時 それからCURVESへ行きエクササイズをしてから、夕食の買い物に行き 次男坊を学校からピックアップしてからその足で次男坊のテコンドーのクラスへ連れて行き それから帰ってきてすぐに夕食の支度.... 一日中、座れなかった(車を運転しているときは除いて...) 忙しい...忙しい... うちの父もよく ”俺は鮫みたいにいつでも動いてないとだめなたちなんだよな~~” ってよく言っていたけれど 父は73歳のその日まで現役で仕事を5つ掛け持ちしてしてたぐらいの人だから きっと私も確実に父の血を引いているんだろうな さあ...明日も がんばるぞ~~ あ~~忙しい...忙しい...
2007.09.06
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このレイバーデイウィークエンドは知る人ぞ知る たちまゆ一家がコロラドへ視察旅行...(本当はただの友達に会いに旅行...) 8月30日の木曜日にテキサスからコロラドへ12時間のドライブ お疲れ様でした そして、木曜日はついたのが夜遅かったのでその日は素直に就寝 次の日金曜日から行動開始 まあ、詳しくは自称 ”パパラッツィーたちまゆ”さんの コロラド旅行記がきっと何日か後にアップになると思うのでそちらでお楽しみいただいたほうがよろしいかと.... まあ、私のポイントはうちの旦那、木曜日の夜からたちまゆさんの旦那とフットボールを見ながらビールを飲み始め 金曜日、仕事から帰ってからうちで友達を呼んでBBQをしたのでそれでまたビール 土曜日は旦那達の要望でFT COLLINSにあるビール工場を2件見学に行きまた昼間からビール それから、その夜はまた別の友達が ”たちまゆさんのためのお寿司屋さんごっこパーティー”を 開いてくれて 彼のガラージにはでっかいビールのケグが二個あってそこでまた夜中まで飲みまくり そして昨日は、別の友達の家に行ってまたBBQをしてそこでもまたビール三昧... そして昨日の夜はご近所さんたちと定例ポーカー大会がありそこでもまたビール 今日は旦那はさすがに休肝日といって近くのレックセンターへ行って水泳をした後にプールサイドで昼寝をしてアルコールを抜くつもりらしい だけど何日かうちの旦那はビール漬けだからちょっとやそっとじゃね~~ よく、何とかのアルコール漬けというのがあるけれどうちの旦那は本当に、体の中ビール漬けで肌をぴゅーと押すとビールがピュッとでてきそう 子供たちもこの何日間か普段は縁ない女の子たちが家にいて最初はちょっと戸惑ったものの 何時間かするとお互い慣れてきてうちの中を走り回って仲良く遊んでいた たちまゆさんともいろいろ話ができたし彼女の旦那さんもとてもよい方だったけどきっと彼も体の中もビールで漬けだろうなあ このレイバーデーウィークエンド、招待してくださったホストの皆様楽しかったです ありがとう そして、うちに来てくれた友達の皆さんまた集まろうね...雪のふる前に... そして、それらのパーティーで知り合ってお友達になった皆さん、 これからもよろしくね~~ と... 充実した今回のレイバーデーでした
2007.09.03
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