まいかのあーだこーだ
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NHK朝の連ドラ『ちりとてちん』。非常に高密度な内容ではあるのですが。いったいどれだけの内容を詰め込むつもりか知りませんが、先週までの徒然亭一門の物語は、さすがにちょっと展開が速すぎて、やや未消化な感は否めません。それとも、これはまだ次の展開の伏線なのでしょうか?草若師匠と小草若。父と息子の物語。なかなか、その物語の全体像をつかむのが難しかった。それは、わたしの理解するかぎり、こんな内容でした。3年前、妻が余命わずかだと知らされた草若師匠は、そのショックから高座にあがることができなくなり、逃げ出してしまいます。草若は「芸人」である前に「夫」だったわけです。いつも妻と一緒に演じてきた「愛宕山」を、妻のいない場所で演じるのは、あまりにも残酷すぎた。彼は天狗芸能から追放されたのではなく、「芸人」として生きていくことの限界を知り、天狗芸能から追放されるのをあらかじめ知りながら、みずからその道を絶ったのだといえます。天狗芸能から追放されるという事態は、徒然亭の弟子たちに大きなショックを与えますが、その数ヵ月後には、さらに志保の死というショックが積み重なります。しかし、草若は、「高座からの逃亡」と「妻の病気」とが無関係だったかのように装います。それは、かろうじて師匠として「虚勢を張り続ける」ためのものでした。また、亡くなった志保も、師匠がそうあることを望んだのでした。3年後、仏壇屋の菊江が、小草若に真相を明かします。あの日、じつは草若は病院に来ていた、ということ。そして、その彼が一門会の会場の前にも現れていたこと。 ☆ちなみに、 草若が、志保の余命について医師の宣告を受けていたかどうかは、 菊江も志保も知りえないことですので、 本来なら、あのイメージを回想シーンに入れるべきではないと思う。上の2つの事実を聞かされた小草若は、真実を悟ります。つまり、父=師匠は、「遊び人」であったがゆえに「芸人」の道を絶たれたのではなく、「夫」であったがゆえに「芸人」としての道を閉ざしたのだ、と。そして、それは天狗芸能に強いられたことというよりも、なかば草若みずからの選択だったのだ、と。ここで分からないのは、なぜ小草若も、他の弟子たちも、また天狗芸能も、「草若の逃亡」と、当時の「志保の病気」とに関連があると考えなかったのか?むしろ、それを考えるのが普通だと思うんだけど。のみならず、なぜ小草若は「父と愛人との関係」なんてことを疑ってしまったのか?草若自身がそのように偽ったのでしょうか?天狗芸能から追放され、さらには志保が亡くなるという事態の中、弟子たちが大きなショックを受けているのに、師匠だけがヘラヘラと「遊び人」を装い続けるなんて、いくらなんでも不謹慎だと思うし、そうでなければ、それ以前の草若が、よほど女たらしでふしだらな人間だったってことでしょうか。そして、もうひとつ、分からないことがあります。それは、「芸人」であることを放棄したはずの草若が、なぜふたたび高座に戻ろうという気持ちを取り戻せたのかってこと。これも、じつはスッキリとした理解ができない。彼は3年前、「夫」であることを捨ててまで「芸人」であることはできないと感じ、高座を捨てた。その彼が高座に復帰したのは、何らかの理由で「芸人」として生きていく自信を取り戻したからです。そして、そこには息子・小草若の存在があったと思う。けれど、なぜ草若が「芸人」として生きていく自信を取り戻したのか、その理由は、明確には理解できません。「夫」であることと「芸人」であることの矛盾に苦しんだ草若ですが、ここでは、「父」でもあり、また「芸人(師匠)」でもあるという生き方に、何かしら新たな希望を見い出せたからなのでしょうか?様々に解釈のしかたはできるけれど、あそこに描かれたエピソードだけで、一般の視聴者にそれを理解させるというのは、かなり困難があると思う。◇小草若はなぜ父を誤解したのか。◇そして草若はなぜ「芸人」としての自信を取り戻したのか。この2つが未消化だったために、わたしにとって、父子の和解のエピソードは、充分に共感しうるものにはなりませんでした。もっといえば、この父と息子は、「芸人」としての道、「家族」としての道、「遊び人」としての道、いったい何を選び、何を捨てたのか、それとも、それを両立させる道をどこかに見い出したのか、そのへんもよく分からない。このドラマは「伏線を回収することに長けている」と評されていますが、同時に、「出来事の背景にある描かれることのないエピソード」についても、考え抜かれたものでなければ綿密な脚本とはいえない。伏線だけでなく、描かれない背景についても、いずれはちゃんと落とし前をつけていってほしいです。ついでに言えば、最近の展開では、四草や草原など、弟子たちのキャラの変化もちょっと早すぎる気がする。
2007.11.21