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フジテレビのニュースによると、芦原さんがブログやXで投稿した条件や意向が日本テレビ側に伝わっていなかったという情報がある点について、小学館側に確認したところ「広報室として出したコメントとHPに出したコメント以上のことは答えることができない」との回答でした。https://news.yahoo.co.jp/articles/6ce0ad68b4582daee329fab93d99e911a37c6194…だそうです。なぜ芦原妃名子は、日テレ側のスタッフと対面しなかったのか。それは、小学館が「芦原妃名子を守ったから」ではなく、むしろ小学館と日テレが共謀して、原作者と脚本家を対面させないようにしていたから、…という疑いがもたれます。つまり、小学館は原作者の「代理人」の立場をよそおって、実際には原作者の意向をブロックしていた可能性がある。◇一部の短絡的な漫画ヲタは、「コナンを日テレから撤退させろ!」とか、「小学館は日テレと別れる英断を!」などと叫んでますが、小学館がそんな選択をするわけがありません。どう考えても、日テレと小学館はウィンウィンの関係であり、もっといえば共犯の関係にあるのです。たとえ青山剛昌がアニメをやめたいと言っても、日テレと小学館はアニメ制作をやめるはずがない。金づるなのだから!出版社を信用するのも大概にしろ!!ってこと。◇ドラえもんの同人誌問題のときに、小学館が「著作権の保護」を主張したのはなぜか?それは、藤子・F・不二雄の権利を守るためではなく、あくまでテレ朝と小学館の権利を守るためであり、そのためなら、作家個人の創造性など平気で踏みつぶすのです。あのとき、小学館の横田清や大亀哲郎は、さも藤子・F・不二雄の遺志を代弁するふりをしたけれど、実際は、たんに自社の利益を守ろうとしたにすぎない。故人の遺志を代弁できる根拠などどこにもないのだから。◇わたしは「小学館が悪い!」と言いたいのではなく、これはあくまで「構造的な問題だ」と言いたいのです。たとえば、ジブリの鈴木敏夫と宮崎駿の関係は、世間的にも "目に見える関係" ではあるけれど、あそこにも激しい緊張関係があります。鈴木敏夫は、予算を抑えて納期までに作品を完成させようとするし、メディアミックスにも非常に積極的です。それに対して、高畑勲や宮崎駿は、赤字になることも意に介さないし、納得いくまで制作に時間をかけようとするし、メディアミックスにもほとんど関心がありません。これは、どちらが正しいとか間違ってるとかではありません。経営者とクリエイターでは立場が違うということです。◇おそらく漫画家の人たちは、連載してくれた出版社に恩義があるだろうし、なるべく信頼関係を崩したくないだろうし、表立って批判もしにくいだろうし、敵対するのも憚られるだろうけれど、じつは、その信頼関係は、非常に脆いものだと思います。漫画家は ”身内” に裏切られる可能性がある。そのことを覚悟しなければなりません。ビジネスが大きくなればなるほど、原作者の思いは踏みにじられる可能性が高まるし、漫画やアニメが、日本の基幹産業として成長しているいま、今回のような問題にはいっそうの注意が必要です。漫画家の人たちは、出版社を過度に信頼しすぎることなく、不用意に依存しすぎることなく、自分たちで自分自身を守る術を考えなければなりません。
2024.01.31

日本テレビのコメントによれば、小学館が「原作代理人」だったようです。2023年10月期の日曜ドラマ『セクシー田中さん』につきまして日本テレビは映像化の提案に際し、原作代理人である小学館を通じて原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております。しかし、一般的に考えれば、原作者がドラマ化に後ろ向きだとしても、出版社のほうはドラマ化に積極的になるはずだし、原作者と出版社の利害というのは、はじめから相反している可能性があります。そうだとすれば、原作者は、出版社から実質的に裏切られる可能性が高い。実際のところ、原作者の意向をないがしろにしていたのは、脚本家でもなければ、テレビ局でもなく、出版社だったかもしれない…ということです。◇欧米では、原作が出版される段階で、原作者と出版社のあいだをエージェントが仲介し、印税や、映像化の際の条件などを、あらかじめ文書で取り決めているようです。https://ja.wikipedia.org/wiki/著作権エージェントそうでもしなければ、原作者の主導で映像化の話を進めるのは本質的に不可能です。原作者の意向を無視して、出版社が勝手にメディアミックスなどを進めることもありうる。そもそも利害が一致していないのなら、出版社に「代理」を委ねる仕組みそのものに無理があります。◇一方、テレビの職業脚本家は、テレビ局側の依頼で書いてるにすぎないのだし、そもそも、原作者の意向などをどれほど知らされるのかも、それに従うべき立場にあるのかどうかも、現時点ではよく分かっていません。むしろ、原作者がいちいち内容に口出ししたり、脚本そのものの差し替えを要求してくることに、脚本家の立場として不愉快を感じたとしても不思議はない。◇そのあたりの事情も不明な段階で、むやみに脚本家の人格叩きなどをしても意味がない。まして、脚本家がインスタの文章を書く際に、原作者に「さん」づけをすべきだったかどうかなど、どうでもいい問題まであげつらっても仕方ありません。スピッツを「さん」づけで呼べ!!…などと騒いでいた短絡的な連中と同様に、まったくもって生産性のない議論であって、かえって問題解決の妨げになっているにすぎない。
2024.01.30

芦原妃名子が亡くなってしまいました。海外の事例も含めて、こういうことって過去にあるんだろうか?遺書の内容も明らかになってないし、そもそも人となりなども知らないので、なんのコメントしようもありませんが、ネット上の議論やらなんやら、いろんなことの板挟みになって、追い詰められてしまったのかもしれないし、わたしの一昨日の記事も、あながち例外とは言いきれない。ちなみにアクセスが急増したのは昨日なので、一昨日のアクセスは300弱でした。◇あくまで一般論としてだけど、わたなべ志穂が一昨日、「ドラマ制作時、作者には味方はあまりに少ない」とツイートしてたのは、その通りなんだろうな、と思った。そして、それは、テレビ局や脚本家だけでなく、出版社も含めての話じゃないかと思います。改めてですが芦原先生はとてもリスクを持ち発言されたと思います。俳優さんを傷つけるのではないか、ドラマを楽しんだ方から非難されるのではないか、自分はこれ以上傷付くのか。ドラマ制作時作者には味方はあまりに少ない。勿論大事にして下さる現場もありますが多くは違うはず→— わたなべ志穂 (@nabeshiho_enjoy) January 27, 2024テレビ局や脚本家を攻撃してる自称原作ファンが、ほんとうに「原作者の味方」だったとは思えないし、出版社が「原作者の味方」だったとも言い切れないのです。百歩ゆずって、担当編集者は味方になっていたとしても、企業としての出版社は、むしろドラマ化や映画化に積極的なはずだし、なんなら原作者をなだめてでも、自社の作品をどんどん売り込んで、ドラマ化や映画化を推し進めるのが普通だと思う。もっといえば、なんらかの炎上騒動を仕掛けてでも、作品の知名度を上げようと考えるかもしれません。…そんな味方のいない孤独な状況の中で、原作者だけが板挟みになる危険があるのかな…と想像します。◇商業芸術の世界において、作者の意思がねじ曲げられるのは普通の話です。むしろ、作者の意思が完全に尊重されるなんてことは、ありえない話だと考えるべきでしょう。これはなにも、ドラマ化や映画化だけの話じゃなく、たとえば、雑誌に掲載する段階でも、編集者からひたすらダメ出しされたり、内容を改変させられたり、容赦なく連載を打ち切られたりすることは、日常茶飯的にあるはずなのだから。…同人誌などに書くなら別ですが、作品を「商品」として市場に出す以上、作者の意思が完全に尊重される世界などというのは、まったくもって理想論でしかありません。商業芸術の現場で仕事をしてるクリエイターなら、そんなことは百も承知だろうけど、あまりの理想と現実とのギャップに直面したり、それに抗おうと奮闘するあまり、かえって過酷な状況に疲弊してしまい、追い詰められるケースはあるんだろうな、と思う。◇ケースバイケースだとは思いますが、たとえば、筒井康隆なんかは、人気作の「時をかける少女」のことを、"金を稼ぐ少女だ" などと言って野放しにしてますよね。それに対して、自分の作品に対する責任感が強く、多くを背負いすぎてしまうクリエイターは、かえってリスクが大きいのかな…という気もする。そんな原作者をサポートするのは、一義的には出版社なのだと思うけど、もちろん何から何までサポートするのは不可能でしょう。とはいえ、商業主義とのバランスには慎重であるべきだし、作家を過度に追い詰めない配慮は必要になるでしょう。
2024.01.30

一週おくれですが、「アストリッドとラファエル4~文書係の事件録」第2話の《千夜一夜物語》を見ました。今回はイラン難民の話。このドラマを見てると、フランスは移民社会なのだなあと分かります。黒人や日本人も出てくるし、北米先住民が出てきたこともあるし、むしろ生粋のフランス人のほうが少ない気がする。◇今回の物語の背景について、いろいろ気になったので調べてみました。1.ジン&イフリート&シャフリヤール被害者は、シャフリヤールという別人を名乗っていました。これは「千夜一夜物語」の王の名前でもある。サーサーン朝のシャフリヤール王は、不貞を犯した妻と奴隷を殺したあと、若い娘を毎晩ひとりずつ殺したのですね。しかし、シェヘラザードが物語を話しはじめたので、その続きが気になった王は、娘殺しをやめたわけです。…ジンというのは、アラブ世界で信じられている精霊/魔物です。精神病などを「ジンが憑依した」と解釈するそうです。スーフィーの占い師や祈祷師は、ジンを操って病気の治療をしたりするらしい。ディズニーの「アラジン」ではジーニーとして登場します。イフリートも、このジンの一種で、魔法のランプから出てくるのもイフリートです。今回のドラマでは「火の精霊」と説明されてました。被害者は、まるでイフリートに焼き殺されたかのごとく、真っ黒焦げの死体で見つかったわけです。2.スーフィズム&コーヒー&セマー後述するように、被害者の正体は別人でしたが、本物のシャフリヤールはスーフィーの男性で、もともとはイラン南部の羊飼いだったらしい。じつはスーフィーは、アラビア語で羊毛を意味する「スーフ」に由来し、羊毛をまとった貧しい人々の意味だったようです。…スーフィズムというのは、イスラム教より古くから存在する、神秘主義的で実践性の強い原始宗教です。ドラマのなかでニコラ・ペラン警部は、「その実践主義が教義に合わず、イラン政府に迫害されてる」と話してました。…こういう原始宗教は世界中に存在しますよね。たとえば日本では、仏教が観念的なのに対して、神道のほうは、より実践的で神秘的です。仏教のなかでも、顕教より密教のほうが実践的かつ神秘的です。また、キリスト教の世界でも、原始的な神秘主義はグノーシスとして異端視される。… ドラマのなかで被害者の娘を名乗っていた女性は、トルコ人のコミュニティに加わっていて、くるくる回るダンスを踊ってました。これは、メヴレヴィー教団の旋回舞踊「セマー」ですが、やはりスーフィズムから生まれた宗教行為で、トランス状態になるまで回って神を体感するらしい。トルコ政府は、メヴレヴィー教団の活動を禁止してるものの、観光客向けの芸能として「セマー」を容認してるようです。…加害者のひとりであるタクシードライバーの女性は、乗客にコーヒーを提供してました。じつはコーヒーの文化も、イエメンのスーフィズムに発祥しています。瞑想や修行に取り組む際、食欲や睡眠欲に打ち克つために、覚醒作用のあるコーヒーが飲まれたのだそうです。3.イラン革命防衛隊と女性による反政府デモ今回のドラマの加害者たちは、イラン革命防衛隊から迫害を受けたり、家族や恋人を殺されたりした3人の女性でした。これはおそらく、2017~18年に起こったイラン反政府デモを題材にしてます。フランスでこの回が放送された前年の2022年にも、やはりイランで大きな反政府デモがありました。これらはおもに女性を中心としたデモであり、BBCなどの記事によると、多くの人が逮捕され、不当な裁判で死刑判決を受けたり、拷問を受けて不可解な死に方をしたり、行方不明になったりしているようです。https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64092881さらに、こちらには、スーフィーへの弾圧のことも書かれています。https://www.moj.go.jp/isa/content/001380819.pdf…ドラマのなかで、シャフリヤールを名乗っていた被害者は、かつて革命防衛隊に属していた男でした。ニコラの話によれば、イラン政権は、彼が反体制派に殺されたと思ってるが、実際は脱走していたので、微妙な立場にあった。誰かに正体を知られたら庇護を受けられなくなるし、もし国に戻れば、民衆にリンチされるか、反逆罪で処刑される運命だった。とのことです。民族心理学者のカウンセラーが、3人の女性に復讐殺人を教唆したのは、上記のようなイランの政治的混乱のなかで、被害を受けた女性たちの悲劇を知っていたからです。その背景を知らなければ、最後にラファエルが涙を流した理由も分からない。◇◇◇余談ですが、第1話のタイトルは「ドラゴンの目」でしたね。辰年だけに??! …と思ったけど、去年のフランスのドラマだから、たんなる偶然。シーズン4では、黒人のアルチュールが休職した代わりに、保険会社から警察に出戻ったノラが加わりました。頭も切れて、なかなかセクシーな美人だし、またもラファエルの恋敵が現れた感じです。でも、ラファエルも負けず劣らず、髪型をボブに変えて、前シーズンより女っぽくなった。アストリッドの腹違いの弟は、なんだか変わった男の子です。◇◇これまた余談だけど…Tverで年明けに、テレ朝「未解決の女~警視庁文書捜査官」を再配信してました。考えてみたら、あの設定はアストリッド&ラファエルに似てる!麻見和史の原作「警視庁文書捜査官」シリーズは、2015年にはじまってて、大森美香のドラマも2018年にはじまってるので、2019年にはじまったフランスのドラマよりも早い。波瑠&鈴木京香の立場は、アストリッド&ラファエルとは逆だけど、波瑠のキャラは、どことなくアストリッドに重なります。
2024.01.30

待春の病室祖母に巻くロッド ほっとするパーマのヒーター冬の朝 早いかな襟足すっきり春近し 先駆けて切り揃えし春待ちの朝 金に染め宙舞う一月勝ち儀式 就活の黒髪は艶失せて冬 髪の毛の挟まる雑誌四温かな 切りすぎた襟足触り日記買う1月25日のプレバト俳句。お題は「美容院」。◇アインシュタイン河井。待春の病室 祖母に巻くロッド74点の高評価で1位。「春待つ」「待春」は晩冬の季語です。AのB / CにD …の形ですが、4つの要素を過不足なく配置した描写で、季語に詩情や希望を託した句またがり。キスマイ横尾の対句より内容に手応えを感じます。◇君島十和子。先駆けて切り揃えし春待ちの朝あさ髪を切り揃えて春待ちの朝あした(添削後)原句は破調の字余り。まず何を切ったのかが分からないし、「春に先駆けて」も、季語の「春待ち」に重複してる。全体的に映像の具体性も乏しい。◇研ナオコ。早いかな 襟足すっきり 春近し襟足をすっきり 春近き鏡(添削後)中八の三段切れ。上五は描写ではなく作者の心情になってる。本来、切れ字の「かな」は下五に置くべきだけど、この句は詠嘆でなく疑問の終助詞を上五に置いてて、いまいち俳句の体裁になっていない。添削のほうは、句またがりにせずとも、襟足をそろえ鏡に春近しのような定型に収めるのも可能。◇梅沢富美男。髪の毛の挟まる雑誌 四温かな切り髪の挟まる雑誌 四温晴(添削後)まずは型の問題。下五に切れ字の「かな」を置く場合は、途中に切れを入れないのが基本だから、中七に切れを入れた時点で失敗してます。この期に及んで初歩的な理解が欠けている。たとえば、切り髪の雑誌に残る四温かなとすれば、この問題は解決します。内容面でいうと、そもそも美容院の場面と分かるかどうかが疑問。たんに自分の抜け毛を描いた不潔な状況とも見える。たとえ美容院の場面であっても、「知らない誰かの髪の毛が挟まってる」ってのは、個人的にネガティブで汚らしい印象しか受けない。せめて「誰の髪の毛か」が分かってれば、愛おしい気持ちが湧くこともあろうから、だいぶ印象が変わるのかもしれませんけど。たとえば、見開きに吾子の切り髪 四温晴のようにも出来ると思います。◇武尊。金に染め宙舞う一月 勝ち儀式金髪に変え一月のゴング待つ(添削後)原句は、抽象的な表現を駆使した結果、まったく意味不明な句になってしまった。さらに、中七で切った場合は、下五に季語を置くのが基本なので、型の面でも、ちょっと無理がある。◇柏木由紀。ほっとするパーマのヒーター 冬の朝ほのほのとパーマヒーター 冬の朝(添削後)中八ではあるものの、そこで切って下五に季語を置いた基本の型。ヒーターは冬の季語だし、作者も暖を取るためにパーマを当てたらしいけど、まあ、一般的にいえば、パーマヒーターは季語にならないのでしょう。添削では、「ほっとする」という心情表現を「ほのほのと」というヒーターの描写に代えてます。◇森口瑤子。就活の黒髪は艶失せて冬就活の黒髪木枯に束ぬ(添削後)面白い俳句ではあるし、これはこれで成立してると思うけど、助詞「は」を使う必然性は薄いので、ふつうに「の」で十分だろうと思う。そして、下五を「~して夏」とか「~して冬」と締めるのは、言うならば「愛なんていらねえぜ夏」的な感じで、ややキャッチコピー的な安易さを感じないでもなく、このスタイルを容認したら、どの季節の俳句も量産できてしまう懸念がある。かたや添削句のほうは、気持ちを奮い立たせてる感じがあって、原句よりもポジティブに改作された印象ですね。◇清水アナ。切りすぎた襟足触り日記買う季語は「日記買ふ」で年末です。これに対して「日記始」や「初日記」は新年の季語。たとえば、「襟足を気にしながら買う」とか、「襟足を押さえながら買う」とか、「襟足を隠しながら買う」ならまだしも、「襟足を触りながら買う」ってのは、やや違和感がある。つまり、持続的な動作ならともかく、「触る」のような瞬間的な動作は、買う行為とは同時になしえない気がします。…ってことで、切りすぎた襟足隠し日記買ふとしてみました。動詞の季語はなかなか扱いにくいですよね。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥ぎり凡族!!😂#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/x677qC9k0X— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) January 22, 2024▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.01.29
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わたしは去年の10月に、日テレ「セクシー田中さん」の最初の感想で、次のように書きました。日テレ「セクシー田中さん」面白い。もともと相沢友子の脚本って、正直、あまり信用してないのだけど、今作はかなり好感触。原作があるせいか、けっこう深みも感じます。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202310300000/もともと相沢友子が好きなわけでもないので、今回も、べつに彼女に味方する気はないのだけど、ただねえ…今回の件にかんしていえば、正直、どちらが悪いともいえない。なんなら個人的には、「相沢友子の書いた最終回が見たかったな…」って気持ちのほうが強い。ドラマの終盤はあきらかに尻すぼみだったから。◇いずれにせよ、こういう問題は、ドラマ化や映画化においては、つねにありうる話。プロデューサーも出版社もふくめ、あらかじめそれを弁えねばならないのだし、もし原作の改変を望まないのなら、最初から映像化を拒む以外にないでしょう。SNSなどでは、相沢友子への人格叩きのほうが優勢ですが、今回の件にかんしては、それに与する気になれません。一般に、経済的な力関係において、テレビ局のプロデューサーや脚本家のほうが、原作者や出版社よりも優位な立場にあるかもしれないし、その意味で、今回の問題はひとつの戒めにはなるでしょうが、今回の「セクシー田中さん」の場合は、けっしてスター俳優に依存した安易な企画ではなく、むしろ日テレにしちゃ意欲的で果敢な作品と思われただけに、かえってドラマ化の難しさを垣間見せられた感じ。◇ドラマ化・映画化・アニメ化によって、知名度や売り上げが増すことを期待する作家が多いなかで、芦原妃名子みたいに硬派な作家は稀有な存在だと思いますが、逆からいえば、今後、彼女の原作が映像化される見込みは薄くなりましたね。多くのプロデューサーは尻込みしてしまうだろうから。彼女の原作ファンの人たちも、むやみに映像化を望んだりはできなくなったでしょう。◇たぶん世間では、「ドラマや映画は原作に忠実であるべきだっ!」みたいな論調が強まるのでしょうね。しかし、はっきり言って、わたしの記憶するかぎり、原作に忠実に作られた映画やドラマで、名作と呼ばれるものはひとつも思い浮かびません。後世に「名作」として残ってる映像作品は、むしろ原作を大胆に脚色・改変したもののほうが多い。(もちろん駄作も多いだろうけど)なぜなら、自由な脚色が許されなければ、現場のクリエイティビティは十分に発揮されないからです。原作にリスペクトがあることと、たんに原作に忠実であることは、けっして同じではない。◇クリエイターである以上、原作者には原作者の思いがあり、脚本家には脚本家の思いがあろうし、それぞれに理念も信念もプライドもあるだろうから、それを調整すべきなのは、とりあえずプロデューサーや出版社だとしかいえない。◇◇まあ、ひとつの炎上商法として見れば、意外にウィンウィンだったりする気もしますが…。実際、小学館には、炎上商法の疑われる事例が過去に複数あるようだし。
2024.01.28

講談社のFRIDAYデジタルが、有村拓真なる人物の御用記事を掲載しています。偵察活動や道路啓開を行いながら…自衛隊を「被災地へ一気に派遣できなかったワケ」現場ルポ地震が発生した1月1日の夕刻に北海道の千歳基地より戦闘機2機が自衛隊による自主派遣として偵察活動を実施。その後16時45分に石川県知事より陸上自衛隊に災害派遣要請があり、即刻受理された。陸上自衛隊は各地の駐屯地からヘリコプター8機、同時に航空自衛隊も戦闘機などが7機、海上自衛隊も3機と合計18機の航空機が被災地上空で偵察活動を行った。筆者が現地入りした際、道路のあちこちが土砂崩れで寸断されており、遠回りを余儀なくされる場面が多々あった。だが、日に日に通れなかった道路が通れるようになり、昼夜を問わず自衛官らが重機などを使用して道路啓開に奮闘していた。次第に民間の建設会社に引き継がれて、別の土砂崩れ現場の復旧に移動する場面も多く見かけた。また、ヘリでの救助活動も連日行われており、着陸できる場所での救助は着陸するが、不可能な場合は上空から救助隊員が降下して救助者を吊り上げる手法でも行っていた。https://news.yahoo.co.jp/articles/6369826ca124c34eed9d1d8649e5351db1309951防衛省 or 自衛隊から得たらしき情報については、分単位の時刻と、具体的な数字を挙げていますが、それ以外の部分にかんしては、何日に取材したかすら書かれておらず、場所についての情報もまったく不明で、たんに自衛隊の一般的な救援活動を漠然と紹介しただけ。記事のタイトルは、「偵察活動や道路啓開を行いながら」…となっていますが、上空偵察と道路啓開をするのは当然の話で、そもそもそれがなければ救援できないのだから、べつに驚くことでも讃えるべきことでもありません。◇検証すべきは、「初動の72時間に、いつ、どこで、何をしたのか」なのだけれど、それについての具体的な内容は何も書かれていない。>> 筆者が現地入りした際…何日にどこへ入ったのでしょうか?>> 日に日に通れなかった道路が通れるようになり…日に日に道路が啓開されるのは当たり前。>> 次第に民間の建設会社に引き継がれて…そりゃそうでしょうが、いつ、どの区域がその段階に達したのか。>> 着陸できる場所での救助は着陸する…着陸できる場所に着陸するのは当たり前。>> 不可能な場合は上空から救助隊員が降下して…これも当たり前でしょう。そうするしかないんだから。さらに、>> ヘリコプター8機、>> 航空自衛隊も戦闘機などが7機、海上自衛隊も3機…にかんしても、いつから偵察活動に入ったか書かれていない。◇結局のところ、初動の72時間のあいだに、どんな部隊が、どれほどの規模で、いつ、どこで、何をしたのかはまったく不明であり、そもそも、記者が何日に現地入りしたのかも書かれておらず、道路復旧やヘリ救助の様子を、いつ、どこで見たのかもまったく書いていません。はっきりいえば、防衛省や自衛隊から得た情報だけで、わざわざ現地に行かずとも書ける内容の記事です。◇たんに防衛省の情報を垂れ流しているだけなのか、それ以上の具体的な内容を確認すらしていないのか、分かっていながら、あえて誤魔化しているのか。今後も、自衛隊の初動の件については、この程度の「ザル記事」しか出てこないのでしょうか??
2024.01.27

TBS「せかくら」を見てて驚くのは、日本のアニメ「セーラームーン」が、とんでもなく海外に浸透してるんだなあ…ってこと。街なかに設置したカラオケで、現地の女性が主題歌の「ムーンライト伝説」を歌うと、通行人が足を止めて、みんな懐かしそうに口ずさむ。メキシコでは、女の子にいちばん人気のあるテレビ番組だったらしく、ポルトガルでは、テレビ史上もっとも視聴者数の多かった番組だそうです。◇調べてみると、アニメ「美少女戦士セーラームーン」は、1993年にスペインとフランスで放送され、その後はロシア、韓国、フィリピン、中国、イタリア、さらに台湾、タイ、インドネシア、香港、そして北米へ広がり、最終的には「世界40ヶ国で放送されている」とのこと。2017年の世界フィギュアのときに、メドベージェワが「ムーンライト伝説」で踊ったときは、あくまで日本向けのファンサービスよね…などと思ったけど、案外、そうじゃなかったのかもしれません。彼女も本気でセーラームーンが好きだったらしい。◇英語のWikipediaによると、セーラームーンは、フェミニズムやガールパワーなどの面で、女性視聴者を力づけた作品と見なされてるようです。In western culture, Sailor Moon is sometimes associated with the feminist and Girl Power movements and with empowering its viewers, especially regarding the "credible, charismatic and independent" characterizations of the Sailor Guardians.実際、せかくらに出てきたメキシコやポルトガルの女性も、「セーラームーンは女の子にとっての夢だった」「セーラームーンの主題歌は女の子にとって大事な曲」と話してました。世界中の女子に与えた影響力の大きさからいうと、ジブリ作品をも上回ってた可能性がありますね。◇もともとセーラームーンは、武内直子の漫画「コードネームはセーラーV」を、東映の企画によってアニメ化したものです。それはいわば、・魔法少女路線・戦隊ヒーロー路線・セーラー服少女戦士路線を結びつけたところに生まれている。このうち、東映の魔女っ子シリーズというのは、1966年の「魔法使いサリー」にはじまっていて、東映のスーパー戦隊シリーズは、1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」にはじまります。https://ja.wikipedia.org/wiki/東映魔女っ子シリーズhttps://ja.wikipedia.org/wiki/スーパー戦隊シリーズ◇そして、東映のセーラー服少女戦士の路線は、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」(1981)にはじまり、斉藤由貴の「スケバン刑事」(1985)に受け継がれた、と考えるのが一般的でしょう。しかし、これについては、以前、音楽惑星さんと話したことがあるので、その部分をすこし抜粋しておきます。青字が音楽惑星さんで、赤字がわたしです。薬師丸ひろ子は、セーラー服を着て機関銃をぶっぱなしながら「快感…!」などと呟いてしまった。これが世間の度肝を抜いてパンドラの箱を開けたのです。これが1981年の出来事なのですね。赤川次郎の『セーラー服と機関銃』は78年の小説です。和田慎二の『スケバン刑事』の連載は75年にはじまっています。しかし、それらのイメージは、あくまでも小説や漫画の中にとどまっていて、お茶の間で共有されるようなものではなかったと思います。やっぱり実写のインパクトは強い。実写でいうと、72年にはじまる東映の「恐怖女子高校シリーズ」なんてのもありました。じつは、ここらへんが起点のひとつではあります。その前に日活の「黒猫ロックシリーズ」や東映の「女番長シリーズ」などがあり、それが若年化して不良女子高生のシリーズになっていたんですね。和田慎二の漫画よりも、チンピラ映画のほうが先にあった。もともと「スケバン」という用語も、71年の『女番長ブルース牝蜂の逆襲』という東映の成人映画にはじまってます。「セーラー服と機関銃」も東映の配給だし、「スケバン刑事」も東映のドラマだから、東映ヤクザ映画の流れを汲んでるのはまちがいない。http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-363.html#sailorもともと東映は、バイオレンスやエロティシズムなどの表現も、まったく臆することのない会社だし、幼女向けの魔女っ子シリーズにさえ、永井豪の「キューティーハニー」みたいに、けっこうエロティックな作品があったりします。そんな東映の作品に、とてもフェミニズム的な観点があったとは思えないし、むしろ少女を性的な商品とみなす発想のほうが、はるかに強かっただろうと想像できます。そもそも、「魔法使いサリー」の横山光輝も、「キューティーハニー」の永井豪も、「スケバン刑事」の和田慎二も、「セーラー服と機関銃」の赤川次郎も、ことごとく男性作家なのだから。◇英語のWikipediaによると、武内直子も、「東映のアニメは男性的な視点で作られている」との思いを抱いていたようです。Takeuchi later said because Toei's production staff were mostly male, she feels the anime has "a slight male perspective."しかし、制作側の意図がどうであれ、受け手側の少女たちは、「魔女っ子メグちゃん」や「セーラー服と機関銃」などを、女子を勇気づける作品と解釈した可能性はあるし、とりわけ「セーラームーン」の場合は、作者の武内直子が女性だったこともあり、なるべく男性的な視点を排除して、女子を中心とする市場にターゲットを絞ったようです。Although the audience for Sailor Moon is both male and female, Takeuchi does not use excessive fanservice for males, which would run the risk of alienating her female audience. それは端的にいえば、男性向けのエロティックな描写を控えたってことでしょう。そしていまや、東映の生んだ美少女アニメが、世界の「女性解放」を象徴する文化として共有されてる。それはちょっと不思議なことです。ムーンライト伝説。セーラームーン。この曲はメキシコの女の子にとってシンボル的な存在なの。子供のころアニメがはじまるとテレビの前で歌いながら踊ってたわ。メキシコの女の子が大事にしてる曲です。 https://t.co/GcHTERXm24 pic.twitter.com/KV1ZwUSe9S— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 25, 2024メキシコではセーラームーンは女の子にとって1番っていうくらい人気。#美少女戦士セーラームーン #SailorMoon #せかくら pic.twitter.com/cPV5J85krC— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 25, 2024セーラームーンで育ったようなものよ。セーラームーンがいちばん好き。セーラー服で戦うのが斬新だった。セーラームーン(1997放送)ポルトガルテレビ史上もっとも観ていた人が多い番組。記録は未だに抜かれていない。#美少女戦士セーラームーン #SailorMoon #せかくら pic.twitter.com/cfVq04zlPD— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) January 25, 2024◇余談ですが…主題歌の「ムーンライト伝説」の冒頭のメロディは、倍賞千恵子の「さよならはダンスの後に」のパクリなので、著作権使用料を一部分けることで和解してますね。◇…ちなみに、TBS「せかくら」のカラオケ企画は、機械採点でランキングをつけてるのだけど、あいかわらずカラオケの機械採点ってのは、人間の歌を譜面に押し込む発想で設計されてて、細かい節回しやリズムの揺らぎなどを許容せず、あろうことかプロのジャズ歌手に低い点をつけたりしてる。こういう機械採点は歌の多様性を殺しますよね。人を感動させる歌の何たるかをまったく理解してない。たとえば米国の黒人音楽なら、自由に節やリズムを変えて歌ったりするわけだから、こんなバカげた機械は絶対に作らないと思いますけど、もしかしたら、カラオケの設計をしてる日本の企業人は、「ボーカロイドの歌がいちばん上手い」とでも思ってるのでしょうか?
2024.01.26

能登半島地震。自衛隊の初動と逐次投入は妥当だったのか。その検証はまだこれから。ネトウヨ&軍事オタクの言い訳は、以下のとおり。・自衛隊の主任務は外敵からの防衛であって災害救助ではありません!・そもそも能登半島の周辺には大規模な自衛隊の拠点がありません!・そのうえ半島は陸路が限られるから逐次投入こそが妥当!・先に道路を復旧しなければ救助には入れません!・補給部隊も入らないと自己完結できないので隊員は数日で餓死します!・空き地やグラウンドは避難場所なのでヘリは着陸できません!・冬の北陸は風が強くて視界も悪いのでヘリを安全に飛ばせません!・初動はまったく遅くない!防衛相の会見ですでに結論は出ている!・ボクは地元の人間ですが、自衛隊の車両は列をなして現地に到着していて、とてもガンバってくれたし、ウチのお婆さんは手を合わして涙を流しながら隊員さんに感謝していました。本当です!これに対して、北陸信越ブロックの世論調査は、以下のとおり。政府対応遅い:61.8% 迅速:37.5%https://www.sankei.com/article/20240122-LXDU7HSA35KRFLLIOBRDBCLYPE/戦時中の報道についても同じですが、ミクロな次元での自軍の活躍と成功をいくら並べたところで、それは戦略や戦術全体の適否を判断する材料にはなりません。◇昨日のYahoo記事。奥山俊宏の見解は、以下のとおり。・道路を復旧して受け入れ態勢を整えてから人命救助…というのは順序が逆。・第1空挺団は、倒壊家屋の下敷き救出のための資機材の装備を充実させている。・第1空挺団は、ヘリを着陸させずにロープで降りるリペリングの資材をもつ。・初動の72時間だけでも、選抜した精強部隊を投入することは可能。・元旦の深夜26時ごろに、能登空港へのヘリの着陸は許可されている。・珠洲市の公園や輪島市のグラウンドにも大型のヘリは着陸している。・中部方面隊を軸に編成した防衛相・自衛隊の判断は「隊区主義」の弊害。・自衛隊法を改正し、災害派遣は「公助」でなく「行政義務」であると明示すべき。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/36e13ed9fb1564cd6a55379ca514e7a5ca2e40f4なお、第1空挺団は、1月7日に習志野で多国籍部隊との「降下訓練始め」を実施。震災そっちのけで千葉へ出向いた木原防衛相は、「同盟国・同志国との協力連携を内外に示すことは極めて重要」などと訓示。喫緊の災害救助よりも、恒例の軍事訓練を優先させた形です。https://www.asahi.com/articles/ASS175WFJS17UDCB009.htmlhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20240107/k10014312861000.html◇防衛省のタテマエは、以下のとおり。自衛隊の三大任務とは、①我が国の防衛 ②災害派遣 ③国際平和協力活動です。第1空挺団のタテマエは、以下のとおり。・あらゆる地形・気象下でも空挺作戦を遂行できます。・大規模震災などの困難な国家の危機に際し、迅速に空中機動し、身を挺してあらゆる任務を果たす精強部隊です。【北方積雪地訓練①】#第1空挺団 は、あらゆる地形・気象下でも空挺作戦を遂行するため、1月6日から北海道大演習場等において令和5年度北方積雪地訓練を実施中です。写真は、空挺降下及び総合訓練に向けた機能別訓練の様子です。#陸上自衛隊 #北海道 pic.twitter.com/WuQWqJEOgq— 陸上自衛隊 第1空挺団 (@jgsdf_1stAbnB) January 18, 2024◇いつもは威勢のいいことばかり言って、自国の軍事力を称賛しているネトウヨ&軍ヲタですが、今回ばかりはなぜか《出来ない理由》を並べ立て、「アマチュアは口出しするな!」「プロのことはプロにまかせろ!」「原発と自衛隊に対する批判はすべてデマだから封殺・弾圧せよ!」…などとわめいています。まるで「大本営発表だけを信じろ!」と怒鳴りつけ、あらゆる批評を弾圧した特高警察や憲兵隊みたいですが、彼らの言動を見ていると、日本が太平洋戦争で敗北した理由もはっきり分かります。なかには、原発や自衛隊のことを自分の妄想で擁護するあまり、かえって馬脚をさらしている愚か者も見かけますw
2024.01.25

NHKの100分de名著「シャーロック・ホームズSP」を見ました。わたしのお目当ては、1887年の「緋色の研究」(A Study in Scarlet)です。ホームズシリーズの第1作だけど、以前から、このタイトルの意味を知りたかったのよね。でも、残念ながら、それについての言及はなかった。◇フリッツ・ラングが、ジャン・ルノワールの映画「牝犬」をリメイクしたとき、かなり"イヤミス"っぽいフィルムノワールにアレンジして、タイトルも「緋色の街」(Scarlet Street)と改めたのだけど、 おそらく欧米では「スカーレット=緋色」というのが、ゴシックロマンス世界を象徴する共通イメージなのだと思う。そして、その元ネタは、たぶん米国のナサニエル・ホーソーンが書いた、1850年の「緋文字」(The Scarlet Letter)じゃないのかしら?…ってなことを、以前、シネマレビューのほうに書いたんだけど、https://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?SELECT=24063&TITLE_NO=15518#HITそれと同じことが、ホームズの第1作にもいえる気がする。◇スカーレット=緋色というのは、ナサニエル・ホーソーンの小説では、ピューリタンの社会が、姦通した女性の服に、その罪を刻印した際の「A」(=adulteress)の文字色です。かたやコナン・ドイルのホームズ第1作では、恋人を一夫多妻制だった初期モルモン教会に奪われた男が、血で壁に「RACHE 」(=復讐)と書いたときの色です。この小説の原題「A Study in Scarlet」は、日本では「緋色の研究」と訳されてきたけど、英語の「study」は仏語の「étude」と同義であり、絵画なら「習作」、音楽なら「練習曲」と訳す言葉なので、邦題を「緋のエチュード」としている訳もあります。コナン・ドイルとホームズにとっては、謎解きの対象となった米国のゴシックサスペンス事件が、いわば「緋色のエチュード」だったのかもしれません。◇そしてフリッツ・ラングの映画では、通りの名前が「Scarlet Street」なのです。原作の「牝犬(La Chienne)」は、パリのモンマルトルを舞台にしてますが、フリッツ・ラングの映画では、それをNYのグリニッジ・ヴィレッジに移してる。モノクロ映画だから分からないけど、グリニッジ・ヴィレッジは赤煉瓦の町だから、それにちなんで「Scarlet Street」としたのでしょう。(実際にそういう呼称があるかどうかは不明)◇思えば、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」が、ヒロインの名前をスカーレット(Scarlett O'Hara)にしたのも、南部ゴシック的な世界観を暗示してのことかもしれない。ちなみに、ナサニエル・ホーソーンの「緋文字」は、17世紀の北東部ニューイングランドの物語ですが、コナン・ドイルの「緋色の研究」は、19世紀、南北戦争前の西部ユタ州の物語で、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」は、19世紀、南北戦争下の南部ジョージア州の物語、…ってことになるかと思います。◇余談ですが、現在の日本では、あまり「緋色」という言葉を使いません。もともとは「火色」が転じたものらしく、すこし黄味がかった赤のことなのだけど、一見しただけでは、たんなる「赤」としか思えないし、せいぜいのところ「濃い橙色」とか、あるいは「赤味の濃いオレンジ」って感じです。そして、紛らわしいのはバイオレットとの区別なのよね。バイオレットは青紫/菫色のことだから、本来はスカーレットとまったく違うのだけど、日本では、桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」のせいで、セックス&バイオレンスからの語感的な連想があり、バイオレットのほうがどぎつい色と思われがちだし、かなり"赤寄り"に誤解されてる感じもある。松本隆の書いた歌詞は、《情熱の朱/哀愁の青》《ときめきの赤/吐息の青》と、赤と青の混じった色と言ってるだけですが、ジャケットデザインはあきらかに"赤寄り"の紫です。欧米人がスカーレットに託す暴力的なイメージは、日本人がバイオレットに抱くイメージに近い気がする。ちなみに、桑名正博の曲のタイトルは松本隆の発案ではなく、CMソングを依頼したカネボウ側の提案だったらしい。追記:▽こんな考察記事がありました!https://itukami.lampmate.jp/study-of-scarletコナン・ドイルの「緋色 /Scarlet」の由来として、ギリシャ神話由来、聖書由来などの説が紹介してあります。へええ~。▽こちらの論文によると、https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/841-73.pdfもともと日本の「緋色」には、明るい赤(スカーレット)&暗い赤(茜色や赤紫)の2系統があり、フランス語の「pourpre」の訳語にもなってるらしい。へええ~。
2024.01.24
去年の11月には由貴ちゃんの夢を見たけど、昨日は浜辺美波の夢でした。なんでこんな夢見るんだろう!やっぱり、けっこう長い夢だったので、あんまりよく覚えてないけど、はじめは買い物か何かしてた気がする。そのあと、映画の撮影現場へ見学に行くことになって、そこまで2人で歩きました。わたしが彼女のことを「みーちゃん」と言ったら、ちょっと嬉しそうだったwそして着いた場所は演劇の稽古場みたいなところで、映画の撮影といっても、学生サークルみたいな感じ。ってことは、わたしも浜辺美波も学生だったのかも。浜辺美波はその映画に出演するらしく、わたしは座って何か食べながら見物してたのだけど、ディレクター担当の若造がわたしを邪魔者扱いして、何やかや文句を言ってきたので、憤慨したわたしは、そいつをひっぱたいたりしてたwwでも、やっぱり浜辺美波は可愛くて、目が覚めた後はちょっとドキドキしましたねw
2024.01.23

もともとミクロス・ローザは好きだったけど、最近はYouTubeやサブスクでたくさん聴けるようになり、あらためてその魅力を認識しなおしてる。なぜか日本のWikipediaやクラシック系サイトでは、ハンガリー風の表記で「ロージャ・ミクローシュ」となってますね。◇一般的には「ベン・ハー」の音楽が有名ですが、わたしがとくに好きなのは、ヒッチコックの「白い恐怖」、フリッツ・ラングの「ムーンフリート」、ダグラス・サークの「愛する時と死する時」の音楽です。Alfred Hitchcock/Spellbound (冒頭がテルミンではじまる) Fritz Lang/Moonfleet Douglas Sirk/A Time to Love and a Time to Die 好きになった最初のきっかけは、30年くらい前に映画館で観た「ムーンフリート」。シネマスコープによる冒険絵巻でした。物語はよく覚えてないけど、ミクロス・ローザの血湧き肉躍る音楽が、ゴシックロマン的な冒険譚を否応なく盛り立てていた。◇ラフマニノフやレスピーギあたりと同じく、「遅れてきたロマン派」とも「擬古典主義」とも言えるけど、本家のロマン派より、もっとロマン主義的なのよね。まさに大迫力のスペクタクルにふさわしい作風。場面の転換にともなって、分裂症的に目まぐるしく変わっていく曲想にも、物語的なロマンティシズムを掻き立てられる。口ずさめるようなキャッチーなメロディも豊かで、ジェリー・ゴールドスミスやジョン・ウィリアムスが、ミクロス・ローザの弟子だってのも合点がいく。もともとはユダヤ系のハンガリー人ですが、土俗的な響きを大胆に打ち鳴らすところとか、そこはかとなく東欧的なエキゾチズムも感じられる。どこかしら日本の伊福部昭を思わせる面があるかも。◇わたしはコダーイやバルトークも好きだけど、同じハンガリー出身の作曲家として、彼らに並べるべき存在じゃないかと感じます。実際、映画音楽以外にも、バイオリン協奏曲などの純音楽を残してる。映画音楽にくらべれば、純音楽のほうが近代的かもしれません。ちなみにハンガリーでは、日本と同じようにファミリーネームが先に来るのだけど、Wikipediaなどの表記が、ハンガリー風に「ロージャ・ミクローシュ」と書くのは、米国ではなく、ハンガリーの作曲家と見なすがゆえ?それって、もしかして、「ヘンデルは英国人じゃなくドイツ人だ!」みたいなのと同じ理屈でしょうか??たしかに純音楽のほうでは、「Hungarian Serenade, Op. 25」(1945)のような作品もあったりするので、ハンガリーの作曲家と見なすのは妥当ともいえる。かたや英語のWikipediaのほうは、あくまで英語風に「Miklós Rózsa」の表記になってるのよね。◇その英語のWikipediaによると…母親はフランツ・リストの孫弟子にあたるピアニスト。やはり当初はブダペスト北部の民謡を収集したりして、コダーイやバルトークの後継者たろうとしてたようだけど、まもなく個人主義を抑圧する民族主義の危うさに気づき、一転してドイツ音楽のほうへ傾倒し、19才でライプツィヒ音楽院に入って作曲を学び、バッハゆかりの聖トーマス教会では合唱音楽を学んでる。しかし、純音楽の作曲家としては生計を立てられず、フランスで映画音楽を手掛けてた友人のオネゲルにならい、同じハンガリー出身の映画制作者アレクサンダー・コルダのために、ロンドンやハリウッドの映画界で作曲に従事する。ワーグナー風のライトモチーフをもちこむなどして、第二次大戦中の米国映画界で高い評価と成功を収め、戦後まもなく米国籍を取得し、後半生は米国で過ごしたようです。アカデミー賞には11度ノミネート。そして3度受賞。◇そこから考えると、祖国ハンガリーを捨ててドイツに学び、米国で生きることを選んだように見える。(ユダヤ人だったことも関係してるかもしれないけど)…とはいえ、音楽そのものは、やはりドイツ的とも米国的とも言い切れない何かがあって、そこはかとなく《ハンガリーっぽさ》を感じるのよね。ハンガリーのマジャール人の祖先は、コーカソイドじゃなくモンゴロイドだったらしく、ファミリーネームが先に来ることからも分かるように、言語的にもインド・ヨーロッパ語族とは別系統。ヨーロッパでは例外的なほどアジア・ユーラシア的で、かなり特殊な民族なのだといえます。ミクロス・ローザの音楽からも、しばしばアジア風の旋律が聞こえてくることがある。◇コダーイやバルトークは、いわば「近代の国民楽派」だと思いますが、チェコのヤナーチェクやマルティヌーも、米国のガーシュウィンやコープランドも、アルゼンチンのヒナステラも、ブラジルのヴィラ=ロボスも、同じように位置づけることが出来るし、わたしの好みも、そこらへんに集中している。そして個人的には、ミクロス・ローザもそこへ並べたい気がしてます。
2024.01.23

櫻井よしこによる「愛国主義教育」が物議を醸しています。以下が、櫻井よしこの1/19のツイート。「あなたは祖国のために戦えますか」。多くの若者がNOと答えるのが日本です。安全保障を教えてこなかったからです。元空将の織田邦男教授は麗澤大学で安全保障を教えています。100分の授業を14回、学生たちは見事に変わりました。そして、これを受けてか、1/22の読売新聞「編集手帳」は次のように書きました。〈愛国心〉自分の名声を輝かそうとする野心家なら誰でも、たいまつを近づけるとすぐに火がつくがらくた。米ジャーナリスト、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』(角川文庫)にある◆同じ言葉を、英国の文学者サミュエル・ジョンソンは〈悪党の最後の避難場所〉と喝破した。◆中国で今月、愛国主義教育法が施行された。つまり、愛国心を植えつける櫻井よしこの行為は、ほかならぬ中国共産党と同じである、ということ。若者たちを集めて「戦争に行きなさい」と教え諭す齢78才のおばあさん。たとえ頭がボケているとしても、あまりにグロテスクではないでしょうか。この世代の日本人は、ほんとうに不気味です。“祖国のために戦った若者たちは、戦友のために死んだ”これが表のメッセージである。しかし、言葉になっていないもう一つのメッセージを探すとすれば、次のようなものであるかもしれない。“戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから”クリント・イーストウッド https://t.co/uadHnIfIiT— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) January 22, 2024
2024.01.23

どこまでが猫でどこから毛布かな 冬晴のパリの街並み猫二匹 老猫のいびきは父似日向ぼこ 冬日向窓辺に毛布猫の夢 母を待つ今日も感謝の冬薔薇 吾に見えぬもの見えておる炬燵猫 可惜夜の猫の温みの布団かな1月18日のプレバト俳句。お題は「毛布の猫」。◇呂布カルマ。どこまでが猫でどこから毛布かな どこまでが猫でどこからが毛布(添削後)これが今週の1位。切れ字でなく、疑問の終助詞をそのまま使った、まるで小学生の子供みたいな俳句。俳句という文芸は、へたに概念的な大人の発想よりも、むしろ子供みたいな素朴な視点のほうが有利にはたらく、…という典型的な事例。とはいえ、俳句らしからぬ「かな」の用法や、助詞「で」の使用はいただけないので、わたしなら、どこまでが毛布か 猫はどこからかと直します。◇新木優子。冬晴のパリの街並み 猫二匹冬晴のパリの街並み 猫と吾と(添削後)句材はいたって凡庸だし、二句一章の取り合わせも近すぎるけど、俳句の形は出来てるので、平場なら「才能アリ」ってことでしょう。中七で切って、下五に季語以外のものを置いてますが、猫2匹が主役の存在感をもっていて、前段と後段の比重に偏りはないし、主役が冬晴れの風景を引き立ててるので、とくに季語を脇役に貶めてる感じもない。まあ、逆にいえば、それこそが「取り合わせが近い」ってことだけどw◇風間トオル。冬日向 窓辺に毛布 猫の夢日向なる窓辺に毛布 猫の夢(添削後)「冬日向」と「毛布」の季重なり。形式上は三段切れですが、「冬日向の窓辺に毛布があって猫が夢を見ている」という一句一章1カットの内容。句材も凡庸です。◇清水アナ。ガラス戸の喫茶 毛布の看板猫下6の字余り。風間トオルが住居の窓を描いたのに対して、こちらは喫茶店の入り口を描いてますが、おおむね同じような場面です。「ガラス戸の喫茶」とすべきか、「喫茶のガラス戸」とすべきかは迷うところ。また「喫茶」というのは、たしかに《喫茶店》の略としても使うけど、本来の意味は《茶を喫すること》なので、むしろ「カフェ」と書いたほうが正確です。さらに「毛布の猫」は、《毛布のような猫》との誤読もなくはないので、むしろ「毛布に猫」と書いたほうが誤読されない。…以上を踏まえて、カフェの硝子戸 毛布に看板猫とすれば17音に収まります。句材は凡庸なので、やはり平場なら「才能アリ」ってことでしょう。清水アナは過去にもっと良い句があったけどね。わたしと先生の評価はつねにあべこべなのです。/木曜、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥久しぶりの才能アリ!🎊#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/r0AZbB1JYx— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) January 15, 2024 ◇サルゴリラ児玉。老猫ろうびょうのいびきは父似 日向ぼこ奇しくも先週の水野真紀が、「君は私似 春間近」と詠んだばかり。助詞「は」を使ったところも、下五に季語を置いた形式まで同じですね。二句一章なので、季語「日向ぼこ」の主体は、猫ではなく作者自身ということになる。◇若村麻由美。母を待つ今日も感謝の冬薔薇ふゆそうび通院の母待つ庭の冬薔薇(添削後)通院の母待つ庭や 冬薔薇(添削後)兼題とは無関係な、凡人ワードの「母」を用いて、自分の内面を語ってしまった心情句ですが、その「感謝」の対象も、はたして母なのか、薔薇なのか、または自分の人生のすべてなのか分からない。一般に季語の「冬薔薇」は、寂しさや侘しさの象徴なので、自分の孤独と共鳴する存在にはなっても、あまり感謝の対象にはなりにくいと思う。◇千原ジュニア。吾に見えぬもの見えておる炬燵猫なかなか非凡です!サスペンスホラーでありながら、ちょっと滑稽味もある。そして、これほど模範的な一物仕立てにはそうそう出会えない。◇梅沢富美男。可惜夜あたらよの猫の温みの布団かな可惜夜の布団に猫の寝息かな(添削後)可惜夜。すなわち《惜しむ可べき夜》ですね。ただ飼い猫と眠ってただけの夜を、おおげさに「可惜夜」などと書いたことが、かえって先生の反感を買ってボツ!例によって美辞麗句をひけらかしただけの作。なお、形容詞の「惜あたらし」という古語は、《惜しまれるほど貴重である》《もったいないほど素晴らしい》みたいな意味。なぜか「新し」と同音ですが、後者は「あらた」が「あたら」に音変化したもので、もともと語源も意味も違うようです。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.01.22
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テレ朝「松本清張二夜連続ドラマスペシャル」を見ました。どちらも女性脚本家によるシスターフッド的な物語で、松本清張を意外な面から捉え直した形ではある。◇第1夜は「顔」。浅野妙子の脚本。後藤久美子&武井咲の主演。オスカー「国民的美少女」の先輩と後輩。顔を隠して生きてきた殺人犯の女性が、やっぱり最後はバレてしまうという話。なぜ逆光のシルエットを見て、顔まで思い出したのかは解せなかった。後藤久美子にかつての美少女の面影はなく、ただの色黒のオバサンかと思っちゃったw演技もあからさまにぶっきらぼうでしたが、なかば意図的なのかしら?なお、原作のほうは、女性じゃなくて男性の物語だったらしい。◇第2夜は「ガラスの城」。大森美香の脚本。木村佳乃&波瑠の主演。大森ドラマ常連女優の先輩と後輩。途中で語り手が失踪するのは面白かったけど、真犯人はまあ予想した通りだった。なお、原作では、波瑠の役どころのほうが年上の設定らしい。◇2作品とも、サスペンスとしての意外性には乏しく、ドラマとしての脚色も、可もなく不可もなしって感じでしたね。
2024.01.21

朝ドラ「花子とアン」の総集編を見ました。本放送はもう10年前!!こわい…(笑)そのときはあまりちゃんと見てなかったけど、Netflix/CBCの「アンという名の少女」にも関係するので、あらためて見てみたかったのよね。とりあえず総集編だけでも見れてよかった。少女マンガ風の百合っぽさがあったり、昼ドラ「真珠夫人」っぽいところがあったり、人気の朝ドラになった理由がよく分かりました。◇脚本を書いた中園ミホは、村岡花子の人生をいろんな点でアンに重ねたのね。たとえば、花子&蓮子(村岡花子&柳原白蓮)の関係を、腹心の友だったアン&ダイアナに重ねたり、花子の出身地である山梨県甲府のブドウの話を、ワインで酔っぱらうエピソードにつなげたり…。村岡花子の父は静岡出身の茶商なので、べつに甲府で葡萄を栽培してたわけじゃありませんが。ちなみに小説では、アンがダイアナにワインを飲ませるけど、ドラマでは逆に、蓮子が花子にワインを飲ませてましたね。◇そして、「はな」という本名に「子」をつけた史実を、「ann」に「e」が付くことを望んだ物語に重ねている。旧姓時代の安中はなが、ペンネームとして「安中花子」を名乗ったのは、モンゴメリの小説を翻訳するより前のことだから、これはある意味、運命的な符合だったといえる。CBCのドラマが、あらためて名前の「e」に焦点を当てたのも、案外、この日本の朝ドラの影響だったかもしれない。Anne with an E(Eのつくアン)◇運命といえば、父の安中逸平がカナダ・メソジスト派の信徒であり、そのコネで東洋英和女学校に入学したことが、花子がモンゴメリの小説と出会うことに結びついている。おなじクリスチャンでも、この教派でなければ、村岡花子がモンゴメリの小説に出会うことはなかったでしょう。モンゴメリの「Anne of Green Gables」は、まさにカナダの長老派教会の人たちの物語なのだから。◇実際、ドラマを見ていていちばん興味が湧いたのは、やはり父の安中逸平のことです。地方の貧しい茶商の娘だったにもかかわらず、良家の子女が通う東京のミッション校に入学できたのは、父が熱心なクリスチャンにして社会運動家だったから。ドラマでは花子だけが単身で上京してましたが史実では花子が幼いときに一家で上京したらしい。おそらく娘の文才も父譲りなのでしょう。◇左翼活動家だった父とはちがい、戦時中の花子はやや日和見だったとも言えます。いわゆる翼賛体制にも協力的だった。けれど、じつは「赤毛のアン」の翻訳作業こそが、1939年~1945年の戦時中におこなわれていた。その点は重要だろうと思う。つまり、村岡花子は、よりによって米英との戦争中に、ひそかに英語の小説を翻訳してたわけですね。そして、それが彼女の代表作になった。この姿勢こそ、政治的だった父に通じている。◇柳原白蓮の人生もなかなかに壮絶で、ドラマではそれを「ロミオとジュリエット」に重ねてました。しかし、こちらのサイトによると、http://whiteplum.blog61.fc2.com/blog-entry-3030.html?sphttp://bungeikan.jp/domestic/detail/705/村岡花子が子供のころから読んでたのは、むしろ「ロミジュリ」でなく「失楽園」だったらしい!白蓮と宮崎龍介の駆け落ちのことを考えると、これまた運命的というかなんというか。ちなみに昼ドラにもなった菊池寛の「真珠夫人」は、ほかならぬ「白蓮事件」をモデルにしたとの噂があったものの、実際には事件より小説のほうが先に書かれていたようです。なお、現在の「ブギウギ」に出てくる淡谷のり子も、竹久夢二とかかわりがあった人ですが、柳原白蓮も夢二とかかわりがあったらしい。もともと彼女自身が、夢二の美人画を具現化したような人ですよね。
2024.01.20

NHK土ドラ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」。前半は、無駄のない脚本と重厚感のある演出に、かなりの手応えを感じたのだけど…後半の展開と結末にガッカリ。蓋を開ければ、社会派を装っただけの安直なサスペンスに過ぎなかった。◇結婚式の出席者を前にして殺人の過去を打ち明けたり、痴呆症の母親がとつぜん息子の名前を呼ぶエンディングは、なんのリアリティもない通俗ドラマのコケ脅しとしか思えず、NHKによる「社会派」の触れ込みがかえってアホらしい。これがテレ朝あたりのサスペンスドラマなら、べつに文句も言わないのだけど、公共放送たる天下のNHKが、あえて「社会派」を装って取り上げるべき物語じゃないでしょ。幼女に対する性的虐待というテーマも、「白夜行」や「三度目の殺人」などで変奏されてきたけど、もはや社会問題を告発してるというより、ただサスペンスのネタにしてるようにしか見えない。ろう者をネタにしただけの通俗ミステリー小説を、公共放送が「社会派」を装ってドラマ化するのはどうかと思う。◇脚本や、演出や、キャストの芝居そのものは、さすがはNHK!と思わせて上出来だったのだけどね…。手話通訳士にツヨポン。県警刑事にエンケン。いわくありげな元夫に和田正人。このあたりのキャスティングは、まあ誰でも思いつきそうな、よくもわるくも安定の配役でしたが、むしろ松本若菜と橋本愛のほうに新鮮味があって、あらたな一面を見れたかなという気はします。◇しかし、とにもかくにも、企画の意図それ自体に疑問を感じざるをえなかった。まだしも生方美久の「silent」のほうが誠実だと感じます。
2024.01.18
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NHKスペシャル「世界に響く歌 ~日韓POPS新時代」を見ました。1980年代の台湾ニューシネマ(侯孝賢や楊徳昌)もそうですが、2000年代以降の韓ドラやK-POP(冬ソナやBTS)も、国家的な文化事業が成功した結果だったのね…。かたや日本の場合、今回のYOASOBIの「アイドル」がアニソンだったことを考えると、日本の文化政策が基幹産業に位置づけるべきなのは、映画や音楽ではなく、やっぱりアニメなのかなあ…と思う。◇ひとたび海外でアニメ作品がヒットすれば、それにともなってアニソンや劇伴音楽も輸出できるし、さらには実写映画化、演劇化、ゲーム・玩具化、あるいは出版・ノベライズ化などによって、周辺産業にまで海外展開の可能性がひろがるし、もちろんライセンスの使用権を輸出することもできる。アニメに登場するシーンが、海外からの観光客の「聖地巡礼」を促すことも、ファッションや食品の輸出増につながることもある。ジブリパークのような施設さえ輸出できるかもしれない。◇国家的な文化政策としては、助成制度、受賞制度、教育制度などを整備する、…みたいな方法もありますが、たとえば、ブラック労働を強いられてる末端のアニメーターを、経済的な面から支援していくだけでも、産業全体の底上げになるんじゃないかと思います。ソニーや東宝のような国際企業を通じて、海外の市場調査・マーケティングをしていくのも重要になる。◇…さて、ここからは昨年末の紅白についての話です。ジャニーズを排除したぶんK-POP勢が増えて、いろいろと賛否両論もあるのだけど、わたし自身は、なんだかんだで、やっぱりK-POPのパフォーマンスの実力を見せつけられ、日本のアイドルとの差を痛感させられた感じ。◇文化の違いといえばそれまでだけど、K-POPのグループには、音楽とダンスを一体的な作品として見せる発想があって、わたしみたいに個々のメンバーに興味のない人間でも、そのパフォーマンスの魅力は十分に伝わってくる。わたしは、K-POP勢にアイドル的な興味はもってないし、そもそもメンバーの名前もまったく知らないけど、それでもBTSやTWICEのパフォーマンスには魅了されます。今回の紅白でも、SEVENTEENやNewJeansのパフォーマンスに惹きつけられた。◇ダンスの技術にかんしては、日本人と韓国人の筋力の差ってのもあるだろうけど、それ以上に重要なのは、やっぱり振り付けやプロデュースの方法じゃないかな。SEVENTEENなどは、「自分たちで振り付けをした」と言ってましたが、音楽とダンスの相乗性が高くて、テレビの生パフォーマンスでも映えるように、視覚的な効果がよく考え抜かれている。YOASOBIの「アイドル」のときにも、日韓のアイドルが代わる代わる踊ってたけど、やっぱり日本勢より韓国勢のダンスのほうが映えます。日本勢で対抗できるのはPerfumeぐらいじゃないかしら?◇日本のアイドルグループの場合は、個々のメンバーをアピールすることが主目的で、ダンスはそのための手段でしかないように見える。旧ジャニーズやAKBのパフォーマンスを見てても、ダンスそのものの魅力を感じることはほとんどない。個々のメンバーに興味がなければ、パフォーマンスそのものはちっとも魅力的に思えない。これは子供の学芸会と同じことで、親たちは大喜びしてるけれど、無関係な第三者から見たら、ただの取るに足らないお遊戯でしかないってこと。この点が世界市場にアピールするか否かを分けていると思う。◇もちろん、今後も日本のアイドルグループが、国内のガラパゴス的な市場だけで活動していくのなら、それもまたひとつの文化だとは思うけど、NHKの紅白歌合戦が、そういうガラパゴス的な文化を披露する場なのか、それともボーダレスな文化に開いていくべきなのか、そこは判断の分かれていく部分になる。おそらく、ボーダレス化を拒否して、あくまでガラパゴス的な文化の存続を望むのは、おもに40代以上の世代だろうと思うけど、コンテンツの未来を考える上では、そういう層は無視すべきじゃないかって気もする。◇先日、ネットニュースを見てたら、AppBrew「今なりたい顔」ランキングってのがあって、↓どれだけ信用できる調査かは知らないけど、https://news.mynavi.jp/article/20231220-2844783/どうやら日本の10代・20代の女子は、みんな「韓国アイドルみたいな顔になりたい!」と思ってるらしい。あまりの隔世の感に驚いてしまいましたが、若い世代はあきらかにボーダレス化のほうに向かっていて、日本のガラパゴス化なんてぜんぜん望んでないのでしょう。◇来年の紅白には、旧ジャニーズ勢もすこし戻ってくるだろうけど、ふたたびガラパゴス的なイベントへ逆戻りするのなら、紅白という番組自体を存続させる意義も薄いかなと感じます。
2024.01.17
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NHK「ダーウィンが来た!」を見ました。龍のナゾを大研究!辰年にちなんだ特集でしたね。◇一般に「龍/竜」は、獅子・麒麟・鳳凰などと同じ架空の生物と見られていて、今回の番組も、そういう前提で作られてましたが、わたしは、以前から、そういう捉え方があまり妥当じゃないと感じている。…まだ地球上を遠くまで移動できなかった時代に、ライオンやキリンやクジャクを見たことのなかった人々が、アフリカや中東や南アジアからの伝聞に頼ったのは仕方ないし、その伝聞の過程でさまざまな誤解が加わっても無理はない。たしかに現代の知見に照らせば、獅子も麒麟も鳳凰も「実在しない」との判断になるけど、けっして荒唐無稽な空想から生まれたわけじゃなかろうし、すくなくとも昔の人たちは、その実在性を信じてたはず。それは龍についても同じだと思う。古代の中国人が、十二支のなかで、龍だけを空想上の生き物だと思ってたはずはない。◇おそらく龍のイメージは、恐竜の化石にもとづいている。実際のところ、現代のような科学文明が発達してなくても、恐竜の化石を見つけることは可能だったはず。崖とかの地層を掘ればいいだけなのだから。事実、恐竜の化石は、古代から洋の東西で発見されてたらしいし、中国では、あらゆる生物の化石をことごとく「竜骨」とみなして、現在にいたるまで生薬として利用しています。◇中国やインドの龍にも、西洋のドラゴンにも四つの足がありますが、北米や南米、アフリカやオセアニアでも、手足があるかどうかは別として、やはり虹蛇のような巨大生物の実在が信じられていた。それらに共通するのは、・水中に棲息している・空を飛ぶ…ということ。こうしたイメージには必然性があると思います。◇今回の番組では、青銅器時代の中国に生息していた体長7mのマチカネワニが、龍の起源だった可能性に言及してましたが、わたしに言わせれば、頭に角が生えてたり、体毛が生えてたり、空を飛んだりする龍のイメージは、現生の爬虫類を見ただけではけっして生まれてこない。中国の龍や、西洋のドラゴンのイメージは、角や体毛や翼の生えた恐竜の化石を発見しなければ、けっして出てこないものだと思う。逆にいうと、恐竜の化石から得られる断片的な情報を蓄積すれば、角や、鱗や、体毛や、翼の生えた、巨大な蛇のような水中生物の実在を信じたとしても、なんら不思議なことではないし、むしろ翼があれば空を飛ぶと思うのが自然です。現代人が、「巨大な蛇が空を飛ぶわけがない!」などといって笑うのは傲慢であって、むしろ翼をもって空を飛ぶ巨大な恐竜が、かつての地球に実在していた事実のほうに驚くべきでしょう。◇おそらく昔の人々は、地中から発掘される恐竜の化石を、古生生物ではなく、現生生物の死骸だと誤解してたはずだし、ふだんは姿を見せない巨大生物の死骸が、なぜか地中で発見される事実から、それらが水中や洞窟や海底に潜んでいると考えたはず。実際、中国や日本では、いわゆる「竜宮」が海底にあり、鍾乳洞などを通じて沼や湖に繋がっていると信じていた。同時に、魚類のタツノオトシゴを、龍の子供と信じた可能性も高いだろうし、それは「角が生えている」とか「水中生物である」という、龍のイメージを補強するものでもあったと思う。◇なお、今回の番組では、ボルネオに生息するグールドカグラコウモリの群れが、空を飛んだときに龍のような形になる事例を紹介してましたが、中国や日本で「龍は洞穴に住む」と信じられたことから見ても、鍾乳洞から出てきたコウモリの群れが龍の形になるのは興味深い。…日本のフタバスズキリュウの話も出てきましたね。ドラえもんの「のび太の恐竜」は、卵からかえったフタバスズキリュウを、のび太が "ピー助" と名づけて育てる物語でしたが、じつはフタバスズキリュウは卵生ではなく、体内で孵化させる胎生だった可能性があるとのこと!…ちなみに、フタバスズキリュウの化石は、1968年に福島県双葉で高校生の鈴木くんが発見したのですが、↓音楽惑星さんは、http://manzara77.blog.fc2.com/blog-entry-368.html#honda円谷英二が福島県の出身だったことや、ゴジラが放射能に汚染された恐竜だったことや、原発事故によって化石のあった双葉が汚染されたことに、ある種の因縁を感じてるようです。
2024.01.16

一月の笑いの外にひとりいた 残業の鍋焼M-1の出囃子 初笑い追い出す寄席のはね太鼓 爆笑や横隔膜に去年の揺れ 福笑いのような祖父の、死に顔 初旅のB席iPadにドリフ 盃の富士に一礼初笑 「犯人は…」に続く客席のくつさめ 笑ひ声洩るる交番注連飾 妣の忌や遺言だもの牡蠣フライ ばればれの手品の父や冬座敷 ゲラの子はゲラに育つや春隣 元日の大仏の鼻抜く女優 大笑ふ君は私似春間近 墓前にてあなたと笑った冬の空 雪景色転んだあとの顔判子 1月11日のプレバト俳句。冬麗戦です。お題は「大笑い」。上位から順に見ていきます。◇1位は春風亭昇吉。一月の笑いの外にひとりいた笑いの外に誰かを見つけたときのセリフなら、「いた」という過去形にもなるだろうけど、自分自身を描写したのなら、ふつうは「居いる/居をり」と現在形にすべきです。◇2位はキスマイ横尾。残業の鍋焼 M-1の出囃子いつもの対句。正直、このスタイルにも飽きたけど(笑)。問題は季語の「鍋焼」です。本来の「鍋焼」は、肉を野菜と一緒に煮る料理。職場で豪勢に鍋焼を囲んでるのかしら?…とも誤読されるだろうし、かりに「鍋焼うどん」の略だとしても、キッチンのある職場で鍋焼うどんを作ったのかしら?…とも誤読されるはず。しかし、映像を見ると、即席の鍋焼うどんのようです。思うに、「いつものカップラーメンよりは贅沢」みたいなニュアンスかもしれませんが、そこらへんの作者の意図が量りにくい。なお、歳時記にはないものの、「M1」も「紅白」と同様に、実質的に季語としての機能をもってるので、ダメ押しの年末感がありますね。◇3位は梅沢富美男。初笑い追い出す寄席のはね太鼓ハネ太鼓の別称は「追い出し」です。なので、言ってみれば、「観客を追い出すのが寄席のハネ太鼓である」との説明を、季語を使って俳句っぽく書いただけ。いつもならボツになるパターンですが、今回は景気の良さや縁起の良さもあいまって、たまたま上手くいったかな、という感じ。◇4位はフルポン村上。爆笑や 横隔膜に去年こぞの揺れこれは評価するのが難しい…。季語でないものを上五で詠嘆し、形式は二句一章なのに、中身は一物仕立てに見えます。山本健吉の言葉を借りるなら、《主題+細叙的な反復》かもしれないけど、わたしにはたんに、《主題+主題の説明》のようにも思えるし、ある意味では、梅沢と同じく、「笑いとは横隔膜の揺れである」との説明に、季語を加えただけの句とも言える。上五の「爆笑」が、現在の爆笑か去年の爆笑かも分かりませんが、それを切れ字で詠嘆した際の位置づけも、どう解釈すればよいのか、判断しがたい。◇5位は立川志らく。福笑いのような祖父の、死に顔読点込みで17音ってこと?散文でいうなら、さしずめ「…」のような効果を狙ったものですが、なんか小手先の技巧って気もする。◇6位は川島如恵留。初旅のB席 iPadにドリフ9+9=18音の対句。他人のiPadなら、初旅や 隣のiPadにドリフと助詞の「に」を使ってもいいと思いますが、自分のiPadだったら、助詞は「の」を使うほうが妥当じゃないかな。◇7位は中田喜子。盃の富士に一礼 初笑実体験だといわれれば仕方ないけど、富士の絵柄に頭を下げる場面は、なんだかちょっと芝居がかっていて、あまりリアリティを感じないのよね。むしろ大袈裟に「一拝」「叩頭」などと書いて、マンガっぽい滑稽味を強める手もあるかなと思う。◇8位の森口瑤子。「犯人は…」に続く客席のくつさめ「犯人は…」の静黙 客席のくつさめ(添削後)原句は18音、添削句は19音の破調。芝居の重要なシーンの緊張感を、観客のくしゃみで遮られた様子ですが、あえて「くしゃみ」と書かずに、狂言っぽく「くっさめ」と描写した大仰さが、この場面の滑稽味を強めています。たしかに原句の「続く」が説明くさいけど、うまい代替案を出すのもちょっと難しい。ためしに17音で、「犯人は!」…そこで客席のくつさめでどうでしょうか。◇9位は千原ジュニア。笑ひ声洩るる交番 注連飾しめかざり兼題に対して内容が控えめすぎる…との理由で9位に甘んじましたが、俳句自体の出来としては、これがいちばん良いと感じました。◇10位は安藤和津。妣ははの忌や 遺言だもの牡蠣フライ母の忌や 遺言だもの牡蠣フライ(添削後)母の通夜 遺言だもの牡蠣フライ(添削後)梅沢が言うように、「妣」と「忌」の重複は避けるべきなのか、正直なところ、よく分からないけど、まあ、あえて両方を並べずとも、「母の忌」or「妣の日」で十分ってことでしょう。なお、後段のフレーズを面白いと思う人もいるでしょうが、わたしは「相田みつを?」との印象が先立って、どうも安っぽいコピーライトのように感じてしまう。むしろ、母の忌も遺言だから牡蠣フライと書いたほうが滑稽味が増すのでは?◇11位の本上まなみ。ばればれの手品の父や 冬座敷ばればれの手品の父や お正月(添削後)これも兼題に対して内容が控えめすぎる…との理由でランク外。たしかに添削のほうがいいと思うけど、個人的にはジュニアの次に良い出来だと思いました。◇12位はこがけん。ゲラの子はゲラに育つや 春隣大笑げらの子は大笑げらや 春隣のげらげら(添削後)原句は、助詞の「は」を使う必要を感じない。むしろ「の」を使うのが妥当だと思います。添削句のほうは「は」でいいと思いますが、いつもながらリフレインがくどくて好きじゃない。なお、Wikipediaを見ると、「ゲラ」はおもに関西方言とあります。とはいえ、その記述はやや信憑性に乏しい。むしろ起源不詳の現代語じゃないのかな。もちろん俳句に現代語を使っても構わないのだし、「ゲラ=校了紙」と誤読される惧れがなければ、あえて「大笑」にルビをふる必要もない気がする。◇13位はかたせ梨乃。元日の「大仏の鼻」抜く女優大仏の鼻を抜けたり お元日(添削後)これは東大寺の「柱くぐり」の場面。おそらく、「通り抜ける」を古語で「通り抜く」としたのでしょうが、字面からは古語か現代語か判断できないので、まるで鼻を「抜き取った」みたいに誤読されますね。◇14位は水野真紀。大笑ふ君は私似 春間近君は私似 春まぢかなる大笑ひ(添削後)造語「大笑ふ」の是非と、我が子の意味で「君」を使ったことの是非。※俳句では、恋人の意味で使うのが一般的。ふつうに書いたら、笑ふ子の顔は私似 春間近私似の子の笑ひ顔 春間近のようになるんじゃないかしら?◇15位は勝村政信。墓前にてあなたと笑った冬の空冬空に笑う原田芳雄の墓前にて(添削後)原句には2通りの解釈がありうる。A: あなた(墓参りの同伴者)とふたり墓前で笑ったときの冬空を思い出してるよB: 墓前にひとり立って、あなた(死者)と笑ったときのような冬空を見てるよしかし、Aの解釈はありえません。季語をふくめてまるごと過去の話になってしまうし、そもそも「墓前で笑う」という行為が不謹慎です。なので、Bの解釈が正しいのだけど、過去と現在の時制が交錯して分かりにくいし、上五に切れがあると言えなくもない。かたや添削句にも複数の解釈がありえる。A: 冬空に私は笑っている、原田芳雄の墓前で。B: 私は「冬空に笑う原田芳雄」の墓前でたたずむ。Aの解釈は、やはり「墓前で笑う」という不謹慎な話になる。Bの解釈は、季語が過去の話になる。したがって、両方とも許容できない。かろうじて、C: 冬空に「笑う原田芳雄」の墓前で立つ私との解釈をとれば問題を回避できるけど、かなり無理があるし、これなら原句のほうがマシ。ためしに句またがりで、冬空の墓前 あなたと笑った日としてみました。◇16位はえなこ。雪景色 転んだあとの顔判子失恋や 雪にわたしの顔の痕(添削後)下五「顔判子」の比喩の是非。手をつかずに顔面から転ぶ場面が、なにやらマンガっぽくて嘘くさく、比喩そのものもつまらなく思えるけど、あえてマンガっぽさを自嘲して、雪に転べば見事なる顔の型のようにも書けるかもしれない。◇清水アナ。ゴーグルの雪焼け はきと残りけり先生が言うとおり、後段の説明は不要ですね。かりに横尾っぽい対句にすれば、オフィスの休憩 ゴーグルの雪焼けみたいな感じでしょうか。なお、「ゴーグル」には、スキーの雪眼鏡や、水泳の水中眼鏡のほかに、オートバイ用とか、最近はVR用ゴーグルもあるけど、なぜか歳時記によっては冬の季語になってるらしい。一昔前の日本人にとっては、もっぱらスキー用語だったのでしょうねえ…(^^;https://t.co/mGVY7rUA6r— 清水麻椰 (@mayasmz4) January 6, 2024 ▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.01.15

避難所での災害関連死のおもな原因は、平時における行政不作為と、非常時における行政不作為に大別できます。とくに、停電時の暖房不足、断水時のトイレ不足、仕切りがないことから蔓延する感染症、手洗いが出来ないことによる食中毒などは、どう考えても「想定内」の事態なのだから、それにすら平時に備えていないのは、あきらかな行政義務違反であり、当然ながら賠償の対象になるはずです。避難者の基本的人権や生存権を無視している。◇これらを罰しないかぎり、国や自治体の「棄民政策」には歯止めがかかりません。とくに原発立地県では、防災計画をないがしろにした経済政策が後を絶たない。住民の生命や環境の保全が後回しになるからです。万博やカジノの利権を優先し、被災地の復興をないがしろにする政策についても、それと同じことがいえる。つまりは経済優先の人間疎外であり、もっといえば、既得権益のための「棄地」「棄民」政策です。◇いわゆる保守層は、普段は "愛国保守" などと自称して、やれ「尖閣を守れ、竹島を守れ」などと叫んでますが、その反面、原発の安全神話をばらまくことに貢献し、フクシマの土地と住民を棄てたことへの反省はなく、またも懲りずに原発の安全神話をばらまいています。それどころか、米国による原爆投下まで擁護して、広島や長崎の反核運動のほうを批判したりしている。これは、戦時中の軍部が「一億玉砕」を主張したのと同じことで、もともと保守層というのは、国民の犠牲や国土の荒廃を何とも思わない連中なのです。◇ひたすら原発の安全性や万博の経済効果を強弁するのも、けっして国の繁栄を願ってのことではありません。実際のところは、ごく矮小な政治利権や一部業界の利益誘導のためです。彼らをほんとうの「愛国保守」だと思ってはいけない。むしろネトウヨやエセ保守は、その "国賊的" な本性を隠すためにこそ、やたらと他人を非国民呼ばわりしてみせるのであって、それは彼ら自身の後ろめたさの裏返しにほかならない。彼らこそが、本質的な意味での国賊なのだから。経団連や日本維新もその類です。家や家族を失った人が万博に夢と希望を持つわけねえだろ維新・馬場代表万博開催される2025年には復興が進んでいるとして、万博が「北陸のみなさんにも、新たな夢や希望を持って、明るい将来に歩みを進めてもらえるイベントになるのではないか」https://t.co/ypFXZpsfeT— himuro (@himuro398) January 8, 2024
2024.01.13

被災地の支援のために、政治家、篤志家、芸能人、ユーチューバーなどが、現地入りする行動が議論になっており、なかばイデオロギー的な非難合戦の様相を呈しています。かといって、おそらく防衛省も、自衛隊の救援だけで事足りているとは思っておらず、それどころか近年では、永田町や霞が関から、民間や被災者自身の「自助」「共助」「自己責任」だのと、まるで行政責任の不備と怠慢をはぐらかすような、ご都合主義的な発言さえ出てきている。実際のところ、国や自治体が出来ることと出来ないことを明らかにし、行政としておこなうべき「義務」(≒公助)と、民間がおこなうべき「共助」の分担について、平時から議論し、社会全体で認識を共有しておく必要はある。「自助・共助・公助」という言い方が、語呂の良さもあってすっかり定着しているけれど、「自助・共助」は納得しても、「公助」は違うと思う。公は私達を「助ける」存在ではない。私達は、納税者として公的サービスを受ける正当な権利がある。私達は助けられるのではない。「公助」は行政の義務を曖昧に…— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) January 4, 2024 2011年と2024年では日本人の「公共」という単語の捉え方が大きく変わっているのだと思う。この13年で本来政治や行政が果たすべき「公的責任」は「公助」という新語にすり替えられ、「自助」「共助」と並べられることで彼らの責任が薄められた。最新の広辞苑第七版に「公助」はまだ収められてない。 https://t.co/XRY7ZMZevP— 津田大介 (@tsuda) January 8, 2024 行政が「公助」をサボる上に、「共助」さえヤメロ!の大合唱。これでは「自助」できない者は死ぬしかない。— kentarotakahashi (@kentarotakahash) January 9, 2024◇民間による支援がどうあるべきかを、一概に判定できるものではありませんが、全体として支援が殺到すれば、交通渋滞やガソリン不足などの弊害を招くことは自明。将来的にはドローンなどの支援も増えるでしょうから、陸路のみならず、空路も混乱しかねない。緊急時には、通信・陸路・空路・海路などのアクセスを制限し、許可制にする必要はあるでしょうが、ただでさえ人員が足りないときに、当該自治体が「受け入れ審査」などをする余裕もない。◇現在の仕組みがどうなってるか知らんけど、支援能力のある個人・団体・企業は、どのような物資を、どこまでの地域に、どのような手段で輸送できるのか、あらかじめ平時から登録しておくほうがよい。そして、国や赤十字などがそれを一元的に管理し、閲覧・検索が可能な形にリスト化しておいて、災害時には現地からの要請に応じ、交通などの状況に照らしながらゴーサインを出す、…といった仕組みにすべきだろうとは思う。そのようなシステムを構築するために、いわゆる最適化のための技術活用もせねばならない。また、賞味期限の切れた食料や古着など、ゴミ同然のものを送りつけるケースもあるらしいので、支援者としての資質を評価し、責任をもたせる仕組みも必要でしょう。【拡散希望】僕が独断で被災地に乗りこんだという悪意で捻じ曲げられた情報が拡散していますが(このままですと先方のNGOや被災自治体にもご迷惑がかかってしまうので)、まとめます。 pic.twitter.com/I2lKtfyKNS— 津田大介 (@tsuda) January 5, 2024また、ジャーナリストの現地入りの是非については、結果や実績で判断すべきでしょうし、何らかの社会的な合意が必要ですが、権力やポピュリズムの安易な選別にまかせるべきではありません。
2024.01.10

NHK「あたらしいテレビ2024」を見ました。MCは、東京03飯塚悟志/上白石萌音/星街すいせいコンテンツバトンリレーは、白山乃愛~福田雄一~山崎貴ダイヤモンドトーク座談会は、ダウ90000主宰の蓮見翔漫画家の魚豊ミュージシャンのアンジェリーナ1/3作家の日比野コレコ映像作家の今井環…という面子でした。なお、ほとんど誰もテレビの話はしてませんでしたw◇小学生の白山乃愛ちゃんと今井環くんは、奇しくも福田雄一の作品をよく見てるとのこと。マンガ的な作風が小学生にもウケるのかしら。また、山崎貴と福田雄一は、「日本の映画はアート系ばかり!」「ハリウッド的な本流のエンタメが皆無!」という見解を共有してるらしい。なるほどね。そして、座談会の参加者のほとんどが、老いるほど若々しい作品をつくる宮﨑駿を、もっとも理想的なクリエイターとして憧れてるようです。番組の制作者や参加者それぞれが、去年の《超個人的コンテンツアワード》を選んでました。以下の画像をクリックすると閲覧できます。https://www.nhk.jp/p/ts/R32JGQLRW6/blog/bl/plndyemZbD/bp/p5R4wDQEp6/ちなみに、萌音の選んだ「コンテンツアワード2023」は以下のとおり。クリックすると、ひととおり予告等が見れます。ブラッシュアップライフVIVANT君たちはどう生きるかBLUE GIANTスピッツ「ときめきpart1」ちひろさんハミルトンスイッチインタビュー「山里亮太×古舘伊知郎」EP1https://www.nhk.jp/p/switch-int/ts/K7Y4X59JG7/blog/bl/peZjvLyGze/bp/pReJ3rz4X2/スイッチインタビュー「山里亮太×古舘伊知郎」EP2https://www.nhk.jp/p/switch-int/ts/K7Y4X59JG7/blog/bl/peZjvLyGze/bp/pGPPV6mj9G/NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」https://www.youtube.com/watch?v=bPHtxZ0hMcwQ~子供のための哲学https://www.nhk.or.jp/school/sougou/q/onair/
2024.01.09
浜辺美波がようやくSNSを再開しました。(友人でもある橋本環奈のSNSはいまだ再開せず)昨年は、らんまん、ゴジラ-1.0、紅白司会と、彼女にとって絶頂の年だったのですが、皮肉にも、紅白が終わったその翌日、地元の石川県が震災に見舞われた。本人は無事のようですが、メンタル面の打撃は大きいでしょう。こういうときは、幸運と引き換えの悲劇のように思えてしまったり、辰年にゴジラの予言が現実になったように感じたり、意図せずして自分自身を責めがちにもなる。絶頂から一気にどん底へ突き落とされた気持ちでしょう。しかし、できることをやるしかありませんし、それ以上のことを望むことは不可能です。とりあえず、本人にできる範囲での支援や支援の呼びかけ。それから、すこしずつ気持ちを落ち着けながら、もとの仕事の軌道へ戻していくしかありません。皆さまへ。 pic.twitter.com/Y5eIoKlqS7— 浜辺美波 (@MINAMI373HAMABE) January 8, 2024 【令和6年能登半島地震災害義援金】受付開始この度の地震の影響により、家屋倒壊や断水など甚大な被害が発生しています。日本赤十字社は被災された方々を支援するため、義援金の受付を開始しました。お寄せいただいた義援金は、被災地の義援金配分委員会へ全額お届けします。— 日本赤十字社 (@JRCS_PR) January 5, 2024 ◇紅白については、旧ジャニーズの排除と、K-POP勢の出演への賛否両論や、視聴率の問題などもありますが、個人的には、なんだかんだで韓国勢のパフォーマンスに感嘆した、という事実はあります。それについては、落ち着いてからまた書きます。
2024.01.08

能登半島北端の珠洲市には、かつて原発の建設計画がありました。住民の反対がなければ、これが稼働していたかもしれない。一方、能登半島西岸の志賀原発は停止中でしたが、もし福島の原発事故がなければ、やはり稼働していた可能性が高い。かりに、これらが稼働していたら、今回の能登半島の大地震によって、2つの原発事故が同時に発生したかもしれません。◇今回、志賀原発は、地震発生後ただちに「異常なし」と発表し、翌日にも「取水槽の水位に有意な変動なし」としましたが、しばらくたって、「取水槽の水位は約3メートル変動」「変圧器で火災が発生し消火」「外部電源の大小2系統のうち主要系統が欠損」「変圧器で配管が壊れて3500リットル油漏れ」「油漏れの量は当初発表の5倍の2万リットル。海にも流れた」「モニタリングポストが18カ所で測定不能」「消火はしておらず火災そのものがなかった」などと発表を二転三転させており、その管理体制と情報の信憑性に疑念がもたれています。◇原発事故が発生した際の避難計画では、《半径5キロ圏内の住民は避難先へ移転》《半径30キロ圏内の住民は屋内へ退避》とされており、さらに、モニタリングポストの値によっては、《半径30キロ圏内の住民も避難先へ移転》としています。しかし、今回の大震災では、複数のモニタリングポストが計測不能になっている。また、たとえ正常な計測ができたとしても、幹線道路が寸断され、迂回路もなく、空路や海路の確保も困難をきわめ、数日経っても複数地区が孤立状態に置かれるなど、原発から30キロ圏内にあたる能登半島のほぼ全域で、避難先への移転は実質的に不可能になることが判明。また屋内退避をしても、多くの地区において、外部からの救援や物資の搬入が困難になることが分かりました。さらに避難所では、「防寒やトイレに新聞紙を使え」などと言うありさまで、すでに凍死する事例も出ており、公共の避難所ですら、まともに生命を維持できない状態です。志賀原発が想定した避難計画は、現状において完全に破綻している。ひどい。ストーブ1個、あえて言えばホッカイロ一つで助かる命ではないか。この日本でひどすぎる【能登半島地震】輪島市の避難所で低体温症で1人死亡 ウイルス感染も広がる:北陸中日新聞Web https://t.co/UP4pIJdGs2— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) January 7, 2024①まずは空路で食料や物資を投下し②その間に自衛隊などが寸断した道路や橋を車が通れる状態にして追加物資を大量投入③必要に応じて被災者を搬出するべきなのに政府は何を?内閣府では2日に完全オフでジョギングしてた人もいるし新年会も忙しかったようだが…#岸田に殺される #悪夢の自民党政権— がくさん (@gaku_sam) January 7, 2024我が国の公共放送NHKのゴールデンタイムの全国ネットNEWS 7避難所生活の冷え対策で、①新聞紙を体に巻く②段ボールを敷いて床に直接触れないと。これを時間割いて放送するのかよ…貧困国家、日本。@nhk_news pic.twitter.com/OLUyu5vgyu— kinho_00 (@quinho_00) January 4, 2024能登半島地震・志賀原発 避難ルート「のと里山海道」は一時全面通行止め 避難計画は“絵空事”だった https://t.co/KtvnpOUpwO #AERAdot #AERA— AERA dot. (アエラドット) (@dot_asahi_pub) January 7, 2024◇さらに深刻なのは、震度予測の問題。今年3月、原子力規制委員会は、「志賀原発の敷地内に活断層はない」と判断し、それにもとづいて、経団連の十倉雅和は稼働再開を要請していました。にもかかわらず、今回の震災では、町内の観測点で震度7の揺れを記録し、一昨日の夜にも震度6弱の揺れに襲われています。端的にいえば、原発敷地内の「活断層の有無」の判定は、震度の予測にとって意味をなさない …ということ。これは志賀原発のみならず、日本のあらゆる原発に当てはまることです。活断層がないことを「安全性」の理由にしてきた原発は、その主張の根拠を完全に失っています。活断層の調査とは別の手法を確立しないかぎり、地震の予測は本質的に不可能であることを示している。…ちなみに一部のネトウヨは、「震度7にも耐えたのだから大丈夫」などと言ってますが、震度7を記録したのは町内の別の観測点であって、志賀原発の地震計が測定したのは「震度5強」です。つまり、停止状態で震度5強の揺れにすら耐えられず、主要な外部電源を喪失するなどの被害を出すほど、深刻な脆弱さを露呈してしまった、ということ。震度5強と震度7では雲泥の差があります。もし稼働した状態で、震度7クラスの揺れに襲われていたら、いったいどうなっていたのか。志賀原発の外部電源の1系統を喪失という件に関して詳細が報じられるべきでしょう。◉50万ボルトという最大の外部電源が失われた理由◉もし稼働していたら、原子炉の安全性を確保できていたのか◉燃料プールの使用済み核燃料も2011年以降稼働が止まっていたために十分に… https://t.co/4ZHgJQ1DFl— 祝島島民の会 (@touminnokai) January 2, 2024また、今回の震災では4mもの地盤の隆起が見られましたが、原発が津波対策をする際にも、数メートルの隆起や沈降を考慮せざるをえないし、地盤そのものが傾いたら、いったいどうなるのか、…ということを危惧せずにはいられない。◇経団連の十倉雅和は、原発稼働要請への批判をかわすべく、口先では「被災地を支援する」などとウソぶいてますが、その反面で、大阪万博開催の方針を変えていません。しかし、万博の開催強行は、被災地復興にかかる建築資材の高騰や、人員・重機・資材不足などに拍車をかけるため、事実上の「二者択一」が迫られています。経団連会長は、大阪府の知事とともに、「復興の足枷になってでも万博開催を強行すべき」との態度を示していますが、日本国民は、政権と財界のこのような対応を許容できるのか。また、大阪府民は、吉本興業などと結託しながら万博・カジノへと突き進む、吉村洋文をこのまま大阪府の首長として承認できるのか。そのことが問われています。
2024.01.08

今回の能登半島地震は、東日本大震災、阪神大震災に次ぐ規模の災害ですが、なぜか救援人員の数は、熊本や北海道地震の際より少なく、発動のタイミングも遅い。…石川県知事の馳浩は、地震が発生した元旦の夜に自衛隊派遣を要請したものの、その規模はわずか1000人。この1000人という体制が、どのような根拠と経緯で判断され決定されたのか、あらためて検証する必要があります。◇輪島市や珠洲市のように、古い木造家屋の多い沿岸が震度7の地震に揺られ、さらに5mの津波が押し寄せた場合に、どの程度の規模の被害が発生するのかを、自治体の首長であれば、地元の現場感覚から、おおよその予測を立てねばなりません。かりに首長の現場感覚が欠如していたとしても、平時から、さまざまなケースごとに、被害をシミュレートしておかなければならない。そうした予測が立っていれば、実際に現場の被災状況を見る前から、最低限の救援体制は判断できるはずです。そこから考えても、1000人という人数はあまりに少ない。ようやく4日目に5000人弱の体制に強化されたものの、それでも熊本地震や北海道地震より規模が小さい。この程度の救援部隊で、瓦礫の除去と3ケタに及ぶ人命の救助、まして広範囲にわたる道路の復旧など出来るはずがない。熊本の時はすぐに20000人ぐらいだったよな、と思って確認した。翌日は1800人だったけど、次の日に15000人、その次の日は20000人体制になっていた。今回はなんで極端に少ないの?わからん。 https://t.co/d5NDHRjCF2 pic.twitter.com/Op6oAS5irK— Hironobu SUZUKI (@HironobuSUZUKI) January 3, 20241月2日昼の段階で、追加で約9千人の自衛隊派遣を「準備をする」と表明。今日3千人の派遣が決定されたというが、熊本地震では最大時2万6千人が派遣されている。大雨の予報もでている。救助が急がれているのだから、多くの自衛隊を派遣すべきではないのか?初動が遅い...😢 pic.twitter.com/0NyUA7JuBz— 祐佳 (@D9bf0NRDYrL21Ba) January 3, 2024此度の地震で自衛隊10,000人体制(派遣済み2,000、待機中8,000)てのはなんか少ないような気がしてんだけど、平成28年熊本地震26,000人平成30年北海道胆振東地震約25,100人今回の派遣規模を決めたのが岸田かどうか知らんけど、岸田ほど「逐次投入」って言葉がしっくりくるやつもそうおらんよな。— hirossi (@46hirossi) January 3, 2024◇一般に、原発立地県では、震度の予測も、被害の予測も、政治的に小さく見積もる傾向があります。ネガティブな情報や予測が原発推進の妨げになるからです。ほかならぬ馳浩も「原発推進派」でしたが、自治体の首長が原発推進派であれば、なおさらネガティブな情報や予測を排除しがちになるし、その結果、首長自身が災害予測に無関心になったり、甘すぎる災害予測をみずから信じてしまったりする。これは、さながら、戦時中の軍部や国粋主義者(現代でいえばネトウヨ)が、大本営発表にならって戦況を楽観視するのと同じ理屈。政治的な理由で最悪の想定を避けたがるのです。そして同胞の活躍ばかりを信じて称賛するようになる。そのようなご都合主義的な楽観論が国家の破滅を招きました。石川県の地震想定は26年前から変わらず 甘い被害予測、遅かった見直し https://t.co/ilmokUMqnW— 京都新聞 (@kyoto_np) January 7, 2024 ◇はたして石川県の地震予測や被害予測はどうだったか。それは「原発推進」の政策にどう関係していたか。もはや石川県だけの問題ではありません。しっかり検証する必要がある。かりに被害予測を低く見積もった結果、防災や救援体制に不備や遅れが生じたのなら、それは「原発推進派」による人災といわざるをえない。建物内で発見された死者が、圧死だったか凍死だったかも調査すべきです。
2024.01.04

震度6強以上の地域については、発生直後にドローン等の無人機やヘリを飛ばし、上空から建物倒壊や交通網寸断の実態を把握しなければ、通報を待ってからの初動では遅く、かえって優先順位を誤る。被害の大きな地域ほど、通信手段すらなくなって情報発信ができず、被害の小さな地域の情報ばかりが収集されてしまう、そういう矛盾が起こるからです。実際、今回の震災では、当日内に被害状況を把握できず、全容の把握が翌朝以降にずれこみました。その結果、被災者は一晩以上ものあいだ、暖房もない極寒のなかで、倒壊した建物の内部に放置されました。◇被害状況の正確な把握によって、救援すべき場所と規模とルートが決まるのだから、たとえ日が暮れたあとでも、夜間照明や赤外線による上空撮影をおこなって、被害の全容を早期に掴まなければならない。救援部隊にかんしては、たとえフライングになっても、被害の全容が明らかになるよりも前に、多めに見積もって編成しなければなりません。翌朝までには、救援プランを策定しつつ、機材や車両の運び込みも当日の夜間にかけて行うべきだし、日中と夜間に活動する人員も別々に手配すべきです。いずれにせよ、夜が明けてから状況を把握するのでは遅い。津波警戒はたいがいにしておいて、つぶれた家の下敷きになったひとたちを早く救出しないといけない。この寒さでひと晩すごさせたら死ぬ。— 早川由紀夫 (@HayakawaYukio) January 1, 2024なんで朝一とか言ってるのかな、知事は。今夜が勝負ではないの。倒壊家屋の下敷きになった方々を早く助け出し医療施設に収容する為に医官を帯同した習志野や宇都宮にいる陸自の即応精鋭部隊を方面隊に組み込みヘリで現地に投入。東日本大地震ではやれてたじゃないの。官邸は何しているんだろう https://t.co/W6qWuOyBWz— ガイチ (@gaitifuji) January 1, 2024馳・石川県知事「自衛隊の防災ヘリで石川県庁に向かう」 首相官邸で危機管理対応中、状況を説明「夜に入りましたので、明日の朝から本格的な情報収集、また、救命に入ることになると思います」やっぱりダメだ。災害救出の72時間の壁も知らないのか… https://t.co/cwW3AmTJaF— mipoko (@mipoko611) January 1, 20242000人規模に増強て、どんだけケチなの⁉️この規模の大地震なら、万人規模の派遣が必要でしょ⁉️首相「人命第一で救助に全力」、自衛官現地派遣2000人に - 日本経済新聞 https://t.co/FUoKS1vCq1— buzzuritama (@buzzuritama) January 3, 2024熊本の時はすぐに20000人ぐらいだったよな、と思って確認した。翌日は1800人だったけど、次の日に15000人、その次の日は20000人体制になっていた。今回はなんで極端に少ないの?わからん。 https://t.co/d5NDHRjCF2 pic.twitter.com/Op6oAS5irK— Hironobu SUZUKI (@HironobuSUZUKI) January 3, 2024あいかわらず避難所も、停電時の緊急的な暖房もままならず、トイレやプライバシー確保の不十分な劣悪環境です。公共の避難所には、石炭や石油を燃料とする床下暖房や温水暖房の設備を、火災防止・耐震装置付きで整えておく必要がある。避難所が収用人数を上回って過密になり、物資・設備が不足したり、感染症の危険があって環境が悪化するなら、むしろ避難者を大型バスや輸送ヘリで運び出し、一時的にでも分散避難をさせなければならない。雪・渋滞・土砂・地割れで物資輸送が困難な場合も、早期に分散避難を実施しなければなりません。避難所の劣悪な環境は、多数の災害関連死に繋がります。これは入管収容所と同じく人権上の問題にあたります。ここでイタリアの避難所を見てみましょう。 https://t.co/YLJEsX4n2n pic.twitter.com/xVQJ0QQCdx— 🐰SOT-dantyo🐰 (@TDantyo) January 1, 2024今の方がさらに悲惨でした😭政府、防災対策はどうなってんねん!#万博中止 https://t.co/oBfM1LoAqJ— ふっちゃん (@ashitawawatashi) January 3, 2024ひどい。ストーブ1個、あえて言えばホッカイロ一つで助かる命ではないか。この日本でひどすぎる【能登半島地震】輪島市の避難所で低体温症で1人死亡 ウイルス感染も広がる:北陸中日新聞Web https://t.co/UP4pIJdGs2— 紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) January 7, 2024①まずは空路で食料や物資を投下し②その間に自衛隊などが寸断した道路や橋を車が通れる状態にして追加物資を大量投入③必要に応じて被災者を搬出するべきなのに政府は何を?内閣府では2日に完全オフでジョギングしてた人もいるし新年会も忙しかったようだが…#岸田に殺される #悪夢の自民党政権— がくさん (@gaku_sam) January 7, 2024 700人の避難所で、携帯トイレを極力節約して使って在庫の300個でなんとか収めたそうです。人は平均1日トイレに4〜5回は行くのでどれだけそれが大変なことかよくわかります。在庫が切れた後は新聞紙の上に用を足しビニール袋で包んで捨てるしかないという状況だったとのこと。— 津田大介 (@tsuda) January 4, 2024 我が国の公共放送NHKのゴールデンタイムの全国ネットNEWS 7避難所生活の冷え対策で、①新聞紙を体に巻く②段ボールを敷いて床に直接触れないと。これを時間割いて放送するのかよ…貧困国家、日本。@nhk_news pic.twitter.com/OLUyu5vgyu— kinho_00 (@quinho_00) January 4, 2024東日本大震災から十年目に東北でシンポがあり、「十年が支援の終わりではなく、これから経験を世界に向けて活かすべき」と話し合ったのだが、それは国境なき医師団取材で知ったギリシャでの緊急難民支援でも、アフリカ奥地のキャンプでも日本のようなプライバシーなしの避難はないのを見たからでした。— いとうせいこう (@seikoito) January 2, 2024避難所の光景が東日本大震災のときと変わらず驚愕している。この国の安全保障はまず災害対策だよ。被災時の衣食住に税金使わなきゃ。やっぱり軍事費じゃない。もちろん万博でもない— ぴょん🍉🐿on the street (@saki10masaki) January 1, 2024私も復興増税は反対。東日本大震災の復興費が流用されていた件、忘れない。 https://t.co/G0WigGovj2— まめつぶ👻 (@0mame_mametsubu) January 1, 2024今回の震災は、原発稼働のために震度予測を歪め、浅い活断層の危険性を過小評価した結果の人災です。つまり、想定外だったのではなく、意図的に「想定から外した」結果だといえます。また、災害対応の中枢にいる旧世代の人々は、平時の事前対策においても、非常時の現場対応においても、現代の最新技術を十全に活用しきれていません。能力のある若い人材に活躍する場を与えていない。年金問題やマイナカード問題と同様、ちぐはぐで穴だらけの対応しか出来ないのはそのため。旧世代の人間が権力の委譲を渋った結果、平成以来の「失われた30年」はいまだ延長されています。この1年で、それらを転換する必要があります。志賀原発大丈夫?こんな断層だらけの所に原発建ててクレージーだよ https://t.co/SGnOFdWwt2 pic.twitter.com/EjsY8gD6Ck— rima (@rima_risamama) January 1, 2024こんな長かったんやマグニチュードで断層長推定できるんや https://t.co/R9drzpFOAi pic.twitter.com/3830b30A5q— Kazami (@RVFflow) January 1, 2024専門家「日本海側で最大級」「これで終わりではない」 能登の震度7 https://t.co/vOwynnbMuH 付近では震度7の地震の後も、大きな揺れを伴う地震が続いている。西村教授は「日本海側は断層が複雑に分布しているため、一つが動くとまわりも動いて活動が活発化しやすい」と話す。— 朝日新聞デジタル (@asahicom) January 1, 2024「10本弱の活断層が一斉に動いた可能性」 兵庫県立大教授https://t.co/geI1CDn6R0今回の地震は能登半島北沿岸部の陸域と海域の境界にある活断層がずれ動いた「逆断層型」とみられます。教授は「動いた距離は数十キロ超にわたるのではないか」と推測します。— 毎日新聞 (@mainichi) January 1, 2024この人が視察した1カ月後に今回の地震。変圧器で火災が発生し外部電源が一系統使えなくなったという報道もある。活断層の問題で運転停止中だが、昭和の発想での無責任な発言への警告と捉えるべきだろう。経団連・十倉会長 志賀原発視察「早期の再稼働を期待したい」https://t.co/q5OGXaSheg— 辻野 晃一郎 (@ktsujino) January 2, 2024①北陸電力が100億円かけて「断層ではない証拠」を買う②原子力規制委員会がそれを信じて「断層ではない」認定③経団連会長が志賀原発に入って早く再稼働しろと言う④震度7の震災。2系統しかない冷却電源の大きい方が死ぬ⑤モニタリングポスト13個死ぬ、変圧器爆発 pic.twitter.com/2sUyI8JS7i— kisahara (@kisahara1) January 2, 2024志賀原発の故障した変圧器から計7100リットルもの油が漏れています。北陸電力は志賀原発の再稼働を申請、経団連会長も「一刻も早く再稼働を」と要求。しかし稼働中なら深刻な事態になっていた可能性も。電力会社もメーカーも事故の責任を負わない制度になっているから安易に原発を推進するのです。 pic.twitter.com/915jqVvhqK— 長谷川ういこ Uiko Hasegawa (@uikohasegawa) January 3, 2024 政府は原発について異常があっても「異常なし」と発表する。このことはしっかり記憶に留めておくべきだ。【志賀原発 “外部電源一部使えずも 使用済み燃料プールの冷却は継続” 原子力規制庁 | NHK | 令和6年能登半島地震】 https://t.co/GgnFMvAgBI— m TAKANO (@mt3678mt) January 2, 2024志賀原発 外部電源が一部使えない状況続く 復旧の進め方検討https://t.co/PxfbQlQkMr #nhk_news— NHKニュース (@nhk_news) January 2, 2024北陸電力、2日の午前中に開いた記者会見で「水位計を監視していたものの、有意な変動は確認されなかった」→2日夜「取水口付近に設置した水位計で1日午後5時45分から午後6時までの間におよそ3メートルの水位の上昇を観測」原発を動かす資格はあるのですか。January 3, 2024北陸電がまた訂正 志賀原発の変圧器漏れの油は5倍超の2万リットル https://t.co/rLQ1WI19kf 能登半島地震をめぐり、北陸電力は5日、志賀原発(石川県)の2号機で外部電源を受けるために必要な変圧器から漏れた油の量について、当初発表の5倍超にあたる約1万9800リットルと訂正した。— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) January 5, 2024 スゴイよねこの人。「国内最速級の防災速報を」“特務機関NERV”防災アプリを世に出した石巻出身プログラマーの執念https://t.co/qn7ld8rh9l https://t.co/AppS2PTlxZ pic.twitter.com/G6W0g7Txaf— 通信のノラ猫@ID=AO.VTuber.cat (@ID_JAPAN_AO) January 2, 2024
2024.01.02
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