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アライブ がん専門医のカルテ。途中参戦だったけど、おどろくほど重いドラマ。よくも民放で、こんな重いテーマに果敢に取り組んでるなァと感心します。たんなる「娯楽」として鑑賞するのは困難なくらい、生死に直面するようなシビアな問題に容赦なく向き合っている。いちおうは、コミカル要素やサスペンス要素もあって、過度に重くなりすぎない演出を心掛けてるようだけど、いかんせん、扱ってるテーマがびっくりするほど重い。はなから視聴率が苦戦するのを覚悟して作ってるのかも。◇脚本は、倉光泰子。前作の「スキャンダル専門弁護士 Queen」では、ちょっと脚本の組み立てが分かりにくかったり、やたらにスタイリッシュな演出にばかり目をとられたけど、考えてみれば、主人公2人の女性の友情をスリリングに描いてる点では同じです。そして、社会的なテーマに取り組んでる点でも共通している。竹内結子と水川あさみのバディがそうだったように、今回の、松下奈緒と木村佳乃のコンビも、普通なら、ちょっと思いつかないような斬新なキャスティング。そして、どちらの場合も、過去に重い因縁を背負ってるという設定なのですね。脇を固める配役にも独自色があって、ほかの脚本家にはない、一種独特な世界観を感じさせます。今後も、心して見ていこうと思います。
2020.01.31
今日にかぎっていえば、こんなに狂った朝ドラヒロインは、いままで見たことがありません。夫のみならず、息子がいなくなっても、ひたすら薪を割りつづける朝ドラのヒロイン…。ある意味、離婚するヒロインより狂ってるよ(笑)。そもそも「穴窯やれ」と言ったのは八郎やないかい!というツッコミはもちろんありますが、それにしても、あの目の色の変わりようは尋常じゃない。悪い意味で、常治に似ています。いつものセオリーどおりならば、週末までには、八郎も息子も戻ってきて、落ち着きを取り戻すのだろうと思いますが、しかし、なんといってもタイトルが「スカーレット」ですからね…炎の魅力に憑りつかれていく狂った情熱こそが、この主人公の本質だとしても間違いではないのかも。そう考えると恐ろしい。でも、正直、面白いです。(^^;わたしとしては、いい意味で目が離せない(笑)。少なからぬ視聴者が脱落しそうな気もしますが。◇彼女の狂気が、はたして芸術家としての情熱なのか、それとも夫婦関係からの逃避なのか、それも、いまひとつ分からない。おそらく、まだ本人にも分からないのだろうと思います。八郎はどこに行ったのかしら?セオリーどおりなら、八郎は、誰かを連れて帰ってきそうなところ。ジョージ富士川とか、ちや子とか、草間とか、荒木荘のオバチャンとか?そして喜美子は、信作や照子や妹たちに説得されて、正気を取り戻す、と。もしも、さらにセオリーを踏み外すなら、喜美子はひたすら穴窯を燃やし続け、八郎は… どこかで三津と再会してしまう??
2020.01.29
「恋はつづくよどこまでも」の第3話。意地悪な患者のせいで注射がうまく出来なくなる、という内容。これまでの2回に比べると、いまひとつパンチに欠ける展開でした。それは、物語の内容が「生死」に関係しなかったから、ではなく、純粋に技術的な問題として、脚本の展開が甘かったからです。◇具体的にいうと、患者の夫婦に「青汁」の話を伝えた段階で、意地悪な患者と主人公との間の緊張が解けてしまったため、最後の「いい看護師になれよ」の台詞がインパクトを失ったのです。青汁の件を患者夫婦に伝えるのは、看護師の七瀬ではなく、医師の天堂にしておくべきでした。そして天堂の口から、七瀬の功績をさりげなく患者に伝えるべきだったと思う。ギリギリまで患者と七瀬の関係を気まずいものにしてこそ、最後に患者が告げる和解の一言が効果的になるのだし、それまでの緊張がいっきに解けて物語も落着したはずです。◇わたしはまだ、金子ありさの脚本を十分には信頼しきれてないのだけど、このドラマは王道のラブコメだけに、脚本や演出の力でしっかり見せ場を作らないと、お約束の展開が、たんなる凡庸に終わってしまいます。佐藤健の"胸キュン"シーンの場合も同じで、それをお約束の見せ場に仕立てるためには、彼の演技力に依存するだけでなく、シナリオの展開と演出が効果的に噛み合わなければいけない。ついでにいうと、毎回出てくる萌音の"勇者コスプレ"も、わたしにはイマイチ中途半端に見えるんですよね…。どうせなら汚れメイクをしてガッチリ鎧まで着せてほしいし、いっそのこと、ただコスプレするだけじゃなく、妄想シーンみたいに、本格的な勇者シーンがあってもいいと思う。白馬に乗って登場するとか。
2020.01.29
「シロクロパンダ」第3話。今回も十分楽しめました。サスペンスとハードボイルドと笑いと胸キュンのバランスがいい。精神科医の山崎樹範が黒幕だろうと思ってましたが、次の回で早くも流星と対峙しそうだし、まだまだ裏の展開が隠れてるかもしれません。双子の謎と、放火事件と、入院してる母親と、コアラ男の誘拐事件がどう連動しているのか、まだ見えてきません。なにげに、白石聖との恋の三角関係がどうなるのかも気になる。いい意味で、複雑な期待要素がブレンドされています。◇このドラマには、2人の脚本家がクレジットされていますが、基本的なコンセプトは宇田学が作ってるのかもしれません。演劇畑の作家は、しばしばシンメトリックな物語を作りますが、このドラマの場合も、「白黒パンダ」と「灰色コアラ」の対照的な図式が、物語のダイナミズムの基礎を形作っていて、清野菜名の表裏の演じ分けがもうひとつの軸を作っています。そのうえで、いろんな演出上の遊びが可能になっている。台本のベースがしっかりしていると、かえって遊びの自由度が高まる好例だなと思います。ドラマ
2020.01.28
あまりに早すぎる三津の退場にびっくり…。あくまで不倫させろ!とまではいわないけど…こんなにあっさり退場してしまうと、いったい美津が何のために川原家に来たのか…彼女が夫婦にもたらしたものは何だったのか…よく分からないとさえ思えてくる。◇喜美子と八郎は、どんな思いで三津を辞めさせたのですか?夫婦は同じ思いを共有していたでしょうか?そのことも見えてきませんでした。三津が「辞めたい」と言い出したとき、夫婦のあいだで何も話し合わなかったはずはない。でも、ドラマはそこらへんの過程を省略してしまいました。それはずるい。消化不良が残ります。三津の若さゆえの不貞未遂を、八郎が「なかったこと」にしたのは彼の寛容さだったけれど、その寛容さは、八郎だけでなく、夫婦のあいだでも共有すべきものだったし、あえて言葉にして確認し合うべきものだったと思います。そうすることで夫婦の絆を強め合えたはずだから。言葉にせずに黙って呑み込んで済ませられるほど、この夫婦は、まだお互いを信頼し合えていないはずだし、三津の恋心を見なかったことにして、夫婦のタブーにしたら、またひとつ夫婦のあいだの疑念が増えてしまう。◇いつか、このことを夫婦で話し合ってほしいです。そうでなければ夫婦にはまたすれ違いの危機が訪れる。(実際、そうなるかもしれませんが)いずれは三津の再登場にも期待したいです。
2020.01.27
母のマツは、常治のすべてを許していたけど、喜美子は、けっして八郎のすべてを許すタイプではない。むしろ信じる気持ちが強いからこそ、疑心暗鬼になる。それは、ある意味、窮屈な関係でもある。喜美子はつねに、八郎の気持ちを先回りしてまで確かめようとします。だから、八郎はいつも、喜美子からの問いに答えつづけなくてはいけない。そこでは、いっさいの嘘も許されていません。◇かりに「一線」を超えたあとに戻ってくるのなら、喜美子は、八郎の浮気を許すかもしれません。しかし、一線を超えるでもなく、いつまでもプラトニックな関係だけが続くのは、かえって耐えられないだろうな、という気がします。悪者探しをしようとすれば、三津に矛先を向けるしかない。夫婦のあいだの信頼と思いやりを守るためには、外から入り込む余計なものを徹底して排除するしかない。◇多くの視聴者は、夫婦が離婚しないように、と願っています。しかし、それは裏を返せば、三津が泣きながら出ていく、ということです。喜美子は、三津をなじったすえに追い出せるでしょうか?そもそも、三津を弟子入りさせたのは喜美子自身です。八郎は反対していました。喜美子は「八郎のために」と思って、三津を弟子入りさせた。喜美子自身が、三津を八郎の近くに置こうとしたのです。だから、これは後悔しようのない過去です。おそらく三津が自分で出ていかないかぎり、喜美子は、三津のことを責められないでしょう。もしも三津をなじり倒すことがあるとすれば、それは、喜美子が離婚を決意するときだろうと思います。
2020.01.26
知らなくていいコト。第3話。唖然とするほどツマラナイです…。あいかわらず一話完結部分の脚本がひどすぎる。今回は、ただ大貫勇輔のダンスを見せるために、無理矢理でっちあげたようなエピソードでした。もしかしたら、父親の殺人をめぐるメインのストーリーに、何らかのかたちで結びつくのかもしれませんが、このエピソードじたいはほとんど無意味でした。>>動画の一部が切り取られて、流出・炎上しました。>>取材して真意を語らせて、名誉を挽回できました。…この話のどこに面白さがあったでしょうか?どこにもドラマらしきものが見当たりません。◇篠井英介のブティックのくだりは何だったのでしょうか?母親を亡くしたばかりの女性に会うなり、「あなたが結婚しないのを待ちくたびれて死んだのよ」などと無礼な挨拶をする人間が存在するのでしょうか?「タツミーヌさんとお知り合いなんですか?」などと驚いてましたが、そもそもそれを聞くために取材を申し込んだんじゃないのですか?「自分でコーディネートするのはお金がかかりますよね」と言ったら、「お金をかけないのが才能なのよ」と答えていましたが、これは会話として成立していたのでしょうか?「三丁目の角のラーメン屋」って…、そんな漫画みたいな紋切り型の店があるのでしょうか?住民説明会のシーンでは、いったい誰と誰が争っていたのでしょうか?介護施設の誘致賛成派として、町の老人たちがゾロゾロ集まったりするでしょうか?◇細部の描き方にリアリティがなさすぎる。適当な材料を寄せ集めて話をつくったら、そこにバンクシーだの、小澤征爾だの、蜷川幸雄だの、それっぽいネタをまぶしてるだけじゃないですか?このドラマのつまらなさは、あまりにも低次元な脚本にこそ原因があると思います。主演の吉高由里子に責任を押しつけるのは筋違いです。
2020.01.23
シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う。第2話。やっぱり面白いです。このクオリティがどこまで保てるでしょうか。ダークな世界観とコメディタッチの按配がイカしてる。清野菜名と横浜流星の撃ち合いも本格的でカッコいい。少しずつ背景が明かされています。かつてコアラ男に誘拐された白石聖。その事件を追って殺された横浜流星の父親。放火事件で姉を失った清野菜名。それぞれの過去は、互いにリンクしているようです。横浜流星は、警察官の父が残した映像を通じて白石聖の父と接触し、法務大臣でもある彼の指示に従って清野菜名を操っています。精神療法によって抑えられていた清野菜名のトラウマは、横浜流星の催眠の作用によって少しずつ蘇っています。物語の構図そのものがシャレにあふれています。最終的には、清野菜名と横浜流星が戦うシナリオもあるのでしょうか? ジャーナリストの白石聖は、法令を遵守しない法務大臣(笑)を追及することになるでしょうか?シロクロパンダがグレーのコアラに立ち向かうとき、そのラスボス対決は、どちらの勝利に終わるのでしょうか?ミス・パンダが「白黒つけるパンダだよ」と言ったら、ミスター・コアラは「白黒つけないコアラだよ」と答えるのでしょうか?(笑)今のところ、期待がかなり大きいです。
2020.01.21
やっぱり大石静の脚本には、かなり不安があります。実力に見合わない複雑な内容に挑んで、かえって詰めが甘くなっているのでは?前回もそうだったけど、とくに一話完結パートのエピソードがお粗末。付き合ってる男にDNA婚活を勧める女って、理解不能です。恋人に婚活させながら付き合いつづけるって、どういうこと?このDNA婚活のエピソードは、「殺人犯の娘との結婚を受け入れられるのか」という、メインのストーリーにも関係するのでしょうが、それだけに、エピソードの説得力が弱すぎる。◇毎度毎度、主人公の書いた記事が、大スクープみたいに絶賛されるのにも閉口します。正直、たいした記事じゃなさそうなんだよねぇ。こういうのも、駄作ドラマにありがちな悪しき予定調和だと思う。それから、各回ごとに日付が区切られてるようですが、週刊誌の発売日以上の意味があるのでしょうか?◇殺人犯の父親をめぐるメインのストーリーも、どこまで緻密に作られるのか、ますます不安になってくる。秋吉久美子が、父親にかんする秘密を、あえて娘の恋人(柄本佑)に打ち明け、まだ自分の死期すら分からなかった段階で、結婚の意志すらない娘の将来を彼に託したのは何故でしょうか?そして、その目算が外れて、娘がべつの男と付き合ってしまったことを、秋吉久美子はどう思っていたのでしょうか?それから、もともとは結婚する意志のなかった主人公が、重岡大毅との結婚を望むようになったのは何故でしょうか?まだまだ分からないことが多いですが、そうした伏線がどこまで精密に回収できるのか、それじたいが疑わしく思えてきます。
2020.01.18
主役感を全開にして登場した黒島結菜が、まるでヒロインの座を奪ってしまいそうだという話は、あながち冗談でもない、という感じになっています。さすがにヒロインの座は奪わないでしょうけれど、すくなくともヒロインの夫を奪っていきそうな雰囲気が濃厚です…。◇過去に《離婚》という選択をした朝ドラのヒロインが、いったい何人ぐらいいたのか正確には分からないけど、最近なら「半分、青い」で永野芽郁が離婚してるわけだし、佐藤健なんかはナレーションだけであっさり離婚しちゃってる。いまや朝ドラにおいて、離婚は驚くほどのことじゃありません。しかし、まだ離婚すると決まったわけじゃありませんが、いざ離婚となれば、やはり視聴者は真っ二つに割れるでしょう。離婚そのものを忌み嫌う視聴者もいるでしょうし、離婚にいたる過程がリアルであればあるほど、妻に味方する視聴者と、夫に味方する視聴者とが、ネット上で激しく対立することにもなる。すでに現時点でさえ、夫婦のあいだには息の詰まるような重い空気が流れて、それが視聴者までをも難しい選択へと追いやっています。気の強すぎる妻のほうを責めることもできる。煮え切らない夫のほうを責めることもできる。あえて、どちらの見方もできるような脚本になっている。もちろん、黒島結菜がすべての泥をかぶる展開もありえます。明快な《善悪》の図式を求めてしまう視聴者の多くは、この分かりにくい展開に耐えきれずに離脱しますから、すでに視聴率はどんどん下がっています。単純軽快だった北村一輝のキャラにくらべて、抑制的にすぎる松下洸平のキャラが面白みに欠ける、という感想があるのも、まあ仕方ないかなと思います。◇けれど、もともと「スカーレット」の魅力は、けっして善悪のはっきりとはしない人間関係のなかで、かならずしも真っ直ぐには成長できない、ヘタレな主人公を描くところにあったのですよね。その意味では、わたしにとって、ますます目の離せない朝ドラになっています。
2020.01.16
『ぎぼむす』とは打って変わって、今回ばかりは直球で「イケメン」な役に徹している佐藤健。彼がいかにクレバーな俳優であるかが分かります。とはいえ、放送前から「胸キュンドラマ」の触れ込みだったのに反して、じつはこれって、思った以上に「医療ドラマ」なのかもしれない…。冒頭の人助けのシーンを、最後の救命シーンに重ね合わせるシナリオは、なかなかに手練れたもので、第一話の終盤にして、早くも泣ける展開になっていました。とすれば、今後、蓮佛美沙子の話が絡んでくるにつれて、物語が重層的に深まっていくだろうとも期待できます。「胸キュンパート」と「医療パート」のバランスを、金子ありさの脚本がどんなふうに配分していくのかが見もの。ひたすらキモチ悪かった『中学聖日記』みたいに、ベタベタの恋愛ドラマになりすぎないようにお願いしたいです(笑)。まあ、この作品に、ことさら医療的な内容を期待する視聴者はいないと思うので、せいぜい「お仕事ドラマ」になれば御の字かもしれませんが、なにげに山本耕史の講話ネタなども、心に響いてくるところはある。原作は読んでいませんけど、なんとなくコミックの再現度が高そうなドラマでもあります。そこにTBSのアドバンテージがあるのですね。◇『ぎぼむす』につづいて、佐藤健と上白石姉妹の共演が話題になりますが、同時に、萌音のファンの人は、音楽を担当してる河野伸が彼女の人脈だと気づいてるはず。ベーカリー麦田のクリームパン(?)も気になるところですが、もうひとつ、このドラマの大きな魅力のひとつは、その河野伸の音楽が美しいこと、なのですよねェ。せっかくなら、萌音が挿入歌ぐらい歌ってもいいんじゃない?ついでに、いちおうお約束でツッコんでおきますが、「あの人ホントに…天堂先生ぇ?!」の叫び方は、「もしかして私たち…入れ替わってるぅ?!」」の叫び方をパロったわけね。◇それにしても、卒業したての看護師にしちゃあ、住んでるマンションのグレードが高すぎませんかねえ…。そこに香里奈が関係してるってことなの?
2020.01.15
シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う。なかなかキレはありますね。白い清野菜名は、あいかわらず昭和っぽくて可愛いけど、黒い清野菜名は、マジで回し蹴りとかが強そうで素敵。パンダだけでなく、囲碁の世界もどんどんマニアックに究めてほしいです。ビリー・アイリッシュの主題歌もカッコよかった。アフリカ音楽みたいな挿入曲も面白い。黒幕の法務大臣が佐藤二朗だったりする変なセンスも好き。◇ちなみに、最近の山口紗弥加って、あんな役ばっかりですよね。出てくるだけで、ちょっと不安な気持ちに襲われる(笑)。その一方、流星と圭が「あな番」風を吹かしてくるのは、ちょっと気に入らない。作品のエッジが、かえって弱まる気がします。今回の流星には、とことんダークな面を突きつめてほしいです。作品としても、せっかく読売テレビの制作になったんだから、「チート」みたいにクールな路線を攻めこんでほしいですね。
2020.01.13
スカーレット。黒島結菜が台風のように暴れ回っていて驚かされます。彼女は、トーク番組などで喋ってるときは地味目の人ですが、ドラマで演技をするときのヒロイン感がすごい。登場した瞬間、彼女を中心に物語が動いていくのです。そのままヒロインに取って替わりそうな勢いです。今後は、伊藤健太郎も登場するってことで、後半はもう別のドラマに変わっちゃうんじゃないか?どんどんアシガール化していくんじゃないか?と思えてくる。松永三津のキャラなら戦国時代にまで跳んでいきそうです。わたしは、今後の朝ドラヒロインのイチオシ候補として、志田未来や上白石萌歌のことを考えていたけど、もしかするとNHKへの貢献度の面でも、黒島結菜が最有力の候補として急浮上してくるかも。満島ひかりや二階堂ふみのような異才ではないけれど、仲間由紀恵や新垣結衣のような民放系女優とも違う。おそらくNHKでこそ輝くタイプの人じゃないかと思います。
2020.01.12
映像を見た瞬間、「あ、これは水田伸生ね!」と思ったけど、違ってた(笑)。でも、プロデューサーは大塚英治と西憲彦。日テレらしいテイストは濃厚に出ています。ひさびさに「日テレドラマだわあ」って感じ。そのうえ、『正義のセ』の吉高由里子と、『けもなれ』の山内圭哉と、『高嶺の花』の華道、ならぬ茶道が出てきて、なんだか一昨年の日テレ作品がひとつになったみたい。しかし、何といっても父親役が小林薫で、しかも犯罪が絡んでいますから、『Mother』や『Woman』など坂元裕二の作品を強く意識させます。父と娘あるいは母と娘の関係が、大きなテーマになるのでしょうか。一話完結部分の老女の詐欺被害をめぐるパートは、いまひとつ深みに欠けるエピソードだった。作品の軸になる親子の物語は、どれだけ深まっていくでしょうか?はたして良作になるか、駄作になるか、今のところ、まだちょっと評価しにくいです。大石静の脚本に、坂元裕二と同じレベルを期待できるか、やや疑わしくもある。
2020.01.09
NHKの所ジョージの番組では、唾液からDNAを採取して、その情報を相性診断(マッチング)に使う技術が紹介されていました。◇人間の身体の情報は、唾液からも、あるいは血液からも集められるでしょうし、便のなかの腸内細菌から集めることも出来るだろうと思います。でも、わたしがいちばん注目しているのは、体液ではなく、むしろ「体表の画像」から情報を集めていく手法です。◇たぶん、そういう技術をいち早く開発するのは、インド人、もしくは中国人だろうな、と予測します。もともとアーユルヴェーダや中国医学では、顔立ちとか、体型とか、姿勢とか、体の動きとか、顔色とか、舌の色とか、脈の動きとか、お腹の張りとか、つまりは「体表の情報」から診断を下す、ということを日常的にやっている。そして、その医学的な方法論は「占い」にまで通じています。たとえば手相占いなどは、その一例です。わざわざ体液を採取しなくても、すべては外見に現れているのだ、という発想が彼らにはあります。現在なら、サーモグラフィなどの画像も診断に使えるだろうし、そういう発想と、AIの画像認識技術の親和性は、たぶん高いのです。すでに中国では、国民の顔の画像情報をビッグデータとして集積しています。このデータは、医学的な診断や処方だけでなく、個人の適性や資質を判定するためにも応用できるはずです。◇西洋医学に侵食されてしまった日本人は、身体の情報は体内から取るべきものと思い込んでいますが、その思い込みを捨てないかぎり、おそらくインド人か中国人に先を越されるだろうな、と思います。
2020.01.08
お正月ドラマ2本見ました。ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜「眩(くらら)~北斎の娘~」と同じチームによるNHKの高画質ドラマ。さすがに映像には力が入ってました。とりたてて優れたドラマだとは思わなかったけど、《上海の芥川》というテーマが《北斎の娘》というテーマと同様に、歴史的に興味深いものだということは理解できました。戦前の日本の作家たちが上海を「魔都」として幻想的に描き、とくに谷崎なんかは漁色目的で中国を旅したけれど、芥川の場合は中国のシビアな現実や共産党の黎明期に立ち会って、その体験を背負ったまま自殺したのですね。そこには現代にまで繋がるテーマがあります。芥川の死の問題だけでなく、戦前の日本文学の問題があり、中国共産党のルーツと日本との関係という問題も孕んでいる。現代においてこそ、芥川が背負ったものが何だったかを捉え直すべきなのかもしれません。義母と娘のブルース 謹賀新年SPミーシャの紅白での歌唱からの流れもあり、新春のスペシャルドラマを楽しむことができました。物語も手堅くまとまっていて2時間半の内容が長く感じなかった。前回シリーズの最終回で出てきた不可解な乗車券の伏線も、まあ回収されたかな…。分かりやすくて楽しいドラマではあるけど、じつは社会的に重いテーマを扱ってもいる。そのことを再認識させる内容でした。とりわけ「孤育て(=ワンオペ育児)」の問題を提起した意味は大きい。桜沢鈴の原作にはないオリジナルストーリーだったのでしょうか?◇我が子を捨てようとしたシングルファザーにむかって、みゆきは「親の資質」を問いただしますが、亜希子はそれを諭したうえで、ほんとうの問題は「資質ではなく環境」なのだと語ります。亜希子の言葉は、子育てを「親の愛」や「母性」といった基準でのみ捉えてきた過去の議論への批判でもある。これは、かなり突っ込んだメッセージだったと思います。わたしも、十年以上前に次のように書いたことがあります。子供を生み、育てるためには、まず、その背後に“共同体”というものがなければ無理だと思う。いくら経済的な基盤があっても、共同体から切り離された核家族だけで子供を生んで育てるというのは、根本的にいって無理があると思います。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200510040000/かつての地域の共同体の中には、お兄ちゃんやお姉ちゃん、あるいは妹や弟(年下の子)らとの関係がありました。また、いろんな世代の大人や、青年や、年寄りがいた。年長の子供は、小さな子供の面倒を見たし、年長の大人は、若い大人に色々なことを教えた。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200806120000/最近も、こんなことを書きました。とりあえず少子高齢化に対応するために、乳幼児の保育と、未成年者の養護、そして老人の生活介護をすべて兼ね備えた一体型のシステムを国主導で作るべきと思います。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/201912110000/亜希子が立ち上げようとした子育て支援や互助システムのプロジェクトは、最後の企業乗っ取りによって頓挫してしまい、第2の竹野内豊の登場によって、次回作へ期待をもたせる形になりました。ああいうプロジェクトをドラマのなかで易々と成功させるのは、いかにも嘘っぽくなってしまうので、今回は問題を提起するに留めて正解だったと思います。ひとくちに互助といっても、現実にはリスクもあるし、困難もあるはず。もしも次回作があるのなら、あの「専務」くんを周囲の人たちの互助によって育てていく奮闘記に期待したいです。「孤育て」という概念を流行語にするぐらいの使命感で物語を紡いでいってほしい。
2020.01.06
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