ウンとかスンとか mamatamの日記

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2014.09.03
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カテゴリ: あの頃
今週の土曜日、ブロ友さんと一緒に勝鬨橋のあたりを散歩するお約束をしました。

錢高組さんの資料 から写真をお借りしてきました。
  • kachidoki01_ph01.jpg
月島で開催予定だった万国博覧会のために建設された、隅田川を航行する船を通すために橋が真中から開くようになった可動橋で、1940年に完成し、1953年くらいまでは1日数回開いていたそうです。
  • kachidoki01_ph02.jpg
これも錢高組さんからお借りしました。
跳開の回数は次第に減って行き、1980年ごろには、跳開のための通電も止められたと言います。
わたしの祖父は福島県から上京してブリキ職人になり、足軽の娘だった祖母と月島で所帯を持ったようです。その月島で、わたしの父は生まれ育ちました。勝鬨橋開通の日、当時19歳の父は、月島で大きな工場を経営する有力者の跡継ぎ息子だった友人と一緒にその祝賀パレードに入れてもらい、勝鬨橋を練り歩いたそうです。それから徴兵されるまでの短い期間に、ふたりで何度も歩いて銀座に行ったと懐かしそうに話していました。
わたしも子どもの頃は父の実家である、月島の長屋によく遊びに行きましたが、開いている勝鬨橋を見た記憶はありません。
月島側からみると
  • kachidoki_kaihei.jpg
かちどき橋の資料館 からお借りしてきました。
Wikipediaによると「日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)であるが、1980年に機械部への送電を取り止めており、可動部もロックされ、跳開することはない。近年、再び跳開させようとの市民運動や都・一部都議の動きはあるものの、機械部等の復旧に莫大な費用(東京都の試算では約10億円)がかかることや多数の道路交通量があることから、実現の目途は立っていない。」そうです。

同じ埋立島でも江戸時代に作られた佃島と違って、月島は明治時代に工業用地として造られた島で、わたしが小さかった頃も鉄工所などがたくさんありました。住民は、その鉄工所に働く人たちが中心でしたが、築地の魚市場や木場で働く人たちも多かったように思います。
勝鬨橋を渡れば築地も、銀座だって、徒歩で行けるのですから。
でも、橋が出来る前は、勝鬨橋の下流側に渡し船が通っていたそうで、それも明治以降のこと、日露戦争の戦勝祝いにつくられたと言います。(勝鬨の渡しの名前の由来も、その勝ち戦だそうです。)
船着き場跡を、わたしは子どものころに父に連れられて見た記憶があります。
やはり銭高組さんの資料にこんな写真がありましたが、
  • kachidoki01_ph06.jpg
こんな立派な石碑はなかったような。。。

隅田川は、江戸時代「大川」と呼ばれ、江戸っ子たちに親しまれた川で、何本もの橋が架かっています。
隅田川にかかる橋で一番古い橋は、千住大橋だそうで、徳川家康が江戸に入ってすぐに架けられたそうです。
その次に古いのが両国橋で、千住大橋の70年ほど後のことです。関東の田舎町だった江戸が、首都になって70年、経済的にも発展し、街が川の外側にも広がって、市内に隅田川を渡る橋が必要になったということでしょうか。

両国橋の花火は有名ですが、そのための人出が原因で橋が落ちたり、江戸時代は橋を架けること以上に管理が幕府にとって重荷だったようです。
明治になって、厩橋、相生橋が架けられ、大正時代には白髭橋が架けられましたが、関東大震災で木造の橋は焼け落ちてしまったため、永代橋、両国橋、厩橋、吾妻橋、相生橋が鉄橋に架け替えられ、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋が新たに架けられました。
昭和になって、千住大橋(新橋)、水神大橋、桜橋、隅田川大橋、中央大橋、佃大橋などが架けられました。
隅田川クルーズなどの船に乗ると、これらの橋を川から眺めることが出来ますが、それぞれ個性的な、美しい橋たちです。

さて、勝鬨橋界隈に戻りますが、食いしん坊さんのための話題を。

最近は西仲の商店街に、レバカツ専門店とやらが、もんじゃ焼き屋さんに負けない勢いで林立しているという話を聞いたこともあります。さて、実際にはどうなのでしょうか。
もう一つ、忘れてならないのが、橋の築地側に昔からあるふぐ料理屋さん、「天竹」さん。
子どもの頃、たった一度の贅沢で、まだ元気だった祖父や、父の長兄一家、わたしの両親と弟と共にそれも歩いて行ったことがありました。
そこが東京でも有名な、格安でとらふぐを戴けるお店だったことは、お勤めをしてから知りました。
会社の人たちと2度ぐらい行きましたが、その頃は安い代わりに予約不可で、約束の日には、誰かが外に出る仕事をでっち上げて、会社には直帰しますと報告をして早めにお店に行き席取りをしたことを思いだします。
それ以来、もう何十年も行っていませんが、今でもグルメ情報を見ると、トラフグを安価でと紹介されているようです。

昔の月島は、今のようなお金持ちの街でも、オシャレな街でもなく、工員さんや職人さん、木場や築地のお兄さんのたくさんいる、長屋と路地の庶民の町でした。深川、月島なんていうと江戸っ子という言葉が浮かぶでしょうが、工員さんや職人さんには、地方から東京に働きに出てきた人たちも多かったようです。
わたしの祖父と祖母も、福島から上京した祖父に、足軽の娘という江戸っ子の祖母の組み合わせでした。
その頃、水かけ祭りとして有名な月島住吉神社のお祭りでは、関東では珍しい八角神輿を担いだお兄さんたちが、最後にお神輿ごと東京湾に飛び込むと聞いていました。今は危険だからそんなことしないでしょうが、なかなか荒っぽい気風の街だったのです。
お神輿を担ぐ男の人たちには、入れ墨も少なくなく、銭湯でも、普通に刺青の人がいたそうです。

そんな人たちが住む街だった月島は、今どんな姿を見せてくれるのでしょうね?
土曜日は、勝鬨橋から歩いて、門前仲町を目指します。
佃大橋、中央大橋なども見られると思いますし、江戸時代に大阪の漁師さんたちが移り住んだ町である佃島には、住吉神社さんがあります。また、老舗の佃煮屋さんなんかもあるようです。
わたしも、このコースを歩くのは初めてなので、とても楽しみです。良いお天気でありますように。そろそろテルテル坊主制作に取り掛かった方が良いでしょうか?





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最終更新日  2014.09.03 13:46:09
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