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久々に映画館にて映画を観る。前から気になっていたのだが、機会があり観る事に。ゲド以来だ。 内容は上映中ということで省略。(あらすじは映画HP参照) サブタイトルと宣伝文句からして一応、これで完結ということだが、どちらにもできるように作られている。要望しだいで次につなげられるようにしたのだろう。 ジョニー・デップ扮するジャック・スパロウは相変わらずコミカルで強烈なキャラクター。今回はそれがまたディズニー的な色合いが一段と濃くなってまたおかしい。彼の独り舞台のシーンが多々登場するのだが、一つずつ個々で演じたって事だよね?すごいな。 今回は人間対人間の戦いがあるのでかなりのシーンが入っていると思うのだが、(特に冒頭の処刑シーンとか)家庭的なディズニー映画でそこのところ問題にならないのだろうか、素朴な疑問が浮かんだ。 今作キーラ扮するエリザベスが異様に強くなっているように感じるのは気のせいだろうか?でも好きな女優の一人だからいいけど…、最後の見せ場の演説は格好良かった。英語は分らないけれど、キーラの喋り方は一音一音がはきはきしていていい。 呪われた海賊での敵だったバルボッサが今回結構重要な役どころ。面白いおっちゃん。 ラストはあれでハッピーエンドなのかな? 映画館で見たのであまり大笑いするわけにもゆかず、隣にいた翼氏と話したかったのだが、周りの迷惑なるわけにも行かないので、静かにしていた。自分の鑑賞スタイルとしてはレンタル派なのかもしれない。思わず映画に突っ込み入れたくなるのをどうにか我慢していた。 まあ、たまには観るのもいいけれど。 今回、映画を観る前に不思議なことが起こったのだがそれはここでは書かないことにする。 楽しいひと時を過ごした。
2007/06/30
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満員電車にだいぶ慣れてきたので本を読み始める。そうでもしなければ読書の時間が無い。電車の中なので文庫本以外は広げられない。やっている人もいるが今の自分にはそこまでの技術が無い。片手でハードカバーを持ちページをめくれないし、両手だとバランスを崩してこける恐れがある。20分×2という短い時間だが何もしないと非常に長く感じる。読み始めて時間が早く過ぎるようになった。 この本は院生の間にある国際関係学の教授との話でローマ史に興味を持ち、薦められて読み始めてはいた。しかし論文や他の事で気を取られ、3巻を読み終えたところで止まっていた。 最近、本に対する興味が失せてしまったのか読まなくなった。現代の小説家と括ってはいいけないが、なんだか題名やあらすじを読むだけで興味が失せてしまう。自分が頭が老いたのか、良い本が少なくなったのか、それは分らない。内容即実益の思考が強まったのだろうか? 昔感じていた「世界を自分なりの考えで理解したい」という欲求は弱まったわけではないが、本の中から得ようと今は感じない。むしろ吸い出せる知識には限界がある。吸い出す受容体の経験が足らなければどんな本を読んだってそれはただの知識に終わる。そんなものは言葉遊びのゴタクに過ぎない。 だが長年の習慣で本を読んでいないとなんだか居心地が悪い。気持ちが悪い。思考力が落ちる。大学の頃以前のように好きな本は暇を見つけて読んでいた。とにかく興味が持てそうな本をということで今回表題の本を手に取った。短編よりも長編のほうが背景を説明してくれるので読みやすい。 前置きが長くなった。 かなり前にレビューを書いた『ハンニバル戦記(上)』の続き。 この巻でいよいよ稀代の名将ハンニバルが登場する。別名ハンニバル戦争とも呼ばれる第二次ポエニ戦役の後半まで描いたもの。ハンニバルのピレネー山脈、アルプス山脈を越えてイタリアに入り、用兵の妙と騎兵の活用で数度にわたる会戦に勝利し、ローマを窮地に追いやる。しかしファビウスの唱えた持久戦論でじわじわと持ち返し、スキピオの登場でハンニバルの後方であるスペインを制覇する。 ここまでの内容。 久々に戦記もの、歴史ものを読んだせいか、死者の数に違和感を感じてしまう。千、万の単位で人が死んでゆく。それが当たり前なのだろうが一行で冷徹に進んでゆく。 一度に千、万単位の死者が出た現場というのはどういうものなのだろう。自分には想像もできない。最後に歴史ものを読んだのはいつだろう『坂の上の雲』を読んだ時も違和感を感じた。 数千数万もの死者が出る。其の一人一人がものを考える人間であり、様々な連鎖の中で生きている。其の一瞬をもって様々な連鎖が突然断ち切られる。私には想像も付かない。 十代の頃よく読んだ中国の歴史もの、日本の戦国、幕末などの動乱期のもの…、あの時はこんな違和感を感じずに読んだ気がする。事実は事実として読んでいた気がする。自分の性格も変化したらしい。 人を一番殺したものが英雄、殺人をなんとも思わないのが英雄、よく言われる言葉だ。 今何故だか『罪と罰』のラスコーリニコフ(ラスコリーニコフ?)のことが頭に浮かんだ。自分も彼のような論理思考を持ったことがあり、この本を読んでしばらく動けなくなった。衝撃を受けた思い出がある。自分は間違いなく彼の論から行くところの英雄にあらざる側だなと感じた記憶がある。 最近は読んでいないが『ベルセルク』のグリフィスが浮かんだ。最後のベベリットに犠牲を捧げるシーンで屍の山に自分の王国を描くシーンがある。最近はあの作品まったく読んでいないけれどまだつづいているんだよね? 「ハンニバル」という名前、何か意味を持っているのだろうか? 映画でホプキンス爺が出てた『ハンニバル』というのがある。この人の名前から取ったのだろうか?ローマではハンニバルにまつわることわざ?が生まれたくらいだから。 ふと自分に帰ってみる。自分の現在の世界は平和だといえる。其の時代しか知らない。ストレス社会の自殺率の非常に高い社会とはいえ、この国に戦争と呼べるものは起こっていない。内なる心の中の戦争という意味でシビルウォーだとか何とか、誰かが言った気もするが、自分の今、おかれている、直面している問題は一ミクロンの価値も無いような気がする。ビクビクせず萎縮せず自分が最善と思うことを為そう。そう思えてくる。 取りとめもなく書いてしまったがこのようなことを思った。ローマ人の物語(4)
2007/06/29
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スタインベック著『エデンの東』を読んだ。 長編。一言で言うならばトラスク家とハミルトン家の人々の3代を描いた物語。 主人公は誰ともいえない。皆が主人公のようなところもあるが。全編を通じて出ているのはアダム・トラスクのみということになるだろうか?しかし、アダムが常に物語の主軸にいるわけではない。 いうなればトラスク家側の主人公がアダム、ハミルトン家側の主人公がサミュエルということになるだろう。 時代としては南北戦争から第一次世界大戦までのお話。 ジェームス・ディーン主演の『エデンの東』は良くできた映画だということを感じた。この物語のエッセンスをよく抜き取っている。特にアダムにプレゼントを拒否されるシーンは良くできている。 この作品を読んで連想したのが陳忠実著『白鹿原』(中国)。一族の族史的な部分があり歴史の見方が大変に面白い小説だった。日本で似たものをあげるならば『夜明け前』ということになるだろうか。しかしこの作品、読み難いし、違う。またトルストイの『戦争と平和』ほどの深い人物描写までは行っていない気がする。 アメリカ人が自身を描くとこのような感じになるのかと感じた。アメリカ人の中でも○○系アメリカ人として生きる。二つの国民性に依拠して生きる。 読みやすい小説だと感じた。訳が良かったのだろう。またストーリーもだらだらと進むわけでなく、きちんと山は作ってあるのでたるまず読めた。 問題は自分の方にあり、時間がなかった…、学生のように夜通しで読むわけには行かない。明日がある。かなりの時間を要してしまった。期間が開いたので最初のほうをかなり忘れている。しかし、面白くて一気に読んだことは覚えている。 内容があって読みやすく楽しめる本というのはめったに存在しない。バランスの良い本だったように思う。 ただこの作品、というか年を食ったせいなのか、どの人物にも感情移入ができなかった。唯一なんとなく分かる気がしたのが、トム・ハミルトンの気持ちだった。以上。
2007/06/24
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『インファナルアフェア(無間道)』のハリウッドリメイク版、レオナルド・ディカプリオ、マッド・ディモン主演『ディパーテッド』を観た。 あらすじは『無間道』3部作の内容を一本にまとめたもの。そのため何人かの人物が削除され、何人かの人物が一人に統合されている。 ぶっちゃけ、自分はこれを認められない。 結構な役者を使っている。批判はあまりしたくないが、香港版の製作者が観たら間違いなく悲しむんじゃないだろうか?しかしネットの批評を見ると、皆、よくできているという評判を載せている。挙句の果てにアカデミーまで貰っている…。私には良く分らない。 『インファナルアフェア』にあった人間性というものがハリウッド版の場合、まったくといっていいほど見られない。特にハンに当たる人物にまるで人間性を感じない。どうしてそうなったかも語られない。ただそうあるだけ。中身がまったく見られない。 またケリー・チャンに相当する役は二つの人物を複合させてしまったことでおかしくなっている。 極めつけはラストシーン。屋上での潜入同士の対峙が大好きだったのに、にらみ合うことも無く、ただレオナルド・ディカプリオがマッドデイモンを殴り続ける…。 これを作った監督は『インファナルアフェア』の何を見ていたのだろう?ネットの批評ではこのリメイクは原作にとらわれず成功したといわれるが、私はそうは思わない。題名が違うからいっそリメイクということは外してほしい。そうすれば納得がいく。 うーん、批判はしなくなかったのだが、結果的に批判だけに…、それほど原版の『インファナルアフェア』が好きなんで、『ディパーテッド』が好きな人はご了承を。
2007/06/23
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今日は出張から戻ってきたEと会う。 たいした深い話はしていない。私は借りた本の延長を、彼は眼鏡を作りに、それがメイン。仕事のこと、友人のこと、そしてEの相手探しなど。EにはJを薦めてみた。お似合いだとは思うのだが。 翼氏の名前が覚えておらず変わりに私の奥さんとして認識したようだ。まあ、自分は嫌な気がしない。冗談だろうが嬉しいものだ。「もう呼ぶ時はお前の奥さんとよぶわ。」ま、何でも誰かと分ればいいんじゃない。 翼氏に会えない週末というものはなんだか不思議な感じだ。会えないよりは会えたほうが何倍もいいがお互いやることがある。一人の人間なんだから。
2007/06/10
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テレビでやっていたので偶然観た。 内容は県庁から民間交流で来たエリート公務員野村(織田祐二)が、ぶつかり戸惑い挫折する中で様々なことを学び取り、成長してゆくというのがメインの筋。 宣伝でよくやっていたので内容ははじめから理解していた。借りては見ようと思わなかった。内容が分かりきっていたから。 原作は読んだことがない。原作はもっと違ったものなのだろう。 一番印象に残ったのは最後のシーン。 主人公の野村が議会で都市開発への異議から馴れ合いの県政への還元を行う。女性知事は「前向きに検討する」といい彼の案は通ったかにみえる。 次のシーンでパートの二ノ宮(柴崎コウ)から県政の改革のことを聞かれ「簡単には変わらないだろうな」ということを口にする。 実際、彼の修正案が「私は前向きに検討するといったのよ、」といい、官僚の大ボスがやってきて修正案をゴミ箱に捨てる。 最後のシーンで県庁備え付けの高級エスプレッソマシーンが有料になっている。 一人の力で変えられる部分は本当に微々たるもの。どんなに踏ん張って動かしてもそれだけしか変えられない。原作もその意味を含んでいたのではないだろうか? 劇や物語ではよく一人の英雄が現れ、様々な過程を経てたちまち不正を糾してしまう。しかし一人で体制を動かせるほど、今の世の中簡単じゃない。 物語の筋よりもシーンごとの断片が興味深い作品だった。
2007/06/09
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乙一原作、田中麗奈、チェン・ボーリン主演『暗いところで待ち合わせ』を見た。 主人公はミチル(田中麗奈)とヒロユキ(チェン・ボーリン)。 ミチルは事故から全盲になり、父に先立たれ、一人暮らしをしている。ある日ヒロユキは殺人の容疑者として追われミチルの家に忍び込む。二人の奇妙な同棲生活が始まり…。という内容。 元気のないぼんやりとした引きこもりがちで臆病、だけど優しい、それがミチルの性格、ヒロユキはいつも不満で世界に自分の居場所なんてないと思っている。形は違えど両者とも内に閉じこもりがちな人間が主人公。ミステリの要素を抜いて読めばそんな引きこもりがちな二人がお互い心を通わせ、世界に居場所を得る、というのが結末。そう解釈した。 深夜に見てちょうどいいかな、そんな映画だった。
2007/06/08
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楽天ブログで別の方のこの映画に関する記事を読んで興味が引かれ、見つけたので観ることにした。 自分の考えた啓蒙書を売り込んで成功しようとしている父、年老いてから若いときにやらなかったやんちゃをしようとしているはじけた祖父、ニコチン中毒の母、ゲイで失恋から自殺未遂を図った伯父、空を飛びたいために空軍パイロットになろうとしニーチェの影響を受けて沈黙を続ける兄、そして美少女コンテストに出場することになった娘、オリーブ。以上の四人がオリーブのミスコン出場のため、ポンコツのミニバスに乗って会場までいき、出場するまでのお話。 その道中で様々なことが起こり、それぞれの問題が噴出してゆく。 テーマは「家族」と書かれていた。まさにそうだと思う。 この映画を観て、個人的に思ったこと: 自分の仕事の話しかしない父親を見て、自分も最近、仕事の話しか口から出てこないことに気づいた。翼氏と話すときぐらいは別の話をしよう。いや、それよりももっと人の話を聞くようにしようそう思った。 もっとも心を動かされた場面はそれまでぼんやりして、まったく話さなかった兄が色弱であることが分かる(色弱はパイロットになれない)一連の場面。狂ったように叫ぶシーンでなぜか一番心を動かされた。また妹の行動にもなんともいえない、印象が残った。 なぜそれまで知らなかったの?というその場面を台無しにする疑問は浮かんだが、その疑問は的外れだろう。物語は象徴であるのだから。 頑張ってもどうにも突き破れない事に対する挫折。生活の中では緩やかに進行する場合が多いのではないか?自分の場合はそう感ずる。 何のことが思い浮かぶだろう。高校の剣道のあっけない最後、留学中の挫折、どんなに頑張っても伸びない中国語、最後が今、自分にとって一番つらい。だから変にこだわらず、気張らないようにしている、今の実力がどこまで通用するのかは分らないが、やれるだけはやるつもりだ。しかし語学学習が下手なことは否めない。自分は努力が嫌いな人間かもしれない。だからこそ努力を強いなければならない。自分がこれでいいと思うより一ミリでも前に出なければ、何も変わらない。今までのままだ。この映画にそんなメッセージはないが。語学の到達点は難しい。どこまで行けばいいのか、本当に分らない。またほかの事をやっているときに比べて、毛ほども自信が湧いてこない。いつも不安にさいなまれ続けなければならない。なんだって同じかもしれないが。でもこれまででもやってきた。これからもやってゆけるだろう。そういう楽観な見方もある反面、依然として底流に不安は燻り続ける。だからこそ、時々の気分転換が重要なものになる。考え込みすぎたときはしばらく別のことに頭を支配させるべきだ。今はいいサイクルできているさ。少々脱線。閑話休題、中身のあるいい映画だった。
2007/06/02
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