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家を空ける前に 何とか 日記を100%記入しておかなければと、頑張ったせいで、やっと達成出来た。 2日前までは 8日分も貯めていたのに、我ながら驚いている。 その代わり 明日出発だというのに 旅行の準備が全く出来ていない。 東京に送る宅急便の ダンボール箱への詰め込みなど、今夜は徹夜になるかもしれない。 以前 東京の友人から頼まれて ピエロを手配したイベントが、きょう( ホテル日航福岡)で開かれた。 一応 立ち会わなければと思って、出発を明日に伸ばしたものだ。 イベントの名前は「ジャグラーツアー2005」。 北電子というスロットメーカーが新製品の発表の為 全国で開いているもので会場には 大勢のお客さんが詰め掛けていた。 展示会は 想像したより大規模で、会場には 数十台のスロットマシーンが設置され、業者や顧客達が、思い思いに ゲームを楽しんでいた。 2人のピエロは、会場の雰囲気を和らげるのと、バニーガールさんに、カメラ小僧達が、変な事をしないかという、監視役も兼ねていたのだが、客の年齢層も高く、変な振る舞いは全く見られなかった。 私は、電話でお願いしただけで お会いしてなかった ピエロの事務所の代表で、ご自身も(南京玉すだれ)の名手の 松花堂気楽さんに挨拶をして、城之内早苗さんのショーを観て帰ってきた。 ☆☆ 明日から2週間程は、東京暮らしです。携帯で 原稿を送ったりというような高度な(?)技を持ち合わせていませんので、暫く日記はお休みします。 あちらで ノートに日記を書き、13日頃から、まとめて パソコンに移したいと思っています。(去年もそうしました。) いつも この日記を見てくださっている方(特に お会いした事はない方だと思いますが、inktomisearch.comさん)には申し訳ありませんが、宜しくご了承ください。
2005年03月31日
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私の趣味の一つは、プロ野球観戦。 愈々 シーズンが開幕して、毎日テレビで楽しんでいる。 アンチジャイアンツで、ライオンズファンだが、その二つのチームに 顔を見るだけでもムカムカする嫌な奴、そいつが出てくると、テレビのチャンネルを変えるか、スイッチを切ってしまう奴がいる。 名前を見るのも嫌だが、元木と大沼。 もしライオンズの関係者がいて、(選手か監督 コーチを食事に誘うが誰がいい?)と訊かれたら、こう答えるだろう。 (ライオンズだったら誰でもいいよ。但し大沼以外だったらね。) 何故 私が彼を毛嫌いするかというと、彼の為に落とした勝ちゲームが、どれだけあるかという事。 確かに去年は5勝しているが、その倍ぐらいは、彼の為に負けている。 去年 何度も この日記に書いたが、折角 勝っていても 彼が登板すると必ず逆転され、負けてしまう。 こんな投手を監督やコーチが 何故使うか分らない。 余程 有力者のコネがあって使わなければならないのか、それとも、上司にゴマをすって、取り入るのがうまいのか。 実力の世界だから、そんな事はないと思うが、そう思わざるを得ないような監督以下の采配だ。 どんな勝ちゲームでも、彼が出てきた時点で、私は負けを予測してテレビのスイッチを切る。 きょうも そうだった。ライオンズがファイターズに3対3に追いつき、これから逆転という大事な時に、好投している星野を引っ込めて何故 あいつを出すか。 私は即座に ああ きょうの勝ちは これで無くなったと、スイッチを切った。 そして あとで パソコンで結果を見たら、予想通りの負け戦。 7回に星野が2三振を奪った時には、8回も星野で、9回は豊田の登場だろう。勝ちパターンだなと思った。 それが 何故大沼なんだ、森だって、小野寺だって、北海道出身の三井だっているのに。 きょうのゲームは ライオンズにとっては落とせない大事なゲームだった筈だ。ここで 負け越しを許してしまえば、今後の対戦で調子付かせる事にだってなりかねない。 去年 このページで、何度もライオンズの厄病神と書いたが、今年もそうなってしまうのか。 第一 河原とのトレードだって 後藤を出すよりは、この厄介者を放出すべきだったと思うが・・・。 でも 西武と違って 他球団の眼の肥えたリーダーだったら、大沼なら要らないと言ってくるだろうけど。
2005年03月30日
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精神的なイライラや何となくのバタバタなどで、ついつい 日記を書く余裕がないまま、8日分も貯めてしまった。 1日に上京すると、また10日間は日記を掲載出来ない。 とに角 上京前に それまでの分は頑張って書こうと、きょうは一日 他の事は後回しにして日記書きに専念した。 朝の11時半までかかったが、8日分は無理だった。 やっと書き終えたのは6日分だけ。 もっと短くすればいいのに、書き出すと、つい あれもこれもと思い出して 長くなってしまう。 きょうは 何もないので 昨日の事を思い出した。 買い物の帰り、車に乗っていると、つい この間 調理師学校を卒業したばかりの18歳の生徒から電話が掛かってきた。 卒業生から電話が掛かるのは大変珍しいので何事かと思うと、4月の末に 会社で 新入社員としての自己紹介をしなければならないが、どうやったらいいのか分らないので、教えて欲しいというものだった。 在学中はコンビニでアルバイトをしており、美人ではないが 愛嬌のある子だった。 私はまず スピーチの3原則から話した。 1 スピーチは、相手へのサービスである。 だから面白くなければならない。相手に笑って貰えれば成功だと心得よ。 自慢話は面白くない。まず失敗談を話して、相手の心を掴みなさい。 (だちょう倶楽部が昔 よくやっていた ツカミはOKってやつだ。) 私はこの春 調理師学校を卒業したばかりの、○○です。調理師の免許を持っています。 学校の友達は皆 食品関係の会社に就職しました。私だけが何故か車関係です・・・。 2 スマイルを忘れずに 彼女は、人懐っこくて 普段は笑顔が魅力的な子だから、緊張して笑顔がなくならないように。 緊張した顔で1分しゃべるよりも、ただ ニコニコして黙っているだけの方が、自分の人柄を分って貰える事だってあるから、スピーチを特別のものと思わず、たかが、スピーチと、自然体で臨む事。 3 スピーチは 短めに スピーチの(3っのS)の最後は、ショート。長ければ印象に残るとは限らない。 むしろ、もう少し聞きたいなと思わせるぐらいで止めるのがベストだ。 面白い話を一つだけして、どっと笑って貰って、そこで終われたら最高だ。 最後に 彼女は苗字が津留崎、名前も3文字なので、こんなヒントも参考にと、伝えた。 ツルサキの字は 鳥の鶴ではなく、大津の津に久留米の留、そして長崎の崎と書きます。 苗字も名前も3文字なので、役所で書類を出す時など、手間が掛かります。 だから オヨメに行く時は 畑さんとか 牧さんとか 岡さんのように苗字が1字の人の所に行きたいです。 (冬ソナ)のヨン様と結婚できたら最高です。だって苗字は ペですから。
2005年03月29日
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昨夜(?)は 寝室の暖房を入れずに寝た。この冬 初めての事だったが、特に寒さは感じず、ぐっすり眠れた。 桜の開花は遅れているが、春は近くまで来ているのかもしれない。 起きると、食堂の電球が切れていた。 食卓の上に パソコンを置いてあるので、暗くて使えない。 車で 散髪に行き、ついでに(グッデイ)で電球を買う事にした。この店は何でも揃うので便利だ。 上京する時は いつも衣料など かさばる物は、事前に宅急便で送るようにしているが 荷物を入れるダンボールも買った。 散髪は約2ヶ月振りなので、伸びた髪をバッサリ切ったら、首筋が寒くて仕様がない。 風邪を引くのも嫌だから、リビングの暖房を入れた。 セブンイレブンから 8000円程の振込みをした。 コンビニで使えるカードを貰っていたので、振込みにも使えるかどうか訊ねたら慣れてない女性店員(アルバイト?)が、暫くモタモタしたあと、ブッキラボウに使用出来ませんと言う。 (お待たせしました。申し訳ありませんが、お買い物以外にはお使いになれません)ぐらいの事は言えないのか。 余程 注意してやろうかと思ったが 煩わしいので辞めた。 せめて(申し訳ありません)だけでも 頭に付ければ 随分 印象が違うのに。 いくらアルバイトでも、接客の基本ぐらいは教えて 店に出して欲しい。 きょうの映画 「下町の太陽」(63) 荒川に面した東京の下町で、化粧品工場に勤める町子(倍賞千恵子)には 同じ工場で働く毛利という恋人がいるが、彼はこの工場の丸の内の本社勤務に憧れ、正社員登用試験の勉強に励んでいる。 一方 町子には 通勤電車で いつも 熱い視線を送ってくる鉄工所の工員 北(勝呂誉)がいて、交際を申し込まれるが、恋人がいるからと断る。 ある日 彼女の SLマニアの弟が、鉄道模型を万引きして警察に捕まった事から、北が弟と仲良くしてくれ、暖かく見守ってくれている事を知る。 そして相談に訪ねて行った工場で、一生懸命に働く彼の姿を見て、心を曳かれる。 そんな折、毛利は登用試験に 次点で不合格となり、彼は 処世術にたけ 何事にも要領よく 合格した同僚の金子の事を散々にコキおろす。 所が、その金子が車で老人をはね、目撃した毛利に 会社には報せないでくれと、懇願したのを押し切って通報、そのせいで 金子の登用は取り消され、代わって 毛利が正社員に採用となる。 喜んだ彼は 早速 町子にプロポーズするが、毛利がとった金子への態度を受け容れる事が出来ない彼女は、結婚を断る。 (あなたは結局は下町を出て行く人。でも私はここに居たいの、いつまでも)と。 倍賞千恵子が歌う この映画の主題歌(下町の太陽)は、当時 大ヒットした。 倍賞自身も 浅草の出身で、下町のざっくばらんな性格を持った女優だが、のちに この映画の監督 山田洋次が、下町の人情をテーマにした(寅さんシリーズ)を撮った時に、主人公寅さんの妹 さくらの役に彼女を抜擢したのも 頷ける。 当時 人気のあった (ダニー飯田とパラダイスキング)で、坂本九チャンと人気を二分していた キューピーこと石川進が 鉄工所の工員役で出ていて懐かしかった。
2005年03月28日
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MASHのレッスン、きょうは声楽と日本舞踊。 私のレッスンはないが、先生たちにギャラを支払わなければならないので、練習場に顔を出す。 珍しく未有チャンのお父さん(高橋さん)が、私の来るのを待っていた。 以前から 話は聞いていたが、今月一杯で 教室を辞めたいと言う。 理由は経済的なものなので 引き留めようがないが、来月は桃子チャンが 下旬に行われるバレーの公演に向けて 日曜日に稽古が入る為、1ヶ月だけ休みたいと言っているので、未有チャンに辞められると、4人の先生のうち、1人にしかレッスン料が払えない。 その事を言うと、高橋さんが、1ヶ月だけ辞めるのを延ばしてくれた。 これで2人の先生のギャラが出た。 あと 2人分は また 私の手出しだ。 林君に聞くと、杏奈ちゃんが高校合格で、来月から復帰しそうとの事で、もし彼女が戻り、大學に入った内田君が来てくれたら、何とかなるのではないか。 その林君だが、きょうも体調が悪そう。 きょうは日舞が 新しい演目に入り、カチカチ山を題材にした ウサギの曲で、跳んだりはねたりする所作が多く、とても辛そうだった。 何でも また 車に酔って頭が痛いとの事。 他の車は平気だが、お母さんの車に乗ると酔うのだそうだ。 それは この車は酔うぞという自己暗示に掛かっているのだろうと言うと、運転とか車の走行に酔うのではなく、車の中の匂いに気分が悪くなるので、それは お兄ちゃんも同じだという。 それなら 車に消臭剤でも置けばいいのに、昨日オーディションを受けた(赤毛のアン)のスポンサーのエステー化学は、正にその部門の専門家、今度 カーショップで適当な物を見つけてプレゼントしよう。 毎週 レッスンの度に、酔った酔ったと聞かされるのも嫌なものだ。 レッスンが終わって 日舞の美女友先生を、車で 自宅まで送った。 彼女のマンションは 福岡の桜の名所 西公園の真下。 沿道には提灯も飾られ、花見の準備が整っているようだ。 そういえば 西公園の山開きは、昔は4月1日だった。しかし ここ数年の暖冬で、その日には もう桜が散りかけている事もあって、日にちを早めたと聞いているが、今年は 山開きは済んだのだろうか。 たしか 去年の今頃は満開だったように記憶しているが、今年は遅れていて、まだ つぼみも開いていない。 きょうの映画 「一生遊んで暮らしたい」(97) 猿岩石の2人の主演による 岸和田青春物語。 キャストも配給会社も違うが、(岸和田少年愚連隊)と同じ作家 中場利一の原作の映画化なので、シリーズ3作目と言ってもいいだろう。 岸和田で喧嘩三昧のハチャメチャな日々を過ごす 二人の不良と、彼らをめぐるアブナクも愉快な人々のエピソードを描いたもの。 2人は それぞれ ナンパした女性と同棲生活を始めるが、ひとりはすぐに身籠ってしまい、もう1人は 次々に昔の旦那が現われる。 その 昔の男とは 皆 危ないヤクザの幹部ばかりで、ムショから出てきた男に見付かり、慌てて東京に逃げたりする。 そのアブナイ女を演じているのが、私の好きな小島聖。 (あつもの)や(完全なる飼育)では 大胆なベッドシーンで、見事なプロポーションを披露した彼女だが、この映画では ベッドシーンは有るものの、全く脱がない おとなしいもので、すっかり 期待を裏切られた。 猿岩石の2人は、シリーズ前作のナインティーナインらに比べて 迫力不足で、木下ほうか 渡嘉敷勝男といった共演者に助けられた。 それにしても 最近 見かけないが、猿岩石って まだ芸能界にいるのかな?
2005年03月27日
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毎年恒例 エステー化学のミュージカル「赤毛のアン」の九州ブロックのオーディションが、きょう行われた。 MASHからは、午前の部 小学生以下のクラスに桃子チャン、午後の部 中学生以上のクラスに林君がチャレンジ。 午前の受付開始が9時半なので 7時半起床、8時半のバスで行く積りにしていた。 前日が3時間しか寝ていなかったのと、きょうも4時半に 床に就いたので、不安があったが、目覚ましの音には敏感なので、大丈夫と思っていた。 所が まだ7時前の筈なのに マンションのエントランスで人の声がする。 こんなに早朝から迷惑なと、時計を見たら、時間が点滅になっている。 私の目覚ましはラジオなので、途中で停電すると点滅に変わり、時間が分らなくなる。 慌てて跳び起きて 居間の時計を見たら9時27分。 急いで準備をして タクシーを呼んだが、予約で混んでいて10分ぐらいかかると言う。 去年のオーディションでは、4人が応募し、皆が同じ時間帯で 心強かったが、今年は時間が別で、初挑戦の桃子チャンが、ひとりぼっち。 知らない人ばかりの中で、さぞ心細いだろうと気が気じゃなかった。 30分ぐらい遅れて 会場の福岡市民会館に到着したが、幸い まだ オーデイィションは始まっていなかった。 内容は例年通り、ダンスから。 番号順に15人ずつぐらいの班単位でステージに上げられ、先生が踊って見せる。 その場で その振りを覚えて 皆で踊る。 全員が一通り ステージ上で踊り終えたあと、今度は5人ずつが 舞台に上がり、同時に審査を受けるのだ。 桃子チャンは幼い頃からクラシックバレエをやっているので、振りもすぐ覚え 安心して見ていられた。 さて 次は 歌のオーディション。題名は忘れたが(僕らはみんな 生きている・・・)で始まる有名な曲だ。 こちらは ピアノの伴奏で、1人ずつの審査。 始まる前に、座席の通路の所に 桃子チャンを呼んでアドバイス。 彼女は元々声が小さいので、レッスンの発声練習の時のように大きな声で、番号と名前を言いなさいと。 審査は歌だけでなく、名前を言う所から採点の対象になっている事を伝えた。 それと もう一つは、歌い終わったあと、審査員だけでなく 伴奏してくれた人にも お礼を言いなさいと。 こういう注意は、その時は覚えていても、いざステージに上がるとカーッとなって忘れるものだが、桃子チャンも林君も忘れずにキチンと挨拶出来た。 きっと 落ち着いていたのだろう。 結局164人の応募者のうち、ピアニストにお礼を言ったのはMASHの2人だけだった。 人がやらない事をやるのは、勇気のいる事だ。 しかし 人がやらないからこそ やった人間が いい意味で目立つのだという事を2人は身をもって学んだ事だろう。 桃子チャンのお母さんに その事を話すと、客席で見ていて、(うちの子はいつの間に あんな事が出来るようになったんだろうと、感心していたんですよ。先生のアドバイスだったんですか!)と言われた。 午前の部が 終わって、愈々 合格発表。 何と 初出場の桃子チャン 見事 合格!! それに もう一つ嬉しかったのは、他所の子だが、私が3年前から注目していた子が始めて合格した事だ。 野田さんという その子は、去年初めて会場で声を掛けた子だが、去年は誰かに大きな声を出しなさいとでも言われたのか、無理に出しているような大声が、彼女のイメージに合わず、気になっていた。 しかし今年は、歌もダンスも無理のない自然体で のびのびと演技している。 歌が終わって ステージを降りてきた彼女に 私は思わず、(今年は合格するよ)と言ってしまった。 ニッコリ笑って、有難うございますと言う彼女に、もし落ちていたら困るなと、あとで気を揉んでいたが、予想が的中して 彼女も見事に合格。 過去3度失敗しての合格だけに、さぞ嬉しかっただろうと祝福したい気持ちと共に、何度も挑戦する そのチャレンジ精神に敬意を表したい。 もし どこのスクールにも所属していないのなら、私のMASHで大きく育てたいものだが・・・。 さて あとは 午後からの林君。 受付の1時に会場に来た時は顔面蒼白。いつも車酔いする彼だが、きょうは特に激しいらしく、吐き気が治まらないと、暫くは外の冷たい空気に当たっている始末。 そんな せいもあって、ダンスはいつもの精彩がない。 客席のお母さんが 駄目だ駄目だと嘆くので、桃子チャンと同じように 通路に呼んで、(ダンスは75点だったが、歌で95点とれば、まだ逆転のチャンスはあるぞ)と激励した。 しかしながら 午後の部の合格者の中に林君の名前はなかった。 そして 合格発表のあとに行われた審査の講評の中で、残念ながら不合格になった人のうち、今後の事で、是非アドバイスしたい人が何人かいるので、訊いて欲しいと 番号が読み上げられた。 その中には林君の番号があった。 ロビーで待機するゼネラルプロデューサーの山田比古三さんの所に行って、(114番です)と言うと、(おお 林君か、審査員全員が君の事 大好きだって言っていたぞ。歌はうまいね、でも ダンスがな~)と言われてしまった。 大好きなら採用してくれればいいのに、気がついてみたら、去年同様、30人の合格者の中に、男性は1人もいなかった。 そしてアドバイスを貰った応募者の中で 男性は林君ひとりだった。 という事は、男性では彼がナンバーワンだったという事になるが、きっと「赤毛のアン」というミュージカルでは、男性の重要な役はないという事か? だったら 女性だけを対象にオーディションをすればいいのにと、恨みがましく考えてしまう。 今後、男性が主役のミュージカルがあれば、是非チャレンジさせたい。 所で、合格した桃子チャンら30人だが、主催者が言うには、即出演が決まった訳ではないとの事。 オーディションは きょうの福岡を皮切りに全国各地で行われ、最後は4月4日の東京で終わるが、すべて終わってから、4月中旬に最終発表があるとの事。 オーディションは、地方公演のみの出演希望者と、全国公演の希望者の二通りがあり、その振り分けがあるのだろう。 実はMASHでは 一昨年 紗代チャンが 福岡で合格したものの、最後の全国選考で落とされたという苦い経験がある。(合格の確率は70%といった所か?) だから手放しで喜んでばかりもいられないが、今年は何とか桃子チャン行けそうな気がする。 エステー化学のホームページにも、きょうの結果が写真入で掲載されているがオーディション合格者ではなく、通過者になっている。 午前の部 通過者22名 (前列左から5番目が桃子チャン)
2005年03月26日
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佐々木さんのお通夜で 久し振りに小倉に出かけた。 同じ北九州市でも八幡には両親の墓がある為、11月と7月の命日には墓参に行っているが、なかなか小倉までは足を延ばさない。 7時からのお通夜に間に合うように 車で出かけたのだが、夕方のラッシュと重なり、少し遅れそうだった。 宝典寺というお寺は 小倉に住んでいる頃、よく見かけて知っていたが、念の為、カーナビで調べて万全を期した。 所が現地に着いてみたら、道路の様子がすっかり変わっていて なかなかお寺が見付からない。 近くらしいホテルのフロントで訊ねたら、地図を出してきて一緒に調べてくれた。 やっと到着した頃には、もう一般の ご焼香が始まっていた。 ご霊前の裏書きもそこそこに、記帳は後回しにして、焼香を済ませた。 遅れたが、食事でもしながら、故人の思い出話でもしようかと思っていたが、食事もお茶も何も出なかった。 長男の寿太郎君と立ち話をして、オバサンのお顔を拝見して帰ったが、まるで眠っているような、声をかけたら返事をしそうな 安らかな死に顔だった。 小倉に来たついでに、高校同期の瀬口君に会おうと、彼が経営している喫茶店に行った。 ホテルの フロントの奥で開いているもので、彼のいれてくれたコーヒーを飲みながら カウンターで暫く昔話に花を咲かせた。 彼は大學を卒業後、母校の小倉高校で体育の教師をしていたが、定年前は確か八幡のどこかの高校で校長をしていた。 そういえば 博多で ぢどり屋を開いている佐藤も小倉高校出身。 定年後の仕事としては、こういう商売は面白いのかもしれない。 調理師学校にも、元中学の校長が習いに来ていたが・・・。 少し空腹を覚えたので、車はパーキングに置いたまま、寿司を食べに行った。 母が経営していた料亭で 仲居をしていたユキさんが、年下の板前さんと開いている店で、ここも随分な久し振り。 ビールが飲めないので、チョットだけつまんで帰る積りだったが、ご愛想の一言を言いそびれているうちに 次々と握りが出てきて とんだ散在をしてしまった。 料亭は地下2階、地上4階で、60畳の座敷を持つ北九州では一番大きな店だったが、母が60歳になった時に、長男の私が 跡を継がないからと、店仕舞いして下関の人に3億円で売ってしまった。 そして そのお金は、殆ど借金の返済に使われてしまって、残らなかったようだ。 買い手の下関の三四郎という店は、特に改造はせずに、料飲ビルとして多店舗で営業していたが、数年前から営業が上手く行かず、閉店していた。 その後の事をユキさんに訊くと、今は建物は取り壊され、更地になっているとの事。 車を停めたパーキングの すぐ近くなので、歩いて帰る途中 寄ってみたら、そこもコインパーキングになっていた。 都心の ど真ん中で駐車場では、採算が取れないだろうに。 いつもそうだが、行きは高速を使ったが、帰りは特に急ぐ用もないので、博多まで一般道路を通る事にした。 10時少し過ぎだったが、カーナビを入れると、到着時刻は1時3分だという。 いくら一般道路でも 3時間もかかる訳がない。どれ位 時間を短縮出来るか、カーナビと競争しようと思った。 かなり飛ばしたせいか、家にたどり着いたのは、1時間以上早い12時少し前だった。 そういえば、今夜は満月。 運転席から 真ん丸い月を眺めながら、父が亡くなった11月30日の夜も、こんな月が出ていたな~と思い出した。
2005年03月25日
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夜 食事の支度をしていると、幼馴染の中島寿太郎君から電話が掛かってきた。久し振りなので、彼とは同じ高校の 4月に開かれる同窓会の事や、衆議院の補選の事などを話題に盛り上がった。 幼馴染といっても 彼とは親戚同様の付き合いだ。 彼の母親姉妹と私の父が、同じ乳母からオッパイを貰って育った、謂わば乳兄妹の間柄で、血は繋がってないが、乳で繋がった親戚のようなもの。 暫く談笑したあと、(実は きょう電話したのは・・・)と彼が切り出したのは、母親がきょう昼間亡くなったという知らせだった。 (笑っている場合じゃないよ)と私が言うと、(もう歳が歳ですから、みんなメソメソ悲しんだりしていません)と言う。 普通なら最初に切り出す話を、雑談のあとにしたのは、気を遣わせまいとする彼の気配りなのだ。 話を訊いてみると、母上は去年の暮れに、呼吸が苦しくなり、小倉の記念病院に検査入院。 心臓の弁が弱っているので、それを取り替える手術をしたそうだ。 90歳の高齢で、手術に耐えられたのは、母上のお姉さんが100歳で亡くなっており、姉と同じ歳まで あと10年使える弁に取り替えて欲しいという 本人の強い希望があったそうだ。 私も初めて知ったが、そういう場合の手術に使われる 代わりの心臓の弁は人間のものではなく、豚や牛の弁で、母上の場合は豚の弁だったそうだ。 早くに亡くなった ご主人は作家の劉寒吉さんの兄上で、劉さんには何度かテレビの番組にゲストで出て頂いたり、寿太郎君の結婚式では、私の隣の席で、色々と女性論などを聞かせて頂いた。 私が若い女性が好きなのを知っていて、女性の本当の魅力は30歳過ぎてからだよと仰言ったのをよく覚えている。 中島さんのお姉さんの佐々木さんの白寿のお祝いには 私も小倉まで駆けつけた。 佐々木のオバサマは長い事 鼓のお稽古をしており、お祝いの席には その仲間と中島さんのオバサンの日本舞踊の仲間が大勢見えていた。 期待していた佐々木さんの鼓は やはり99歳の高齢の為、聞かせて頂く事は出来なかったが、妹の中島さんが お祝儀の日本舞踊を披露された。 出し物は(ひとり浦島)。90歳近いオバサマが ゆらりともせず 片足で立つ踊り振りに、会場からは 驚きの声が挙がっていた。 その翌年 佐々木さんは100歳で亡くなったが、その時は 中島さんから 通知がなくて、随分経ってから、お線香を上げに行った。 父の納骨の時は、中島さんに 墓地まで来て頂き、帰りに母とお寿司を買って、当時 病気で自宅で寝んでいらした佐々木さんをお見舞いした。 明後日の葬儀には、私は 生徒達が応募したミュージカルのオーディションがある為、伺えないので、明日のお通夜に伺う事にした。 明日の夜は 元会社の先輩との約束があったが、1日延ばして貰った。 私は死後の世界を信じる方だが、100歳で亡くなった佐々木さんと妹の90歳の中島さんが天国で再会し、鼓の伴奏で日舞を踊られるのを、乳兄妹の私の父が、眼を細めて観ている姿が想像出来て、悲しみよりも、むしろ楽しい気分になっていると言ったら不謹慎だろうか。
2005年03月24日
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ここ数日、色々な方から 地震のお見舞いの電話やメールを頂く。 所がきょう 初めてハガキでのお見舞いを頂いた。 地震直後に心配して、電話をくださったそうだが、全然繋がらなかったという事で、随分心配をお掛けしたみたいだ。 思いがけないハガキの主は 斉藤誠さん。 元 フジテレビのプロデューサーで、のちに FNS系列のチャリティーの事務局の仕事をなさっている時に、同じく九州でチャリティーを担当していた私が 大変お世話になった。 フジテレビ内でも有名な 大変ユニークな方で、書道は時々個展を開き、それだけでも食べていける プロの腕前。 芝居やバレーが好きで、長期の休みを取っては、崩壊前のソ連に出かけていた。 年齢は70歳を超えているが、未だに結婚の経験のない独身。 物腰が柔らかいので 女性に興味のない種類の男性と思われる事もあるようだが、プロデューサー時代は、加賀まり子さんの恋のお相手として、週刊誌で騒がれた事もあるそうだ。 もっとも、加賀さんが一方的に追いかけていたという噂もあるが・・・。 随分お会いしてないが、今年頂いた年賀状は 中国の消印だったので、まだ あちらにいらっしゃるものとばかり思っていたが、きょうの消印は国内だった。 出来れば 4月に上京した時にお会いして、フジテレビ問題など、伺ってみたいと思っている。 きょうの映画 「大魔神 怒る」(66) 北欧の巨人伝説「巨人ゴーレム」(36)をインスピレーションとし、日本の民話や伝説を加えて作られた 日本初の特撮時代劇 (大魔神シリーズ)の 3作のうち 2作目。 1作目が好評で、4ヵ月後に作られた。 八雲の湖と呼ばれる美しい火口湖の岸に住む 千早一族は 千早十郎城主のもと、平和な日々を送っていた。 そこへ 悪政を欲しい侭にする 隣国の領主 御子柴弾正が攻め入ってきた。 そして 一族が守護神として崇めている 埴輪武人像を、粉々に砕いて湖に投げ捨てると、村の人々が大切にしている鐘も同じく湖底に沈めてしまう。 若き城主の十郎や許嫁の早百合らは捕らえられ、他の住民と共に、弾正によって、火あぶりの刑に処せられる事になった。 まさに 薪に火が着けられようとした瞬間、早百合の必死の祈りが通じたのか、湖水を真っ二つに割って、猛り狂った武人像(大魔神)が、湖から現われた。 やがて 弾正らの一味は 大魔神によって滅ぼされ、この武人像も再び湖の底に消えて行ったが、湖底からは 平和を取り戻した千早の領地を祝福するかのように静かな鐘の音が響いてきた。 このシリーズでは どの作品も、なかなか 大魔神が現われず、今か今かと待ちわびるうちに、やっとの お出ましになる所は 水戸黄門の印籠に似ているが、それまでの 柔和な埴輪武人像の表情が、怒りに触れて、一瞬のうちに憤怒の形相と化す所が素晴らしく、また 全くマバタキしない充血した眼も鬼気迫るものがある。 プロ野球 ベイスターズの佐々木投手のニックネームが 大魔神だが、容貌と歩き方の特徴からいけば、私は当時の張本選手の方が似ているような気がしていた。
2005年03月23日
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最近知り合ったばかりの22歳の女性とデートの日。 彼女は 自称 元パティシェなので、ケーキを持って行く。 我が家の近くに ケーキ好きの人なら 知る人ぞ知る(シェ・クァノ)という店がある。 カノさんという方が フランスでの修行から帰国して開いた店だ。 そこで 人気商品の イチゴのケーキと新製品のチョコレートのケーキ、それに可愛いスワンの形をしたミニシュークリームを選んで、2つずつ 箱に入れて貰った。 さぞや喜んでくれるかと 期待したが、反応はイマイチだった。 スワンのシュークリームに手を出しただけで、あとは 食べないまま 持って帰ってしまった。 私も食べようと、二つずつ入れたのに、私だけ食べる訳にもいかず、結局 全部彼女のお土産になった。 パティシェの割には ケーキは余り好きではないらしく、将来 ケーキ屋を開きたいというような夢もないそうだ。 福岡では(16区)という店が有名だが、彼女が 知っているのはその店だけのようで、(シェ・クァノ)の事は知らなかった。 本当に パティシェだったのかなあ、少し疑問が残った。 私はシラフで若い女性と会うのは苦手なのだが、彼女はお酒が嫌いだと言うので飲まずに行った。結構 我儘な女の子だ。 まあ 美人だから、眺めているだけでも楽しいし、少々の事なら我慢するか。 きょうの映画 「突破口!」(73) 1970年代の ドン・シーゲル監督の傑作。 元曲芸飛行のパイロット(ウオルター・マッソー)の 現在の本職は銀行強盗。 妻を含む4人のメンバーで、田舎町の小さな銀行ばかりを襲い、1~2万の収穫で、満足している。 所が ある日 押し入った銀行で、予想もしなかった75万ドルという大金が転がり込み、慌ててしまう。 逃走用に銀行の前に停めた車が、手配中の盗難車だった為、警察に疑われ、銃撃戦となって、運転席の妻は死亡する。 かろうじて 若い仲間と2人、隠れ家のトレーラー・キャンプの車に逃げ込んだが、新聞やテレビのニュースで報じられる被害金額も30万ドルぐらい。 この大金は 銀行と組んだ マフィアの隠し預金だったのだ。 警察に分ると まずいので、過小申告しているが、組織が大事な金を奪われて黙っている筈がない。 早速 専門の殺し屋を呼び寄せて 犯人探しが始まる。 メキシコに高飛びしようと 偽造を頼んだ 裏のパスポート屋から足がついて、トレーラーで留守番をしていた若者は 全てを白状させられた上、殺し屋のよって惨殺されてしまう。 パイロットは 奪った金を返したいと 組織のボスに電話をし、1人で来る事を条件に 飛行場に彼を呼び出す。 果たして そのパイロットは、無事 マフィアの手から脱出出来るのか。 車で追う殺し屋と セスナで逃げようとするパイロットのカーチェイスが見所。 W・マッソーは、持ち味の飄々とした感じで、どことなくユーモラスな強盗役を演じているが、冒頭の銀行を襲うシーンでも、松葉杖に 石膏で固めた足と、意表をついた犯行振りを見せてくれる。
2005年03月22日
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昨日の大地震から一夜明けて、中央区や博多区では、相変わらず余震が続いていると言う事だが、我が家は全く余震知らずの静けさ。 このマンションの施工が鹿島で、土台がしっかりしているせいかもしれないが、全く揺れない。 それでも また いつ余震が来るかもしれないと、崩れ落ちた新聞のうち、3分の1は まだ元に戻さずに置いてある。 怖いのは 東京に出かけて 10日程 留守にする間に また揺れるのではないかと言う事だけだ。 きょうの映画 「風花」(01) 59年に岸恵子・川津裕介主演で作られた木下恵介監督の名作とは、タイトルは同じだが、全く別の作品。 こちらは 亡くなった相米慎二監督の遺作。 途中まで観て、以前観たような気がしてきた。 ある朝 満開の桜の花の下で目が覚めた男と女。 男には昨夜の事は全く記憶に無いが、彼(浅野忠信)は文部省の役人で、酒癖が悪く 酔って万引きを働き、休職中の身。 昨夜は 女が働くピンクキャバレーに行き、死にたいと言って 彼女(小泉今日子)の太股に、マジックで遺書を書いた。 それを見た彼女が、死ぬんだったら 私の故郷の北海道に行って一緒に死のうと約束したのだ。 彼女には 女の子供が1人いるが、その子を 再婚した母に預けて、父の借金を返す為 東京で働いている。 やがて、北海道に渡った2人は、まず 彼女が子供に ひと目 会いたいと、母親の再婚先のお寺を訪れるが、まともな仕事をして落ち着くなら、ここで一緒に生活してもいいが、今のままでは 子供に会わせる訳にはいかないと断られてしまう。 死に場所を求めて 二人は、雪深い 山のホテルに泊まるが、早朝 置手紙を残して 彼女だけ 山頂を目指して出発する。 薬を飲んだ彼女が、ひとり 雪の中で、東京から持ってきた線香花火を楽しむシーンが強く印象に残った。 キョンキョンこと小泉今日子が好演。
2005年03月21日
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午前10時56分、福岡県を大地震が襲った。 私はまだ寝床の中だったが、グラグラッと来て目が覚めた。 (地震かな?)と思う間もなく、ベッドが激しく横に揺れた。 まるで、ジェットコースターに乗っていて、それが突然カーブで曲がる時のような衝撃だ。 私は東京で何度も地震は体験している。 時には 東京の自宅の2階に寝ていて、思わず外に飛び出したくなる程のものもあったが、従兄弟に(地震があったね~っ)と話すと、(そうだね)とケロリとしている。 東京の人間は もう慣れっこになっていて、これぐらいの地震では驚かないのだと、感心していた。 所が、きょうの揺れは そんな半端なものではなかった。 必ず余震が来るぞと、身構えていたが 結局 揺り返しは来なかった。 30分後ぐらいに1回 2秒ほど揺れたが、それはダンプが横を通る揺れより少なかった。 早速 枕元のラジオをつけると、早くもNHKが地震の情報を流していた。 テレビと同時放送のようだったので、居間のテレビのスイッチを入れたが、起きるのが面倒だったので、寝室で音声だけ聴いていた。 結局 NHKは、きょうは すべての番組を飛ばして 地震関連の情報だけを流し続けていた。 福岡市の東区と博多区、中央区などで震度6弱と最も大きな揺れを観測したそうだが、いつまで経っても 南区の震度は発表されなかった。 震度0という事はないと思うが、揺れが他より少なかったのか、観測する装置がなかったのだろう。 最初の揺れが収まった時に まず 考えたのは 神戸や新潟の人達は さぞ恐ろしかっただろうという事だった。 自分が体験しないと、人の恐怖は分らないものだ。 暫くウトウトと仮眠をして 気がついてみると、寝室の天井まで積み上げてあった2列の古新聞が 完全に倒れて隣のベッドに散乱していた。 もし私が寝ている方のベッドの上だったら、骨折ぐらいしていたかもしれない。 古新聞の下敷きになって重傷なんて事になっていたら シャレにもならない。 トイレに行こうと部屋を出たら リビングの入り口に やはり積んであった3列の新聞のうち2列分が崩れて、ドアを塞いでいる。 必死に排除作業を続けて、やっとトイレに行く事が出来た。 あとは テレビの上に置いてあった大きな時計が落ちて 停まっていたぐらいの被害で済んだ。 きょうの地震の震源地は 県の西側の浅い海底だったそうだが、その為 海に近い東区や中央区が一番大きく揺れ、海から遠い南区の揺れが少なかったのだろう。 都心の天神地区では 60回位の余震があったとテレビは伝えていたが、少なくとも南区の我が家は余震は皆無に等しかった。 あとで同じ町内に住む具島さんに その事を言うと 何度も余震はあったそうで、感じなかったのは 私が鈍いせいだと バカにされた。 テレビのインタビューを聞いていても分るが、福岡の人は恐らく生まれて初めての地震体験だった人が大部分なのではないだろうか? 福岡で このような大きな地震が起きたのは、大正12年に気象台の観測が始まって以来 1度もなかったという事だ。 私は小学校から高校まで北九州市育ちだが、いま住んでいる福岡(博多)が大好きで、福岡の住みやすさを 人に自慢する時は、台風が殆ど来ない(実際 鹿児島や長崎に上陸した台風は、殆どコースをそれるか、福岡に来る頃には勢力が弱まり 熱帯低気圧になっている)、魚が美味しい、美人が多いなどと並んで、一番に言っていたのが、絶対に地震がないという事だった。 しかし 今度の地震で福岡は(無地震神話)が崩れ 最大のセールスポイントを失ってしまった。 バス、電車、列車に 飛行機、船便も停まり、高速道路も全面閉鎖、三越や大丸などのデパートも営業を中止するなど、初めてのこと尽くしで、名古屋 東京 熊本の友人・知人から 安否を気遣う電話やメールをたくさん頂いた。 母が生きていれば 真っ先に電話が掛かってくる所だが、今は 私は身内がいない状態なので、誰からも連絡はないものと思っていた。 ところが 意外に多くの方に心配して頂き、改めて人の暖かさを感じる事が出来た。 きょうは 夕方から ダンスの公演に行く予定が入っており、中止かもしれないと思っていたら、一緒に行く長野さんから、予定通り決行との連絡が入り 出かけた。 公演は 「ソウル・スプラッシュ・クルー」というダンスのグループの設立3周年を記念して開かれるもので、「一つ有る会」のメンバーの桂君が所属する「一世風靡 世狼」がゲスト出演している。 会場のホークスタウンの駐車場の入り口には、係りの若い男性が立っていて、きょうは ここだけしか営業してませんがと、店名のリストを見せてくれたが、開いているのは ほんの4~5店舗だけで、あとは 全てシャッターが降りていた。 しかし ダンスの会場は熱気に溢れ、次々と登場するダンスチームは皆 見事で、福岡のレベルの高さを感じさせられた。 初めて観る「一世風靡 世狼」は、リーダーの山口さんの表情が豊かで チョット 他のメンバーよりも歳をとっているが、存在感を感じさせられた。 きょうの出し物は コミックなアニメの主題歌が中心だったが充分楽しめた。 公演の途中 少し大きな余震があって、一部 場内がざわめいたが、舞台上の熱演に呑み込まれてしまった。 帰りに 後輩の佐藤がやっている「ぢどり屋」に、長野さんを案内して食事をした。 かくして 福岡では記念すべき(?)3・20大震災の日は、その後の被害もなく、取り敢えず 無事に終わった。
2005年03月20日
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ケーブルテレビで(ザ・ラストサムライ)を放映する。 以前 劇場で観たが、もう1度観たいので、録画する事にした。 でも 困った事が ひとつ。 その時間帯に、裏番組で 観たいものがある。 私が(笑点)と共に2つだけ 毎週観ている(恋のから騒ぎ)のスペシャル版。 今までのレギュラーが、全員代わる為の 最終回だ。 地上波テレビを録画しながら、ケーブルの番組を観る事は出来るが、その逆は出来ない。 その場合、もう一台の 持ち運び用のテレビで観るようにしているのだが、何故かしら カシオのそのテレビは VHFの局しか映らない。だからFBS(日本テレビ系)やTVQ(テレビ東京系)など、福岡でUHFの局は観る事が出来ない。 そんな時は どうするかと言うと、車のテレビで観るようにしている。(車のテレビはUHFのものも観られる。) 地下の駐車場に行き、車のエンジンをかけて 中で観ていると、マンションンの住人が みな不思議な顔をして、こちらを伺っているのが分る。 外出から帰って来た車は、私が出て行くものと勘違いして、車庫のシャッターを降ろさない。 だから こちらが いちいち降ろさなければならない。 そうして 苦労して観た きょうの(から騒ぎ特集)だが、MVPの発表があった。 毎年 最終回には 年間のMVPが発表されるのだが、今年は 司会のサンマが(彦六)師匠とニックネームをつけた、殆ど喋らない女性が選ばれた。 前回の番組で サンマは、もし その女性が選ばれたら 来年から無口な女性ばかりが応募してくるのではないかと心配だと言っていたが、その通りになってしまった。 トーク番組なのに 喋らない女性が評価されるなんて不思議だが どうやら それは司会のサンマの好みらしい。 やはり サンマが司会をする(あっぱれサンマ大裁判)という番組で、福岡でオーディションをやった時に、MASHの生徒 何人かを応募させたが、比較的よく喋った 林君が フジの関係者に、この番組は 余り喋らない子供を探しているんだよと言われたという事を聞いている。 そういえば レギュラーで出ている久留米の男の子も、私がNACタレントセンターで教えた子だが、筑後訛りがひどく 余り喋らない生徒で、私の評価では ABCの3段階のうち 最も低いCだった。 どうも そうした 落ちこぼれ的な人間を、自分の話術で操って 使っていくというのが、サンマのポリシーなのかもしれない。 その(あっぱれサンマ大裁判)は、東京では まだやっているかもしれないが福岡では放送が打ち切られ、観られないのが残念だ。 きょうの映画 「東京原発」(04) 東京都のカリスマ都知事(役所広司)が、急遽 局長クラスの幹部を集めて、会議を開くという。 突然 奇異な行動に走る知事の事、今度は 何が飛び出すかと おっとり刀で集まった幹部を前に、知事が切り出したのは 原子力発電所の東京都誘致計画。 しかも 場所は新宿の都庁裏の公園。 たちまち 会議室は賛否両論で パニック状態になる。 反対派の副知事は 直ちに東大の物理学教授を呼び出して、原発の危険性をレクチャーして貰うが、都知事が 安全性を説いて貰おうと期待していた原子力安全委員は 他の仕事で 手が離せないという。 その 他の仕事とは、フランスから運ばれてきたプルトニュウム燃料を極秘裏に 輸送しようというもの。 反対運動派が待ち受ける港を避け、一旦お台場に陸揚げした燃料を、トラックで 福井の原子力発電所に運ぶという計画だ。 教授の具体的な説明で、それまで原子力に対して理解のなかった局長達にも、その危険性が充分に伝わった頃、都知事の計画が 別の意味を持っている事が分る。 知事は 本気で原発を誘致しようと思っている訳ではなく、計画を発表する事によって起こるであろう マスコミや市民の反対運動によって、国のエネルギー政策の問題点をあぶりだそうというものだった。 そこには 都知事の身分で 国の政策を批判は出来ないが、マスコミや市民の力で見直しを迫ろうという深謀遠慮が隠されていた。 真意を知って ホッと胸を撫で下ろした幹部たちだが、そこで大きな事件が発生する。 地下鉄で 知事と安全委員の携帯電話でのやりとりを聞いてしまった 爆弾マニアの少年に 燃料を輸送中のトラックがジャックされてしまう。 そして 少年によって時限爆弾がセットされたまま、トラックは都庁へ向う。 もし爆弾が破裂すれば 東京だけでなく 日本全土が被爆する 未曾有の大惨事になるが、果たして爆発を食い止める事が出来るのか。 玄関前に到着した トラックの荷台下にセットされた時限爆弾に、処理班の人間が近づいた途端、後ろで 青く丸い光がピカッと光った所で、この映画は終わる。 爆発した事を暗示したように見えたが、コメントでも映像でもはっきりとは 示されてはいない。 昨日の映画でもそうだったが、最近 この手の映画が多い。 起承転結の起承転までは示すが、結は勝手に想像してくれという趣向なのか。 何事も はっきりとさせないとすまない 私のような性格の人間は、こういう終わり方は苦手である。 映画の半分以上は会議室の中という設定で、飽きさせずに見せたのは、幹部役のベテラン役者たちの演技力に負う所が多いが、私は環境局長役の吉田日出子が いい味を出していて一番好きだった。
2005年03月19日
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終日 家にいて 録画した映画を観た。 邦画と洋画、どちらもよく分らなかった。 絵画では 具象画と抽象画があり、具象の方は誰にも分り易いが、抽象画は人によっては その良さが分らないものがある。 有名な作品だと、分らないと言うと 自分の鑑賞眼を疑われると思って、無理に分った振りをする人もいるが、私の場合は、分らないもの 好きじゃないものは、はっきり そう言う。 映画でも そうだ。 いくら人気があっても、私には(ハリー・ポッター)や(ロード・オブ・ザ・リング)は、よく分らない。 きょう観た映画もそうだった。 「CASSHERN」(04) 73年に放映された 人気テレビアニメ(新造人間キャシャーン)の実写版。 人間の性は悪だという 性悪説をテーマにした反戦映画だそうだ。 アニメの実写化のものに多いが、ほぼ全編 CGと実写の融合という映像は素晴らしいが、映像より セリフでの説明が多く、それが逆にストーリーを分りにくくしている。 物語は世界戦争を舞台にしているが、アメリカが全く登場して来ない。 50年にわたる ヨーロッパ連合との戦いに勝利した大東亜連邦共和国では、人心は荒廃し、核や放射能に汚染され 荒れ果てた大地だけが残った。 遺伝子工学の権威 東博士(寺尾聡)は、重病に苦しむ妻を助けたい一心で、人間のあらゆる部位を自在に作り出す 新造細胞理論を構築。 これを 他の目的に利用しようとする軍関係者の援助で始められた実験では、博士の思惑を超え、新造人間なる 新しい生命体を生み出してしまう。 こうして生まれたブライ(唐沢寿明)は、人類に宣戦布告。 博士は 先の大戦で、自分に逆らい戦場に赴き 戦死した息子鉄也(伊勢谷友介)を 新造人間として甦らせる。 こうして 2人をリーダーとする 二つの集団が 戦闘を繰り広げる事になる。 映画全体としても、説明しなくてはいけない所を、観る人の想像に任せており、何だか欲求不満の残る映画。 博士役の寺尾聡は、歳と共に 父親の宇野重吉に似てきたが、宇野が演じてると錯覚するぐらい そっくりだった。 「アメリカン・サイコ」(00) 女性監督が描いたサイコ・サスペンス映画。 87年のニューヨーク。若くして成功した超エリート証券マンが、突如 衝動に駆られて、夜の街で浮浪者や娼婦を 次々に殺害していく。 また 自宅の豪華マンションでは、愛人や仕事上のライバルをも殺害し、死体はクローゼットに吊るしている。 挙句の果て 犯行を嗅ぎつけた警官隊と銃撃戦を演じ、銃を乱射して20人を殺害する。 弁護士に電話をするが、犯行を信じて貰えない。 所が、引越しをする為 自宅のマンションに戻ってみると、大家が改装工事を始めており、クローゼットからは死体が消えていた。 彼の殺人は すべて妄想であったのか? ラストシーンで、いきなり妄想だと言われても あっさりとは承知出来ない。 殺した筈のライバルを見たという情報も、弁護士から電話で伝えられただけで、実際に映像で そのライバルの姿を見せれば、観客も納得出来ると思うが。 ウヤムヤな中で エンディングを迎え、あとは勝手に 観客が想像しなさいというのか? スッキリしたくて観た2本の映画だったが、かえって ストレスが溜まってしまった。
2005年03月18日
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久し振りの夜の外出にコートなしで出かけてみた。 体感温度としては4月中旬ぐらいか。 風も冷たくなく、春が近づいているのが感じられた。 きょうは、月に1回の食事サロン「ミカの会」。 幹事が選んだ今月の会場は和風料理の「久岡家」。 新しい料理を運んで来る度に、若いお兄さんやお姉さんが、その説明をしてくれる。 外国の料理では珍しくないが、和風料理の店では珍しいと思った。 本日の参加は 男女5名ずつの10名。 常連の安部さんが欠席で ちょっと寂しかったが、美味しいものを頂き、日本酒や焼酎でほろ酔いのメンバーで今夜も賑わった。 和室の場合は 席が決まってしまうと 中々立ち難く、席の近くの人としかお喋りが出来ない。 遠くの席が 面白そうな話題で盛り上がっていても参加出来ないのが残念だ。 何故か楽しそうな独身3人組 会の終了後 男3人で、Beへ2次会に。 珍しく我々以外にもお客さんが来た。 IT関係とお役所勤務の それぞれ初対面の男性と意気投合して会話が弾んだ。 お酒が入っていればこそで、シャイな私などは シラフじゃこうはいかない。 改めて お酒が飲めるっていいな~と、飲めない人を 可哀相に思った。
2005年03月17日
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昨日 火事の取材について触れたので、きょうは その第2弾。 火事というと 12・1・2月と、寒い時期に最も多いものと一般には思われているが 実際には 3月が一番多い年もある。 その証拠に 今年の全国火災予防運動は、3月1日から7日までの1週間。 昔は4月が一番多かったのだが、最近は4月は減って、その分 3月が多くなったという次第。 この季節には フェーン現象と呼ばれる 高温で 乾燥した空気が、山から吹き降りてくる。 元々はアルプス山脈からドイツ地方に吹いていたのを指していたものだ。 そのフェーン現象も 以前は4月に起きる現象だったが、早くなったのは、桜の開花が4月から3月になったのと関連しているかもしれない。 さて その火事の取材だが、消防局と放送・新聞各社とは無線で繋がれている。 まず 119番に火災の通報が入ると、時間と場所を報せる無線がマスコミに流される。 その時 同時に出動の種類も通知される。 出動は原則として 第1から第3まであるが、テレビ局が取材に出かけるのは第3出動から。 119番通報があれば、すべて第1出動だ。 望楼に登り、火か煙が発見されると、初めて第3出動となる。 それでは 第2出動とは何か。 第2にはAとBがあり、通報された場所が住宅密集地の場合は 第2のA、通報を受けた時間に乾燥注意報が出ていれば、第2のBとなる。 例えば中州の繁華街の場合は、すぐさま 第2のAが発令されるが、酔っ払いがイタズラして火災報知器を鳴らしたりする事が多い。 しかし本当の火事の場合は、大惨事になりかねないので、我々も緊張して待機する。 それで 消防署から、(先程の火災の通報は酔っ払いのイタズラでした)と無線が入ると、ホッと胸を撫で下ろす。 出動の種類によって 現場に急行する消防車の台数が違ってくる。 消防車に乗って現場に行った消防士には 出動手当てが支給される。だから無闇やたらに 消防車を出す訳には行かないのである。 火災だけではないが、119番通報で救急車が出動した回数は、平成15年の東京都で、42秒に1回だそうだ。 所で、私がいた局は 元は 南区の高台にあり、パノラマのように市内を一望出来た。 毎週土曜日の午後 1時間のワイドショーを 生で放送し、歌手の立川清登さんと私が司会をしていたが、たまたま 放送中に火事があると スタジオのカメラを急遽 玄関から外に出し、(只今○○方面で火災が発生しています。外出されている方は、至急お帰りください)と、火煙の生々しい映像と共に実況をしたものだった。 火事といえば 報道部時代に苦い思い出がある。 私が北九州支社に駐在していた頃、八幡の済生会病院で 深夜に火事があり、逃げ遅れたお年寄り多数が焼死するという大事故があった。 支社の報道記者はデスクを含めて3人で、週休2日の為、殆どの日は2人勤務。 勿論 夜勤はいなくて、本社の夜勤がカバーしていた。 宿直の記者とカメラマンが交代で仮眠をとり、消防や警察無線をチェックしていたが、偶々 その火災の日は 無線のスイッチを切ったまま2人とも熟睡し、夜明けまで、火災に気がつかなかった。 朝 火災を知って我々が現場に駆けつけた頃には火はすっかり消え、無残な焼け跡が残っているだけだった。 勿論 我が社以外の各社は、延焼中の建物や避難の模様などを しっかり撮影しており、恥ずかしい大失態だった訳だが、ミスを犯した本社の当直の記者らは、始末書ひとつ書かず、お咎めなしという、お粗末な態勢をさらけ出した。 火災の原因は、酔っ払って宿直室に潜り込んだ医師が点けた 蚊取り線香の火が カーテンに引火したものだった。 当時の済生会病院の院長は 私の知人で、酒が入ると(うちの娘を貰ってくれんか)と、口説かれた仲だったが、謝罪の院長会見では、やつれ切った様子が気の毒で、取材しながら、眼を合わす事が出来なかった。 きょうの映画 「望楼の決死隊」(43) こちらの望楼は火災用ではなく、戦場の見張り用。 のちに 社会派と呼ばれるようになった、今井正監督がメガホンを取った国策映画。 日中戦争直前の 朝鮮と満州の国境に配備された 国境警察官たちの労苦と活躍を描いたアクション映画。 極寒の国境では、鴨緑江が凍結すると共に、満州から 匪賊が河を渡って攻めて来る。 (実際には彼らは 抗日の武装ゲリラなのだが、この映画では、朝鮮の良民から金品を強奪していく匪賊として描かれている) 警察官は首席の警部補以下数名のみ、群れをなして襲い掛かってくる敵を相手に警部補夫人(原節子)までが銃を持って闘う様は、正に西部劇。 銃弾が切れ、もはやこれまでと、自決を覚悟した時、味方の軍隊がトラックに乗って駆けつけてくる。 インディアンに囲まれた幌馬車隊を助けに 騎兵隊がやって来る如くに。 かつて 私たちが ジョン・ウエインの(駅馬車)の 同様なシーンに胸躍らせたように、当時の観客も トラックで駆けつけた軍隊に 思わず拍手を送った事だろう。 国境でのお正月に、警部補の家に集まった警察官達が 夫人手作りのお雑煮に舌鼓を打つシーンが印象に残った。 警察官や住民の役で、大勢の朝鮮人の役者が出演している。
2005年03月16日
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最近 飲み事が多く、タクシーをよく使う。 私はタクシーは、第一交通のものしか乗らない。 いつも乗っているのに、先日やっと 気がついた事がある。 助手席の背もたれの裏に、運転手の名前と写真が入ったケースがぶら下げてあるが、そこに 趣味が書いてあった。 私が乗った車の運転手さんは 趣味が読書と書いてあった。 聞いてみると、会社からは、パチンコと酒だけは 書く事は禁じられているそうだ。 酒は分るような気がする。運転中に飲んでいるのではと、客に不安を与えてはいけないという配慮か? しかし パチンコは何故だろう。ギャンブル性があるからなのだろうか? だったら競馬や競輪も禁止なのかな。 私の友人の あるホテルの支配人はパチンコが趣味だし、アナウンサーの後輩の樋口という男も、趣味はパチンコと公言して憚らない。 大相撲の九州場所になると、お相撲さんがパチンコ屋でよく遊んでいるし、プロ野球の若手の選手にもパチンコファンは多い。 趣味の欄を見たお客さんと、共通の話題を広げようとの企画だろうが、例えば 釣り 野球・サッカー観戦などと同じように、パチンコで話題が広がる事もあるだろう、少なくとも読書よりは・・・。 私は パチンコはやらないので、話題にはなりにくいが。 パチンコで思い出した事がある。 局時代にパチンコ屋さんの組合に大変お世話になった。 毎年開かれる組合の大会で オークションが行われ、その売り上げの中から100万円を、チャリティーに寄贈して頂いていた。 パチンコ屋さんの経営者には三国人が多く、パチンコ屋と呼ばれるのが嫌なのか、所轄の警察署長などを招待して開かれる その大会も 名前は(博多遊技場防犯組合)。 その大会で挨拶した 局の古賀愛人というバカ丸出し社長が、(私もパチンコが好きで、週に何回かは・・・)と何度もパチンコという名を連発し、本人はサービスの積りで大得意だったが、担当の私はハラハラ、局の営業社員も舌打ちをするなど、みな迷惑していた。 少しは周りの雰囲気を察しろよと言いたかったが、明治大學で柔道をやっていたというのだけが自慢の その阿呆には通じなかったみたいだ。 何故 私が 第一タクシーしか使わないかというと、北九州支社の報道デスク時代に、会社のチケットが使えるタクシーは、第一と西鉄の2社しかなかった。 火事の取材などに行くと、第一は 取材が終わるまで快く待ってくれたが、西鉄は、待ってくれと頼むと(待つんですか~)と露骨に嫌な顔をした。 火事の場合は火元が判明するまでに時間がかかるし、出火元が留守だったりすると尚更だ。 それに 鎮火してから やっと 現場で担当の課長の会見が開かれる事が多く、それまでは取材は困難だ。 また 業界では(ヤキトリ)と呼ばれている 焼死者の有無を確認しないまま 現場を離れる訳には行かない。 だから取材が終わるまで、嫌な顔をせずに付き合ってくれる第一タクシーを私は使っていた。 当時 中国や大分に フジテレビの系列局がなかったので、遠出の取材の時などは、絶対に西鉄ではなく 第一だった。 遠出の取材といえば、山口県にはよく出掛けた。 岩国の郵便局強盗の取材では、車で2~3時間かかり、現場に到着した頃には、もうすっかり現場保存が解除されており、絵を取るのに苦労した。 萩市の山道で女性の全裸死体が発見された事件。 サウナでマッサージの仕事をしていた若松の女性が何者かに殺され、捨てられた事件で 男性関係が多すぎて犯人が絞れないまま迷宮入りになった。 当時、現場付近の峠に女の幽霊が出ると噂され、祈祷師を呼んでお払いをしたと、(女性自身)という週刊誌に取り上げられていた。 我々が萩署に到着したのが遅かったのと 中尾カメラマン(歌手の中尾ミエの実の叔父)の服装が、ジャンパーに野球帽だった為、福岡県警の鑑識課の人間と間違われ、(どうもご苦労さんです)と、いきなり死体の置いてある部屋に案内されてしまったが、彼の撮影したフィルムは 生なまし過ぎてニュースには使えなかった。 死体は長い間、風雨にさらされて ふやけており、顔の半分はカラスに食いちぎられていた。 これでは 化けて出たくなる筈だ。 この中尾カメラマンは、私にとっては高校の先輩にも当たるが、面白いエピソードがたくさんある。 これは福岡での話だが、早朝の暴力団の手入れで、現場到着が遅れた彼が、もうガサ入れが始まってるとばかり思い込んで、組事務所の階段を勢いよく駆け上がり、ドアを開けた途端、凄い剣幕で怒鳴られ、階段を転げ落ちてきた。 普通ガサ入れの時は、警察が先に踏み込み、それに続いてカメラマンが入るのだが、その時は我々は踏み込むタイミングを待って、近くの物陰に隠れ、張り込みをしていたのだが、あれよ あれよと言う間に階段を登っていく彼を 我々は止めようがなかった。 我々も驚いたが、いきなり ドアを空けられた暴力団も、他の組の殴りこみかと、さぞ びっくりした事だろう。 長時間にわたる内定の結果、踏み切ったガサ入れをオジャンにされた警察から、我が社がお目玉を食らったのは言うまでもない。 衆議院議員選挙の時には、私は福岡2,4区の他、山口1,2区も担当しており、安部晋太郎氏や佐藤栄作氏の万歳を撮りに出掛けた。 開票日は、党の要職にある人は、自分の選挙区でじっとしている訳には行かないので、前もって 万歳のシーンだけは録画しておくものものだが、どの候補もダルマの眼入れだけは後援者と 生でやりたいからと、事前の撮影は、させて貰えなかった。 山口では民社党の今澄勇氏が、事前に万歳の映像を撮っていて、落選した事があって、以後絶対に事前には撮らせて貰えなかった。 山口で一番大変だったのは、「SLやまぐち号」の取材。 新山口と津和野の間に、引退したSLを走らせる事になり、その初列車の取材に行った。 その直前に 取材中の航空機の墜落でカメラマンが殉職しており、労組と会社の間で、安全基準が確立するまでは、航空機取材は一切禁止という協定が結ばれていた。 他社は空からバンバン撮影しているのに、こちらは、ある地点で撮影すると 急いで車を飛ばして 橋の上や山の中腹まで登り、そこから見下ろした角度で撮影し、更に列車を追い抜いて、次の地点で待ち伏せるといった具合に、絵取りに苦労したが、何も知らないフジの報道からは、何故 空撮がないかなどと文句を言われた。 当時はまだ北九州支社には報道専用車が配備されてなかったので、タクシーの運転手さんも、我々にはスタッフの一員のようなものだった。 豊前市の殺人現場での取材にも思い出がある。 妊娠10ヶ月の主婦が夫に殺され、住居の土間にネグリジェ姿のまま埋められていたという事件で、私は 食事をせずに現場に飛び出した為 空腹を覚え、運転手さんに頼んで、弁当を買って来て貰った。 発掘に時間がかかり、当分 死体は出ないだろうと、ロープの中で、食べていたら、突然(ピンクのネグリジェが見えたぞ)と鑑識の声、それでも食べていたら、ロープの外の野次馬から こんな声が聞こえてきた。 (あの記者 凄いね、死体を見ながら弁当食べてるよ)。 これには私も驚いた。死体を見るのが嫌で、家業の医者を継がなかった筈なのに、知らぬ間に 随分 神経が図太くなったものだと。 私の報道部時代 第一タクシーは、福岡に余り進出しておらず、福岡では マスコミ各社はラッキータクシーを使っていたが、最近では、北九州が本社の第一交通も福岡に進出、台数が飛躍的に増えたので、私は 昔 世話になったお礼の積りでいつも利用させて貰っている。
2005年03月15日
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バレーボール日本代表でお馴染の三屋さんが社長を務める 下着の販売会社「シャルレ」のショーを観に行った。 代理店をしている仲間の池田さんに誘われて行ったものだが、我ながらいい歳をして、好奇心旺盛なのは、困ったものだ。 駐車場が満員で、会場のホテル ハイヤット・リージェンシーには20分位遅れて到着したが、平日にも拘わらず 200人を超す女性が詰め掛けていた。 周りを見回すと 男性は私ひとり。 早く始まって早く終わらないかと、そればかり願っていたが、前CMが1時間以上あった。 会社の概要説明と、代理店 特約店の体験発表。 それに 下着とは別に販売している化粧品の説明も・・・。 (皆さんコンパクトを取り出して、自分の顔を見てください)の呼びかけに 私以外の全員が一斉に鏡を眺めている姿は何だか異様で、居たたまれなかった。 ショーのモデルさんは6人。 その中には、今月「一つ有る会」に参加してくれた女性もリーダーとして出演していた。 あとで聞くと モデルさんは みなセミプロだとの事だったが、笑顔が殆どなく、堅い表情だったのが、気になった。 下着のショーに笑顔は不謹慎だという決まりでもあるのかと、最初は思った。 途中 会場のスクリーンで、違う下着のショーのビデオが流されたが、そこに出て来るモデルは皆 白い歯を見せて微笑んでいた。 会場のモデルはAカップから Dカップまでの6人で、それぞれ個性的だったが、一番モデルらしくない女性が、ただひとり スマイルを見せていて、彼女が出てくると何故かホッとした。 「一つ有る会」新会員のモデルさんが出て来ると 何だかこちらがドギマギしてしまった。 知り合いの女性の下着姿は、色々想像力を駆り立てられて、却って照れくさいものだと分った。 知り合いじゃないモデルさんは平気で見られるのに。 また 衣装がインナーからアウターに変わると自然に鑑賞出来た。 モデルさんたちの表情も アウターになると多少柔らかくなった。 観る方だけでなく、観られる方も 下着だと緊張するものなんだろう。 終わってプレゼントの抽選会があり、当選者の名前が次々に発表された。 当たったらどうしよう、唯1人の男性としてはドキドキした。 普段なら当たるように祈るのに、ただ ひたすら当たらないように祈った抽選会は 初めてだ。 そして 当たらなくてホッとした。 無事に終わって、池田さんの代理店の仲間と 藤崎のネパール人の経営するカレー屋にランチに行った。 店の名は(シャルレ)ならぬ(シャルマ)。 帰宅してから 楽しみにしていた外国人対日本人のチャリティープロ野球の実況をテレビで観た。 私が局で野球中継を担当し始めた頃、日本のプロ野球を面白くする為に 主張していた夢が2つあった。 一つは四国にプロ球団を作る事。 日本のプロ野球には、創世記の三原 水原、全盛期の中西といった名選手 名監督が 大勢四国から出ている。 高校野球も四国のチームは強いし、春のキャンプも今でこそ九州や沖縄が多くなったが、当時は殆どのチームが四国で開いていた。 関東や関西に集中するチームのフランチャイズを 1チームぐらい四国に移せないものか。そうすればファン層の拡大に繋がるのではないかと思った。 当時は本四架橋もまだ計画されておらず、交通の便が悪いという事で、実現は難しいと言われた。 そして橋が完成してからも 観客動員の面で、困難だろうと言われ続けていたが、今年 石毛氏らの奔走のお陰で 四国独立リーグが誕生した。 私が思っていたものとは ちょっと形が違うが、一歩前進だ。 観客動員に問題がないと分れば、将来 今年の仙台と同じように四国に新球団が誕生する可能性だって大いにある。 それともう一つの夢は、日本に来ている 所謂助っ人外人の代表チームと日本人の選抜チームとの試合だ。 外人選手は敵味方関係なく仲がいい。 遠征先でも 試合が終わると誘い合って食事に出かけたりしている。 大リーグで活躍している日本人選手が そうしているかどうかは知らないが、異国で働く同じ国の選手同士が、情報を交換しあったり仲良くする事は悪い事ではない。 それらの外国人選手が一つのチームでプレーすれば、普段の倍以上の力を発揮するかもしれない。特に外人選手はお祭り好きな者が多く、オールスターゲームでは大活躍するが、オールスターに出られる選手は限られている。 それに同じ日本に来ている外国人選手でも、3Aでしかプレーした事のない選手もいれば、バリバリの大リーガーだった選手もいる。 本国では 雲の上の存在だった選手と一緒にプレーして マイナー出身の選手は大ハッスルする事だろう。 私としては 日本に はるばる来てくれた外人選手たちを慰労する為の企画として、1年に1回ぐらいはいいのではないかと主張してきた。 日本のチームにとっても、外人抜きでどこまでやれるかを試す いい機会だと思う。 所が 私にとっての長年の夢の試合が実現した。 ロッテのバレンタイン監督の発案だそうだが、日本人でなく外国人が言い出さないと実現しなかった事に一抹の寂しさを感じた。 新潟などの震災被害に対するチャリティー企画だったが、平日とあって客席がガラガラだったのが寂しかった。 それに オープン戦の最中とあって、特に外人選手に未調整の選手が多く、本調子でないのが気にかかった。 私が考えていた夢の対決は、オールスター戦の前か後での試合だったが、そうすればもっと観客の動員も出来た事だろう。 バレンタイン監督には是非 来年の夏休み企画でまた提案して貰いたいと思う。 それと GSでこそ中継していたが、新聞やネットの扱いが小さく、勝ち負けを報じただけだったのはどうしてだろう。 所で 外人選手の成績だが、ソフトバンクのバティスタ選手が さっぱりだったのには、期待していただけにがっかりした。 大リーグ通算214本のホームランは歴代13位、昨年も30ホーマーを飛ばしているメジャーリーガーで、孫社長が金に糸目を付けず アメリカから連れてきた選手で、年俸も最高額の5億2千万円。 まだオープン戦では1本もホームランが出ていないし、打率も2割前後。 最近ではスタメンを外される事しばしばで、これでは井口が出た穴は埋められない。 孫オーナーにとって 大損の買い物にならなければいいが・・・。
2005年03月14日
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夜9時半頃 市内の友人から電話が掛かってきた。 そちらは 雪はどうかと聞かれたが、全く降っていないし、積もってもいない。 そういえば 人と会う為に、7時前に天神に車で出かけたが、その時 風に混じって何か白いものがチラチラしていたので、その事を言っているのかと思ったが、8時ぐらいまでは、かなり激しく降っていたらしい。 私はその頃は ずっと 窓のない室内にいて、気が付かなかったし、9時過ぎに帰る時には全く 雪の気配はなかった。 きょうは 風が かなり強くて きっと雪を吹き飛ばしてしまったのだろう。 きょうの映画は2本。 「娘・妻・母」(60) 成瀬巳喜男監督作品。 山の手の中産階級の一家の物語。 男2人、女3人の兄弟のうち、長男(森雅之)夫婦と未婚の三女(団令子)は、父親が残した家に、母(三益愛子)と住んでいる。 所が そこに 夫を事故で亡くした長女(原節子)が戻ってくる。 長男の嫁(高峰秀子)には 叔父(加東大介)がおり、小さな工場を経営しているが、資金繰りに困ると、長男に借りに来る。 義兄でもあるし、これまで利子を付けて返済もしているからと、長男は、他の家族には内緒で、家を担保に金を借りて融通する。 所が その工場は倒産。義兄は姿をくらました為、借金のかたに 長男らは担保の家を出なければならなくなる。 その話を 初めて打ち明けられた妹達は、父親が残した唯一の財産であるこの家は自分らにも相続する権利があると主張し、仲のよかった家族の間に、深刻な亀裂が入る。 挙句の果て、家を出たあと、誰が母親と同居するかで、みんなが尻込みし、押し付け合う。 そんな兄弟の態度に怒りを感じた長女は、私が母を引き取ると宣言する。 そんな折、長女に縁談話が来る。 相手は京都の茶道の宗家(上原謙)で、2人の妻を 何れも病気で亡くし、1度会った長女を見初めて申し込んできたのだ。 彼女には、密かに思い合っている年下の男性(仲代達矢)がいるが、宗家の方は、母親も一緒に引き取リたいという好条件で、彼女は母親の為に、その縁談を承知する。 ある日、年下の男性を呼び出し、ナイトクラブに連れて行ってくれとねだる長女。 それまで2人の付き合いに消極的だった彼女から突然呼び出され、前回は踊れないと言っていた彼女の方から、踊ってくださいと頼まれて戸惑う若い彼。 きょうが貴方とお会いする最後の日ですと告白された彼は、結婚の話を聞いて愕然とする。 いつもは 男の方から押しまくられ 躊躇しながら付き合っていた彼に、積極的に別れの逢瀬を試みた この長女の健気さが いじらしく、また妙に色っぽく感じられて、私は この映画で一番好きなシーンだ。 また この映画を観て私は、小津安二郎の名作(東京物語)を思い出していた。 あの映画では、尾道から上京した両親(笠智衆・東山千栄子)を 兄弟で押し付け合う中、ただひとり優しく接してくれたのは、血の繋がってない 戦死した長男の嫁で、その役を演じたのもやはり 原節子だった。 彼女には 心優しき未亡人の役が よく似合うのかもしれない。 もう1本は 「マドンナのスーザンを探して」(85) ニューヨークを舞台に、謹厳実直な夫と暮らす平凡な主婦が、ある日 (必死にスーザンを探している)という奇妙な新聞広告に興味を持った事から 事件に巻き込まれていく姿をスリリングに描いた作品。 スーザン役のマドンナも妖艶で悪くなかったが、私にはスーザンの追っかけになり、逆に 彼女と間違われる主婦役のロザンナ・アークエットの方が魅力的に感じられた。
2005年03月13日
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きょうは調理師学校の卒業式。 私の授業は 皆 私服で受けるので、生徒達の白衣姿を見るのは、この卒業式だけ。 入学したての頃はそうじゃなかったと思うが、皆 すっかり 板に付いている。 馬子にも衣装の卒業生たち 彼らが卒業制作として作った料理のご相伴に預かり、我々も舌鼓を打たせて貰った訳だが、和洋中華にデザート類と、色とりどり。 なかには 1年間で よくここまでと感心するような料理もあって、ビールを飲みながら、眼と舌を楽しませて貰った。 そのあとの 謝恩会では、生徒ひとりひとりが、短いスピーチをしてくれたが、とても達者で、楽しいものが多かった。 何故だか 生徒はアルコールは禁止で、お茶やジュースを飲みながらのスピーチだったが、卒業出来た喜びが全身に溢れていた。 人は皆 嬉しい時は饒舌になるものらしい。 私の授業では 入学 間もなくとか 新年最初とかの節目に スピーチをさせ、投票で、ナンバーワンを決めているが、皆の きょうのスピーチを聞いて、(きょうは全員に、ベストスピーチ賞とベストスマイル賞を上げましょう)と言うと、大変喜んでくれた。 教室では、アカデミー賞の授賞式で 各賞に選ばれたスター達が オスカーを手に受賞の喜びを語るスピーチの素晴らしさを話してきたが、きょう帰宅してテレビのスイッチを入れたら 丁度 今年のアカデミー賞の授賞式をやっていた。 ケーブルで映画を観る為にスイッチを入れたのだが、たまたま チャンネルが、前回 勘三郎の襲名披露歌舞伎を観たNHKBSになっていて、そこでやっていたのだ。 ついつい面白くて、お目当ての映画は観ずに最後までこちらを観てしまったが、他のチャンネルに合っていたら、観ていなかった訳で、この偶然がラッキーだった。 カルロス・サンタナのギターで 俳優のアントニオ・ヴァンダラスが歌うといった 他では観られないショーも観られたし、各賞のプレゼンターの中には 私の大好きな女優さんが2人も出ていた。 ひとりは いつも 眼が微笑んでいるレニー・ゼルウィガー。そして もうひとりは、「初恋の来た道」のチャン・ツィイー。 前年に何らかの賞を貰ったスターがプレゼンターになるのが普通だが、昨年ツィイーは何賞を貰ったのだろう。 いつか 日本の女優さんがプレゼンターになる姿が見られたらいいなあと思った。 数名の ノミネートされた人々の名前が披露され、やがてその中の1名の受賞者の名前が読み上げられると、会場のチーム(スタッフ・キャスト)全員が抱き合って喜ぶ姿は、いつ見ても興奮するし、観客全員が立ち上がって祝福の拍手を送る光景は感動的だ。 今年はアカデミー賞始まって以来という、男優の主演賞と助演賞が何れも黒人という結果になったが、その主演賞に選ばれたジェイミー・フォックスのスピーチが素晴らしかった。 彼はスピーチの中で、小さい頃 演技する事を教えてくれた、今は亡き祖母の思い出を語り、涙で途中 絶句したが、気を取り直してこう語った。 「きょうは眠るのが楽しみです。夢の中で 祖母と たくさん お話出来るから。」 監督賞を受賞したクリント・イーストウッドもよかった。 彼は2度目の受賞だが、陰で支えてくれた愛妻に感謝の言葉を述べると共に、12年前の授賞式の時にも出席してくれた母親が、きょうも来ていると、みんなに母親を紹介した。 客席で立ち上がって 皆にお辞儀をする84歳の母親の姿が印象に残った。 授賞式に老いた母を招待する監督、そして 息子の晴れ姿を見るために はるばる訪ねてきた母親。 私は このマカロニ・ウエスタン出身の 俳優であり監督の、C・イーストウッドが 急に好きになった。
2005年03月12日
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毎日 このページに日記を書き続けている。 しかし なかなか 記入率が100%にならない。 書いている途中で午前0時を超えてしまうからだ。 だから私の この日記の記入率は、いつも 99.8%。 昨日は書き終わったのが 0時少し前だったので、瞬間的に100%になった。 きょうも 今 23時だから 100%いけるかもしれない。 午前0時までに書き上げれば、3時からのメンテナンスに引っ掛かる事もないので、3時前に寝られる。 私の当面の就寝目標時間は3時だから 一挙両得だ。 (でも昨日は床に就いたのは3時5分だった) 1週間 3時就寝が達成できたら、次は2時まで持っていきたい。 きょうは肩の凝らない外国の刑事もの映画を2本観た。 「コップ・アンド・ハーフ」(93) エディー・マーフィーばりの黒人刑事の活躍。 と言っても この刑事は8歳の少年。 テレビで観るのは刑事物ドラマ、小学校で友達と遊ぶのも水鉄砲を持っての刑事ごっこという、刑事に憧れる黒人少年が ある日、麻薬組織の殺人現場を目撃してしまう。 物陰に隠れた少年は、肌身離さず持っている手帳を取り出すと、次回の麻薬取引現場や日時、取引相手の名前など、彼らの会話の一部始終を書き留める。 更に彼らの車のナンバーまで・・・。 目撃者として警察に呼ばれた少年は、8歳で証言能力があるかどうかと訝る刑事に 車の事をほのめかす。 しかし ナンバーを聞き出そうとする刑事に、自分を刑事にしてくれたら全部話すと、取引を持ちかける。 一計を案じた婦人部長は少年に刑事のバッジと手錠を渡し、一日だけという条件で、ベテラン刑事(バート・レイノルズ)のパトカーに乗務させる。 すっかり その気になった少年は、いつも聴く刑事ドラマの口調を真似して、交通取締りにも参加、たまたま車で通りかかった小学校の担任の先生が、制限速度を5キロオーバーしているのを知ると、容赦なく 罰金キップを切ったりする。 やがて 目撃者がいるという事を知った犯人側が少年の命を狙おうとするや、部長は 刑事に 自宅に泊めるようにと命令する。 署内きっての暴れ者で気が短い その刑事と 刑事オタクの黒人少年は果たしてうまくやっていけるのか? また 殺人事件の解決と麻薬取引現場の摘発は成功するのか? 役者は、動物と子供には勝てないと言われるが、すっかり子役に食われた格好のB・レイノルズは、この年のゴールディ・ラズベリー賞で、最低主演男優賞に選ばれている。 因みに最低主演女優賞は(BODY/ボデイ)のマドンナが獲得している。 もう1本は 「男たちの挽歌 烈火の章」(96) お馴染のシリーズ物の香港映画。 深夜のバーで偶然知り合って意気投合した新人警官と組織のボス。 そのボスは この世界から 足を洗う為、全財産を銀行から引き出し、カナダの口座に移すが、それを奪い取ろうとする上部組織から、命を狙われる。 彼は自分の愛人の保護を警官に頼むと、姿をくらます。 警官は 同居するうちに、次第に彼女に心惹かれていく。 2人の男の友情と戦い(葛藤)を描いたバイオレンス映画。 そういえば きょうの映画は2本共 日本では劇場未公開だ。
2005年03月11日
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新聞が、またまた溜まって困っている。古い新聞が床から天井まで何列も積み上げてある。 生前 母が私の部屋を見て、古新聞の 住居に占めるスペースの割合から、お前は新聞の為に家賃を払っているようなものだと嘆いていたのを思い出す。 古新聞を一日に 一日分読めばトントン、二日分読めば 少しづつ減っていく筈なのだが、なかなか上手く処理出来ない。 一昨日も 起き抜けの寝床の中でチャレンジしてみたが、朝夕刊合わせて二日分に眼を通すのに4時間近く掛かってしまった。 これでは なくならない筈だ。 思い切って 読まずに捨てしまえばいいようなもので、世間の大部分の人はそうしていると思うが、それは記事を書いた人に失礼だと思ってしまう。 何とかならないものだろうか。 でも そんな古い新聞の記事の中にも 読まずに捨てては勿体ない面白い物が時々ある。 一昨日読んだ古い記事で、「六段階の距離」というのがあった。 心理学者のスタンレー・ミルグラムの説だが、すべての人間は六段階の距離で繋がっているというもの。 直接の知り合いを第一段階として、その知人の知り合いが第二段階、そのまた知り合いが第三段階と 繋げていけば、世界の誰とでも六段階以内で繋がるという説だ。 面白そうなので私も試してみた。 恐れ多くも 雲の上の方、天皇陛下とは 何段階で繋がっているかと思ったら、何と 三段階で繋がった。 まず 友人の元代議士 太田誠一氏に始まり、同じ自民党繋がりで小泉総理、総理の認証式や園遊会でお顔見知りだろうから、天皇陛下と すぐ繋がった。 勿論 小泉総理からアメリカに持っていけば、ブッシュ大統領とも三段階だ。 だから 13年続く 「一つ有る会」の700人のメンバーは、私の知り合いだから、全員四段階で天皇に繋がる。 中には天皇や大統領に 私よりもっと短く繋がっている人もいるだろうが・・・。 暇な時に あの人とは何段階だろうと想像してみるのも面白いかもしれない。
2005年03月10日
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私の「一つ有る会」の名付け親の石川元則さん(通称かたつむりおじさん)がアイディアを出して作った「大丈夫だ石」というのが、再び人気を集めてるという。 これはトンチで有名な一休さんのエピソードにヒントを得て作られたものだ。 そのエピソードとは、一休さんが長い旅に出る事になった時、留守を不安がる弟子達を集め、どうしても皆で解決出来ない悩み事が出来た時には、この箱を開けなさいと、一つの箱を託した。 数年経って、大きな壁に突き当たった弟子たちが、師の教えを乞おうと、皆でその箱を開けると、中から1枚の紙が出てきて、それには(大丈夫だ 心配するな、何とかなる)と書いてあった。 それを見て 皆で大笑いして、落ち着きを取り戻し、難問を解決出来たというもの。 石川さんは、堺の鍛冶屋さんに頼み、手のひらにすっぽりと収まる大きさの鋳物で 真ん中に窪みの有るものを作って貰い、その窪みの所に、一休さんの、この言葉を入れた。 重さも、軽すぎず 重すぎず 丁度いい具合で、左手の掌に乗せ、親指で窪みの所をこすりながら、(大丈夫だ 何とかなる)と呟いていると、不安から解放され、妙に落ち着いてくる。 飛行機嫌いの私は、出張のたびに これを持参し、機内で(大丈夫だ)と自分に言い聞かせながら 握りしめていた。 私から その話を聞いた 東京の母も(友達に話したら欲しいと言っているので、自分の分も入れて3っ程頼んで貰いたい)と言うので、石川さんに追加注文した。 結局 母は順天堂に入院する時も持って行き、枕元に置いていたが、亡くなった時は、天国に無事に旅立てるようにと、私は それを柩の中に入れてあげた。 「大丈夫だ石」と命名された その製品は、初めは石川さんが 一部の人にだけ分けていたものだが、10年前 新聞や雑誌に取り上げられると、全国から問い合わせが殺到し、商品化に踏み切った。 もう一つ この「大丈夫だ石」には忘れられない思い出がある。 ある雑誌社が「マリア」というミュージカルの公演を企画した事がある。 主役の羽賀研二以外はすべて一般から募集した素人ばかりで、私たち数人の講師が、1年間掛けて出演者を鍛え上げ、舞台で公演した。 その時 主役のマリア役に抜擢された女の子は 飯塚市の高校2年生だった。 公演のあと、その子が私を訪ねて来て、舞台女優になりたいが どこで勉強したらいいか分らないと言う。 当時 渡辺プロダクションの九州支社長だった友人に相談すると、高校生を指導する所はないので、東京の高校に転校するか、卒業まで待ったらどうかと言う。 その旨を彼女に伝え、卒業したら また相談に来なさいと伝えた。 1年後 彼女から電話があり、俳優座のオーディションに受かったので、上京すると言う。 俳優座といえば 毎年1000人を超える応募者の中から6人しか採用しない超難関の劇団だ。 その6人も、1年目に2人落とし、2年目にも2人が篩に掛けられ、残った2人だけが、正式な劇団員になれるのだと聞く。 演劇界の有名ブランドで、劇団員にならなくても、最初の6人の中に入っていれば、業界では充分通用する。 タレント名鑑で、俳優座養成所出身とあるのが、それだ。 劇団員として有名なのは、亡くなった千田是也、東山千栄子や現在 無名塾を主宰している仲代達矢、加藤剛、栗原小巻といった人たち。 所が その彼女は頑張って最後の2人に残り、正式な劇団員になってしまった。 彼女は芸名が本名と同じ 花村明(アキ)。 最初の2年間はアルバイト禁止というので、結構 切り詰めた生活をしていた。 私は上京する度に六本木辺りに連れ出し、シャブシャブなどを お腹一杯ご馳走していた。 最初は地方公演が多く、その度に案内を貰っていたが、なかなかスケジュールが合わなくて行けなかった。 それが ある時、芸術祭参加作品に出演する事になり、会場が池袋の芸術座だという。 私は彼女の晴れの舞台を見る為に、上京した。 題名は忘れたが、地人会のオリジナル脚本と演出で、俳優座だけでなく文学座やその他の有名劇団からも新人が参加するとの事。 随分 前置きが長くなったが、ここからが本題。 出演者の顔ぶれをを見ると、舞台のそうそうたる役者さんが揃っている。 それに ライバルともいえる 他の劇団の新人。 それらのメンバーに囲まれて、彼女が萎縮したり、自信を失くしたりしないようにと、私は「大丈夫だ石」を持って行った。 そして開演前に、受付の人に 楽屋に届けてくれるように頼んでおいた。 オリジナルな作品なので、ストーリーの予備知識も無く 芝居を見始めた私は、びっくりしてしまった。 物語はこうだ。 夫(北村和夫)と別れた夫人(八千草薫)は、慰謝料代わりに貰った山間部の別荘を改造して ペンションを経営しているが、近くに 次々と近代的なホテルが開業し、深刻な客不足に追い込まれる。 何とか挽回しなければと思った彼女は、自分に癒しの力が有る事を思い出し、ある事を始める。 それは悩みを持った宿泊客に10分間だけ時間を貰い、その客の肩に手を置いて、(大丈夫よ、何とかなるわ)と囁いてあげるというものだった。 そうされた客は不思議に元気を取り戻し、ペンションから帰って行くという。 その話が評判になり、浪人中の受験生や恋人に振られて自殺を考えた若い女性、警察に追われる詐欺師(風間杜夫)、夫の浮気に悩む主婦(河内桃子)らが、彼女から元気と勇気を貰いたくて 次々と押しかけてくる。 そして 工場が倒産して東京から逃げてきた元の夫は、ペンションの繁盛振りに驚き、(君にそんな癒しの力が有るとは知らなかったな~)と感心するが、彼女は(これは私のアイディアなの。本当に癒されたいのは私の方かもしれない)と打ち明ける。 そこで彼女の後ろに回った元夫が優しく彼女の肩を揉んで、舞台は幕となる。 花村明チャンは、このペンションで働く元気で明るい従業員の役だったが、「大丈夫だ石」の効果があったのか、ベテランの役者さん達に混じり ノビノビと演技していた。 舞台の幕が開くと、いきなり オフで 聞き覚えの有る声が聞こえてきた。 (は~い皆さん笑ってください)という明るい声で、ペンションから帰ろうとするお客様に、記念撮影のシャッター押しを頼まれたという設定のよう。 やがて 奥から出てきた彼女が室内の掃除を始めた。 どの辺で出番があるのだろうと思っていたら、誰よりも先に、いきなり登場したので驚いたが、とても嬉しかったのを 今でも思い出す。 プログラムの出演者紹介で 共演の俳優座の大塚道子さんが、彼女の事を 赤ちゃんのような円らな瞳と書いていたが、誠に的を射た表現だと感心した。 さて その「大丈夫だ石」だが、余りにもこのお芝居のテーマとぴったりで、私も驚いたが、楽屋でも評判になり、明チャンは 八千草さんから(どこで手に入れたの?)と訊かれたらしい。 事前にストーリーが分っていたら、出演者の皆さんにプレゼント出来たのにと、少し残念だった。 その明チャンも、今は結婚して、1児の母。育児の為 今は舞台を休んでいるが、出産の時も「大丈夫だ石」を使っただろうか。 バレンタインデーにチョコレートを送ってくれた高校生が、春から3年生になり、受験戦争に突入する。 ホワイトデーのお返しはこれしかないと決めて、石川さんの所に貰いに行った。 きょうは事務所には人が居ないが、奥さんが警固の方で、食事とお酒の店をしており、そこなら 4時から開店しているという。 車なので きょうはお酒は飲まず、料金を払って 受け取るだけにしようと、休日はいつもそうだが、顔も洗わず、ヒゲも剃らずに おまけに寝癖が気になったので野球帽を被って出かけた。 まだ5時前だっていうのに店は お客で一杯だった。 「大丈夫だ石」を受け取ると、早々に引き揚げ、ついでに 先日 神田君から聞いた アナウンサーの後輩 佐藤君が開店した焼き鳥屋の場所だけ確認しておこうと、今度は西新まで車を走らせた。 神田君が言った旧岩田屋の裏通りは一方通行で入れなかったので、もう一本違う通りに車を止め、歩いて探そうと 次の通りに入ったら そこに「ぢどり屋」の看板が出ており、なんと佐藤と神田が店の前に立っていた。 車の窓を開け(きょうは場所の確認だから、また改めて来るよ)と言ったが、(ちょっとだけ中を覗いていきませんか)と彼らが言う。 それもそうだなと、中に入ると高校と会社の先輩 兼川さんが座って ひとりで飲んでいる。 前に この日記で紹介したが、作家の梶山季之と親友だった人で、在社中 私が大変お世話になった方だ。 久し振りだったので 座ってお喋りしていたら、次から次に 元のテレビ局の同僚が集まって来る。 どうやら 神田君が佐藤の為に企画した飲み会の日だったようで、そんな事とはつゆ知らぬ私が紛れ込んでしまったらしい。 総勢10人のメンバーは OBの兼川さんを中心とする 局の釣り好きの仲間のようだった。 私は 釣りの趣味が無いので 声を掛けられなかったのだが、ディレクターにカメラマン、音声に美術さんと 昔一緒に仕事をした仲間ばかりだったので、そのまま引き留められて、一緒に鳥鍋を突付く破目になってしまった。 但しお酒は無し、ビール少しぐらいは・・・と思ったのだが、怖い先輩に お前は車だから駄目と停められて、ウーロン茶での乾杯という情けない事になってしまった。 こんな事になるなら、車を置いてくればよかったが、それよりも、顔を洗って、3日間当たってないヒゲを剃ってくるべきだった。 それに寝癖隠しの野球帽だって みっともないなと思ったら、10人のうち6人が帽子を被っていた。 昔は野球帽といえば子供の物と決まっていたが、最近は おじさん達もハゲや白髪を隠す為に被るらしい。 何れにしても きょうの久し振りの みんなとの再会は 偶然ではなく、運命の神様が仕掛けたものだろうが、無精ひげに汚れた顔での対面とは、 神様も 随分意地悪なイタズラをするものだ。
2005年03月09日
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昨日採点した調理師学校のテストの答案を生徒に返したくて、学校に電話した。 私の授業はもう無いし、卒業式の日に返すのも何だかおかしい。 聞いてみると、明日も生徒はテストの為、学校に来るという。その時に渡して貰うようお願いして、今日中に届ける事にした。 毎年 最後のテストの答案は生徒に返していないが、今年は100点が7人もいたので、頑張った生徒を喜ばせたくて 返却を思いついた。 今回は問題を易しくした為だが、これまでずっと悪い点ばかりだった生徒も結構いい点を取っている。 中学や高校で こんな高得点を取った事のない 一部の生徒には、いい思い出になるだろうし、いい記念品になるかもしれない。 出来るだけ多くの生徒の答案に 私からの励ましのメッセージを記入した。 自己紹介で 刺青をいれている事を告白した18歳と23歳の女生徒には、就職試験では、その話はしない方がいいよと アドバイスもした。 いつも1~2位を争っていた 元女性自衛官と元国語教師の2人には、いいライバルがいてお互いに 実力がアップしてよかったですねと書いた。 最年長 54歳の男性には、若い人に混じっての授業の苦労をねぎらい、自己紹介の時に 遠距離通学だけど休まずに授業に出ますと宣言し、その通り出席皆勤した二人の男子生徒には、成績はともかく その実行力を褒めた。 12日の卒業式に 彼らの作った料理が食べられるのが楽しみだ。 学校に届けるのが夜の7時過ぎになってしまい、夜間部の事務員さんに預けて帰ったが、車で往復30分ぐらいの間に20台程の自転車とすれ違った。 若い女性や下校途中の高校生らしい男女が多かったが、どの自転車も無灯火なのに驚いた。 たったひとり 高校生の男子が灯火運転だったが、あとは全部 真っ暗な中での無灯火運転で、自転車その物にも、灯りをつける装置が付いてなかった。 私たちの学生時代は、灯火が義務付けられており、厳しくチェックされてもいたが、いまは規制がないのだろうか。 バイクは皆 灯りを付けて走っており、免許のいらない自転車は点火の装置さえ要らないのだろうか。 暗闇を突然 飛び出してくる無灯火の自転車など、車を運転する者にも危ないし、自転車に乗っている本人には 尚更 危険極まりない。 ヘルメットの着用も義務付けられていないらしいし、絶えず生命の危険にさらされていると言える。 灯火の装置の付いてない自転車は製造出来ないし、販売も出来ない、もし そのような自転車に乗っていたら、免停はないが、厳しく罰金を取るという風に 当たって貰わないと、マイカー族の我々は安心して車を運転出来ない。 また 将来ある通学生たちの生命を護る為にも、いまの無灯 火野放し状態を何とかして欲しい。
2005年03月08日
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午前中 通販で注文しておいた野球帽が届いたので、それを被って税務署に出掛けた。 税務署から届いた確定申告用の書類の中に、税金の納付書が入っていなかった為、直接 納付するか、銀行の口座引き落としの手続きをするように税理士さんに言われていたからで、いつもは彼にすべて任せているのに煩わしいこっちゃ。 税務署の駐車場は予想通り満車。 近くの看板に、混雑が予想されるので、有料の駐車場を利用するようにと書いてあったが、こちらも100円パーキングはすべて一杯だった。 路上のパーキングメーター付きのスペースが珍しく空いていたが、それもその筈、前払いですべて300円。 10分足らずで済むのに この値段は高すぎる。 他が空いてないので仕方なく停めたが、800円の税金を納めるのに駐車料が300円とは納得がいかない。 帰りはそのまま 調理師学校に寄って きょう行われた卒業試験の答案を受け取る。 いつもは6人以上の追試者がいるが、今回は卒業のお祝儀の意味も込めて、特別に易しい問題を出した。 しかも問題も事前に一部公開し、全員が100点でもおかしくなかった。 夜 家で採点すると 100点は7人だった。 しかし 60点未満で追試を受ける者が2名いた。 この2人を除く全員の平均点が88点だから、いかに この2人が阿呆かよく分る。 最低点の生徒は14点。 私は出席皆勤の生徒には特別に5点プラスしているが、この男もそうだったから、実際には9点しか取れてない。 事前に公表した問題は、私が黒板に書いて説明した 春の七草を覚えて来なさいというもので、全部書けたら、それだけで14点である。 それとサービスに対するアンケート的な問題で、2~3行でも何か書いてあったら20点は上げるからと言っておいた。 だから この2問だけでも34点にはなる。 それを わずか9点とは、空いた口が塞がらない。 追試の生徒は16歳と19歳、どちらも中卒だが、恐らく高校に進学しても授業について行けなかっただろう。 学力からすれば、小学校の低学年と同等かそれ以下だと思う。 やる気の無さは 普段の学習態度にも表れていて、この2人は自己紹介も全く駄目、名前を言うのが精一杯で あとは絶句。 日頃の発声練習でも 一番声が出ていない。 バカはバカなりに 声でも大きく出せばまだ救われるが、やる気がないのか自信がないのか。 恐らく何事に対しても やる気を感じないのだろうが、何故最低点のこの生徒が、出席だけ皆勤なのか分らない。 中学時代はイジメに会い 登校拒否をしていたが、この学校はイジメがないから居心地がいいのかもしれない。 これは あくまでも 私の想像だが。 他の先生の授業も殆ど試験は白紙だそうで、学資を出した親には気の毒だが、こんな生徒を卒業させてはいけない。 調理のようなクリエーティブな仕事には向いていないのだから、やる気がなくてもやっていける、人間関係にも気を遣わなくて済む仕事、木工や鉄工、車の運転などの単純作業に進路を変えるよう この際 親も考えるべきだろう。 やる気のない調理師の作った、やる気のない料理など誰も食べたくないだろうし、食中毒でも起こして客に迷惑をかけるのが関の山だ。 所で気分を変えて、冒頭に書いた新しい帽子の事だが、これは西武ライオンズの帽子。 以前持っていた お気に入りの黒いCAPは、同じライオンズファンの高橋さんにプレゼントしてしまったが、ホームページで ライオンズがキャンプの取材者用に作ったCAPを限定販売するというのを見て 申し込んでおいた。 昨年 日本一になったので、きっと大勢のマスコミが取材に押しかけると予想して大量に作った事と思う。 所が、南郷という場所が交通の便が悪く、おまけに 今年は雨が多い、ソフトバンクホークスが巨人を越す見物客を集めるなどの西武にとっての悪条件が重なって意外に取材者が少なくて 余ってしまったのだろう。 先日亡くなった河村英文さんから 以前 貰った西武の取材用の帽子はCAPではなく、白いHATだったが、ライオンのマークが貼り付けてあるもので、愛用するうちに、マークが剥がれて いつの間にか ただの白い帽子になってしまっていた。 今度のは ライオンズを現わすLのマークの横に、Champions2004と どちらも刺繍で縫い付けてある。 これなら剥がれる事もないし、当分愛用出来そうだ。 私が野球中継を担当していた頃は、このような取材用の帽子の提供もなく、ただ 選手と同じ昼食が 報道陣にも振舞われていただけだった。 だから取材者の間では、あの球団の昼食が一番贅沢で美味しいが、この球団はオニギリだけだとか、こっちはパンが2個だけだったとかの食事情報が飛び交い、球団の財政状況、文字通り台所事情を伺う事も出来た。 当時の西鉄ライオンズは毎年 島原でキャンプを行っており、選手は のちに社長が島原市長になった国光屋というホテルに泊まっていた。 火山噴火の頃、始終 テレビに出演していたオヒゲの 鐘ヶ江市長で、ご覧になった方も多いだろう。 この社長が いつも車で選手の昼食を運んでいた。 我々 報道陣の為に、ライオンズが用意してくれたのは 岩永という旅館。 この旅館は肉屋も営業しており、週に1回は 肉がいっぱいの すき焼のご馳走が出て、我々の楽しみだった。英文さんらと、野球談義をしながら 鍋を突付いたのを思い出す。 岩永旅館は、まだ有るのだろうか。この前の土石流でなくなってしまったかもしれない。 キャンプ地の近くにはキャバレーが2軒あって、1軒は裏口を開けたら そこは墓地。 昼間は船に乗っている漁師さん達が バンドマンで、長靴を履いたままドラムを叩いたりしていた。 最近では 巨人などはブルペンでの取材用に、ブルーのジャケットまで用意しているそうで、これは投手の集中力を削がないためだが、ウッチーこと某フジテレビの内田アナが白いコートでキャッチャーの後ろを何度も行ったり来たりして、途中で練習を止めてしまった工藤投手から球団を通じて厳しく注意をされたそうだ。 この事は星野前阪神監督も、自身のホームページで批判していたが、野球を知らないだけでなく、人間としてのマナーを知らない一部女子アナの跋扈は困ったものだ。 我々の頃は女性の取材などは皆無だったが、選手も報道陣も真剣にキャンプに取り組んでおり、遊び半分のような取材者は1人もいなかった。 そもそも キャンプに女性の取材が必要なのだろうか? 結婚相手探しが目的(?)で、球場をウロウロする女子アナは、大相撲のように排除すべきでは・・・。 良識ある工藤選手ら、選手会が中心になって、マスコミ各社に自粛を申し入れてもいいと思うが、古田会長のヨメさんもフジテレビだっけ、こりゃ駄目だ!!
2005年03月07日
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昨日は早く寝る積りが、結局寝たのは朝6時前。 目覚ましが鳴ったあとも寝床でウトウトしてしまい、レッスンに20分近く遅れてしまった。 途中から連絡をとって柔軟体操と発声練習は生徒だけでやっておくよう指示した。 林君も未有チャンも風邪で元気がない。 取り敢えず 発声と朗読、フリートークなどでは頑張ってくれた。 先月チョコレートをくれた 生徒と受付の女性にはお返しのプレゼントを渡した。 エステー化学の「赤毛のアン」のオーディションの申し込みが、今月15日必着なので、気になったが 林君は写真が出来次第 用紙を発送するそう、桃子チャンもお母さんが準備をしているとの事で、遅れないように念を押しておいた。 ただ、未有チャンは お父さんに伝えておいたのに、本人は聞いていない様子。 単に忘れている為か、それとも受けさせたくないのか分らないが、本人もちょっと自信がなさそう。 昨年は残念ながら落選し、かなり口惜しがっていたから、今年もチャレンジするかと思っていたが、こういうものは 絶対に合格するぞっという意気込みがないと上手くいかないから、無理には勧めないでおこう。 きょうも 私のレッスンのあとは 近藤先生のダンスのレッスン。 先生から クッキーを頂いて 皆で分けた。 全然知らなかったが、10日間程、ニューヨークに行ってらしたそうで、そのお土産に、子供達は大喜び。 先生は年齢は40代の半ばだが、ニューヨークへはダンスのレッスンを受ける為に行っていたとの事で、福岡ではバリバリのダンサーでも、そうやって 本場に修行に出かける所が凄い。 私のレッスンで声を出し過ぎたのか、ダンスが始まると、風邪引きの2人の元気が全くない。 いつもは うるさすぎるぐらい先生に絡む林君のおとなしさに 近藤先生も(どうも調子が狂うなあ)と 勝手が違うようだ。 頭痛がするという林君に、私が持っている頭痛薬のバッファリンを飲ませようとしたが、15歳未満は服用禁止になっていた。 そいいえば 子供には 小児用バッファリンというのがあったっけ。 帰宅するとyah00からメールが届いていた。 前日 電話でお問い合わせを頂いた方にアンケートのお願いという名目で、質問が幾つか並んでいる。 そうやって 故障やトラブルの相談をした人の記録を取っておいて、すぐにフォローしてくる所は、誠に心憎く、ソフトバンクの姿勢を見直した。 アンケートは、主に 昨日 応対した係員の態度に関するもので、言葉遣いやアドバイスが適切だったかなど、多くの項目に分かれている。 最後に 差し支えなければ担当した者の名前を教えて欲しいと書いてある。 私は昨日の日記に書いたように とてもいい印象を持っていたので、名前を挙げたかったが、(生憎 名前は聞いたがメモを取ってないので分らない、こんなアンケートが来ると分っていたら書き留めておいたのに)と答えておいた。 お客様へのアフターフォローって こうあるべきだなあ。 社員は大変だろうが、ソフトバンクが発展している理由が分ったような気がする。 (そのうち、ホークスの選手のファンへの応対、試合中の態度について気がついた事があればお知らせください)というような アンケートが来るかもしれない。
2005年03月06日
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眼が覚めて庭を見ると、植木の上にうっすらと雪が積もっていた。 東京ばかりでなく、九州にも寒波が来ていたのだ。 この所 2日間もメールが受信出来ないのは気になるので、起きてすぐ寝床からyahooに電話した。 BBフォンの契約をした時に貰ったガイドブックが何とか見付かったので、その中から それらしき番号を選んだ。 予期した通り 話中だったが、掛け続けていたら 思ったより早く繋がった。 一旦繋がった後の 順番待ちで待機中も(土曜日で大変混みあっていますので、宜しかったら平日の昼間におかけ直しください)とのアナウンスが繰り返し流れたが、あと2日も待てない。 応対に出た係りの男性はテキパキと要領よく指示をしてくる。 横着をして寝床で解決しようと思っていたが、そんな簡単な問題じゃなかった。 パソコンの前に座らせられ、どこをクリックしてくださいと言われる。 何度か試行錯誤を繰り返す度に、(それでは一旦 もとの画面に戻ってください)と根気よく指導してくれた。 思っていたような、パスワードの間違いではなく、ほかの原因のようなので、パスワードを調べて貰う事も、新しく作る事も必要なくてホッとした。 たくさんのメールが溜まりすぎて 詰まってしまったようだから、メールは こまめに開いてくださいと注意されたが、脳の血管が詰まって脳血栓を起こしたようなものか。 それにしても、電話だけで相手のパソコンの画面が いまどうなっているかまで手に取るように はっきり判るとは大したものだ。 蛇の道はヘビとは言うものの、ひっきりなしに掛かってくる 違うトラブルの電話に いちいち応答するのは かなりストレスが溜まる事だろう。 それとも 我々は故障(トラブル)が解決すると、やった~と嬉しくなるが、彼らもその喜びを共有出来て、ストレスにはならないのかもしれない。 お蔭で こちらは、再びメールが受信出来るようになったが、90通の伝言が詰まっていた。 勿論 ダイレクトメールばかりで、個人からのメッセージは1通もなかったが・・・。
2005年03月05日
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昨日1通のメールが届いて以来、きょうは全く受信出来ない。 メールといっても 私の所に届くのは殆どが(99%)ダイレクトメールで、個人からのものは 週に1通ぐらいなものだが、それでも その1通がいつ来るかもしれない。 メール送ったのに返事もくれないと思われるのは、私の最も嫌う所で、自分で自分宛てに送ってみたが全く受信していない。 outlookexpressのページを開くと、(パスワードを入力してください)と表示が出る。そこでパスワードを入れても(このパスワードは拒否された為、ログイン出来ません)と出る。 (もう1度お確かめください)という指示に従って 何度入力しても同じ事。 もしかして パスワードが間違っているかと思い、確認の為、 yahooのトラブルシューターの冊子を見ると、IDナンバーと郵便番号を入れると、パスワードを調べてくれる事になっているのだが、(調べた結果はメールでお届けします)とある。 そのメールが受信出来ないから、調べているのに、どういうこっちゃ これは! 結局 きょうは ホームページはお休みで、一日 メールの復興に時間を掛けてしまったが、何も解決しないまま、イライラがつのるばかりだった。 イライラ解消に観た映画 「永遠なる帝国」(95) 韓国で大ベストセラーとなった長編歴史推理小説の映画化。 18世紀 李氏朝鮮時代の22代国王 正祖は身分の差別をなくし、人民は皆 平等だという理想を掲げる革新派だが、かつて父王を謀殺された事で、黒幕だと思われる守旧派の官僚に復讐し、絶対的権力を奪取しようと密かに計画を進めている。 そんな ある日宮中で殺人事件が起こり、その捜査を巡って 王の意思に従って改革を推し進めようとする革新派とそれを阻止しようと暗躍する保守派の官僚との間で、熾烈な権力(宮中)闘争が繰り広げられる。 この作品では、その闘争を、一日という時間設定の中で描きこんでいる。 両派を衣装で区別するなど 対立を分り易くする努力をしているが、似たような顔が多く、みな口髭と顎髭を蓄え、同じような黒いつば広の帽子を被っており、人物の特定が難しかった。 また登場人物の名前も、チョン チェ チョと同じようだし、私には大変区別しにくかった。 結末は正義派の王が死に、父王の死の真相も解明されないまま。 善が勝ち、悪が滅びるという結末を期待して2時間を超える大作を見終わった結果 またまた欲求不満が残ってしまった。 勧善懲悪と全く逆のストーリーを描いた原作がベストセラーになるとは、やはり韓国は "恨”の文化を持った国なのか。
2005年03月04日
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ホテルとの約束で、会場の使用が 今年度一杯の「一つ有る会」。 きょうが最終回となるが、きょうは初めての女性が3人参加して 合計15人で賑わった。 大學4年の井上令子チャンが、久し振りに参加。同じ仏文科の同級生を連れて来てくれた。 大学生の織枝チャン(右)写真が暗くてゴメンネ また ヨガクラスからは、現職のモデルさんと薬剤師さんも出席。 大いに盛り上がった。 モデルさんらに囲まれご満悦の具島さん。このあと、美女を連れて、中州の2次会へ。 来月は、私が毎年4月に引き受けている、新入社員研修の為、10日間程 東京に滞在するが、丁度同じ頃、長野さんとzonochanさんも上京する為、名古屋のぴんぐーさんも誘って東京で「一つ有る会」を開く予定。 会員のマダムねねさんと1年振りに会えるのが楽しみ。 子犬だったねねチャンも随分大きくなった事と思う。 結婚して関東に住んでいる 会の卒業者が5人ほどいるので、声を掛けているが、福岡以上に 賑やかな会になりそう。
2005年03月03日
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先日 深夜に女性の知人から電話が掛かってきた。 彼女は浜崎あゆみ似の 今風の美人で、今年 33歳。 半年前に 10年以上の付き合いのある男性と結婚したばかりの いわば新婚さん。 福岡県から離れたくないという彼女の希望を入れて、埼玉在住のご主人は、九州までやって来て、彼女の両親の住む家からそう遠くない場所に2人で住んでいる。 ご主人の仕事は絨毯のセールス。景気が良くないので余り売れないそうだ。 その彼女が、今の生活に不満を持っていて どうしたらいいかを相談したいと言うのだ。 独身の頃は自営業の両親の仕事を手伝い、またその前は 大手のデパートでブランド品の紳士服を売るなど、バリバリ仕事をこなしてきたが、今はご主人の食事を作り、掃除と洗濯の家事ばかり。 自分は このままで人生を終わっていいものかと考えると、もっと社会の役に立つ事がしたくなった。 例えば 語学の勉強の為にアメリカに1~2年行くとか、自分は短大出なので4年制の大學に もう1度チャレンジするとかしたいのだが、どうだろうかという相談なのだが、私が簡単に答えられる問題ではない。 例えばアメリカ行きの事にしても、私の知り合いで30代後半の女性だったが、結婚した途端にアメリカに行きたいと言って出たきり いまだに帰って来ない人がいる。 九州から出たくないと言って 関東からご主人に来て貰った人が、関東より遥かに遠いアメリカに1人で行くというのは矛盾しているような気がする。 要するにアメリカは口実で、家を出たいのだと思う。 彼女にも言ったが、大空を自由に飛びまわっていた鳥が、家庭と言う鳥篭に入れられ、また大空に戻りたいと思っているのだと思う。 何とか鳥篭の中に幸せを見つける事が出来ないものだろうか。 鳥篭は窮屈かもしれないが、そこには鷲も鷹もいないし 風雨にさらされる事もなく 安全だ。 食事の心配もしなくてよい。 どうしても外の空気に触れたいのなら 両親の仕事を手伝うなり、自分で何か生き甲斐のある仕事を探してくればいいと言うと、自分は家庭と仕事の両立は無理だと言う。 また 彼と生活してみて初めて気が付いたが、物の考え方や生き方が全く自分とは違って、話がかみ合わないとも。 それは 30年以上も別々の環境の中で育ってきたのだから、考え方や生活の仕方が違って当然だ。 まして 関東と九州では風習の違いだってある。 相手の性格や日常の癖を 面白いと思って楽しむ事は出来ないものだろうか。 亭主の好きな赤烏帽子だ。 好きな人のイビキは音楽のように聞こえると言うが、そのイビキがうるさくてたまらなくなったら 危険信号かもしれない。 結婚の経験のない私が言うのも変だが、結婚とは忍耐ではないだろうか。 赤の他人同士が一緒になって、お互いに少しずつ我慢し合って生きてゆく、そして年月が経てば次第に同化して空気のような存在になっていく。 それが理想だと思う。 主人と2人っきりで 息がつまりそうだというのなら、本当は子供を作ればいい。 彼女が言う生き甲斐も、子育ての中にあるかもしれない。 所が彼女は 健康上の理由で子供が容易に産める身体ではないのだ。 体外受精という形で子供を作れない事はないそうだが、それも躊躇している。 女性は誰でも、結婚の話が決まったあと、果たして私はこの人に ついていっていいものだろうか、この人に自分の人生を託していいものかと悩むそうだが、彼女の今の悩みは 結婚前に解決しておくべき問題だったと思う。 10年以上の付き合いだと、結婚生活にもトキメキが少ないだろうし、その辺も彼女のモヤモヤの原因かもしれない。 彼も悪い人ではないし、よくしてくれているので、自分の人生の目的を探したいので別れて欲しいとは言えないと悩んでいるようだが、相談を受けても、無責任に そんなの別れてしまえとも言えないし、早く子供を作れとも言いにくい。 軽い相談ならともかく、彼女らの運命が掛かった問題だけに 私も何と答えていいか迷っている。 今度 ゆっくり相談に乗りましょうと答えて電話を切ったが、彼女はお酒を飲んでいるようだった。 酔って誰かに愚痴を聞いて貰い、それですっきり解決したのなら、それはそれで結構なことなのだが・・・。
2005年03月02日
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きょうは特に外出の当てもなく 家でパソコン三昧。 確定申告の手続きを お願いしている小倉の税理士事務所から電話があり、今年は所得税の支払いが必要だとの事で、ドキッとした。 ここ数年 10万を超える国税還付金があり、今年もあてにしていた。 昨年から今年にかけて、数ヶ月 東京のアパートが2部屋も空室になっていた事もあり、内装工事に金が かかったり、収入不足もあって、例年より還付される金額が多いと、勝手に皮算用していたのだが。 税金の納付用紙が無かったかと訊かれたが、確かに税務署から来た封筒の中には入ってなかった。 税務署の方も 私が毎年 税金を支払ってないので、今年も納入金が無いものと思って入れなかったのだろう。 友人である その税理士さんの事務所には 用紙は北九州市のものしかないので、自分で税務署まで納めに行って欲しいと言われた。 でも 金額を聞いて少しホッとした。 納める税金は800円。 しかし これで健康保険や市民税の金額が増えるのだろうか? きょうの映画は 「追憶」(73) 同じ大學に通う反戦活動家のケイティ(バーブラ・ストライサンド)と小説家志望のハベル(ロバート・レッドフォード)が、7年後 第2次世界大戦末期のニューヨークで再会する。 彼女はラジオ局のプロデューサー、彼は海軍の軍人になっていた。 やがて2人は愛し合い 結婚するが、何事にも気楽に取り組む彼と真面目過ぎて心にゆとりの無い彼女とでは、生き方が違う事を理解して別れる。 その約20年の経過を時代背景を交えながら描いた作品で、公開当時 ハンサムなR・レッドフォードと、どちらかというと不美人のB・ストライサンドの組み合わせに違和感を感じた。 現実では美人が ハンサムとは言えない男と付き合い、イケメンの男が 器量の悪い女性と付き合う事は、むしろ多いぐらいだが、せめて映画の世界では 美男美女のカップルに夢を託したいのが人情だろうか。 しかし この映画でのB・ストライサンドは、大変魅力的で、ふとした表情などに美しさを感じ取れた。 彼女が歌う主題歌が大ヒットし、アカデミーオリジナル作曲賞と主題歌賞を獲得した。
2005年03月01日
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