2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全31件 (31件中 1-31件目)
1
朝 新聞を取りにマンション入り口の郵便受けまで行った。 びっくりした事に 室内よりも外の方が暖かい。 1月末で これから まだまだ寒さが厳しくなろうという時にである。 我が家は およそ 日当たりという言葉に縁がない。 このマンションを買った時には 私の部屋の東側には2階建ての大きな1軒家が建っていて 我が家のリビングの横に当る部分は その1軒家の前庭になっていた。 東側が開けていたから 日当たりがいいものと 安心して買ったのだ。 所が 購入して間もなく その1軒家が売りに出され、そこに6階建てのマンションが建ってしまった。 人生 何が起こるか分らない。 もう少し早く 隣りの家が売りに出されていたら きっと このマンションは買っていなかったと思う。 私の部屋の南側は玄関で 隣りの部屋の玄関と向き合っている訳だから 我が家には南に向いた窓はない。 従って 東側の窓が 隣りに建ったマンションに塞がれてしまうと あとは 北側の窓だけである。 だから 日当たりのいい場所が全くないのである。 隣りに6階建てが建った時 知人に 日当たりが悪くなって 暖房費が2~3割掛かりますよと脅かされたが その通りで、室内は冷え冷えとしている。 東京の我が家は 隣りにアパートが建ったものの 2階は日当たりがよく、朝など もう少し寝ていたいのに 窓からの日差しで目が覚める事がある。 所で 毎年必ず お歳暮やお中元を送ってくれる 田川の友人から 今年は年賀状も来なかった。 暫く会ってないので 入院でもしているのではないかと心配になって 家に電話をしてみた。 彼は不在で、奥さんに いつ頃帰ってくるかと訊ねたが どうも 様子がおかしい。 不審に思って問い質すと 去年から別居しているとの事で 彼の携帯の番号を教えて貰った。 そこで 連絡を取ってみると、彼の浮気が発覚して 奥さんに家を追い出され、住む所がなく 知人宅を 転々と泊まり歩いているとの事。 奥さんの留守中に家に入ろうとしたが、鍵が変えられていて 完全に閉め出されてしまったそうだ。 これでは いくら 律儀な彼でも 年賀状を書くどころの騒ぎではない。 独身時代は かなりの遊び人だったが、結婚して子供も産まれ 子煩悩ないいパパになっていたのに 魔が差したのだろう。 二人の結婚式の司会をした私としては複雑な心境で、(自業自得だよ)と 励まし半分 諌め半分の私の言葉にも いつもの軽口の反論はなく、あ~寒い!! 真冬の修羅場である。 何とかしてやりたいが こうなっては 他人の力ではどうする事も出来ない。 きょう 裁判所に 調停の申し込みに行って来たそうである。
2006年01月31日
コメント(0)
昨日は 午前2時に睡魔が襲ってきて そのままベッドに入った。 いつもは 我慢して パソコンの作業を続けていると、眠くなくなり つい7時だとか10時とかに床に就く事になるのだが。 最近 携帯だけでなく パソコンにも迷惑メールが殺到し、拒否しても拒否しても 次々とやって来る。 1日に100通は来る 着信をゼロにしてから寝るとか、溜まった日記を3日分は書かないと寝ないとか自分にノルマを科しているのだが、きょうからは少し方針を変えてみる事にした。 つまり(きょう出来る事は 明日に伸ばすな)ではなく、(明日出来る事は無理して きょうするな)にしようかと思う。 する事が溜まって 収拾がつかなくなるかもと心配したが、要するに 夜やっていた事を 翌日の昼 やればいい訳だから、勿論 夜の方が効率よく出来るかもしれないが、暫定的にやってみよう。 そんな訳で きょうは珍しく午前中に起きた。 眠気覚ましに アメをかじっていると、ジャリっという 嫌な音がして、中に固い塊があるようだった。 吐き出してみると、アメの一部ではなく、歯の詰め物が外れたらしい。 最初は どの歯か分らなかったが、上の奥歯のようだ。 (チェッ また歯医者かよ!)、昼間 仕事をしようと折角早起きしたのに、歯医者に行ってたら 意味がないと思ったが、先日のテレビの舌ガンの事を思い出して、午後から出かける事にした。 所が 車を出して 10分も走った所で、外れた詰め物を家に忘れてきたのを思い出して 取りに戻った。 とんだ 時間のロスに腹が立ったが、私がこんな時にいつも考える事で、自分を納得させた。 それは (この世に起きる事で 意味の無い事はない。すべて神の思し召しなのだ)という事。 クリスチャンでも仏教徒でもない私にとって 神とは 運命の神の事だ。 あのまま 真っ直ぐ行っていたら 交通事故を起こしていた、それを回避させる為に 運命の神は わざと私に 忘れ物をさせたのだと。 どちらかというと、物事を悲観的に考えがちの私が めげずに生きていけるのは この部分での楽観思考があるからかもしれない。 しかし もし ここで事故を起こしていたら、事故に遭遇させる為に 忘れ物をさせたという事になるから いきおい 運転に慎重にならざるを得ない。 きょうは奥歯の治療だけでなく、ついでに 門歯が多少ぐらついているのも 診て貰おう。 門歯のうち ぐらつきのある1本が以前から気になっていたのだが、前歯は保険が効かず、この所 手許不如意なので、先生に言い出しかねていたものを、(ちょっと 経済的にピンチなんで もし そのまま放置して構わないなら そうして頂きたいんですが)と断って診て頂いた。 その結果 根はしっかりしているので、外れる事はないと、きょうは 歯の噛み合せの所を 少し削るに留めて貰った。 実は門歯が 下の前歯にやや引っ掛かる感じがしていたが、削って貰う事によって 違和感が全くなくなった。 自分の歯でもないのに、何故 私が全く言及していない下の歯のわずかな引っ掛かりが分ったのだろう、さすがプロだと感心した。 奥歯の治療も 折角 持ってきたのだからと、外れた詰め物をそのまま使って頂き、治療費は思ったより安く済んだ。 最初 気が進まなかったが、行ってよかった。 夜 毎年 きちんと年賀状をくれるのに 今年来なかった友人の所に電話した。 彼のほかに3人程 そういう人がいたが、そのうちの1人 フジテレビの友人からは 先日 寒中見舞いのハガキが来て 入院中だった為、賀状が送れなかったと書いてあった。 あとの2人は 奥さんからのハガキで 本人が亡くなった旨が記してあった。 だから その友人も もしかしたら入院でもしているかと 心配で電話したのだが、色々事情があって 半年前から 妻子を残して家を出て 放浪生活を送っているので 年賀状を出せなかったと事情を説明された。 自宅宛てに出した 私の賀状も見ていないのだろう。 精神的には 不安定にしても 肉体的には元気そうで ちょっと安心したが、彼らの結婚式で司会をした私としては 複雑な心境。 きょうの映画 「タキシード」(02) ジャッキー・チェンを ジェームス・ボンドに見立てた アメリカの007映画コミック版。 腕を見込まれて 諜報機関の大物の お抱え運転手に選ばれたタクシー運転手が、主人が爆弾で大怪我を負った為、後を任されて 悪徳企業と対決する。 その企業とは ペットボトルの飲料水を製造する会社で、大量の人間を殺戮する事で世界制覇を目指している。 その方法とは、人間から 体内の水分を失くし(炭素化して)、忽ちミイラにしてしまうウイルスを移植したアメンボを大量に養殖し、アメリカの五大湖を初め、世界中の水路に放つ事。 そして その水から作られる飲料水を飲む人類を 絶滅させようというものである。 主人から1着のタキシードを託された運転手は それを着用する事によって、その不思議なパワーで悪に立ち向かっていく。 タキシードに命令をインプットするだけで カンフーの達人になったり、歌やダンスの名人になったりするという他愛ないお話。
2006年01月30日
コメント(0)
MASHのレッスン 大學での期末試験の終わった内田君、高校合格を決めたばかりの実沙紀チャン、そして林君が揃っての授業で、きょうは久し振りの原田先生の声楽。 所が 驚いた事に 先生は年末の交通事故で入院したままで きょうはお医者さんに外出の許可を貰ったそうだが、福岡に行くと言えば反対されると分っているので、それは内緒にして来られたとの事。 年末にメールで事故の報せは頂いたが、4~5日で退院されると思っていたから さして気にも留めていなかった。 その上 遅れて届いた年賀状には 1月25日に 熊本で行われる「マイフェアレディ」の公演の案内だけで 入院の事は何も書いてなかったので、てっきり全快して退院されたとばかり思っていた。 しかし 事故の影響が思ったように治らず、三叉神経にも異常がきて、耳鳴りが激しく、なかなか退院の許可が下りないそうだ。 ミュージカルの公演も 自分がプロモートしているので中止にする訳にいかず、打ち合わせは 専ら病室に関係者に来て貰って行ったが、主役の浜畑賢吉さんとの最後の詰めで、上京してもいいですか?と先生に訊ねると、飛行機に乗るなんてとんでもないと、きつく叱られたという。 でも公演だけは 何としても やり遂げなくてはと、先生を説得して出演させて貰ったそうで、それが4日前。 事故のことなど おくびにも出さぬ 彼女の舞台での活躍で 無事 公演は成功したという。 病室では いまでも首と顎を固定する為 ギブスを嵌めているそうだが、もちろん 教室には外してこられた。 まだ顎が充分開かなくて 声が出せないと仰言るので、きょうのレッスンは ピアノの伴奏で、生徒に歌わせて、ご自分は聴くだけかと思っていたら、いざ授業が始まると、いつもより大きな口を開けて 大声で手本を示しながら歌唱指導してくださる。 私もびっくりしたが 先生のプロ根性を目の当たりにして、生徒たちにもいい刺激になったと思う。 レッスンのあと また熊本の病院へ帰られたが 疲れが出て病状が悪化しなければいいがと心配している。 原田先生は二期会や劇団四季のステージにも数多く出演しているベテランのオペラ歌手で、文化庁の仕事で 全国の中学や高校にオペラの巡回公演もされている。 出身は長崎県の壱岐、現在は熊本で後進の指導に当っていらっしゃる生粋の九州女。 やはり九州の女性は強い。
2006年01月29日
コメント(0)
23時からの映画の録画の為 目覚ましで 22時30分に起床。 明日のMASHのレッスンに備えて 久し振りに入浴。 何だか 風呂に入るだけの目的で 起きたみたいで変。 昼間はずっと寝ていたので、きょうの天気が分らない。 10年日記をつけ初めて13年になるが、この所 昼間のない生活が続き、天気の欄に 何と書いていいのか分らないので そういう時は 曇りという事にしている。 だから ここ数日 日記帳の天気はずっと 曇りだ。 私が 風呂が苦手なのは、入ると疲れるから。 本来 風呂は疲れを取る為に入るものだと思うが、私の場合は 逆で、きょうも上がったあと、暫くは ハアハアと口で息をしていた。 熱い風呂が好きで、しかも 入ると長風呂になるせいか? ぬるめの湯で 半身浴をすればいいと言われるが、私は熱い湯に首までしっかり浸からないと 入った気がしない。 大學時代 東京の家で 入浴中に酸欠(?)を起し 浴室で倒れて 家族に助けられた事がある。 風呂場で助けを呼ぼうにも 声が出なくて怖い思いをした。 それが原因で 風呂嫌いになったのかもしれない。 今は 1人暮らしだから、倒れても 誰も助けてくれない。 自宅での入浴は苦手だが 温泉は大好き。 特に 旅先で 仲間と入る温泉は 旅の楽しみの一つだ。 起床後 風呂に入り 上がって すぐに寝るのも何だか変なので 今夜も、暫くパソコンのネットで調べものをした。 最近 やたらと 出会い系サイトから メールが来るので、まともな(?)サイトが どれ位あるのかと、(出会い系サクラ)というサイトを検索してみたら、何と サクラばかりで実体のない出会いサイトが 1万7千もあるという事が分り 驚いた。 これって もしかして 来るメールは 全部 サクラって事?
2006年01月28日
コメント(0)
私は、(これだと危ないな)と 危険(失敗)を予知する能力があるような気がする。 しかし 予知通りの結果になるから、回避能力がないみたいだ。 例えば いくら地震の予知が出来ても それに対する備えを怠っては、全く意味がない。 私の予知といっても 地震のような大掛かりなものではなく、日常に起こる ちょっとした災難なのだが。 台所の流しの上に 洗ったワイングラスが置いてある。 結構 高価な物だから(こんな所に置いておくと、落っことして割れてしまうから 注意しなければいけないな)と思う。 思った時点で 危険でない所に仕舞えば 問題が無いのに、つい 用心すれば大丈夫と、後回しにしてしまう。 その結果 肘を引っ掛けたりして 必ずグラスを割ってしまうのだ。 こんな事がしょっちゅうだ。 つまり 失敗を予知したら すぐに回避の為の手を打てばいいのに、それを怠り、後回しにして 予知通りの失敗を繰り返す事になる。 昨日も それをやってしまった。 外出する時に 寒かったのでマフラーをして行った。 昨年 誕生日のお祝いに頂いたもので スコットランド製のアンゴラ入りのマフラーで、ライオンズカラーが気に入って愛用している。 いつもは家にいる時は ライオンズのタオルを首に巻いているのだが、昨日は帰宅後も 暖かいので マフラーを そのまま巻いていた。 何か失敗しそうな予感はしたが つい 気持ちがいいのでそのままにしていた。 私が持っている他のマフラーに比べて 大分長めに出来ているので、汚さないように、また 火が着かないように気をつけて夕食を作った。 昨日の献立は 鍋焼き天ぷらウドンだったが、食べながら ちょっと脇見をした途端 ポチャッというような音がして、マフラーの裾の暖簾のようになっている所が、ウドンのつゆの中にはまってしまった。 勿論 慌てて水洗いしたが、何で食事の時に外さなかったのだろうと いつもながらの 後悔になった。 きょうの映画 「首相官邸の女」(01) 若松孝二監督 青田典子主演のVシネマ作品。 代議士の上田哲 栗本慎一郎が出演している。 恋人の雑誌記者の不可解な死に疑問を抱いたOLの新谷範子は、女性代議士の倉本から、彼は 同じ代議士の花岡に殺されたのだと知らされる。 倉本の指示で 花岡の右腕の代議士 海音寺の私設秘書になった範子は、密かに海音寺のスキャンダルを暴き 彼を失脚させる事に成功する。 実は その頃 入院中の総理がガンで余命いくばくも無いと知った党内の議員たちが 総理の後釜を狙って暗躍、ライバル同士が足の引っ張り合いをしていたのだが、範子は 倉本の花岡潰しに利用されていて、恋人を殺したのも花岡ではなく、彼女だったのだ。 その事を知った範子は 倉本の罠にはまり、テロリストから命を狙われる羽目に陥る。 自分の身体を張って 代議士や秘書を陥れていく役どころの青田は、当然ベッドシーンが多いが、若松監督にしては表現がソフトで、彼女の全裸シーンはなく、ベッドやシャワーのシーンでも バストも微妙に隠してあって、過激な映像を期待した青田典子ファンはがっかりするかもしれない。 その反面 女性代議士に扮した中原翔子のベッドシーンは酷かった。 身体が貧弱で 胸が全く無い割りに 乳首だけが やけにでかくて、エロというよりは 全くのグロテスク。 あんな身体を観客に見せてはいけないし、監督もあんな映像を撮ってはいけない。 何か 悪い物を見てしまったという後味の悪さで、インターネットで ある女性映画ファンが、(同性の立場で言うのはどうかと思うが)と前置きして その酷さを訴えているぐらいだから そのグロの程度が分ろうというもの。 若松監督も とうとう ヤキがまわったか。 何故 題名が(首相官邸の女)なのかも よく分らない。
2006年01月27日
コメント(0)
お年玉付き年賀ハガキの当選賞品を受け取りに郵便局に行く。 4等は50円と80円の切手セット。80円は張子風の犬の玩具、50円は日本犬の図柄だ。 3等は地域の特産品小包とあり、カタログの50品目から選ぶようになっていて、カタログと申し込み用紙を渡された。 後日 記入して持って来るように言われ、郵送じゃ駄目かと訊いたら、駄目だという事だった。 私は どうも このカタログによる賞品選びというのが苦手だ。 あれこれと目移りして どれにしようかと迷っているうちに期限切れになったり、カタログを失くしたりする。 結婚式の引き出物も、最近では 荷物になるからと、このカタログを出すところが多いようだが、業者から電話で、ご注文がまだのようですが・・・と催促される事がしばしばである。 最近では 昨年暮れに三越から届いたお歳暮のカタログがどこにいったのか 探しても見当たらない。 送り主のかたは それまでいつも 辻クッキングの美味しいスープの詰め合わせを三越から贈ってくださっていたのだが、何故か今回はカタログだった。 折角のご好意を無にするようで申し訳ないが、見付からないものは仕様が無い。 きょう郵便局から渡された3等のカタログも 各地の牛肉(ステーキ すき焼 焼肉 しゃぶしゃぶ用)、たらばやずわいの蟹、魚の干物、さつま揚げの詰め合わせ、お茶、点心、喜多方ラーメンや小豆島のソーメン、コシヒカリ5Kなど盛り沢山だ。 面白かったのは笹だんごで、原料の うるち粉は新潟県産だが砂糖はタイ 小豆は中国とある。 新潟県の名産だと思って 注文する人にはちょっとこの表示は興ざめかも。 私もカタログを眺めながら まだ決めかねている。 所で MASHの実沙紀チャン、きょうが高校入試の発表だと聞いていたので、夜 彼女のパソコンにメールしてみた。 予想通り 見事に合格、携帯にメールしましたが見ていないですか? とあったので 携帯を見てみると、夕方 私が尋ねる前に ちゃんと 合格を報せてくれていた。 嬉しいね~。 最近では自分で試験やオーディションを受ける事がないので、それによって一喜一憂する事はないが、他人の合格で喜べるっていいなあ。 彼女が受験したのは 福岡第一高校の芸能コース。 演歌界のプリンス氷川きよしの出身校で、吉本の華丸大吉もここを出ている。 自分の得意部門の実技で受験する訳だが、彼女は歌とダンスでチャレンジしたそうだ。 NHKのアナウンスコンクールでも いつも入賞しており、アナウンスでも十分合格出来たと思うが、60人の定員に160人を超える応募があったというから約3倍の競争率。 実沙紀チャンは宝塚志望だから、途中で合格すれば そちらに転入になり、最後までこの学校にいるかどうか分らないが、とに角 芸能界に向けて一歩踏み出した訳で お目出度いことだ。 彼女にメールで伝えたように、私は今夜はひとり ワインで祝杯を挙げた。
2006年01月26日
コメント(0)
23日に今年最後の(?)年賀状が届いた。 前田さんという 九大出の予備校の先生で、彼女は大學の受験生に 化学と数学を教えている。 年末から新年に掛けても 全国を飛び回って講義を続けている為、私の所に届く年賀状のラストを飾るのはいつも彼女だ。 今年は全国は辞め、九州限定で教えていると、先日の賀状には書いてあったが、それでも かなりのハードスケジュールらしい。 男勝りの さっぱりした性格で、受験生に人気があり、よく彼らを引き連れて飲みに行ったりしているらしい。(あれっ 受験生って未成年じゃなかったっけ?) 彼女は 私が教えていた(J・Rパワーズ)というフィニッシングスクールの教え子で、教え子といっても 理系が全く苦手な私にとっては、国立の数学か化学を出た人なんて、神のような存在で 全く頭が上がらない。 在学中も 理数の問題で分らない事があって 彼女に訊くと スラスラといとも簡単に答えてくれていた。 彼女を最後に もう年賀状は来ないだろうと、今年はお年玉の当否を確かめてみる事にした。 私は毎年 頂いた年賀状をアイウエオ順に2冊のアルバムに保存するようにしているのだが、一旦アルバムに収めた年賀状のお年玉の 当選か落選かを照合するのが ことのほか面倒臭い。 ナンバーが記してある表の方が出ていればいいが、ハガキによっては裏の方が見えるように収納してあるものもある。 それを いちいちひっくり返したりして 番号を確認するのが面倒で ここ2年程、放置したまま 調べなかった。 だから もしかしたら、高額賞品が当っていたかもしれない。 16日の朝刊に載っている筈と、新聞を捜したが、例によって肝心のその日の新聞だけ見付からない。 しかし インターネットという便利な味方がいるので、そちらで探したら当選番号がすぐに分った。 面倒を厭わず 調べていくと、3等が1枚、4等が9枚当っているのが見付かった。 400枚のうち10枚というのは 確率的には いい方なのだろうか、前田さんに訊いてみないと分らない。 取り敢えず 明日 郵便局に引き換えに行ってこよう。
2006年01月25日
コメント(1)
ライブドアーの堀江社長が逮捕された。 彼の片腕の男性(宮内)が 随分長い間 事情聴取をされていて、近いうち社長にも聴取が行われると言われていたが、検察側が、いきなり逮捕に踏み切ったのは、外堀を埋める為の聴取で、彼の容疑が固まったからだろう。 今回の疑惑は 検察や警察に寄せられた多くの内部告発が発端だという事だが、企業買収などを通じて 随分敵を作っていたのだろう。 また この所の彼の 若い女性を引き連れての派手な遊びっぷりも 嫉妬の対象になっていたのかもしれない。 だから 今回の彼の逮捕で溜飲を下げている者も多いだろう。 先日観たテレビでも、彼を尊敬するという若い実業家が、(名刺交換して頂けますか?)と問うと (何故僕が君に名刺を渡さなきゃいけないの?)と 交換を拒否していた。 こういう尊大な態度、断られた人間の痛みが分らない心が、彼を追い込む事になっていないだろうか? 福岡県の同じ高校を卒業し、東大でも同窓の ソフトバンクの孫社長だったら こんな態度は取らないだろうし、人格の違いは歴然としている。 時代の寵児と、一時はもてはやされたホリエモンも、なりふり構わぬ拝金主義と尊大な態度で、世間の不評(不快)を買い 自ら墓穴を掘ってしまった。 家賃120万円の六本木のマンションから、東京拘置所の3畳 トイレ付きの独居房に収監された訳で、最低2週間は ここでの生活を余儀なくされる。 報道によると 暖房はなく 夜は外気温並みの室温になるそうだが、果たして彼に耐えられるかどうか。 独居房で思い出した事がある。 昔 私が北九州支社で 報道部のデスクをしていた頃、八幡の外れで(笹田焼)という窯を開いていた陶芸家の権田平太郎さんから、クリスマスに電話が掛かってきた。 用件は 彼の行きつけのバーのマスターが警察に逮捕されたが、かき入れ時で、店でも困っている、私の力で何とかならないだろうか? というものだった。 とに角 事情を聞きに店に行くと、前夜 クリスマスイヴで 遅くまで客が騒いでいた為、近くの住民が警察に苦情の電話を入れたそうだ。 そこで 注意に来た警察官と酒に酔ったマスターが言い争いになり、彼の腕を掴もうとした警官の手を振り払ったら、2人がかりで押さえ込まれ 逮捕されたというものだった。 早速 八幡東署の次長に釈放を頼みに行ったが、他の犯罪と違って 公務執行妨害の場合は、すぐに釈放すると 警察官の士気に影響するので応じられないとの一点張り。 そこで とに角 彼に会わせてくれと頼んで 面会すると 目の横が 殴られたように黒ずんで 腫れている。 どうしたのかと訊ねると 署内の道場に連れて行かれ、数名の警官から次々に投げ飛ばされたという。 恐らく 公務執行妨害という罪名に異常に反応した警官が、仲間の仇とばかりに そういう行為に出たのだろうが、私は再び次長の所に行き、(随分痛めつけたみたいですね)と皮肉たっぷりに言った。 すると途端に 次長の態度が変り、マスターは即時 釈放された。 その頃 市内の他の警察署で 警官の被疑者に対する暴行事件が相次ぎ、取調べの行き過ぎが 新聞紙上で話題になっていた。 次長も 自分の警察署の不祥事が私によって明かされるのを恐れたのだろう。 その時 初めて マスターから警察の独房の事を訊いたが、暖房はなく 毛布を2枚支給されたが、窓の隙間から雪が振り込んできて、寒くて眠れなかったという事だった。 もう時効だろうから ここに書いたが、イヴの1晩だけで釈放されたマスターは 余程嬉しかったのか その後 私が飲みに行っても 一切 料金を取らないので 自然に行かなくなった。 店では 平太郎さんの器を使い 確か店名も(平太郎)と言ったと思うが、その平太郎さんも随分前に亡くなった。 まだ店は続いているのだろうか? 続いていても また閉店していても そのマスターは クリスマスイヴが来る度に、独房での一夜を思い出している事だろう。 幸い彼は一晩で済んだが、ホリエモンは同じような状態が2週間以上は続くのだろうな。 東京拘置所の昔ながらの独居房の環境を聞いて、実は驚いた。 警察の留置場は 現在では 余程遅れている所でない限り ちゃんと冷暖房がついている。 3食 冷暖房付きで、シャバより居心地がいいので 釈放されてもすぐに再犯をおかして 舞い戻って来る奴が多いと聞いた。 以前 門司署に30代半ばの韓国人の女性が留置されていた事がある。 入国管理法違反容疑である。 彼女は市内の飲食店で皿洗いとして働いていたのだが、朝から晩までこき使われ、逮捕された時は 手がアカギレで真っ赤に腫れていた。 それが1週間もすると すっかり治ってしまった。 また彼女は 綺麗好きで 署員に頼んで水入りのバケツと雑巾を借りると、独房の中をピカピカに磨き上げたそうだ。 彼女にとっては職場よりも ここの方が余程 居心地がよく、何もしないで置いてもらうのは悪いと 感謝の気持ちを表したかったのだろう。 当時の署長は オフレコだと前置きして、あと1週間もここにいて、他の独房も磨いて貰いたいぐらいだと言っていた。 留置場といえば 小倉南署も思い出す。 それまでの小倉署が小倉北署となり、新しく小倉南署が出来た時だ。 当然 留置場も最新鋭の冷暖房機器を備えた、署員に言わせればホテル並みの立派な物が出来た。 我々記者の関心は そこに入る第1号の被疑者はどんな奴かという事。 各社とも 毎朝の 当直主任への電話確認の第1声は、(昨夜は 誰か留置者がでましたか? )だった。 警察としても 出来れば第1号は コソ泥のような チャチな小者ではなく、大物(?)を入れたいと思っているらしく なかなか留置人が現れない。 歓楽街を控え全国屈指の犯罪件数を誇る(?)小倉北区と違い、小倉南区は 古くからの農家と新興住宅地からなる 犯罪の少ない土地柄、従って検挙される人間も稀で、結局第1号が誰だったのか、全く記憶がない。 もしかしたら 私が北九州に在任中には 誰も入房しなかったのかもしれない。 (驕る平家は久しからず)・・・ホリエモンの逮捕で きょうは 留置場のあれこれを思い出してしまった。
2006年01月24日
コメント(0)
10時30分に起きて 2時15分に床に就いた。 こう書くと、何となく普通の生活に近づいたような気になるが、確かに寝たのは午前2時過ぎだが、起きたのは午前じゃなくて午後10時半。 ビデオの録画ボタンを押すために、目覚ましを掛けて 夜中に起きたのだ。 録画操作を終えたあと、しばらくベッドでぼ~っとしていたが、食事をしないで寝るのは よくないと思い、夕食(?)を摂る。 と言っても ヨーグルトと小さい焼きオニギリ2個、それにポタージュスープだけ。 こんな生活パターンは変えなきゃいけないと思い、目標にしている 午前3時には床に就くというのを遂行すべく 2時15分には 再びベッドに入った。 従って 起きていたのは4時間弱。 いっその事 そのまま起きずに寝ていたら良さそうなものなのに、食事を摂らねば身体に悪いなど理屈を考え、それなら睡眠不足と運動不足は身体に悪くないのかと言いたい。 今年も栄養、睡眠、運動の3不足の解消は なかなか 実現が難しそうだ。 まあ とに角 きょうは、変な一日(?)であった。
2006年01月23日
コメント(1)
上京する吉浦君に頼まれた 新宿のアパートの鍵を渡す為 西新の(ぢどり屋)へ。 ここは 高校及び会社の後輩の佐藤君がやっている店。 彼は 会社を退職後も 競馬の中継だけは フリーの立場でやっているようだが、年末に彼の為に録画したアメリカの競馬の映画「シービスケット」のビデオカセットを持って行った。 吉浦君は 大學時代を過ごした西新で カフェを開店する為 物件を探しているので、以前から佐藤君を紹介しようと約束していたので、丁度よかった。 所が 9時前に到着したのに 彼は帰ったあとだった。 店は日曜日だというのに若い客で一杯、入り口には(アルバイト募集)の貼り紙がしてあり、人手が足りない筈なのに、いくら自分は料理をしないからといって オーナーが帰ってしまっていいものか。 せめて10時ぐらいまでは いなくっちゃと思った。 吉浦君に鍵を渡したあと 店の隣りの駐車場に行って驚いた。 2時間も停めてないのに 料金が550円になっている。 都心の天神でさえ 私がいつも停めている駐車場は1時間100円。 500円でも 5時間は停められる。 西新の駐車料は高い! 11時過ぎに帰宅し、思いついて年賀状の整理をした。 今年届いた年賀状の情報はパソコンに記録してあり、到着した日付も記入してあるが、そろそろ 来年用にリストを作っておく事にした。 というのも 毎年400枚出している年賀状を来年からは少しずつ減らそうかと思っている。 まず こちらから出したのに 賀状が来なかった人は原則としてカット、また 随分遅れて来た人も、迷惑がっていて 仕方なしに返事をくれたと思われる人は、こちらが出さなけりゃ、来ないだろうから 出さずにいて ホッとして貰おう。 色々調整しているうちに 50枚ぐらいはカットの候補が出てきたが、今年 喪中のハガキを頂いた方13人と、こちらが出してないのに賀状が届いた方10人位は、来年は出さなければいけないので、結局30人ぐらいを削減、来年は370枚にしようと、早くも結論が出た。 そんな作業をしているうちに 気がついたら午前7時。 すぐ 寝ようかと思ったが、きょう中に 銀行に振り込まなきゃいけない金があるので、そのまま 開店時間まで起きていて、その後 寝るようにした。(銀行の開店って9時、それとも10時?)。 11時に西日本銀行で振込みを済ませたあと、ついでに 福岡銀行に行き、残高確認を。 驚いた事に 4冊の通帳のうちの1冊が、8万数千円の赤字になっている。 Fコープ(生協)の引き落とし分がそのまま赤字の金額だったが、何をそんなに購入したのだろう。 生協の支払いは 毎月大体2万~3万ぐらいで、8万を超えるというのは多すぎる。 自動車保険の引き落としの月は 若干増えるが 確か時期的にまだの筈だし、おせち料理は注文したが、1~2万だった筈 明日にでも電話で訊いてみよう。 その後 車のガソリンがエンプティーに近いのに気付き、給油しに行き、スタンドの近所の本屋に立ち寄る。 これが 問題! 私は本屋に行くと つい2時間ぐらいは 立ち読みを続け、衝動買いをしてしまうのだが、きょうも 株の本を2冊買ってきた。 最近の 我が家の家計の赤字を補填する為に、久し振りに株を始めてみようかと思っている。 バブルが はじけて、株価が10分の1になり、退職金のうちの1,000万円程を株で失くしてから、ず~っと止めていたが、株で損をした分は 株で取り戻さなければ・・・。 塩漬けにしたままの株を損切りして 少額から始めようと思うのだが、この所の、ライブドアショックによる大幅値下げに ちょっとビビリがきている。 10分の1にはすぐなるけど、10倍には ならないもんな~。 きょうも つい本屋での長居が過ぎて、帰宅したのが4時過ぎ。 午前中に銀行の用事を済ませたら すぐ寝ようと思っていた予定が狂って、結局 就寝は午後4時過ぎになった。
2006年01月22日
コメント(0)
きょうの映画 「バーディー」(84)
2006年01月21日
コメント(0)
夕方5時すぎに目が覚めた。 特に 起きて しなければならない事もなかったので 2度寝したら 次に目覚めたのが 9時3分前、9時から映画を録画する予定だったので 慌ててベッドを抜け出し HDDに録画予約、ギリギリ間に合った。 その後 寝床で見た日経新聞に アメリカのロケット打ち上げの記事が載っていた。 打ち上げの目的は 冥王星の探査で、結果が分るのが9年後とか。 随分気の長い話だ。その間 何が起きるか分らない。 研究の担当者は結果が分るまで 9年間 現職に留まるのだろうか? 9年といえば 現在 小学校の3年生が 高校3年になっている。 私だって 生きているかどうか分らない。 きょうの映画「グッバイ!・レーニン」(03)
2006年01月20日
コメント(0)

ケーブルテレビで(外郎売り)をやっていた。 (拙者親方と申すは お立会いのうちに ご存知の方もおいででしょうが・・・)で始まる 御存知 歌舞伎十八番の演目である。 タレントや役者を目指す者は 1度は覚えさせられるもので、私の教室MASHでも 全員に暗誦させている。 覚えるのにも個人差があって まだ半分しか覚えていない者、全文を暗誦してスラスラと言える者など、様々だ。 演技者を目指す者への 独特の指導法で、アナウンサー志望者は余り 活用されていない。 私も覚えた記憶がないし 後輩の新人アナへの研修で使った事はない。 しかし 現在 MASHの生徒たちに覚えさせていて 私も 自然に覚えてしまった。 ただ 生徒が喋るのを聞き流しているだけなのだが、英会話の学習などで最近はヒアリングマラソンといって 毎日聞き流すだけという方法があるが、その方が 一生懸命覚えようとするよりも 効果はあるような気がする。 MASHで一番優秀なのは 中学2年の林君。 彼は小学校3年の頃には もう全部覚えてしまって、その記憶力の良さは驚くばかりである。 タレントには 台本を覚えるという 大事な仕事があるが、彼の その力は 大いに役に立つだろう。 林君は小学生の頃 博多座で上演された大歌舞伎に1ヶ月程 出演した事がある。 出し物は(良弁杉由来)で、主役の中村鴈次郎さんを 木の枝を持って追い回す 村の子供の役である。 その時は 台詞も二言ぐらいだったと思うが、その後 地元の大野城市のまどかぴあで 上演されたミュージカルでは 主役を演じ、台詞も多く、歌ったり踊ったり大活躍だった。 外郎売りを 歌舞伎の演目として 通して観るのは初めてだったので、興味深く 鑑賞した。 テキストなどで使われている全文を 役者が喋るものではなく、地方が 浄瑠璃で語ったりする部分もある事を初めて知った。 MASHでの外郎売りは ただ 一生懸命 暗記し、それを忘れないように喋るというだけの 単調なものになっていて 演技力の習得まで 手がまわっていないので そろそろ 林君には 台詞回しに工夫をさせようと思っていた所なので、きょうの舞台の録画を見せて勉強して貰おうと思う。 きょうの舞台を観ていて 外郎売りが単なる薬売りではなく、曽我兄弟の仇討ちに絡んでいる事を初めて知った。 私も以前 (北九州名士劇)という素人芝居の舞台に立ち、曽我兄弟の仇討ち劇(夜討ち曽我 狩場のあけぼの)という演目で 駿河次郎という大名を演じた事がある。 私が勤務していたテレビ局が 毎年 開局記念の8月に 市長を始め地元の名士に呼びかけて開催していたもので 勿論 社員の我々は 台詞の少ない 並び大名や並び腰元。 私は業務命令で3年、腰元 大名 腰元と出演させられたが、主役の後ろに ずらっと並んでいるだけで 動きがないので、足がしびれて閉口した。 板の間の舞台で 長時間、普段 し慣れていない正座をしなければならないので、その苦しさは並大抵ではなかった。 腰元が 正座したまま 足をモゾモゾ動かしてるなんて 全く絵にならない。 1年目の腰元は 自分で言うのもなんだが 非常に初々しく 同僚が楽屋に来て 冷やかしで私のお尻を触ったりしていたが、3年目の時はすっかり年増になって 誰も寄り付かなくなった。 女の人が 若さを保つのに苦労しているのが分るような気がした。 その時の写真が残っていたので貼り付けてみたが、複写が上手くいかなくて 顔がよく分らない。 分らないからいいので はっきり見えたら気持ち悪いかもしれない。 右が迷女形の私 (左は今は亡き 先輩アナ)
2006年01月19日
コメント(0)
きょうの映画は 増村保造・若尾文子コンビの代表作2本。 「妻は告白する」(61) 「女の小箱より 夫が見た」(64)
2006年01月18日
コメント(0)

「一つ有る会」の終焉の会で深酔いしてから、少し酒を控えていたが、5日振りに きょうは「ミカの会」で飲んだ。 きょうの会場は 大名に有る(安土)という 和食の店。 店名はアズチではなく アンドと読む。 今月の幹事 神谷君が 友達を連れてきた。 彼の名前は地蔵さん。 ジゾウではなく チクラと読む。 姪浜で 奥さんと二人 陶器のお店を開いている 好青年だ。 色が浅黒く 精悍な感じの素朴な男性で、私が 以前好きだった 西武ライオンズの潮崎投手に似ている。 本人に そう言うと、彼も潮崎を知っていて 喜んでくれた。 初参加だが、他のメンバーも みな彼を気に入ったみたいで、この会で 会員と認められた証しに 必ずやらされる 幹事役を早速指名されていた。 安土は お料理も美味しく、店員の応対も感じがよくて 新年第1回目の食事会を 楽しく過ごす事が出来た。 後列左が新会員の地蔵さん
2006年01月17日
コメント(0)
明け方 嫌な夢を見た。 寝室に男がいて 寝ている私の身体を触りながら 何かを探している。 どうやら刃物を持っている様子。 私は このまま寝た振りを決め込むか、スキをみて 逃げ出すかを考えていた。 刃物を持った男と素手で戦うのは無理だ。 何を探しているのかは分らないが、どうしても欲しい物なら、私を起こして 脅し取るだろう。 でも それをしないのは、もし それが無かったら 黙って出て行く積りかもしれない。 寝たふりを続けながらも私は 寝室を飛び出してリビングの入り口まで行ければ、あそこに木刀があった筈と、相手のスキを窺っている。 テレビの近くには携帯用のサイレンもあるが、ここで鳴らしても誰も助けには来てくれないだろうと考えている。 この重苦しい時間は 玄関のチャイムの音で中断され、私は悪夢から解放された。 チャイムの主は 郵便局の配達員で、書き留めに受領印が欲しいという事だった。 所が 書き留めと一緒に届いたハガキに妙なものが1通有る。 総合消費料金未納分訴訟最終通告書とあり、差出人は 民事訴訟通達管理センターとなっている。 通信販売契約会社から料金未納で訴状が提出されており、このまま放置すれば、原告側の主張が全面的に受理され、強制執行で財産の差し押さえが行われる事になる。 万が一 身に覚えが無い場合は、裁判取り下げの相談に応じるので、3日以内に連絡をと、東京の電話番号が書いてある。 私は全く身に覚えがないし、裁判などと煩わしいのは嫌なので、電話をしてみた。 しかし 幾らコールしても相手は出ないし、すぐに話中になってしまう。 30分もコールし続けたあと、やっと繋がったが、どうも電話に出た相手が胡散臭い。 覚えが無い旨を伝えると、住所 氏名と電話番号 生年月日をを言ってくれと言う。 ハガキに書いてある訴訟番号では駄目なのかと聞くと、プライバシー保護の為、電話番号等が必要だとの説明。 住所や電話番号を伝える方が 余程 プライバシーの披露になってしまうと思ったので、腑に落ちない所があるので、もう1度検討してみたいと言って、電話を切った。 早速インターネットで検索してみると 確かにこの通達管理センターというのが存在(?)した。 どこに存在したかというと、悪質架空請求業者のリストの中にである。 新潟や滋賀県 北九州市など 幾つかの行政が、住民に対して 騙されないようにと注意を呼びかけている。 それによると そのようなハガキが来ても 無視する事。 電話をすると却って、その番号を相手に知られ 以後 しつこく脅しの電話が掛かってくるようになるので、そのような場合はすぐ警察に連絡をするようにと呼びかけている。 私は ついうっかり電話をしてしまったが、相手に名前等を明かさなかったのは正解だった。 もし 着信番号が記録されていれば、その市外局番から、私が推定されるかもしれないが、同じ福岡にも被害者が随分いるようだから大丈夫だろう。 私が受け取ったものと同じハガキが、インターネットにも掲示してあったが、相手変れど 訴訟番号が全部 私のと同じ (イ)408615-31号だというのも可笑しいし、ハガキの文面で(最近、架空請求業者の新しい手口として・・・)と注意を喚起しているような箇所があるが、てめえが その架空請求業者じゃねえかと 思わず笑ってしまった。 盗っ人猛々しいというか、泥棒が(泥棒にご注意)と言っているようなものである。 架空請求かどうかは分らないが、きょうは もう1件嫌な請求があった。 週末に マイカードという所から ハガキが来て、返済日の5日が過ぎても 口座の残高不足により 今月の返済分1,498円が決済されていないので至急 預金口座に入金するようにとある。 全く心当たりがないので、最寄の三菱銀行にお問い合わせをと書いてあったので、週明けを待って早速電話をしてみた。 (実は 上記の架空請求業者に電話してしまったのも この件で 訴訟でも起こされたかと思ったからだが。) 電話の担当者に マイカードで買い物をした事もないし、ローンを組んだ覚えも無いと伝えると、こちらでお調べして 後ほど電話をしますと言われた。 三菱銀行の福岡支店は 天神にあり、そこで教室を開いていた頃は よく利用していたが、数年前 教室を撤退した時に 定期預金と普通預金を解約し、自宅の近くに支店がある福岡銀行に すべてを移した。 その時 DC(ダイアモンドクラブ)のカードの決済が三菱だったので、その引き落としがあるといけないと、口座に数万円は残しておいた。 それから数年後、引き落とし出来ない残金があるので、その回収を三菱から委託されたというような手紙が来たような気がする。 その時は 銀行まで出向き DCの年会費の数年分が残っていた事を確認し、カードの決済を福岡銀行に移すと共に、残金を全額支払った。 もしかしたら その時 解約した筈が 解約されていなかったのかもしれないが、(今月の返済分が・・・)というのが 気になる。 突然 請求のハガキが来て 来月から 毎月 支払いをしなければならないのか? 一体 何の金が 幾ら残っているのか、その辺のことも 2度目の電話で質したが 最初の電話同様 全然掴めていない。 電話に出たのは 年配の女性のようで、この銀行でもベテランの方だと思うが、三菱ともあろうものが こんなに要領を得ない行員を担当にするなんて 腹が立ってきた。 再度調べて お電話しますと言い、最後に掛かってきたのは 夜の6時半過ぎ、結局 何も分らないまま 後日 私が店頭に赴く事になった。 三菱もUFJとの合併で 三菱東京UFJ銀行となり、業務の引継ぎ等が忙しいのかもしれないが、そんな仕事振りでは 真っ先にリストラの対象になりますよと言ってやりたい。 そう言えば 頭にあった東京が真ん中に来てる。 銀行の合併のたびに 名前を覚えなければならない人は大変だが、私は未だに りそなとみずほが 元の何銀行だったのかが分らない。 口座を全て移し変えたのも 地理的なものもあるが、福岡銀行が 唯一 名前の変らない銀行だというのもある。 私が毎年 新入社員の研修をさせて頂いている東京の会場は 最初は東海銀行神保町支店だったが、数年前にUFJ銀行に代わった。 今年は どこの 三菱東京UFJ銀行に行けばいいのか。
2006年01月16日
コメント(0)
中学受験の為の塾通いで 桃子チャンがMASHを辞めることになった。 MASHでは 桃子チャンのような宝塚志望の生徒の為に 声楽の先生に月に一度熊本から コールユーブンゲンの指導に来て頂いているが 毎週 教えて貰える教室を地元の小倉で見つけたので 本格的に そちらで声楽を勉強したいというのも退学の理由の一つだ。 そこで 教室の収入減をカバーする為もあって、以前 天神の事務所でやっていた アナウンス教室を復活しようかと思っている。 現在 教室は1時から6時半まで借りているが、実際に使用しているのは5時20分までで 残りの1時間10分は全く使っていない。 勿論 現在のカリキュラムの中に 音声基礎やアナウンス 朗読が含まれており、それも受講して 更に 補講として 余った この時間帯を活用出来る。 もともと 私にとっては アナウンサーを育てる事が最も得意な分野で、天神の教室では 福岡・大分・山口の5局に 6人の局アナを送り出しており、レポーターなどフリーのアナウンサーなら 実際にテレビでレギュラー番組を持つ30人を育てている。 市内のあるテレビ局からの依頼で 全くズブの素人の二人をアナウンサーに仕立てた事があり、その時の費用は全額 その局が持った。 また 東京の一流企業2社に就職が内定した 九州大学の女子学生が訪ねてきて アナウンサーになる夢を捨てきれないと言うので 2ヶ月特訓した結果 彼女の地元の大分の民放局に合格させ、彼女の人生を変えてしまった事もある。 放送局には アナウンス教室を開いている所も多いが 教室の出身者が その局のアナウンサーに採用された事は皆無であり、効率の上からいっても マンツーマンに近い形で指導出来る 私の教室で勉強する事の方が効果的だと思う。 もし アナウンサーや声優志望の方がいたら 是非 このブログに書き込んで頂きたい。 ある程度の才能(資質)と、どうしてもなりたいという強い意志があれば 必ず夢を実現させてあげる自信は持っている。
2006年01月15日
コメント(0)
きょうの映画 「深呼吸の必要」(04) 「北京の天使」(92)
2006年01月14日
コメント(0)
私がリンクしているホームページで、毎日必ず日記を読ませて頂いているサイトが2つある。 2人とも 私と違って 超多忙の中を、欠かさず日記を記入している。 1人は イモ欽トリオでお馴染の山口良一さんのページで(あほんだらすけの日記)。 テレビの取材や地方公演などで、家を空ける事の多い方だが、旅先から携帯電話を使って 日記を送られている。 私などは 毎年春に仕事で上京中は日記はお休み、その間 2週間分の日記はノートに書いておき 帰宅してからパソコン上に書き込むようにしているので、山口さんの几帳面さには頭が下がる。 彼の日記は 主に劇団の公演の様子やテレビの取材の事、プライベートでは、色んなお芝居を観に行ったり、バイクでツーリングを楽しんだり、大好きなオソバを食べた話などだが、私が大好きなのは 決してSさんとか M君とか匿名を使わず、実名で書いてある所だ。 お芝居の裏方さんや 弟子 仲間 スタイリストさん 取材先のお店の名前や そこのご主人の名前も すべて実名だ。 芝居仲間の佐藤B作さんや小倉久寛さん 海援隊の千葉和臣さん あめくみちこさんなどとの交流が、本番の舞台での事だけでなく、リハーサルや打ち上げでの話も含めて詳しく描写されているので、彼らの思わぬ素顔が垣間見られて楽しい。 また 知人の舞台を観に行ったら、客席に誰が来ていたとか、楽屋にどんな人がいたといった情報が手に取るように分る。 そのお芝居の評判や批評なども載せてあって、私が東京に住んでいたら、山口さんの日記にある お芝居を片っ端から観に行けるのになあと、残念でならない。 さて もうひとつのお気に入りの日記は、秋田出身のモデルさん鈴木麻里さんのもの。 彼女はモデルさんというより、本業は東京の一流女子大の 大学院で音楽を勉強している学生さんだが、映画や舞台にも出演、最近では CS放送のお天気キャスターも勤めている。 日記の言葉遣いが丁寧で、山口さん同様 (観れる)とか(ヤバイ)などという変な表現、或いは下品な言葉が全然出て来なくて気持ちがいい。 かと言って お高く停まってる訳でなく、時々彼女の地の 素直な可愛らしさが顔を見せる。 ストレスが溜まっている時など 彼女の日記を読むと ホッと癒される気がするのは 私だけではないようで、固定ファンが多く、いつも彼女のBSには複数の同じ男性からの書き込みが見られる。 この 素直な性格の良さは、きっとご両親の教育の賜物だろう。 これから更に忙しく、また 売れっ子になっても 両親から授かった この宝物は大切に持ち続けていて欲しいと思う。 そのマリさんの日記に ほんの数行だが、懐かしい お店の名前を発見して 私は いっぺんにタイムスリップしてしまった。 新宿の靖国通り 歌舞伎町の入り口にある 和風レストランの「すずや」。 私が大学時代に足繁く通った店だ。 東京にまだ 都電が走っていた時代で、店の前が都電13番(新宿東口~万世橋間)の停留所になっていた。 現在はマリさんが言うように (トンカツ茶漬け)というユニークなメニューが評判で、いつも2階の入り口まで行列の出来る人気店だが、その頃は1階で営業しており、レストランというよりも 喫茶店の感じで、名前も民芸茶房「すずや」だった。 店内には棟方志功の版画が飾ってあり、従業員は全員 絣の着物姿。 私はその中のひとりの女性に一目惚れし、週に4日は通っていた。 彼女は(いらっしゃいませ)(有難うございます)と 挨拶の声が一番大きく、エガオがとても魅力的で、彼女がいるだけで お店がパーッと明るく輝いていた。 当時 私は大學の仲間と 児童文学の同人誌を発行しており、私の童話が載った雑誌が刷り上ると 真っ先に彼女に読んで貰っていた。 と言っても 彼女と店外で会ったのは1度だけで、しかも その最初で最後のデートの場所は 近くの伊勢丹の屋上だった。 屋上で、どうしても欲しかった彼女の写真を撮り、時間がないという彼女とそこで別れたが、どうして洒落た喫茶店ぐらいに案内しなかったのかと悔やまれる、今 思うと 「すずや」以外の喫茶店を知らなかったのかもしれない。 その時の写真は まだ 我が家のどこかにあると思う。 それにしても 2日にいっぺんは店に現われ、いつも決まってホットケーキを注文する 田舎出の学生を 店の人はどう思っていたのだろう。 その後 間もなく 彼女は店を辞め、明るかった店の雰囲気は灯が消えたようになってしまった。 それから 数年後 就職先の福岡で、たまたま会った 店の関係者から 彼女の辞めた原因が 身辺に起きた不幸な事件のせいだったと聞いた。 お兄さんが新聞記者をしていると聞いていたが、その後 彼女は事件のショックから立ち直り 幸せな結婚生活を送っているのだろうか? 「すずや」の名前を見て、甘酸っぱい そしてほろ苦い青春のひと時を思い出した。 今の「すずや」は2,3階共に いつも満席で、1人で行くと必ず相席になるので、なるべく友人と2人で行くようにしているが、勿論 従業員の制服も和服ではなく、昔を偲ばせるものは何も残ってない、でも いつまでも続けていて欲しい店である。 靖国通りの「すずや」と同じ並びにある「大陸」という中華料理の店も、私には忘れられない店になった。 昨年末に亡くなった稗田さんが 餃子の美味しい店として紹介してくださった店で、昨春は奥様を呼び出して3人で会食した。 今年 上京したら また奥様を招んで 昨年と同じく 水餃子 焼餃子 蒸し餃子の餃子尽くしで 稗田さんを偲びたいと思っている。 幼稚園の同級生のご主人と 80歳近くまで連れ添ってこられた奥様が ショックから体調を崩されてなければいいが、心配だ。 もう1軒 銀座5丁目の 喫茶「FONTANA」。 私の母がやっていたBARと同じ場所で営業しているこの喫茶店は、リンゴを丸ごと1個使ったアップルパイが評判で、毎年4月に私が行くと、マスターが(そろそろ見える頃だと噂していました)と暖かく迎えてくれる。 この店も いつまでも続けていて欲しい店の一つだ。
2006年01月13日
コメント(0)

今夜は「一つ有る会」の最後の日。 バスで天神に着いたのが早かったので (とうじ)と(丸善)でボールペンや雑誌を買って 時間を潰し、それでも 10分前には会場に着いた。 受付の女性に案内され通された部屋は いつもと違って 一回り小さな部屋。 今回は会場が代わって初めて 参加者が10人を切ったので いつもの10人以上の部屋を手配して貰えなかったのだろう。 部屋には 高齢者グループの4人の男性が もう既に見えていて、何だか話が弾んでいた。 6月の15周年を待たずに止めるのは少し寂しいが、2月に会場が改装工事で使えなくなるのをいい機会に 思い切って きょうを最後の晩餐の日と決めた。 参加者は13人ならぬ 9人だが、13日の金曜日の前日でもあり、幕引きには ふさわしい日かも知れない。 最近の この会での 愉快でない動きについて、最古参の具島さんは、私よりも先に感じ取っていて、いつもは 私が会を止めるというと真っ先に反対していた彼が、(今回は敢えて やめるのをとめませんよ)と言ってくれたのも力になった。 ただ 毎月 この会を楽しみにして頂いていた 最年長の塩崎さんの健康がすぐれず、昨年末には (来年は参加出来るかどうか分りませんよ)と仰言っていたので、余り負担を掛けてもと 思ったのも止める一因だが、きょう拝見する限り 大変お元気そうで、参加者の一部から (塩崎さんの為にもう少し続けて)という声もあったが、(そのうち、気のいい仲間を集めて 塩崎さんの為の会を作ります)という事で納得して貰った。 人数は少なかったが きょうの会は いつもよりも盛り上がり、気がついたら10時近くになっていた。 森田さんが言うように(これぐらいの人数の方が みんなと満遍なくお話出来て 楽しい)という事か。 確かに 自由に席を立って 会話を楽しむというのは15人になると、少し難しいかもしれない。 今夜の会を盛り上げてくれたのは、甲斐さん。 高橋さんの大學の先輩で、団塊世代の管理職である彼は 初めての参加にも関わらず すぐにみんなと打ち解け、その明るいキャラクターで 会話の中心になっていた。 この写真のうち 2枚は彼が撮影してくれたものだが、みんな屈託なく笑っている。 記念すべき 最後の会のメンバーの写真も(全員を載せる為 2枚) 会が終わって 甲斐さんの行きつけの店で二次会をする事に。 しかし 電話をしたら お休みで、結局 ウイスキーのキープの有るソラリアホテルのラウンジまで歩く。 所が ホテルに着いてからの記憶が殆んど無い。 急に吐き気がして トイレに駆け込んだまま 出られない。 ビール ワインと焼酎の飲み過ぎが原因みたいだ。 ここのホテルマンのサービスには 以前から感心しているのだが、何度もトイレに来て(大丈夫ですか?)と声を掛けてくれるし、冷たい水とおしぼりまで トイレに持って来てくれる。 おまけに吐いていて下着を汚したと言うと ビニールの袋まで持って来てくれた。 感激して名前を聞いたが、家に帰ったら忘れてしまった。 一緒に行った皆さんにも心配を掛け、シラケさせたのではないかと 心苦しいが、私が酔いつぶれたのは 嫌な思いをしたからではなく、大変楽しかったから。 九大4年の下村君から メールが来て(酔いつぶれざるを得ない 今の気持ちは分ります)と心配してくれたけど、ちょっと違うんだな。 酔いつぶれたのは 苦い酒を飲んだからではなく、甘い美味しい酒を飲み過ぎたから。 つまり 気分よく飲めたからなんだ。 今まで記憶がなくなるまで飲んだのは2回だけ。 1回は ソラリアホテルで(一つ有る会)をやっていた頃、高校の後輩で鳥取大出の美女が 久し振りに来てくれて 嬉しかったので つい飲みすぎて、その時はトイレに行くのが間に合わず、部屋で 自分のバケット型のバッグの中に吐いてしまった。 後輩にすっかり醜態を見せてしまったけど、今はその子は2児の母として千葉に住んでいる。 もう1度は 東京で、やはり高校の後輩で早稲田を出た落語家柳亭燕路君と、学生時代 彼がよく行った高田馬場の居酒屋で飲んだ時。 もう1人 仲の良かった 三遊亭歌奴さんにも声を掛け、私の仕事仲間ら数人が一緒だった。 芸人の世界は上下関係が厳しく、燕路君は 歌奴さんが 自分の師匠の小三治さんと同格の人なので、最初は 同席を恐縮していたが、歌奴さんは そんな事で威張るような人じゃないので、次第に打ち解け 本当に楽しい会になった。 噺家を2人も引き連れて飲むなんて、まるで お大尽みたいで、私もすっかりいい気分になり、次第に 記憶がなくなってしまった。 高田馬場から地下鉄に乗り、どこをどうやって帰ったか、気がついたら家で寝ていた。 店の支払いはどうなったのか 全く分らず、翌日友人に電話して聞く始末。 燕路君がタクシーで歌奴さんを送って行ったと聞いてほっとしたのを思い出す。 その歌奴さんも数年前に亡くなり、寂しい限りだが、私が記憶がなくなる程 飲むというのは 気分がいい証拠。 他の方には迷惑を掛けたが、私にとっては この3度目の轟沈は(一つ有る会)の掉尾を飾るにふさわしい飲み方だったかもしれない。
2006年01月12日
コメント(3)
きょうの映画 「ダウン・バイ・ロー」 (86)
2006年01月11日
コメント(0)
連休のあとの割には 届いた年賀状が少なく 7枚だった。 その中には 気になっていた女の子からの1枚が入っていたので 内心ホッとした。 その子は 元宝塚志望の高校生。 私は小学校2年の頃から 指導してきた子で、エガオが素敵な娘だった。 過去形で書いたのは 最近会ってないので、あのエガオがどうなったか分らないから。 彼女が宝塚に憧れたのは お母さんの影響もあるが、小学生の時に 博多座で上演されたミュージカル「王様と私」に、イギリスからやって来た家庭教師に指導を受ける王女たちの一員として出演し、その教師役で共演した一路真輝さんに魅せられてからだ。 しかし 5年生の時に 母親が急な病で亡くなり、宝塚への夢が薄れたのか、中学に入ってからは、生徒会長に就任するなど、違う方向に興味を抱き始めた。 思春期というか反抗期というか、その年頃の少女によくある男性忌避症のせいもあって、父親ともうまくいっていない様子だったが、私に対しても昔のような人懐っこさがなくなった。 沖縄に写真集の撮影で行った時に 一緒に行った島田恵チャンのお母さんに話すと、(この年頃の子はみんなそうですよ。うちの子でもCDを買って貰う時以外は父親と全く話しません)と言う。 そのうち 受験勉強の為に 暫く休みますと言ってきたが、高校に入学した去年も 遅い年賀状に、もう暫く休ませてくださいと書いたまま 連絡してこなかった。 やっと きょう年賀状の返事が来たので、取り敢えず 破門にするのは止めたが、もうタレントになりたいという意識は無いみたいだ。 宝塚音楽学校の受験には 高校卒業まで まだ3回のチャンスはあるが、私の勧めでも クラシックバレエを勉強する気がないみたいだし、きっと、本人が自分の才能に見切りをつけたのだろう。 賀状にもMASHの事は一切触れず、ただ 儀礼的に 今年もよろしくお願いしますと書いてあるだけ。 もしかしたら 中学で生徒会長に立候補したのは、自己のタレント志向と訣別する為だったのかもしれない。 そうとは知らず、教室に戻ってきたらビシビシ鍛えて 必ず 宝塚に合格させるとの お母さんとの約束を果たそうなんて考えていた自分がバカに見える。 受験だ塾だといって レッスンを休む生徒が多いが それは 彼らの価値観(優先順位)の問題だ。 林君は来年は高校受験、実沙紀チャンは 今年の春 高校進学だが、彼らは決してレッスンを休みたいとは言わない。 自分にとって 塾とレッスンとのどちらが大切かを ちゃんとわきまえているからだ。 年賀状とは別に きょう ちょっと寂しいハガキが届いた。 満州医科大学(満大)の開学95周年記念祝賀会の案内と、この会をもって同窓会(輔仁会~豚まん会)を終焉とするというお知らせだ。 実は昨年の会で 卒業生が高齢化して出席も不自由になってきたので 同窓会を打ち切りにしたいと、幹事から提案があり、いや あと5年 100周年までは続けてほしいという意見も出て、幹事会の検討事項になっていた。 最後の同窓会は4月9日で、昨日 飯塚氏が今年も研修会に招んでくれるような事を言っていたので、その頃 東京にいることはいるのだが、出席しようかどうしようか 迷っている。 輔仁会の最後を見届けて 亡き両親に報告しようという気もあるが、最後というのは何とも寂しい。 それよりも 気が進まない第一の理由は 毎年 遺児として一緒に出席し、昨年も同じテーブルで食事をした、四方さん 稗田さんの両先輩が揃って他界し、私独りで参加するのは切な過ぎるから。 出欠の締め切りは3月1日だから、それまで返事は保留にしておこう。 出欠の締め切りといえば (もう一つ有る会)も 明日の午後4時が締め切りだが、今の所 出席は私を入れて 4名だけ。 常連の会員が殆ど欠席で、そろそろ止め時かなと思っている。 これまで何度か止めたいと思ってきたが、最年長の塩崎さんが 毎月 この会に出るのを楽しみにしていらして、お年寄りの唯一の楽しみを奪うのかと 他の会員に詰め寄られ、翻意してきた。 しかし昨年暮れの忘年会で、その塩崎さんが最近の体調不良を訴えられ、来年は参加出来るかどうか分らないと仰言っていた。 会に出るのが負担になっておいでなら 私が 無理して続ける意味は無い。 それに 止めようとすると、必ず参加人数が増え、続けざるを得なくなっていたのだが、恐らく明後日は 10人を切り、最少の参加者になりそうだから、そのささやかな人数で終焉式をやるというのも楽しいかもしれない。 私に いい止める口実を作って頂いたと感謝すべきかも。 いずれにしても2月は休みの予定で、3月以降はまだ会場が決まっていないから、このまま5月まで休み、6月には その月に始まったこの会の15周年を盛大にやって 幕を引くというのも 一つの案ではある。
2006年01月10日
コメント(0)
東京から友人の飯塚氏がやって来た。 彼は元共同通信記者で、父上が亡くなってからは 同社を辞め、2代目社長として家業を継ぐと共に、フリーのジャーナリストとして 2足の草鞋で活躍する多才な人物だ。 ペンネームの北沢栄で 岩波新書から(公益法人)を出版するなど多くの著書を出しており、特に最近では 官僚の無駄遣いや特別会計などを鋭く批判、たけしの(TVタックル)に数度出演するなど 民放のテレビに コメンテーターとして引っ張りだこの人気者である。 その他 最近では 山形の大学院で教授を勤めるなど、教育界にも進出している。 今回の来福は 経営者としてのもので、毎年恒例の九州など各支店を回っての 年頭の社長挨拶が目的。 毎年 彼の宿泊先のホテルなどで 2人で会食を楽しんでいるが、今年はKBCの緒方氏も招んで 久し振りに3人で歓談した。 我々は福岡の司法記者クラブでの仲間で、当時 緒方氏は入社間も無い 最年少の記者だった為、皆に苗字ではなく名前で 喜七郎と呼ばれていた。 飯塚氏は 今でも時々 喜七郎と昔の名で呼んだりするが、彼は今では れっきとしたKBCの重役、報道・制作担当の取締役である。 私は毎年4月に 飯塚氏の業界の合同新入社員研修会に講師として招んで貰い 上京しているが、緒方氏の長男も大學卒業後 飯塚氏の会社に就職、大阪支社で営業マンとして働いており、3人は昔からの付き合いが長く続いている。 いつものように ホテルのバーで 会話が弾んだ所で、緒方氏行きつけの天神の ひょうたん寿司へ。 私は初めて行ったが、ここは行列の出来る店として福岡では有名な所。 場所は 井上陽水 武田鉄矢、陣内孝則ら多くのミュージシャンを輩出した ロック喫茶(照和)の隣りのビルだ。 さすが 人気店だけあって 味も一流で、私は特に 舌にとろけるような中トロが気に入った。 席まで挨拶に来た若社長は イケメンで爽やかな好青年といった感じ。 私が幹事になって (ミカの会)の女性陣に紹介したくなってきた。 今評判の佐藤の焼酎を飲みながら、美味しい魚に舌鼓を打ったあとは、近くのソラリアホテルのラウンジで しばしバーボンのグラスを傾け、緒方氏のタクシーに便乗させて貰って帰宅したが、久し振りに楽しいひと時であった。 たまには 男ばかり3人の飲み会もいいものだ。
2006年01月09日
コメント(0)
先日買ったら 切れていた電球を取り替えて貰う為に (グッデイ)に行かなきゃと思いながら なかなか行けずにいた。 余り 日数が経つと 交換して貰えなくなると思い、きょうは 6時に目覚ましをセットして 出掛けた。 午後7時には閉店してしまうからだ。 あとから 気が付いたのだが、それなら5時半に起きて(笑点)を観ればよかったと。 店に行って 係りの人に説明すると、テスターで試してくれたが ちゃんと電気が点いた。 もし駄目だったら また来てくださいと言われ、半分は納得出来ないまま また その電球を持って帰宅した。 (なんだ 折角早起きしたのに 無駄足だった)と嘆きながら 食卓の上のソケットに差し込んだが、やはり点灯しない。 かと言って また明日 店に行くのも面倒だし 何度か 入れたり外したりしていたら 何と 明かりが点いた。 ソケットと相性が悪かったのかな? それで この件は一件落着。 さて きょう明日は 連休で年賀状が来ない。 明後日 何枚来るか楽しみにして、元旦に届くように年賀状を出す人と、こちらの年賀状になかなか返事をくれない人の違いについて マナーの部分は別にして、私なりに考えてみた。 年賀状に限らず 筆まめな人は大体において 達筆な人が多い。 字を書く事が楽しいのだろう。 それに対して 字が余り上手でない人は 字を書くのが億劫で、筆が遅く 筆不精が多い。 私も ハガキはとも角として、封書の場合は ワープロかパソコンで書いて 印字(プリント)して送る事が多い。 私の父は 私同様 人を集めるのが好きで、若い患者さんを中心に 点字の会や趣味の短歌の会のほか 謄写版の会も開いていた。 当時は まだ パソコンやワープロどころかプリントゴッコもない時代で、父は4~5色も使って 謄写版でハガキを印刷するのが得意だった。 1枚のハガキの為に 5度刷りをするのは 大変な手間だが、父はそれを苦にせず 楽しんでいるようだった。 通っていた教会の栞や 医大の同窓会の会報なども印刷して全国に発送していた。 小さい頃には 絵描きになりたいと思っていたぐらいだから、父の書く絵柄や字は見事で、私も高校の頃は 勝手に自分なりのイメージを父に伝えて、年賀状を刷って貰っていた。 達筆の父は 字を書くのも好きで、非常に筆まめ。大學時代に東京に住んでいた私の所にも 度々 手紙をくれたが、私が電話で返事をすると、よく怒られた。 こちらが(お早う)と言っているのだから お前もちゃんと手紙で(お早う)と言いなさいと言うのだ。 そんな手紙好きが嵩じて、晩年にボケがきた時は、多くのお友達に 何枚も同じ絵手紙を送って迷惑がられたりもした。 一方 母の方はというと、これが見事な カナ釘流。 父と母は恋愛結婚だが、達筆の父が よくもこんな悪筆の娘と結婚したなと、不思議に思える程だ。 母は 北九州では一番大きな料亭の経営者で、地下2階 地上4階の建物の中に レストランやバー、麻雀クラブなども併営しており、東京の銀座 大阪の北新地に支店を持っていたぐらいだから、全国に大勢の顧客がいたと思うが、店からも個人的にも年賀状を出した事がない。 古くからのお友達から 年賀状が来ても 母が返事を書いているのを ついぞ見かけなかった。 息子の私にはよく手紙をくれたが、身内以外に 汚い字を見られたくなかったのだろう。 私は顔は母に似ているが 性格は父にそっくりだと、よく人に言われるが、残念ながら 字は 母の方に近いかもしれない。 そんな私が めげずに 年賀状を 自筆で400枚も出せるのは、親しいデザイナーの上村さんに言われた こんな言葉の お陰だと思う。 「字は上手より 下手なほど味がある」 きょうの映画 「チェイシング・エイミー」(97) 人気漫画家のホールデンとバンキーは、バンキーが下絵を描き、それにホールデンが彩色するという分担で 長年コンビを組んで仕事をしてきたが、コミックコンベンションの会場で 仲間の黒人漫画家から女流漫画家のアリッサを紹介されると、ホールデンが彼女に一目惚れ。 同郷だという事も分って、2人はデートを重ねるようになる。 所が 彼女は同性愛者で、男性には全く興味がない様子。 そこを ホールデンが強引に口説いて、やがて 2人は結ばれる。 彼女に夢中で 仕事も手に付かない彼に 危機感を感じたバンキーは、彼女の高校時代の同級生から訊いた 彼女の奔放だった過去の男性体験の話を聞かせて 彼女と別れるようにホールデンに忠告する。 男性は未経験だと言っていた彼女の言葉を信じていた彼は、アリッサを問い詰めると、彼女は男性二人と3Pでプレイした事などを 赤裸々に告白。 ホールデンには 彼女の、(過去の乱れた生活から足を洗って、今は あなたしか愛していない)という言葉も 耳に入らず ただ 悶々とするばかり。 やがて 苦肉の策を考え付いたホールデンは 2人を呼び出すと、やや ゲイの気があるバンキーと自分 そしてアリッサと3人でプレイをしようと持ちかける。 彼女が体験した3Pを自分も経験する事で 吹っ切れるし、バンキーとのギクシャクした関係も修復出来ると語るホールデンに 怒ったアリッサは憤然と席を立ち、やがて彼は バンキーとのコンビも解消せざるを得なくなる。 それから1年後 コンベンションの会場で ファンへのサインに追われるアリッサの前に 今は 独立した漫画家になったホールデンが現われ、自費出版したというコミック本を手渡すのだった。 数年前 東京で開かれたコミックコンベンションの様子をテレビで見た事がある。 この映画を観て 会場内の配置 ファンの流れなど全く同じなので驚いた。日本独自のものだと思っていたら アメリカの真似だったのか。 でも どうして アメリカと同じものだと、日本が真似をしたと思い、韓国や中国で同じものをやっていると、日本の真似をしたと思うのだろう?
2006年01月08日
コメント(0)
前日 眠りが浅く よく眠れなかったせいか きょうは ぐっすりと熟睡した。 途中 1度も目が覚めないまま 気が付いて枕元の時計を見たら 7時40分、まだ朝かと、二度寝を決め込んだ。 しかし よく考えてみると 外は真っ暗、朝7時過ぎで こんなに暗い筈はない。時計をもう1度確認すると AMではなくPMになっている。 そう言えば 寝たのが 朝の11時45分だから 朝7時の筈はない。 かくして きょうも昼間の1日を知らないまま過ごしてしまった。 いつものように 地上波テレビを観ながらダラダラと1日を過ごし、夕飯は午前2時半、きょうの献立はズワイガニの かに鍋。 白菜や椎茸などと共に賞味期限の切れた豆腐を入れて食べたが これがなかなかイケル。1日では勿体ないので、少し残して 明日も食べる事にした。 きょう届いた年賀状は15通。 去年久し振りにお会いした 宝田明さんから (博多に行った時には必ず連絡します)という嬉しいお便り。 また(小川宏ショー)の初代アシスタントで 大変お世話になった木元教子さんからも。 そこで 昨日の続き 嬉しかった年賀状のNO2とNO3を、高橋さんからも許可を頂いたので・・・。 NO2は 名古屋のぴんぐ~さんから。 彼は去年の暮れから 悪い病気に罹り 入院中なのだが、元旦にメールで新年の挨拶が届いた。病室からで、退院したら改めて年賀状を送りますと書いてあった。 しかし先日届いた年賀状は まだ退院しない病室からで 宛名など住所の部分は 看病に来ていた彼女に書いて貰ったそうで、半分はノロケが入っている。 住所書きだけで 彼女の真面目な性格が はっきり分るものだった。 送り元の住所が愛知県名古屋市になっている。 普通 名古屋の場合は 県名は省くと思うんだけど、私も福岡県福岡市とは書かない。 だから彼女の几帳面な性格が伝わってきて 嬉しかった。 こちらが出した年賀状にメールで返事をくれる人もいる、全く返事を寄越さない無礼な人よりは まだましだが、でもちょっと寂しい。 ハガキは残るが メールはいつまでも保存しておく訳にも行かない。 (そういえば 元旦に私が出していない人 二人からメールが来たが、私はメールではなく ハガキで返事を出した。) ぴんぐーさんのように 理由があって 取り敢えず元旦にメールで挨拶をし、改めて賀状を送るというのは 二重に 嬉しいかもしれない。 そういう人がもう1人いた。 専修学校夜間部の大川さん。彼女は昼間はヘルパーの仕事をしており、年末ギリギリまで働いていて 賀状を書く暇がなかったみたいだ。 元旦に オメデトウゴザイマスのメールが来て、大分県に近い実家に帰っているので、博多に戻り次第、年賀状を送りますとあったが、きょう その賀状が来た。 私は友人を自宅に招ばない言い訳として デジカメの中に収録してある、我が家の 足の踏み場も無いリビングの映像を見て貰っているのだが、以前それを見た彼女は(わあ~兄の部屋そっくりだー)と驚いていたが、きょうのハガキには ヘルパーとして いつでも部屋の掃除に行きますよと書いてあって、その心優しい言葉が嬉しかった。 残念ながら 当分部屋を片付ける余裕がないので、彼女の訪問はお預けだが、私が病気で寝たきりになったら 介護ヘルパーとして来てくれるそうで心強い。 しかし これも 暫くは寝たきりにはならないと思うので お預け。 彼女は お医者さん限定で 結婚相手を探しているが、案外早く相手が決まるかもしれない。 もし開業医と結婚したら きっと 内助の功を発揮する いいお嫁さんになる事だろう。 でも 将来 介護を期待している私としては 結婚してヘルパーの仕事辞めてしまったら 困るなあ。 人間関係や仕事で、ケジメを持ってキチンとこなす真面目なぴんぐーさんと 几帳面な彼女も 相性がよさそうで、これからが楽しみ。 入院中の男性と看病する女性に愛が深まり 結婚するってケースは非常に多いので、これは期待大。 実家の岡山から電話してきたお母さんと、病室にいた彼女が話をし、(息子を宜しくお願いします)と言われたそうだから、もしかしたら 年内に結婚なんて事に・・・そうなればお目出度い! (でも 眼科に入院していた神谷君の所にも 随分女性の見舞い客が来ていたけど 結婚には至らなかったなあ・・・これは私の独り言) 嬉しかった年賀状のNO3は 新人舞台俳優の井口君からのもの。 (テアトルはかた)という 福岡では老舗の劇団は ここ数年 男優がいなくて困っていた。 従って出し物は (頭痛 肩こり 樋口一葉)のような 男性が1人も登場しない物ばかりで お茶を濁していた。 そこへ 久し振りに登場したのが この井口君。 役者のタイプとしては 松田優作の息子の松田龍平に似て やや線が細いのと まだ21歳の若手なので 老け役は無理だが、これで劇団のレパートリーも少しは広がるものと 期待されている。 彼とは 先月の(一つ有る会)で初めて会った。 二次会にも参加して 初対面の大学生らと、意気投合し、賑やかに歌ったり踊ったりしていた。 私は飲み会の帰りには 1人で 30分ぐらい 歩いて、坂道の手前でタクシーに乗るようにしているが、彼はその日 寒い中を 喉をゴホンゴホン言わせながら歩くのを付き合ってくれた。 帰る方角が 同じという訳でもない。 彼の住まいは 旧朝倉郡夜須町という山の中で、もう電車のない時間で、どうやって帰るのか気になっていたのだが、翌日メールで無事に帰りましたと報告が来た。 恐らく あのあと どこかで時間をつぶし 始発で帰ったのだろう。 その彼から元旦に年賀状が届いた。 彼には 私も送っていたので 慌てて返事を書く事はなかったが、1ヶ月前に知り合い 1度しか会ってない相手に きちんと 新年の挨拶のハガキを出すというのは なかなか出来るものではない。 今どきの若い者には珍しいマナーに触れて 心地よかった。 田舎の青年だから素朴なのか、両親の躾がしっかりしているのか、これなら 厳しい芸の世界や芸能界でも 立派に生き残っていけると、確信に近いものを感じた。 テアトルはかたの井口誠司 これからの注目株である。
2006年01月07日
コメント(1)
きょうは正月には珍しくお昼過ぎに起きた。 旧九州松下電器の元常務で、私が大変お世話になった佐藤さんから、年末に電話があり、きょうの4時にお会いする事になったからだ。 ず~っと 家に籠り切りだったので、出かける前にシャワーを浴びた。 折角 天神まで出るので、ついでに郵便局に寄り、年賀状の返事6通を投函、保育園の(ぱお~ん)に寄ったりしていたら 10分も遅刻してしまった。 それにしても 正月明けの道路や街頭の混雑振りには驚いた。 まだ冬休み中のコギャルや買い物客でごったがえしている。 特に寒さのせいか、地下街は押し合いへし合いの まるで浅草の仲見世状態。 待ち合わせのソラリアホテルのロビーには、佐藤さんと、いま佐藤さんが顧問をしている会社の 若い社員3人が待っていてくださった。 横浜に本社のある その会社は 人材派遣を業務としており、これまで、主にトヨタなど 工場関係に男性の技術系社員を派遣していたが、今後 企業の受付の女性の派遣も手がけたいという事で、その相談に乗って欲しいというお話だった。 ホテル内の喫茶室で 2時間ほどお話をしたが、きょう見えた女性の2人が、スタッフ登録してくれた女性達に派遣の為の 事前研修をする講師を勤めるそうで どういう方法で どういう事を指導したらいいかとの相談であった。 昨年末の 電話でのお話では 何かショールームでの 賞品説明の仕事の指導と伺っていて、それなら私の最も得意とする分野なので、お力になれると思っていたのだが、通常の受付嬢の仕事で 特にマイクを持って説明するような職種ではないとの事なので、ちょっと私の仕事の分野ではないかなと感じた。 勿論 以前 航空会社のスチュワーデスの訓練でやった事のある 敬語の使い方や接客の細かい事では、指導は出来なくはないが、受付嬢に必要な笑顔の作り方、お辞儀の仕方、名刺の受け取り方といった指導なら、私より女性の指導者の方が向いていると思う。 そこで まず頭に浮かんだのが 私の教え子で 現在 JR九州の女性乗務員らの研修を受け持っている(ビジネスリファイン)社長の大野さんの事だが、彼女の会社は 指導料金がかなり高いという事と、彼女の会社が人材派遣業なので、いわばライバル会社になる訳だから そこに頼むのもどうかな? という抵抗もある。 登録者の事前研修は無料で、外部の講師を招ぶ予算もない為、社員が研修を担当するのだと思うが、A社で研修を受け、実際にはB社にも登録して そちらで仕事をするという つわものもいて、派遣会社は頭を痛めているとも聞いた。 もうひとり (一つ有る会)のメンバーで 元日本航空のスチュワーデスの森岡さんを思い出したが、彼女は 主に 長崎で企業の研修の講師などをしていて、去年 福岡にも事務所を作り、フリーで仕事を始めたので ライバル関係ではなく、指導担当者を指導するには丁度 適任かもしれない。 今度 佐藤さんや皆に 彼女を紹介する事にして きょうのお話は終りにしたが、特に質問もないまま 私が1人で 雑談めいた事ばかり話して、少しもお役に立てなかったようで 大変 気が引けた。 佐藤さんとは 彼が常務になる前、総務部長の頃からのお付き合いで、確か70歳は超えていらっしゃると思うが、久し振りにお会いして とてもお元気そうなので また(一つ有る会)にも顔を出してくださるようにお願いして別れた。 所で きょう届いた年賀状は 去年の同じ日と同数の30通。 予想通り 昨日より多かった。 昨日は長くなり過ぎたので 途中で遠慮した 年賀状へのこだわりの続き・・・。 今年届いて嬉しかった年賀状3通。 まず1通目は大阪の明石さんからのもの。 彼女は佐賀で歯科医院の奥さんだった頃、私のアナウンス教室に来ていた。 ご主人と友達の、当時 FM福岡の部長だった井上さんに 番組で使って欲しいと頼みに行った所、私の教室に行って少し基礎を勉強してきなさいと、勧められたとの事で、教室にやって来た。 井上さんは 元広島テレビ、テレビ長崎、広島ホームテレビ、そしてFM福岡で局アナを勤めたベテランアナウンサーだから、自分で指導すればいいものを、ちょっと持て余して 私に下駄を預けたのだろう。 彼女は学生時代からアナウンサーになりたいという夢を持っていて、なかなか熱心な生徒だったが、その頃 既に30を半ば過ぎていて 局アナとしてデビューするのは無理だったが、フリーアナになりたいとの事だった。 何しろご主人の仕事を助ける為 結婚後 歯科衛生士の資格を取ったぐらいの頑張り屋さんで、私の教室にも休むことなく熱心に通って来ていた。 2ヶ月ぐらい勉強した所で、また井上さんの所に行って(約束通り 教室に行っているので使って欲しい)と頼み込んだらしい。 しかし 今度も(彼が ラジオに出せるだけの実力がついたと、太鼓判を押したら、使って上げよう)と、またもや私に2足目の下駄を預けてこられた。 井上さんは 友人の奥さんだけに無碍に断れないと、余程困ったのだろう。 結局 私が太鼓判を押さなかったせいもあって、彼女が FM福岡の番組に出る事はなかったが、教室を卒業したあと、FM佐賀、FM長崎、サガテレビでCMの仕事などをこなしていたから、彼女としては初志を貫徹した事になり、私はホッとしたが、それ以上に 井上さんは胸を撫で下ろした事だろうと思う。 因みに 井上さんとは 広島テレビ時代に 私のいた局と同じNTV系列だった事から系列会議などを通じて知り合い、産まれた所が同じだった事から親しくして頂き、今も長いお付き合いが続いているアナウンサーの大先輩だが、最近ではアナウンスを離れ、(匠塾)という会社の重役として世界中を番組制作で飛び回っている。 話が それてしまったが、その後 明石さんは訳あって ご主人と離婚、小学生のお嬢さんを連れて大阪に住むようになった。 彼女の実家は 小倉のお金持ちと聞いていたので、何故 大阪なのか 未だに分らないままだが、毎年の年賀状の近況報告では 洗剤の販売などをして苦労しているような様子で 気に掛かっていた。 所が 今年届いた年賀状には (大阪で中学校の先生をしています)と書いてあり、びっくりすると共に 頑張り屋のお母さん やったな~と とても嬉しくなった。 年賀状の話で きょうも長くなってしまった。 いつものように高橋さんから 日記が長すぎるとお叱りを受けそうだから、嬉しかった年賀状の2通目は明日書く事にしよう。 いま 時計を見たら 午前10時10分、そろそろ寝るとするか・・・。
2006年01月06日
コメント(1)
きょうは25通の年賀状が来た。 元旦を除くと 今年で1番多い。 こちらが出してない人からも来たので、全部が 返信でもないみたいだ。 去年の日記を見ると 6日に30通来ているから 明日はもっと多いかもしれない。 まだ返事が来なくて気になっている人もいる。 その人の分は 400通も出した中の1通だから 400分の1の期待度かというとそうではない。 1通で100通分の価値があるかもしれない。 いや 他のどの人だって それぞれ価値のある賀状だ。 決して どうせ 400分の1だからとは思っていないつもりだ。 私の父は かなり筆まめの方だったが 私はそうではない。 だから 1年にいっぺんだけ出す年賀状は、日頃のご無沙汰を詫び、その方の近況を教えて頂くと共に、こんな私でも これから1年 お付き合いくださいますかという確認の意味がある。 だから 返事が来ないと大変気になる。 仕事の上でも プライベートでも (今年も宜しくお願いします)と書いたハガキに、返事がないという事は、相手は 宜しくと思ってないという事だからだ。 こんにちは!と声を掛けたのに、黙って通り過ぎていかれたような 寂しい気分だ。 私の場合は 教え子からの年賀状が嬉しい。 ビジネス秘書系の専門学校で教えていた頃、冬休み 年賀状をくれた生徒には 学科試験で何点か 点をサービスしていた。 これは 生徒に強要していた訳ではなく、冬休みの前に、黒板に私の住所を書いた訳でもない。 点が貰えるって分って送ってくる年賀状なんて嬉しくもなんともない。 気の利く子は 黙っていても 教務課に私の住所を訊きにいって 送ってくれていた。 秘書の仕事には こうした気働きが役に立つのであって、そういう生徒は一流企業に就職出来たし、今でも年賀状を送ってくれる。 当時17~8歳だった生徒が 結婚し、子供を抱いた写真入りの年賀状をくれたりすると懐かしく、また とても楽しい。 タレントスクールの卒業生は 夢を追い続けているか、もう諦めてしまったかのバロメーターになる。 大分の実家に帰った男の子や、他の事務所に所属している子でも ちゃんと年賀状をくれると、ああ頑張っているんだなと、応援したくなるが、年賀状に返事も寄越さない子は、タレントになりたいっていう夢を捨ててしまったんだなと、ちょっとがっかりもする。 第一 師匠が(今年も宜しく。頑張ろうな!)と年賀状を出しているのに、それを弟子が無視するなんて もってのほかだ。 そんな生徒は 即破門だ。 テレビ局や制作会社から、出演の引き合いがあっても そういう生徒には紹介しない。 以前 教室に来ていた女子大生で、私が かなり有望だと期待していた生徒がいた。 大阪の読売テレビに売り込んで 番組に出して貰ったり、地元で水着のモデルの仕事も何回か取ってきた。 しかし ある時を境に 私は彼女に仕事を回さなくなった。 どうして私が彼女に冷たくなったかを気付かないまま 彼女は教室を辞めていったが、それは 私の年賀状に返事を寄越さなかったからだ。 つまり 金(カネ)ではなく、紙(手紙)の切れ目が縁の切れ目である。 芸能界というのは 上下関係に厳しく 後輩が先輩に ろくに挨拶も出来ないなんていうのは すぐに イジメの対象になり、排斥されてしまう。 以前 松田聖子が空港で 和田アキ子と美川憲一に挨拶をしなかったという事で、大問題になった業界なのだ。 だから年賀状に返事を書く(勿論 自分の方から出すべきだが・・・)というような基本的なマナーが身に付いてない生徒を 現場に出すと、必ず問題を起こし、一体どういう教育を受けてきたのだという 私の教室の評価にも繋がる。 だから 現在 教室では 挨拶をうるさく指導している。 ダンスや演技の先生に対する挨拶はもとより、入る時と出る時には、誰もいなくても 教室に向って 一礼させている。 西武ライオンズの選手が グランドへの出入りに必ず帽子を取って挨拶しているようにだ。 以前にも書いたと思うが、去年の(赤毛のアン)のオーディションで 300人を超す応募者の殆どは、歌の審査が終わると舞台から審査員席に向って(有難うございました)と挨拶していたが、伴奏してくれたピアニストに対してお礼の言葉と共に頭を下げたのは、林君と桃子チャンの MASHの2人だけだった。 それを 私は 今でも誇りに思っているし、審査員もちゃんとそこは見逃していなかったと思う。 だから 桃子チャンは 初めてのチャレンジで合格したし、林君は 惜しくも 合格は逃したものの、ロビーで 特別にプロデューサーに呼ばれて(キミの事 みんな大好きだよ)とまで言って貰えたのだ。 立派な大人の中にも 極端に筆不精な人間もいる。 先輩のカメラマンで 最初から(俺、年賀状出さないからな)と釘を刺す人や、高校の恩師で 数年前(高齢の為、来年からは賀状控えさせて頂きます)という年賀状をくださった方もいる。 また ダークダックスのマンガさんのように療養中の方もいらっしゃるので、そういう方には 返事を頂けないのを承知で、お世話になったお礼のご挨拶やお見舞い、励ましの意味も込めて お送りするようにしている。 しかし そうでない方で、返事が来ない人には 翌年は出さないようにしている。 また 毎年 私の年賀状に かなり遅れて返事をくださる人もいる。 出来れば出したくないのに あいつから来たからしょうがないやと、義理で返事を出されていて 負担になっているかもしれない。 そう思うのは 私も 本当は付き合いたくない相手でも 賀状が届くと、つい返事を出してしまうという習性があるからだ。 実は訳あって 私は妹と兄妹の縁を切り 一切付き合いがないが、その息子からは 毎年 近況報告の賀状が届く。 お嫁さんがよく出来た人で、彼女が書いて出しているのだが、出来れば妹だけでなく 甥とも縁を切りたいのだが この年賀状のせいで、縁が切れないでいる。 だから 私のお相手でも、本当は面倒に思っている人がいるかもしれない。 毎年400枚は しんどい所もあるので 来年は思い切って 返事が来なかった人だけでなく、負担を掛けていそうな人も含めて 50人ほど選別し、350枚にしようかなとも考えている。 毎年 1月の20日頃までは 賀状が届くので、2月になったら 早速その作業に入ろう。 今年のスローガン(貯めるより捨てる~保存より削除~)にも 当てはまるし。 、
2006年01月05日
コメント(0)
お正月なので 普段は余り観ない 地上波テレビの番組をよく観ている。 きょうも グルメ番組を観た。 大相撲の横綱 朝青龍が 同じモンゴル出身の力士を従えて バスに乗って 美味しい物を食べ歩くという番組だった。 これまで 朝青龍といえば 礼儀知らずで マナーが悪いという噂をよく耳にしていた。 私の知人で 襲名の時には 私も東京の披露パーティーに招んで頂いた 先代の高砂親方(元富士錦)の葬儀にも参列しなかったという事を聞いて、余りいい印象を持っていなかった。 それと 時々お邪魔している 福岡市内のモンゴル料理の店(チンギスハーン)のモンゴル人のマスターも (横綱は時々 来店しますけど 性格悪いですよ)と言っていたので、益々 そういうイメージを抱いていた。 しかし きょう 番組で観た 横綱は そんな第一印象を吹き飛ばすように 感じがよかった。 元々 エガオの素敵な人だが、きょうは同郷の後輩たちに囲まれて 終始ニコニコ顔で、料理を出してくれる店の人や料理人に対する心遣いも好感の持てるものだった。 どの料理も 美味しい美味しいと 口に出して褒め、必ず最後に 店の人に ご馳走様でした 有難うございましたという挨拶を忘れなかった。 土俵の上と違って リラックスして 素顔が出ているのかも知れないが、私同様 この番組を観て 世評と違った彼に触れ 印象を変えた人が多いかもしれない。 ただ 面白かったのは 目的の店に到着して バスを降りる時に 彼が必ず口にしたのが (お~っ寒い)だった事。 私の印象では お相撲さんは 真冬でも浴衣1枚で平然としているので、決して寒くないのだと思っていた。 しかし 寒い国の出身で しかも横綱が何度も 寒い寒いを連発しているのを観て 本当は お相撲さんでも寒いんだと認識を新たにした。 寒いっと 思わず本音で喋ってしまう所が 横綱っていうより 普通の人っぽくて 親近感を持てた。 無敵の横綱 朝青龍の一番弱いのが 寒さなのかもしれない。
2006年01月04日
コメント(0)

食卓の上の電球がまた 切れた。 この食卓は 食事をするだけでなく パソコンを見る場所にもなっていて、時間的にはパソコンで使う時間の方が遥かに多い。 100ワットの電球が点いているのだが、それが切れると、隣りのリビングから電球を1個借りてくる。 隣りは天井からシャンデリア風(というような立派なものではないが)、の照明がぶら下がっており、60ワットの電球4個が付いている。 だから いつも 応急的処置として その中から1個を借りてくるのだが、普段使っている100ワットから見るとかなり暗い。 早速 車で グッデイまで 電球を買いに行ったが 何と4日までお休み。 新春初売りは5日と貼り紙がしてあった。 昔はそれが普通だったが、殆んどの店が元旦から営業している今日 却って新鮮に感じられた。 でも 感心ばかりはしていられない。 結局 きょう 明日と暗~い正月を過ごす事になってしまった。
2006年01月03日
コメント(0)
一日中 テレビを観て過ごす。 私は 普段は地上波のテレビは殆ど観ない。 観るのは 日本テレビの長寿番組(笑点)と(恋のから騒ぎ)だけと言ってもいい。 その代わり 専ら CATVで録画した映画を観ている。 しかし お正月だけは例外で、年末にテレビガイドを買って来て、チェックを入れ、主にバラエティー番組を観るのだが、1年振りだから 随分知らない顔が多い。 これが 今 人気のあるお笑いタレンとなのかと初めて知ったりする。 レコード大賞を獲った倖田来未も 雑誌などで名前は知っていたが、実際に歌っている姿を観たのは 先日の紅白歌合戦が初めてだった。 一方 去年のお正月には あれだけ出ていたあのアイドルはどこに行ってしまったのだろうかと、不思議に思う事もある。 それだけ 人気の移り変わりが激しく、持ち味だけで勝負しようとするタレントは、すぐに飽きられてしまう。何らかの工夫と努力がないと、生き残っていけないのだ。 そんな中で、楽しみの一つは お正月になると、私の好きなタレントが必ず 番組に顔を見せることだ。 笑顔のステキな安倍なつみ 潤んだ 涙眼が色っぽい坂下千里子 胸の谷間が眩しい叶美香といったタレントさんたちは、番組の内容はどうでも、眺めているだけで楽しくなる。 彼女らは余りCATVには登場しない。 だから お正月の間は ケーブルテレビはお休み。 番組では 恒例の(新春かくし芸大会)や(欽チャンの仮装大賞)は欠かせない。特に 仮装大賞の、毎年変わるバニーガールが楽しみの一つだ。 きょう観た番組の中では、(初めてのお使い)が良かった。 子供に勘付かれないように、変装などして 追いかけるカメラや音声のスタッフの苦労は並大抵ではないと思うが、そうしたスタッフの全員が 親と一緒に心の中で 子供達を応援し、彼らの成長を暖かく見守っている姿がひしひしと伝わってくる。 この番組の魅力の一つは 子供たちの生の声が聞けること、自分を励ます為に 歌を歌ったり、独り言を言ったり、また買い物先での 大人とのやりとりなど、実にはっきりと音声を拾っている。 これまで 不思議に思っていたが、きょうその謎が解けた。 スタッフの依頼で お母さんが子供の為に お守りだの ペンダント風のメダルだのを 自ら作って首に掛けてやるのだが、その中にマイクが隠してあるのだ。 勿論ミキサーがいて カメラマンと一緒に 子供のそばにいないと、うまく音を拾えないのだが、子供のチョットした囁きまでキャッチしていて いつも感心してしまう。 きょうも お母さんの頼みで、花屋に行き、自分で選んだクリスマスツリーを宅配して貰うように依頼した男の子が、他の買い物をして帰ってくると、自分よりも先にツリーが届いているのを見て思わず(まさか!!)と呟く声がはっきり入っていた。 [今年の目標] 現在 足の踏み場も無い状態の我が家の せめてリビングルームだけでも きちんと整理し、友達を招んで すき焼パーティーが出来るようにする事。(難易度A) それまで 11年続き、ホームページ開設以来 中断している(10年日記)を再び書き始める。(難易度B)
2006年01月02日
コメント(0)
朝 寝る前に 起きてから食べる お正月の雑煮の下ごしらえをしておこうと思った。 所が冷蔵庫を開けると そこに入っている筈の 鶏肉とほうれん草がない。 生協に注文して 保存してあると思っていたが、何度調べても入ってない。 もしかして 下に落ちているのではと、探したが見当たらない。 そのうち 生協のお知らせが出てきて、そこには ほうれん草は 風と雪の為 葉っぱが痛み 出荷出来る状態ではないので、配送を見合わせました、と書いてあった。 配達されてなかったのだ。 でも鶏肉はどうしたのだろう、これは未だに謎のまま。 我が家の雑煮は 鶏肉でダシをとり、かまぼこと椎茸にほうれん草を入れた醤油味のあっさりしたものだが、鶏とほうれん草がなければ洒落にならない。 新年早々のドジで 今年も前途不安なスタートである。 取り敢えず あとで開いている店を探す事にして、寝床に入った。 夕方 起床して車で出かけた。 野菜や肉はコンビニには売っていないしと、スーパーを探すと、(サニー)が開いていた。 しかも元旦の夜だというのに、おせちを買うお客でごった返している。 野菜売り場に行くとほうれん草は売り切れで、1把も残っていない。 冷凍食品の売り場で 茹でて冷凍したものを見つけ、それを買って帰った。 帰宅後もすぐに雑煮を作る気にはならなくて、頂き物の清酒をお屠蘇代わりに おせち料理で ひとり 正月を祝った。 テレビのバラエティー番組を観ているうちに何となく眠くなったので このまま 寝てしまおうかと思ったが、元旦に雑煮も食べずに寝るわけにはいかないと思い直して、午前3時から雑煮作りに取り掛かった。 大き目の鍋にたっぷりダシをとって もちを3個入れたが、我が家は毎年4日までは おせちと雑煮以外は食べないので、残った汁に ほうれん草やかまぼこ 椎茸 鶏肉を継ぎ足して 毎食雑煮三昧のスタートである。 雑煮が好きという事もあるが、最大の理由は 料理が面倒くさいから。 毎年楽しみの年賀状は きょうは170枚来た。 元旦配達分としては例年並だろう。 私が出してない人から17枚来たので、早速 返事を書いて 車で郵便局まで出しに行った。 さて 毎年恒例の新年の抱負。 去年までの数年間は 健康に悪い3っの不足(運動不足・栄養不足・睡眠不足)の解消がテーマだったが、毎年変わらないという事は この目標が達成されていないという事を意味する。 運動をせずに家でブラブラしているから お腹が空かない、だから栄養の有るものも余り食べない、テレビやビデオ パソコンばかり観ていて夜更かしするから睡眠不足になる。 と 悪循環を繰り返している。 この3不足の解消を諦めたわけではないが、今年はテーマ(スローガン)を変えてみた。 貯めるより捨てる(保存より削除)である。 和室 寝室 書斎 リビングからキッチン トイレにいたるまで、すべて倉庫と化し、足の踏み場が無いだけでなく ちょっと腕が触れると、積んで有る本やビデオ CDなどが雪崩のように崩れてくる 五木寛之状態を解消するには 思い切って物を捨てるしかない。 第一 そんなに物があっても あの世に持って行ける訳ではなし。 個々の目標を書いていたら長くなるので、1日2っだけ挙げていこう。 到底 達成は不可能だと思われる難易度Aの目標と、努力次第では出来るかもしれない難易度Bの目標がある。 まず きょうの難易度Aは(新聞は必ず毎日読み、読めなくてもその日の分は その日に捨てる。4っの部屋で天井まで積んである古新聞の量を1年で半分以下にする。) 一般家庭で出来ている事なのに何故出来ないのか、それは強制執行する怖い奥さんがいないからだが、新聞や雑誌を隅から隅まで読まないと捨てられない性分は何とか直さなければと常から思っている。 難易度Bの目標は(昼と夜が逆転した生活を解消し 週に5日は午前0時前に寝るようにしたい。当面は午前3時が目標。) 週に5日としたのは、飲み会や食事会がある場合は 午前0時は無理だと思うからだ。 それと当面の目標を3時にしたのは それだと お昼前には起きられるからと、もう一つ大きな理由がある。 毎日寝るのが5時過ぎになってしまうのは 楽天の毎日のメンテナンスが3時に始まるからだ。 きょうもそうだが、この日記を書いていると、必ず3時に引っ掛かる。 気付かないでいると、書き込み中の日記が跡形もなく消えてしまう。 だから一旦 日記の書き込みを止め 仮登録しておいて、メンテナンスが終わってから 続きを書かなければならないが、建前では3時から30分となっているメンテナが1時間以上掛かる事が多い。(そろそろメンテナの為きょうも中断・・・)。 (再開)そうすると 続きを書くのが 4時過ぎになってしまい、就寝が5時という事にもなる。 従って 2時頃に日記を書き始め、3時前に書き終わってしまえば、3時に寝る事が出来る訳だ。
2006年01月01日
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1


