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来月の初頭、中国より意拳を伝承されている韓競辰導師が来られるらしい。日曜日と言う事もあって私もぜひ参加したいと思っています。で、それにさきがけ我々の技量をもう少し伸ばす意味もあって先日は「歩法」の稽古をしました。守先生曰く「通常は3時間かけるところを1時間でやりますから、覚えられる範囲でついてきてください。」との事・・・私以外の人は1年以上や人によっては数年やってる方もいて、その人達はいいのですが私のほうはと言うとトホホ・・・です。今はなんとか断片的に覚えている部分だけでもと思い、家で稽古していますが悪い癖がつかなければと思います。週に一度の稽古では、ほとんど頭に入らないので前回デジカメで動画を守先生の許可を得て撮らせてもらったのですが、今回もそういう羽目になりそうです(汗)今は強くなると言うよりは、なんとか覚えて模倣する段階ですね(汗)そのうえで「理」を探求していき理にかなった動きをしみこませていくって感じなのかなと思います。
2010.10.31
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道端に生えている雑草や枯れている雑草でも、光があたれば輝く事ができる・・・構図も何も考えず、ただ思ったままシャッターをきってみました。
2010.10.31
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今日は日曜なので親父の見舞いに行ってました。普段は当然私も仕事なので一週間に一回ぐらいしか顔を出せないのですが、今日はなんと!つたい歩きをしていました。私自身は正直もう歩けないだろうと思っていたので本当に嬉しかった!歩いている姿を見て私が思わず拍手をすると親父は嬉しそうに笑ってました。しかも、リハビリの成果で言葉もホンの少しだが喋れるようになってきた!うんうん。本当に少しづつだが回復してきている。さすが俺の親父である。
2010.10.31
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一昨日、自宅で意拳の基本である「站?」を行っていました。足を肩幅ほどに開き、やや中腰になり手は肩から顎のあたりで手を伸ばし、ゆっくりと大木か大きなボールを抱えるようにゆっくりと自分の方に引き寄せる。この姿勢のまま、手や指などをホンの少しづつ微妙に動かしていく。その中で体にかかる負荷の状態や負荷の移動などを感じていく。教えていただいてる守先生の言葉を思い出し、時には太気拳の本など読みながら、この稽古の意味を模索している段階だ。正直に言うと、意味が解らないと非常につまらない稽古です。当然始めたばかりですから、完全に意味を理解している訳でもなく、ともすればただ漠然と中腰で手を出してるだけになりがちな「站?」・・・・守先生の動きを見れば、この稽古は基本中の基本で絶対的な必然性があるのは理解できるのですが、今は同じ打撃系の武道をやってきた事が弊害ではないのですがあまりに空手の基本と違いすぎる為、心の中に戸惑いがありました。が、一昨日の夜、嫁さんはベリーダンスの練習の為にいなかった為に自宅での「站?」に集中できました。(嫁さんがいて集中できない自分にも問題があるのですが・・・)立つ事数分・・・・体感的には5ミリとかの感覚でゆっくりと手を伸ばしてみたり、上下させてみる。足なども足先や踵に体重移動させたりする。その時!自分の骨盤が宙に浮いた感覚になりユラユラし始めた!「なんだ!今の!」と思い体が緊張すると、スッとその感覚は消える・・・さっきの感覚がもう一度知りたくて手や指、足などを数ミリ単位で移動させていき感覚を集中させると、またユラユラ・・・その時、自分の斜め前にあった姿見の鏡を横目でみると骨盤を基に頭が数センチ近くユラユラしている・・・これが、どういう意味があるのかはわかりません。ただ、今までに感じた事のない感覚でした。この感覚が強くなる為に必要なのかどうかもわかりません。が、今まで生きてきて感じた事のない感覚が体にある事を知り、非常に有意義だったです。意拳や太気拳の熟練者の方はこの「站?」や「立禅」を自分からしたくなるそうです。理由はわかりませんが、私が感じたような感覚などを感じれるからなのかもしれませんね。何はともあれ、自分の新しい感覚を求めて積極的に「站?」してみたいと思います。
2010.10.24
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先週の日曜日に撮ってみました。相変わらず夕日です(汗)この日は普段あまり行かない場所で撮影しようと思い瀬戸大橋周辺をうろいついていた所数人の方が夕日を撮ろうと三脚を構えているのが見えました。私もその付近に車を止め、三脚やらカメラやらをセットしていると「あんたも、だるま狙いに来たんかい?」とガラガラ声の60代半ばぐらいのおっちゃんに話しかけられました。私が「へっ!?だるま?」と言うとおっちゃんが「条件が整えば、ここから見る夕日が沈む時にだるまのように見えるんや。」よく見ると、私のようなエントリー機は1台もなく数十万はするであろう機材がズラリ!レンズなどは望遠1000mmバズーカ砲のようです(汗)ちょっと私なんぞは場違いだったかなと思っていると向こうのほうで「先生ぃ!」と呼ばれ、そのおっちゃんが「はいよ!」と言いながらそそくさと呼ばれた方に行き何やら指導しています。私が「おっちゃん先生なん?」と聞くと「これでも、教室で教えてるんやで」との事。その後、私もちょっとしたカメラ講座?を開いていただきました。そして、誰かが「もうそろそろやで。」との声に一斉にカメラが夕日に向かって向けられます。私も「ほんまにだるまのようになるんかな?」と思いながら、何枚か写真を撮りました。これを私が持っている望遠で目一杯寄っていきます。「あーぁ、沈んでしもた!」の声で撮影終了です。周りの人達の話を聞いていると、どうやら今日はきれいなだるま夕日にはならなかったとの事。その後、しばらく先生やら生徒のおじさんやおばさん達としばし楽しくお話して別れました。しかし、本当にいつも思うのは青い空が少しづつオレンジになり空がグラデーションになる風景を見ていると心が落ち着きます。
2010.10.19
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これは、確か夏ぐらいに撮った写真です。なかなか昭和の匂いがプンプンする建物です(笑)って言うか私の住んでいる町の理髪店なんですけどね(笑)あぁー!また田舎者がバレてしまった(笑)
2010.10.15
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しばらくぶりの写真撮影ができました。私は日曜しか休みがないのですが、日曜は祖母の面会と親父の面会がありますから、それだけで半日ぐらいはつぶれますし、それ以外にも日曜にしかできない用事などがあればカメラ持ってウロウロできる時間はそうそうありません。ましてや、この二週間は日曜日の度に雨模様・・・・が、今日は午後からなんとか晴れ間もでてきてなんとか写真撮りたいぜぇ!ってなモンです。今回の被写体は「たんぼに咲く彼岸花」の予定だったのですが、もう彼岸花はしおれかかっていて、とても被写体としては無理でした・・・・ですから昼間のポートレートであればいらないだろうと思い、普段は使わなくても必ず持っていく三脚を持っていきませんでした。で、彼岸花は諦め不思議と足が空港のほうに向いて行きました。で、普段あまり動く被写体を撮らない私ですが「いっちょ!かっこよく着陸か離陸する飛行機でも撮ったろ」と安易な考えで待っていたのですが、全然飛行機が着陸もしなければ離陸もしない。太陽はドンドン西に傾いていきます。あたりが少しづつ暗くなってきました。おーい!これ以上暗くなったらヤバいよ!と思っていたら一機の飛行機がやっと滑走路に向かいます。早く滑走路に向かって飛んでくれー!ってなモンです!(汗)アッ!でも飛ぶって事は、この明るさじゃシャッタースピードが長くなるから手振れがおきるんかな?とか考え出したら頭が混乱してきました。つたない経験からISO感度を800まで上げ、(普段の夕景・夜景などはISO100で撮影します。)F値を限りなく開放(普段はF値は8から10ぐらいにしています)にして、写せる範囲で露出を下げてできる限り?シャッタースピードを短くして、目一杯望遠側で撮った一枚です。はぁー忙しかった
2010.10.10
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今は土建屋を経営していたHさんのお父さんの家がお亡くなりになり、その空き家だったのを破格の月5万円で借りているのですが、一応借りるにあたって3年契約と言う話で借りました。理由は、このHさんが本当は転売したいという話が当初あったからです。最初に相談に行った時に言われたのが「売ろうと思って不動産屋に掛け合いに行こうと思ってた所やったんやけど、私が土建屋してた時にはピロ君のお父さんには随分世話になったからねぇ・・・いいよ!うちの空き家でよかったら貸してあげるよ!」と言う気持ちのいいお返事をいただきました。そんなこんなで早3年・・・・この話の後で言われたのが「よかったらピロさんが買ってくれてもいいんだよ。」と言う話。私が「そんな・・・・私はローンも組めない男なんですよ。」と言うと「そんなん私が死ぬまでにコツコツ払ってくれたらいいよ。私もまだ五十半ばだから、あと二十年ぐらいは生きるだろうし。」といった内容。本当にありがたい話をしていただいたと感謝しています。ただ、本当にこの場所でいいのか?この家でいいのか?一生の買い物です。本音を言うと、後二年賃貸と言う形でいきたいです。それは、なぜか?と言うと親父の問題が一番です。今の家は一階にトイレがあり、二階にトイレ・風呂・台所と言うちょっと変わった構造をしています。今回の同居はこれが功を奏しました。半二世帯住宅みたいな感じですからよかったのですが、親父の体がどこまで回復するのか?もう一回同居できるのか?はたまた祖母のように介護施設に入らなければいけないのか?が、今の段階ではハッキリしません。私は親父がある程度歩けるようになり、なんとか普通食ぐらいが食べれるのであれば同居でいいと思っていますが、まともに歩けない食事も細かく刻んでないと食べれないというのであれば現実問題として同居は非常に困難と言うかハッキリ言って無理だと思っています。そして、親父が介護施設行きならば私と嫁さんの夫婦二人ならアパート暮らしでも当面かまいません。そこで、もう少しお金を貯めて中古でもいいからもう少し理想に近い家を買えれば・・・と思います。一生を左右するぐらいの決断ですから本当に慎重に考えたいです。
2010.10.10
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何回も書きますが私が今いる業界は人を雇用する場合、業者側(私の事です)も面接しますが会社(造船会社)も面接します。そして、解雇の場合も同様で業者側も解雇といった形もとれますが会社側もとれるのです。で、今回造船会社では私ではなく、会社側からの解雇宣告でした。で、先日9日間で私がいる造船会社を解雇になったK君ですが豪快社長にお願いして別の鉄工関係の会社に試用採用と言う形で勤めています。そして今月の25日にやっと給料を渡す事ができます!造船会社では私と一緒な歪みだったのですが、今度の会社では溶接工見習いみたいな感じらしいです。なんとか体力的にも続きそうな感じなのでよかった!よかった!ただひとつ気になるのが当然仕事している会社が違いますからK君と滅多に顔を合わす事がありません。先日、豪快社長とお会いして話をしたら真面目に勤めてるから助かってますよ。との事。このまま、なんとか冬を越してくれたらいいなと切に願います。
2010.10.10
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実戦ではありません(笑)実践です。先日船の最終工程にあたる歪み作業が遅れているので、私が担当しているブロック部の歪み作業を中断して応援と言う形で船に乗りこみました。ここには他業者の歪み屋さんも合わせると、総勢20人以上いて船内は今の季節でも暑い状態です。ここに私の上部団体に属するM君の後輩Y君と言う子がいて、このY君は外見は茶髪でどう見ても「チャラ男」にしかみえないのですが非常に仕事の呑み込みも早く性格的にも負けん気が強いのでグングン技術が向上しています。そして私が休憩していると、その目の前の壁がかなり歪んでいました。ここをどうやらY君が鉄板を焼いて直すらしいのですが、私自身心の中では少し荷が重いのでは?と思っていました。そしてY君がニコニコしながら私に寄ってきて「あの、歪み直せたらジュースおごってくれないですか?」と言ってきました。前回、私は船の歪み屋さんが直せないと放棄した部分を治してY君がジュースをおごってくれたので、その返しみたいなもんです。私は快く「ええで。直せたらジュースおごったるわ。ただ、あれはかなり手ごわいぞぉ」と笑いながら私が言うと「なんとかなるっしょ!」ってなもんです。その後、休憩の度に見に行くと順調に直っていっています。私は心の中で「こりゃジュースおごらなあかんなー。しかし本当にY君、腕あげたなー。」と思っていたのですが夕方あたりになり、見に行くと順調だったものが突然難航しています。私も船にはキチンとした責任者がいるので放っておいたのですが、私が見るに見かねて船の責任者を呼ぶと「こりゃ、あかんわ。鉄板切り替え(鉄板を切って新しい鉄板を溶接すると言う事です。)やなー。」と一言。私が「いやいや、責任者さん焼いてみたら?」と言っても誰も及び腰で触ろうとしません。そこで、私が「切り替え確定やったら、続き俺が焼いてもええやろ?」と言うとオッケーらしいので、なんとかならないものかと頑張りましたが私もあせってしまい強引に焼いた結果、ある程度はマシにはなったのですが結局鉄板切り替えと言う歪み屋としては、一番屈辱的な結果となりました。その日の夜、家に帰り冷静になって振り返ってみると私も、もう少しいいやり方があると思いつきましたし、翌日他業者で20年も歪み屋をやってる方と意見が一致したので得られるものがあったとホッとしました。そして、へこみっぱなしのY君に私が一言。「切り替えになった直接の原因は鉄板焼くのを失敗したY君にあるかもしれんけど、俺はあの部分をY君に焼けと指示を出した船の責任者に一番の原因があると思うけどな。俺やったら、あれは人に任せんと最初から俺がやってるわ。ただ、今更言うけどあの部分の焼き方は根本的に間違えてると俺は思うんやけど、船の責任者はキチンと教えてくれてるんか?」と聞くと「キチンと教えてくれた事はあまりないですから、半分見よう見まねです。」との事。私が「それやったら理屈なくて物真似してるだけやん。それでは、あの歪みは直せんわ。そりゃ、船の責任者も自分以上にうまくなられたら立場がないから教えんのかもしれんけど・・・」と言うと「ピロさんは教えるんですか?」と聞かれ、私は「そんなん俺が知ってる事ぐらいやったら、なんでも教えるでぇ。歪み以外の事でもなぁ。なぁ、M君」と言うと隣にいたM君が意味深な笑顔で頷いていました。Y君が「俺、ピロさんと一緒に仕事したいです。」と言うので私が「上の統括責任者と相談したらええやん。俺は人員の采配まではできんから。」と言うと「一応、言ってみます。」との事。最後に私がY君に「今回の事で何か得られたか?」と聞くと「はい!」との返事。私が「それやったらええやん。後からイロイロ言う奴らはおるやろうけど気にせんでええ。今回の経験は鉄板焼いた人間にしかわからんのやから。」
2010.10.10
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先日職場の若い子M君が仕事で鉄板を焼き終わった時に、焼き上げた鉄板を見た私が一言。ピロ「なんで、この部分をこの角度で焼いたんや。」M君「ピロさんから教わった焼き方ですけど・・・」M君久しぶりに?怒られると思ってビクビクしています。ピロ「確かにこの焼き方は教えたけど、角度の付け方も教えてるよな?おまえは一体この鉄板のどの部分の歪みをとりたいんや。この角度では絶対きれいに直らんぞ。」そう言うと私は測定器具で歪みの直り具合を測定しました。なんとかギリギリ許容範囲には入っている様子。ただ、私は矢継ぎ早にピロ「聞くけど、なぜこの鉄板に対してこの角度で焼いたか説明してくれんか?」M君「いや、特には考えていませんでした。角度のつけかたなんかの説明はすっかり忘れていました。」ピロ「確かに許容範囲には入っているけども、特に考えず焼いてたり教えた事を忘れているんだったら、おまえは俺の模倣をしているだけで、それ以上の進歩はない。それにいまの鉄板よりもっと歪んでいたら、おまえは綺麗に直せんぞ。俺は今まで時には怒鳴りながらおまえを仕込んできた。基本の理屈や理論は徹底的に叩き込んだつもりや。それを俺自身が確信したから最近は怒らなくなったんやけど、いまだに頭を使わず表面上を模倣しているだけなら、おまえは一体何を学んでたんや?」私は模倣はとても大事な事だと思っています。まず、模倣する為には他人の仕事や動作などを見なくては模倣はできないからです。私も今の仕事についた時は、模倣の連続でした。理屈や理論がわからければ、まずは物真似。この発想はとても大事で私自身、意拳などは当然模倣の段階です。ただ、その次にある理論・理屈などを徹底的に頭に叩き込めるかどうかで、応用ができるか否か変わってくるのだと思います。これは先生・先輩がいかに丁寧に分かりやすく情熱を持って教えてやれるかにもかかっていると思います。その上で教わる側も理解できなければ理解できるまで質問する事が大事だと思います。私が仕事で中国の人達と仕事していた時は質問攻めでした。ただ、その質問攻めの姿勢が教える人間にも情熱として伝わるのでは?と思っています。ただ、教える人も千差万別で正しい事を教えてくれる人もいれば間違った事を時には教える事もあるはずです。その中でいい・悪いを選定するには様々な人に教えを請う事も重要だと思います。幸い私は仕事に関しては恵まれていて、様々な人に教えを請う事ができました。そして、その教えの中から選定して正しいものをチョイスする。だから、短期間で責任者と言うポジションにも抜擢されたのだと思います。その私のつたない経験ですが、それを全部M君には教えたつもりだったのですが・・・誤解のないように言うとM君は十分進歩しています。今、会社が求めるクオリティーをほどほど満足させる事はできると思います。ただ、完全に理屈が頭にはいってないのでは今まで経験していないような歪みはとりのぞく事ができない。私はそこを危惧しているのです。
2010.10.03
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