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今日は久々に狭山の喫茶店でライブしました。といっても、私らは今回は出演せず、アンプラのボスよっつんらが組む、ただいま大注目株「すっからかん」が出ました。 (私はまだ風邪が完治せず、歌うと咳き込む状態です。) 今日はしかし、昼から職場に出かけて仕事をし、帰ってきたのが5時前。ライブは6時から始まるというのに。 今回はスタッフとして、アンケート用紙やチケットの作成・印刷ならびに販売を頼まれていたので、急いで着替えて会場へ! …おや? …会場にはすっからかんの「じさま」しかいません。じさまがセッティングに四苦八苦されてました。手伝いに来るという話だったMARUもおらず、また、当てにしていた近所のスーパーのコピー機が故障中で、アンケート用紙を遠くのコンビニまでコピーしに行かなければならないという間の悪さ…!いや~焦った焦った。 しかし何と言っても焦ったのは、ライブの開始時刻になっても誰もお客が来ないという状況そのものでした(苦笑)。やっぱ土曜の夕方ってのはなかなか来にくい時間帯なんですかねぇ~? 今日は特別ゲストに「C-Moon」という二人組が来て下さいました。とてもパワフルな女性Vo.が印象的で、また男性ギタリストの弾いているギターが「CRAFTER」という今私がチョット興味を持っているメーカーのものやったんで、嬉しくなりながら聴きました。 ただ、もうそんな焦りまくりの状態で歌ってもらったもんですから、リハもできずセッティングも滅茶苦茶で、Vo.とGt.の音量バランスの悪さで聞きづらいものになってしまいました。バランスを整えようとして、結果として音を下げすぎてしまい、生演奏させてしまいました。 なんか、すごく申し訳なくって…。 でも、迫力ある演奏が聴けたので、これに懲りずに(苦笑)ぜひもう少し準備する余裕のあるときにまた共演できればと思いました。 すっからかんの演奏は、もう何か知らんけど「枯れ」てる「枯れ」てる(笑)。トサマとジサマの年長コンビは言うにおよばず、よっつんがとても嬉しそうに弾き語ってました。 以前、「高い声が出なくなって」と寂しそうに言うてらしたよっつんですが、今は肩の力がうまく抜けたエエ感じのVo.が何ともたまりません。人間には、その時その時に応じた歌の表現ってものがあって、出なくなった声を出そうとして無理矢理高い声を出そうとしても絶対いい歌なんか歌えない、むしろ自然に出てくるもので表現すれば、一生音楽と仲良くつきあっていけるんやと、またまた実感できたのでした。 特に、彼らの持ち歌にある「すっからかんのテーマ」はスゴイ。絶対我々には歌えない!あの実感のこもった歌!あれはCD化すれば売れると思います。それくらいエエ感じ!でした。 とはいえ、彼らのステージもやはり音響が悪く、常に小さくハウリングしている状態で聞きづらさがありました。 やっぱ我々は「アンプラグド(プラグなし)」クラブなんやから、できる限り「生」を大事にせんと、機材のせいで音楽が楽しめなくなってしまいます。先日の我々のマイクトラブルといい、今後の活動の教訓ですわ。 ちょっと後味の悪いライブになってしまいましたが、私も早く体調を整えて歌いたくなりました。 今後、我々の出演に際してはまたトップページでお知らせいたしますので、是非喫茶店ライブに足をお運び下さい。
2004/11/27
狭山人の飛☆鳥くんが私に「指笛、吹けるようになったで!」と言ってきました。 吹き方を習って私も練習中です。これが出来るようになったらハナクソのみんなにも教えて、沖縄の曲をさらに沖縄らしく演奏できるようになりたいです。 飛鳥くん、ありがとう。 まだ風邪が治りきりません。歌うとむせるという最悪な状況です。 だいぶマシにはなったんですが。 でもこういうときこそ、焦らず、じっと我慢の子であらねばなりません。無理矢理歌えばノドを壊します。 忍耐の日々です。 こういうときこそ、他の楽器を練習するときやね。頑張ります。
2004/11/22
先日、職場の若手で青年部ツアーが企画されました。若手同士が職場以外でも交流し親睦を深めようという企画です。 …が、実は以前より行われてきたこういう企画、どれもこれもいろいろなことが起こります。 去年の今頃、私が参加できなかった青年部企画「川下り」は大渋滞に巻き込まれて時間通りに現地に到着できずに流れ、その代わりにと向かった先々でことごとくうまくいかずに最後は天王寺の温泉に入ったとかいうオチでした。 今年の夏に企画された「バーベキュー」は…もうあとチョットでテレビに出てしまうくらいのエラい目に遭い、全員半泣きで帰り、職場でも怒られ、今年の職場十大(重大)ニュースにもノミネートされたという、それわそれわとんでもないものでした…。 正直、「青年部企画はちょっと当分エエわ…」と心の中で思いつつ、でも行きたくない訳でもない…という複雑な心境でいたところ、そこに天の声が。「マツタケの夢を見よう!ツアー」 …これを言い出したのは職場のあるベテランの人でした。 なんでも、家でテレビを見ていたらこの企画が放送され、居ても立ってもいられなくなって即刻電話で申し込んだ!とのこと(苦笑)。行くためにわざわざバスまでチャーターし、人数集めのため(?)に若手に声をかけてきたのです…!「マヂすか…!?」と思いながらいると、ついに当日になりました。それが今日です。 朝9時に職場集合、9時半出発!…私が起きたら時計はその9時半でした(笑)。 急いで3分で家を出て車で追いかけ、何とかバスに追いつきました。イヤイヤ、焦った~。 行き先は信楽。途中で温泉に入ったり、目的地の近所で陶芸体験をしたりしながら4時にそのお店に到着。 バスを降りると…なんとも芳しいマツタケの香りが…! それわそれわ、期待を裏切らない料理でした。 すき焼きの鍋にトングでマツタケをどさどさ…! 2時間の食べ放題中、近江牛の肉を次から次へと…! 土瓶蒸し、マツタケご飯、デザートに柿…。 若手が企画すると、どうにかして安くあげようと躍起になり、自分らで運転し、どこかをケチり、楽しくも疲れて帰ってくるものになってしまうのですが、そこはベテランが企画したもの。なんしか、癒されるまま癒される、そんな旅行でした。 確かに安くはない(それでも一人1万円くらい)のですが、こんな企画、もう無いやろな~。 お金って、使い方によってこんなに有意義に使えるんやなぁ…。 お金って、稼ぐのも大切やけど、使い方を学ぶのも大切やなぁ…と、ギターばかり買うギター貧乏の私は思ったのでした。
2004/11/21
昨日、同僚が急に亡くなりました 「急に」とはいっても、ずっと闘病生活をしていた方で、去年の中頃から入院され、退院した後は復帰に向けて療養生活を送ってらっしゃいました。たまに職場にも顔を出しては、皆に挨拶をしがてら仕事を少し片づけたり話をしたり…。 職場の皆も彼の復帰を願っていたのですが、このところの寒さのせいか風邪をひかれたとかで再入院されていて、それが元で…とのことでした。直接の死因はそれでしょうが、もちろん戦っていた病気が彼の体力を奪っていたことは間違いありません。 ホントに驚きました。心よりご冥福をお祈りいたします。 同僚が亡くなるなんて、ホントにショッキングです。もちろん彼は私より年上ですが、それでも若い。40代半ばだったかと思われます。子供さんもまだ高校生…。いろいろな意味で、彼の無念を思うと…やりきれない思いでいっぱいになります。 このところ、私事で大きな悩みを抱えていて、それで「荒れ」気味なところもあるのですが、今回のことで何だか良くも悪くも吹っ切れた気がしました(吹っ切れた、という表現が正しいかは分かりませんが)。 人間、ホンマいつ死ぬか分からない。死ぬときにならないと、自分の人生が幸せだったかなんて分からない。どんな仕事をするかとか、何が欲しいとか、どんな夢を抱くとか…ホンマ、命あってのことで、死んでしまえば全てが終わり。 自分の信じるように生きるしかないんよなぁ…って。 後悔しないように生きたい。それは難しいことだけど。
2004/11/18
皆さん、「我如古より子」さんって知ってますか? なんて読むのか分からない姓でしょ。「がねこ」と読みます。 彼女のプロフィールは実は私もよく知りません。でも名前の通り沖縄の人で、沖縄民謡の歌手です。 しかし私が彼女を知ったのは、かつてあのTheBoomの宮沢氏プロデュースで出した曲「あの海へ帰りたい」でした。この歌は最近、宮沢氏が自身のソロアルバムでセルフカヴァーしてもう一度耳に届きましたが、彼女のシングルとしてはチョット話題になったくらいであまり知られませんでした。 私自身、最近再発売された彼女の「あの海へ~」を聞き直しましたが、ハッキリ言ってピンと来ませんでした。 他に同じくTheBoomの「島唄」に自作の詞をつけたものなどもありますが、やはり彼女の力を最大限に世に示すモノではありません。 その彼女の名前を改めて聞いたのはこの2~3年前。 アコースティックギターのセッションプレイヤーとして日本で有名な吉川忠英氏という人がプロデュースした我如古よりこwith吉川忠英「唄遊び」というCDが出たときでした。 この中で我如古さんは、まさに水を得た魚のようにノビノビとその美声を響かせていました。彼女の父は沖縄の有名な民謡歌手だそうで、その歌を幼少の頃から聴いていたであろう、沖縄民謡の「血」を感じさせるかのような、まさに聴くものを惹きつけずにいないその印象的な声。 ほんまに、上手い。 悪くいうつもりはないですが、私はかの有名な「夏川りみ」さん(同じく吉川忠英氏がプロデュースしてたりする)の歌唱力はすごいと思うのですが、ハッキリ言って我如古さんの「歌力」の足元にも及ばない。もはや我如古さんの歌は歌唱力云々ではない、その表現力やセンス、人間としての厚みがあります。年齢が全然違うんやから当たり前ですが。りみさんには我如古さんや古謝美佐子さん(りみさんと「童神」をデュエットするなど親交が厚い初代ネーネーズの人)の歌をもっと勉強して欲しい、などと思うくらいです。 最近、この我如古より子with吉川忠英「唄遊び2」が発売されました。 それを聴き、私は再び驚かされたのです。さらにその表現力に磨きがかかっているのです。今回はほとんどが書き下ろしの新曲で、なんでも「新しい島唄」を生むべく作られたんだとか。 ここでいう「島唄」というのは、この先ずっと歌い継がれていくような、沖縄の民謡となりうるような唄という意味でしょう。それはすごい決意です。そしてその気概がこちらに伝わってくるような、そんな唄がこれでもか!と入っているのです。 かつて宮沢さんがプロデュースしきれなかった我如古さんの底知れぬ魅力。それを十二分に引き出すために、ケンカ寸前まで我如古さんを追い込んだ(苦笑)という吉川忠英という人の力もただ者ではないと思います。 彼はかの有名な知る人ぞ知る石川鷹彦氏と並んで、日本のフォーク界では知らない人はいないというほどどこにでも顔を出しているセッションプレイヤー。しかしその地位というのは、決してテクニックで相手を魅了しているのではないのだという事実を、私は今回知った気がしています。 彼のギターは我如古さんの唄を十二分に引き出すために、決して前に出すぎたりしません。しかしまた決してありきたりのアルペジオではなく、まさに必要十分なギターを弾くのです。そこにはもちろん卓越したテクニックがあるわけですが、ここまで来るともはやセンスとしかいいようがない。 私は自分がギタリストではないと思っているのですが、このような「歌を活かす」ギターテクニックを磨きたいなぁと感じさせてくれました。 最近、とみに「うまい歌が聴きたい」と感じます。 そんな私の欲求に、ビタリとはまったアルバムでした。
2004/11/15
最近、日本語のポップスをよく聴くようになりました。もちろんそれは自分で歌うネタ探しです。別にネタを探そうというつもりで聞くわけではなく、いい歌があれば歌いたくなるんです。 しかしこんなに日本語を聞くのは実は数年ぶりで、大学生の頃の私は洋楽のハードロック・ヘヴィメタルばかり聴いてるヘドバン野郎でした。(ヘドバンとはヘッドバンギング/音楽に合わせて頭を前後に激しく振るヤツです/笑) もともと色んな日本の歌謡曲を聴いていても、とりわけ気に入った曲というのはロック調の曲でした。それはEarth Shakerだったり爆風スランプだったりZIGGYだったりイエローモンキーだったり、実は色々ジャンルは違ったりするのですが、なんしか、歌モノでビートのきいたヤツが好きでした。 そんな私が、高校時代にマンガで「Bastard!」だったり「ジョジョの奇妙な冒険」だったり「The Five Star Story」(かなりマニアックだったりもしますが)なんかを読んでると、洋楽のアーティストの名前がつけられたキャラが出てきたりして、それを元に洋楽を聴くようになりました。(とりわけ「Bastard!」は私の大のお気に入りのマンガ) ある時私が「そろそろ洋楽も挑戦しようかなぁ…」なんて思いながらCDショップの視聴コーナーを見るともなしに見ていると、「スティーヴ・ヴァイ」という名前が目にとまりました。「たしか、『Bastard!』にヴァイ・ステアベってキャラがおったなぁ~この人からとった名前か」というたったそれだけの興味で、そこにかかっているヘッドフォンを耳に当て再生ボタンを押すと…、ああ、忘れもしません、その時が私のヘヴィメタル道(笑)の始まりでした。 ヘヴィなギターリフから始まるインスト曲から始まり、ビートの聴いた早い曲、しかしさわやかなフュージョン系の曲までもが入ったその「エイリアン・ラヴズ・シークレット」というミニアルバムが、私にメタルへの道を開きました。 その時より、名盤といわれるアルバムの特集号が載った雑誌を頼りに、大阪日本橋の中古CD屋を回って一枚1500円以下で探したり、安い輸入盤を買ったりしながら、大学時代には多いときで一ヶ月18枚ものCDを買う私がいました。そうやって聴きながら好きなアーティストとみつけ、ハズレをひき、持ちきれなくなっていらないCDを売ったりしながら今日に至ります。 メタルというジャンルはハッキリ言って、かつて自分が思っていたほどメジャーでもないし万能でもない。本当のオリジナリティをもったバンドは一握りだということも最近では見えてきました。 しかし、そうやって青春をかけて聴いたジャンルだからこそ、スッカリ聴かなくなった今日でも、たまにふと聴きたくなることがあります。 実は今日は職場でムシャクシャすることがあり(最大の原因は治らない風邪によって話すごとに咳き込むという体調のせいなのですが)、夜出かけるときに車の中で大音量でメタルを聴きました。 一部を紹介すると ストラッピング・ヤング・ラッド「CITY」 スティーヴ・ヴァイ「エイリアン・ラヴズ・シークレット」 アークエネミー「ブラック・アース」 ヴァイ「セックス&リージョン」 などです なんでこう、スッキリするんでしょうねぇ。久々に頭の芯から疲れが抜けていく感覚を味わいました。 上記のアーティストはどれも、初心者の人が聴くには重すぎる「コア」なメタルアルバムですが(笑)、またアルバム紹介もいずれボチボチしていきましょうか。これもこのHPでやりたかったことの一つなんで。 きっと、私にとってはメタルの曲からアルファ波が出てるんやわ。
2004/11/11
「ポジションズ オブ ライフ」~命の位置…かなこれは最近ハマっている歌の題名です。歌っているのは徳永英明氏。 私は彼のファンです。 ちょうど私が歌謡曲を聴き始めた頃(歌謡曲を聴き始めたキッカケは爆風スランプの「Runner」だったんですが、これはまたの機会に書きましょう)、友人に教わって聞いた夜10時からのラジオ番組「ぶんぶんリクエスト」で、やたらと高い声の歌が流れてきました。私は始め、それは女性の声だと信じていたのですが、曲紹介されるときに名前が男性なんでとても驚いたものでした。 その時流れていたのは「恋人」という曲。彼は続けて「Myself~風になりたい」を出し、私の中で氏の名前は「驚異的高音の持ち主」として記憶されていくことになります。 そしてその次に出したのが、当時私がハマっていたファミコンゲーム「ドラゴンクエスト」アニメ版の主題歌にもなった「夢を信じて」。その後も続けて「壊れかけのRadio」がヒットするなど、彼は私の中で特別な存在になっていったのでした。 私にとって特別なアーティストは他にもいますし、別に彼ばかり追いかけていたわけではないのですが、彼のメロディーは私の中に脈々と流れているのです。私の唯一のオリジナル曲で友人の結婚に際して贈った歌「スタートライン」は、まず詩を書き、曲をつけるとき「これを徳永英明が歌ったらどんな感じやろなぁ~」と考えながら完成させたところからも、私の中の徳永度(←?)が大きいことが分かります(笑)。 さて、特に彼を意識しなくなった頃、ふと「そういえば最近、彼の声を聞かないなぁ…?」と思っていたとき、彼が病に倒れていたということを知りました。それもけっこう大変な病気だと聞きました。 病名は「モヤモヤ病」。 なんじゃそりゃ?という名前ですが、聞けば脳の中の毛細血管がなくなっていく病気だとか。レントゲンを撮ると、映るはずの毛細血管が次第に不鮮明になりモヤモヤと消えてしまうというところからこの妙な病名がついているといいます。 彼は現在は復帰し、病気と闘いながら音楽活動を続けています。最近ニューアルバムも出ました。 しかし、そんな体に無理をかけないようにするためか何かは分かりませんが、曲調がほとんどバラードばかり。確かに魅力的なバラードが多い人ではありますが、同じような曲ばかり入ったアルバムは正直言って少々退屈でもあります。私は彼もロック調の曲も好きなので、もっとアップテンポの曲も聴きたいと思っているのですが…。 そんな、病気から復帰した彼が最初に出したアルバム「remind」(最近出たのは復帰後2か3作目)。その最後に入っていたのが「Positions of life」という曲でした。(やっと本題に戻った/苦笑) この曲を聴いたとき、いつもの「正調・徳永節」のメロディーに正直苦笑したのですが、聞き込むにつれ、その歌詞がいつもの曲と違うことに気がつきました。いつもの彼の曲はいわゆるポップスであり、男女の恋の歌が中心なのですが、この曲は違いました。 そこで歌われているのは、歌手としてデビューし、ヒットも経験し、その後も第一線で活躍しながら突然の病に倒れ、完治することのないであろうその病気と共に生きながら、どうすれば自己実現が果たせるのか…?、そんな、一人の弱い「人間」としての徳永氏が歌われているのです。 生きるという山を 僕は どれほど登っただろう 理想という 形のない 憧れを追い続けて 自分という存在には 親しみを感じるけど 「夢は?」という問いに 僕は ふさぎ込む夜もあった 喜びに満ちあふれた あの日を思い出しては 弱虫な自分に この胸が 悲しくて張り裂けそう 勘違いせずにいたい 喜びは僕らの手で つかみ取る それが生きる源になるはずだと 放物線を描いて あの空に指を指して 戦いはまだ終わってないと この胸に言い聞かせた どんな日も道に迷いながらも 誇りだけは忘れずいたい 悔しさが満ちて勇気を出せば きっと名前は残る もし僕が終わりの日に 願いかなえられるなら 笑顔になれるほど僕たちの 想い出を詰めて欲しい 傷ついて胸が壊れそうでも 瞳だけはあの空をみて どんな日も強い気持ちがあれば そこに名前が残る (以上、歌詞より抜粋) 「そこに名前が残る」って…徳永氏はすでにとても有名で、CD屋にいけば彼のコーナーはちゃんとある、それくらいの人だと思うんですが、この歌を彼の正直な気持ちの歌だとすれば、彼はホントに、死の恐怖と、これからの生き方と、迷いと、死に方まで、きっと考えたんやろうなぁ…なんて思えてきます。 こんなに「自分」を歌える人だと思っていなかったので余計ビックリしたんですが、私のかつての憧れの人の生き様に触れたような気がして、私が自分自身を見つめ直すキッカケにもなりました。 自分の生き方、か… まさに「どんな日も道に迷いながらも 誇りだけは忘れずいたい」ですわ
2004/11/09
最近またギターを買ってしまいました。 恐ろしくて(←何が?)まだ「ギターの館」ページにはアップしてないのですが、HEADWAYの安物ギターHCJ-35というヤツです。yahooのネットオークションであまりにも安かったものでつい…。 もっとも、カラーが「STB」という表示で、画面の写真が黒っぽかったんで「シースルーブラック」かと思って買ったら、届いたギターは「シースルー『ブルー』」だったというイレギュラーもあったんですが…。 私はHEADWAYのファンです。その、値段帯をはるかに超越した鳴りがたまりません。現在の私のメインになっているHCF-510も、フォークギターサイズなのにやたら鳴る!ハッキリ言って「ありえへん」くらい鳴る(笑)。以来スッカリHEADWAYファンになりました。 で、最近買ったその青いギター、ボディ材が「マホガニー」なんですよね。それまでの私のストリートギター並びにコレクションしてるギターたちはだいたい「ローズウッド」でした。 するとこの青ギター、今までのギターと全っ然音が違う…!こんなに材によって音が違うのか…!?と、ド素人丸出しで驚きました。確かにオール合板で安物なんですが、この青ギターも鳴るんです。しかし、鳴り方が全然違う。 今までのローズウッドギターは、とにかくひたすらストロークすればそれに答える爆音が鳴るんです。 しかしこのマホガニーボディは…ひたすらガンガン弾いても音はノイズになってしまうんです。そのかわり少し優しく弾くとしゃっきりキレのいいストロークが鳴り、これはローズでは体験したことのない心地のいい音なのです。 そういえば以前所有していたエピフォンはボディがメイプルでしたが、これもやはり爆音系ではなくシャッキリ系でした。 今更当たり前なんですが、楽器ってホンマ「材」によって全く性格の違うモンになるんですねぇ…。 正直を言えば、私は路上ではとにかくジャンカジャンカ弾きまくりたい人なんで、この青ギターの現在の鳴りは少々物足りないのです。しかし、そこは自分が欲しくて買ったギター、しかも形が憧れのギブソンJ-45コピーモデルで、ギブソン系の音が「していない」ギターなんですよね(笑)。 とにかく路上で弾きまくって、このマホ特有のシャッキリ感を出す弾き方をマスターしようと思っています。
2004/11/08
一週間、日記を書けませんでした… というのも、先々週からひき始めた風邪が未だ治らず、頭痛とノドの腫れがとれないんです まぁ頭痛はだいぶ治まりましたが 昨日もノドが腫れて声が全然出なかったのですが、先週の土曜の復活ハナクソに参加できなかった「あだっちゃん」が仕事の都合をつけて「ぜひ路上で歌いたい」というので、これは行かねば!と思って駆けつけました。ちょっとここのところ休みの日に行事が入りまくりで休めておらず、精神的に疲れ気味だったのですが、路上で歌うとどうしてこう、元気になるんでしょうね?! もっとも、ノドの方はそれはそれは最悪で、横で聞いてたあだっちゃんも「かなりキてますねぇ…」と苦笑いで心配してくれました。 すまん、今度は治しておくから…。 それでも深夜まで歌ってしまうのが悪い癖…(苦笑)。でもこれで癒されてるんやからしゃーないやね。 堺駅で歌ってたんですが、あだっちゃんの仕事の都合でボチボチ終わろうかという午後10時ごろ、我々のすぐ後ろで歌い始めた人がいました。 「お、挑戦者やで!(笑)」なんて思ったりしながら片づけ終わり、「のぐっちゃん」と「しばやん」と私の3人で、その挑戦者(と勝手に決めつけた人)の歌を聞きに行きました。 歌は、今流行りの「ゆずっこ」ではなく、我々の年代(苦笑)に近い。私よりも100倍人なつっこい「のぐっちゃん」がすぐさま声をかけ、その人と語り合うこと何と1時間半(笑)。せっかく歌いに来てたのに邪魔したかなぁ…?でも「青空」や「上を向いて歩こう」などをセッションし連絡先も交換したんで、新たなハナクソの一員となるかも…?! しかも、聞けば以前に一度、アンプラのライブも見に来たことがある!とか言うてはるし、アンプラの「園田くん」の知り合いであるとか…!なんや、世間は狭いなぁと思いました(笑)。 ちなみにその彼は今度、堺で行われるという、受刑者の人たちが作った家具などを売るイベント(?)で歌うことになっていて、その喉慣らしに歌ってたとか。そういうイベントの募集がどこやらに載ってたから応募したら出ることになったと。 そんな場面で歌う機会なんてあるんやなぁ、機会があれば我々も応募してみようかなぁなんて思った次第でした。
2004/11/07
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