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…最近、タイトルが不穏ですな(苦笑)。 堺にある原山台コーポのお祭りに行って来ました。コーポができて25周年のお祭りとのことでした。 大阪府大のオーケストラから弦四重奏の演奏があり、ステキな音色を聞きました。やっぱ弦はいいですな。 さて、そのあと我がコ○○マルとNAMI改め「Konami」の出番が来ました。 四重奏の始まる前にPA機材をセッティングし、音の出るのを確かめ、さて本番のステージにセッティングし直し、さて本番… …マイクの音、出ぇへんやんけ! いや~焦った、焦りました(汗)。セッティングに時間かかってるのに、この上さらに音が出ないといってお客を待たせるわけには行きません。もう生音で演ろうということになってマイクなしで一曲演りました。 しかし現地の人から「音が聞こえない」との声。 仕方がないのでマイクを交換したところ、やった!音が出た!というわけで、改めてマイクをつかってその後のステージをやることに。 三曲目、私のソロの時、 …わぁ!風で譜面がめくれるぅぅっ! 後ろで見ていた二人が慌ててクリップを用意してくれて譜面を止めてくれました。しかし風は殊のほか強く、今度は古奈美が直接ページを押さえてくれました。と… あ。ネックレス、からまったで。 彼女のネックレスがギターのペグのあたりに絡まり、私はもう苦笑するしかなかったのですが彼女は焦りまくったようでした。 あ~、大変でした。 原山台の方々はホンマやさしく我々を迎えて下さり、食べるものも目一杯ご用意して下さいました。途中でMARUがリクエストを貰ってきたりしながら、ハプニングだらけのステージはしかし、最後には拍手を頂けて終わることが出来ました。ホンマ感謝感謝です。 教訓 PA機材はトラブルありき、と思って使うべし ちなみに、どういじっても出なかったマイク、家に帰ってどこがイカレたのか確認しようとしたら、 普通に音、出るやんけ なんか、ね…
2004/10/31
下品なタイトルで申し訳ないです(苦笑) わがアンプラの誇る(?!)ストリートチーム、人呼んで「アンプラの野生児たち」ハナクソが、久々にホームグラウンド「南海本線堺駅」に集合しました。 リーダーの「のぐっちゃん」が転勤で愛知に行って以来、みんなの仕事の都合の変化もあって、ハナクソはほとんど活動できていませんでした。もちろんそれぞれはそれぞれで活動をしている人もいるのですが、ハナクソとして集まることが出来たのは、ホントに久々です。 この度、「のぐっちゃん」が晴れて大阪へ戻ってきたので、さぁ、ハナクソ再始動や! 土砂降りにもかかわらず、私が行ったときにはすでに「のぐっちゃん」「しばやん」「MARU」が歌っていました。私は先日来の風邪で全然テンションがあがらず、覗きに行くのさえおっくうだったのですが、みんなの顔を見るとなにやらパワーが出てくるんですよね。 体のことでストリートから遠ざかっていた「しばやん」の顔が見られたのも嬉しかったし、「のぐっちゃん」の呼びかけに他の「大将」や「もんじろう」も駆けつけ、活動再開にふさわしい夜となりました。 僕らには雨なんか関係ない。 ただ歌が好きなだけ。 上手とか下手とかも関係ない。 ただ歌が歌いたいだけ。 そんな仲間が周りにいるんだって再確認できただけで、気持ちがほんわかして、風邪のシンドいのをひととき忘れてしまいました。 今日はあいにく仕事の都合で「あだっちゃん」が来れなかったけれど、また是非一緒にやりましょう。いつでも集まれる仲間なんやから、なんて。 ハナクソ万歳。 ちなみに、この下品な(笑)バンド名の由来ですが 「ハナクソ」は始め、「大将」と「のぐっちゃん」の二人組でした。名前も「ハナクソ」じゃなかった。バンド名つけたら?とアンプラの人に言われたらしく、彼らが付けた名前が「ハナクソ」だったんです。「俺ら、別に上手いわけやない、ハナクソみたいなもんや」という謙遜(?卑屈さ?)が含まれているんやと私は理解しているんですが、いやいやどうして、「大将」の存在感ありまくりのボーカルは上手い下手を超越した「ハナクソ」の個性であり、「のぐっちゃん」は存在自体がパワーのような人。彼が一声「演ろや!」と言えばハナクソは動く!彼のもって生まれた人を惹きつけ楽しくする雰囲気は他の誰にもないものです。だからこそ、路上で歌いながらこのバンドは増殖(笑)してきました。「しばやん」が入り、私が合流し、「もんじろう」がスネアを抱えて登場し、「あだっちゃん」と出会い、本人も自覚せぬうちにMARUもいつの間にか一員と数えられていました。 私にとってのハナクソは、ホントの意味で「音楽って楽しい」と思わせてくれた存在です。「理屈やない、楽しむんや。ほら、みんなで演ったらオモロイやろ!」 誰もそんなん言わへんけど、ホンマおもろい。
2004/10/30
楽天広場にHPを作っている友人が何人かいます。 我がアンプラとも何度も共演している「狭山人(さやまんちゅ)」の飛☆鳥さんと話す機会があり、彼のHPについて教えて貰いました。というのは、彼のHPには私のHPにはない工夫がいくつもしてあります。 たとえば 「文字の大きさが工夫されている」 「動画が使われている」など。そんなん、設定画面無いし!と思っていたら、彼は「HTMLのTAGで文字の大きさ変えてます」と教えてくれました。 さっそく彼の使っているという「TAG index」というページを紹介して貰い、のぞいてみると! スゲー… 何がスゴイって、私には何が何だか、どう使って良いやら分かりませんでした…それを使いこなしてる彼がスゲー(笑)。 いろいろ試してみませう これからの日記にご注目下さい(笑)
2004/10/27
よつゆみさんのHPの日記にもありましたが、アンプラ・ライブの常連さんだったYさんが先日なくなったとの知らせをMARUから受けました。 ちょっと重い病気だと聞き及んでいたので心配してはいたのですが、やはり「まだ早い…」と言わずにはいられない年齢でいらっしゃいました。 心よりご冥福をお祈りいたします。 音楽を通して、私はこれまで沢山の方と知り合いになる幸運に恵まれてきたと思っています。 もちろん、出会いがあれば別れもあるんやなぁ…と、しかし今回のことで少し考えてしまいましたわ。 そんな思いもまた、自分の歌の世界に影響していくのかなぁ…そうやって色んな経験を通して、自分の歌が深みをましていくんかなぁ… 歌は人生そのものですね。
2004/10/25
もう考えてみれば、あと一週間と迫った「原山台コンサート」。 仕事が忙しくて気がついたら今日になっていました。いつもは金曜日に「アカペラ」の練習と称して集まるメンバー(いつものMARU,NAMI,BayaN)が、そのまま原山台に乗り込むことになっています。今週は金曜日の都合がつかず今日になりましたが、ライブに向けての練習をしました。 なつかしい曲、なんて感覚が全くないフォーク世代の曲をいかにやるか、イメージもつかめないまま今日まで来ましたが、なんや、歌ってみたら少しずつつかめてきました。 やっぱ、音楽って頭じゃないんやなぁ。 かつて「アカペラグループ」ってのが流行ったことがありました。ハモネプなる番組の影響でしたよね。 番組自体は全く知らないんですが、私も数年前、京都の友人らとアカペラグループを組みました。 名前は「ちゅっぱ御池」。 やはり意味不明の名前ですが(笑)、京都の三条・四条あたりで練習して、発表もしたいなって言うてながら少しずつ皆忙しくなって、そのうちメンバーの一人が北海道に嫁に行くことになり、私も仕事場が移って京都まで行けなくなりと、半年くらいの期間で消滅してしまったグループでした。 でも、声だけで曲を仕上げていくという試みは私にとって初めてであり、すごく勉強になったし、第一楽しかった。いい想い出になりました。 現在のグループは、京都での「ちゅっぱ」が解散するあたりに、アンプラのストリートの仲間に声をかけ、ハモリやコーラスのアレンジ力を高めよう!という呼びかけの元で創ったものです。上記の三人に加えて、ストリートバンド「ハナクソ」の「もんじろう」も参加した4ピースとして始まり、現在はもんちゃんがなかなか来れない状況はあるものの、残った3人で、アカペラあり、3ピースの演奏ありのバンドにしたいねと続けています。 カラオケに集まって練習するので、アカペラのはずが発声の為と称して喉慣らしに握ったマイクが離せないまま時間が終わる、なんてこともあったりします(笑)が、なんとか週一の練習は続いています。 クリスマスあたりには、クリスマスソングのアカペラも交えたライブがしたいなぁ…。
2004/10/23
台風のため、今日は昼から大荒れの天気でした。特に雨がひどく完全な「雨台風」という感じ。今年は台風の当たり年ということで、台風がこれでもかと上陸していきますが、意外と私の住んでるところは被害も少なく、「ホンマ台風来てんかいな?」ってな時が多かったんですが、今回はさすが直撃だけあったなぁ~。 台風のせいもあって仕事が早くひけたんで、今日はのんびり出来ました。ここのところ、ちょっと仕事がツマってて、そんなときはストレスで「ギター欲しい欲しい病」がハゲしくなります(苦笑)。お金もないのに。疲れてるんですな。 でも今日ゆっくりできて、一息つくと気づくんです。 「欲しいのはギターじゃない。歌う時間的・精神的余裕やわ」って。 今日、久々に路上に行こうかとも思ったんですが、こんな風の日(夜中には雨も止んで風ばかりになってました)にゃ誰も聞いてくれへんやろと思い直して止めました(苦笑)。 私をミュージシャンにしたのは路上。 ギターという道具も大切やけど、歌うことが何より自分を支えている。 余裕をなくすとそれを忘れがちになるけれど、一息つけば思い出せる。 路上のハングリー精神だけは忘れないようにしたいです。 「聞いて貰えればハッピー」って。
2004/10/20
随分前のことになりますが、アンプラのコンサートを公民館で演ったとき、「フォークソング大全集」というタイトルをつけたことがありました。(詳しくはフリーページ「アンプラ おもしろライブタイトル集」参照) その時はそれまでそれぞれのスタイルでやってきたアンプラメンバー達が初めて意識してバンドを組み、各々の聴いてきたフォークソングを力を合わせて披露して、内外からいい評価を頂いたのでした。 「内外」というのは、お客さんからの反応も上々でしたし、演奏者の自分たちとしてもなかなか楽しいコンサートになったという意味です。 お客さんとしては「フォークソング」と名が付くと、やはりコンサートの中身がわかりやすくて「聴きに行こう」と思えるんかなぁと。 一方で自分たちとしても、アンプラとして集まったのだから、各々の力を発揮するのはもちろん、お互いに交流し在って力を出し合えたら今までにないものが創れるのではないか、演ってみよう、というわけで、コラボレーションしてみた訳です。私は「マーシャルとさま」と「自然派」の二人と計4人で組み、「医療法人小○会」というバンドを組みました。 アンプラの(当時)最年長「とさま」の持つ70年代ロックのスピリッツと、「自然派」二人の持つ音楽知識とテクニックなどなど多くのものが私に大きな影響を与え、それについて行くのがやっとだった私を暖かく見守って下さった3人に励まされながら、私はホントに楽しく有意義な時間を過ごしたのでした。 アンプラの皆に私が「院長」と呼ばれるようになったのもここからで(笑)、あだ名が付くと俄然親しみが沸くのか、当時「人間不信」を未だ心に引きづっていた私が、アンプラの中で自己開示していく大きなキッカケとなったバンドでした。 さて、その時以来、それまでは「暗い」というイメージしかなかった日本のフォークソングを意識して聴くようになり、名曲も沢山あることをあらためて知ってきています。 そんな中、今度呼ばれた堺市の原山台でのお祭りで何を歌おうかというリクエストを現地の方に伺ったところ、「みんなフォーク世代やから」と言われました。一緒に行くMARUとNAMIと私の3人で顔を見合わせ、さぁ何を歌おうか悩みました。なんや聞くところによると、そこにはかつて「タカイシトモヤ」なんかが歌いに来たこともあるとかないとか…?そんな耳の肥えた人たちの所に我々は行くんか…?という訳で、一体何を歌えばいいやら。 しかし考えてみると、自分たちが歌えないような、知っていても歌いたい・伝えたいと思えない歌を歌っても、きっと満足いく歌は歌えないやろうなぁ…。かといって、独りよがりの歌は歌えない。 というわけで、我々の知っている歌の中ではかなり古めの曲を、自分たちの色に染めて歌おう、安易なコピーにはするまい、ということを確認しました。 どんなステージになるやら乞うご期待! …てか、まだ我々も分かりません。不安です…(苦笑)。
2004/10/16
今日は故あって仕事が休みでした。平日に休めるなんてすごく得した気分になりますね(笑)。 先日、前に働いていた職場の人と話す機会があって、その人は自身も言うてはりますが「仕事が趣味」という感じのメチャメチャ働く人(ちなみに女性)なんですが、その人が「あなたはスローライフが好きやろ」とおっしゃいました。 …なるほど。 ホンマそうかも。仕事が嫌いなわけでは決してないんですが、仕事に生きて仕事で死にたいなんてこれっぽっちも思わない。聞く人が聞けば私は堕落した日本人なのかも知れません(苦笑)が、勤勉なのと仕事の虫なのは違うというのが私の勝手な持論(笑)。「気持ちよく仕事するためにプライベートを充実させ、充実したプライベートを過ごすために仕事をする。」…こんな理想的な人生が送れたらいいなぁ、なんて思ってます。 それをスローライフと言うらしいというのが元同僚のお話から得た情報。間違ってたらスミマセン。 ただ、確かに「堕落と紙一重」かなとも思います。仕事は頑張ろうっと。
2004/10/15
今日は夕方より、先日の老人ホームライブで一緒に演奏した「サーシース」のメンバーと打ち上げでした。 メンバーとは、なんてコトはない、私とMARU、「カフェ・メレンダ」ライブの常連出演者になりつつあるNAMI、そして三線のKさんである。 「サーシース」という名前は、沖縄の曲をしようということで集まったこのメンバーで考えた。やはり沖縄だから「シーサーズ」にしようと誰かが言うと、Kさんが「すでにシーサーズってグループは在るんよね」という。 確かに、ない方がおかしいってくらいありがちな名前やしね。 というわけで、それをもじった名前が「サーシース」なんです(笑)。 狭山にある沖縄料理店「残波岬」で飲むのはこれで2度目。1度目は何を隠そう、この打ち上げのための下見でした(笑)。何か、家庭的な感じの味で食べやすかったです。話し込んだあげく、気がつくとスッカリいい時間になって、皆で気持ちよく解散しました。 あ~楽しかった。 Kさんとは同い年であることが判明。(以前も聞いたそうですがすっかり忘れてました。)キン肉マンのガチャガチャやビックリマンシール世代ということで盛り上がったりしました。 今後もサーシースで老人ホーム巡りなんか演っていこうかと、けっこう盛り上がり、楽しみが増えました。 今後の活動に期待大です。 それ以外にも、もしお声がかかれば色んな所に行きたいですね。本格的に師匠について沖縄民謡を習ったというKさんの独特のオーラ、是非皆さんにもお見せしたいです。 お声をかけて下さいませ。 話変わって ShufuShufuのよつゆみさんらが中心になって、狭山で今、「音の種まき講座」が始まったそうです。(詳しくはよつゆみさんのHPにて。) 音楽の種を狭山中に蒔き、狭山を「音楽発信の町」にしていって欲しいと勝手に思っています(笑)。 かつて私も雑談の中で、沖縄の一家に一台三線があるという状況を狭山でも実現させたいという「狭山・沖縄化計画」なんてのを口にしたことがありました。しかしそんなモノは夢であり、具体的にどうするなんて全く頭にありませんでした。頭にあったのは、我々がいっぱいライブすることでギターや音楽に憧れる人が増え、楽器を手にする人が増えたらいいなぁ、くらいのモンでした。 それがどうですか、「音の種まき講座」やて!すごいステキな名前やないですか!すばらしいポジティブな発想やないですか! なかなか仕事でお手伝いすることもままなりませんが、出来る限りサポートしたいなと思います。 音楽なんて難しくない、音を楽しもう!それだけのスタンスから入ればいい。一生、音楽と共に生きたい、そんな人がたくさん生まれればいいですね!
2004/10/13
行ってきました、河内長野「花の文化園」ライブ! ちょうど地元のだんじりの日と重なり、道路の具合がどうなるか心配だったのですが、なんとかかち合うこともなくたどり着きました。 心配だったと言えば台風もですが、今年最大の台風も何とか逸れ、台風一過の快晴に恵まれました。まさに日ごろの行いが良いからですな…?!(笑) 午前と午後の二回公演も初めてなら、朝の11時から歌うというのも実は初めて。お客さんもボチボチ入って来たかなぁという頃に一回目のステージを演りました。 11時前に我々が控え室にいると、館内放送で「11時より~コ○○シマルの皆様による~フラワーコンサートを~…」…「皆様」って、二人しかおらんのになぁ…(苦笑) 同じく園内放送で「~美しい音楽の音色を~どうかお楽しみ下さい~」とかなんとか…、「美しい~」って…?(苦笑) さらに直前のセッティングをしていると、おばさんがよってきて「あの~放送で11時から『小○幸子』さんが歌うとか聞こえたんですけど…」と言ってきた。さすがに苦笑するしかなかったです、ハイ。 そんな変な期待(?)もかけられつつ始まった午前のコンサート、しかし様子見に来ていた皆さんも、職員の皆様も、ホンマ喜んで下さいました。ハモり、三線、そして花に込めた我々の「喜び」と「平和」へのメッセージ等々、伝えられたのではないかと思われました。終わった後にはお茶や飴の差し入れ(さらにはおひねり/笑)まで頂いて、ホンマありがたい限りでした。 午後の部はさらに、ステージの前に椅子までご用意頂いて、その椅子やそれ以外のベンチにも沢山のお客さんが座って下さいました。予定の曲を終えるとアンコールまでして頂き、歌い終わった後にも幾人も「よかった」と声をかけて下さり(やはりおひねりも頂きました/笑)、大変うれしく、また恐縮でした。 ここ最近の朝夕の涼しさから「秋だなぁ」と思いつつ風邪までひいていたのに、今日はメチャメチャ暑い日でした。しかも日なたで直射日光を浴びながらの歌でしたので、最後は正直、頭がボーッとしましたが(苦笑)、とっても気持ちよく歌わせて頂いた、想い出に残るライブとなりました。聴いて下さった皆様、「花の文化園」の職員の皆様、本当にありがとうございました。 「春も是非来て下さい」などと言って頂きました。「また聴きたい」と言って頂けるのが、やはり一番うれしいですね。 そう言って頂けるライブをこれからも作っていきたいです。
2004/10/10
昨日今日と雨が降っています。特に昨日の夕方は豪雨で、職場に自転車を置いてきました。 ここのところ朝夕が寒く、チョット油断していたら私も何やら喉がおかしい。10日のライブに影響を及ぼさないよう、頑張って治したい!ミュージシャンは体が資本ですからね、言い訳にならね~から。 今日は一日ゆっくりして明日のライブの準備です。 明日はどうも台風もそれたようですし(笑)、ぜひ河内長野の「花の文化園」にいらして下さい。お待ち申し上げております。
2004/10/09
私のこのBayaN(ばやん)というハンドルネームは、もちろんステージネームでもあるわけですが、これは一応匿名性を持たせるためにつけたモノです。まぁ色々あるやろし。 で、試しにyahoo!で「BayaN」を検索してみました。そしたらこのページは全然出てこず、しかしなにやら3万件以上ものヒットがあって、色んなところでBayaNという名前は登場しているようです。こんな名前、これまでは聞いたこともなかったのでつけてみたのに、実は特別な意味なんかがある名前だったりして…何だか恐くなりました。 私がアンプラで活動していく中で、元々はソロでしたが、色んな人らとのバンドもいくつか経験しました。 「くらちゃん」との『蔵之林』 「みっちゃん」「あきや」「とさま」と組んだ『医療法人○林会』(笑…える?) 「とさま」「じさま」そして当時高校生だった女の子達2人と組んだバンド『鮫肌キャデラック』 今日の私を作ったストリートバンド『ハナクソ』 そしてMARUとの『コ○○マル』(アンプラ以外のメンバーも入れた『サーシース』もありますね) 特にハナクソは、名前はともかく(苦笑)、私自身を変えてくれた仲間との出会いの場でした。メンバーは「大将」「のぐっちゃん」「しばやん」「もんじろう」「あだっちゃん」そして私。これにMARUも一緒に巻き込んで、南海本線堺駅のロータリーで大騒ぎしました。夜中の12時を過ぎても歌っていたなんてコトも一度や二度ではないし、「のぐっちゃん」と「もんちゃん」と私の3人で神戸のチキンジョージに出演したこともあります(まぁこれについては詳しくは触れませんが…いろいろあったんで/苦笑)。 ホンマ、今の自分があるのもこのハナクソあってのものですし、MARUと一緒に演るようになったのもこのバンドがあってのことです。ほんま、仲間ってエエなぁと思わせてくれたこの出会い、これからも大切にしたいです。 しばやんがちょっと体調を崩したり、バンドリーダーののぐっちゃんが名古屋に転勤したり、他のみんなも仕事や環境の変化でなかなか集まれない状況になってしまって現在は事実上の活動休止状態ですが、この度、リーダーののぐっちゃんが再び転勤で大阪へ帰ってくることになりました!メデタイ!彼がいないとなかなか集まれないという状況が続いていましたので、彼の帰阪は我々にとってとても大きな励ましなのです。 大阪にハナクソあり!これからの活動をコ○○マル共々よろしくお願いいたします。(名前については今後考えた方がいい、とこれまでも各方面から言われてたりしますが…/苦笑)
2004/10/08
ウチの相方MARUはすでに迎えましたが、私は本日とうとう20代最後の歳に足を踏み入れてしまいました。 別に感慨もなにも、…ちょっと寂しいような感じですね(苦笑)。 今度の「花の文化園」ライブの日、台風が直撃しないか心配です。先方に確認の電話を入れると、「その日の朝の状態で、警報が出ていれば休園もあり得るし、出ていなければ屋根のあるところで歌って頂けます」とのこと。 どうやら園内放送用のマイクを前に置いて、園中に歌を放送する(!)みたいなコトになっているとかいないとか…(苦笑)。さぁどないなライブになるコトやら。 楽しみです。
2004/10/07
今日帰宅して、いつも水曜日に配達される地元のミニコミ誌に目をやると、先日取材を受けた我々の「喫茶店ライブ」のことが載っていて、思わずニンマリしてしまいました。(顔写真も本名も載ってるんでチョットビビったんですけど/苦笑)。 2年ほど続けてる喫茶店ライブ、始めた頃よりは随分度胸もツケさせてもらったし、色々あるけど確実に自分らのためになっています。 歌う場があるってのはホンマありがたいことですね。 また演るときはご紹介いたします。急に決まることもあるので、いつもこのH.P.をチェキラ!(笑)
2004/10/06
今日は職場の同僚のみんなとダンスを披露しました。 曲は「マツケンサンバ2」に始まり、気志団の「ワンナイトカーニバル」、そしてエンディングにゆずの「栄光の架橋」を使いました。 このダンスは毎年恒例で、去年は当時流行っていた「ウォーターボーイズ」のドラマをビデオで見ながらそれらしいフリをつけたのですが、今年はDVDを借りてきてほぼ完コピの状態。見る方も毎年恒例のこの行事を楽しみにして下さっていて、登場したときは歓声と拍手の嵐でした。 私は音楽活動をやっているためか、そういった場でもあまり緊張しないのですが、同僚達のガチガチの緊張ぶりがかえって新鮮でした(笑)。「ああ、自分にもこんな時があったなぁ…もうあのころには戻れないのねぇ…」なんて(笑)。 仕事で忙しい合間にも、こういったイベントでみんなで練習し披露し、楽しむことが出来る。ああ、仲間っていいなぁと思った次第でした。 さて、次は今度の日曜に河内長野の「花の文化園」で演るコ○○マルのステージに向けて練習です。 相方のMARUが私の忙しい合間に現地に下見に行ってくれてレポートを送ってくれました。いわく、花壇などがとてもキレイなところらしい(当たり前ですが)。とても楽しみです。 これをお読みの皆さんも、お時間がある方は是非10/10(日)に「花の文化園」でお会いいたしましょう。ちなみに 11:00~ と 2:00~の2回公演です。ほぼストリート感覚で演ることになるようですが、それはそれで望むところ(笑)。文化園に我々の声を響き渡らせます!
2004/10/03
今日、例の年下の子らとのバンド発表がありました。 まずは「Twenty-Three」。 舞台が始まる前は「緊張するわ~!」とひきつった笑いが顔に凍り付いていたVo.のMクン、しかし彼は昔から「ステージに立って本番が始まる瞬間に緊張が解ける」とのこと(!)。そんな神通力(笑)がホントにあるのか?と思っていたら、幕が開く直前、「あ、(本番モードの)スイッチ入ってきたわ…!」やって。とんでもね~。 歌の高音部は私がフォローのVo.を入れながら、それでも実に堂々と700人以上いる会場を前に歌いきった彼。 「自分の意見を出すのが面倒くさい」なんて言ってた自分を過去のモノにできたかなぁ? 出演するコトを「自分で」判断し、歌いたい歌を「自分で」決め、歌の内容を「自分と」重ね合わせ、みんなの前で普段見せない「自分」をさらけ出したMクン。これからも音楽を通して徐々に自己開示の意味を知っていって欲しい、と思いました。 次に「BIJIN」。 Vo.のHクンは本番直前の舞台練習で結局ギターが完成せず歌に専念することになりました。で、私が三線を弾き、彼が歌い、エイサーをSクンに踊ってもらおうというアイデアが浮上したものの、本番前日のリハーサルでそれも物足りないということでボツ、最終的に本日は私がギターを弾くことになりました(三線はナシ)。音響の方、ご迷惑をおかけしました。 Sクンはさすが「狭山人」で舞台をこなしているだけあってステージ慣れしてる。大したモノでした。彼の存在があったればこそ、我々のステージが他の出演者と大きく差別化され、共演者の私としても優越感に浸れました(笑)。まさに「他人のふんどしで相撲」ってやつかな(笑)。 ステージ上はマトモな返りのスピーカーがないため、出演者は自分や周りの音をひろうのに精一杯な状態で、私もエイサーの太鼓と自分のリズムを合わせるのに苦労しましたが、それは歌っているHクンも同じコト。彼は我々と違ってステージ経験が乏しく、ガッチガチに固まってました。そこへ来て私も音が聞きづらく、ちゃんと歌えているのか把握できないまま演奏を終えることとなりました。 しかし、あとで観客に意見を聞いてみると、「BIJIN」の演奏は会場がホントに集中して観てくれていたとのこと。私が心配していたVo.についても、「正直、Hクンがあそこまで歌えるとは思ってなかった、上手かったわ!」とまで言って下さった。よかった、HクンSクン2人を誘った甲斐があったってものです。 Hクンは普段、悪い子ではないけれどなかなか「しなければならないこと」に集中できないという欠点があります。ギターを本番までに仕上げられなかったのも、時間がなかっただけではなく、集中しきれない彼の性質が出たのだと私は感じています。 しかしだからこそ、歌ってみんなに観てもらい、ほめてもらえるだけの力が自分にあると証明して見せたのだから、音楽というものに集中できるかな?そこから物事に集中する力を養ってもらえれば、と思いました。 Sクンも、いつもみんなでやってるエイサーを今回一人で踊りきり、何か今までにない自信がついて踊りがより良くなればいいなぁ、また彼とは是非競演していきたいなぁ、そう思えたステージでした。 なんか偉そうな文になってしまいましたが、私自身がこれまでのステージ経験の中で少しずつ手に入れてきたことを彼らが手にしていくのを見、うれしさと懐かしさ、そしてうらやましさがあり、なんか「おっさん」として子供を見てる気分になってしまい、つい…(苦笑)。 以上、レポートでした。 追伸 終了後、いろいろあってバタバタした後、自分の荷物の所に行くと、Mクンから「おつかれさまでした&ありがとうございました」と書き置きが。 色んな意味で「やった甲斐があった」なぁ…と、心があったかくなりました。また機会があればやりたいですわ。
2004/10/02
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