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公演が終わったら、無線山に行こうと漠然と思ってた。特に昨日は、明日になったら無線山に行こうと決めていた。特に何があるわけでもない。山ですらない。桜の季節以外は開放されていないみたいだし。(犬の散歩くらいは許してもらえそうだけど)都内に住んでいる時から、実家に帰ると、無性にアゲオやイナやハライチの辺りに出掛けたくなる。若いころは昔の恋人に頼んで、結婚してからは夫に頼んで車を出してもらっていた。いっちょまえに都会の空気に疲れた(一時は都庁の裏に住んでいたのだから)のだろうかと思ってもいたのだけれど、そして今は横浜生活の反動かもと思ったりもするのだけれど、なんとなくそればかりでもないような気がしてきた。どうして自分の住む町ではダメなのか。パワースポットとしても確立した氷川神社の杜では癒されないのか。自分でもそれがずっとわからなかった。横浜で暮らしながら芝居をするのも、尊敬する演出家とびっちり作る時間も、仲間との濃密な時間とその別れも、とても大きな心の動きだった。大きく一人で深呼吸がしたかったのかもしれない。日が傾き始めてからやっと、家を出ることができた。ニューシャトルを使おうと歩き出したけれど、引き返して自転車に乗る。台風以来メンテナンスはしていないけれど、なんとか大丈夫そうだった。幹線道路や工業団地を避けようとして、何度も道に迷う。気が付けば一面の葦原にいたり、恐ろしく大回りをして結局元の道に戻ったり。早くしないと日が暮れきってしまうとあせりながら。別に何が待っているわけでもないけれど。結局自分の足で来たことはなかったのだ。最後の最後に道を一本間違えて、秋らしく煙る田舎の風景の中を、疾走する。そして長い坂を少しずつ上り、乗馬クラブのクラブハウスの灯りが見えてくる。坂の上のまったくひと気のない並木道の入り口。西の空にはかろうじて赤みが残ってもいるけれど、木立の葉はシルエットだけで、もう色づいているのか、まだ緑のままなのかを推し量ることはできない。枯葉を踏みながら、歩き進む。桜の季節と同じように、高く天を包み、地を這う木々。今は上からも左右からも下からも虫の音に包まれる。山とは呼ばれていても、ここはまったく人工的な自然なのだ。隣の乗馬クラブの灯りと音楽はそのまま通じているし、すぐそこに人の気配はある。でもその安心感と風通しの良さに比べ、実際にほとんど人がいないというのがいいバランスなのかもしれない。都会にはそんな場所はないと思う。ゴールデンゲートブリッジから投身自殺を図る人のほとんどは、海側ではなく、街の灯りの側に飛び降りるという話を思い出したりする。実際着くまでは、自分は泣くんじゃないかと思ってた。でもあまりにもたどり着けない自分の不甲斐なさにあきれていたし、ちょっとした達成感もあって、枯葉の上に座ってぼんやりと存分に虫の声を聴いていた。「よきものになれますように」と願いながら。何度も何度も自分の物語に絡め捕られながら、でももっと前に進んでいけそうな気がしている。ただ本当にからっぽが必要なだけだったのかもしれないけど。自分の物語なんて本当にいらない。街灯もない真っ暗な道をさらに迷う。トトロが出そうな森の傍も行く。街道に出て、ハライチの方に進む。たぶん、たぶんなんだけど、ものごころつく前、記憶が蓄積され始め、活用される前の、もっと初期のころ、わたしはここにたくさんの思い出があるのではないかと思いつく。行きに30分、帰りに1時間バスに揺られて通った教会(わたしは幼稚園に行っていない)は、この辺りだし、今よりもっとこの辺にくる機会は多かったのではないのかと。日本的な農村の風景ではなく、どこか人工的な自然に魅かれるのは、新幹線の開発や分譲が始まったころのこのあたりの記憶なのではないかと思ったり。そして幹線道路を避けた裏道を行くと、見沼用水の方角に向かって、見下ろすように景色が開けているのを思い出した。すごく非日常な「景色」だと子供のころ強烈に思ったことも思い出した。わたしの家には車がなく幼年期以外、そこへの連絡が途絶えたのだと思う。自分の住む土地で、思い出や因縁が何重にも交錯していく中で、何か手つかずのものが残されているように期待している場所なのかもしれない。どうしてこんなにこの場所に惹かれるのか、説明なんかつくはずはないんだけど。
2011.09.28
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水曜日の公演が台風で中止になり(場所が埠頭ですからね)、休演日が2日続いて後の、中3日あけての本番をむかえました。普通本番中に3日も時間があくなんて滅多にないことだし、まあ台風で中止が決まる直前まで稽古してたんですけど、振替公演ができなかったらどうしようという不安がありました。あまりにも岡本さんの芝居というか、ピンターの芝居というか、この空間というか、このメンバーでやることが強烈過ぎて、1回でも公演の機会を減らしたくないと強く思っていたからです。なんとか土曜日の夜、通常の19時30分の回のあと、21時にもう一回公演を設けられることになりました。急なことにも関わらず、このお知らせにたくさんの人が応えてくれて本当にありがたかったです。本当に、中止のあとの3日ぶりの、満席の舞台は緊張しました。ここまでくれば、技術的なミスというものはないんですが、それでもまだまだ攻めるべきことがたくさんあって、でも公演の回数は限られているというせめぎ合いです。本番を一回終えて、ご挨拶を交わしたら、もう開演30分前。お手洗いに行って、化粧を直して、開演1分前。21時からの、ひと気のない美術館で行われる芝居。密やかで、とても熱くて、お客さんはいつもよりちょっとリラックスしているようでした。こんな経験ができて本当に面白かった。今日の夜もいい時間になりますように。
2011.09.25
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ふるふるとした繭のような、柔らかい卵のようなものから、何かが生まれる寸前である。もしかしたら寸前のまま終わってしまうかもしれないのが、わたしたちのいたらなさであり、良さだったりするのかもしれないけれど。毎日変化し成長を続ける公演(Work in progress)の過程で、生命の息吹をまだ感じさせなかった材質が、生温かく蠢き始めてきたのは確か。現在、公演中のtpt公演PinterWAVE2『セレブレーション』(作:ハロルド・ピンター/演出:岡本健一)についてです。昨年もPinterWAVE『恋人』に参加して、横浜の不思議な劇空間と、ピンターと、岡本健一兄貴の作り出す世界に夢中になっておりましたが、2回目だからって楽できたことなんて何一つありませんでした。ただ昨年より拠り所になっていたのは、自分が芝居が好きだとわかったこと。自分が余計だと思う演技は、岡本さんが全部余分だと指摘してくれること、昨年はそれが恥ずかしくてならなかったんだけど、今はすごく信頼の根拠になっています。そしてピンター。壊しても壊してもピンター。この強靭さが、岡本さんにも、わたしたちにも勇気を与えてくれているのだと思います。この椅子の塔はもう3週間近く前にエクササイズで出演者全員で作ったものですが、何か妙にやっぱりこの芝居を象徴しているような気がします。横浜みなとみらい、新港村(新港ピア)にて、今週日曜日までやっています。
2011.09.22
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久しぶりの更新です。 現在、横浜に仮住い中です。 昨年、今年の5月に引き続き、横浜でお芝居をすることになりましたので。 今回は横浜トリエンナーレの特別連携プログラムで、みなとみらいの新港埠頭に作られた「新・港村」という現代アートの展覧会の中で、 ハロルド・ピンターの『セレブレ―ション』を上演します。 演出は岡本健一さん。昨年のPinterWAVE!の第2弾です。 斬新で、自由で、スリリングなめくるめく稽古の様子も全て、他の展示同様公開されています。 (明日から本番ですが、早い時間にはその前にしている稽古も見られると思います) ハロルド・ピンター最晩年の痛烈コメディー、いや不条理? 台本の設定より若い俳優たちが、セクシーにエネルギッシュに、スタイリッシュに魅せる岡本演出です。 9月12日~25日までやっています。 見に来ていただけたら嬉しいです。 これから最後の稽古に行ってきます。
2011.09.11
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