型をこよなく重んじるも、嵌ることをめっぽう嫌がる作曲家の日記
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演奏会をプログラミングするにあたって何が重要であるかということをずっと言ってきたわけですが、それは得意とするレパートリーを演奏することです。演奏するにあたって克明な出来上がりのイメージがない曲目を演奏するのはNGです。オーディションの課題曲、皆が演奏しているから演奏するなど、選曲の理由はそれぞれですが自分の演奏スタイルを確立することこそが重要だと思います。そうではない曲に挑戦して何かミスしてしまった場合、聴いている側からすればかなり大きなミスとして印象に残ってしまいます。それはどんな定評のある演奏であったとしても大きなダメージとなる可能性があります。それを例え聴く側の問題と言っても、ミスは意識下に残るのです。音楽とは抽象で人によって聴くところが違ったり評価が分かれたりするものです。しかし、ミスは誰にでもわかる程度ともなると意識下に残ります。それは具体(具象)的な現象であるほど印象として残ります。その具象はこれまでにもさまざまな作曲家によって曲に盛り込まれてきました。これまでのブログでも紹介したとおりです。そもそも音楽は音そのものを感じることがすべてで、そこにエモーショナルなものが生まれてきました。最近の教育で、初めて聴いた音楽に物語をつけたり独自のイメージを持たせたりすると聞きます。その音楽を自分なりに理解することにおいてそれは自由ですが、作曲者が本来意図したものではない可能性は高いのです。タイトルや曲目解説、さらには研究をしてその曲への正しい理解が深まるわけで、クラシックの近現代音楽に関しては勉強して聴いてこそ造詣が深まります。美術で言えば音声ガイドを聴きながら鑑賞するのと同じです。しかし、音楽は聴く側の趣向が強く、鑑賞するという発想が極度に減っているのです。タイトルや解説を読んでもわからないほど抽象である音楽、それを具象化する、つまりミスした時のように聴衆の意識下に訴えかける音楽を考えています。それは先述のように、今までハプニング的に扱われきちんと論理化されていません。人の意識下に呼びかける音楽、それは純粋に音を聴くことではないかもしれませんが、誰が聴いても、例えクラシックに精通していなくても同じことを感じる音楽です。「アマポーラ」は1992年にマンドリン奏者の青山忠さんの委嘱により編曲しました。当時の作風はシュルレアリスムと多様式性を採り入れた最初期でしたが、この音楽も「アマポーラ」がはっきりしない背景から、徐々にアマポーラ本来の背景に移り変わっていく様子をピアノで表したものです。この演奏の美しさは素晴らしいもので、この曲のイメージを見事に顕在化しています。どのようなジャンルの方にも受け入れられる音楽として自負しています。
2019.10.25
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