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どんなところでも感じることだが物事を筋道立てて考えるとか優先順位を考えて行動するとかやるべきことと遣りたいことの違いをしっかり考えて行動するとかっていうそういう考え方の鍛錬というか自己制御が出来る人間というのが少なくなったなと感じる。犬のしつけという極限られたジャンルでさえ考え方がぐちゃぐちゃなのなぁ。。。英国流のしつけとか言って宣伝しているサイトを見たがそこで飼い主がリーダーという立場を確立すると犬は他者を排除しようとして攻撃的になる。だから上下関係で教育するのは間違いだと書いてあった。馬鹿ジャン!?攻撃的になるのは自分が退くことを教えられていないからでご褒美使ってご機嫌とって関係を築いても自分が退くことを教えられていない犬は気に入らない相手や信用できそうに無い相手には攻撃するぜ!第一、他者に対して攻撃的になるなんていう状態にある犬はリーダーをリーダーと認めていないからだということが解かってない。リーダーをリーダーとして認めている犬はリーダーの居ないところで自分が強気に出ればどんな状況に陥るか良く知っているしリーダーがいる場面で他者に対して攻撃すれば攻撃した相手より先におめぇ何様だ!でしゃばるんじゃねぇ!ってリーダーから焼き入れられるんじゃないかと思う。あのサイトの管理人さんは上下関係が確立できていないリーダーぶってるだけのオーナーしか知らないで物言ってるよね。でも、見た人の中でリーダーに成り得ない器しかない人の心にスッとそういう言葉は入り込んで同意を得て客をゲットするんだろう。で、また、人を使っているだけの犬と使われていることを感じずに自分の犬に使われて心地良くなる僕飼い主が増えるんだ。その結果、他人の犬に平気でお友達にしようと自分の犬を近づけてくる無神経で遠慮の無いニブチンで愚鈍な飼い主が増えたり自分の犬を天狗にするだけして扱いきれなくなって放棄する人間が増えるんだ。あのサイトも馬鹿言ってるなと思ったけれど、昨日届いたメールマガジンも気持ち悪くなるくらい犬が殿様で暮らしている様子がありありと書かれていた。一回一万円ほどもするドッグマッサージを犬がほっこりするからと月に二、三度マッサージを依頼している飼い主が増えているとかって自分の犬を愛している飼い主はそこまで尽くしているみたいなことを書き商材を売らんがための煽り文だろうけど犬に至れり尽くせりすることが愛情見たいな事書いてあった。この人達って相当我侭に育っているんだろうなとしか思えなかったよ。根が我侭な人ってのは人間との関係で生じるストレスが大きいからそこで生じたストレスのはけ口として犬を慰み者にしないでいられない。しかも他者からチヤホヤしてもらえない(子供じゃないから他人がチヤホヤしないのは当たり前)満たされない部分を犬に至れり尽くせり尽くしている自分をアピールすることで善人に見てもらいたがる傾向が強い。そういう類が寄り集まってサロンを形成するととんでもなく気持ち悪い考え方が当たり前という世界が出来上がって犬が犬ではなくて殿様になり人間を操る妖怪化していたりする。「犬は家族の一員」という言葉を使いたがる連中ほどそういうワケ解からない飼い主だよなと思うわ。犬と人間の優先順位が逆転しているんだ。そういう人って結局自立が出来ていないんだよね。
May 17, 2011
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約束もしていないのに期待されてウハウハされている状態は甘えられているということであり勝手な都合・思い込みであちらはこちらを見ているということ。その状態が在るうち、その状態を許しているうちは甘やかしていることと同じということだ。。。が、悲しいかな人間は自分の姿を目視してウハウハする犬が可愛いとか思ってしまうのだ。「上下」の「上」を人間に認めている犬は人の姿を見たときウハウハなんかしていられないということを考えないからね。仕事が出来る上司の前で自分がウハウハ出来るか?を考えれば自分の姿を見てウハウハする犬が自分に重きを置いているわけではなくて使っているだけであるというのは解かるはず。そう。。。人を使っている犬は人を見たときウハウハする。人を尊敬している犬は人を見たとき冷静で発せられる指示を待つ姿勢がある。出来る上司を前にしたときの部下と同じなのだ。
May 13, 2011
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甘やかしていませんという割りに甘やかすとか甘えとかがどんなことなのかを知らなかったりする。いつだったかテレビの放送大学で「甘え」についての講義が流れていた。約束された内容以上のことを期待することが甘えであるらしいことをそこで言っていた。期待とは、相手を自分の枠の中に無理やり収めようとすることだとNHKラジオの対談で説明していた方が居た。結局、甘えというのは相手に対し自分にとって都合良い解釈がなされるということだろうなと思う。小学校の頃に「甘えの構造」という本を読んだことがある。内容がどんなだったかまったく覚えていないのだけど、今また読み返してみると至極納得できる内容かもしれないとふと思った。もう一度読んでみようかな?
May 12, 2011
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「今」を充実させる生き方をすると今起きている不幸でさえ楽しめるようになるから不思議だ。転んでもただでは起きない工夫が最終的に何かしらの実を我が身にもたらしてくれる。「塞翁が馬」という考え方と「果報は寝て待て」という感覚。全力尽くしてすべてに対して遣りつくしてしまえば後は天に運を任せるしかなくなるから遣りきってもう自分の力の及ばない範疇にまで達したところで諦められるようになった。遣りきってしまうということは潔さを身につけるのにはとても大切なことだと思う。遣りきってしまえばだんだんそういうゆったりとした考え方に変わってくるものなのだなと最近はかつての自分の余裕の無さがまだどこかでやり切れていなかったための諦めの悪さだったのだなと感じる。人間万事塞翁が馬!果報は寝て待て!
May 7, 2011
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