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オンヌットのカルフールにあるTOTのカウンターに電話料金を払いに行ったついでに、ADSL(High Speed Internet)について聞いてみた。ダイアルアップ接続の遅さに我慢がならなくなっていた。たまたまコンドミニアムの入り口でBuddy BB(プリペイドカード式のADSL)のプロモーションをやっていたので、申し込んで600バーツの接続キットを購入したのだが、ADSLの空きが無いという摩訶不思議な理由でキャンセルされてしまった。だったらプロモーションなどやらなければいいのに。そこでTOTならどうだろうかと思ったわけだ。おばちゃんがタイ語のパンフレット(ただのコピー)を見せてくれた。同居人のKに読んでもらうと、個人向け1Mbpsの契約で月額1000バーツだという。日本に比べて割高ではあるが、この国の通信事情を考えると仕方がない。契約することにした。すると、別のパンフレット(これもただのコピー)を取り出してきた。ADSLモデム 100バーツ ブリッジ付きモデム 500バーツ ルーター付きモデム(4PのLAN) 1,000バーツ ワイヤレスモデム 2,000バーツと英語で書かれている。どうせなら無線LANがいい。すると、在庫が無いという。いつ入る?わかりません。たぶん来週… じゃあまた来る。タイ人の予想ほどあてにならないものはない。何の根拠もないからだ。一ヶ月近くたってから、カウンターに行ってみた。おばちゃんは覚えていたようだ。ワイヤレスモデムは? ありません。来る予定は? わかりません。 普通に考えれば、自分の店の商品の在庫が無く、入荷時期も不明では、客に対して申し訳なく思うのだろうが、おばちゃんは、それがどうしたというような態度。私が悪いんじゃないもん。何を言っても無駄だろう。無線ルータはバンディプ・プラザにでも行けば買えるはず、電話回線の所有者である同居人のKに契約してもらうことにした。パンフレットに1Mbpsが二つある。どう違うの?個人向けと会社(事業所)向けです。だったら枠線の位置が間違っているんじゃないの?だれも気付かないのか…契約したのは良いが、パンフレットの一枚もくれるわけじゃない。金曜日に開通するから担当者から電話が行きます。ユーザーアカウントとかパスワードくらいはあるんじゃないの?担当者に電話で聞いてください。 日本なら分厚いマニュアルが付いてきそうなものだが、こんなんで大丈夫なんだろうか。おばちゃんはDSLの知識がないらしい。インターネットにつなぐと電話が使えないとKに言っている。TOTだけ特殊なわけないだろうに…バンディプ・プラザに行った。「エロビデオ!」と声をかけるニイちゃんたちを無視し、二階の店でワイヤレス・ルータ・モデムを探す。簡単に見つけた。店のニイちゃんにTOTのADSLに使えるか訊ねると、使えるという。裏側の電話ケーブルのジャックを指差し、これがあるから使えるという。モデムなんだから電話ケーブルが繋げるのは当たり前の話で、プロトコル等の設定が出来るか聞きたかったのだが、そういう知識はないらしい。商品知識に乏しい店員というのは珍しくない。他の店をさがす。インテルの作業着を着たニイちゃん。このモデムはPPPOEをサポートしてるから、TOTに使えますという。まともな答えが返ってきてうれしい。スプリッタはあるの?ありますよ。付属してます。値段は2,700バーツだという。少し高いけど、セキュリティの高度な設定ができると説明してくれる。このニイちゃんは少し信用できそうだ。買うことにした。Zyxel社の P-660HW-T1 V2 という機種だ。IEEE 802.11g に対応している。金曜日、TOTの担当者から電話が来た。開通したという。ユーザーネームは"電話番号@goldcyber"で、パスワードは電話番号と同じだという。セキュリティーも何もあったものではないが、電話回線に1対1で対応しているから秘密にしても意味が無いのだろう。ルータを箱から取り出した。ACアダプターが馬鹿でかくて、コンセントに差し込んでも自重で抜け落ちてしまうというのは間が抜けている。とりあえずPCにLANケーブルでつなぐ。電源スイッチを入れると、間もなくDSLランプが点灯した。確かに開通はしているようだ。設定画面を呼び出す。LAN側はデフォルト値でOKのようだ。管理者パスワードでログインし、WAN側の設定をする。ユーザーネームとパスワードを入力。他にも設定項目はあるのだが、TOTから何もデータがないので設定できない。ModeはRoutingでEncapsulationがPPPoEなのは分かるが、他はデフォルトのままで良いのだろうか。心配したとおりモデムのINTERNETランプが点かない。同居人のKに、TOTの担当者に電話してもらう。設定値を教えてくれるよう頼むのだが、Kはネットワークの知識がないので話が通じない。別の電話番号を教えられる。Kが電話すると、モデムを持って来いという。どこに?オンヌットのカルフール。TOTのカウンターで尋ねると、担当者を呼び出してくれた。カウンターのほかにオフィスがあるらしい。技術者らしい中年のタイ人、カウンターにあるパソコンにモデムをLANで繋いでいる。管理画面を呼び出せず四苦八苦してる。付属の簡単な英語マニュアルを読んでいるが、英語は苦手らしい。聞いてもらえば簡単に答えられるのだが、それはプライドが許さないのだろう。非常に不安になる。時間がかかりそうなので食事に行くことにした。TOTのカウンターに戻ると、彼の姿は無かった。モデムも無い。呼び出してもらうと、しばらくして彼がモデムを持って現れた。うまく行ったという。メモ用紙にWANの設定値が書いてあった。MultiplexingはLLCで、VPIを1、VCIを32に設定したらしい。やはりデフォルト値ではダメだったわけだ。しかし、それならそれで、契約時に何らかの技術情報をユーザーに与えるべきではないのか。念のためTOTのWEBサイトを見たが、それらしいサポートページはない。まったく、いい加減なものだ。他のユーザーはどうやって設定したのだろう。全員がここへモデムを持って来るわけではないだろうに…帰ってモデムに電話ケーブルを繋ぎ電源を入れると、しばらくしてINTERNETランプが点等した。LANケーブルでパソコンに接続して管理画面を見ると、彼のメモ通りの設定値になっている。ところが、なぜかWebサイトにつなげない。メールの受信も出来ない。試しに某プロバイダのメールサーバにIPアドレスを指定してPINGでパケットを送ると、完全に返ってくる。確かにインターネットには接続している。しかしドメインで指定すると返ってこない。これはDNSサーバへの問い合わせに失敗しているからだろう。ふと気がついて、ファイア・ウォールソフト"ZoneAlarm"の設定を確認してみる。LANと無線LANのインターフェースががインターネットゾーンに区分されている。インターネットゾーンのセキュリティーは高で、詳細設定を見ると「高設定の場合にインターネットゾーンでの外部へのDNS/DHCPの許可」にチェックが入っていない。チェックを入れると難なくインターネットにつながった。DNSサーバへの問い合わせがファイア・ウォールで止められていたわけだ。無線LANの設定はあっけなく終わった。これでコンドミニアムの部屋のどこでもインターネットが可能になった。試しに日本のサイトでスピードを計ると、調子の良いときは800Kbpsほど出ている。日本のADSLと比較にはならないほど遅いくせにHigh Speed Internetとは呆れるが、1Mの契約でこれなら、上等だろう。
2007年09月10日
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カンボジア語で「ありがとう」は「オークン」と言うらしい。トンレサップ湖 赤土色の濁った水 水深50cmアンコールトムの中央にある寺院、バイヨンアンコールワット!!アンコールワットの壁面に刻まれた古代の美女たち静かなリゾート風ホテルシェムリアップ シヴァタ通り青空のバンデアイ・プレイ逆光のプレ・ループ異次元空間のようなタ・プローム一泊二日、駆け足のカンボジア旅行
2007年06月03日
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タクシーを拾った。アパートからすぐの高速入り口。運転手に料金を渡す。高速を延々と走り、サトーン通りで下の道に下りた。チャルンクルン通りのソイの番号を探して、運転手は車を徐行させる。あまり広くない通りをしばらく走り、タクシーが止まった。目的のソイに着いたらしい。同居人Kの友人、Dちゃんの誕生日。彼女の日本人の夫も入れて四人でお祝いをする。ソイの入り口から灯りの点ったインド料理屋の看板が見える。どうやら目的の店らしい。インド料理というのは良く判らない。カレーとサモサ、ナンを注文した。スーツ姿のタイ人マネージャが丁寧にメニューを説明してくれる。店の内装は凝ったものだ。それがインド風なのかはよく判らない。あまり辛くないカレー。ナンに載せて食べる。サモサは春巻きみたいな感じだ。カレーもナンも何種類かある。特に驚くほど美味しいわけではない。そういえば何年か前、仕事でインドに行ったことがある。あのとき何を食べていたか。こういう食い物ではなかったような気がする。そう、なぜかタイ風カレーと中華料理を食べていた。店を出て、シーロム通りの方へ歩く。シーロムがチャルンクルンに突き当たるバンラック交差点、横断歩道を渡ってエントランスが妙に豪華絢爛な巨大ビルの前。ビルの内部は閑散とした感じだが、ドアボーイが恭しく大きなガラスのドアを開けてくれる。奥のエレベーターホールで多くの人が待っている。エレベータに乗ると階数ボタンが64階まである。大きなエレベーターではないのだが、立錐の余地もないほどの人が乗っている。最上階で扉が開く。にこやかに出迎えるスタッフ。そこはレストランとバーだった。窓際の席。窓の外にバンコクの夜景が広がる。ガラスのドアの向こう側、屋外にもソファが置かれていて、ファランやタイ人のカップルが思い思いの姿で寛いでいる。出てみたが、あいにく空きが無い。冷房の効いた大きなバー。客はファランが多い。メニューを見ずにトム・コリンズと言ってみる。ボーイは普通に注文を受ける。甘口のトムジン。この店のスタッフは英語がすごく上手いことに気がついた。そのうえタイ人スタッフには付きもののいい加減さは微塵もない。ここがタイだということを忘れてしまいそうな雰囲気。ボーイが呼びに来た。外のソファが空いたらしい。四人で移動する。大きなソファ。後ろにはバンコクの夜景が広がっている・・・地上64階、120mはあろうか。地上ではまだ暑い時間、しかしここは夜風が涼しい。すぐ近くにサパーンタクシン駅、チャオプラヤの水面に光が映る。高速道路の車の流れ。遠くにラマ八世橋のライトアップ。見渡す限り、どこまでも続くオレンジの光。
2006年08月21日
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ゴルフを始めた。会社の社長が、そういう付き合いも必要だ、業務命令だから仕事としてやれと今年から強制的に始めることになった。実はゴルフというものに対して、全くと言っていいほど興味が無いから、何がどうが面白いのかわからない。しかし業務命令と言われれば仕方がない。伊勢丹でシューズとグローブを買った。クラブは、以前に日本に親会社があったころの駐在員が置いて行ったセットをもらえることになった。全くの初心者ゆえ、練習しないわけにはいかない。ドライビング・レンジに行ってみた。いわゆる打ちっぱなしだ。初めは何も分からないから、タイ人コーチ(いい年したオッサンだがシニアのツアープロらしい)に1時間700バーツで教えてもらうことにする。もちろんボールは別料金だ。クラブを握るのが妙に複雑だ。面倒だが、そういうものらしい。スイングの基本だということで、クラブを振り子のように振る練習を1時間近く。ボールはまっすぐに50ヤードほど飛ぶ。練習の回を重ねるごとに指示されるスイングが大きくなり、ボールも遠くへ飛ぶようになった。コーチはと言えば、見てるのかどうか知らないが、忘れたころにナイスショットとか声をかけるだけだ。せっかくだから悪いところをバシバシと指摘してくれないものか。見てるだけでで700バーツは高いんじゃないのか。そうこうしてるうちに初ラウンドの日が来た。前日の土曜日の朝に6箱、夜に4箱打って練習したのだが、まあ気休めにもならない。バンナ・トラッド沿い、大きいコンドミニアムの裏側にあるゴルフ場、タナシティというらしい。あいにくの好天で炎天下のコースを何キロも歩かなければならない。考えただけでウンザリ。それにボールが思ったように飛ぶはずもない。右と思えば左、左と思えば右。水があれば水に入り、砂があれば砂に入る。キャディさんがフラフラになっている。暑い。ひたすら暑い。いくつ打ったか計算するのも面倒だ。また茶店でボール買わないと。罰ゲームというより拷問のようなものか。こんなの、どこが面白いのかと思う。涼しいところでビールでも飲んでるほうが、よっぽど楽しいのだが。
2006年04月14日
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必要にせまられて、生意気にも家政婦を雇ったわけなのだが、やっぱりというか何というか、心配したとおり、これが問題多ありだったりする。彼女はアルバイトが決まったとたんに、コンドミニアムの雑用係の仕事を辞めてしまったらしい。アルバイトがあることを他の雑用係に妬まれて居づらくなったというのだが、何か話が違うような気がする。彼女だけアルバイトが無かったのではなかったのか。同居人のKが突っ込んで聞くと、コンドミニアムが契約している会社が変わって、雑用係もセキュリティも全員が入れ替わるのだとか言う。いつまでたってもコンドミニアム職員が入れ替わった形跡はないのだが、人の良いKは、家政婦に終日来てもらうことにし、サラリーを月4千バーツに値上げしたらしい。仕事が無くなってかわいそうというのだが、それは彼女の勝手であって自分達には関係ない。終日とは言っても、自分もKも日中は部屋にいないわけで、彼女の仕事ぶりなど知ることはできないし、たいして広くもない部屋の掃除に、そう時間がかかるはずない。家政婦は昼間から部屋に来て、簡単に家事を済ませてエアコンで涼んでいたとしても、まったく不思議はない。たまたまKが用事があって早く帰ったところ、家政婦がソファに寝そべって本を読んでいたのだという。彼女はそそくさと帰ってしまったらしい。セキュリティに聞いてみると、家政婦はどうやら毎日午後2時か3時に来て、4時には帰ってしまうらしい。どおりでトイレ掃除など滅多にされておらず、Kが自分で掃除していたのだという。やっぱりなあ。つまりアルバイト収入があるので、面倒な雑用係の方は辞めてしまったということらしい。もちろん妬まれたという話や職員入れ替えの話はウソだ。出任せでKの同情を誘って賃上げに成功し、表面だけ取り繕ってサバイサバーイの生活だったというわけだ。そんなところだろうと思って何度かKに注意したのだが、彼女は家政婦を信じていて、そんなことをするはずが無いと気にも留めなかった。実際、Kがブランド物の時計やダイヤの指輪をしまい忘れ、それが無くなったことがあった。気がつくと何度も探したはずの場所にあったりした。かなり怪しいと思っていた。そんな家政婦に自分達は4千バーツも払う気は無い。今月限りで辞めさせることにした。家政婦や運転手などをしているタイ人なんて、大抵はそんなものだ。頑張って働いて認めてもらおう賃金を上げて貰おうなどという考えは毛頭無く、とにかく怠けてラクが出来れば良いらしい。そのためにウソをつくのは当然のこと。だからいつまでたっても貧乏なままで、もちろん本人の行いの結果なのだが、そうは決して考えない。安い給料で使う雇い主のほうが悪いということになるらしい。例えればバンコクの道端に寝そべる野良犬と同じ、腹一杯の餌にありつければ、あとはゴロゴロと寝ているだけ。そう、自分達と同じ『人間』だなどと決して考えてはいけない。嘘つきで怠けものの彼らを、信じたり情けをかけると、必ず裏切られるのだ。
2005年06月14日
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この日記は自分自身のバンコクでの生活日記として開設したいきさつから、特にアクセス数というものは気にしていなかった。これまで日記でアクセス数を取り上げたことは無い。しかし本日ついに、大きな節目となる10万ヒットを突破した。100003 06-05 22:02 steady7さん 100002 06-05 22:00 menamomi3132さん 100001 06-05 21:56 maria0506さん 100000 06-05 21:55 ゲストさん 99999 06-05 21:55 本日のお買い上げさん 99998 06-05 21:51 maria0506さん 99997 06-05 21:51 楽天ショッピングモール運営者さん 99996 06-05 21:51 maria0506さん 10万ヒットはゲストさんだったが、これまでこの日記にアクセスして下さった日記仲間の皆様をはじめ多くの方々の積み重ねが、10万という数字になったわけだ。これまでこの日記を読んで頂いた全ての方々に、心から感謝致します。これで思い残すことはありません。
2005年06月05日
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5月30日の続き…病院に着くと、Dちゃん夫婦とカラオケ屋のママさんがいた。そのうちにZちゃんの携帯に電話。彼女のパトロンのひとり、Mさんが来た。ママさんとDちゃん夫婦が帰る。自分とKも、なんとなく居づらくなって病室を後にした。BTSエカマイ駅の方に歩いていくと、お寺が妙に賑やかだ。そうか、今日は仏教の祭日だった。Kが、タンブンしていこうという。門前の露店でろうそくと線香、ハスの花のセットを買う。花が妙に重い。境内に入る。人が多くて賑わっている。人波を掻き分け、奉納してあるロウソクから火を借りて、自分達のロウソクと線香に火を灯す。ここのタンブンは、寺の本堂の周囲を三周するらしい。言われてみれば人波が本堂の周囲を取り巻いて、右回りに移動している。自分たちも加わった。風の強い場所があってロウソクの火が消える。また火を借りる。そうこうしてるうちに三周回った。どんなご利益があるのか判らない。ハスの花を奉納して駅に向った。参道に露店が出ていて、ちょっとしたマーケットみたいだ。Kが目を輝かせる。やれやれ、これが目的だったのかな。
2005年05月31日
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5月24日の続き…Zちゃんの入院する病院の前からタクシーに乗った。行き先は先日買ってしまったコンドミニアムのセールス・オフィス。仕様の打ち合わせをするためだ。まだ基礎工事程度しか終わっていないので、ある程度は自由に内装を決められるらしい。このへんは日本の分譲マンションと違うところかもしれない。オフィスに着くと、予告していたにもかかわらず、担当のエンジニアが他の客と打ち合わせしている。素直に待っていた。やっとエンジニアと打ち合わせ。実は、会社のコンピュータを使って、休み時間に間取りを自分で設計した。キッチンを対面式にし、寝室にウォークイン・クローゼットを取り付ける。図面を見せるとエンジニアの目が丸くなった。自分で設計する客などいないのだろう。即座にメダーイだとぬかす。なにがメダーイだ。ろくに考えもせず出来ないというのは、いかにもタイ人らしい。どこが出来ない。「給排水の位置が違う。」そんなの、違うと言ったって500mmぐらいだろ。おまえ、そのくらい考えてなんとかしろよ。「出来ます。」ほーら、できるだろうよ。頭使えよ。クローゼットは?「メダーイ。」完成後に内装業者に頼めと言う。そうは言ってもだな、照明やスイッチはどうする?先につけなきゃダメだろうよ。「出来ます。やります。」ほらな、ちゃんと考えれば出来るじゃないか。一般的に、特に給排水は融通が利かないらしい。通り一遍等のことは出来るが、それ以上の応用が利かないのがタイの現状だろう。その後、標準で決まっているコンセントやテレビのアンテナ端子の位置を決めた。もちろん標準仕様は施工のしやすいように決めてあり、使い勝手は考慮されていない。「そこにコンセントは付けられない。」なんとかしろよ。「出来ます。」ほらな。エンジニアは小さい間取りの図面に変更点を書き込んでいく。図面が小さすぎて、何だかよく判らないが、本当に大丈夫なのか不安になる。追加費用を計算してもらうと2万5千バーツほどになった。即金で支払う。思ったより安い。しかし、バスルームの変更についてはバスルーム担当のエンジニアから返事が来ていない。いくらかかるか見当がつかない。「他に変更はありませんか。」気がつくと3時間ほど経っている。エンジニアは疲れ果てた顔をしている。ぐったりしている。まあ、こんなもんでいいか。セールス・オフィスの前からタクシーに乗り、再びZちゃんの入院する病院に向った。
2005年05月30日
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いつもの休日と同じように、同居人のKとBTSでチットロムに向かっていた。Kに電話が入る。友人のDちゃんからで、共通の友人のZちゃんが入院したのだという。どうやら昨晩に倒れたらしい。急を要するような容態でもないらしいので、食事の後に見舞いに行ってみることにした。病院はスクムビット通り沿いで、エカマイ駅とパカノン駅の間にあるという。伊勢丹のマーケットで果物を買おうとしたのだが、見舞い用の籠に入ったようなものが無い。普通に売られているものも妙に高い。トンローのパクソイに何件かの果物屋があるのを思い出した。BTSで行ってみると、確かに籠入りもあるのだが、普通に売られているのに比べて、これがやたら高い。あきらめて、普通の量り売りの果物を200バーツ分も買った。結構な量になる。病室にはDちゃんと夫の日本人、そしてZちゃんのスポンサーの一人であるSさん(日本人)が来ていた。Zちゃんは点滴を受けているものの、元気そうではある。しばらく見ない間にずいぶんと痩せたようだ。あまり食事がのどを通らないらしい。いろいろと事情があって中国まで行ったりして、気苦労が絶えなかったのだろう。病室は個室で、一日いくらか知らないが、たぶんSさんが入れたのだろう。Zちゃんは病院食もほとんど食べなかったという。自分たちが買ってきた果物を美味しそうに食べた。個室なので専用のシャワー室やテレビはもちろん、冷蔵庫まである。Dちゃんが冷蔵庫から緑色の缶を差し出して、スペシャル・ドリンクだという。ご丁寧にプルトップまで開けてくれる。スプライトか何かだと思ったが、よく見るとハイネケンの大缶だったりする。彼女の夫やSさんも飲んでいる。まさか病室でビールを飲むことになるとは思わなかった。いくら何でもありのタイと言っても。そのうえ、お腹が空いたからといって、宅配のピザやフライドチキンまで注文している。ちゃんと病室まで配達にくるから驚く。そのうちにJちゃんも来て、ほとんど病室で宴会状態になる。いくら個室とはいえ、ここまでやっちゃあマズイのではないか。それも若い女性の部屋だし。病院のメーバーンが来てゴミを集めていくが、大量にあるハイネケンの空き缶を見て驚いている。病院に知れたら面倒なことになるような気がするのだが。でも今のところ無問題。続く…
2005年05月24日
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前の会社に勤めていたときは、アパートは会社契約だった。部屋代はもちろん、週に何度かの部屋掃除とランドリー(洗濯)も会社で支払ってくれた。もちろんアパートがそういうサービスをしていたから可能だったわけで、アパートを選ぶときに、それも条件の一つだった。週に3回、アパートのメイド・サービスが部屋に来て、部屋の掃除をして洗濯物を持って行く。ランドリーは次回に仕上がってくる。非常に便利だった。今のアパートは、本当はコンドミニアムで、50ユニットほどを一人のオーナーが所有し、賃貸にしているのだという。コンドーには共有部分の掃除などの雑用をするオバサンが数人いるが、部屋の掃除や洗濯のサービスは無いらしい。コンドー内で個人的にランドリーをやってる部屋があるというので試しに頼んでみたものの、あまりにも時間がかかって使い物にならない。自分はもとより同居人のKも仕事を持っているわけで、なかなか掃除洗濯の時間がとれない。特にアイロンがけは機械任せに出来ないだけに大変な仕事だ。このままでは生活が行き詰ってしまう。困っているところに、たまたま来たKの姉が雑用係のオバサンと何か話をしている。聞くと、ほとんどのオバサンは勤務時間が終わってから、個人的にいくつかの部屋の掃除洗濯など家政婦のアルバイトをしているらしい。ひとりだけアルバイトが無いオバサンがいて、最近越してきたKに話をしたかったらしいのだが、怖そうなのでためらっていたのだという。自分は日本人なので話を出来るはずも無く、そこに来たKの姉に申し出たのだという。姉は一ヶ月1500バーツで話をつけたらしい。オバサンは午後4時に仕事が終わるので、その後に2時間ほど掃除洗濯アイロンがけをする。それで1500バーツとは安いのだが、とりあえず土日は休みにした。それでもKは安すぎると考えていて、月に20日で2000バーツ払うという。一日100バーツというわけだ。かなり割りの良いアルバイトだろう。コンドーには内緒だというが、公然の秘密というやつだろう。勤務時間外だから別に気にすることも無いと思うが。ということで、家政婦さんが来た。掃除はいまいちだが洗濯やアイロンがけはバッチリでありがたい。これで妙なことをしたりしなければ、何の問題も無いのだが、さてどうなのか。
2005年05月16日
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新しい運転手のK君。まだ一ヶ月半の付き合いだが、何かと話題を提供してくれる。彼の運転は決して下手ではない。スクムビットのソイの抜け道なども良く知っている。そうスピードを出すわけでもないし、かといって遅いわけでもない。運転については大きな問題はない。主要な工業団地や顧客の場所も知っている。まあ悪くはないわけだ。しかし、彼は一ヶ月半のうちに、三回も遅刻した。ある日、コンドーの駐車場で待ってるはずの彼がいなくて、電話したら通勤に使っているモトサイが壊れたから自分で運転して出社してくれという。すぐに来いと言って来させて、30分遅れで出社した。まったく困ったものだ。二回目は雨の日。午前7時に彼から電話が来た。雨が降ってるから迎えに行くには九時でよいかという。会社の始業は午前八時で、それは雨が降っても変わらない。今来い、すぐ来いと言って、30分遅れで来た。結局、スクムビットの洪水のせいもあって会社には30分も遅刻した。出社すると、社長の運転手が渋滞ですか?と聞くので、運転手が30分遅刻したと行ったら顔色が変わった。三回目。何の連絡もなく来ない。電話すると、ちょっと待ってくださいという。20分待ったら来た。ポリスがどうのと言い訳をする。警察の検問ぐらいで20分もかかるわけないし、事故や何かなら簡単に終わるはずがない。そのうえ近道のつもりか、普段は通らないソイ62からスクムビット通りに出ようとするが、信号待ちで10分のロス、普段より余計に時間がかかってしまう。何をやってるのか判らない。祝日の前日。いつもはコンドーの駐車場に置く車を、バッテリーを換えるから持っていくという。気になったので、彼に気付かれないよう車のオドメータの数字をメモした。祝日の翌日の朝、ふたたびオドメータを見ると走行距離は390kmも増えていた。バッテリーを換えるのに、いったいどこまで行ったのか。バッテリーなど一時間もかからず交換できるわけで、わざわざ休日に車を持っていって換えるようなものではない。怪しすぎる。アパート代が払えないから2千バーツ貸してくれという。アパート代も払えないようなヤツに、だれが金を貸すか。タイ語がわからない、といって誤魔化した。すると翌日、彼は英語で2千バーツ貸してくれという。きっと一生懸命調べたのだろうが、そんな労力を使うなら、他人にアパート代を借りなくてもよいような生活が出来るように努力すべきだろうが、そんなことを理解してるはずは無い。もちろん金は貸していない。まともに返すとは思えない。そんなK君、自分の運転手としては風前の灯火なわけだ。タイの法律では、3ヶ月間の試用期間が終わったときに、仕事に適さないと評価されれば無条件で解雇できるらしい。とにかく3ヶ月は大人しく勤めれば良いものを。まあそんなことまで考えられるのなら、運転手なんかしていないのだろうが。
2005年05月14日
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月曜日、ふたたびラチャダ・ビセーク通りのワンストップ・サービスに向かった。少し早めに出たせいか、それとも月曜だからなのか、金曜ほどの利用者がいない。まずワーク・パミットのセクションに行き、罰金の納付書と今までのワーク・パミットを提出して返納届けを発行してもらった。次にビザのセクションに行く。ビザは勤務先が替わっても取り直す必要がないらしい。しかし、またまたLちゃんが困った顔をして自分のところに来る。どうしたのか。聞けば、ビザについても会社を辞めた時点で手続きをしなければならず、それを怠ったために、またペナルティがあるという。金額なんと8千バーツ。どうしてそんなに高いのか。なんと退職した翌日から今日まで40日間ものオーバーステイをしたことになり、一日200バーツのペナルティだということらしい。Lちゃんも自分も、また罰金を払うとは夢にも思っていなかった。それほど現金の持ち合わせがない。二人の財布からかき集めた。罰金を支払うのは、同じフロアの別のカウンターで、これは警察に行かなくともよいらしい。なにやら、いくつもの書類にサインをさせられる。何がなんだかわからない。そのうち、オフィスの奥のほうにある部屋に連れていかれる。係官のエラい人、チーフか誰かの個室らしい。そのへんのオバサンみたいな女性が、イミグレーションの制服を着て大きな机の前にえらそうに座っている。そういえば、イミグレーションの係官は女性が多いような気がする。そこでも何枚かの書類にサインをした。書類に不備があるらしく、Lちゃんは罰金支払いのカウンターと何度か往復している。ただでさえ面倒で効率の悪いお役所仕事、そのうえ40日間もオーバーステイした犯罪者であるから、手続きが複雑なのだろう。最後にチーフが自分のパスポートのビザ延長のスタンプにサインをし、自分も何かの書類にサインし、「フィニッシュ、サンキュー」と言われて個室を出た。本日から6ヶ月間の滞在許可を得た。次はワーク・パミット。パスポートの、貰ったばかりの滞在許可のページのコピーも含めて書類を提出する。罰金を合計9千バーツも支払ったからか、発行に何の問題もないらしい。その場で発行するらしいので待つ。ひたすら待つ。昼になっても待つ。昼食にも行かずに一時間ほど待って、受け取りのカウンターに向かった。写真の横にサイン。係官の女性が透明のシールを貼り、ワーク・パミットが完成した。それにしても粗末なつくりで、新品なのに古臭く見えるのは困ったものだ。
2005年05月10日
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勤務先が替わったので、ワークパミットを取り直さなければならない。申請のための書類がそろって、金曜日に受け取りにいくことになった。今度の会社はBOIの認可企業のため、ラチャダ・ビセーク通りにあるワンストップ・サービスで手続きを行うらしい。アドミニのLちゃんと一緒に自分の車で出かけた。エージェントは使わないらしい。ラチャダのワンストップ・サービスは、ポセイドンという玄関先に妙な飾りのある建物の、ソイ17をはさんで向かい側にあるビルの3階。連休の合間とあってか、外国人とエージェントらしき人々で溢れている。入り口に受付があり、整理番号をもらう。どうやら先にビザの申請をするらしい。妙に狭っ苦しいベンチに座って順番を待った。そのうちに昼になった。自分の前には、まだ何人かの申請者がいる。まだ一時間やそこらは順番が来ないだろう。Lちゃんと一緒にカーフーの八番ラーメンに入った。このへんはオフィス街らしく、昼食を求める人々でカーフーは大混雑、八番ラーメンもウエイティングがいるほど。自分達は運良く席があったが。ワンストップ・サービスと言っても、要するにイミグレーションと労働局が同じフロアにあって、サトーンとディンデェーンの両方に行かなくとも手続きが出来るというだけに過ぎない。午後になっても混雑は続く。自分の順番が来てLちゃんが係官の前に座る。何やら話しをしているが、どうも手続きに不備があるらしい。Lちゃんによると、前の会社のワークパミットを返さなくてはならないらしい。ワーク・パミットのセクションに行く。Lちゃんが係官と話す。自分のところに来て、何とペナルティがあるという。罰金?なんで?退職したら速やかにワーク・パミットを返却しなければならないという規則があるらしい。そういえば、そんなことがワーク・パミットの最後に英語で書いてあったような気がする。罰金は警察署で払うらしい。係官が作った納付用の書類を持って、近くにあるスティサン警察署に向った。考えてみれば、タイで警察のお世話になるのは初めてだ。なぜか廊下にワンストップサービスと書かれた案内がぶら下がっているが、何のワンストップか判らない。入ってすぐ右の部屋、私服の係官に書類を見せてサインを貰う。会計係らしい女性係官のデスクでLちゃんが1000バーツを払い、受け取りらしい書類にサインさせられた。お金を払うだけだから簡単なものだ。またワンストップ・サービスに戻る。係官に罰金の受け取り書を提出するが、とても混んでいるので当日中には手続きが出来ないらしい。ほとんど半日を費やしたのだが、手続きは全然出来なかった。それよりも、タイの法律に違反したために罰金を払った。とうとう犯罪者になってしまった。しかし、話はこれで終わらなかったりする…
2005年05月09日
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近頃、BTSなどでよくコンドミニアムの広告を見かける。あちこちで新しいコンドミニアムが建設されているのは、タイの経済が順調に発展している証拠なのだろうか。それにしても、以前の経済危機の遺物のような、作りかけのまま廃墟になったビルが目に付くのは変わりない。放置された廃墟と新しく建てられるビル。バンコクの混沌をあらわす象徴なのだろうか。アパートの近くのソイ・オンヌットでも新しいコンドミニアムが建てられている。BTSオンヌット駅から徒歩で10分ぐらいの距離、近くにモデルルームが併設されたセールス・オフィスがある。以前から自宅を持ちたいと言っていた同居人のKは、さっそく見学に行ってきたらしい。パンフレットを貰ってきた。ワンルームと1LDKがほとんどだが、2ベッドのユニットもある。2ベッドにしては65平米程度で、少し狭いような感じがしないでもないが、今のアパート(実は賃貸コンドミニアムだった)と同じようなものだ。必要充分というところか。値段は都心の物件に比べれば手ごろで、自分にもラクに手が届く。難はパンフレットを見る限り、バスルームが狭くてバスタブが置けないような感じがすること。配管のスペースが張り出している。ユニットによってレイアウトが微妙に違い、張り出しがないものもある。それだったら良いかもしれない。同居人のKを伴って、セールスオフィスに行ってみた。Kを見つけてセールスの女性がやってくる。どうやら担当らしい。まずモデルルームを見に行く。ワンルーム。1LDK。そして2LDK。ワンルームと1LDKの違いは、部屋の中間に仕切りがあるかどうからしい。つまり1LDKのリビングルームには窓がないことになる。日本では考えられないことだが、こういうレイアウトの部屋でも買う客がいるらしい。どうにも判らない。普通のタイ人向け物件と違って、ワンルームでも台所がある。かなり外国人を意識しているのだろう。2LDK。まあ特別に広くはないが、こんなものだろうと思う。日本ではこれより狭いマンションなどザラにある。全部の部屋が外側に向って窓がある。モデルルームだけあってきれいに作ってあるが、家具は含まれていないらしい。非常に気になるバスルーム。モデルルームではシャワーブースだけだが、もちろん自分はバスタブを置くことになる。タイ人のように水を浴びるだけで清潔だと思い込むほど、能天気ではない。パンフレットの部屋の平面図。セールスの女性に質問した。バスタブを置く場所。これの寸法はいくら?何メーターある?彼女はエンジニアがいないから判らないという。エンジニアも何も、部屋の正確な図面がないらしい。パンフレットの図面。60.5平米と書いてあるが、計算すると62平米ぐらいある。いい加減なものだ。商品知識のないセールスなど、タイでは珍しくも何ともないが、数百万バーツの商品を売るのに、客に詳細なデータも出せないとはあきれ果てる。それで買う客も客なのだが。エンジニアに聞いてくれと言ったのだが、今日は休みで翌週の金曜にならないと来ないのだという。客だっていろいろと質問があるのだろうが、それに応えられる体制になっていないとは信じられない。そんな細かいことを聞く客などいないのだろうか。タイ人的には銀行ローンのほうが気になるのかもしれないのだが。2ベッドルームのユニットでバスルームに配管スペースが張り出してないのはA棟のユニット、またはB棟とC棟の角部屋しかない。A棟のユニットは部屋の形が悪い。何を考えて設計してるのやら。C棟の角部屋はB棟に近すぎる。消去法でB棟の角部屋の2ベッドのユニットが最適だと思った。セールスが調べると、すでに予約が一杯で、18階の部屋しか残っていないらしい。じゃあ来週の金曜日にエンジニアと相談するから、この部屋を商談中にしてよ。他の客を止めてよ。ところがセールスの女性は、それは出来ないという。もうほとんどの部屋が売約済みになっている。2ベッドのユニットは、全部を外国人が買ったのだと言う。セールスオフィスにはファランの姿も多い。自分は2ベッドのユニット以外は買う気がない。よし、わかった。18階の角部屋、2ベッドルームのユニットを申し込もう。セールスにそう伝えた。書類はほとんどがタイ語で、自分には訳がわからない。申し込み金3万バーツ。Kのデビッドカードを使って支払った。一応は自分とKの共同購入ということになるらしい。ということで、衝動的にコンドミニアムを購入することになった。ローンの支払いは今の家賃より安いくらいだし、多少なりとも後に資産が残る。賃貸にしたり売却もできる。コンドミニアムの完成は一年後だという。さてどうなるか。日本とタイの両方に住宅ローンを抱えることになるわけだが…
2005年05月02日
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イースタンシーボード工業団地は、バンコクからそれほど遠くはないが、行くのにやたら時間がかかる。バンコクからは途中まで高速道路があり、その先も立派なバイパスが通っている。この高速が出来たばかりのとき、出張でシラチャまで行ったのだが、道路はすごく立派なのに車がろくに走っていなくて驚いたものだ。その時はドンムアンの空港から、リムジンタクシーで1時間半もかからなかった。それまでは2時間以上は間違いなかったから、ものすごく便利になったと思ったものだ。それが今では、シラチャまで2時間半もかかる。バンコク市内からでも2時間、イースタンシーボードも同じくらいだろう。時間のかかる原因は、交通量の増大なのは間違いない。高速道路はともかく、その後のチョンブリ・バイパスは慢性的に渋滞している。左側の車線はノロノロと走る大型トラックに占領される。ときどきノソノソと追い越し車線に出てくる身の程知らずなトラックがあると、その後ろが完全につかえて渋滞になる。トラックの速度が落ちる上り坂では特にひどい。タイの常で、渋滞になれば急な割り込みや路肩走行をする車が必ず出てくる。マナーも何もなく、ただ他人より少しでも早く先に行きたいという、人間のナチュラルな本能がタイ人ドライバーの行動を支配するのだろう。結果として交通事故が発生するのは必然なのかもしれない。事故が渋滞に拍車をかける。そして事故、渋滞。どこまで行ってもきりがない。イースタンシーボードに行くまでに、3件くらいの事故現場を目にするのは珍しくも何ともない。チョンブリ・バイパスを渋滞のためにノロノロと走っていた。イースタンシーボード工業団地にある顧客の工場に向っている。ときどき急に車の流れがよくなり、またノロノロにもどる。運転手のK君は、渋滞が始まるとハザードランプで後方の車に知らせるのだが、この極端に短い車間では、どれだけ効果があるのか。突然、車に衝撃があり驚いた。体が前方にずりおちる。シートに載せたバッグが下に落ちた。何事か。すぐに気がついた。追突されたらしい。後ろを振り返ると、車のトランク・リッドが変形して盛り上がり、直後にフロントグリルがある。中型のトラックか何かだろう。前方を見ると、追突されたはずみで前のピックアップトラックに当たったらしい。K君と後ろの車と前のピックアップの運転手が降りて、何事か話している。後ろの車の運転手が謝っている様子はない。どこに行くのか聞いているようだ。もちろん後方では渋滞が始まっている。それぞれの運転手が車に戻り、3台が走り出した。幸い、走行には支障がないようだ。どこに向うのか。話がついた様子はないのだが。運転手のK君が車を走らせた先は、なぜかシラチャのタイガー・ズーだった。イースタン・シーボードへの通り道ではある。他の2台も来た。どうやら、追突した車はタイガー・ズーの送迎車のようだ。20人乗りくらいのバス。中国語の案内板がついている。バンパーの下のほうがひしゃげている。前方にいたピックアップトラックは、後ろのバンパーが多少変形した程度らしい。自分の車が最もひどい。リア・バンパーが割れている。被害はトランクにまで及んでいる。リア・スポイラーも割れている。しかし車の前部もひどい。バンパーがひしゃげただけでなく、ボンネット・フードが持ち上がって浮き上がっている。相当な速度で追突されたようだ。どうやらここで保険屋が来るのを待つらしい。自分は関係ないし、顧客の工場に行かなければならない。同じ会社の日本人メンバーのOさんに電話した。彼とは同じ工場で落ち合うことになっていた。近くを走っているという。タイガー・ズーまで迎えに来て貰い、彼の車で工場に向った。首が寝違えたように少し痛い。
2005年04月27日
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バンナー地区はバンコク都の外れで、サムット・プラカーン県に隣接する。もともとは何もない場所だったらしいが、整備中のバンナートラッド通りには高架の高速道路が通り、周囲にニョキニョキと高層ビルが立っている。高層ビルの周囲はオフィス街の雰囲気だが、少し離れれば昔ながらの庶民の暮らしが見られる。このような高層ビルにオフィスがある会社に勤めるのは初めてだ。朝晩の出社退社はもとより、外出するのには必ずエレベータを使うことになる。常時4機のエレベータが動いている。タイでいつも思うのだが、タイのエレベータというのは、待っても待ってもなかなか来ない。速度が遅いように思うし、なにしろ運転プログラムというかモードと言うか、とてもいい加減ではないかと思う。何しろ出勤時などの利用者が多い時間帯は、5分以上も待たされるのも珍しくない。4機とも最上階で長時間止まっていたりするのは何なんだ。ちょうど昼の12時にオフィスを出た。顧客の工場に向うためだ。エレベータ・ホールには2~3人が待っている。エレベータはなかなか来ない。下行きのボタンが押されている。5分ほど待つ間に10人ほどに増えている。同じ会社のOLもいる。全員が下に向うのは間違いない。ところが、なぜか誰かが上行きのボタンを押した。下に行くのではないのか。なのに上行きのボタンを押すのはなぜか。理解できないタイ人の行動。チンという音とともに、一機のエレベータのドアが開いた。止まったエレベータの表示は上を指している。上行きのボタンを押したから止まったわけだ。なんと、そのエレベータに乗り込むタイ人がいる。同じ会社のOLも乗った。彼女は昼食に出るのだから、下に行かなければならないのは明らかだ。気がつくと自分以外の待っていた全員が上行きのエレベータに乗った。あれ?一瞬戸惑う。いや、自分は下に行くのだ。エントランスから外に出るのだから。上行きのエレベータのドアが閉まる瞬間、再びチンという音とともに向かい側のエレベータのドアが開いた。下行きのエレベータ。案の定混んでいて、やっと一人が乗れるだけのスペースがあったのは幸運だ。他の人たちはこれを待っていたのではないのか。上の階に行くと何があるのか。動きだしたエレベータ。すぐチンという音と共に、すぐ下の階で止まった。もう人が乗れるスペースは無いのだがドアが開く。誰もいない。だれかが呼び出しのボタンを押したから止まったはず。だれもいないのはなぜなんだ。ドアが閉まりまた動きだす。またチンと止まってドアが開く。だれもいない。それが地上階まで繰り返される。一体何なんだ。だれかがいたずらしてるのか。考えてみた。自分が待っていたときのように、だれかが上行きのボタンも押したのだろうか。先に上行きのエレベータが来て、待っていた全員が乗ったとしたら、誰もいないのに下行きのエレベータが止まったのも納得できるわけだが。それにしても、何でみんな上に行ってしまうのか。どうしても判らないのだが。
2005年04月25日
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無事に引越しが終わって部屋の片付けが済むと、不都合が判ってきた。家具付きのはずが、テレビはおろかテレビ台がない。買ったばかりの日本メーカー29インチフラットテレビは、床にじかに置かれているのだが、あまりにも貧乏くさい。テレビ台を買おう。同居人Kの姉の夫が運転するピックアップで、スクムビット通りをサムローンに向った。道路沿いに家具屋が多い。そのなかの一店の前に車を停めた。なぜその店を選んだかは良く判らない。多くの家具店では扉と言うものが存在しない。道路のどこからでも店に入れる。日本でよくあるところの、ビデオデッキなどを入れるキャビネット兼用のテレビ台を考えたのだが、そのような家具は存在しない。Kが、これが良いと言うのをみると、なんと幅1.5m高さ2mほどもある大きな飾り棚で、中央に29インチのテレビが置けるようになっている。暗い色調の木目で、何だか安っぽく見えるのだが、他の商品も同じようなもの、明るい木目のは、もっと安っぽい。タイの家具なんて、大抵はホームセンターで売られている組立家具レベルだから、こんなもので仕方がない。それにしても、まるで仏壇みたいのじゃなくて、シンプルにテレビが置ける台であれば良いと思うのだが、Kは譲らない。聞けば、上部の飾り棚は取り外せて、下のテレビ台だけで使えるのだと言う。それならそれでよいが、じゃあ取り外した飾り棚はどうするのか。アパートに置く場所などないと思うのだが、タイ人がそんなことまで考えているはずがない。まあいいや。買えば良いじゃん。三千九百バーツを支払った。見た目よりは安い。アパートの場所を説明して、あとから届けてもらうことにした。ソイ・オンヌットのカーフーで買い物しアパートに帰った。ちょうどテレビ台が届いた。部屋に運び込む。下の台の中央にテレビを載せ、二人がかりで上の飾り棚を載せる。広くない部屋が、ますます狭くなったような感じ。家具の高さを抑えれば広く感じられるものだが、タイ人はそんなことを考えないようだ。というより、そういう常識を知らないし、そう言っても通用しない。大きく派手なのが高級らしい。非常に判りやすい。テレビの下のキャビネットに、姉から借金のカタに譲り受けたCDコンポステレオを置くのだという。スピーカーはテレビ横の棚に入れるというアイデアだが、いかんせんガンダム風デザインの、いかにもタイ人が好みそうな、何か重要な部分を勘違いしているようなステレオだから、なんとキャビネットに後ろ半分しか入らない。初めからスピーカーを入れようと考えていたくせに、寸法を調べておくこともしなかったようだ。後ろ半分しか入っていないスピーカーは、極めて安定が悪い。何かの拍子に転がり落ちるのは必至、下に子供でもいれば大変なことになる。やめようよ。スピーカーは台の横に置けば良いじゃない。しかしKは譲らない。Kの意を受けた姉の夫が、どこからか発泡スチロールの切れっ端を持ってきた。カッターでギコギコ削って、キャビネットとスピーカーの間に挟む。それによりスピーカーを動かなくして落ちないようにしたわけだ。しかし、これには大きな欠点がある。仏壇のように大きな、暗い木目調のキャビネットから半分くらい飛び出したガンダム風デザインのスピーカー。白い発泡スチロール。どう見ても格好の良いものではない。安っぽくて取って付けたような違和感がある。しかしKは満足げだ。センスというのは人それぞれだろうが、どうしても自分には理解できないのだが…
2005年04月11日
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4月6日がタイの祭日だということを、すっかり忘れていた。会社が休みになる。とすれば、引越しもできるのではないか。アパート側の準備さえできればOKのはず。同居人のKにそう言うと、アパートに電話して聞いてみると言う。準備といっても部屋の掃除とか、そんなものだろう。引越しにはKの姉の夫が運転するピックアップをあてにしている。ソンクランの休み中はバスの運転手の仕事が忙しいというから、次の機会はソンクラン以降となる。どうせ引っ越すなら早いほうが良い。通勤に一時間近くかかるし、まして運転手の家はバンナーだというから、チャトゥチャックまで毎日通わせるのも気の毒だ。5日の夕方、Kに電話して聞いてみた。どうだった?「今、新しいアパートにいます。」じゃあ、もう引っ越していいんだね。聞けば、おもに衣服をすでに運んだのだと言う。衣服だけだから、まだ住むことはできないが。会社の帰り、運転手のK君に告げた。今日はチャトゥチャックに帰らない。スクムビットに行ってくれ。アパートに近づいたところで、指差してあのアパートだ、ここに住むのだと言うと、彼は一瞬、喜びの表情を浮かべた。そりゃそうだろう。バンナーからこのアパートは、モトサイなら15分もかからないだろう。それでもチャトゥチャックまでモトサイを取りに行くのが面倒らしい。部屋に行ってみると、Kがテレビを観ていた。部屋にテレビがなかったので、近くのテスコ・ロータスで1万4千バーツで買ってきたのだという。洗濯機も買ったらしい。一緒にチャトゥチャックのアパートに帰り、途中で食事することにした。BTSオンヌット駅近くのムー・ガタ屋。これからは歩いていける距離だ。夜遅くまでかかって、部屋の荷物をまとめた。翌朝、シャワーを使っているうちに姉夫婦が来た。全員で荷物を駐車場に運び、ピックアップに積み込む。高速道路を使えば新しいアパートはそう時間がかからない。セキュリティに手伝ってもらって部屋に荷物を運ぶ。元のアパートに戻り、残りの荷物を運び出す。全部の部屋を回り、引き出しやクローゼットもあけて忘れ物がないか確認する。1年3ヶ月ほど住んだ部屋。新しくはないが、明るくて広くて作りがよいアパートだ。新しいアパートは家賃が2/3だが広さも2/3、安普請というやつだ。オフィスに部屋のキーとキーカードを返した。もうこのアパートに来ることは、二度とないだろう、
2005年04月06日
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朝、起きると外は季節外れの雨が降っていた。新しい勤務先に初出勤の日。車と運転手は会社で引き渡されるから、今朝はバンナーにある会社まで、自力で出社しなければならない。新しいアパートは決まったものの、まだ引越しはしていない。BTSでオンヌットまで行き、そこでタクシーを拾うつもりでいた。しかし、この雨ではどうなるか。どうでもいいときは渋滞を引き起こすほどゾロゾロ走るが、雨が降るとピタリと空車が消えるのがバンコクのタクシー。うまく拾えるか不安になる。朝食を食べながら、暗い気持ちになった。初日からこれだもの。ついていない。同居人のK、アパートの前で拾えば良いという。そうは言ってもチャトゥチャックからバンナーまで行ってくれるタクシーなどいるのか。ましてや雨だし。Kは部屋を出て、すぐに戻ってきた。アパートの前でタクシーを捕まえて、駐車場で待たせてあるという。交渉してバンナーまで行くと言う。急いで支度して出かけた。Kも一緒に行き、会社の場所を運転手に説明している。午前6時半、出発。タクシーはディンデェーンから高速に乗り、スクムビット方面からバンナーに向う。ラマ4世通りを過ぎ分岐点に差し掛かると、思ったとおり渋滞が始まった。タクシーはノロノロと走る。急に運転手の態度がおかしくなった。落ち着きがなくなり、イライラしている様子。渋滞ぐらいでイライラしていては、バンコクで運転手など務まらないはず。貧乏ゆすりをしたり、急に何か訳のわからないことを口走ったり。しまった。この運転手、危ないオヤジだったようだ。やっぱりついていない。何事もなく会社に着けば良いが。ハラハラドキドキの初出勤。タクシーはなんとか渋滞の高速を抜け、バンナートラッドに入った。急に運転手が振り返りドキリとする。指を一本たてて、一分間という。何が一分か判らないが、怒らせると何をするかわからないから首を縦に振った。するとタクシーはガソリンスタンドに入っていく。スタンドの一番奥、タクシーを停めると運転手は雨の中を走っていく。彼の行く先はトイレ。さきほどの不自然な行動は、トイレを我慢していたからか。戻ってきた彼は、普通に落ち着いた様子だった。無事に会社のあるビルのエントランスに着いた。180バーツほどの料金、200バーツ払って降りる。運転手は「サンキュー」と英語で礼を言い、一枚のカードをくれた。無線タクシーのカード、電話番号が書いてあった。
2005年04月04日
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不動産屋も適当なアパートの情報がなく、これは困ったことになったと思った。タイ人向けのアパートならいくらでもあるのだが、キッチンとバスタブが付いていることはなく、それは自分の希望とは違う。かと言って月に数万バーツもするアパートには住めないし、その必要もない。そうすれば、選択の幅は非常に狭いようだ。またWebサイトで調べたアパートの見に行く。あまり期待しない。BTSオンヌット駅近くのアパートを見に行った。まだ建物は新しいのだが、典型的なタイ人向けアパートで、部屋を見るまでも無く諦めた。やれやれ、やっぱりダメか。そう思って帰る途中、大きな建物が目についた。これ、アパートじゃないか。試しに事務所に行ってみる。空き部屋があるという。ちょうど引っ越して行く人がいるらしい。部屋を見に行く。まだ引越しの最中だ。広くはない部屋だが2ベッドルーム、ちゃんとしたキッチンとバスタブもある。家賃も予算内だ。これ、良いじゃない?「本当ですか?」同居人のKが驚いたように言う。自分の考えた条件に入っている。相当古い建物だが、家賃からすれば仕方がない。それよりも、スーパーやBTSの駅まで歩いて5分とかからない。これは相当に便利な場所ではないのか。バンナーの会社までも、そう遠くない。建物の中心がプールで吹き抜けになっており、それを取り巻くように廊下がある。部屋の窓が外側にある。作りはどこかのリゾートホテルみたいだが、なにしろ古いし、それほど立派なものではない。事務所ですぐブッキング、とりあえず2万バーツを払った。偶然だけど、これで住むところが決まった。いつ引っ越すか。
2005年04月03日
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本格的にアパートを探し始めて二日目。同居人のKが不動産情報誌を見ながら電話をしている。なにやら話が決まったらしい。前日からアパートに泊まっていた姉夫婦と一緒に、姉の夫が運転するピックアップで出かけた。ディンデェーンから高速に乗り、バンナーでスクムビット側に降りる。ちょっと外れた場所に立派なコンドミニアムがある。中央が吹き抜けになっていて、なかなかカッコ良い。会社まで直線距離で5kmぐらいか。その部屋に行くと、不動産屋のオヤジと部屋のオーナー夫婦が待っていた。さっそく部屋を見せて貰う。2ベッドルーム、60平米くらいだろうか。新築のため非常にきれいだ。シャワーだけでバスタブがない。リビングルームの照明が点いてるのに気付いた。なんと窓が無い。リビングルームに窓が無い!だめだ。首を横に振る。オーナー夫婦が驚いたような顔をする。新築で家具つき賃貸料格安で、何でダメなのか。窓が無い。Kが通訳する。怪訝そうな顔をしている。この人たち、リビングに窓の無い部屋を買うくらいだから、訳がわからないらしい。オーナーはわざわざスティサン通りから来たのだと言う。「遠慮ないか。」Kが憤慨している。自分がダメだと言ったのが気に入らないらしい。オーナーがどこから来ようが、気に入らないものは借りない。金を払うのは自分で、納得できなければ払えないのは当然だ。オーナーは残念そうな顔で、それでもマイペンライという。よほど借り手がいないのか。不動産屋が他の物件も紹介するという。車に乗せてもらい、次の物件へ向う。スリナカリン通りのテパラック通りに近いところにカーフー(カルフール)があり、そこの近くだという。スリナカリン通りはいつものように混んでいる。不動産屋はバイテックのモーターショーのせいだという。テパラックに顧客の工場があり、この道はよく通る。いつも混んでいる。モーターショーのせいばかりではない。車はカーフーの先の小道を入っていく。しだいに人家が無くなり林のなかを通る。林が開けると急に何棟かのビルがあらわれた。非常に規模の大きいコンドミニアムだ。そのなかの一部屋に案内される。部屋は狭い2ベッドルーム。家具つきで先ほどのコンドミニアムより賃貸料はもっと安い。しかし、こんな林の中で周辺に何もない場所、住めない。カーフーの近くが聞いて呆れる。スーパーが『近い』といえるのは徒歩10分程度までだ。歩ける距離ではないし、こんな周りに何もなく行き止まりの道はタクシーも通らない。不便極まりない。部屋のオーナーのおばちゃんはタクシーは電話で呼べる、英語でも大丈夫だという。スーパーに買い物に行くのに、わざわざ電話でタクシーを呼ばなければならないようなのを便利とは言わないのだが。答えを渋ってるとKが「どうする!」と問い詰める。他に絶対にアパートが無いのであれば仕方なく借りるかもしれないが、普通に考えればダメだ。「遠慮ないか。」義理や人情で住む場所を決める気はない。いくら言っても判らないらしい。後で返事するのはダメなのか。ここですぐ決めなければならないのか。他の物件も見て、一番気に入ったのを選ぶのではないのか。部屋を見たら必ず即決で借りなければならないのか。そういうのがタイでは普通なのか。また不動産屋の車で出かけた。スリナカリン通りのシーコンスクエアの近くに新築のタウンハウスがあるという。昼食がまだだ。シーコンスクエアの日本料理屋『箱根』で不動産屋と一緒に昼食にした。このオヤジ、日本料理を食べたこともないくせに、日本料理がいいというから身の程しらずだ。そのうえビールまで飲んでいる。仕事中じゃないのか。それに客に勘定持たせるし。困ったものだ。シーコンスクエアを出て、また車は走り出す。次の物件はここから近いはずだが、20分走っても着かない。何が『近い』だよ。いい加減なものだ。タイ人の主観ほどあてにならないものはない。結局30分ほどで目的の物件に着いた。タウンハウスが何棟もある団地のようだ。通路が広い。一軒のまえで止まった。簡単な門があり、内側に駐車スペースがある。For Rentの文字が見える。タウンハウスというのは、簡単に言えば長屋形式の家だ。両側が隣の家とつながっている。タイでは非常に一般的だ。中に入った。間口は広くないが縦に長い。階段が上のほうに続いている。三階建て3ベッドルーム。吹き抜けがあり天井が高くて広々している。タウンハウスというのは日当たりが悪いとか風通しが悪いとか言われるが、この家に限っては違う。壁一面が窓ともいえるほど窓が大きいため、明るく、風が吹き抜ける。まだ家具は何もないが、借りるなら用意するという。場所はスリナカリン沿いでまあまあ。借りる気は充分にある。しかし賃貸料を聞いて諦めた。いくら何でも高すぎる…
2005年04月02日
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新しい仕事は決まったのだが、とにかくアパートを替わらなければならない。会社のあるバンナーは今のアパートからあまりにも遠い。会社の準備の都合で出社が月曜日からになったため金曜日も休みで、さっそくアパート探しにあてることにした。幸い、同居人Kの姉と姉の夫がバンコクに来ている。姉の夫が運転するピックアップを使うことができる。バンコクの不動産会社のサイトでアパートを調べた。スクムビット東側のパカノンやオンヌット、ウドムスックやバンナーあたりが対象になる。適当な広さの2ベッドルームで賃貸料が予算に合う物件。何ヶ所かピックアップし名前と所在地と電話番号をメモする。スクムビット通りを、ソイの番号を探して行ったり来たり。どうにか場所を見つけて部屋を見せて貰うが、3ベッドの広大な部屋しか空いてないとか、3ベッドでも良いが賃貸料も高いのは当然だ。それどころか、すでにアパートが無くなって更地になっていたりもしてガッカリする。Kはブックスタンドで不動産情報誌を買い込んでいる。膨大な量の情報があるが、自分たちが必要とする情報は少ない。要するに需要も供給も少ない物件を探しているということなのだろう。それでもKは、いくつかのページをマーキングしている。明日はそれを探そう。まあ休みは三日もあるんだし、そのうちに何とかなるだろ。これは後で考えが甘いと思い知らされることになるとは、そのときは少しも思っていなかった…
2005年04月01日
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今の会社で働く最後の日。仕事の資料は、まとめて引き継いだ。顧客に送る予定の図面もメールで送信した。机の引き出しに残っていた私物を、持ってきたバッグに詰め込んだ。パソコンに個人的にインストールしていたソフトも削除した。もう他に何もすることはない。時計が午後5時を指した。会社支給品の携帯電話と身分証、名刺をもって社長の部屋に行った。社長は社におらず、机の上にそれを置いた。W氏に簡単に挨拶した。席に戻ってバッグを持ち、入り口ドアに向う。設計のメンバーがこちらを気にして見る。みんな自分が辞めることを知っている。今まで一緒に仕事をしてきた部下だ。チョークディーナクラップ。みんな元気でね。会社を後にした。ボルボはアパートに着いた。この車に乗るのも今日が最後。運転手のB君に会うこともないだろう。最低最悪の運転手だったが、無事故無違反だったのは感謝しなければならない。
2005年03月31日
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無性に肉が食べたくなった。よくあるムー・ガタ(タイ式コリア風焼肉)ではなく焼いた牛肉、つまり焼肉が食べたい。スクムビットへ行けば、韓国式焼肉店がたくさんあるのは知っているが、月末なのであまりお金に余裕がない。比較的安く焼肉が食べられる、チェーン店の大○門にいくことにした。実は同居人のK、タイ人の多くがそうであるように、ほとんど牛肉を食べなかったのだが、ある日大○門で脂身がコッテリの焼肉を食べてから、その美味しさに気付いた。焼肉は好物になった。初めてKと行ったのは、セントラル・ワールドプラザにある大○門、タイの物価に合わせた値段の割りには肉が美味しくて、タイ人は食わず嫌いなのだろうと思っていた。考えてみるとセントラル・ワールドプラザまで行かなくても、アヌ・サワリのセンターワンにも大○門がある。はるかに手近だ。タクシーで出かけた。二人ならBTSより安い。それにしても客が少ない。別に気にするものではない。焼肉としゃぶのセットを注文した。これはムー・ガタの牛肉版みたいなものだ。あまり美味しくない。肉にかけてあるタレが塩辛すぎるような感じ。もちろん物足りないから、別に牛肉を注文した。タイ・ビーフのヒレとロース。USビーフや他の種類もメニューにはあるのだが、品切れなのだという。そりゃああんまりだとは思ったけれど、だれも注文しないような肉をストックするのも大変なのだろう。出された肉をみて嫌な予感がした。脂身がほとんどない。ヒレもロースも、まるで同じ肉のようにみえる。多少硬いながらも脂身が適度にあった以前の肉とは比べ物にならない。それでも焼いてみた。予想通り、火を通すとパサパサになる。みるみる硬くなる。適当に焼けたところで食べてみた。歯が立たない。こんな硬い肉を食べたのは久しぶりだ。何切れか食べたところで諦めた。たとえ一皿40バーツの肉とはいえ、いくらなんでも硬すぎる。Kが肉を食べ始めた。硬いけれど、歯が丈夫だから大丈夫だと言って食べる。そんな肉、全然美味しくないだろ。それでもKは食べる。止めなよ。「大丈夫。食べる。」だめだよ。そんな肉は食べちゃいけないんだよ。彼女が硬い肉を食べるのをみて、悲しくなった。以前から多少は良い印象を持っていた大○門だが、完全に愛想が尽きた。タクシーに乗って考えた。硬くて歯が立たないような焼肉しか食べに行けない。それでもKは食べられるという。それを止めさせる自分。果たして、こんな生活が幸せなのだろうか。期待を裏切られるのには慣れたはずだが、それにしても。
2005年03月30日
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バンナーの会社の社長に電話した。水曜日の午後4時に会うことになった。バンコクの中心部からバンナーへ向かう高速道路、なんとラマ四世通りのあたりから渋滞している。言うまでもなくバンナー交差点周辺の工事の影響だ。渋滞は予想していたが、どれだけ時間がかかるか見当がつかない。だから時間の読めるアウターリングで来れば良いのだが、頭を使うことを知らない運転手は困る。仕方なく遅れると電話した。結局、約束より15分遅れで到着した。この会社のオフィスを訪れるのは、たしか三度目だ。高層オフィスビルの何階だったか覚えていない。エレベータ横のディレクトリィで社名を探す。人気のないフロア。オフィスのエントランスドアは開いているが、受付にだれもいない。社員15人ぐらいの会社のはずだが、ホールが妙にだだっ広い。奥から女性が出てきた。見覚えがない顔。むこうも自分を知らないようだ。名前と社長に会いたい旨告げる。ミーティングルームに通される。すぐに今度は応接室で待つように言われる。VIPルームなのだという。しばらく待つと社長が現れた。現場では普通のオッサンだが、さすがにオフィスでは社長らしく見える。もう一人の日本人社員を紹介される。何度か顔を合わせたことはある。社長が、なぜ自分が必要なのか説明を始める。ユーザーとメーカーをコーディネートするだけでなく技術力を持ちたい、そのためにエンジニアリング部門を新設する予定だったとのこと。自分の退職は絶妙のタイミングだったらしい。ゆくゆくは自社で設計を出来るようにしたいし、工場を持つという希望もあるのだという。その中心になって欲しいという。とすれば、自分の役割は非常に重要なものになる。社長は忙しいらしく、すぐに待遇の話になる。「今のサラリーはいくらぐらいですか?」手取りで○○万バーツです。「じゃあ、それを保証しましょう。もちろん車と運転手を付けます。」今の会社と同程度の待遇だ。しかし今は会社が適当に節税している。手取りを保証してまともに所得税を払うと、会社としての支出は相当な金額になる。本当に良いんですか。つい聞いてしまう。「あなたが来てくれれば、それ以上のメリットはあります。そう判断してのことです。」経営者として当然のことだが、それだけ期待されているのだろう。「で、いつから来ます?強引ですよねぇ。」自分としては驚くしかない。とりあえず一晩考えさせてください。明日、ご返事します。そう言ってオフィスを辞した。通勤には全く障害がない。バンナーは渋滞がなければ市内から30分程度の距離だ。今までと同じように車が迎えにくる。サラリーも問題ない。仕事については、ずっと一緒に仕事してきた社長が来いというのだから、自分に出来るという判断なのだろう。翌日の昼頃、社長からの電話。「もう決めたでしょ?OKでしょ?」断る理由は何もない。お世話になります。働かせてください。そう答えた。「じゃあ、すぐに準備を始めますね。」お願いします。あとはチョンブリの会社になんと言って断るか。
2005年03月28日
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取引先のA社長が打ち合わせに訪れた。顧客とメーカーをコーディネートしている会社だ。この社長とは、今の会社に入社してからすぐの付き合いで、ずっと一緒に仕事をしていた。多いときは毎日のように電話やメールで連絡をとり、月に何度も顔を合わせる。たぶん、いや間違いなく、タイに来てから仕事で一番世話になった人だろう。会えるのは今日が最後、打ち合わせの前に退社の挨拶をした。本来ならこちらから出向くところではある。唐突な話に、A社長は驚いた様子だった。「この後はどうするんですか?日本に帰る?」日本に帰っても仕事はないので、出来ればこちらで仕事をしたいです。「勤め先は決まったんですか?」まあ誘いはありますけど…条件が良くないので返事してません。A社長は少し考えて、「じゃあ、ウチに来てください。サラリーはどのくらい貰ってますか?」手取りで××万ぐらいです。「そう。じゃあ来週にでもバンナーのオフィスに来てください。話をしましょう。」次は自分が驚く番だった。コーディネートをしているくらいで顔の広い人だから、同業社の情報のひとつやふたつは知ってるかもしれないとは思っていた。しかし、まさかその会社に誘われるとは。社長やエンジニアが来て打ち合わせが始まったが、話を聞いても上の空、もう自分が担当するはずのない仕事だ。あの会社で自分は何を求められるのか。何の仕事が出来るのか。自分のスキルについてA社長は良く知ってるはず、それで誘うのだから自分にも出来る仕事なのだろう。もちろん待遇も気になる。「来週はずっと社にいますから、都合のいいときに連絡をください。」そう言い残してA社長は帰って行った。チョンブリの会社へは、そろそろ返事しなければならない。ここで悩んでいても仕方がない。なるべく早く会いに行こうと思った。
2005年03月24日
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とりあえず働けそうな会社のめどはついた。しかし、通勤の問題があって気が進まない。覚悟はしていたものの、サラリーも決して十分でない。必要最小限というところだ。考える時間はあまりない。そんなところに、二社目に登録した人材紹介会社からメールが届いた。履歴書と職歴書を送れという。時間がなくて長くは待てない。今すぐ紹介できる求人情報があれば、すぐにでも紹介してほしい。そうコメントを添えた。すぐに担当者から電話。このへんのレスポンスは悪くない。こちらの事情を説明した。すぐに紹介先を調べるという。夕方にまた電話。担当者が職種を勘違いして紹介した会社が、経歴書をみて興味をもったらしい。すぐにでも会いたい、待遇はどうにでも出来ると言ってるらしい。会社名を聞いて驚いた。今の会社と競合関係にある、日系の会社だった。どうするか考えた。この会社についての良くない評判を、複数の顧客から聞いたことがある。それに、自分の意に反しての解雇とはいえ、いきなり競合会社へ入るのも気が引ける。辞退した。人材紹介会社は、次々と紹介の話を連絡してくる。取引のある企業に片っ端から紹介しているらしい。実際に求人していなくても、興味を引かれる場合があるらしい。キャリアがあるのだから、それに見合った待遇を出来る企業を探しているのだという。しかし、勤務地がバンコクから遠かったり業務内容が違っていたり、なかなかうまく行かない。次は大手企業のS社に紹介するとのこと、それでダメならチョンブリの会社に行くしかない。時間切れが迫る。
2005年03月23日
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メールで求職を打診した会社の社長から返信がきた。今でも日本人ほしい、あまり良い待遇はだせないが、とにかく話し合ってみましょうという。ということは、二年以上も求人して、だれも来なかったということか。どのくらいの待遇を考えているのか。日本に送金する都合上、ある一定以上のサラリーでなければ勤められない。とりあえず、社長に電話してアポを取った。勤務内の訪問だがだれも咎めるはずもない。その会社はチョンブリにある工場で、日本人は社長ひとりだけ、営業から何から一人でこなしているらしい。そう大きい会社ではない。挨拶をして早速交渉を始める。サラリーは自分が考えていた必要最小限のレベルだ。実際、社長ひとりでやるには限度があり、どうしても助けがほしいとのこと。自分が入れば技術的な部分は自分ができるから社長は営業に専念でき、また、仕事の幅も広がるだろうという。小さい会社だからひとりひとりの守備範囲は広く、それはそれで興味深い。今の会社だって同じようなものだ。仕事の内容に不満はない。しかし、ここはチョンブリだ。バンコク市内から車で一時間もかかる。どうやって通うのか。すると、会社の車を通勤用として貸与するという。ただし自分で運転しなければならない。会社に運転手はいない。社長のポリシーとして、運転専門の社員は置かないのだという。実際、社長も自分で運転する。万が一の場合はどうするんですか?「会社の事務員に電話すれば、何とかしてくれるよ。」そんなものなのかなあ。社長は会社から30分ぐらいのところに住んでいるらしい。もちろんバンコクではなく、周囲には何もないらしい。自分なら耐えられそうにない。仕事するためだけに生活する気にはならない。社長は長く働いてほしいという。自分もそれは望むところだ。しかし待遇は別にしても、通勤に問題がある。往復二時間の運転、自分で出来るかどうか。日本なら問題ないが、ここはタイだ。出勤・退勤時に交通事故を見かけない日のほうが珍しいくらいだし、事故見物の渋滞で事故が起きるようなモラルの国だ。さてどうするか。
2005年03月22日
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転職しようと考えたものの、さて具体的にどうすればいいのか判らない。今まで求職というのをしたことがない。ましてや外国でのことだ。とりあえず日系の人材紹介会社に登録することにした。オンラインで簡単にできる。しばらくしてから担当者から電話が来た。履歴書と職務経歴書を和文と英文で送れという。履歴書はともかく、職務経歴書など書くのは初めてだ。ましてや英文、どう書けばよいのか見当もつかない。ネットで調べて解説してるサイトを見つけた。半日かかった。メールで送った。人材紹介会社からは受け取った旨の電話があったきり、何も音沙汰がない。住んでいるアパートも会社契約だから、来月の初めには出なければならないが、次の勤務先が決まらないと住むところも決められない。自分だけならまだしも、サトーンのオフィスに通勤している、同居人のKのことも考えなければならない。時間だけが過ぎていく。解雇されるのに、仕事が相変わらず忙しいのは何故だ。思い出した。日本にいたときの会社と付き合いのある日系の会社。タイに来たときに挨拶に行ったら、その会社の社長も日本人の技術者が欲しいと言っていた。もう二年以上も連絡していない。今でもそうだろうか。思いついてメールを送ってみた。辞めることになったので、もしまだ求人していて、自分が役に立てそうなら連絡してください。ついでに別の人材派遣会社にも登録した。タイに工場がある企業の求人サイトにも登録した。どこからも、何も連絡がない。相手にされてないのか。
2005年03月21日
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日記もろくに書けないほど忙しい日々が続いていた。顧客からも社内でも、いろんな仕事を頼まれ、毎日が時間との競争のようだ。昼休みもパンをかじりながらパソコンに向かっていた。そういうときに限って、いつも訳のわからないことを言う顧客から訳の判らない電話が入る。プレス機の油圧回路について教えてろという電話、これで何回目なのか。いくら説明しても話がループしてきりがない。一時間も説明して、まだ判らないという。夕方になってグッタリしていたら、珍しく社長が席に来た。ある顧客に提出すべき見積書が、ひとつ出ていないようだという。それは社長が出すはずだったのでは…まあ良いが。ミーティングルームで打ち合わせるというので、社長に続いた。打ち合わせるようなことではない。資料のとおりに見積書をつくればいいだけの話だ。ミーティングルームに入ると、社長が切り出した。「日本の株主から、ふたり派遣されます。」見積りの話ではない。日本の株主?聞いたことがない。「そのうちの一人は、あなたのポジションです。」ということは、自分のポジションが無くなる、つまり会社を辞めるということですか?「そうです。」「ごめなさい。考えました。悩みました。でも、これが結論です。」そういえば、社長は最近日本に行ったりして出社しないことが多かった。どこか日本の会社と提携する話を進めていたのだろう。そうであれば、こういう結論になるのは明らかだ。多額の投資をするなら人も出すのが普通だろう。自分のポジションというのは結構重要だったりする。わかりました。そう答えた。いまさら何を言っても無駄に違いない。感情的にモノを言っても、お互いに何も得るものがない。不思議と何の感情も沸かない。社長は退職金と帰国の費用を出すという。タイの習慣では、退職金は三か月分だ。どうでも良いように思えた。それで、いつまで働けばいいのですか。「今月末か来月初めまでです。遅くてもソンクランの前です。」明日から来なくていいと言われると思っていたのだが、最長でまだ一ヶ月もあるのか。仕事の引継ぎは?「28日に新しいエンジニアが来ますから、引き継いでください。」席に戻って仕事を続けた。我に返った。解雇されたのだ。仕事などしている場合ではない。これから先、どうするのか考えなくてはならない。アパートに帰る車の中で考えた。日本に帰るか。帰っても仕事はなく、探さなくてはならない。タイに来てまだ三年にもならない。せっかく決心して来たのだから、もう少し頑張ってみよう。こちらで仕事を探してみよう。日本に帰るのは最後の手段だ。
2005年03月18日
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急に転職することになった。すぐにでもアパートを探さなければ…
2005年03月16日
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同居人のKが、金の計算をしている。1万バーツ単位の非常に大雑把な計算、いくら貯金に余裕があるのか考えているようだ。どうした、何か買うのか。「田舎の土地買います。」えーっ、また買うのかぁ!ちょうど一年前にも、田舎の実家に近い土地を4ライほど買った。1ライは1600平米だから4ライで6400平米ほどになる。実家の家族が食べる分くらいの米は取れるはず。なのにまた買うのか。同じ村で、金に困って土地を売ろうという人がいるらしい。銀行から15万バーツを借りたのだが返済が滞って、担保の土地を取られそうなのだという。その土地は全部で12ライあり、そのうちの7ライを14.5万バーツで売るのだという。その話を聞きつけたKの母親が彼女に相談し、どうやら買うことにしたらしい。村の大きな道路に面した土地だという。銀行に全部取られるくらいなら、7ライを売却した代金で返済できれば、5ライ残るからマシなのだという。それはそうだ。しかし、その土地は銀行の抵当に入ってるわけだから、代金を払っても持ち主が銀行に借金を返済しないかぎり、名義を替えられないことになる。持ち主が14.5万バーツを持って逃げてしまうとか、最悪のケースも考えられる。金を払っても土地は銀行のものというわけだ。なにせタイの田舎のことだから、何があっても不思議ではない。それにしても、またそんなに土地を買ってどうするのか。合計11ライ、なんと17600平米・5300坪強という広大な土地。しかし、イサーンの土地では農業ぐらいにしか使いようが無いのではないか。Kに聞いてみた。すると彼女は、やっぱり農業に使うのだと答える。彼女の姉の夫や兄、姉の大きな息子などに農作業をさせ、収穫の一部を彼女が受け取るのだという。それって、すっかり『地主様』ではないか。それも彼女の兄弟などの身内を使って、バンコクにいながらにして彼女に小作料が入る仕組みになる。資金の一部というか半分以上は自分の金だったりするのだが、なにしろ外国人は土地の所有が制限されている国だから、名義は完全に彼女のものだ。その土地を使って利益を上げるとは、うまいことを考えたものだ。その土地でどれだけの収入があるのか判らないが、バンコクでヒイヒイ言いながら働くのが馬鹿馬鹿しくなってしまうような話ではある。
2005年03月01日
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昼食のため、セントラル・ワールド・プラザ一階のタイレストランに入った。奥のほうに子供連れの団体様がいるので、エントランス近くに席をとった。仏教上の祭日のためビールは飲めない。とりあえず水を頼んで汗を拭いた。同居人のKはメニューをめくっている。突然、外に向いているエントランスの、両開きのガラスドアが開いた。荷物を満載した荷車が入ってくる。自分の席の後ろを通ろうとするが通れないようで、押している兄ちゃんがコート―カップというので椅子を引く。そのまま奥の方に行ってしまい、ドアは開けられたまま、表の熱風が店内に吹き込んでくる。冷房も何もあったものではない。近くでボーッとしているウエイトレスにドアを閉めろと言った。なぜか片側しか閉めない。そっちも閉めろよ。やっと閉めた。すると、さっきの荷車が出て行く。またドアが開けられる。開けっ放し。熱風。ウエイトレスが半分だけ閉める。全部閉めろ!これが三回繰り返された。いやなら奥の席に移れという。奥では子供が放し飼いにされていて、とても食事を楽しめる雰囲気ではない。レストランばらば勝手口ぐらい作っておくものだ。それがないなら搬入など開店前にでもやるのが普通だろう。客の多い昼食時、店内に荷車を入れるなどとは、頭がどうかしてるのではないか。ドアを開けっ放しにするなら、表の屋台と何も変りがないではないか。出された水を飲み、代金19バーツを支払って店を出た。サービスという概念のないタイでは仕方のないことだが、いくら何でもひどすぎる。都心の一等地のレストランでさえこれだ。諦めて地下のMKレストランに入った。ここは別天地だ。何もかもがテキパキしていて、見ていて気持ちが良い。食事のあと6階に行く。メージャー・シネプレックス。上映の案内板を見ると、15分後に『Constantine』という映画が始まるらしい。どんな映画か知らない。Kに聞いたら、キアヌ・リーブス主演のお化け映画だという。キアヌ・リーブスがホラーというのも妙だが、Kが観たいという。チケット窓口の列に並んだ。窓口ではPC画面を見ながら好きな座席を指定できる。もちろん全席指定だ。上映時間が迫っているためか、あいにく前方と最後列しか空いていない。じゃあ後ろの真中にしよう。最後列はVIP席だそうだ。二人分で500バーツ払った。普通席の二倍以上の料金だ。2番のホール。中央のVIP席。要するに二人掛けのソファだ。背もたれが高く、横にも回り込んでいるから、隣りの席は見えない。サイズが大きいし、前方も広々している。完全に足を伸ばすこともできる。横にだってなれる。枕と毛布も貸してくれる。最も有難いのは、隣りの席のタイ人と肘掛の奪い合いをしなくて済むことだ。特に高い位置にあるため、前席の頭がじゃまになることもないし、自分の頭が後ろをじゃまする心配もない。例によって英語版でタイ語字幕、会話が全然理解できないのだが、それでもSFXは楽しめた。もちろんホラー映画ではなく、オカルトというかSFというか。キリスト教の世界観なのだろうか。VIP席は非常にリラックスできる。料金は高いけれど、それだけの価値はあると思った。
2005年02月24日
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食事を終わってBTSに乗り、チットロム駅で降りた。セントラル・ワールド・プラザに向かう。内部は冷房が効いていてホッとする。なぜか急に、喉に痛みを感じた。だんだんと痛みは広がり、顎の下からずっと鳩尾まで。自然と歩くのが遅くなる。先を行く同居人のKとの距離が広がる。彼女は自分が近くにいないのに気付いた。「何してる。速く!」そう言われても速く歩けないし、返事も出来ない。喉を抑えている様子を見て、さすがに異変に気付いたようだ。「どうした。痛いか。」うんうんとうなずく。ちょっと座りたい。何とか言えた。しかし彼女は、「よし、病院に行く。」と言って再びスタスタと歩き出した。だから座りたいんだって…聞いていない。そのまま外にでて、タクシー乗り場に向かう。「速く!」速く歩けないってば。炎天下、タクシーにすぐ乗れたのはラッキーだ。彼女が行き先を告げる。サパンクワイのBigCの隣りにある大きな私立病院。結構距離があるわけだが、気にしないようだ。アパートから一番近い病院でもある。冷房の効いたタクシーに乗っているうちに、だいぶ痛みは無くなっていた。病院に着いたときには、ほとんど感じなかった。もういいよ。「だめ。チェックするは良い。」そんなこと言ったって、言葉が満足に通じないんだから、症状を理解してもらえるとは思えないんだが。彼女はまったく気にかけず、病院のレジスターカウンターで診察券を作ってもらった。内科の診察受付へ行く。看護婦さんに呼ばれ、体重、血圧と脈、体温を測られる。熱があると言われる。名前を呼ばれてKも一緒に診察室に入る。かなり年配の医師だ。症状を彼女が説明するが、まあ簡単に喉から胃まで痛いことしか判らないだろう。毎晩ビールを飲むのからだとか、余計なことを言う。医師は取り合わない。ベッドに寝かされる。喉の奥を調べる。もう痛くないから、見ても判らないのではないか。胸と胃のあたりに聴診器を当てられる。胃にガスが溜まってるという。何だかよく判らない。診察は簡単に終わった。こんなので判るのだろうか。判らないだろうなあ。キャッシャで料金を支払う。およそ1,000バーツほどだ。簡単な診察を受けただけ、『高級』な病院なのは知っていたが、やはり高い。明細を見ると、薬代が700バーツにもなっていて驚いた。パーマシーで薬を受け取る。スーパーの買い物袋みたいだ。やけに量が多い。これじゃあまるで、病院というより薬屋みたいなものではないか。アパートに帰って、貰った薬をインターネットで調べてみた。胃痙攣の薬や十二指腸潰瘍の薬、制酸剤のようだ。日本の薬のデータベースに無い薬もあり、きっと日本では認可されてないのだろう。そういえばタイで医者に掛かったのは初めてだった。
2005年02月21日
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会社の自分の席の横には、長さ2mほどのテーブルが置いてある。エンジニアのメンバーと図面を広げて打ち合わせするために置いてもらった。しかし気がつくと、テーブルの下には資料のファイルやサンプルなどが山になっていた。設計室も人が増えてきて窮屈になった。他に置き場所が無い。すでに不要になったサンプルも多いし、そろそろ片付けなければならないのは判っていたが、誰も手を出さない。エンジニアのC君が来て、そのテーブルを運びたいけど良いかという。どうしてなのか尋ねると、翌日から新しいメンバーが来るので、そこに机を置きたいのだとのこと。新しいメンバーって、エンジニアなの?「いえ、Translatorです。」えぇ?トランスレーター?変換器、じゃなくて通訳かぁ?自分が首をかしげてると、英語が適切でないと思ったのか、他のメンバーが辞書を引いて「彼女はInterpreterです。」と教えてくれる。いや、それは判るんだけど、なんで通訳が来るんだ?みんな知ってるのに自分だけ知らなかった。例によって誰からも何も聞いていない。それに彼女って…女性なのか…翌日、ファクトリーマネージャのJ氏が、ひとりの女性を連れて来た。ああ、この人がトランスレーターなのか。彼女の顔をみて驚いた。なんと、しばらく前、社長に頼まれて日本語でインタビューした女性ではないか!採用されたんだぁ…それも、自分のすぐ隣りの席じゃないか…いくらなんでも、トランスレーターでもインタープリタでもいいけど、勤まるとは思えないんだが。それでも彼女は自分が思っていたよりは日本語がわかるらしい。ひらがなカタカナと、漢字も少しは知っているらしい。そんな彼女に、いったい何の仕事をさせるのかと思えば、日本製の機械のマニュアル(取り扱い説明書)を翻訳させている。電子辞書二台と辞書三冊を駆使して翻訳するらしい。一般に機械のマニュアルというものは、それなりの知識が無いと読んでもチンプンカンプンだし、ましてや外国語であればなおさらだ。彼女の日本語力を知っている自分の脳裏には『無謀』という言葉がうかんだ。やらせるほうもどうかしてるが、引き受けるほうも身の程知らずだ。隣りの机、チラチラと彼女の仕事ぶりを見ていると、とりあえずカタカナを英語に直している。技術の用語は英語そのままが多いから、カタカナが読めれば英語にするのは簡単なのだろう。しかし、漢字はまったくのお手上げのようだ。たぶん日本人でも意味がわからない言葉が多いだろう。これではまるで、小学生に難しい哲学書を読ませるようなものだ。それにしても、漢字を読めないとなると、次はどうするのか.…嫌な予感が…予感は的中した。予感というより必然なのだろう。「この漢字は何ですか?」ひらがなで読みを書く。「ありがとうございます。」ほっと胸をなでおろす。それが何度か繰り返されたあと、本当に恐れていたことが現実となった。彼女が椅子を自分の机のほうに引き寄せ、マニュアルのファイルを差し出す。「全然わかりません。」わからないって、あなた、そう言われても…How to do? 「意味を書いてください。」タイ語は無理だから英語に訳すことになった。横で彼女が真剣に見ている。見られても困るんだが。自分だってそんなに英語が得意なわけでもなく、ヒイヒイ言いながら時間をかけてやっと2ページほど訳した。冷房ガンガンの設計室なのに、汗がダラダラと流れるのが判る。忙しいんだから、これぐらいで勘弁してください…自分の仕事は、あなたに日本語を教えることでも、マニュアルを英訳することでもありません…
2005年02月19日
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14日の日記の続き…とりあえず席につくと、周囲はKの友人ばかりだったりする。新婦のDちゃんと共通の友人が多いから当然のことだ。次々と挨拶にくる。前方のステージのほうを見ると、いくつかのテーブルに日本人らしいスーツ姿の一団。新郎の職場関係の出席者なのだろう。そのうちに新郎新婦が現れた。各テーブルを回っているらしい。どうも、おめでとうございます。自分は新婦側の出席者なのだが、日本人である新郎に挨拶する。彼とは何度か顔を合わせたことはあるが、あまり話をしたこともない。少し小柄でやせていて身長は新婦のDちゃんと変らない。新郎新婦にはニコンの一眼レフを持ったカメラマンがついてきて、みんなで並んで記念写真の撮影をする。ウエイターから薄い水割りをもらい、ブッフェの料理を取りに行く。なんと、すでに帰る人たちがいる。新郎新婦は会場の入り口のところで挨拶し、そこでまた写真撮影となる。日本人の一団がゾロゾロと帰って行き、入り口が賑やかになる。どうやらいつ来てもよく、帰るのも自由らしい。もっとも、5時からいたとしたら、すでに二時間半にもなるから、帰りたくもなるだろう。ステージでは中年の女性がカラオケを歌い続けている。もはや誰も聞いていない。気がつくと、ほとんどのテーブルには誰もおらず、自分たちの周囲だけになっていた。ステージの近くにタイ人のオジサンとオバサンがぽつんと座っている。どうやら新婦の両親らしい。Kと一緒に挨拶に行く。新郎の両親は、自分たちが来たときには引き上げたあとだったらしい。あまりタイに馴染みの無い人は、この雰囲気では引いてしまうのかもしれない。自分たちのテーブルにもオジサンとオバサンがいる。どうやらZちゃんの両親らしい。田舎から出てきたのだという。友人の結婚式に両親を連れてくると言う感覚が、何とも自分にはわからない。もちろん招待されたわけではないだろう。帰る人は帰って、気がつくと自分たちのテーブルしか残っていない。本当に親しい友達だけだ。カラオケ屋のママさんもいる。Zちゃんの『パトロン』のひとりの日本人もいる。なぜかタイ人の名前で呼ばれている。タイ語が上手だ。その人の友人と三人で水割りを飲みはじめる。そのうち新郎新婦も来て、ブッフェの料理を食べている。ずっと飲まず食わずだったようだ。ブッフェの残った料理は、ウエイターがビニール袋に詰めている。タイのお約束で持ち帰りらしい。披露宴はお開きで、新婦が伝票のチェック、なんと、その場でチェックビンだというから驚く。残った出席者で会場の花や写真などを片付け、それを新郎新婦が今夜泊まる10階の部屋まで運ぶ。なぜかカメラマンも来る。新郎新婦が披露宴の衣装のままベッドに寝かせられ、それをカメラマンが写真に撮る。みんなニタニタしながら周囲で見守る。面白いけど趣味が悪い。
2005年02月16日
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同居人のKが、薄いピンク色の封筒を持ってきた。何だ、それ。「Dちゃん、結婚パーティあります。」あ、とうとう決まったんだ。DちゃんはKの親友のひとりで、付き合っていた日本人に結婚を申し込まれて、結局はOKしたと聞いていた。封筒には結婚式の招待状が入っている。ピンクに金色のタイ文字が並んでいるが、新郎とその両親の名前はアルファベットで、かろうじて自分にも読める。それでいつ?「2月12日。」場所は?「○○ホテル。」スクムビットか。「そう。」Kは式に何を着ていくのか悩んでいる。新婦より目立ってどうする。「あなたはこれね。」クローゼットから自分のスーツを取り出す。何で?オレは行かないだろ?「あなた、バカですか。どうして行かない。一緒行かないはDちゃん怒る。」はあ。何だかよくわからないが、行かなくてはいけないのか。当日の出勤前、Kに尋ねた。式は何時から始まるの?「午後5時です。」5時って、そんな早く帰ってこれないぞ。仕事が5時までなんだから。「ダイジョブ、遅い行く問題ない。」はあ?5分や10分なら遅れても許してもらえるかもしれないけど、きっと着くのは7時ごろだぞ。そんな、二時間も経ったらパーティ終わっちゃうじゃない。「パーティは…たぶん10時まで。だから問題ない。」えぇー!結婚披露宴5時間もやるのかよ!今まで田舎のほうの結婚披露宴で、4時間というのが経験あるが、最後には勘弁してくれ帰してくれと言いたくなるほど苦痛だった。仕事の都合で7時からというのは、もしかしたらラッキーなのかも…アパートに着いて運転手のB君に待っているよう言った。ポカンとしている。だーかーらー、明日は帰りがシー・トムだって昨日言ったじゃないか。すっかり忘れている。部屋に行き、シャワーを使ってスーツに着替える。スーツは仕事でも滅多に着ないのだが。本来、Kは朝からDちゃんの家で行われるタンブンにも行かなければならなかったが、体調が悪いといって断ったらしい。一日中付き合うのも大変なことだ。Kはすでに薄いグリーンのドレスを着て待っていた。車に乗り、B君にスクムビット・ソイ○○の○○ホテルへ行くように言った。ディン・デェーンからトールウエイに乗る。スクムビット通りはすぐだが、プルンチット出口が渋滞している。いつもの渋滞、例によって混まないコースを考えるような知恵はB君には無い。Kの携帯に電話が入る。新婦のDちゃんから早く来いという催促。披露宴の最中に、電話なんかして良いのか。聞いたことないぞ。7時過ぎに着いた。会場はホテルの5階らしい。まともな服装をしているせいか、ドアボーイがうやうやしくエレベータに案内してくれる。日本人客が非常に多いホテル、ロビーを横切るだけで目立っているようだ。会場の入り口。受付の女性がひとり。芳名帳に記帳ではなく、サインブックにメッセージを書くようになってるようだ。ピンクのハート形の入れ物に、お祝いを入れる。今回は2千バーツと友人の間で決めたらしい。なにしろ披露宴が始まってから二時間も経ってるから、『宴もたけなわ』な状態だ。前方にステージがあって、司会らしい女性と、見るからにオカマの二人がマイクで何か話してる。女性は良く見るとKの友人のZちゃんだ。ブッフェスタイルの料理が用意してあり、10人掛けくらいの丸テーブルが10個以上も並んでいる。たぶん客は100人をくだらないだろう。ざっと見回しても、空いてる席が見つからない。こういう状態では誰の席とか関係ないのは、タイでは当然のことだ。たまたま一番後ろのテーブルにKの友人が何人かいて、席を空けてくれた。
2005年02月14日
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姉の夫が運転するピックアップに、家族全員が乗り込んだ。これから上の兄が買ったと言う、新築の家を観に行くのだが、その前に国会議員の選挙に行くと言う。友達と朝から飲んでいた下の兄も加わる。家族もれなく投票するというのだから立派なものだ。村の中の、学校のような市場のような、何だかよく判らないが、屋根と1.5mぐらい高さの壁だけがある建物が投票会場らしい。子供をピックアップの荷台に残して、大人はゾロゾロと会場に入っていく。もちろん自分はタイ国籍ではないから選挙権があるはずもなく、子供たちと遊んで待っていることになる。建物の壁が低いから中が丸見えだ。警察のような制服を着てえらそうなオヤジに挨拶している。投票の順番を待ってる。みんな同じ村の人たちで顔見知りのようだ。非常に狭い地域社会なのだろう。同居人のKが投票してるところを写真に撮ろうかと思ったが、えらそうなオヤジに怒られそうなのでやめた。村の人たちがぞろぞろと次から次へとやって来て、途切れることがない。想像以上に政治への関心が高いものと思われる。上の兄の家はロイ・エットの町にある。村から車で1時間ほど、全く同じに見える家が何軒も立ち並ぶなかのひとつだ。いわゆる日本で言うところの建売住宅らしい。兄は軍の仕事をしていて、以前はベースの中にある軍のアパートのような寮に住んでいた。基地だけあって、出入りするのに厳重なゲートがあった。新しい家を80万バーツで買ったのだと言う。そういえば奥さんの実家が資産家だと聞いたような記憶がある。家の周囲は塀で囲まれているが、ほとんど土地に余裕がない。家の前に車が3~4台ほど停められそうな庭があるだけだ。両隣も向かいも、まったく同じ家だったりする。少しぐらい変化を付けてみようという気はないらしい。たぶん間取りも同じなのだろう。こういう住宅団地を作るほうも作るほうだが、買うほうも買うほうだ。平屋でベッドルームが3室もあるという。その割にはリビングが狭かったりするが、本人が気に入っているのだから問題ないのだろう。床はお決まりのタイル貼り、ヒンヤリするのは良いのだが、固い感触が何とも言えない。なぜかトイレ+バスルームはベッドルームを通って行くような間取りになっていて、このへんの使い勝手の悪さというか、当たり前のことが当たり前に出来ないというか、何とも理解できない部分ではある。もし日本だったら、絶対に売れない間取りだろうと思う。ほぼ家族全員がそろって、食事に行くことになった。自分たちがホテルを出てから三時間ちかくも経っている。やたら移動時間が長い。総勢10名ほどが二台の車に分乗し、ロイ・エット郊外のレストランへ行く。ランチタイムは過ぎているはずだが、駐車場が満車、案の定、客が一杯で入れない。それにしてもそのレストラン、ちゃんとしたテーブルと椅子があるのに、それを横にどかして床の敷物の上で食事する客が多い。昔からそういうスタイルなのだろうが、テーブルでは食べられないというのも不思議だ。そういえばKの実家にも兄の家にも、ダイニングテーブルが存在しない。仕方なく他のレストランを当たる。選挙のために帰省した人が多いからだろうか、そのレストランも客が多い。イサーンによくあるタイプで、地面から1mくらいの高さに床があり、屋根がかけてある。テーブルはなく、床に直置きで食べる。やっとみつけた空いている席、10名で座るには小さいので、子供たちは地面に直に敷いた敷物を使うらしい。ビールを飲みたいが出せないと言われる。前日のホテルのレストランもそうだったが、選挙の投票日と前日はアルコールの販売が禁止されているため出してもらえない。仕方なくコーラを飲みながらの食事となった。午後3時になった。兄が再び、ビールを出せないかレストランと交渉している。選挙の投票は3時で終わりなので、その後は出してもよいはず。しかしやはり断られ、ガッカリしている。それにしても投票が3時までとは、もちろん開票の都合によるもので、投票者の利便性などは決して考えられていないのだろう。兄の家にもどる途中、家の近くの酒屋でビールを買った。何の問題もなく売って貰えた。兄の家でビールを飲み始める。姉の夫も飲んでいるが、彼はしばらくしたらピックアップを運転しなければならない。大丈夫なのか不安になる。自分は最終便でバンコクに帰る。兄の家からコンケーン空港までは2時間ほどかかるらしい。少し余裕をみて、午後5時過ぎに兄の家を後にした。子供たちは空港で飛行機を見たいらしい。空港に着いたときには、すっかり暗くなっていた。搭乗時刻までには一時間もある。チェックインを済ませ、ベンチで待つ。子供たちは飛行機を見ようと、父親や母親と窓に向かう。どうやら展望デッキのような施設はないらしい。それでも、バンコク発最終便の着陸が見れたらしく大喜びだ。まだ何日か実家に残るKと家族に別れを告げて、搭乗待合室へ向かった。ほぼ24時間の滞在だった。
2005年02月11日
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携帯の着信音で目が覚めた。カラシンのホテル、同居人Kの携帯が鳴っている。彼女の母親が、カラシンのマーケットに行くために来るという。自分は行きたくもないから寝つづける。再び起きてテレビを点けると、どのチャンネルも選挙の話題だ。シャワーを浴びて着替えたところにKが帰って来た。荷物を持ってフロントに行きチックアウト。そのままレストランに行って朝食のクーポンを渡し中に入る。時間が遅いせいか、レストランに客は少ない。ありきたりな朝食のブッフェ、しかし従業員が比較的テキパキと動くのが良い。さすがに日本人客は見かけないが、ファランが何人か、みんな田舎に似つかわしくない派手なタイ人女性と一緒だ。レストランの窓の外にプールが見える。周囲に何もなくてリゾートという感じでもないが、広々としていて、世間の喧騒を忘れてノンビリするのに良いホテルかもしれない。待っていた母親に挨拶し、姉の夫のピックアップでKの実家に向かう。30分ほどの距離だ。父親に挨拶する。部屋の隅のほうに座ってると、真中に来いと言われる。まるで自分の家のような態度になるのだが、それで良いらしい。まあKと自分の家だと言えないこともない。姉の子供たちが次々と挨拶に来る。彼らがバンコクに来たとき、挨拶ぐらいちゃんとさせろと言ったのが効いているらしい。姉の赤ちゃん、生まれてすぐに見てから半年ほど経つが、すっかり大きくなっていた。ハイハイはまだだが、寝返りが出来て腹ばいになる。なぜか全然泣かない。少し色黒だが父親ほど黒くない。可愛いといえば可愛いが…父親が何か買いたいというので100バーツ渡す。下の兄の友だちが何人か遊びに来ていて、ビール飲みたいとかいうので200バーツ渡す。何だかんだと毟られていく。どおりで、偉そうな態度が許されるわけだ。選挙の投票日はアルコールの販売禁止のはずだが、村の酒屋のオバチャンが母親の友人で、何とでも出来るのだという。やれやれ…
2005年02月10日
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適当な理由をつけて、会社を午後4時半に出た。土曜日といえどもトールウェイは結構混んでいる。アパートに着き、運転手のB君に日曜に迎えに来いと言いつける。場所と時間を告げると、田舎のナコンサワンに帰るから行けないという。どうせ嘘だろうが、相手してもいられない。タクシーを使えば済むことだ。あまり時間がない。部屋で着替えて、いそいで荷物をバッグに詰める。待っていた同居人Kとアパートの前でタクシーを拾う。ドンムアン空港の国内線ターミナル。TGのカウンターでコンケーン行き最終便、TG046のチェックイン。Eチケットだからペラペラの控えだけだ。セキュリティ・チェックとID/パスポート・チェックを通り搭乗待合室に入る。ゲート68の近くのベンチで待つ。なんのアナウンスもなく搭乗が始まった。始まってからアナウンスしている。いい加減なものだ。長い列、当たり前のように割り込むタイ人。どこでも見られる光景だから驚きはしない。新聞のスタンドに日本語の新聞がある。日本人客も多いのだろう。エアバス機が離陸しシートベルトサインが消えると、急にキャビンクルーの動きがあわただしくなる。ワゴンを押して、紙パックの弁当のようなものを配る。開けてみると、チキンとコロッケみたいなヤツ、マドレーヌのようなお菓子、水とジュースのカップが入っている。ちゃちなプラスチックのカップでコーヒーを貰う。きっかり食べ終わったタイミングで下げにくる。なにしろ飛行時間は40分程度だから、離着陸時間を差し引くと20分くらいしか時間がない。なにも無理に食事など出さなければ良いと思うのだが。空港にはKの姉夫婦と下の兄、姉の小さい子供ふたりが迎えに来ていた。姉の夫の運転するピックアップ、なんと冷房が壊れているという。夜のコンケーンの町を抜け、郊外の妙にきれいに舗装された道路を、ウインドウを開けたまま時速100kmで突っ走る。一時間以上走り、道路沿いの一軒のホテルに着いた。カラシンの市街地はもう少し先だ。周りに何もないところに、田舎にしては立派なホテルがある。Kの実家に泊まることが出来るのは言うまでもないが、トイレとシャワーがタイスタイルで自分には使えない。それでこのホテルに泊まることにした。カラシンにホテルは、この一軒しか無いと言う。田舎にしては立派なホテルだ。タイスタイルで木がふんだんに使われた内装、広々としたロビー。チェックインする。二人分の朝食ブッフェ付きで一泊880バーツだという。従業員の愛想が良い。部屋はそう広くないものの、必要充分で清潔な感じがする。パタヤあたりの1000バーツクラスのホテルより、はるかに良い感じ。荷物を部屋に置いて、レストランで姉夫婦たちと食事した。広いレストラン、ステージがあって女性歌手が歌ってる。客は自分たちのほかに二組しかいない。客より従業員のほうが多いような気がする。残念ながら選挙のためにビールは出せないという。料理は美味しいけれどオースワンだけは全然だめ、こんな海から遠いところで牡蠣が美味しいはずがない。
2005年02月08日
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コンケーン空港の搭乗待合室のベンチに座って、バンコク行き最終TG047便の搭乗を待っていた。携帯電話の着信音、ベンチの隣りから聞こえる。「私は今、コンケーン空港にいます。」日本語で話してるのが聞こえる。思わず隣りに目をやると若い女性、間違いなくタイ人であって日本人ではない。しかし日本語で話してる。よく聞いてみるとアクセントが少し変で、それは聞きなれた同居人のKの日本語と同じような感じなのだが、明らかにKより上手だ。実践で覚えた日本語なのだろうか。他人の話を盗み聞きする趣味はないのだが、彼女は声を潜めて話すわけでもなく、いやでも声が耳に入ってくる。隣りに座ってるオヤジが日本人だと気付いていないのかもしれない。「田舎に帰ってセンキョウに行きました。」バンコクにいる日本人の恋人か友人か(もしかしたら『客』)に、どうしてコンケーンにいるのかと聞かれたのだろう。センキョウって何だ?ああ、選挙か。しかし、電話の相手は理解出来ないらしい。「ベンキョウじゃない、センキョウ!」今日のタイで最大の関心事は国会議員の選挙だ。日本人には関係無いといえばそうなのだが、一歩外に出れば、至るところに選挙のポスターが貼られている。バンコクだけでなく地方でも同じだ。選挙が近いと意識せずに生活するのは至難の業ではないかと思う。また、タイの選挙が日本と違うのは、投票できる場所は現住所ではなく、本籍地(出生地)であることだ。役所に住所を届け出る制度がないのかもしれない。何の脈絡もなく『センキョウ』と言われたら判らないかもしれないが、これらを頭に置いて聞けば『選挙』のことだとわかりそうなものだ。しかし彼女が何度「センキョウ」と繰り返しても、相手は理解しないようだ。「どうしてセンキョウ、判らないか!」判らないのがどうしてなのか判るなら、判らないはずはないのではないか。タイ人らしい理不尽なキレ方だ。しかし彼女も自分の間違いに気付いていない。キョウの発音は、タイ語で『緑の』という意味の言葉にそっくりだったりする。センキョウじゃないよ、センキョだよ!センキョのトウヒョウって言ってみなよ。口に出して訂正してやりたい衝動を、必死に抑えた。しかし見ず知らずの日本人オヤジが口出しすることではない。「英語で?英語ならElectionです。」それでも相手は判らないらしい。勝手に突っ込めば、確かに日本語で「選挙に行く」と言って通用するが、正確には「投票に行く」だろう。Voteのほうが正しいのではないか。だが彼女は英語もかなり出来そうに思う。いずれにしても、英語で言わせておいて答えを聞いても判りませんというのは、情けないというか恥ずかしいというか…
2005年02月07日
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社長が設計室に来た。「ちょっと来てください。」何ですか?「今ね、インタビューしてます。彼女は日本語が出来ると言います。レベルを知りたいから、ちょっと話しをしてみてください。協力してください。」要するに、入社希望の女性を面接していて、日本語が出来るというからテストしようということらしい。社長は日本語が流暢だから、自分で話をすれば良さそうなものだが。それでも素直に会議室へ向かった。どんな人か興味もあった。20代後半くらいの女性だった。急に日本人が現れたからか、ちょっと緊張しているような感じ。「どうぞ、何か話してください。」社長にそう言われても、初対面のタイ人女性と何を話して良いか見当もつかない。「世間話でいいですよ。」そうですか、わかりました。要するに日本語で受け答えすれば、内容は何でもいいらしい。あなたの家はどこにありますか?「…サラブリ…」今日はどうやって、ここに来ましたか?「…」彼女は社長に何やら言っている。タイ語で答えたのだろう。「もう少しゆっくり話してください。」社長がタイ語で質問の意味を伝えた。「…クルマ…」あなたのクルマですか?「…お父さん…」面接の回答としては最低だろう。きちんと答えられるほど、日本語が出来るわけでないようだ。ほとんど片言に近い。会話にならない。「もう少し続けてください。」躊躇していると社長が言う。「学歴についても質問してください。」どこで日本語を勉強しましたか?「ソーソートー、大学…」なるほど。大学はどこですか?「ラムカムヘン」ふーん。続けても意味がないように思った。社長も同じだったらしく、「これくらいで良いです。」という。会議室を後にした。会社の顧客は日本人が多いから、通訳ができるレベルなら即採用だろうと思うが、片言では無理だろう。同居人のKのほうが、ずっと上手だ。それにしても、そんな程度で、面接で「日本語が出来る」と言い切ってしまうのはスゴイ。彼女は本当に出来ると自分で思っていたのか、それともハッタリなのか。よく判らない。以前、運転手のB君に、英語が出来るか尋ねたことがある。彼はニッノイ(少し)と答え、たまたま信号待ちしていた前車を見て、「トヨタァ、スポーッツライダァ」と言った。社名のエンブレムの『英語』を読んだらしい。冗談かと思ったが真面目な顔をしている。少し出来るって、こういう意味か…エェーッと驚くと、何を勘違いしたかB君、得意そうな顔になった…
2005年02月04日
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祖母が入院したと聞いて見舞いに行った。同じ市に住んでいるのに、顔を見るのは久しぶりだった。「おまえに言っておくことがある。」病室に祖母と自分のふたりだけになったとき、急に祖母が話しはじめた。「おまえが学校入る前な、おまえに聞いたんだよ。市役所から学校来てくださいって、通知来たかって。」小学校入学前の数年間、自分は祖母の家に預けられていた。理由は今もわからない。祖父は自分が三歳のときに亡くなっていた。「そしたらおまえはな、悲しそうな顔して『ぼく、勉強、もうちょっと足りないから、まだ来ないの。』って言うんだよ。」自分は小学校に行くことを、非常に楽しみにしていたのだという。市立の学校だから無条件で入学できるのは言うまでもない。「ばあちゃん、ビックリしてな。誰が言ったの?って聞いたら、『お母さん』だって。」まあ、うちの母親なら言いそうなことだ。「それでノート出してきて、ひらがなの書き取り始めるんだよ。ノートには、ずーっと書き取りしてあったんだよ。」「こんなに学校楽しみにしてるのに、なんでそんなこと言うのか、おまえのお母さんな、自分の娘なんだけど、憎らしくてな。」そう言っておけば勉強すると思ったんじゃないの?「だけど、そんなこと言われて、おまえ、不憫で可哀想でなぁ、一生懸命勉強してるんだよ、それで。学校行きたくてなぁ…」ベッドに寝たままの祖母の目が潤んでいた。高齢でだいぶ記憶が怪しくなっていた祖母だが、そんな昔のことを鮮明に覚えていたのは、きっとそれだけ感じるものがあったのだろう。数日後、祖母は他界した。祖母と話らしい話をしたのは、それが最後だった。子供のころから母親にはだいぶ反抗した。しかし祖母の前では、いくつになっても五歳のままだった。あれから十年が過ぎた。ふと思い出した祖母の記憶、決して忘れないよう日記に書いておく。
2005年02月03日
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バンコクの地下鉄(MRT)が事故を起こして運行停止になってから、およそ二週間が経った。報道によると、どうやら二月一日から運行が再開されるらしい。喜ばしいことであるが、本当に安全性は確保されているのだろうか。事故の原因は、回送中だった車輌が途中で走行不能になったので、整備センターに牽引する為に別の車輌と連結させる際に連結に失敗し、そのうえ回送車輌の運転手がブレーキを開放したためだという。引き込み線を逆走して、本線に停まっていた車両に激突した。なんかこれ、突っ込みどころ満載という感じだ。停まったのが整備センターへの引き込み線だったという。走行不能になるような重大な故障が発生していたのが原因の根本なわけで、車両がきちんと整備されていたのか疑問がある。経験上、タイ人は一般的に機械の維持管理が苦手のように思う。ボロボロの機械をよく見るが、単に古いのではなく手入れもせずに使いっぱなしだったり、使い方が異常に過酷だったりする。また、連結させようとしたのはカーブだったらしい。そうであれば、各車両の連結部に角度がつき、連結する際には連結器が斜めに当たることになる。二度失敗したらしいが、直線部で連結するより難しいのは誰が考えても判りそうなものだ。作業していた人は気付かなかったのだろうか。少なくとも一度失敗した時点で、それに気付いて他の方法を考えれば事故は防げたかもしれない。この事故の最大の謎が、なぜブレーキを解除したかだろう。それにしても運転手が乗っていたのだから、再びブレーキをかければ済むことのような気がする。それに、強制的に車両を停止させるような制御装置は採用されていないのか。引き込み線を逆走して本線に入れるというのも、何だかよく判らない。他にも、ホームの扉を開ける鍵がみつからなくて被害者の救出が遅れたとかいう話もあり、もう滅茶苦茶だ。事故は絶対に起きないという前提で運用されていたのだろう。根拠のない自信とか万が一を考えないお気楽さとか、悪いほうのタイ人らしさが出てしまったと思う。一月十九日付の『タイの地元新聞を読む』で、こんな記事を見つけた。「一方、タイ大量輸送公社のプラパット・ヂョンソンウォン総裁は、地下鉄の運行再開時に地下鉄の安全性を訴え地下鉄の再利用を促すために首相を始め内外の著名人等を招待し再開イベントを開催する他、一定の無料乗車期間を設ける方針で検討を行っている事を明らかにしている」問題なのは安全なのかどうかであって、有名人が乗ろうと運賃を下げようとイベントを開こうと、それは安全の本質に何の関係もないのではないだろうか。事故の原因を徹底的に追求し、同じトラブルが発生しえないようなシステムにしなければ、安心して利用できないではないのか。イベントで首相が乗っても、どこかの国の大臣が危険と言われている野菜や牛肉を食ってみせて、国民からバカにされたのと何ら変りがないではないか。とはいえ、タイ人の皆様は運行が再開されたら乗るんだろう。たぶん自分も乗るに違いないのだが…
2005年01月31日
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毎日の通勤に、ドンムアン・トールウェイを使っている。これはウィパワディ・ランシット通りの上を通る高架道路で、市内ディン・デーンからドンムアンのバンコク国際空港を結び、さらにランシットでパホン・ヨーティン通り(国道1号線)に接続している。トールウェイという名のとおり有料道路だ。上下線とも本線上に2ヶ所の料金所、また、入り口に料金所がある場合もある。全線通行すると合計53バーツの料金を払うことになる。12月の中ごろから、この通行料金が値下げされたらしい。ウィパワディ・ランシット通りは全線立体交差で信号の無い、片側5~6車線の通りだが、それでも交通量が多いせいか渋滞するのも珍しくない。そこで、比較的空いている上のトール・ウェイの利用を促進しようということらしい。日中はともかく、朝晩の通勤時間には本線上の料金所手前でかなり渋滞する。言うまでも無く、そんな場所に料金所を設けてしまったのが原因だ。それはともかく、例えば下り線であれば、自分の場合はスティサン入り口の料金所で20バーツ払い、空港の先とランシットにある本線料金所では払わなくて良くなった。料金所では停車する必要もなく、青ランプの点いたブースを通過するだけだ。狭いブースを高速で通過するのは、身の危険を感じるほどスリルがあるが、タイ人の皆様は平気なようだ。そのうち、たぶん誰か激突するに違いない。料金とは直接の関係はないのだが、このドンムアン・トールウェイ沿いに数多くある巨大看板のなかに、妙なものを見つけた。市内から空港に向かって、空港の手前左側にある。『Welcome to Bangkok』というのは判る。その下の『歓迎下次再来曼谷』というのは北京語だろう。次のバンコク訪問を歓迎します、という感じだろうか。Welcomeとは微妙にニュアンスが違うような気がするが、まあそんなものだろう。問題はその下にある。『メールフレンド(ブータン人』。謎の日本語。最後にあるべき『)』が、なぜか改行されて次の行の中央に来てしまっている。なぜこのような謎の言葉が、それも日本語で書いてあるのか。バンコクとブータン人のメールフレンドが、何か関係あるのだろうか。いや、なぜブータンという非常にマイナーな国のことが…背景は何となくタイの風景のレリーフのように思えるが、左側のオジサンはいったい誰なんだろう。何を訴えたいのか。この人がブータン人なのか。タイ人にも見えないし。そもそもこの看板、誰が何の目的で設置したのか。右下に何か書いてあるが、小さすぎて時速120kmで走る車からは決して読めない。読めなければ意味が無いような…毎日この看板の前を通るたびに悩んでしまうのだが、どうにかならないのか。
2005年01月26日
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頭痛の持病がある同居人のK。しばらくは治まっていたのだが、友人のJちゃんのことで深く思い悩んだせいで、それが再発してしまったようだ。翌日、あまりに頭痛やら不快感、めまいがやらひどいので、クリニックに行ったのだという。手の甲を見せる。点滴の痕が残っている。相当にひどかったのだろう。薬を大量に貰ってきて、通院の必要はないようだが、具合が悪そうだ。ドクターがどんな病気と言ったのか聞いてみた。すると頭に血が足りないのだという。それが原因で、あまり物事を考え過ぎると頭痛が起こるらしい。血が足りないとは血行障害か何かだろうか。だとすれば、かなり重大な病気のような気がするが、それにしては点滴ぐらいで簡単に帰ってくるのも妙だ。あまり血が足りないのが続くと、何も考えられなくなるそうだ。だから、なるべく何も考えないようにしろと言われたと言う。普通に生活していて、何も考えずになどいられるもので無いと思うが、まあ無茶な話ではある。ドクターは仕事もするなと言ったらしい。タイでは頭を全く使わずにできる仕事もあるし、何も考えていないようなのは珍しくも無いが、あいにくKは今年からマネージャに抜擢されたばかり、いくらなんでも頭を使わないで済むはずがない。本人もそれは無理だという。話を聞いても原因がわからない。どうすれば治るのかも判らない。ドクターは他に、毎日ビールを飲むように勧めたのだという。病気で禁酒というのはありそうだが、ビール飲めとはどういうことか。アルコールは何でも良いわけでなく、ビールかリンゴ酒だけらしい。血が足りないために頭痛やめまいがして、ビールを飲めと言われる病気… そんなのが本当にあるのだろうか。リンゴ酒って… とりあえず彼女はクリニックで貰った薬を飲んだが、ただ眠くなるだけだという。眠くて起きられず、結局は会社を一週間も休んでしまった。どうやらこの薬、ただの睡眠薬のような気がする。それでもなんとか出社したのだが、また会社で同じような症状が出て、別の病院で治療を受けたらしい。一週間前の話をしたら、その病院のドクターも、なるべく考えるな、ビールを飲めと言ったらしい。このままでは仕事にならないので、とりあえず来月は休職するのだという。なんとなく納得できない話なのだが。
2005年01月24日
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熱帯魚を飼おうと思い立って何の知識も無く挑戦し、悪戦苦闘の末に水槽には金魚しか残っていなかったという間抜けた結末に終わったわけだが、幸いなことに残った金魚は元気に育っている。同居人のKが面白がってエサを大量に食べさせるものだから、丸々と太ってしまった。日本の常識では、金魚にエサをやりすぎると死んでしまうのだが、どうやらタイでは違うらしい。もちろん飼いっぱなしというわけにはいかず、時々は水槽の水を替えたり、枯れた水草を取り除いたりしなければならない。小さい水槽だが、水が入ったままでは重くて持ち運べない。バケツと手動のポンプ、よく灯油をストーブに入れたりするのに使うヤツ、タイでは何に使うのか見当がつかないが、BigCで買ってきた。水槽から水をポンプでバケツに移す。好奇心旺盛な金魚がポンプにまとわりついて吸い込まれそうになる。バケツに3杯分ほどの水を捨てると、水槽の底にはかろうじて金魚が浸れるほどの水が残る。水草をビニールの袋に入れ、網を使って金魚をバケツに移す。金魚は急に環境が変って驚くが、食い意地が張ってるのでエサを与えると大人しくなる。やっと水槽がひとりで運べる重さになったので、抱えてバスルームに運ぶ。残った水を捨て、底に敷いた砂利をビニール袋に写す。もちろんビニール袋じゃなくてもいいのだが、他に適当な入れ物が無い。空になった水槽を、シャワーを使って洗う。内側に緑色の藻が付いているから、雑巾でゴシゴシと擦らなければならない。洗い終わったら逆さにして水を切る。砂利の入ったビニール袋に水を入れ、ゴミを流す。この砂利は非常に汚れている。少しずつ手に取り、水で汚れを洗い流しながら水槽の底に敷いていく。これだけでおよそ一時間かかる。バスタブの中での作業、腰が痛い。水槽のポンプとフィルターの部分を分解し、掃除をする。ポンプやパイプにはゴミが詰まっている。綿状のフィルターにもゴミが溜まって茶色く変色している。チャトゥチャク・プラザで1m角のものを60バーツで買ってきたので、それをハサミで切って交換する。ポンプの内部にも水垢が溜まっているから、雑巾とティッシュペーパーで取り除く。水槽をリビングルームに戻し、キッチンからボウルに水を入れて水槽に注ぐ。金魚が入っているのでバケツは使えない。キッチンと水槽を30往復もすると、水の量は半分となる。水草を底の砂利に刺す。水草が流れてしまわないよう、注意しながら水を足す。八分目ほどで金魚を水槽に戻す。水草の配置が変ってるせいか落ち着かない様子、でもすぐに慣れる。ポンプを取り付け、水の量を調整する。ポンプの電源を入れる。終了。ひとりでおよそ3時間の作業、腰が痛くなるが、きれいな水槽で泳ぐ金魚を見るのは気持ち良い。
2005年01月18日
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サパンクワイ駅からBTSに乗った。中央の車両に二人分の席が空いている。同居人のKと並んで座った。少し離れた向かい側の端の席に座っている男、顔つきや服装から日本人らしい。50歳くらいか。カメラマンがよく着ているような、ポケットがたくさん付いたベストを着ている。タイ人が着ているのは見たことがない。きっとモーチットから乗ったのだろう。日曜日に日本人が乗っていても全く不思議はない。ごく普通の車内の風景。別に彼を気にするわけではないが、正面を向いていると視界にいやでも入ってくる。彼はベストのポケットから携帯電話を取り出した。背面のカメラがこちらを向いている。さりげなく弄ぶふりをして写真を撮っているようだ。ノキア共通のシャッター電子音。どうやらKを写したようだ。見ず知らずの人に、何の断りも無く隠し撮りのようにされるのは、非常に気味が悪い。たぶんKも気付いてはいるが何も言わない。チットロム駅。BTSが停まってから席を立った。彼がまだ座っているのが見えた。ホームに出ると彼が別の出口から急いで降りるのが見えた。さりげなく自分たちの後ろを歩いている。サヤーム方向の改札口までの間に、構内のJAYMARTのショーウインドウで携帯を見るふりをして彼をやり過ごした。改札を出ると、なぜかまた『彼』が斜め後ろにいた。セントラル・ワールド・プラザへ行くために空中歩道を歩く。BTSの支柱の右側。彼は斜め後ろを付いてくる。ファランがふたり、早足で自分たちを追い越そうとしている。道をゆずり、そのまま支柱の左側にいった。さすがに彼は付いてこない。少し歩くペースを落とした。彼が先になった。いつのまにか彼も支柱の左側、自分たちの少し前を歩いている。ずっと工事中だった、サヤーム駅まで続く空中歩道が完成していた。Kが面白がって、そちらに行こうと言う。少し立ち止まった。それが聞こえたか『彼』は、新しい歩道のほうへ歩いていく。そちらに用があるなら、近いサヤームでBTSを降りるのが普通だろう。さりげなく景色を眺めるフリをしながら、こちらの様子を伺っている。きっとやり過ごして後ろに付こうとしているのだろう。へんなヤツがいるから後で行こう。「キチガイ日本人。」そう。Kも気付いている。ゲイソンプラザの方へ行く。『彼』が驚いたような表情をしている。彼の位置から付いてくるには、だいぶ戻ることになり、尾行がバレバレになると思ったのだろう。諦めたらしい。隠し撮りしたり尾行したり、どう考えても普通でない。何の目的でバンコクにいるか知らないが、きっとストーカーか変質者の類なのだろう。こんな日本人が徘徊しているとは、本当にバンコクは危険な街だ。
2005年01月17日
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アパートに帰ると、同居人のKが一枚のメモを見せた。アルファベットが並んでいる。どうやらローマ字で表した日本語らしい。「Meaning 何ですか?」彼女の友人で日本人カラオケのホステスをしているJちゃんに、日本人客から届いたSMSメッセージなのだと言う。タイの携帯で日本語入力は出来ないし、もし出来たとしてもJちゃんは読めない。どちらにしても意味がわからず、翻訳を頼まれたKにも知らない言葉が多かったので、自分が帰るのを待っていたようだ。「IROIRO KANGAETAKEDO, YAPPARI AWANAIHOUGA IITO OMOIMASU. GOMENNASAI.」Kの話によると、Jちゃんはこの客を非常に気に入っていて、カラオケ屋以外でも時々会っているらしい。客とホステスという関係を超えたいと願っていたようだ。彼女には恋人、というよりメンダーだが、いることも正直に話して、彼とは別れると告げていたという。彼はね、もうJちゃんに会わないって。「もう飽きるですか?」そんなタイ人じゃあるまいし、『飽きた』なんてメッセージに書くわけないよ。彼はたくさん考えて、やっぱり、会わないは良い。彼の考えね。「『やっぱり』はMeaning 何ですか。」After allかな。「彼はJちゃんに会いたい、じゃない?」いや、たぶん本当は会いたいけど、会わないは良いって考えたんだろう。「???」会いたいなら会えば良いのにと思っているのだろう。よく判らないらしい。「彼は、終わり欲しいですか。」結局はそうなんだろうけど…「どうして終わり欲しい、書かない?」日本人はね、そんな単純に何でもダイレクトに言わないの。難しいんだよ。「???」やっぱりタイ人の彼女には理解できないらしい。それでもとにかく、彼がJちゃんとの関係を続けない考えだということは、Kにも判ったようだ。Jちゃんに電話している。彼女が失恋したことを告げるのは、Kとしても辛いのだろう、声が沈んでいる。電話が終わって溜息。「Jちゃん考え、彼会わないは来週だけ。」来週の水曜日に彼と会う約束をしていたらしい。どういう説明をしたのかわからないが、その約束のキャンセルだと思っているようだ。状況を理解していない。「明日、Jちゃん会います。話します。」翌日、Kから電話。「頭痛い。」SMSメッセージのことをJちゃんにどう話せばいいか、Jちゃんが可哀想で、そればかりずっと考えていたらひどい頭痛がして、アパートに帰って寝込んでいるらしい。彼女の持病みたいなものだ。あまりひどかったら病院に連れて行くしかない。
2005年01月14日
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昼の12時になると運転手のB君がやってくる。昼食に出かけるためだ。そうかもう昼か。腰を上げようとすると、B君は何かモジモジとしてる。何だ。「マイサバーイ、頭痛いです。」風邪でも引いたか。「セウェン、いいですか。」ふん。思わず鼻で笑った。自分からセブン・イレブンにパンを買いにいくというのか。車で5分ぐらいの距離、彼にひとりで行かせると30分ぐらいかかる。まあ良いか。100バーツを渡した。待っていた。なぜか10分足らずで帰ってきた。マイサバーイ、だよな?「マイサバーイ。」ふん。また鼻で笑った。昼休みだけれどパンをかじりながら急ぎの仕事をしていた。資料のコピーが必要なのに気付いた。設計室を出て、エントランスに隣接している総務のオフィスに向かった。昼休みとあって、エントランスのガラスドア越しに、従業員が卓球で遊んでるのが見える。ドアはスモークガラスなので中から外は見えるが、外から中は見えない。コピー機のスイッチを押してふと見ると、卓球してる連中にB君も加わっている。非常に生き生きと楽しそうに卓球を楽しむB君。つい10分前にはマイサバーイで頭痛いから昼食はセブンイレブンのパンで我慢してくれと言っていたB君。信じられないほど素早く帰ってきたのは、すでに買ってあったということか。少しは知恵がついたな。エントランスのガラスドアを開けた。ちょうど正面にB君がいる。彼は自分を見つけ、一瞬、動きが止まり表情が凍りついた。ドアを閉め、出来たコピーを持って席に帰った。言い訳するわけでも、謝るわけでもない。さも当たり前のようにしている。もちろん良心の呵責など、微塵も感じていないだろう。怒られず何も言われないことで安心しているに違いない。もちろん何も感じていないから何も言わないわけではなく、彼に何を言っても無意味だから言わないだけだ。小学生以下のような嘘を平気でつける。自分のことしか頭にない。このクラスのタイ人は、そういう生き物だ。人間としての誠実さとか信頼とか求めてはいけない。同じ人間として接すれば、誤魔化されたり騙されたりするのは間違いない。彼を自分たちと同じ『にんげん』だと勘違いしていたころは、「マイサバーイ」と言われれば本気で心配したりもした。しかし今の彼は自分にとって車の一部分と同じ、壊れたら取り替えるだけだ。替えはいくらでもある。
2005年01月12日
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