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もしかして、三か月の期限付き事務だけど、ハロワで働くことになるかも。そういうのも、おもしろいかも。おもしろいかどうかだけで、エントリーしている私です。昨日一緒に梅を観に行った友人に、(2週間以上前にエントリーしたところの返事がすっごく遅くて、今宙ぶらりん。未だそのままになってるわ。)、という話をしたら、「まあ、あなた、ぶっちゃけ生活かかってないからねぇ。」と言われて、(う~~ん、あなた、それを私に言うか。身も蓋もないな。でも、そうかもね。)、と、思いました。なんせ、オットは、単身赴任先で、今も馬車馬のように働いているわけだし。彼は江戸時代のお百姓さんより働いているかもね。(今週末は、彼は USA。)その友人は、いろいろあって離婚して、一人息子さんを婚家に託して実家にもどり、自分のお店を持って自活して、それでもって、何年か前に、今のダーリンと、しあわせな再婚をした人です。幼稚園時代の役員仲間です。趣味はドライブ。すっげー男前女子です。なんで私には、男前の友人が多いのか。(alisaさんとか。ぼそっ)それでもって、観梅から戻ったら、ポストに不採用の通知が来ていました。(あ~あ。そういうことは、さっさと早く言ってほしいわ。二週間も寝かさんで欲しいわ。お役所仕事めっ。)で、今日ハロワにエントリーってことに。暇だったので、その日のうちに、直接行って履歴書出してきました。(ハンプティーダンプティーみたいな担当者にも会えて満足。)月曜日に面接です。おお、展開早っ。そうでなくっちゃ。たのしみ~~。
2012.03.23
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アルバイト仲間から、四月に一週間ぐらいのバイトの口があるから、何日かでもいから出ない?との声がかかり、そういう声が、とってもうれしい私です。もしも、四月からの仕事決まってても、土日の二日だったら、できるな。そしたら、また、あの魅力的な人たちに会えるし。あの不思議なネットワークの中に、私も、入れてもらえたのかしら。だとしたら、うれしい。まだ、たまに噴出してくる、陣痛のような、名前のつけられない暴れる感情。まるで、そう。竜みたい。体をくねって、バッタンバッタン、尻尾で地面をたたいている感じね。お、来た~~って思う。一生懸命名前でつかまえようとがんばってきて、それを、ぜひとも、言葉でとらえたかったんだけど、竜は、つかまえられるのは、イヤみたい。そういうのも、コミの自分でいいや、と思います。暴れる竜のような感情もコミの自分。そういえば、沼女は、最近さっぱり出てこないのでして、昼寝でもしているのでしょうか。そのかわりに、竜が出た。それでもって、たまに、盛大に、バッタンバッタンしている。 ただ、それだけ~~。
2012.03.13
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三ヶ月間、8時半に家を出て5時半に帰る生活をしたおかげで、なんだか、働いていた頃の感覚が戻りました。いやあ、人から教わるというのは、楽しいですね~。三ヶ月間、毎日たのしかった~。一緒に机を並べていたクラスメートは、十六人。男性と女性の比率、半々。年齢は二十代から六十代までそろっていました。お隣の席は、ずっと派遣社員でやってきた三十代の女性で、いや、テキパキしてるわ。ブラインドタッチで打ち込みメチャ早。話好きの人だったので、あーだこーだと、しゃべり倒しました。早々と次の派遣先が決まって、修了を待たないで去っていかれました。次にお隣になったのは、医療事務やってた二十代のかわゆい女性で、テンキーの打ち込みがメチャ早。でもって、なんというか、雰囲気ほのぼの~。大家族の末っ子さんだからか。修了式で、先生泣いちゃうし。これは、予想外でした。ワードとエクセルとパワーポイントのMOS資格を取ったので、履歴書に書ける。ちゅうわけで、今、就活中です。履歴書も、名前以外は、PC で打ったわ。丸で囲むのも、オートシェイブ使ったし。。うふふふふ。
2012.03.06
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今朝、サイバー戦について書かれた朝刊を読んでいたら、子どもの頃、私は、(戦争ってヤダ、怖い)、ってことを、ものすごく思っていて、それがまた、普通だったらそんな年齢ではそんなこと考えないだろうってほど、その心配が、ときに、日常生活にまで浸食していたことを、ふと思い出しました。友人とたのしく遊んでる時に、ふと、こういう暮らしだって一瞬で壊れるんだ、と、思って暗~い気持ちになったり。反戦教育に特に力をいれている小学校だったからかな。たくさん悲惨な話を聞き、怖い写真を見たり、ただ、空襲下を無力に逃げ回る話とか。なんか、こう、聞いていると、自分の存在感がおびやかされる感覚があったな。でもって、家で母に話すと、空襲警報が本当に怖かった話とか、同級生が焼夷弾の直撃を受けて亡くなった話とか聞かされて、ますます無力感を感じて、反戦教育の意図する「平和は大切」ということよりも、戦争になったらこどもの私はただ無力に逃げ回って死ぬんだ、という惨めさだけが、子ども心に残ったのでした。やれやれ。以前、むらさきさんから教えてもらった、自分がコントロールできないことには興味を持たない、というイチローの言葉を、思い出したりしています。子どもは、(大人の世界には、大きな暴力がある、)ということを、あんまり小さいうちから知らなくてもいいのかもね。私のようなタチの子どももいるだろうし。こんなことを書いていたら、昔観た灰谷健次郎原作の「太陽の子」の映画に、主人公のふうちゃんが沖縄戦の写真を小学校の先生に見せられて、ショックを受けて吐いてしまう場面があったことを思い出しました。そういえば、私も、ふうちゃんと同じ年齢の頃に、たまたま観ていたドキュメンタリーで、ナチの収容所の、山のように積まれた子供の死体の写真をみてしまって、すごくショックを受けたことを思い出しました。歴史を語り継ぐことが大事って、よく言われるけれど、本当にそうなのかなあ?歴史と一緒に、民族の怨念が次の世代に受け継がれていくってこともあるんじゃないかな。というか、正当性の名のもとに、結果として、その世代では昇華できなかった恐怖や怒りや悲しさを、次の世代を受け皿にして、注ぎ込んでしまっているってことは、あるんじゃないかなぁ。ほんとうは聞きたくなかった、見たくなかったな。だって、わたし、すっごくこわかったんだもん。そんなことを考えている朝です。でもって、耕運機買ったわ。今日試運転してみよう。
2011.11.07
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ジムに入会するとき、筋肉量やら、体脂肪やら、検査してもらいました。体脂肪率が高くて、筋肉量が少ない。ま、うすうす、わかっておるがな。結果、「隠れ肥満」だそうです。しくしく。でもって、基礎代謝量メチャ低し。よくいえば、低燃費か。というわけで、筋肉量増やすぞ。せめて、日々のビールの分ぐらいは、余分に燃焼させたい。これもまた、私の、「生きる気力が湧くような刺激」になるかな。ささやかだけど。
2011.11.03
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バイトで多少ハイになっていた気持ちが、今週になって、ちと凹みがちに。やはり、私は、外に仕事を持っていた方がハリを持って暮らしていけるタチなのかもしれません。バイト先で一日だけ事務に入って雑用した時に、入選作品の講評の原稿の校正をパソコンでやりまして、それが、思いのほか楽しかったです。ただ、使いこなせなくて、聞きまくっては、時間かかりすぎ。でもって、一度、パソコンをきちんと習っておきたいと思い、いろいろ計画中です。順調にいけば、12月から、パソコン習いに行けそうです。「お母さんは、最近急に活動的になったね。やることがたくさんあってなにより。」と私に言う息子の方は、最近ヒマだそうでして、なんかこう、生きる気力が湧くような刺激が欲しいそうです。趣味のものを買うためだけではなく、そういうこともあって、バイトを早く決めたいとのこと。土日都合の悪い息子は、この田舎では、なかなかバイト先が決まりません。ダメでも、また、次の面接に挑戦しています。履歴書書きと、面接は、場数を踏んでいます。ともあれ、今週は、私は、「しょんぼり」と仲良くしつつ、来週はまた、忙しくなりそうだな~~。
2011.11.02
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やはり、東京は、都会、都会だわ~。高層ビルだらけ。東京駅で、目的のビルをさがすのに、丸の内出口近辺を、ウロウロ~。地図を見てもよくわからないので、いったん、地上に出てみました。でも、ビル名って、書いてないのよね~。「大名古屋ビルヂング」みたく、見えるように書いといて欲しいわ。通りすがりの人に聞いてみたら、すぐ目の前が、待ち合わせのビル。いい線までは、来ていたのね。なんとかたどりつきました。スパゲッティーのおいしさに、マジ感動しました。一等地で、手頃なお値段で、これだけの、お味。やはり、都会って、すごいわ~~。いろいろおしゃべりして、あっというまに時間が過ぎ、とりあえず、場所移動。三菱一号館のレンガ造りの建物が見えるとってもお洒落な一角にあるカフェで、お茶しました。これまた、あっというまに時間が過ぎて、有楽町方面に行くおとねさん、アダージョさんを見送り、さあ、帰ろうと、さんぽさんの後をついて、駅に向かいました。自分、どこにいるのか、もう、さっぱりわからんし~。ここから行けるのよ~、と、やおら、建物の中に入って、エスカレーターを降り始めるさんぽさん。(おお、まじっすかぁ)、と、おどろきながら、後をついて、なんだか、建物の中をぐるぐる降り、、地下街っぽいところに到着したところで、もう少しお茶していくというさんぽさんたちと別れ、そのままずんずん歩くうちに、そらさん、ベリーさんと別れ、新幹線の改札口で、マドレーヌさんと別れ、ひとりになって、標識を頼りにさらにどんどん歩いて、やっと八重洲口に出ました。東京駅、広っ!たのしく、わくわくした一日でしたみなさん、ありがとうございました~~~~。
2011.10.24
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そんな遠い記憶を、ふと思い出しまして。そのきっかけは、私が小学校五年の時の母の言葉だったのですが。あの時、一瞬で、私のまわりの世界が、膜がかかったように、カナシミ色に染め上がったなぁ、と。存在不安っていう言葉について、漠然と考えをおよがせていたら、不意に、その記憶に行き当たったのでした。
2011.09.10
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わたくしごとですが、私にはたとえば、「キライ」という感情が、時々わき起こるのでして、それは、私にとっては、あまりみたくないものです。いとしいとか、愛だとか、そんなものだけ感じていられたら、ラクだな~っと。そういうときは、そういう感情を、じゅうぶん感じて流すってことを、せっせせっせとやっております。うまく逃していかないと、裏に回って暴走するので。たとえば、ほんとうは、「あんたキライ、ツーン」と言いたいだけなのに、理論武装して正義で責めるとか、私は、ときに、やらかします。気持ちは、思考より先に、ぴょんと先に飛び出してくる感じがあります。なんでそう感じたか考え出すと、それは、私にとって、感じることの邪魔になります。やはり、出物腫れ物ところ嫌わずってことで、流せ、流せ、です。ずっと以前に読んだ、仏教の老師の講話。うろおぼえですが。人の気持ちは流れる川のようなもので、いろんなものが流れてくる。きれいなものばかりじゃない。猫の死体だって流れてくる。でも、川はそんなもの流すな、とか、文句なんか言いませんぜ。
2011.08.24
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帰宅日、乗車予定の電車の到着時間に駅に迎えに行きましたが、息子、降りて来ず。携帯電話にかけると、遅れて帰るとのこと。(何だ、連絡しろよ)、と、思いながら、いったん帰ってきました。結局、帰宅は夜の十時近くでした。ネッ友の家は、駅まで歩いて40分ぐらいかかるところでして、荷物を持って、ごろごろスーツケースをひいて歩いたとのこと。で、毎日、行き帰り、みんなして40分通歩いたそうです。外食にお金がかかったのと、暑くてやたらペットボトルを買っていたので、予想外にお金をつかってしまった、と、言っていました。むこうで食べた松屋の牛丼のタマネギがトロトロでおいしかったそうで、そりゃあよかったね~、で、あります。みんなすごくいい人たちだった。ただし、うち二人だけは自分の中で評判がさがった。と、言っておりました。一緒に行った友人は、むこうでお金を使いすぎて新幹線の切符が買えなくなったそうで、全行程鈍行で大回りして深夜に帰ったそうです。あらかじめ切符が買ってあった息子は、帰りはひとりで電車を乗り継いで、さくさく帰ってきました。息子、無事行って帰って来られて、楽しめたようで、よかったです~~。ふと思ったこと。こころの奥の方がしずまっていれば、自分の感情の波立ちが怖くない。風が吹けば、水面が波立つように。それは、単なる自然現象なのだから。こころの奥の方ががしずまっていれば、相手の感情の波立ちも、怖くない。それは、自然現象なのだから。風が止めば、元に戻る。ただ、それだけのことだと信じられるから。こころの奥に、止まないうねりがあると、自分の感情の波立ちが怖い。奥のうねりと共振して、津波となる。決壊がコワイから。こころの奥に、うねりがあると、相手の感情の波立ちが怖い。相手の感情に共振して、自分のこころの奥が、ひどく共揺れするから。相手の感情の波立ちをしずめようとしても、じぶんにうねりを持ったままでは、それは、うまくいかない。そばに居れば居るほど、二つの波が共揺れして、うねり続ける。波立ち続ける。私にできることは、自分のこころの奥の静かな場所を感じながら、波立つ相手のそばにいるだけ~~。(ただし、それは、私がそうしたいとき。)
2011.08.20
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こりゃ、どうも、時間を遡って書いて行く流れのようです。で、旅館の夜のこと。長野は東京電力の管轄だそうでして、道理で、節電で、廊下が、うす暗い。大浴場への行き方を聞いたのだけれど、複雑でよくわからないわ。超眠そうなおとねさんは部屋に残ってまして、fate★さんと、さんぽさんが一緒でよかったわ。迷わずたどりつけました。風呂から上がって、しゃべり倒しているうちに、眠くなってねそべっておりましたが、向かい合わせで座っているおとねさんとさんぽさんの間のテーブルの上には、ビール瓶が林立しているのが見えました。で、善光寺。おとねさんが、ずっと、境内の灯籠の多さと、配置の統一感のなさを気にしていて、(いやあ、人って、それぞれにひっかかりどころがあるのね)と思いました。長野のお昼のそばやさんと、夜の居酒屋さん、どちらも、とっても居心地よくって、くつろいでおしゃべりできました。いろいろ手配してくださったラベンダーさん、本当にありがとうございます。そばやさんでは、ラベンダーさんのお隣に座ることができて、間近でお話しできました。あまりの居心地のよさに、ラストオーダーまで、しゃべり倒してしまったので、善光寺見学は駆け足に。思いがけずに誘ってもらって、思いがけず実現した長野行き。おとねさん、ほんとにありがとね。 (おしまい)
2011.08.16
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先程の、あひるさんは、くちばしの間に丸い麩をくわえたまま、ためらいもなく、トコトコと私たちの方に近づいて来られ、真横で立ち止まって、そのままの姿勢で、こちらに横顔を見せながら、半目になってガシガシ麩を食され、そして、お尻を向けて去って行かれました。 ‥‥じっと見つめてしまった。いろいろ印象に残ったことを思いつくままに。順不同です。安楽寺参道がずっと石段になっていて、石段の両脇は、背の高い木々に囲まれ、あたりいちめん、蝉時雨に包まれています。閑かです。強い日差しは木々に遮られて、空気はこころもちひんやりとしていて、すがすがしいです。fate★さんの感激が、私にも伝わってきました。さんぽさんは、ちいさい頃こういうところで遊んでいたとのこと、それは、うらやましい。くまたろうさんに、木の名前を教えてもらいました。檜、朴の木。(そうそう、北向観音には、大きな桂の木があって、ぽーこさんから、桂の木の枯れ葉が甘く匂うことを教えてもらいました。ありがとうです。)三重塔は、改修中で参詣できませんでしたが、かわりにいつもは公開されていない木像を見ることができました。開山の祖は、鎌倉時代に宋に渡って学問を修めた方だそうです。鎌倉時代には、そういう方々が、この地に多くおられて、学問を広めたそうです。その拠点となった場所は「学海」と呼ばれ、今も地名で残っているそうです。(以上、くまたろうさんから)この山深い地から、海はなかなか遠そうです。山を越えて海を渡って宋に行き、また海を渡って山を越えて信州へ。いったいどんだけ時間がかかったんだろう。「海」と言う文字から、当時の旅を想像しました。そうやって学んできた人たち。きっと、すごく尊敬されたんだろうな~。(つづく) (写真は、北向き観音です)
2011.08.16
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いろいろ、お返事とか遅くって、失礼します。コメントとか、メールとか、なぜ見てすぐに書かない、書けない。へたすると、何日も寝かせています。自分でも、はて~~? であります。友人にメールして、速攻で長い文章がダーっと返ってくると、(ほえ~~)です。す、すごいな~。真似できない。わたくしには、どうも、時差が必要らしいです。というわけで、長野旅行のこと。みなさんの日記を楽しく読みながら、いわれのないプレッシャーを感じていた昨日でした。すぐに更新したいけど、どうもそれができない。書けない。‥‥ま、それが、私か。ムスカリさん、ラベンダーさん、くまたろうさん、長野では、本当にお世話になりました。ふつうの旅行者よりも、もっと身近に、一皮むけた長野を感じることができました。ありがとうございます~~。善光寺参道のにっこりしたお地蔵さまを見たり、パングラタンのお店に行ったり、ムスカリさんの息子さんたちがちいさい頃、よく鯉にえさをやったという神社の池で、鯉の餌をやったり、わたしにとって、これは、ムスカリさんの日記をたどる、たのしい「文学散歩」でもありました。新しい発見もありました。その鯉の神社には、こんな方も放し飼いになっていました。(なぜに神社にアヒル?しかも、麩、食ってるし。しかも、超リラックス) (つづく)
2011.08.16
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息子は、友人と、朝早く、駅で待ち合わせをして、二人で鈍行列車と新幹線を乗り継いで、三泊四日の旅です。いきなり三泊四日ですか。その地で、大きめのカード大会があるそうでして、ネッ友みんなでそれに参加するそうです。その間、ネット友だちのおうちに泊めてもらうそうです。そのおうちに、五人も泊まるとのこと。なんて奇特なおうちなんだ。で、ご飯は自前で、とのこと。あれがない、これがない、と、言いながら、朝、ぎりぎりまで荷物をつめていました。カードがずっしり入ったカバンと、着替えやらなんやら入った中型スーツケースと、背中にはリュック。荷物、多い。重そうです。「そりゃあ、不安だけど、やってみれば、なんとかなるし、楽しいってことも、多いから。」と言っていました。着いたらメールもらえるとうれしいな、とは、言ってあるのですが、メール来ないし~。はあ、心配。楽しんでこられるといいなぁ。
2011.08.12
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彼は、小学生の時に家族で越してきたご近所さんでして、息子が不登校中も、彼とは、友人関係が細々とつながっていました。中学の時、ご両親の離婚で、お母さんと妹さんと、隣の市へ転居。今、高校は寮生活です。以来、息子とは、たまにメールのやりとりがあるだけになっていたのですが、夏休みにうちに泊りに来たいということで、おとといから、我が家にいます。うちからニ十メートルも歩けば、彼が以前住んでいたお家で、今は、お父さんが一人で住んでおられるのですが、そこには泊まらない事情があるのでしょうね。それがまあ、すっかり背ものびて、厳しい寮生活(彼曰く、軍隊みたいに厳しいそうです。成績が基準値取れないと、頭をスポーツ刈りにさせられるそうで、彼も野球部員みたいな頭になっていました。)で揉まれて見違えるぐらい礼儀正しく大人っぽくなって、ほ~~、と、見惚れてしまうぐらいの好青年ぶりです。先に玄関から出ると、ドアを押さえて私を待っていてくれるジェントルマンぶり。まぶしい。比べちゃいかん、と思いながら、つい、息子と見比べて、(人の成長の速度には個人差があるかもね)、と、思います。で、二人のやりとりをそばで見聞きしていると、息子に何か言いたくなる私。そういえば、息子が小さい頃も、友人との会話を聞いていると理不尽に見える息子に、(そりゃ違うでしょ。)と、口を挟んでしまっていたように思います。その積み重ねで、かえって、息子を萎縮させてしまった面があったと思います。私の方に、今のうちに正してやろうという気持ちが強くありました。アフォでしたな。というわけで、この何日か、私は三食おさんどんに徹して、それ以外は、できるだけ家をあけています。(見ない、見ないわ。)午後からは、その友人が、他の友達を誘って、息子も混じってカラオケに行きました。みなさん、小学校の時は息子とよく遊んでいたけれど、中学になってからは、ほとんど交流のなかったメンバーです。息子、大丈夫か。カラオケだって、息子は、たしか、二年前に行ったきり。みなさん、大きくなったんだろうな~。
2011.08.10
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息子と二人で、しばらく実家に行っておりました。昨夕帰ってきました。感想。父って、やはり、強烈~。実家に到着して、ほっとしてお茶を飲んでいる私に向かって、延々と、管政権の不備を、口角泡を飛ばす勢いで、論じ始めるわがおとっつぁま。「あの~、着いた早々で、わたし、今、つかれているので、ぼ~っとお茶飲みたいの。そういう話は後にしてもらえませんか。」と丁寧に頼んでみると、ムッとして、ものすごく不満そう。政治は暮らしに直結するのにそれについて語り合えないオマエはなさけないみたいなことを言う。「一主婦の娘に話したところで、それで政治がなんか変わるのかしら。話を聞くと言うのも、サービスで、こちらはエネルギー使うんだけど。」と言ってみたけれど、かみ合いません。義憤を延々と聞かされる身にもなって欲しい。ほんっと、めいわく~~。聞くと、母は、日々、父の話を耳にタコができるぐらい聞いているらしい。それはそれは、お気の毒に。母の友人のご主人も、奥さん相手に、毎日政治談義をしているそうです。母の友人は、ご主人に、「そういうことは、私に向かってしゃべらないで、穴掘って、そこに向かってしゃべってちょうだい。」と返しているらしい。あら、そんなことが言えるご夫婦の関係で、うらやましいわ。母もそう言えばいいのに。というか、私もぜひ、言ってみたくなりました。「そういうことは、わたしにしゃべらないで穴掘ってやってよ。」父の話題は、いっつも、政治の話と、現職の時自分がいかに大活躍したか、ということと、歴史上で不運な死を遂げたひとの話。今回、彼のマイブームは、長年の武田耕雲斎から、2・26事件の安藤大尉に移ったらしい。なんで、実家に来ると、毎回毎回、父から自慢話やら、そういう歴史上の、裏切られただの殺されただのいう陰気くせぇ話を、延々と聞かされにゃあならんのよ。でも、ま、ここは、年二回の(親孝行プレイ)ですから、聞いておくか。しかし、父、話、長過ぎ。さえぎると機嫌が悪くなってこちらも気分が悪いので、ふんふん聞いて、イヤになったら目をうつろにして、トイレに立って、そのまま他の部屋に避難しておりました。帰りは最寄りの駅まで送ってくれるというので、「じゃあ、新幹線の乗り継ぎ考えて、時刻表調べておくからお願いします。」と言っておいたら、翌日、時刻表片手に時間を調べる父の姿が。あんれまあ、私が調べるって言ったのに。そして、彼が提示してきた時間がめちゃ早い。「乗り継ぎ駅で最低20分はみておいた方がいい。」というので、『私は5分でホームまで行けますから大丈夫」というと、超不機嫌に。「じゃあ、勝手に自分で行け。乗り遅れてもオレは知らんぞ。」と言うので、「なんで怒ってるのかわからないわ。」と言うと、『オレは怒ってない。」という。あらら、どうみても、顔が怒ってるじゃ~ん。 『オレは、オマエたちをちゃんと予定の新幹線に乗せる責任があるんだ。」というので、「これは、私の責任だから、頼んだ時間に車を出してくれればいいです。」というと、「オマエ、なんだ、なにさまだ、オマエは子どもだぞ。オレは何事も責任を持ってこうやってやってきたんだ。これがオレのやり方だ。」と言う。「あら。おとうさんは、わたしが、乗り継ぎの時間も計算できないようなパアだと思ってるわけ?」こういうすったもんだの末、お願いした時間に車を出してもらう、という成果を得た私。両親に楽しみに待ってると言われると、行かないのも後味が悪いし、行っても消耗するわ。今回行かないでいて、そのうち、父が心臓発作で死んじゃったりしたら、私、後悔するだろうしな~。今日は、朝から、ほとほとエネルギー切れですわ。息子は、実家では、読書とパソコン三昧。ゆっくりできた、と、言っておりました。それはよかった。わたしは、実家では、ゆっくりくつろげないのですわ。今も昔も。父は、息子の生活態度も気に食わなかったようでして、「朝からだらだら寝転んでいないで、しゃきっとしろ。」と言い、私に、「なんだ、あれは。ぷんを見ていても、オレはちっとも楽しくないゾ。二人とも、もう来なくていい。」と私に言っておりました。まあまあ、娘にぶつけたい放題のオヤジです。それを聞いて、「今は、こうこうこういう気持ちで息子と過ごしていますが、それがあなたの考えとはちがうことはわかっています。でも、決めた以上、私はぶれないでやりたいです。それで、見たくないということでしたら、じゃあ、来ませんから」、というようなことを言ったところ、「おまえの考えはわかったが、それでどうなってもオレは知らんぞ。オレは、ぷんには言いたいことを言うからな。邪魔するなよ。」父は人に気持ちをぶつけると、それですっきりするらしく、帰りは、また来いよ、と、駅まで送ってくれました。でも、ああ、ほんっと、もやっとだわ。とりあえず、この夏の私の(親孝行プレイ)は終了。父は、前回の発作のとき、そのまま死んじゃってたかもしれないんだし、そう思うと、こうやって、父と、あーだこーだ言いあえるのも、幸せなことかもです。しかし、ふりかえってみて、父の(オレの言う通りにしろ、さもなくばどうなっても知らないからな。)という発想は、娘の成熟の邪魔にしかならなかったわね~。意に反したら見捨てられる、みたいな。それでもって、見たくないからもう来るな、という今回の、父の発言は、一過性のものだったとしても、わたしにとっては非常に応える言葉でした。あ~あ。気力出ないわ~~。で、心で反撃してみました。おとっつぁまよ、あなた、娘や孫に喜ばせられたいか。私もですねぇ、父親のあなたから、喜ばせられたいものですわ。もうちっと、器の大きいオトコになって、娘の心の支えとなってくださいよ。あなたといても、私はちっとも楽しくないから、もう会いに行かないわよ。そんなこと、わたし、父には言えないわね。本心じゃないし。仕返しに、ただ、ちょっと思ってみただけ。でも、反対に、父は、まあ、私にそういうことを遠慮なく平気で言ってくるのね~。「おとうさんに、そんな風に言われると悲しいわ。」あ、そうだ。私は、父に、ただ、そういいたかったんだな。仕返しとかじゃなくって。しまった、言いそびれた。もやっとした心が晴れました。以前、私が父のことを評して、「あの人は発信が強くて受信が壊れている。」と言ったら、オットと息子に大受けしましたが‥。発信が強いから、父の気持ちは理解しやすい。でも、相手の気持ちを察したりするのは苦手。その「壊れている」、というところに、私の、父しょうもなさ感が漂っているのですが。まあ、でも、たまには言ってみよう。父に私の気持ちを。で、悪気はない。父が私のことを彼なりに愛しているらしいのは、すごくわかる。ただ、父は、コントロールしたい気持ちをガマンしないもんだなぁ。そこが迷惑。それと、聞き手の興味に関係なく自分のしたい話を延々と話してくる。それでもって、感情をぶつけてくる。へたすると、娘に、「きさまーー」とか言ってくるし。あれ、イヤだわよ。ただし、あまり後腐れがないかも。彼は、溜め込まないから。(いかにこちらの方の後腐れをうまく外に出すか、それが問題だわ。今回、半日もかかっちまったぜ。)それが、わがおとっつぁまで、ございます。年に二回で、じゅうぶん。おなかいっぱい。なぜなら、神経が休まらないから。母がずっと、娘の私に父のグチをこぼし続けた気持ちは、まあ、そんなわけで、とてもわかるんだけど、そうかといって、両親とも発信ばっかりでは、子どもは辛いわけ。掘った穴じゃないんだから。今、実家は年に二回でもお腹いっぱいなのに、わたし、毎日実家で暮らしていた頃、いったいどうしてたんだろう???
2011.08.06
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私の三つ下の弟のことを、ふと書いてみたくなりました。父は、政治的な分野に強烈な上昇志向を持った人でして、息子にかける思いも強く、弟には、ぜひとも法文科にすすみ、弁護士か政治家になって欲しく、弟がうまれたとき、「将来選挙カーで連呼しても栄えるような名前」をつけました。弟は、おっとり、のんびりした、人好きのする子どもでして、とても父のようにバリバリ競争をのし上がっていくタイプには見えず、回りに愛されて育ちました。彼は小学校の時、「将来の夢」という題の作文に、「将来は牧場で働いてのんびり暮らしたいです。」と書いて、両親をがっかりさせました。特に父のがっかり具合がひどかったのが、私の印象に残っています。小3の真冬に、うっかり学校の鯉の池に落っこちる。小4の時、学校でひどい腹痛を起こして、大騒ぎになって、救急車に乗せられる。(原因はただの便秘)そして、彼の暗い暗い中高時代。家では、暗~い顔しかみたことがなく、覇気がなく、死んだような目で、朝は長時間トイレに籠る。中学の担任から、『オマエは女の腐ったようなヤツだな。」と、暴言を吐かれる。いじられキャラで、部活動でのあまりのいじられようを他のお母さんから伝え聞いた母は、怒って部活をやめさせる。家では、ほとんど口をきかず、母は心配のあまり(?)リューマチ発症。長いトンネルに入ったような弟くんでした。高校を卒業して東京の農学部に進んだぐらいから、夜が開けてきて、バイクで遠出したり、バイトをしたり、海外旅行に行ったり、楽しそうにひとり暮らしをし、卒業後は、食品会社に就職。今に至る。最近、競技用自転車にハマり、そのうち、マラソンを始め、たのしそう。実家で会うと、いつも穏やかで明るい顔をしている、安定感のあるオトコになっております。当時母は、弟のことをすごく心配して、この子は叱ると萎縮する子だからといって弟のことは決して責めず、とばっちりで、私には、言~いたい放題。あんたがお勉強教えてやらないから弟の成績が悪いんだと責められ、父がちっとも子育てに関わらないからだ、など、父のグチも、えんえんと聞かされ続けて、なんだか何年もの間、母のサンドバックみたくなっていました。こちとらえらい迷惑だったのですが、今の弟を見ていると、な~んも心配することなかったのに、と、思います。でもって、当時は、見かけは安定感があって全く危なげなく見えたらしい私は、大人になってから、何年の間も、しつこくしつこく、当時の母に激怒する羽目に。ニンゲン、なにが幸いするか、わかりません。辛い時期に、子どもが家庭で不機嫌に辛そうにしていられる、というのは、大切なことですね~。ちっ。私は、損したわ~~。ムリに明るくふるまっちまった。それでもって、父のこと。父は、弟の将来の夢にがっかりしたものの、(あいつは、まあ、しかたない。オレはあきらめた。)と、自分のお仕事にいそがしく邁進し、そこをまた、息子に無関心だと母に非難される、という状況にあったのでした。それでもって、父は定年後、自分の名前が選挙カーで連呼されるという経験をし、息子ではなくて、自分で夢を果たしたのでした。実際やってみて疲労困憊したらしいけど、すっかり気が済んだらしい。父って、自分が好きで、ある意味無邪気で、おもしろいひとだなぁ、と、最近思うようになってきました。発信が強くて受信が壊れてる。はた迷惑なところもありますが、憎めないというか。あいつはまあ、しかたがない、と言う父の割り切り方は、長い目でみると、弟にはよかったな、と、思います。
2011.08.02
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私は、録画した『日曜美術館」などを、ひとりでぼ~っと観ていたりすると、こころがとてもリラックスします。草いきれの中、畑で草取りをしたりするのも、せいせいした気持ちになって、好きだわね~。自然の中を、ぽくぽくと、目的もなく、ほっつき歩くのも好き。自分の『好き』を数えながら、久しぶりに日記を書いているのですが、それもこれも、日々、家族の、共感できない『好き』の数々を、間近でつぶさに見ながら暮らしているからなのでした。オットは、今日からしばらく海外出張でして、朝、ばたばたと用意をしつつ、会社からの電話をさばきつつ、見ていて『てんてこ舞い』状態だったのですが、そんななかでも、ちょっとした時間に、本をパソコンに読みとらせているのでした。「お、一冊読み込んだぞ。あ~、スッキリした。」などと言っています。本をカッターでカットして、専用の器械にセットして、パソコンに読み取らせる、という、私から見れば無味乾燥な作業をやってる時、彼は、非常にリラックスして、脳内にα波が出ているっぽいのでした。たのしそう。それでもって、息子くん。私は、どうしても、彼のことがよくわからないのでして、ほんっと、わからない。実は昔から。実は以前も、遊びにくる息子の友人の方が、むしろわかった。なんだか共感できました。バラエティー、お笑い大好きで、彼が居間に居ると、テレビの音が、がちゃがちゃ五月蝿うございます。彼が凝っていた指ぱっちんは、さらに高速指パッチンに進化しました。高速指ぱっちんを見ている私の脳内には、つい、小島義男のネタの(なんのイミもない)というフレーズが流れてしまいます。流れるに任せて黙っております。以前、たまたま息子が観ていた「なにこれ珍百景」で、高速指パッチンをする中学男子が出ていて、そのとき、(あんれまあ、息子だけじゃないんだ)と思いました。毎日ほとんどの時間パソコンに向かい、毎週末にカード大会に通い、月二回の授業日は、淡々と学校に通い、レポートを出し、カードにおこづかいをつぎ込みすぎて金欠になり、今、彼は、バイト探しています。週末に出歩く彼には、なかなかバイトの口がないようでして、先月初めての面接で落とされ、先週別のところの面接を受けて、今、結果待ちです。来週は、カード仲間と二人で他県の大会に行くそうです。新幹線乗って、二泊三日、ネット友だちのところに泊めてもらうらしいです。私も旅に出ちゃうかな。
2011.08.01
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前回の記事で、友人に「そりゃめんどくさいわ。あはは。たいへんね~。」と、さらっと流せなかった自分を発見して、そんな自分を興味深く思いました。以前におとねさんがファッションについて書かれていたなぁ、などと思い出しつつ。私は、実は、少し前まで、自分の服装の趣味が自分でもよくわからず‥。どんなものが着たいのか、イメージできなかった、というか。若い頃は、だいたいは、母が買ってきたり、洋裁で縫ってくれたり。う~~ん。そのへんが、もやっとだわ。あ、思い出した。私が小学一年の初めての遠足のこと。母は、私の「遠足用」に、何ヶ月も前から、せっせとパンタロンスーツを縫っていまして、もう、そりゃあ楽しそうでした。当時、「ピンキーとキラーズ」というグループが巷ではやり初めた頃で(古っ)、ボーカルの今陽子が、パンタロンスーツを着ていたのでした。それは、当時のトレンドの最先端で、まだ、どこにもパンタロンスーツなんか売っていませんでした。でもでも、私ときたら、当時、もっのすごく内気な人だったので、実は、思いっきり目立ちまくるパンタロンスーツなど、全く着たくもなく、もう保護色で周囲に紛れていたいぐらいでしたの。でも、せっかくの母の創作の喜びに水を差すこともしたくもなく、日々悶々としておりまして、その間にも、作業は着々と進行。(ほんとに私、これ、着るんだわ~~)と思い、遠足の日が近づくのが本当に恐怖でした。 遠足の前夜、せっぱつまって、「これ、遠足に着て行きたくないの。」と告白して、母に『激怒』されまして、あきらめて死んだような気持ちで、派手派手パンタロンスーツを着て遠足に行きました。声かけられまくって、超恥ずかしかったのでした。たはは~~。公園で、上下のパンタロンスーツ。ああ、恥ずかしかった~~~。人のファッションの趣味なんか、‥‥放っとけや!! と、心底私は思うのでした。
2011.07.12
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いつのまにか、趣味全開のわがオット。あら、そういうな人だったのね~~。知らなかったわ。自分を含めて、人の趣味というのは、本当に、幅広いものですね。らのべ、アニメへの傾倒は、息子と趣味が被るところがあります。それでもって、最近彼がハマっているのは、蔵書を専門の器械を通してパソコンに読み込ませるという作業でして、そうして読み込んでおくと、何冊でもノートパソコンで持ち運べるそうなのです。時間を見つけては、いそいそと作業しています。なんだか、ものすご~く楽しそう。私にとっては、何がおもしろいのか、全く意味不明なのですが、オットの目線から見れば、私の庭仕事や畑仕事も、まあ、同じようなものなのでしょう。毎日毎日、長時間の仕事をこなし、夜遅くに帰宅。家でいそいそと好きなことをして機嫌良く時間をすごしている、ノープロブレムであります。話は変わって、今日、ランチした友人のグチで、私にはうまく理解できなかったことがあり、なんだか、もやっとしているので、ここで書きます。読んでくださるとうれしいです~。友人のご主人は、普段は服装に全く無頓着なのに、ご夫婦で改まった外出の機会があると、前日になって「着ていく服がない。」と、騒ぐそうなのです。なので、友人は、予定が入ると、何日も前に、あらかじめご主人のために何着も洋服を買っておいて、家でご主人に試着させ、気に入らなかったものは後で返品する、という非常に「しちめんどくさい」作業を繰り返しているというグチなのでした。それでもって、ご主人は、友人の買ってきたものに、いちいちいちいちケチをつけるので、その度に、大量の返品の山ができるらしいのでした。そりゃあ、めんどくさかろう。「じゃあ、ご主人といっしょにお店に出向くっていうのは?」と言うと、彼は興味がないからお店に行きたがらないのだ、と言う答えが。「私だったら、もしオットが、着ていく服がない、と、前日に騒いだら、『あらそう。』って言うわ。あきらめて、持ってる服で済ませてもらったら?」と言うと、でもださい格好のご主人とは一緒に歩きたくないんだ、という答えが。ご主人は趣味のマラソングッズは、ご自分でお店に出向いて、わんさか買ってくるそうなのですが、彼女は、いい歳してランニングシューズなんか履いたご主人とは一緒に外出したくないんだそうです。う~~ん。わずらわしさを、ねぎらって欲しかったんだろうな~、と、思いつつ、期待に添えず、もやっと帰ってきました。ご主人の洋服をみつくろって買ってきて後で返品する、という煩わしさを取るか、気に食わないファッションセンスのご主人と出歩くことを取るか、どちらにしても、そこにグチが入る余地が、私には、ないかもなぁ。
2011.07.12
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最近以前より出歩くことが多い息子なので、今まであまり歩いていなかった分、足が疲れることが多いようです。時々、「足の裏踏んで」と言ってくるので、はいはい、と、踏んでおります。そのたびに、思い出す記憶があります。私が子どもだった頃、しょっしゅう母に頼まれては、足の裏を踏んだり、肩を叩いたりしておりました。「かなりラクになったよ。ありがとう。」と言う言葉が聞きたいので、そういってくれるまで、一生懸命つとめます。その時間は、まあ、30分ぐらいなのですが、こども心には、毎回、とても長~く感じるのです。途中で止めると(はぁ~、もうおしまい?)、という辛そうな溜息を聞くことになるので、そうなると、それまでのせっかくの私の努力は「ぱあ。」になり、報われません。なので、時計をじっと見ながら、この針があそこまでいくまでぐらいかな~、などと思いながら、えんえんとつとめておりました。なんだか、修業みたいな気持ちでした。たまに父に頼まれると、「ありがとう、もういいよ。」と、すぐに、お役放免になるので、かえって拍子抜けでした。息子の足の裏を踏みながら、(まあまあ、わたしは、子ども時代は母の足を踏んで、長じては息子の足を踏んで。ベクトルを逆流させるお役目に回るって、こういうことなのね~、たはは~~。)と、なんだか、笑えます。「足の裏踏み」が、私にとって、(今、ここで流れを変えるのね)、というひとつの象徴のような意味合いを持っているように感じられて、(たはは~)でもあり、(機会をもらえて、ありがたや、ありがたや、)でもあります。ただ、息子の「もういいよ。」は、母よりもずっと早目なのでして、(あら、そう。もういいの?もっと踏みますわよ。)と、思います。最近、みなさんの記事を読んで、いたく感じいるところがあります。親の、子育て期間中の、心のコップの空き具合、というのは、もう、子どもには選びようのないことですね。子どもは、親の心のコップの空き具合に合わせて、甘えたり、ガマンしたり、自分の要求をこっそり取り下げたりして、成長していくのですねぇ。で、あまり自分の要求を取り下げてばかりいると、どうも自分のコップの空きの方がアヤシくなっていくようです。私は、今よりもずっと幼い息子に、「足揉んでよう」と頼まれた時、「それは、反対でしょう。子どもは親の足を揉むもんだよ。」と言った記憶が確かにありまして、当時の私ときたら、実に、実に、「あんぽんたん」であります。ただ、私は、子どもは親にサービスするものだ、という文化の家庭で育ったので、その当時は、本当にそう思っておりました。なので、今は、(頼んでくれて、ありがたや、ありがたや~~)と、息子の足を踏ませていただいている感覚なのでした。過去のいろんなシーンでの私の「あんぽんたん」ぶりときたら、ほんと、辿っていると気が滅入るので、極力辿らないようにしています。まあ、やっちまったものは、しゃ~ないじゃん。これから気をつければいいじゃん。私の「あんぽんたん」ぶりのその裏には、やはり、いろいろぐっとガマンしていた、ちいちゃい女の子がいましたね。その子が心で、おおいにぷんすかしているうちは、どうにもこうにも、らちがあきませんでした。
2011.07.03
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息子は、今、私立の通信制高校に通っています。土曜コースですが、毎週あるわけではなくて、スクーリングは月に二回程度です。スクーリングの日は、私が車で最寄りの駅まで息子を送り、息子は電車とバスを乗り継いで高校に通っています。初日は、バスで乗り越して、降りた停留所から学校まで全速力で走ったらしい。ぎり間に合ったらしい。平日コースもあるのですが、本人は、必ず出席しなければいけない日が決まっていた方がいいし、この日数だったらムリなく通えそうだから、ということで、土曜コースを選びました。レポートも、いまのところ、なんとかこなしている模様です。この高校は、スクーリングの他に、特別活動なるものがあり、取るべき単位数が決まっています。バーベキュー、遠足、救急救命法講座、調理実習、など、いろいろ用意されていて、息子は、自分が興味があるものには、ちょくちょく顔を出しているので、平日コースのメンバーとも顔を合わせているようです。息子いわく、土曜コースのメンバーは、すごくおとなしくて、授業中すごくし~んとしている、平日コースは半分が「腰パンのヤンキー」だそうです。彼は、平日コースに行っている人から、平日コースは授業中すごくうるさい」という話を聞いてきて、「このまま土曜コースでやっていこうかな~。」と言っております。アニメ、ゲーム、らのべ大好き、おたく度満開の息子なので、「オレはオトコだぞ~」と目力強く肩で風切る人たちとは、たぶんお話が合わないだろうなぁ、と、思いつつ、特別活動でご一緒したときはどうしているのかな~、と、興味しんしんです。お互い住み分けて、あんまり交流ないのかもね。週末には、だいたいカード大会があるので、学校のない日は毎週末せっせと大会に通い、ネットでのメンバー交流もさかんなようで、深夜、スカイプで対戦しているらしいです。先日彼は、東京のオフ会に参加しました、夏には仙台のオフ会行くから旅費出して、と、頼まれています。息子がひとりで電車とバスを乗り継いで行動する、ということが、もう、わたしにとっては、「おお~~!」な出来事でして、学校の行事のバーベキューが解散した後ひとりで自転車をレンタルして公園内を回って花の写真を撮ってきた、ということが、「おお~~!』な出来事でして、学校帰りの電車を待つ時間つぶしにゲームセンター行った、ってことも、「おお~~!」な出来事でして、カードを買うお金を稼ぎたいからバイトしたい、と、言っていることも、また、「おお~~!!」な出来事です。ひょうひょうと、中学生の頃とあんまり変わらない生活をしている風の彼ですが、私は、いろんなところに彼の変化を感じています。 ゆっくりな変化ですが。ひとつ、おどろいたこと、通信制高校の学割のJR回数券は、今、5割引きなのですねぇ。でもって、窓口で学割出しても、通信制だってことを、ちゃんと念押さないと、引いてくれないのね~。知らなんだ。最初に知らないで買ったときと、今回と、金額が、全然違うじゃん。しまった~~。
2011.06.30
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モロッコ豆と、インゲン豆用の。昨日は、暑かったし、さっさとやって終わらせるつもりだったので、飲み物を持っていきませんでした。しかし、この何日かの晴天つづきで、水分をたっぷり含んでやわらかだった畑の土は、カッチカチになっており、支柱が、刺さらない‥。予想外です。結局、炎天下の中、スコップ片手に悪戦苦闘しまして、そうしているうちに、隣のニンニクが気になる。もうすっかり地上部は枯れているので、これも、さっさと収穫しておきたい。う~~、気になる~~、ということで、手に持ったスコップで、ニンニクをちょこっと掘り始めたら、止まらない。結局2時間弱作業をして、(これ以上やってたら、脱水症状起こすかも。やばいかも。水~~。)と、帰ってきました。ちょうど私が帰る頃、地主さんが現れ、「これから下の畑やってくる。」といって、畑に置いてあった小型トラクター(牛若丸)を押しながら道をくだって行かれました。下の畑って、ここからずいぶん離れているんですけど、そこまでトラクター押していくのですねぇ。なんてタフなんでしょう。そして、ああ、じゃがいも。これまた、すっかり地上部が枯れ、収穫を待つばかり。気になる~~。でも、きょうも、朝から、すっごい晴天なんですけど。そんでもって、スイカとカボチャと地這いキュウリに敷き藁したいし、豆を蒔き足したいし、雑草抜きたいし。でも、すんごく暑そ~~。どうするかな~~。
2011.06.29
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名古屋オフ会、たのしかったです~~。お昼をドタキャン、遅れていったわたくしを、みなさんに温かく迎えていただき、たのしいひとときを過ごすことができました。ほんと、お世話になりました。みなさん、ありがとうございます。三週間前、父が突然心筋梗塞で入院しまして、ちょうどおとといの日曜日が退院日でした。午前中、病院に父を迎えに行きまして、昼は、わたくしが、いそいそとご飯を作りまして、久しぶりに実家で四人(両親と弟と私)で、食卓を囲みました。子ども時代は、ずっと、この足し引き無しの、4人のメンバーで、何度となく、同じ食卓を囲んで、日常を過ごしてきたものです。父は、最初の処置があと5分遅れたら、助からなかったそうでして、こうしてまた家で一緒に食事ができるのは、わたしにとって、とても幸せなことでした。外出先で、突然胸が苦しくなったそうで、心配して救急車を呼ぼうという父の友人に、(救急車なんかに乗せられたらどこに連れていかれるかわからん)、といって、自力で運転して病院に向かい、途中の総合病院を、(こんなとこに行ったら、検査されているうちに死んでまう。駐車場から病院まで遠いし、たどり着けへん。)と、横目でスルー。さらに運転して郊外の心臓専門病院に駆け込み、受付に到着したときは、目の前が暗くなってものもしゃべれなかったので、名刺を差し出したそうです。即、集中治療室に直行。部分麻酔だったので、意識はずっとあり、カテーテルで詰まっている箇所が通った時、ザーーっと血が心臓を流れるのが自分でわかったそうです。その途端、一気に胸が楽になり、お医者さんに、「今、何パーセントぐらい楽になりましたか?」と尋ねられて、(そのまま言ったら、医者が安心してまって、しっかり看てもらえんといかんから。)と、少な目に見積もってお答えしたそうです。うむ。実に、父らしい。こういう、ゴリッとした手応えのある、なんとも喰えない実体が、まさに父そのもの、という感じなのでして、私たち家族は、そういう父に護られ、そういう父を、迷惑がり、ときに、ひじょうに疎ましく思い、ぶつぶつ文句を言いながら、一緒に暮らしてきたんだなぁ、と、思いました。ともあれ、遅れてではありましたが、オフ会にも出席できて、みなさんとおしゃべりができ、ほんと、よかったです~~。二次会の、生ビール自分でつぎ放題、あれ、うれしかったですねぇ。最後にレバーを反対側に倒して、きめ細かいクリーミーな泡を乗っけるところに、感激しました。サラダも大盛りにして、マイ皿を抱えこんで、始終ムシャムシャやっておりまして、わたしは、なんだか、みなさんと比べて、大量に飲み、大量に食っていたような気がする‥。最後にお茶漬けも食べたし。それでもって、途中から会場に入ったのに、お尻が重く、ひとところに座り込んで全然移動しなかったので、せっかくご一緒していたのに、話していない方多数。次の機会を楽しみにしております。おとねさんはじめ、幹事の皆さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
2011.06.01
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観てきました~~。(ネタバレ注意!)今朝、ブラックスワンのことをぼけ~っと考えていたら、不意に、箱根駅伝を連想。往路の峠道で、意識もうろう、へろへろになって走っているランナーと映画の主人公ニナがかぶります。これ以上競技を続けると、まじヤバいかも。ダメージ受けるかも。あとあとまで引きずるかも。選手として長く続けることができなくなるかも。そういうシテュエーションのさなかにいる人は、やりとげたい気持ちが強くて、(ここで競技から降りるか、最後まで続行するか)、ということをその場で決めるのに、自分の体の声を聞きとりにくくなっているのかもな~~、などと。........................................(ブラックスワンを踊るために、母のいい子ちゃんで来た優等生的自分の固い殻を破って、大人のアヤシいフェロモンを身にまとった女性として生まれ変わりたい。自分がプリマとして立つ舞台の開幕に間に合うように。)主人公のニナは、そういう思いに突き動かされて、必死にもがいているように感じます。ニナとその母親との関係性は、ニナがすっかり大人になってからも、ほとんど変化しないままで来てしまっているように見えます。常に母親に強い関心を向けられ、手取り足取り世話をされ、毎晩かわいらしく整えられた自分の部屋で、たくさんのぬいぐるみに囲まれて眠りにつく。その環境は、たとえ意識されていなくても、彼女にとっては非常に窮屈なものになってきている様子が感じられます。彼女が大人の女性として成長することを阻む、檻の中のような環境。そんな彼女の心に、ちょうど一石を投じるように、監督から、ある課題が与えられます。白鳥の湖のプリマとして、奔放で激しいブラックスワンの役柄を踊りこなせるような女性性を自分に獲得すること。しかも、その課題は、バレエの開幕までの期限付きです。そして、その課題が、彼女を危険な心の旅へと誘い出して行きます。もっと深いところへ。もっと早く。もっともっと深く。もっともっと早く。‥‥性急すぎる。人の本質は、すぐには変われません。いくら変わりたいと願っても、変化は、もっと、ゆっくりゆっくり、年単位で訪れるものだと、私は思うのです。彼女が、大急ぎで掘り当てたもうひとりの自分は、まだ、硬くて、未分化で、あそびがない。ゆとりがない。その分、とてもデーモニッシュな存在です。それは、そっくりそのまま、ライバルであるひとりの生身の女性に投影されて、ニナは、日常生活の中で、しばしばその女性の幻影を観るようになります。その幻影は、現実のライバル以上に、魅力的で、デーモニッシュで、攻撃的で、今までの古い自分を根底から脅かす存在になります。ニナの心は、二つの要素に分裂して、お互いがお互いを攻撃し、敵対視している状況に。これは、彼女にとって、疲れる~~。非常に疲れる~~。ものすごくエネルギーを消耗する状態です。その疲労のピークで、待ったなしにバレエの幕が上がる。...........というわけで、今朝不意に、私は、箱根駅伝のランナーを連想したのでした。でもまあ、ここまで進んできたら、自分では止められないだろうなぁ。最後までやりきりたくなるだろうな~~。自分のブラックスワンを踊りきったニナ。すべてを出し尽くして踊る姿は、すがすがしいけれど、やはりほろ苦さが残ります。まわりを固めないままの、突貫工事の井戸掘り。ニナは、ブラックスワン、すご~く踊りたかったのだなぁ。でも、どうやって現実世界に戻って来るの?帰り道がみつからないのでは??舞台で完全燃焼。うつくしいけれど、人生はそのあとも続くわけだし~~。こころの白鳥的な部分を、あんなに急激に邪険にすると、やはり、こころは、とても悲しく、さびしく、感じるでしょう。ニナはその悲しさをじゅうぶん感じながら、時間をかけて、黒鳥の住む場所を徐々にゆずっていけるとよかったな~。白鳥と黒鳥と、両方がニナなんだから。ともあれ、バレエ、とっても美しかったです。観る側も、完全燃焼でした~~!!(この映画、ホラーじゃないと思いました~~。ホラー映画苦手な私が観てもこわくなかったから。)
2011.06.01
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一日の夕方に、わん男を、なじみのペット美容院に預けました。わん男は、置いていかれるのをいやがって、ずるずる這って後追い。お店の人が、リードを持って引き止めてる間に、私は車に乗りこみました。しばらくは、いやがるこどもをムリクリ幼稚園に置いてきたみたいな気分が続きました。そのまま、高速道路に乗って、家族で、オットーの実家にむかい、夕食は、ぷんの希望で、お義母さんと、近くのカレー屋に行きました。「一人暮らしだと、ちっともカレー作らないから久しぶり。」と、よろこぶお義母さん。そういうよろこび上手なところ、わたし、好きなんだわ。二日の夕方には、私の実家に到着。久しぶりに、母といっしょに、晩ご飯の支度をしました。人の台所は、使いにくかったです。急にお悔やみできたオットーは、三日の朝に、一足先に新幹線に乗り、オットーとすれ違いで、弟が実家に到着。地元のカード大会でネッ友と会っていたぷんを、夕方、弟の車で一緒に迎えに行き、両親をひろって、回転寿しで夕食。ネッ友の方たちと会ったぷんの感想は、「方言しゃべってた。」だそうです。スカイプで話したときは、方言じゃなかったそうです。四日の朝には、ぷんと新幹線に乗り、高速バスは渋滞がこわいので、上野で鈍行に乗り換えて、ゆっくり時間をかけて帰ってきました。鈍行列車は、都内を離れるにつれて、ガラガラ状態に。車窓にずっと続いている「ど田舎」の田園風景を、しきりに写真に撮っているぷんを横目に、半分居眠りしながら帰ってきました。駅までオットーに迎えにきてもらって、その足で、わん男を迎えに行きました。家族を見て、大喜びするわん男くん。後部座席でお座りして、「はっ、はっ。」と息を弾ませて、口が耳まで裂けて、ニンマリしているわん男くんを乗せて、三日ぶりに、我が家に戻ってきました。連休の後半、私は、庭仕事にハマり、半日は外に。五月の曇り空に、つい油断して、しっかり日焼けしました。シミがこわいわ~~~。雑草がすごいのと、生け垣のレッドロビンに病気が出て、消毒やら落ちた病葉の処理やらで、もう、やることがいっぱい。庭仕事にハマると、畑が疎かになり、畑にハマると、庭仕事が疎かになる私。連休中、結局畑に行かずじまいでした。この連休中、もうひとつ、ハマったものが。 DVDの「HEROES」にはまり込み、SEAZON1を、連休中に、全部観てしまいました。まったくの荒唐無稽。でも、おもしろい。ちとグロいけど。今日は、朝、出張に出かけるオットーを送り、息子をカード大会に送り、久しぶりの晴れ間に布団を干して、洗濯機を回し続け、夕方息子を迎えにいって、そんなこんなで、連休もおしまい。連休明けは、畑に行こうっと。今年も、トマトや茄子や、ピーマンや、ししとうや、スイカや、モロッコ豆や、インゲン豆を、作るのだ。それと、本腰入れて、パートの口をさがそうっと。しかし、息子くんよ。カード大会って、そんなにおもしろいものなのね~~。実に奥深いらしい。私には、わからないけど。ま、彼に、そんなにおもしろいものがあって、よかった、よかった。
2011.05.08
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ずっと前、まだ、息子が生まれていなかった頃に、自分の猫を迎えにいく夢を見たことを思い出しました。ふさ~っとしてゴージャスな猫と、くしゃっとした、黒くてみすぼらしい猫が、それぞれのケージの中で待っていて、私は、くしゃっとした方の猫に、「やっぱり君が私の猫か~。」みたいなことを言って、内心がっかりしている。その場で抱き上げて、名前をつけて、温かくかわいがることなどできなかった当時の私でした。それからまた何年かたって、カウンセリングが始まったばかりの頃の夢。ちいさい女の子がしょんぼりしていて、女の子の横に居る少し年長の男の子が私に対して、ものすごく怒っている。「今は、そういう状態なんだね。」と、カウンセラーに言われました。おちびを自分に引き受けられない私でした。黒猫くん的な自分を、かわいそうでみすぼらしい状態のまま放っておいて、私は、前半生を、がむばって、ひいこら生きてきたんだなぁ。みなさんの日記を読んで、思うこと。息子が、自分の猫を温かく抱き上げて、自分でお名前をつけることができるまで、身近な他者である私は、彼の猫を、ただ、んだんだと、かわいがってやろう。他にできることが、思いつかないし。息子の高校は、明日が入学式です。長い春休みのあいだ、息子は思いっきり昼夜逆転で、どうしたらそんなに笑えるんだろう、というぐらい、ネット動画を見て、連日大笑いしています。それでもって、たまに適応教室に遊びに行き、カードの大会に行き、シフォンケーキを作ったり、突然アニメ画を書けるようになりたくなったようで、テキストとスケッチブックを買い、おばあちゃんにもらった入学祝いで、ペンタブ(ムスカリさんの息子さんたちが使っているアレなのですね~~)まで買い、今まで絵なんか自分で書いたこともなかったのに、はて~、こんなに趣味を広げちゃって、いったい彼はどう収束していくんだろう(??)状態です。わからん。彼のことは、さっぱりわからん。私じゃないし。真夜中に動画をみて、大笑いしている彼の笑い声をふと覚醒した布団の中で聞くと、(あほかいな)とい文字が、私の脳裏にチカチカ点滅したりします。それでもって気持ちがずる~~っと落ちたり。そんな日もあります。突っ込みどころは満載だけど、そういうのって、彼の黒猫くん的要素が、今、全開ーーっ、真っ盛りーーってことだな、と、思います。ムスカリさんにならって、行動に、んだんだ、っていうことしか、う~~ん。やはり、私は、思いつかないです。連休中に、私の実家に家族で顔をだす予定なのですが、実家近くのカード大会にも行きたいそうで、なんだかんだネットで連絡とってるみたいです。ネットでも対戦してるらしい。ほー、カード対戦、たのしいんだなぁ。学割の件を高校の先生に聞いておいてくれるように私が頼むと、息子はその場で先生の携帯に電話して聞いたので、私は、ちょっとその行動力にびっくりしました。中学の時、あんなに学校への電話連絡がキライだったのに。息子は、入学式までに髪を切りたいそうで、今日、美容院の予約が入っています。私にできることといったら、あっしーくんぐらいだな。頼まれたら、車であっちゃこっちゃ行っています。ペンタブ関連で、他にいろいろ買い足したいものがあるそうで、少し前に、「バイトやろうかな、アルバイトの求人雑誌買ってきて」と言うので、私は本屋で探しました。「今は、昔みたいに店頭にいろいろ情報誌置いてないんだって。情報誌もネットになってるんだってさ。」と言うと、自分でネットでさがしてみて、近くの焼き肉屋さんの求人を見つけたそうですが、「飲食系は、前髪切れって言われそうで、イヤだな。近所でコンビニのバイトとかあったらやりたいけど。」と言って、それっきりになっています。息子は、年末の自分の父親に対する激しい吐き出し以来、言葉で吐き出してくることはあまりなくって、たまに「おとうさんは、子どもっぽいんだ。あの人だけには、いろいろ文句言われたくない。」とか言っています。それでも、父親に一目置いている節々もほの見え、思春期の息子の父親に向ける目は、複雑です。
2011.04.28
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朝から、BUMP OF CHICKEN の「K」をエンドレスで聴きながら、ゴム手袋して、台所の油汚れを落としておりました。今朝、(この曲を聴くと、なんで、私は、涙が出るのか)、ということが、わかったような瞬間があり、そうしたら、このところ、ゆれゆれだったこころが、ぴたっとしずまって、久しぶりに、元気出てきました。私は、この曲の、「黒猫くん」と、「若い画家」と、両方の要素が、私の中に、在るってことを、今朝、あらためて感じまして、それで、(ああ別に外をキョロキョロ物欲しげに探さなくってもいいんだ)、と、不意に、満たされた気持ちが戻ってきたのでした。私の「黒猫くん」は、ずいぶん長く、ひとりで、迎えを待っていたのね~。それでも、何年もかけて、やっと「画家」に会って、ちゃんと名前つけてもらって、一緒に暮らして。なのに、わたしの中の「画家」の要素は、ときに、ブレるのです。そうすると、「黒猫くん」は、居心地悪くなって、よそを彷徨いはじめる。そして、私は、現象として、元気がなくなる、そういうことなのでした。あ~あ。何年か前に、レミオロメンの「粉雪」が、巷ではやっていた頃、とてもこころ惹かれた歌詞がありました。 ぼくは、君の心に、耳を押し当てて、 その声のする方へ、ずっと深くまで、 下りてゆきたい そこでもう一度会おう「ぼく」と、「きみ」の、両方の要素が、わたしのなかにある。わたしのこころを、ずっと下りていって、その声に耳をかたむけるのは、わたし自身なんだわ。以前、ののさんに紹介していただいた、阿部敏郎さんの「いまここ」というブログがありまして、わたしは、私の中の「黒猫くん』的要素が彷徨いあるいている間、毎日のように、読みにいっておりました。何日か前に、そのブログの中で、(こころのふれあいは、自分と自分との間におこるものだ)という意味の(うろ覚えでして、正確な表現ではないかもしれません)フレーズに、わたしは、行き当たりまして、(ああ、そっかぁ。)と思いました。わたしのこころを、ずっと下りていって、「黒猫くん』的要素を迎えにいくのは、私自身がやることなんだけど。そうやって、自分の「黒猫くん」を、自分にしっかり引き受けて生きている人が、ちゃんといるんだ、ということを知ると、私は、とても励まされます。そして、私はひとりではない、ということを、心強く実感します。その実感は、ご近所さんとのおしゃべりみたいな、表層の次元ではない場所で、感じることなのですが、「黒猫くん」が彷徨いはじめると、そういう表層の世界までキョロキョロさまよい出て行ってしまうので、私は、よけい孤独になります。その孤独な状態まで行ってしまって、そこから、もう一度、しんとしずまった、深い温かな場所へ戻ってくるのは、何回やっちまっても、私にとっては、とても時間がかかる作業です。ただ、道しるべがあるから、時間はかかるけれど、戻って来られる。それが、ありがたいです。
2011.04.26
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おとねさんの記事を読んで、(そうだわね、ひとは、自分で想像してみて、心温まることをやった方がいいわ。)と思ったことでした。でもって、ちっとも心温まらない方の想像を、久しぶりにまた思い出しておりました。私は、幼稚園入園前から、(おとなしいらんでるちゃんに、おかあさんは、もっと活発な女の子になってほしいの)という母に、バレエを習わされていて、レッスンの間、母はずっと教室のすみで私の一挙一動を注視。私が先生に叱られて、母と目が合うと、母は必ず怒った顔をして私をキッと睨む。ということを、五年間やりまして、これは、ほんとうにイヤでした。じゃあ、目を合わせなきゃいいのですが、どうしても母を見てしまいました。一番へこたれたのは、見るとたまに、母が泣いていたことでして、(よっぽど私がひどいので、母はきっと悲しんでいるのだ。)と、心から自分のことを情けなく思いました。小3のとき、幼なじみが学級委員に選ばれた時、(どうしてらんでるちゃんがならなかったの。立候補すればいいのに。)と、責められました。私は、まったくのところ、そういう器ではないのでして、そういうリーダー的なものを私に求められても、荷が重いし、非常に辛いのでした。彼女は、(らんでるちゃんのためを思って、心を鬼にして言っているの。)(こういう風に怒ってくれるのは、親だけなんだからね。)(いいわいいわで子どもを育てると、たいへんなことになる。)が口癖でした。思い出に心が温まらない。その子の本質のところをこねくりまわさずに、(ああ、あなたはそういう人なのね。)と、ただ、後ろに控えていてくれて、確認に振り返るとニッコリしてもらえたら。そういうのいい、いいわ。というわけで、今日は、想像しては、ニッコリしております。それでもって、わたしは、自分にもそうありたい。(わたしはそういう人なのね。)と、自分の本質のところを責めないで、元気の出ないときは、(そういうときもあるよ。大丈夫だよ。)とやさしくしたい。想像したら、ひさしぶりに、心からニッコリできました。みなさん、ありがとう。
2011.04.07
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今日、久しぶりに友人の美容室に行ってきました。そして、塞き止められた川のような、無口で、へんてこりんに無感動な自分を再発見して帰ってきました。おやおや、これは、どうしたって、いつもと違う自分だよ。こころが、ずっと無表情に黙りこくっているし。内圧が高まっていなかったなんていう私の認識は、とんでもない間違いでした。感情が塞き止められていたから、行き所がなくて、思考が哲学に走っていただけなのかも。家に帰ってしばらくして、やっと出てきたのは、「え~~ん。地震、ホントこわかったんだよう。心細かったんだよう。近くに親戚もいないし~~。ずっと気を張りつめてたんだよう~~。」という、自分のきもちでした。あんれまあ、子どもみたいだ。そして、テレビで見る、被災地で大勢の身内で肩寄せあっている人たちが、なんとまあ、私は、うらやましかったのでした。少し運命がずれていたら、私は、いまごろ避難所にいて、それでもって、肩寄せあう身内は誰ひとりとしていない場所で、例えばだだっぴろい体育館で、そこかしこで集まりあってなごんでいる一族を横目でみながら、夫婦双方他県出身の核家族の寂しさを、この田舎で、ひしひしと肌身に感じていたんだろうな~~、という心細さ。地元の友人が、親戚同士で心配しあってこまめに行き来していたり、助け合っていたり。そういう話を後から聞くと、私、すごく、すご~~く、うらやましかったのでした。そういうもろもろの感情が、サバイバルモードの間、ずっと塞き止められていて、ライフラインが戻った後も、なかなかうまく表面に出て来なかったです。15日は、会社に出かけたオットから「福島原発、今回は相当ヤバいかもしれないから、荷物まとめて移動の用意しておいてくれ。窓閉め切って、外に出ないように。わん男は家の中に入れて。換気扇も回さないように。」という電話があり、いつもは冷静すぎるぐらいのオットの切羽詰まった電話に、わたしゃ、荷造りして、閉め切った台所で、ご飯を炊いて、せっせとおにぎり握りました。え~~ん。怖かったよ~~。オットの会社からも、部署は違うのですが、福島に、何人もの方が、電力復旧のお手伝いのために、派遣されています。報道されているいろんなこと、ぜんっぜん他人事じゃないし、でも、東北の被害の大きさを思うと、自分の体験なんて、たいしたことじゃないぜ、と思いなしていました。今日までは。友人のところから帰って、「ほぼ日」の山田ズーニーさんの記事を読んでいたら、やっと遅まきながら、自分の感情が、自分に帰ってきました。遅い~~。私は、たしかに、傷ついていたんだなぁ。でも、自分の気持ちに鈍感になってた。そんでもって、友人にメールしました。彼女は、地震の時、お店の石油ストーブを消そうとして、薬缶の熱湯がこぼれて、手に治療が必要なほどのひどいやけどをしていていて、置いてあった大きな鏡も割れてしまって、おうちのブロック塀も壊れて、それを、今日、ネタのように、笑い話のように、明るく話していたのでした。やけど、痛かっただろうなぁ、怖かっただろうなぁ、と、思いました。明るさは、ときに人を慰めもするけれど、ときに居心地悪くもさせるし。心細さを共有しあってこそ、お互い深く慰められることもあるよな~、そんなことを感じた一日でした。それでもって、これまた、ずっとここで書けなかったことがありまして。知人のご主人が、震災の朝、自殺されていたのです。時機が少しでもずれていたら、地震が起こって、てんやわんやになって、ご主人は死ななくてすんだかもしれず。もう、なんともいえない気持ちになっておりました。そのことをが、ずっと、ずっと、こころにひっかかっておりました。読んでくださって、ありがとうございます。
2011.04.06
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私は、自分の気持ちを、いちいち、いちいち、文章に落として、それから次に進んでいくことが多かったので、表現なしの状態のままを、ずいぶん長いこと抱えている今の状態は、わたしにとっては、あまりなじみのない状態です。ちっとも言葉に落ちていかないので、日記もコメントも、さっぱり書けません。インプットはできるのに、アウトプットが、なんだかムリ~~な状態が続いています。そういうときは、だいたいは、こころの内圧がたかまってきて、非常に辛かったという記憶があったのですが、今朝、ふと、それほど内圧は高まっていないことに気がつきました。だいたい、こういうときは、言葉にできない感情が溜まってきて、だんだん内圧が高まってきて、辛くなってきて、表現の風穴が開いて、どっと気持ちが外に出て一息つく、というパターンで来たのですが、どうも、今回は、そういう感じではないみたい。口あんぐりで、なにかにオドロイている状態が、私にずっと続いているだけで、別に感情が溜まっているというわけではないみたい。その人が抱く主張、信仰も、感情も含めて、「人」というのは、なんて時代や環境の制約を色濃く受けて生きているものなんだろう。(私も含めて。)怒りも、かなしみも、偏見も。(私も含めて。)というオドロキ。もう、何を今さら、なのですが、(私も含めて)っていう視点が、どうも、私には、今まですぽっと抜けてたみたいで、というか、「頭」ではわかっていても実感がなかった、というか。もう、そのなまなましい実感に、自分ですごく驚いてしまっています。認識に穴が開いて、そこから、す~す~風が入ってくる感じ。とても心細いです。しかし、(あーた、そんなことを言いはじめたら、どこか遠い果てまで、視点がぶっとんでしまうのではないか、ちょっと自分を離れて客観視してみました、ぐらいでは、済まない場所まで、こころが彷徨っていってしまうのではないか、そんなことを感じてどうするよっ)、という、怖さがありまして。『小人閑居して不善を為す」っていうことわざが思い浮かんだり。いがらしみきおの漫画「ぼのぼの」の、考えすぎると怖い考えになっちゃうぼのぼの君みたく自分を感じたり。大島弓子のちびねこちゃんみたく、こういうことは、みんなとお手手つないで考えよう、と、思ってみたり。時代や環境の制約の範囲の中に認識がまるごとすっぽり収まっていて、日常をためらいなく怒ったり、笑ったり、そういう自分だったらラクだったのか、いや、そんなことを思ってみてもしょ~がない。 でもまあ、できるだけ自分を平らかに保ちたいものだ。と思います。はて~、じゃあ、どういう状態が『自分をたいらかに保つ」ってことになるのか、よくわからんのですが、いろいろと、へなちょこななかで、『自分を平らかに保ちたいんですぅ~~~。』という気持ちだけは、立っているようなので、とりあえず、わたしは、それを柱に生きて行こうか、と。ま、あんまり考え詰めないで、言葉に落とすことを急がないで、ていねいに日常を暮らそう、などと思います。そんでもって、糸井重里の「ほぼ日」が、今、私にとって、とても近しいサイトになっておりまして、とても助かっています。穴にフタをして日常に戻るのではなく、穴が開いたままで、日常を生きるってこともできるよってことを、私に教えてくれるサイトなのでした。う~ん、穴のこと、制約、と言っちゃうと、違うような。そんでもって、穴は、やっぱり、あるのだわ。認識しようがしまいが。うまく言葉にできない。さて、畑行こう。
2011.04.04
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私の住んでいる地方は、『被災地」ということで、いろんな情報を、身近に見聞きしております。それでもって、詳しい情報が知りたくて、ネットの情報の海に潜ってみると、実にさまざまな視点での個々の発信があり、私は、ときに、共感し、ときに、「ひえ~~」となったり、眉間がコイル巻きになったり、頻発する余震に遭遇して体が揺れているときのように、心が揺れるので、非常に疲れるのでした。原発のこと。今回の事故で、里山ボランティアでご一緒していた、気概にあふれた若い有機農家のみなさんは、根底から足もとを揺さぶられることになりました。昨日、そのひとりの方からFAXが届きました。(丹精して育てた野菜や卵を自分自身が、自信を持って売れなくなった、しばらく休業する、この場所をしばらく離れる)、という内容でして、わたしは、かける言葉がみつかりませんでした。思い出すと、涙が出ます。風評に負けるな、神経質だ、という非難は簡単ですが、おいしい安全な作物をつくっているのだ、という「誇り」が傷つく、自分の依って立つ農業のイメージが傷つく、という心のダメージの大きさは、その人にしか、わからないものですし、イメージというのは、人は、大切にしてもいいんだ、と、思うのです。ひるがえって、消費者の立場から考えると、個々の感じ方には幅があるものなのでしょうが、食べる時に、放射線の数値の大小ではなく、やはりイメージ、というものを大切にしたいのだ、という気持ちは、また、あって当然なんだろう、と、思います。私自身、自分が畑で作ったものを手に、(食べよか、やめよか、考え中)になって、作ることが、ただ、よろこびだった自分の『趣味」が悩ましくなる状況に、きのうは心底嫌気がさして、昨夕のビールの量が増えました。(このままいくと、「震災太り」になりそう。)最近、「ほぼ日刊イトイ新聞」をうろつく時間が増えました。居心地がいいので。「ダーリン」の最近の記事の、『贅沢は敵だ』みたいな風潮がふたたび短時間で簡単に蔓延しないためにも、ささやかながらでもそれに対抗する力を持ち得る言葉として、『人を指差すな。」という言葉を示したい、という彼の感性に、私は、とても共感しました。人の感じ方、抱くイメージ、というものは、ほんとうは、個々で大切に、大切にされていいのだと思います。ただ、こういう大きな事故が起こると、そういう個々人のイメージの発信が、他のだれかを無遠慮に指差すことになったり、その人の気持ちを逆撫でするような事態も生じてきて、とても悩ましい状況になりますね。特に今は各自簡単にネットで発信することができるだけに。彼の、「人を指差すな。」という標語?は、なかなかいい線いってると思いますが、そうすると、凡人の私は、人を指差す人を指差したい気持ちになったりします。出物腫れ物所嫌わず。わたしには、こんなふうに、日々、いろんな感情がわいてきます。ともあれ、私のできる範囲のことは、自分の指を降ろすことだけなのですね~~。(もちろん、自分で自分を指差したりもしないってことで。)そんな最近のいろんな感情の中のひとつなのですが、今、なんだか、私には居心地が悪いことがありまして。私は、国文科専攻だったので、日本古来の八百万の神信仰、というか、アニミズム、というか、そういったことを詳しく学ぶ機会がありました。仏教が影響力をのばす前の、あらゆるものに魂がやどる、神が宿る、という日本人の古来の信仰のあり方についてです。ネットの海に潜水すると、ときに、そういったアニミズムの源流に触れたように感じて、そうすると、わたしは、なんというか、もぞもぞと、とても居心地が悪いのです。(原発さん、今までいっしょうけんめい頑張ってきたのに、邪険にされてかわいそう、)というのが、ちょっと、わたしには、居心地悪し、なのでした。わたしには、です。なんで、こんなに居心地が悪いのかしら。そういえば、私がこどもだった時、アニミズムに非常に強く捕らわれていた時期が長くあって、モノや動物への自分の強い感情移入が、自分でとても苦しかったのでした。いろいろ、かわいそうで、かわいそうで。かわいそうと言う自分の気持ちに縛られてるみたいで。そうか、わたしは、こわいんだわ。せっかく大人になったんだから、あの頃の不自由に戻りたくないのね~~。
2011.03.25
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こちらでは、11日、震度6強の地震がありまして、突っ張り棒のおかげで家具は倒れなかったものの、食器棚の扉が開いて、食器がかなり割れました。揺れが落ち着くまで、外の空き地に出ていました。近所の人も、怖くてとても家の中にいられない、といって、皆、外の空き地に出ていました。地震とほぼ同時に、電気が止まって、状況がよくわからず、ご近所の人が、ラジオをつけていて、震源地が宮城、ということは知りました。(後で、三つの地震が連動して起こっていたことを知りました。)揺れが落ち着いてきたので、暗くならないうちに、とりあえず、ろうそくと、ガスコンロと、石油ストーブを引っぱり出してきて、まだ出ていた水道の水をナベや薬缶に溜めました。(それからすぐに、断水。)災害無線の電池がちょうど切れていたので、これだけは、なければこれからヤバいだろ~~、と、思い、だめもとで、近くのコンビニに買いにいったら、地震直後だったのに、なんと、開いていました!!酒瓶類は割れて床はびしょびしょ。店の人は、『床に気をつけてください。余震がきたら、すぐ店の外に出てください。』と、叫びながら、レジ打ち。まだ揺れがある中で、よくぞ、お店を開けてくれていました。感謝です。そこで、無線の電池とレトルトカレーと、お惣菜等を買うことができました。古くからの家は、被害も大きくて、市内で亡くなった方もいる、というのを、レジに並んでいる時に、前の人に聞いたので、心配になって昔ながらの集落にある友人の家を訪ねました。幸い、友人も家も大丈夫でした。その夜は、ろうそくをつけて、朝炊いたごはんがあったので、石油ストーブの上で、風呂の水を湧かして、レトルトカレーを温めて、息子と二人で食べました。外はまっくらで、星がものすごくきれいでした。オットからは、無事とのメールが入っていたし、わん男の散歩で星をながめながら、わたしも、息子も、のんびり気分でした。オットは、その日は、出張中でして、大渋滞の中、翌日の昼頃に帰ってきました。それから、電気が復旧するまでの三日間、サバイバルモードのアドレナリンが出ていたようで、私は、とっても元気でした。ポリタンクを持って、朝いちに、給水に行き、ナベでご飯を炊き、冷蔵庫のものでいろいろ工夫して食事を三食作り、風呂の水で野菜洗いや、食器洗いをして、暗くなったら、やることがないから寝る、と言う生活をしておりました。割れた食器を片付けたり、川の水を汲んで、トイレタンクにいれたり、フキンを煮沸消毒したり、やることは、こまごまとありました。その間、防災無線と、手回しラジオで、近場の情報は入るのですが、ネットもテレビもなくて、津波が至る所で起こっていたことや、災害がこんなに大規模なものとは知らずに過ごしました。まず、二日後に新聞が来て、紙面いちめんにひろがる津波跡の惨状に、言葉を失いました。電気が復旧して、テレビを見て、また唖然として、三日前に水道が復旧して、洗濯もでき、お風呂もわかせて、ライフラインがだんだん戻るにつれて、反対に、テンションが低くなってきました。そこに、しりあいの方のご主人が、自殺されたと言う友人からの知らせ。鬱病で通院中と言うのはきいていたのですが。それも、震災の日の朝に。一日ずらしていたら、その日の午後の大地震で、気持ちが切り替わって、死なずに済んだかもしれず。それを思うと、なんともいえない気持ちです。気晴らしに、畑に行っては、なんだかんだやっています。じゃがいもの種芋も買ってきました。ぼちぼちそういう季節です。風向きには、注意しています。こちらもガソリンが品薄になっていて、鉄道もまだ不通だし、みなさん、通勤の足は車に頼るしかなく、開いているガソリンスタンドの前は、いつも、大渋滞です。おととい4時間並びましたが、直前で品切れ~~。残念。皆さん、文句も言わず、だまって解散。すご~~い。(私もか。)とりあえず、今残っている分を、薄~く使います。どうにも日記を更新する気分になれず、読むだけ~~、で、今日まで過ごしておりました。家族皆、元気です。みなさんの日記には、いつも、励まされております。コメントのお返事も、また、ぼちぼち書きたいと思います。励ましのメールや、コメント、本当にありがとうございました~~~。
2011.03.20
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息子には、半年ぐらい前から八時半に起こすように頼まれていましたが、だいたいは、いったん起きてコタツで爆睡。一ヶ月前、起きないときは10時にも起こして欲しいということで、起こしていましたが、やはり昼まで爆睡。彼は、睡眠の質を上げる、とかいって、しばらくアイマスクして寝ておりましたが、効果なし。今度は、10時に、しつこく目がはっきり覚めるまで起こしてほしいということで、私が家にいるときは、10時に、しつこく起こしております。このところ、ほぼ毎日、夕方には、適応教室に行くので、その送迎アリ。なんでしょう、だんだん私のストレスが、溜まってきました。2月ぐらいから自覚アリの、慢性「セロトニン不足」もたたって、史上最悪のぐるぐるモードに突入。(そもそも、私という存在がいるから、彼もこうして。いつまでも私を頼るのであって、いなければ、自力でなんでもやるのではないか。適応教室だって、自転車で通えない距離じゃないし。わたしなど、なまじ、彼のそばにいない方が、彼のためには、いいのではないでしょうか。いなきゃ、いないで、彼は、やっていくのでは?)と、どんより、くよくよ、適応教室に相談に行って、私の今のぐるぐるを、話してきました。どうして息子さんの、細かい依頼が増えてきたんだと思いますか?はあ。本人も、生活リズムを、なんとか整えたい、と、思っているのでしょう。そうですね。息子さんは、変わろうとしているんですよ。さなぎを脱ごうとしたら、ちょっと引っかかって、「おかあさん、これ、ちょっとひっぱって、とってくれない?」って言ってるのではないですか。本人がさなぎでいたい時に、むりやりひっぱろうとしているんじゃないんですから、そこは、快く手伝ってあげたらどうでしょう。なんだか、私の負担が増えていくようで、ストレスなんです。人の成長のペースは、人、それぞれです。息子さんは、以前と比べて、いい流れに入ってきているのではないですか。わずらわしく感じる、というのは、息子さんが成長してきて、それぐらいできるのではないか、と、おかあさんが感じはじめてきたからです。本当に大変な時期には、わずらわしく感じる余裕がありません。生活を変えようとしている時期は、本人も不安が増しています。いい流れができているときは、そのやり方を続けていく、というのが、心理学の原則です。今までやってきたやり方を、今、変えない方がいいです。今、手を引っ込めない方がいいですよ。..そんな話を聞いて帰ってきました。親が、もうこんなことは本人ができるのではないか、と、わずらわしく感じ始めているとき、そして、生活の変化を目前に本人の不安が増しているとき、いままでのやり方を変えない方がいいのか。なるほどです~~。でも、ほんとうに、わずらわしく感じていた昨今なのでした。
2011.03.11
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昨日の卒業式で巻起こった自分の感情の渦の大きさに、いいかげんぐったりした私です。帰ったら、(もう、すぐに横になりたい)と思いました~~。卒業式が、いかに感動的だったか、とか、私がものすごく複雑な気持ちになったこととか、息子は意外にも楽しかったと言ってたこととか、もう、言いたい、言いたい、オットに言いたい、と、思ったのでした。答辞を読みながら泣いてた男子生徒さんのことも言いたい、言いたい。「『いままで、ぶつかったり反抗したり、心配かけてごめんなさい、おとうさん、おかあさん、あなたたちの子どもに生まれてよかった。大好きです。』だって。それあの歳で言うって、すごくない?なんて泣かせる言葉なんだ。父兄で泣いてる人、いっぱいいたよ。」と私。「オレ、そういうの、ダメ。苦手。オレが中学生だったら、よくそんなことみんなの前で言えるな、勘弁してくれよ、て、思うな。」は~~、そうですか。なるほど、人の感性はいろいろだなぁ。「式って、やり方で、どれだけでも感動的にできるだろ?そういうのがイヤなの。乗せられたくないの。オレ、卒業式とかで泣いたことないし。」「ああ、そうなん。でも、私は、できるならば、感動を共有したかったの。それができなくってさびしかった、というか。ほんと、複雑だったのよね~~。」とか、話しているうちに、少しざわざわが収まってきました。みんなで感動して泣くっていうのは、気持ちいいからなぁ。私なんか、ぜひ混じりたいもん。参加したいのよ~~。感動したもの勝ちじゃん。でも、まあ、感情を共有させた集団って、目的によっては、危険かもね~~。(その場の情動にやすやすとは乗らねぇぞ)、って思っているオットって、なんか、おもしろいな~~。喰えないよな~~。生徒さんにもいろいろあり、顔見知りのおかあさんは、「息子は、中学全然おもしろくなかった、と言ってましたよ。いろいろたいへんだったみたい。今日も息子はひとつも泣いてないし。私は答辞にはもらい泣きしたけど。」と話してくれたのですが。私は、ぜひ、仲間とともに感動を共有して涙する息子を見てみたかった、というか。そういうの見たら私、泣いちゃうな。これも、我欲ですね~~。喰えないオットの息子も喰えないのか。以前、フラガールを観て泣いてる私を横目に、「なんで、こんなベタな展開でおかあさんは泣けるかな。」と、言ってた息子。「私はね、乗せられたいの。その方が気持ちいいじゃん。泣く機会には、乗ったもの勝ちじゃん。乗りそこねると、ちっ、と思うの。残念なのよっ。」と、オットに力説しているうちに、なんだか、ミもフタもない感覚になって、情緒的な湿ったもやもやが、少し晴れてきました。そうなのか?わたし?
2011.03.10
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息子は、出席しました。最後の方は、会場は盛り上がって、涙、涙の生徒さんたち。答辞の生徒さんは、泣きながら答辞を読み切りました。生徒会の手で、スライドで紹介される3年間。文化祭、体育祭、部活動。担任の先生への言葉。会場が感動でつつまれていくほどに、私は、疎外感を感じて、とても複雑な気持ちで座っておりました。いい学校だったんだなぁ。そこに、彼は、ほとんど、いなかったんだなぁ。惜しい、惜しいなぁ、と。私は、おととい、制服のズボンの裾直しをして、体育館シューズと上ぐつを、下駄箱の隅からひっぱりだしてきました。くつが、ぱっつんぱっつんだわ。でも、使うのは、一日だけ。体育館シューズは、分厚い中敷きを取ったら、なんとか履けた。上靴は、(この際、かかと踏め~~)ということで。彼は、卒業アルバムの写真も撮ったし、卒業文集の原稿も、ぎりぎりで提出。彼の望む、中学校との関わり方は、やはり、彼自身にしかわからなかったです。わたしの憶測で邪魔しないで、よかった。私の感傷とは別に、彼なりの中学時代を、彼は、全うしたのだろうか。息子は、昨日の放課後に、体育館で、ひとり担任の先生に証書授与の練習をつけてもらいました。そのとき卒業生が式で歌う合唱曲のCDを借りてきて、一夜漬けで男性パートを暗譜したもよう。朝、居間に、寝室のCDデッキが出現しておりました。式場に向かう車の中でも、彼の歌の練習は、続きました。「手紙」を車内で歌う息子。これ、歌詞がやばいんですけど。私、泣こうと思えば泣けるな、このシチュエーション。泣かないけど。この3年間、担任の先生は、学校復帰を目的にしないで、息子にいろんなお題を出して、途切れないで関わってくれました。息子は、お題を頂戴して、がんばったこともあり、いいえけっこうです、と、ことわったり、やると言っても結局できなかったりしたこともあり、いろいろでした。言えることは、超マイペース。私が、ここまで、いろいろ、あーだこーだ、悩んでやってきたことが、息子にとって、よかったのか、悪かったのか、ほんとうのところ、、私には、まだ、わかりません。彼が、学校に行けなくなったとき、こりゃ自分の常識の枠を外そうと思って、心配で自滅しそうな自分と格闘してじたばたしたこと。まだ小学生なんだから、学校へ戻す方向で、みんなでもっと一致団結して、がむばるべきだったのか。小6の新学期に学校復帰した時、朝から放課後まで飛ばし過ぎのペースを、まわりでもう少し押さえてやるべきだったのか。私は、かたくなだったのかしらん。あぶら汗を流しながら、回りにも自分にも、これは本人が決めることだから、と、ツッパって居ました。ただ、そういったこまごまとしたサポート方法以外のところに、私の課題はあったのだと思います。ゲームへのこわいぐらいの傾倒、コミュニケーションの噛み合わなさ、しみじみ、ほのぼのした気持ちのかよいあいの持てなさ、私は、息子が学校へ行かなくなる頃から、彼のことを、ものすごく心配して、どんどん口うるさくなっていきました。勉強しろ、とか、そういうことではなくって、ニンゲンとしてそれってどうよ、情としてそれってどうよ、というところからまきおこる、自分の際限ない口うるささを、私は止めることができませんでした。それが、息子をかえって追いつめて、萎縮させていったのだと思います。ずっと自分を抑えてきた未熟な私には、そのときの成長過程の彼をそのままに受容することが、とってもむつかしかったのでした。式の後、在校生や父兄の列の前を、胸にピンクの花をつけた卒業生たちが歩いていきました。あの盛り上がりの中、息子は、どんな気持ちで歩いていったのだろうか、と、思いながら、父兄の列の後ろを走って、息子の姿をさがしました。しょんぼり手持ち無沙汰にしていたら、ゲットして、さっさと帰ろうと思って。息子は、いい顔しておりました。私は、彼をつかまえて、写真を撮りました。なんと、カメラに笑顔を向けました。学校へ行かなくなってから、彼は、すっかり写真嫌いになりまして、いつも、カメラからは逃げ回っておりました。修学旅行のときも、先生がカメラをむけると、その場から離れていたそうです。学校へ行かなくなってからの、彼の写真は、ほとんどありません。数枚の写真も、いつも、いつも暗い表情をしておりました。私が写真を撮った後、彼は、自分のカメラを手に、同級生たちと話しに行ってしまいました。ずいぶん長いこと、同級生の中に混じっておりました。なかなか戻ってきませんでした。わたしは、デジタルカメラに残った彼の笑顔のスナップを、ぼ~~~っと眺めてしまいました。なんとまあ、このひと、カメラに笑顔で写ってる~~~。彼は、私じゃないので、私には、わからないことだらけです。彼なりの成長のペースがあり、時間をかけて、ゆっくり味のある大人になっていくのかもしれない。彼の、そのままを認めることが、私には、とてもとてもムツカしかった。今だって、複雑な気持ちになることがあります。でも、わたしは、そうしたかったんだぁ~~~。それが、わたしには、とってもむつかしかったんだよ~~~~!!ずいぶんたって、「ああ、おもしろかった。そろそろ帰るか。お昼ごはん何?」と、車に乗り込んできた息子。(わたしゃ、とってもとっても複雑だったんですけど。)と思いました。さまざまに巻き起こった自分の感情の渦のうねりで、くたくたに。でもって、今朝、わたしは、ちょっとのつもりが、コタツで爆睡して、月一回しかない資源ゴミの日を逃しました。気疲れのせいだな。あ~あ。
2011.03.08
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私の、そのときどきで、移り変わっていく感情を、そんな風にイメージしてみました。無論、うれしいとか、たのしいとか、おいしいとか、心地いいとか、そういうものばかり流れているわけではなくって、怒っていたり、悲しんでいたり、しょんぼりしていたり、‥。これは、許容範囲で、もう、想定内。それでもって、何日か前から、「憎しみ」としか言いようのないものが、その川にぷかぷかやってきまして‥、コレは、わたしにとっては、想定外です。何に対する??う~~ん、それが、漠然としていて、よくわからないのです。強いて言えば、「鈍感さ」に対する?明るさばかりに目をやって、暗いところを見ようとしない、ってところ??光と陰、ということをイメージするのに、表層は、あふれる光ばかり。陰は、表層から切り離されて、(自己責任で)家庭や、最悪、個人が背負う?そういうあり方が、わたしは、「憎い」のだろうか。自分の中に、どうしても、光しか見ようとしないのならば。陰はすべて外界に投影される。自分たち、というくくりの中に、光しか見ようとしないのならば、陰は、たまたまそのくくりから外れていた対象に投影される。そういう加害性を孕んだ鈍感さを、私は、今、ものすごく憎んでいるんだなぁ。そこに今、こんな風に、スポットが当たっているのは、今のわたしに、必要だからなのだろうか?たとえば、あさはかだったとしても、誰か特定の人を傷つけたわけではない、まだ未成年の男の子を、マスコミや、社会全体で、ぎゅうぎゅうに責め抜くような、そういうヒステリーっぽい風潮、ヤだな~~。
2011.03.04
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処方された薬を、真面目に飲み始めて、一週間。その間、不安感はかえって募るわ、午前中は、ぼ~っとして使い物にならないわ、ビールは薬の性質上飲めないわ、コーヒー飲んでもまずいわ、食欲はないわ、偏頭痛はするわ、明け方の罪悪感はかえって募るわ、で、体調は、絶不調に。ためしに、鬱病チェックシートをやってみたら、完全に鬱状態。昨晩、(こんなこと、いつまでも、やってられっかよ)と思って、薬飲まないで、ビール飲んで寝ました。今朝、寝覚めスッキリ。コーヒーおいしいっ。どうも、わたしは、やっぱり自分でやっていくのが、いちばん性に合っているようでして、「医者に委ねてみる」という冒険は、結局、一週間で、あっさり挫折しました。(考えてみたら、自分のこころのことを、よく知らない人に丸投げできるかよっ。ばかばかしいっ。なにが冒険だよ。うっせーんだよ。悩むときは悩むよろし。悩んでなんぼの人生じゃ。困ったときは、大壺でも何でもひねくり出してやる。わたしゃ、自力でセロトニン溜める。行けるところまで自力でやるわいっ。)と、思いました。ま、しょうがない。こういうのが、私なのですね~~。たはは~~。
2011.03.01
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今日は、朝から、実家の父から、陰陰滅滅とした声で、「そうか。通信制にしたか~。毎日通うんじゃないのか。ふっ。自分のペースで‥か。わかった‥。」という電話がありまして、わたしは、非常に、非常に凹みました。凹んでいるところに、また、すぐに電話があり、「まあ、途中で気が変わって、普通の私立に転校ってことも、できるしな。そうしたら、学費は出してやるから。なっ。」と、追い打ち。「私が、どんな気持ちで、ここまできたと思ってるの。もう、そういうこと、言わないで。」と言って、電話を切りました。ほんと、こどもの心、親知らずだなぁ。わたしは、もう、じゅうぶん、両親を喜ばせるために、いい子で頑張ってきたわけだし、こうして、また、孫のことで、親に失望した声を出されると、やはり、辛いな~、という気持ちがあります。「あいつも十五なんだから、もう、親や回りのせいじゃないし、自分で自分の人生切り開いていくしかない。自分の責任で、将来のことを、よく考えてがんばれ、と、ひとことあいつに言ってやりたい。」と、父。まあ、そりゃ、正論なんだけど、そう言われたら、言われた方は、どんな気持ちになるのだろう。ただ失望の気持ちをぶつけられているだけだ、と、私だったら感じるだろうな。息子が学校へ行かなくなった当初、父は、私に、「オレが誰よりもいちばん、ぷんのことを心配しているんだ。誰よりもだぞ。」と、言いました。(だから、いちばん心配している彼のこころをこそ、娘や孫は、ちゃんと汲んで行動して欲しい、汲み取るべきだ、というのでしょうか。)孫が悩んだ末の身の丈に合わせた選択なんだから、じいちゃんたるもの、ここは、ぐっと大人になって、こころよく応援してやってほしいよ。父が私に、(おまえは、もう、じゅうぶんやったよ。ありがとう。後は、おまえの好きなように生きればいい。ぷんも、あいつが好きなように生きればいい。)と、からっと言ってくれないかなぁ。そうしたら、どんなに私の気持ちが軽くなるかしら。こういうとき、「心配は親の存在不安を運び出す荷車」という言葉を、あらためて思い出します。私が小学校低学年の頃、父が、私の工作の宿題を、作ってやる、とはりきってのこぎりで手にけがをしたことがあって、その時、父は、わたしに、「おとうさんが、わたしのために工作を手伝ってくれていたら、手にけがをしました、と、作文に書けよ。」と言ったので、私は、『?』となりました。なんで作文に?父は、苦学をして自力で大学まで進んだ、野心と能力のある人でしたが、わたしにとっては、ぜったいに悲しませてならない、かわいそうな人でした。父もかわいそう、母もかわいそう、と、私は、ずっと思っていたのでした。もう、わたしは、父のために、じゅうぶんやったから、もう、いいではないか。もういい、ありがとう、と、言って欲しい。追いかけて期待して失望して来ないでほしい。いっそ、私という娘が、いなかったことにしてほしい。というわけで、朝から、ブルーですわ。反面教師にしよう。
2011.02.25
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ネットで、セロトニン関連で、検索したら、いろいろ出るわでるわ。あらためて、すごいな~~、ネット、と、思いました。情報の海の中を泳ぐにも、エネルギーが要りますね。読んでいたら、へとへとに。特に、主観にまみれた情報は、エネルギーがないときは、心でさばけない。疲れる~~~。(主観にまみれた、などと、感じた時点で、もう、そういうときは。情報から距離を置いた方が、よさげですね~~。)そうそうに、切り上げることにしました。こりゃ、少し、この人に頼ってみようかな、と、思った途端、こころの硬く緊張してきた一部分が、「へなちょこ」っぽくやわらかくなって、(おねがい、ちょっと、そうしてみてくださいな~~)と言うのでした。ずっと、どこかで気を張っていたのですかねぇ~~~。大壺に、どぼどぼだもんな~~。そうそう。「へなちょこ」って言葉が、しっくりくるかんじです。しばらく、たのしく「へなちょこ」しています。小説も、今は、ダメだ~~。「まみれる」って感じになるから~~。
2011.02.24
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とっても、よかったです。メリル・ストリープが、とってもとってもチャーミングでした。観てて、元気をもらえる映画です。二月になってからというもの、早朝ブルーがあまり長く続くので、毎朝ブルーな気持ちを、イメージした大壺に、どぼどぼ注ぎ入れておりましたが、先日、やっぱ。こりゃ変かも、と思って、心療内科へ行ってきました。いつもの、ざわざわ沼女とも違うし、しょんぼり感とも違うし、なかなか切り替えがきかないし、ちと変だ~~、と、思って。問診を受けました。はあ、セロトニンが足りなくなっているのだろうって??持続したストレスがないか、聞かれました。まあ、ストレスっていえば、この何年来、ずっと、ずっとですがな。特に年末から一月にかけては、と言う話を、モゴモゴしておりました。ストレスが長く続くと、セロトニンが消費されて、不足するらしいのです。特に、明け方は、セロトニンが足りなくなるそうです。はあ、それで明け方。はあ、セロトニンですか~~。いやぁ、今までが、ずいぶん長かったしなぁ。薬の処方箋が出ました。「以前(息子が学校に行かなくなった頃に、一度受診しました。)に出した薬といっしょです」、と、言われて、「実は、わたし、薬は、飲みませんでした。自分でなんとかできそうだったので。」と、告白。「そうですね~~。あなたは、ここはちょっと任せてみよう、という、冒険心が足りないかもしれませんね。エネルギーが低い状態で、ずっときているから、ちょっと上向きになれば、自分で、それが普通だと思っているのでしょう。普通は10のところを、6ぐらいで、がんばってても、セロトニンは、溜まってきませんよ。」と言われて、(なるほど~~。そういうところがあるかも。私は、自分を人に委ねてしまうことがイヤなんだわ。)と、思いました。自力でできることならば、自分でやっちまおうと。ここは、ちょっと、この先生にお任せしてみるかな~、と、思いました。
2011.02.24
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伯母のことを書きたくなりました。伯父(母の兄)と父が親友同士だったことなど、いろんな事情があって、私がちいさいころ、母の実家には、家族で入り浸っておりました。まるで、第二の我が家みたいに。私は、伯父と伯母が大好きで、ふたりには、ほんとうにかわいがってもらったのですが、早世した伯父の死後、跡取りのことで、いろいろ複雑な問題があって、伯母と母たち姉妹が対立して、ずいぶん長い間、ぎくしゃくしたのでした。父は、当時、中立の立場で、母たち姉妹のことを、内政干渉だ、と、批判していたのですが、当時若かった私には、伯母の辛さがわかりませんでした。不意に、小姑としての、加害者、侵入者としての、母たち姉妹の残酷な姿が浮かび上がりまして、私は、今、びっくりしています。伯母は、たいへんだったんだなぁ、苦しかっただろうなぁ、と、思うのです。そして、一卵性双生児のような母娘だった当時の私は、母の立場になって、伯母に批判の目を向けていました。それは、公正ではなかった、と、今、私は、思います。加害者としての自分というものも、そのとき、いたのだと。
2011.02.20
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どうも、息子がその頃に、寝たようで、その物音で目が覚めました。なんだか、得体の知れない不安やら、後悔やらが、どば~っと出てきたので、(あんれまあ)、と思い、大きな壺をイメージして、その中に、それを、どば~~っと、全部注ぎ入れてみました。入る入る。なんせ、大きな壺なので。いくらでも入る。不安は、もう、あって当然なんだけど、まわりに拡散しない方がいいし、自分や家族に、もわ~~っと霧のように漂い始めると、非常に、めいわく~~~。どうせならば、据わりのいい、どっしりした、じょうぶな大壺に入れて、その壺ごと眺めていようかと。このイメージ、けっこう使えました。こういう朝があったら、また大壺をひっぱり出してこよう。「据わりのいい」ということばで、「アメトーク」の、「小杉いじりたい芸人」の回で、千原ジュニアが言った、小杉の「据わりのいい顔」を、思い浮かべました。据わりのいい顔!!すばらしい表現。言い得て妙!!でも、あの顔を思い浮かべると、なんだか、わたし、しあわせな気分になるわ~~。
2011.02.18
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ケロリンさんに、思いがけず、書き込みをいただいたり、おとねさんに背中押してもらったりして、どんどん映画観てます。昨日は、「愛を読む人」今日は、「息子の部屋」それで、私が、今、いちばんやりたいことは、映画観ることなのね~、と、気がつきました。だいたい観るのは、旧作だから、百円で観られる。素晴らしい~~。それでもって、近場は、邦画と韓流と、アメリカンなSF、ホラー、テレビドラマシリーズばかりで、しっとりした洋画の品揃えが、なさすぎる~。なので、今日は、別の店を回る予定でいます。せっかくのお勧め、ぜひ、全部、観たいです~~。息子は、進路を、決めました。通信高校の面接受けるそうです。ああ~~~。決めるまでが、長かった~~。昨晩、真夜中に、彼、歌を歌っておりました。結構大声で。あんれまあ。歌ってるよ。息子のことは、本当に、むすこにしかわからないです~~。卒業アルバムも欲しいといって、制服着て、写真屋さんで個人写真を撮ったし。文集も、〆切りに間に合わず、書かないのかと思っていたら、期限をのばしてもらって、ラストスパートで、今、必死に原稿書いています。予想外です。ああ、もう、彼は、予想外だらけ。そりゃあ、そうですね。わたしじゃないから。わたしは、こわくて、いろいろ提案できない。わかんないのに、提案して、それで、彼の人生の責任とれないし。
2011.02.16
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昨朝は、出張に行くオットを高速バス停まで送り、カード大会に行く息子を、会場まで送り、家でひとりで借りてきたDVDを観ていました。帰り道、スーパーとレンタルビデオ屋に寄って、(おお!日曜日に、家でひとりの時間。いい。いいわ~~。)、と思っていたのですが、さて、家に帰ると、妙に気分がスッカスカしました。オットはしばらくまた留守だし。天気は曇天だし。そうはいっても、、「さびしい」というものとも、ちょっと違う感覚。それでもって、私には、非常になじみ深い。ああ、こういうの、「存在不安」だ。このもやっとした感覚に、ちゃんとお名前つけてた人がいたとはねぇ。捕まえた。それもリアルタイムで。お名前ありがとう。(命名者、どなたでしたっけ。)そういうとき、自分にどうやさしくすればいいのか、いまだに、よくわからないでいるのですが、(ああ、あるね、ここに。わかってるよ。よしよし。)と、リアルタイムで感じることができるだけ、進歩です。それでもって、この時間、そばに誰もいないから、思いっきり自分にかまけられる。贅沢だ~~。昨日観たのは、「わたしのなかのあなた」。このDVDがまた。とても、こころに沁みたのでして。お昼は気楽にカップラーメンだ、と思って、「究麺 とんこつ味」などを、たのしく用意していたのですが、どうもひとりで食べる気分になれず、息子を迎えがてら、近くのパスタの店で、遅~い昼食をとりました。ゆっくりコーヒーを飲んでいると、息子現る。このひと、大会に行くと、いつも、お昼も食べずにカード三昧しているのです。私と時間差で、さらに遅い昼食。うまそうにカルボナーラを食っておりました。帰ってきて、居間で、ギター弾いてる息子。それから、チーズケーキを作りはじめる息子。それからイラストの練習しはじめる息子。自分の「好き」なことを、こころゆくまでやれる時間は、人生の中で、ないより、あった方がいいんだろうな~~。それでもって、わたしの「存在不安」の方ですが、息子のギターを聞いているうちに、心の奥に帰っていきました。普段忘れているときも、それがなくなるわけではないのだと思います。こころのどこかに、居場所があって、いつもそこにいるのかも。ただ、そこにスポットが当たった時には、(うんうん。あんたがそに居るの、ちゃんと、わかってますがな。)と、言って、やさしくしてあげよう、と、思いました。
2011.02.13
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ムスカリさんの日記に、なんか言いたい、いいたいゾ~~~、それは、なんだ~~??と、思っていた私です。言いたかった言葉は、地べたを這って、涙しながら、掴んだものは、消えないのね~~っ、賜物なのね、てことかしら。それは、子どもも、同じかも。地べたを這って、涙しながら掴んだものが、財産になる。どこかで自分を支える芯になる。だから地べたを這う時間は、ないより、あったほうがいいのね~~。渦中は辛いけど。で、渦中だとしても。
2011.02.10
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ムスカリさんところから、お題をいただいてきました。むらさきさんのご紹介によると、これは、イチローの言葉なのだそうです。どうやら、やっとトンネルから抜け出たのですが~~、この二日ほど、私は、この何年にないほどの、自分とのつきあいにくさに、辟易しておりまして、(ああ、つきあいにくい。つきあいにくい自分。)と思いながら、昨日は、朝から、ひとりで映画を観にいきました。「毎日かあさん」を観てきました。具体的に言って、いよいよさしせまってきた息子の進路への、強い関心を、自分で持て余しているのでした。そうかといって、あーだこーだ口を出して、自分の思う方向へ誘導していこう、などとは、考えていないわけでして、コントロールしようとは思わないけれど、自分の強い関心が自分で辛くなる感じで、ほとほとイヤになりました~~。『コントロールできるか、できないか』ということ以前に、私には、『では、コントロールできるものならばしてもいいのか??』という疑問があります。第三者へのコントロール、ということに範囲を限定すると、私は、この何年か、「家族」へのコントロールを手放す、という課題をずっと心に持ちながら暮らしてきたので、やはり、コントロールしたい誘惑はあっても踏みとどまりたい。と、思うわけで、ここが、私の出発点です。それでもって、「関心を持たない」という割り切り方は、(私の目からは、ストイックで自分の思うように自分を捏ねあげることに非常に重きを置いているように見える)イチローらしい割り切り方だと思うのですが、凡人の私には、どうも、ムリ~~。だって、もうもう、関心あるものには、関心ありまくりなので。なので、私にできそうなことは、自分の熱い関心は、関心として、まあ、ちょっと脇に置いて、ちょっと気持ちをそらす、というか、木田先生の言葉でいえば、「寛大な無関心」を行じる、ということなのかな~、と、思います。ムスカリさんが書かれていたように、適温、ということは、とっても大切だと思うので、熱すぎるときはフーフー冷まして、突き放したくなるようなときは、ほかほか温めて、そういった工夫を、できたら自分に楽しくやりたい、と、思いました~~。「毎日かあさん」、効いたわ~~。よかったわ~~。
2011.02.08
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今朝は、なんだか、おなかの調子が悪いし、気持ちが落ちているし。早くから目が覚めていたのだけれど、ぎりぎりまで布団にいて、えんやこら朝ご飯と弁当を作り、オットが出勤した後は、しばらく、動けずに、コタツでごろごろしていました。(これは、落ちた、落ちたゾ~~)っと思っていると、昨晩の雨でいい感じの湿り気のある今朝の晴天さえ、私には、まぶしい。まぶしすぎる。(今日は、自分の目標ハードルを、ものすごく低くして過ごそう)、と、カーテンをひきなおして、布団に潜り込んでみましたが、30分もすると、(ととのいました~。)と、起き出してきました。お腹ぴ~ながら、気持ちが落ちながら、とりあえず、いろいろ動ける今日の私。布団を干して、わん男を散歩に連れて行き、ついでに毛布まで洗ってしまった。朝の集団活動が、効いたのかしら。
2011.02.07
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3年前のオットとの大げんかから、しばらくずっと、表面的には穏やかな日が続いていた、らんでる家でしたが。私は、(こりゃあ、悟りを開いたみたく、わたしは達観しているのか~~?すっかり、お気楽になったのかしら~~?)と、のんき坊主で過ごしておりましたが、年末からずっと続く、あれやこれやで、あらためて、どうも、自分の主観だけでは、認識がアヤシいこと。自分の中に常識の枠がしっかりあること、など意識し直したりしております。そんでもって、今回、(私には、ムリ~~。息子が生きていりゃあそれでいいと思うなんて、ムリだぁ~~!!)、ということが、しみじみわかりました。(生きてりゃあいいんだ。放っておけばいいんだ、というのは、親の会の代表者さんの口癖です。)元気でいてほしい。できるならば、幸せそうな方がいい。気の合う友人ができるといい。高校ライフだって楽しめるといい。そのために頑張って欲しい気持ちだってある。将来、好きな仕事に巡り会って、張り合いを持てるといい。自分の中から、こんな言葉が、バラバラいっせいに、ここに、こぼれ落ちていくのを、私は、今、見ています。別に封印してきたつもりじゃないのに、あれれ、押し込めていたのかしら。ポケットを探って、そこにあったことに、あらためて気づいたみたいに。ああ、あるね~。ここにそれらが。幸せになって欲しい、幸せになって欲しいんだ、と、かまびすしく。そんでもって、また、私は、拾って、それらをポケットに詰め直すのね~~。ただ、それだけ~~。ただ、点検して元あった場所に戻す、ということなんだけど、それって、祈りということに似ているな、と思いました。いや、祈りなのか。彼がどういう選択をすればベストか、なんて、私には、とうていわからないし。ああすればいい、こうすればいい、ということも、私には、言えないし。もとより聞かれていないし。彼が、先の三つのうちのどれを選んだって、私は、心配なんだよな~~~っ。心配しないぞ。そんな気持ちも、ここにあるけれど、心配な気持ちもある、あるなぁ。この機会に、心配だ、心配だ、心配だ~~って、気持ちも、ポケットから出してみました。心配だ、心配だ、心配なんだ~~~、と、かまびすしく。で、これもまた、ポケットにしまうかな。さて、息子を迎えにいくか。
2011.02.02
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進路のことで悩み中だった息子。彼は、高校に進学して3年で卒業したいそうです。三つの選択肢で、決め切れない、と、迷っておりました。1)公立の全日制2)定時制と通信制二本立てで3年で終わらせる3)通信制(フリースペースの先輩が、通っていた高校。文化祭もある。)先日、彼は、適応教室の先生に、相談に行きました。ここで話したことは全部おかあさんに話してもいい、と彼が言っていたので、ということで、相談の内容を、後で、先生から、伝えられました。それぞれのいいところと悪いところを挙げてみるように言ったところ、いちばん行きたいのは、全日制だけど、いちばんリスクが大きいのも全日制。留年もあるし、通いきれるか、自信がない。定時制は、今の生活リズムで通えそうだけれど、通信と併用は、余裕がないかも。でも、4年かかるのはイヤだ。文化祭もないし。行きたい通信制は、自宅から遠いので通いにくい。でも、ゆとりがあって、趣味も続けられる。文化祭もある。ただ、どういうところかが、わからない。イメージがつかみにくい。とのこと。(文化祭‥‥そこは、こだわりたいのね。)じゃあ、ひとまず、そのことは置いておいて、高校は通過点だから、その先どうしたいのか、聞いてみたところ、希望が二つ挙ったそうです。じゃあ、それに向けて、どういう進路がいいのか、考えてみよう、それと、イメージがわかないのならば、もっと情報を集めてみたらどうか、と言ったら、そうします、かなり整理できました、と、言ってた、とのことでした。すごい。わたしでは、とてもそんな風には、聞けません。昨日、息子に、「情報を集めるんだってね。手伝えることがあったら言ってね。」と言うと、通信制の授業時間を知りたい、というので、以前学校からもらってあったパンフレットを渡しました。朝一からは、遠いし、ちょっと無理だな。午後からだけ出て、単位は取れるんだろうか。土曜コースならば、日数少ないし、(年間15日)。これならば、なんとか通えるかなぁ。などなど、やはり悩み中のようです。私は、(定時制も考えていた人が、年間15日は、少なすぎますがな~~。)という突然湧いた心の声にやられてブルーになり、ぐったりして、夜のビールを2本も飲み、変な時間に、こたつで爆睡しました。明日は朝八時半に起こして、と、妙に念をおされたので、その時間に起こしましたが、息子、起きてきて、また、こたつで寝てますがな。ああ、なんだか、じれったい。じれったいけど、しゃ~ないなぁ。ムスカリさん流に、ここは、祈るか。
2011.02.02
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