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青春18きっぷを利用して、高崎まで行って来ました。自宅最寄り駅から、約3時間かかります。でも、直通の湘南新宿ラインがある為、乗り換えなしでとても便利です。ルールが改正になり、青春18きっぷでもグリーン車利用が可能になったので、試しに利用してみました。Suicaグリーン券システムを試してみたい気持ちもありました。さて、まずホーム内のグリーン券券売機にSuicaを挿入すると・・・何じゃこりゃ!さっぱり分からん!私が想像していたのは、首都圏の普通列車のグリーン料金は、50kmまでと、51km以上の2段階のみだから、てっきりその2種類だけ表示されると思っていたのです。ところが実際には、行き先別に細かく表示されるのですね。それにしてもいきなり画面に50近くも駅名が出てきたら、目的の駅がどこにあるのか、さっぱり分かりません。面倒臭いので、適当に池袋950円を選択しました。さて、車内に入りパネルにSuicaをタッチすると、ランプが赤から青に変わります。これで必要なグリーン券を持っていることが一目で分かり、車内改札は省略されます。しかしこのシステム、本当に賢いのですね。列車が池袋を発車すると、ちゃんと赤に切り替わりました。そう、あくまでも池袋までの情報しかなかったのです。赤ランプを見て、早速グリーンアテンダントがやって来ます。実はかくかくしかじかで、と説明すると、「ではSuicaをお貸し下さい」とのこと。端末に当てて情報を確認し、「では高崎まで区間変更しておきます」と言い、車内精算券を発行してくれました。料金は同一なので、0円表示です。そしてしばらく経つと、ランプが再び青になりました。何だか便利なような不便なようなシステムです。車内のランプを正確に作動させる為には、確かに正確な情報を読み込み必要があります。しかしその為に、いきなり券売機に50近くもの駅名が表示されては、選ぶのに時間がかかって仕方がありません。昔の券売機は良かったなあ。単純に距離別のボタンが3つしかなかったのですから。
2006.07.31
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我が母校、県立T高等学校吹奏楽部のことです。直接聞いたわけではないので、演奏に関するコメントはありません。振り返れば、T高校が初めてコンクールに参加したのは、今を遡ること26年前。その年に少人数編成で初参加し、翌年から大人数編成に移行。私が2年生の夏、参加5年目にして「奇跡の県大会初出場」を成し遂げました。その後90年代初めに何度か県大会に出たこともありましたが、やがて長い低迷期に入ります。部員数も少なくなり、少人数編成での参加を余儀なくされました。しかし数年前に顧問の先生が替わったこともあってか、2003・2004年と2年連続でダメ金(県大会出場が出来ない金賞)。そして昨年久し振りに県大会出場。しかも顧問の先生が体調不良で指導が殆ど出来ず、前年部長の3年生女子生徒の指揮のもとでの県大会出場は、まさに快挙といって良いでしょう。そして今年の夏、見事2年連続で県大会出場を決めました。しかも参加校数10校中、県大会出場は2校のみ、という狭き門をくぐっての出場です。ひょっとしたら、いよいよ黄金期の始まりかな?
2006.07.30
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高校野球神奈川県大会の決勝戦が終了しました。横浜高校の圧勝でしたね。開幕日の日記で、最終的に優勝するのは誰もが衆目一致する学校になる、と予測しましたが、そのとおりになりましたね。これは別に私の予想が優れているのでも何でもなく、ただ単純に、これまでの神奈川県大会のパターンを見ていれば、「真の実力校でなければ勝ち抜けない」のが明らかだからです。横浜高校で思い出すのは、今から17年前の夏、我が母校と横浜高校が3回戦で対戦することになりました。結果はやる前からほぼ分かっていましたが、吹奏楽部の後輩達と誘い合って朝早くから相模原球場に観戦に行きました。先攻が我が母校、後攻が横浜高校でした。1回表が無得点で終了し、1回裏の攻撃が始まるや否や、相手スタンドの盛大な応援に圧倒されました。これが有力校の応援というものか、と妙に感心したものです。試合結果は得点差がついた為、8回コールドで終了しました。8回裏に得点されなければ、何とか9回まではプレー出来たのに、残念でした。平凡な県立高校相手の試合でしたが、相手応援団に気を抜いたところが全くなく、その点だけは、妙に爽快でした。さすがに甲子園を目指す学校だけのことはある、とね。ちなみにその年の神奈川県代表は、横浜高校でした。もっとも甲子園では初戦敗退でしたけれども・・・春の選抜は全国制覇。そして夏はどうなるでしょうか?横浜高校の甲子園での闘いぶりにも注目したいと思います。
2006.07.29
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皆さんのお住まいの地域のお天気はどうですか?私の住む場所は・・・雨ばっかりです!!!それもうんざりするほど!!!16日を最後に、マトモに晴れた日が全くありません。例年ならとっくに梅雨明けしていますが、その兆しすらありません。今日から1週間、とあるレジャーを計画していました。詳しくは書きませんが、とにかく水滴すら落ちてこなければ、晴れでも曇りでも何とかなるのです。それなのに、ああそれなのに・・・どうしてこうも雨ばかりなのか?毎年この時期に、休日を利用して楽しんでいるのですが、今年はもっと長期間楽しめると思っていたのに、何とも残念。巡り合わせが悪いというか。こんなに長期間自由になれる機会は滅多にないのに・・・とにかくここにいると、全身カビだらけになりそうな位ジメジメしているので、思い切って自分から晴れ空を探し求めることにしました。そこで23日(日)に、長野県の松本方面に出かけました。それも日帰りで。当日朝3時半頃目を覚ますと、ザーザーという雨の音。うわあ、最悪!!!と思い、行くのをいったん止めようとしました。でもヤフーの天気情報を見ると、目指す長野県内には雨雲が一切無く、6時間先にも出てくる様子なし。よし、行ってしまえ!とばかりに出発。中央本線で笹子トンネルを抜けると、それまで降っていた雨が嘘のようなお天気。更に諏訪地方まで来ると、すっかり晴れ上がりました。本当に久しぶりに太陽を見ました。出かけなければ、この太陽にすら会えなかったでしょう。でも少々疲れました。なにしろ朝5時頃の列車で出発し、帰ってきたのは夜9時頃でしたので。やはりオール普通列車は少々堪えます。その為、昨日は久々にブログの更新を怠りました。20年位前、大阪から下関まで東海道・山陽本線経由で普通列車を乗り通したときには、こんなに疲れなかったのですが・・・やはり年をとったということでしょうか?
2006.07.24
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その結果は・・・落ちました!(結果分かるの早過ぎっ)大変残念ではありますが、どうして落ちたのか、何が悪かったのか、その原因も理由も全て分かっている為、意外とすっきりしています。9回完投して負けた高校球児の様な感じ(それはちょっと爽やか過ぎ!?)またひとつ追い込まれましたが、落ち込んでいる暇はありません。今日の結果が駄目だった時に備えて、もう1社目星をつけておきました。18日発行の求人誌に出ていた会社です。土曜日ですが、駄目元で電話してみると、「至急履歴書を送って下さい」との返事。まだ締切前でした。そう考えると、ダラダラ引き延ばされることなく、今日スパッと結論が出て、むしろ良かったです。一点だけネックは、今度応募する会社は、正社員ではなく契約社員としての採用になること。でも正社員登用制度もあることだし、贅沢は言っていられません。とにかくチャレンジあるのみです!
2006.07.22
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応募している会社の一次試験が、いよいよ明日に迫りました。一体どうなるのか、皆目見当つきません。当たり前ですけれども・・・必要性があってその会社に2回電話をしましたが・・・電話に出たおっさんの、何とも無愛想なこと!一応サービス業にも分類されるはずだけれども、大丈夫?まあ、電話での商売は殆どないので、それでも問題ないのでしょうね。1回目の電話は、求人広告に「まず電話で確認の上、履歴書送付のこと」とあったので、まず電話をしてみると、当方の名前も何も確認せず、「まず履歴書だけ送って下さい」と、何とも素っ気ない対応。「電話で確認」する意味ないじゃん!?2回目の電話は、送付されてきた案内に「当日必要書類をご持参下さい。ただし日程的に間に合わない場合、ご相談に応じますので早めにご連絡下さい」との注意書きがあり、その必要書類が明らかに間に合わなかった為、その旨電話をすると、「構いません。当日係りの者にその旨お伝えいただければ結構です」との返事。何だそうなの?「ご相談に応じます」なんて書かれると、書類が用意出来ない場合、何か不利益な扱いを受けるんじゃないかと心配するじゃん。だったら、「もし間に合わない場合、当日係りの者にお伝え下さい」で済むのに。何だかいずれも、余計な手間を増やしてませんか?電話をしたのは本社。今回の採用予定は支店の為、「無愛想なおっさん」達とは直接会う機会は限られそうですけれども、果たしてどうなることでしょうか?ちょっとワクワクドキドキです。
2006.07.21
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冷やしラーメンってご存知ですか?山形県にゆかりのある方なら先刻ご承知のこととは思いますが、関東近県ではまだ一般的ではありません。冷やし中華とは違います。簡単に言ってしまえば、スープが冷たくなっているラーメンのことです。ラーメンチェーン店の「花月」でこの程期間限定メニューとして冷やしラーメンが登場したので、早速食べに行って来ました。昨年このチェーン店をよく利用した為、無料試食券が送られてきた為、タダで賞味出来ました。とはいうものの、試食当日は外気温20℃前後、前週までは35℃前後と絶好の冷やしラーメン試食日和だったのになぜ?試食券なんぞなければ間違いなく熱々のラーメンにしたことでしょう。運ばれてきたラーメンを見ると、丁寧に大きな氷が2つも入っています。麺の食感は、普通のラーメンよりも固く、冷麺に近い感じ。魚介系の味がベースとなっており、柚子の風味が爽やかです。ひとつ意外だったのは、スープに唐辛子が満遍なく散りばめられており、その効能なのか、冷たいスープにも関わらず、飲み終わると体の内側からポカポカ暖まる感じ。これは予想外でした。という訳で、この冷やしラーメン、暑い日のみならず、涼しい日にも相性ピッタリということが分かりました。是非一度ご賞味下さい。花月のURLは下記のとおりです。http://www.kagetsu.co.jp/index.html
2006.07.20
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今日の午前中は、かなりの大雨でした。そんな中、小田原コロナワールドに行くと、珍しいことに午前11時10分上映開始の「日本沈没」が、ほぼ満席!!!ハテ?今日は、この界隈に限って休日ですか?と尋ねたくなる程の大入りです。今までこれだけ埋まったのは、昨年8月半ばのお盆休みだけです。一体何があったのでしょうか?
2006.07.19
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今日は朝から雨が降っています。そのお陰で、とても涼しいです。これまで連日、室内の温度計は33~35℃を指していたのが、今日は25℃までしか上がらず、非常に過ごしやすいです。ずっとこのままの気温が続いてくれれば有り難いのですが、そんなことが起こるはずもなく、いずれ30℃越えの灼熱地獄が再び訪れることでしょう。昨日の日記の訂正があります。記事の中で相手チームの投手に関して、「右腕の肘から先が無く」と書きましたが、正しくは「右腕の手首から先が無い」の間違いでした。大変失礼いたしました。でもいずれにしても凄いですよね。右腕が不自由でも野球選手として活躍しているんですから。
2006.07.18
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高校野球神奈川県大会のことです。タイトルどおりの結果なのですが・・・その試合について、スコアのみならず、詳しい経過が読売新聞の地方版に載っていました。それのみならず、社会面にも写真入りで大きく掲載されていました。あくまでも相手チームの引き立て役として!!! まあそれも無理からぬ話。なにしろ試合経過を振り返ると、9回表の時点で5対3で我が母校が2点のリード。しかも2死走者なし!あと1人押さえれば3回戦進出です。それなのに・・・その後3点入れられて6対5と逆転!9回裏は無得点に抑えられ、あっさり逆転負け。しかも相手チームの2番手投手は、右腕の肘から先が無く、左腕と不自由な右腕を駆使して、投げて守って打っての大活躍。これじゃあ誰が新聞記者でも放送記者でも、勝利チームを大きく扱うでしょう。しかしこれはやはり、相手チームを誉めるべきでしょう。9回2死無走者から2点差をひっくり返しての勝利は、誰が見ても見事です。K高校ファイト!目指せ3回戦突破!!!
2006.07.17
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先週日曜日、ある企業の求人広告が目にとまりました。更にハローワークの端末でも、その企業の求人が出てきました。求人広告には、「未経験者も可、業務拡大につき大募集!」とあり、ハローワークの求人票には、20人募集とありました。どこも1人か2人しか募集しない中、正社員20人募集は魅力的です。もちろんいくら募集人員が多くても、希望者が殺到すれば採用は極めて困難になってしまいますが。水曜日に電話をすると、「最初に書類選考するので、まず履歴書を送るように」とのこと。その日の夕方に投函して、昨日土曜日、「来週一次試験を行うので、来社されたし」との案内が届きました。書類選考は無事通過しました。さあ、どうなることやら・・・
2006.07.16
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以前、卒業した中学校に愛着を持てない旨書きましたが、その理由のひとつに、「人前で学校名を口にするのも憚られる」時代があった為です。どういうことかというと、私達が卒業した翌年、出身中学校は荒れに荒れました。校内暴力の多発、パトカーが駆けつけたり、すごく騒然としていました。「まあ、あのバカな教員相手だから当然だよな」とは思っていましたが、困るのが他人から出身中学を聞かれること。「○○中学校です」などと答えようものなら、「えーっ!あの(校内暴力や非行で悪評判の)中学校出身なんですか!?」と、まるでマフィアの巣窟から来たみたいな目で見られてしまうのです。みっともなくて、自分から出身中学校名を名乗ることは、これまで一切ありませんでした。それから20年以上が経ち、先生も生徒も入れ替わり、学校も変わりました。昨日校長先生と校内を歩いていると、放課後ということもあり、部活動中の生徒達が皆「こんにちは!」と元気に挨拶してきます。「な~んだ、校長先生に挨拶するなんて当然でしょう」とか、「校長には挨拶しろ、って言われてるんじゃないの?」と思われる方もいるかもしれません。でも、強制されたって挨拶一つ満足に出来ない時代もあったんです!それに比べれば、格段の進歩です。それに生徒達を見ていると、無理矢理言わされていると言うよりは、とても自然に挨拶出来ている印象でした。更に校長先生と生徒の関係も良さそうです。結構気軽に(もちろん敬語ですよ)話しかけてくる生徒達の何と多いこと。校長先生の方も、「こいつはサッカー部のキャプテンやっている○○ってやつなんだ」とか、「これは木工部の××っていうんだけれども、かなりのお調子者でね」とか、生徒達のことを実によく把握しています。3学年で10クラスと、我々の時代よりも遙かに少人数になったとはいえ、担任や教科担当、部活顧問ではなく、校長先生がこれだけ生徒のことをよく知っているのは、きっと普段から毎日校内をよく歩いて、生徒達と自然な関係を保っているに違いありません。さすがはi先生、と感服しました。昔、「校長がかわれば学校が変わる」というドラマがありましたが、まさにそれを地でいった感じ。実は私、1年前の人事発令でi先生が出身中学に赴任されることを知って、「i先生が来られれば、あの中学校もマトモになるんじゃないかな?」と期待していたのですが、どうやら期待通りになったみたいです。もちろんその前だって、20年以上前みたいにヒドい状態ではなかったですけれども。ただ一点惜しむらくは、そのi校長が来年春にはいなくなってしまうこと。後5年、いや3年でもいて下されば、今以上に良くなるでしょうに、それだけが残念でなりません。誰もが認める優秀な先生は、定年を延長する制度なんてないのでしょうか?良い方向に変わりつつある我が母校を見学出来て良かったです。今ならば自信を持って、「私は市立E中学校の卒業です!」と胸を張って言えそうです。
2006.07.15
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本日私の卒業した中学校に行って来ました。目的は、かつてお世話になった校長先生にお会いする為。午後2時に訪問し・・・午後5時半まで、約3時間半の滞在でした。 そんなに話すことあるの?と思われた方もおられるでしょうが、それがあるんですねえ。まあもともと話好きの先生ということもありますが、25年前の出来事や、今の出来事、今の中学校の現状、高校受験の問題点等、話題は豊富にあり、尽きることがありません。学校の中も案内してもらいました。自分達のいた時と大きく異なるのは、木がいっぱいあること。というか、25年の間に成長したんですね。全く退屈せず、とても楽しい3時間半でした。
2006.07.14
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我が街では、コミュニティバスなるものが走っています。通常の路線バスよりも小さめの車体で、これまで路線バスが通れなかった狭隘道路を経由します。実際の運行はバス会社が行っていますが、主体は市の運営です。バス会社は市から運行を委託されているのです。その為、共通バスカードが使えず、支払いは現金のみ、といった制限があります。数年前に駅南口から海岸方面を経由して、また駅に戻るルートが開設されました。運賃は100円と低料金で、かつ住宅密集地を通り、海水浴場への乗客も利用する為、予想を上回る活況を呈しました。これに気を良くしたのか、この春、市立病院から市内北部を経由する循環ルートが開業しました。ところが、これが何と大ズッコケ!!!なにしろ、当初予想一日200人利用のところ・・・実際には98人だそうです!予想の半分以下です。 予想以上に低迷している理由として、JR駅を経由しない、運賃が南ルートの倍額200円と割高感がある、人口の少ない地域を走る、等々が挙げられます。実際に近所を走っているのでよく見かけますが・・・乗客ゼロの便の、何と多いこと!!! お年寄りが市立病院に通院するのにとても便利になった、という肯定意見もあるのですが、それにしても予測の半分以下の利用ではねえ・・・運行主体が市ですから、赤字が出た場合は、当然市が補填しなければなりません。他ルートもいろいろ計画されている様ですが、このままの状態では今後の新ルート開業は難しくなりましたね。
2006.07.13
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失業保険の給付期間が、残りわずかとなって来ました。今月中には就職先を決めないと非常にヤバい!!!状況になってきました。とはいうものの、いくら自分が希望したところで、先様の意向もありますから非常に難しい。これまでこのブログでは、余り就職活動には詳しく触れませんでした。だって書く方も読む方も、多分つまらないでしょう。「○○社を受けた、落ちた」の繰り返しばかりではねえ・・・書いていて段々陰気になって来ちゃいます。しかし、いつまでもブラブラ出来る程余裕がある訳ではなし。そこで・・・必ず来月初旬までには方向性をはっきりさせます!!!と高らかに宣言します。って、こんな大見得切っちゃって大丈夫かいな???
2006.07.12
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最近缶詰がブームだそうです。定番品は勿論のこと、エゾシカとか熊とか、ちょっと変わった缶詰もあるらしいです。私が今まで食べた中での珍品は、「ウミガメの缶詰」です。「ウミガメは保護生物だろう!」という声が聞こえてきそうですが、何しろ売っていたものですので。ただし、どこでも手に入るものではないらしいです。本州で買えるかどうか、分かりません。私が購入したのは、小笠原諸島父島の土産品店です。小笠原ではその昔、ウミガメ猟が盛んに行われていたそうです。その名残でしょうか?ちょっとゼラチン質のプヨプヨした感じが、とても良いんです。ちなみに小笠原に行くには船便しかありません。片道25時間かかりますので、念の為。
2006.07.11
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仕事をするに当たって、仕事内容と給料の2つの尺度で見てみましょう。厳密にはそれ以外にも、勤務地であったり、上司や仲間といった要素も重要ですが、今回は単純化してみます。それぞれを3ランクに分けてみましょう。(仕事内容) A 是非やりたい仕事、やっていて楽しい仕事 B まあ、やっても構わないかな、という仕事 C 絶対にやりたくない仕事(給料) A 毎月使い切れない程の金額 B まあそこそこ生活できる程度の金額 C 貯金を取り崩さないと生活できない金額この2つの要素を組み合わせた場合、誰もがやりたい仕事、やりたくない仕事は簡単に分かります。もちろんAAの組み合わせがベストで、CCの組み合わせが最悪です。私の場合、前職では6年前の入社当初はBBの状態でしたが、2年程まえから仕事内容がCになってきました。このままだと本当に精神がおかしくなりかねなかったので、昨年末で辞めた次第です。あのまま続けていたらどうなっていたかと思うと、ちょっと恐ろしいです。さて、悩ましいのは、AとCが組合わさるケースでしょうか。例えば、仕事内容Cで給料Aとか、逆に仕事内容Aで給料Cとか。あくまでもこれは私個人の考え方ですが、「Cの入った仕事は続きそうにない」と思います。よく、「金さえ貰えれば、多少キツくたって我慢できるぜ」という人がいます。本当にそうでしょうか?具体例で見ると分かりやすいと思います。例えば、ちょっと前に話題になった「悪徳リフォーム業」はどうでしょう?認知症になったお年寄り宅を訪問し、不要な工事や設備を売りつけ、相手を自己破産にまで追いやってしまったケース。あれなんか仕事内容は人間のクズみたいなもんですが、年収は数千万円と破格の待遇です。多額の借金を抱えていたりすると分かりませんが、私はそこまで追い込まれていませんので、こういう仕事はパスですね。かと言って、どんなに楽しい仕事でも、借金しないと生活できない給料ではお話になりません。AAなんぞ望みませんから、せめてBBの仕事を見付けたいですね。
2006.07.10
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昨日ブログ更新を終えた直後のことです。上唇の右側が、妙にスースーします。例えるなら、アフターシェーブローションや、注射前後のアルコール消毒液が付いたみたいな感じ。もちろんそんなものが付いていないにも関わらずです。鏡を見ると、妙なブツブツが出来ています。やがて舌が痺れてきました。箱形の電池をなめたみたいな感覚です。水を飲んでも痺れを感じ、舌先を指で触ると、もっとビリビリします。一体何なんだこれは!!!そこで献血の時に聞いた話を思い出しました。「成分献血を終えた後に、口の中が痺れる方がいらっしゃいます。その場合カルシウムを補うことで解消します。」今まさにその状態です。2日前の木曜日に成分献血をしましたが、果たしてそれが影響しているのかどうか?献血は関係ないと思いたいところです。それよりもこの日は非常に蒸し暑く、日射しが殆どないにも関わらず、風通しの悪いところを少し歩いただけで、シャツの背中が汗タポタポになる程の陽気だったのです。どうもこれが影響しているのではないかと思いました。ともあれカルシウム補給のサプリメントでもあれば良いのですが、生憎手元にそんなものはありません。卵の殻でも囓れば良いのでしょうか?いや、そんなんじゃ駄目でしょう。そこでテーブルにある食卓塩が目にとまりました。2年前に高知県室戸岬に行った時、入ったレストランに置いてあった食卓塩が大層美味しく、気に入ったので土産に買って帰って来たのです。「室戸の海洋深層水から精製された塩」だそうで、天然ミネラルをたっぷり含んでいるとのこと。成分を見ると、カルシウムもちゃんと含まれています。そうだ、これだ!これなら大丈夫だろう!手のひらにほんの少し出して、舌先に乗せると効果覿面。5分もしない内に痺れがすっかり消えて、唇の寒気もパタッと消えました。変なブツブツも引っ込みました。一体あれは何だったのでしょうか?口の中の痺れ対処法を聞いておいて良かったです。あるいは炎天下に汗をかきすぎて、一時的な塩分不足に陥ったのでしょうか?初めての体験ですが、もう二度と体験したくないです。
2006.07.09
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といっても、神奈川県予選のことですけれどもね。もう何十年も聞き飽きている「全国最多」の参加校数。ノーシードから優勝する為には、8回勝たなければなりません。シード校であっても、7回勝つ必要があります。3・4回戦位までは、「意外な番狂わせ」が結構あったりしますが、最終的に優勝するのは、誰もが「なるほど、やっぱりね」と衆目一致する学校になるでしょう、多分。我が母校はどうでしょうか?過去30年間で、最高成績はベスト16入りが2回です。でもその内の1回は、本来3回戦か4回戦で当たるはずの強豪私学が、何かの不祥事で出場辞退したことによる不戦勝なので、マトモに勝負してベスト16入りしたのは、事実上1回のみです。これまでの傾向を見てみると、2回勝ち進んで3回戦までは比較的頻繁に進めますが、その先、3回戦を勝ち上がるのは至難の業みたいです。なにしろ3回戦を勝ち上がったのは、ベスト16入りした以外にわずか1回のみ。つまり、30年間でたった3回だけなのです。まあ平凡な県立高校の実力なんて、そんなもんです。ひとつだけ偉いなあ、と思うのは、「3年連続初戦敗退」というパターンが殆どないこと。2年連続初戦敗退は何度かありましたが、3年連続というケースが殆ど見当たりません。何が偉いかというと、「3年連続初戦敗退」すらしなければ、どのタイミングで入学しても、在学中に一度は勝利の美酒(高校生だからジュースかな?)を味わえると言うこと。現実自分達の時も、1・2年生の時は初戦敗退。3年生最後の夏は、3回戦まで勝ち進んでくれました。2年間負け続け、最後の夏に勝ち進んでくれたので、一際印象に残りました。吹奏楽部員の特権として、通常なら授業で足を運べないケースを含めて、在学中に全5試合を観戦することが出来たのは、良い想い出になりました。とにかく怪我をしないで頑張って欲しいものです。
2006.07.08
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7月3日(月)の夜、私宛に1本の電話がありました。もっとも最初に出た母親が名前を聞き違えていて、「昔、吹奏楽部でお世話になった○○さん、と言っているけど心当たりある?」そんな名前知りません。このご時世ですから、どこかで名簿でも手に入れて、高級羽毛布団でも売りつけようという電話かな?と、最初は思いました。「はい、お電話代わりました」とややブッキラボウに出ると、「もしもし、iですが、覚えていますか?」「あ、これはi先生、どうもご無沙汰しております」とたちまち豹変。そう、中学1年の時の吹奏楽部顧問、i先生からのお電話でした。まさか校長先生が羽毛布団を売りつけるはずもなし、安心してお話出来ます。何でわざわざ私の所に電話があったかというと、i先生は来年春で定年退職だそうで、定年を迎えるにあたって、自分の教師生活をいろいろと振り返っているとのこと。その中で最後の赴任校の歴史を振り返っている内に、私の名前に行き着いた、とのことです。40年近く教師生活をおくられ、教え子の数だって相当なものでしょう。i先生の教え子の中には、我が街の現職市長だっています。そんな中から私に連絡をいただけたとは、大感激です。単なる通り一遍の挨拶だけではなく、i先生は当時のこともきちんと覚えておられました。「君達は1年生の時に、あんなに一生懸命練習していたのに、翌年コンクールに出られなくて残念だったよね。あの時S中は関東大会まで行ったのにね」とおっしゃいました。さすがi先生、当時の自分達の気持ちを、ちゃんと分かってくれていました。それと、「本当はあの時、君達と一緒にこの中学校に移りたいと思ったのにねえ。なぜか私だけ全然別の学校に行かされちゃってね」とも言っておられました。昨年の挨拶文のとおりです。やはりそうだったのですね。こうなると、今の自分の境遇も話さざるを得ません。「現在は会社を辞めて求職中」なんて言うのはみっともないですが、嘘はつけません。そう、相手がどうでも良いような人ならば、「今こんなことしています」なんて適当に体裁を取り繕うことも出来ますが、やはりi先生には嘘はつけません。いや、つきたくありません。どうしてかって?それは生徒に対して、常に真剣に接してくれたからです。そんな先生に嘘なんかつけるはずがありません。「かくかくしかじかで・・・」と言うと、「そうか、それは大変だなあ。でも頑張ってくれよ!」と、きちんと受け止めてくれました。是非一度、時間があれば校長室を訪ねて欲しい、とのこと。私は時間は今のところいくらでもありますが、先生の方がお忙しいんじゃないかな?でも招待を受けた以上、行くべきでしょう。近々お訪ねしたいと思います。本来なら教え子である私の方からご挨拶すべきところ、わざわざお電話いただき、大変恐縮いたしました。やはり特にお世話になった先生というのは、別格の存在なんだなあ、と改めて感じました。それにしても、来春定年退職ということは、私が中1の時には、33ないし34歳ということで、今の私よりも5歳も若かったということか。さすが、i先生は大人!!!自分の5年前を振り返ってみても、当時のi先生ほどにはしっかりしていなかったはず。改めて自分の未熟さと、i先生の偉大さを実感しました。この出来事を書くために、延々3日間も昔の思い出話を書いてみたのです。そうしないと、ただ単純に「昔お世話になった先生から電話があった。とても懐かしかった」と「のび太君の日記」と大差ないレベルになりそうでしたので。先生から電話をいただいたお陰で、昔を振り返ることが出来ました。
2006.07.07
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今日も中学校ネタです。興味のない方は、残念ですがすっ飛ばして下さい。S中学校が1981年(昭和56年)に関東大会で金賞を受賞するまでに成長したのは、顧問のi先生を抜きには語れません。しかしながらi先生もこの時はS中学を離れていました。ちょうど異動の時期にあたった為、私達が新設校に移るのと同時に、他の中学校に転任されたのです。この時、「i先生は新設校に異動になる」という噂がまことしやかに流れました。でも蓋を開けてみると、私達の学校ではなく、全く別の学校でした。「せめてi先生が一緒だったらなあ・・・」とよく思ったりしましたが、仕方がありません。それでもi先生、私達のことを結構気に懸けて下さって、何度か私達の学校に顔見せに来たりしてくれました。今思うと、それって結構大変なことですよね。他の学校の先生がやって来たりすれば、「あんた何しに来たの?」という扱いを受けかねないし、また自身の在籍校からは「よその学校に行く暇があったら、自分とこの生徒の面倒見ろよ!」と言われかねないですからね。昨年4月、なんとそのi先生が私の出身中学校に赴任することになりました。しかも校長として。その年の夏頃、この地域の自治会報に「今年赴任された校長先生の挨拶」なるものが掲載されました。それを読んで私は感激しました。その挨拶の要旨は、「私は昭和40年代後半から50年代半ばにかけて、S中学校に勤務しておりました。今は宅地となった所もまだ一面広大な田圃が広がっており、よく生徒達を連れて白鷺を見に来たりしたものです。やがて生徒数が増加し、本校が出来ることになりました。当時S中学校から移る生徒達もいた為、私も本校への異動を希望しましたが、その夢は叶いませんでした。それが今この様な形で本校に赴任することが出来て、感慨無量です。」この様な内容でした。私が感激したのは、「S中学校から移る生徒達もいた為」という部分です。当時i先生は、S中学では2年生の担任と、2年生の数学の授業を担当されていました。一昨日の日記でも触れたように、2年生は新設校に移らないことが決定していました。つまりi先生が直接教えていた生徒は、誰一人としてS中学からは移らないのです。じゃあ「S中学から移る生徒達」って一体誰のことでしょう?それはどう考えても、当時の吹奏楽部の1年生、我々7名に他なりません。i先生が直接顔と名前を知っているのは、その7名以外にあり得ないのですから。「やっぱりi先生は、俺たちのことを気に懸けて下さっていたんだ!!!」当時はそんなこと、生々しすぎて口には出来なかったのでしょう。でもやはり噂は本当だったのです。i先生は、私達と一緒に新設校に移ることを希望されていらしたのです。24年後とはいえ、真実を知ることが出来て、私は満足でした。でも、これが単なる儀礼的な口先だけの挨拶でないことが、思わぬ形で明らかになったのです。その出来事は、明日の日記で記します。従って明日も中学ネタに関連した話題です。予めご承知おき下さい。
2006.07.06
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昨日の日記にて、出身中学校のことをボロクソに貶しましたが、そういう思いにさせた一つの要因に、部活動のことが挙げられます。いや、主要因といっても良いかもしれません。以前にも書いたことがありますが、私、中高校時代は吹奏楽部に所属していました。担当楽器はTubaです。何じゃそりゃ?と言う方へ。金属製のバカでっかい、低音を出す楽器です。ここから先は、吹奏楽コンクールに通じた人を前提に話をします。私の中学時代、市内の学校でコンクールに参加する学校は、極めて少数派でした。私の通っていたS中学以外には、2校しかありませんでした。S中学は当時からコンクール参加に熱心で、それに向けての練習もとても熱心でした。1年生の時にそういう練習風景を見ていたので、「僕も来年はメンバー入り出来る様に頑張ろう!」と思ったものです。ところが、来年こそはコンクールに出られる!と夢見ていたところに、「生徒数が増えたから学校を新設する。あんたの住む地域は来年から新設校に移れ」との理不尽な仕打ち!!!これが決まった時、私は、いや、私を含めた新設校に移らされる1年生達は皆絶望しました。もしも自分達がS中学に残っていて、そこでメンバーオーディションとかを行って、結果メンバーに選ばれなかったというのなら、まだ納得します。それはあくまでも自分の実力不足が原因ですから。そうではなくて、参加資格すらなくなってしまう。まさに門前払いだからです。新設校で頑張って出れば良いじゃん!?という意見もあるでしょう。ところが実際に新設校に移ってみると、吹奏楽部に入部した経験者はS中学から移った我々7名のみ。もうひとつのT中学からは誰もいませんでした。そして後は2年生の未経験者8人位と、1年生15人位。人数的には30人程いますから、バンドを組むには不足はありません。でも、4月の時点で経験者7人のみ、後は全員初心者というバンドが8月初旬のコンクールで満足な演奏が出来るかどうか?吹奏楽に詳しい方なら、容易に分かりますよね。当然参加しませんでした。一方我々が抜けたS中学校はどうなったのでしょうか?この年(1981年・昭和56年)はまさに絶好調で、ブロック大会は難なくクリア。続く県大会でも金賞受賞。さらにこの年から、中学B部門に「関東大会」が創設されました。従来中学B部門は県大会止まりだったのです。そして何とS中学校は、史上初の関東大会出場を成し遂げたのです。しかも神奈川県内から出場出来るのは、わずか1校のみです。その1校にS中学校が選ばれたのです。9月中旬、宇都宮市文化会館にて開かれた関東大会。ここでもS中学校は素晴らしい演奏を披露し、見事金賞に輝きました。当時の私はコンクールとは無縁でしたから、元S中学の仲間達でそのステージを聞きに行きました。素晴らしい演奏に感激すると同時に、「変なタイミングで変な学校さえ出来なければ、俺だってあのステージに立っていたかもしれないんだよな」とたまらない口惜しさがこみ上げて来ます。口に出さずとも、他の仲間も皆同じ思いだったでしょう。吹奏楽コンクールの経験者なら、きっと分かっていただけると思います。普通に努力すれば、関東大会まで進めたはずなのに、無理矢理学校を移らされて参加資格が剥奪されてしまった。そんな立場に置かれたらどんなに口惜しいか。結局中学時代はコンクールに出場することは一度もありませんでした。あれから25年が間もなく経ちますが、今でも忘れることが出来ないのです。「あのままS中学にいられれば、関東大会のステージで演奏出来たのに・・・」それはともかく、S中学の先輩達は親切でした。他の部活では「どうせあいつらは来年にはいなくなるんだから、何も教える必要ないよ」なんてヒドい扱いを受けた人もいたみたいですが、吹奏楽部では、「おまえ達が新設校の歴史を作っていくんだから、恥ずかしくないようにしっかり練習しろよ」という姿勢で、基本をみっちり教えてくれました。当時Tubaパートは2年生1人、S中学に残る1年生1人と私の合計3人に対して、楽器は2台だけでしたが、楽器を3人で代わりばんこに使い、私とS中学に残るY君と、分け隔て無く教えてくれました。S中学のことだけ考えるなら、私なんぞ相手にしなくても構わないのに、そんな意地悪は一切ありませんでした。だから余計に「あのままS中学にいたかったなあ」って思ってしまうんですよね。
2006.07.05
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私は小学校2校、中学校2校に在籍した経験があります。しかしながら、この間一度も引っ越しをしたことはありません。なぜでしょう?その答えは、ちょうど人口急増期にあたった為、新設校が開校して、そちらに有無を言わさず移された為です。小学生の時は、5年生までS小学校に通学し、6年生になった時にM小学校に移りました。私達が入学する前、S小学校からK小学校が分離した時は、「新6年生は残り1年だけだから、K小学校には移らない」配慮が為されていたので、当然自分達もそうなるものとばかり思っていたら、そんな配慮は全くなく、新6年生も含めてM小学校に移りました。中学生となりS中学校に入学し、もう安心だ、と思ったところに、「新設校が出来るから移れ」とのこと。ふざけるのもいい加減にしろよ!!!というのが正直な気持ちでした。しかもこの時移されたのは、自分達新2年生のみ。1つ年上の新3年生については、「今後の受験指導や、3年生になってすぐ修学旅行がある事情等に鑑み、従来通りの通学とする」との決定が為されました。ということはつまり、私達より上の人達は、小中学校共に入学から卒業まで同じ中学校で過ごせたのです。また、私達より下の世代は、小学校の移動は経験しましたが、中学入学時には新設校が開校していた為、中学での移動はありません。自分達だけ、小中学校共に、中途半端にコロコロ変わらされてしまったのです。これだけ頻繁に、しかも家庭の事情でも何でもなく、行政の勝手気儘に学校をコロコロ変えられた当然の結果として、母校愛や愛校心といった類のものは、耳垢ほども持ち合わせておりません。しかも小学校の時はまだしも、中学校の時は、移った先の学校が、教え方や人間性いずれも市内最低レベルの教員(間違っても教師とか先生などと呼べる代物ではなかった)ばかり!!!この中学校に関しては、アルファベットで名前を出すのも憚られる位、不愉快な想い出ばかりです。強いて1点だけ良かった点を上げると、「校内暴力がなぜ起きるのか、よく分かったこと」だけです。それまで過去7年間、比較的先生には恵まれていました。ですから中学1年生当時、校内暴力が全国的に問題になった時、「なんでそんなひどいことするんだろう?」と不思議で仕方がなかったのですが、その中学校に移ってよく分かりました。「なるほど、こういう救いようのない教員が相手だから、切れちゃうんだね」と。思春期に不愉快な体験を一杯させていただいたお陰で、地元の行政に対しても、良い印象を全く持っていません。私の日記に、質問に回答する以外に地元の地名が一切登場せず、「自宅最寄り駅」等としか表記していないのはその為です。4年程前に近隣6市町が統合して「湘南市」を作ろう、という構想が沸き起こりましたが、私はこのプランに大賛成でした。統合すれば、ようやく不愉快な行政とオサラバ出来ると。でも残念ながら、統合計画は白紙撤回となりました。小中学校を頻繁に変えられた結果、県立T高等学校は入学から卒業まで過ごした最初の学校となりました。中学時代がヒドすぎた為に、高校時代の想い出がより一層美化され、深い愛着を持つ結果になりました。T高校への愛着は、ひとかどならぬものがあります。
2006.07.04
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猫を飼われている方へ質問です。背中とか触られるのは好きですか?嫌いですか?うちの猫は大好きです。背中や頭、顎の下、首の後ろ辺りを掻いてやると、とても喜びます。強いて挙げれば、立っている時にお腹の下を触られるのは嫌みたいです。でも、地面に横になってる時は、お腹を撫でても大丈夫です。耳の穴の中も触っても怒りません。野良猫でこうなのだから、小さい時から飼われている猫なら皆そうなのかと思ったら、決してそうではないみたいですね。近所の、昔から室内飼いされている猫だと、触ろうとしなくても、体の近くに人の手が近付いただけで、「フーッ!」と威嚇するそうです。今の時期、もの凄く毛が抜けます。一撫でしたところに風が吹くと、まるでタンポポの綿毛のごとく、毛の固まりが風に乗って飛んでいきます。猫にとっては、「おう、ちょうど良いマッサージ師が来た。そうそう、丁寧にこすってくれよ。抜け毛も全部取ってくれよな」なんて内心思っているのでしょうか?
2006.07.03
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先週日曜日、横浜の桜木町に行きました。通常なら単純にJRで往復するところです。片道570円かかります。でも、ちょっと遠回りのルートを選びました。まず自宅最寄りバス停から、バスで湘南台駅に出ます。ここは小田急、相鉄、横浜市営地下鉄の3線が乗り入れるターミナルです。ここで相鉄線に乗り換え、横浜駅へ。そしてJRに乗り換え1駅で桜木町まで。ちなみに費用は、バスが360円、相鉄が350円、JRが130円、それぞれ片道でかかります。合計で840円、単純にJRで往復するよりも、往復540円も高く、かつ時間も余計にかかります。それなのに、なんでこんなルートを選択したのでしょう?それは安いから。実はバスと相鉄線に関しては、株主優待乗車証があるので、無料で乗れるのです。従って要した費用はJR線往復の260円のみ。単純にJR往復よりも、880円も安く済みました。特にバス会社の優待は素晴らしく、半年ごとに10枚、年間で20枚の乗車券が支給されます。ということは、湘南台路線を利用すると、年間で7,200円分の利用価値があり、配当金よりも高額になります。ネックは、運行本数が1時間に1本と少ないことです。
2006.07.02
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私が自動車免許を取得したのは、19歳と3カ月の時。それから10日程後に、軽自動車を購入しました。実はそれまで我が家には車はありませんでした。両親とも免許すら持っていません。なくても日常生活に、何の支障もなかったからです。極端な話、今でさえ車がなかったとしても、不便だなあ、とは思っても、生活に困る、ということは全くないでしょう。そういう土地柄だからです。軽自動車を購入したのが、1987年(昭和62年)の3月半ば頃。そして今年の6月で、その時からほぼ19年と3カ月が経過しました。つまり、これまで私の人生において、「車がない時代」の方が長かったのです。それが、ついに半々となり、これからは「車がある時代」の方が、どんどん長くなっていきます。もう随分長く車に乗っている気がしていましたが、やっと「車のない時代」をほんの少し追い越したに過ぎません。これからも、安全運転でいきたいです。
2006.07.01
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