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私は基本的に毎月給料を貰っていた訳ではありません。日本に帰る時とかに一度に貰うような形にいつの間にかなっていました。あれは、バカンスにカンヌへ手伝いに行こうとした時からかもしれません。まあ、どちらにしても、普段お金を使う事はほとんどなく、休みの日の食費も全部出してもらっていましたし。街に出る時やフランスで憶えたタバコを買うお金がなくなった時にお小遣いの様にして貰っていました。でもお金を殆んど持っていないと、何となく軟禁されているみたいで、いつまでも自分の事を信用していないんじゃないか、と思う時がしばしばありました。かといって、日本人の私の友人が遠方から訪ねて来た時は、何日滞在しようが、本当によく歓待をしてくれました。しかし、私の一人旅はあまり、歓迎されていなかった様で、私も友人の家へはめったに訪れる事が出来なくなり、友人たちの間で「~君はもう日本人とは付き合わん言うとるらしいで~」と悪口がどこからともなく聞こえて来ました。ある休みの日、どうしても眠たくて、「今日は何と言われようが、何処にも行かん」と宣告して、毛布にくるまっていると、昼時にルディグ氏は、大きな銀盆にオードブルを一杯盛り、白ワインと共に運んできてくれました。見ると大好物のフォアグラのテリーヌもたっぷり盛ってあります。何だか一辺に贅沢な気分になり、「午後から観光に行こう」と言う誘いに乗ってしまいました。ところが、日ごろの疲れと、白ワインの酔いのおかげで、車に乗ったとたん、グーグー寝てしまったのです。車が止まって、目が覚めると、なんと店に戻って来ているではありませんか?「どうしたの?」と訊くと、「あんまりしっかり寝てたんで、一人で観てきた」と言うのです。なんじゃそれ、だったら最初から一人で行けよ~。あくる日、皆と賄いの昼食をとっている時、「昨日せっかく観光に連れて行ったのに、寝っぱなしで結局一人で観光して来た」と皆に言いふらすのです。それだったら、ちゃんと起こせよ~。来週は何と言われようと、一日中、何処にも行かず寝だめをすると心に誓ったのです。追伸 私はこの頃から、わざと、ルディグ氏を朝起こしに行かなくしました。マダムが出勤してくる9時まで。 出勤してきたマダムが「ま~だ、寝てるの~?」と彼を叩き起こしに行きます。 叩き起こされた彼は、毎度私を睨み付けますが、知った事ではありません。ルディグ氏の実家近くにある鉄道博物館。ここの二階にあるセルフサービスレストランで、休日、昼食をよく摂りました。
2007.06.30
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今日は休み、一日寝ていたい、と10時を過ぎても、ベットから出ずにいると、ルディグ氏が、起こしに来ました。「今日は一日、寝たいから、何処にも行かない」と言うと、「マダムが不機嫌になる」と言うのです。マダムの機嫌をそこねるとやばいなぁ~と、渋々起床します。休みの日の日課は、大体、昼前にルディグ氏の実家に行き、お昼を家族と共にして、夕方、ルディグ氏と町に出て、他のレストランで食べ歩きをしたり、軽く食事をして映画を見たりするのがお決まりでしたが、その日は珍しく、アラブ料理のクスクスを食べ(私が大好きなもんで・・・)レストランを出た後、彼が私に「いくら持ってる?」と訊くのです。「300フランくらいかな・・」、「僕は500持ってるから一本は飲める」と、ナイトクラブに連れて行かれました。こう言う所のシャンパーニュは、当時大体400フラン位(15000円)だと言うのです。店内に入ると、何だか真っ暗けで、隣に付いた女性の顔も見えない様な所でした。何だかヤバそうな感じで、「一本飲んだら帰るよ」と、小声で彼に囁いたのですが、今晩の彼はハイテンションで、一本が二本、二本が三本と増えていきます。何度も小声で「ダメだって!!」と言っても聴きません。結局、四本は飲んで、勘定になったのですが、彼は向こうで払って来ると言って、私に値段を言わず、小切手で精算してきた様です。「いくらだった?」と訊いても、「同じ業界の人間だからって安くしてくれた」と言うだけで値段を言いません。そしてそんな事もすっかり忘れていた数日後、銀行から電話が掛かって来ました。それも運悪く、マダムが取ったのです。「何々店から小切手が回って来て、~フラン足りません」と。マダムの見幕たるや、すごいものでした。「あんたたちは一体どんな遊びをしてきたんだ~」と。私はなんのことやら・・・。訊いてみると、あのナイトクラブからの請求が約3000フラン(十万円以上)だったそうです。あれから散々、マダムに絞られました、だから私はあれだけダメだっていったのに・・・・。昨年、アルザスへ行った時、ルディグ氏とそのナイトクラブの前を通り、「ここに入って、後でマダムにすごく叱られたっけ!」と、二人で大笑いしました。でも26年経ってまだ現存しているとはすごい!!と思いました。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.29
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もう一人の新人君を紹介しましょうか。名前はティエリー、サクランボの様な名前です。背は私より低く痩せていて頼りなさそうな感じの男の子でした。調理師学校を出たばかりで、何にも出来なそうな・・・。する事なす事、チビッちょろいと言うのか、豪快さがないというのか、小じんまりとした子ねずみの様な印象の子でした。でも、デザートを作らせると大した物で、彼のチーズケーキは一辺に人気が出ました。彼は日本で言うところの揚げパンが大のお得意で、レストランのデザートには使えませんが、カフェや、お持ち帰りによく売れていました。フランスでは揚げパンの中身は、色々なジャムを入れます。(私はアンコを入れて食べたかった) 彼もアルザスの人だったと思いますが、全然アルザス語が喋れず、私に「日本人なのに、すごいアルザス訛りだね」って!!確かにアルザス語は私の方が堪能でした。私は最初の一年間、フランス語もアルザス語もヒッチャカメッチャカで習ってしまったのです。私の事はさておき、彼のちょこまかとした動作がおかしくて、憎めないやつだな、といつも思っていたのですが、彼は私の事が怖くてしかたなかったそうです。(そこのところはまた今度) 現在、彼はドイツのケルンで立派に料理長をしているそうです。そして、里帰りした時の彼のあまりにも見事なドイツ語に皆、舌を巻いたそうです。右から、ティエリー、ルディグ氏、私(また床屋に行けず、お河童になってます)
2007.06.28
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トドの昼寝ではありません。ご主人は大変ひょうきんな方で、いつも冗談を言い過ぎて、マダムに叱られています。照れ隠しに私にウインクをしてくるのは、今も昔も変りません。フランスにも かかあ殿下はあるようです。一作年でしたか5年ぶりにお邪魔したところ、ご主人は定年退職されていて、優れた技師と言う事もあり、あちらこちらに頼まれては、家の修理などをしていました。無料で!お礼にジャガイモやニンジンなどをもらってきて・・・・「マダムが喜ぶから!」って・・・・いい話だ~!!ところが夕食の時、マダムが「無報酬で、こんな物ばかり貰って来て人がいいのもほどがある!」って怒りだすではありませんか。聞いていた話と違いすぎて、私はビックリを通り越して噴き出してしまいました。案の定、ご主人は私にウインクをしていました。
2007.06.27
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私は少し背伸びをして写真を撮っていますので、彼女の方が大きいかもしれません。私のホームページによく登場するマダムとは、ルディグ氏のおかあさんなのです。(もうご存知の方も多いと思いますが) 当時の彼女は、40代の半ばだったと思います。男気性で、曲がった事が大っ嫌いで、旦那であろうが、お客であろうが、誰彼かまわず叱り付ける様な方でした。(悪酔いしたお客を店の外に引き摺り出した事もありました) でも私には本当に優しくて、ルディグ氏とケンカになっても、まず最初に味方をしてくれるのが、彼女でした。新人が入って、私と新人の給料の差額が少ないのをルディグ氏に嗜めたのも彼女です。そんな彼女ですが、普段は茶目っ気いっぱいで、ある日、仕込みに追われている時、何処からか、腐敗臭が漂って来るのです。おかしいと思いながらも、手が離せる状態ではありません。おかしいおかしい・・・と思いながらも・・!私も首を傾げながらも変な顔をしていたのでしょうね。突如、後ろから、堪え笑いが聞こえてきたのです。ビックリして振り向くと、マダムが熟成し過ぎたマンステールチーズを私に向けて、フーフーしているのです。彼女は私がマンステールが大の苦手なのを知っているので、熟成し過ぎたマンステールを見て、いたずら心を抑え切れなかったのでしょう。今も何年ぶりかに会うとその話になります。当時はマダムと意見が合わず、衝突する事もしばしばありましたが、何か有る事に、一番に庇ってくれたのは彼女でした。現在もたまに電話をして、私と分かった時の彼女の心からの優しい声には、ありがたいな~と、つくづく思います。もう70歳を越えられて、体も肥えられて、どうかいつまでも、お元気であられます様に!! アルザスは私の第二の故郷ですから。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.26
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少ないスタッフの中で、毎日が目まぐるしく過ぎて行きました。土日祭日など、ルディグ氏の弟やおばあさんまで、手伝いに来て大わらわです。そしてどの位過ぎたころでしょう、もう忘れてしまいましたが、ホールと料理場、相次いで新人が入ったのです。ホールの方には、見習いを終えたばかりの綺麗な女の子で、料理場の方は、調理師学校を出たてのかわいいぼくちんでした。と言っても、私もまだ22~23歳で、3~4歳しか歳が変わらないですが・・・。料理場の男の子はまだ何も知らなそうな、おとなしい感じの子だったので良かったのですが、ホールの女の子は、何と表現したらよいか、いい表現ではないですが、言わば遊び人って感じでしょうか?おとなしかったのは2~3日だけで、次々と問題を起こす子でした。決して性格が悪い訳ではないのですが、男性に対してサービス精神が旺盛過ぎると言うのか。 ある日、夜のサービスが済んでいつもの様に料理場の裏でイノシシを捌いていると、マダムの怒鳴り声と共に、すごい勢いでドアが開きました。ビックリして振り向くと、泣き叫ぶホールの女の子をマダムが怒鳴りつけながら、引き摺って行き、ワインカーブに放り込んでしまったのです。私はイノシシを抱えたまま目が点になっていました。訳が解らないまでも、マダムの「私はあんたをあんたの両親から、預けられている責任があるんだから!!」と言うのが聞こえて来て、ハハ~ン、そう言う事かと。マダムは曲がった事が大嫌いな方で、彼女が少し行き過ぎた事をしたのでしょう。またある日、レストランから1.5キロ程の所にあるディスコに皆で慰安会に出掛けた時も、知らない内に見ず知らずの人と仲良くなってグテングテンに酔っ払っているのです。しかたなく意識がなくなった彼女を、私が背負ってレストランまで帰った事がありました。当時、私も彼女もレストランの上のアパートに住んでいたのです。また、仕事が終わって彼女が一人で出掛けた時も、明け方どうやって帰ってきたんだと思えるほどグテングテンで、外で大声で呼ぶので、何度、部屋まで引き摺っていったことか、彼女が新しい住まいが見付かるまで、毎度毎度、介抱させらる日々が続きました。 私はただでも、寝る時間が少ないのです・・・・。
2007.06.26
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まだ、カンヌに行く前、こちらでお世話になっている頃のメニューが出てきたので、少しお見せします。ルディグ氏は大変絵を描くことが好きで、メニューなどに挿絵を入れていました。現在は玄人はだしで、壁に掛かっている絵など、何処かの画家の物かと思うほど見事ですが、当時はお世辞にもうまいとは思って見たことがありませんでした。ある日、レストランの方に行って、メニューを見てみたら、3人のコックさんが描かれているではありませんか・・!左の一人はすぐに分かりました。真ん中はルディグ氏。残る一人は私と言う事になります。そうです、あの頃の私は痩せていて、ゲジゲジ眉毛でパーマをかけていたのでした。まだ、この絵はましな方で、以前、バカンス休暇から帰ってきたら、私の似顔絵が壁に飾ってあり、それを見て私は絶句しました。なんと目が顔の3分の一を占めているのです。昔から私は出目金だとかギョロ目だとか、よくからかわれていたのです。それにしても、「ひど過ぎる」と言ったのですが、皆 「そ~っくり!!」と。
2007.06.25
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今、話題になっているミッドランドスクエアー名古屋に出店された、オーベルジュ・デゥ・リールのメニューです。もちろん、わたしが勉強させていただいた時の物ですから、かれこれ28年も前の物になるでしょうか。上記したメゾン・デ・テートオーナー、エデル氏とオーベルジュ・デゥ・リールのシェフ、エーベルラン氏の親交からのご好意です。オーベルジュ・デゥ・リールのあるイルハウズン村は、交通の便がなく、コルマー市からタクシーを使わないと行けない様な所でした。 エデル氏が気を使って、従業員のアルベールさんに送るように言ってくれたのは良かったのですが・・・・なんとゴミ捨て用のトラックの荷台ではありませんか。アルベールさんに店のずっと手前か、行き過ぎてから、降ろしてくれと頼んだのですが・・・・なんと玄関に横付けされてしまいました。オーベルジュ・デゥ・リールのボーイさんもビックリですが、私も顔から火が出る様な思いでした。今では、懐かしい思い出です。が、 しっかし、あの時は、スーツで決めて、さっそうと入店するつもりだったのに・・・フランスを代表する三ツ星レストランにゴミトラックで入店した人は未だかつてなかったのではないでしょうか・・・?メニュー右下は、ポール・エーベルラン氏のサインです。現在のシェフは、息子さんになられます。※この記事は、3月20日に私のホームページに載せたものです。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/recipe.htm
2007.06.24
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私たちの食事が中盤に差し掛かる時には、もう店の中は満席でした。店内ではBGMはなく、静寂の中に、お客さんの小声と小声とが、重なって、一つのBGMになっている様でした。でも私たちのテーブルだけは、何だか笑いっ放しで(場違いの様ですが)、サービスしてくれているギャルソンさんまで笑っているみたいでした。 そして、私が遠い昔アルザスのオーベルジュ・デゥ・リールに行った事があり先代のポール・エーヴェルラン氏と2~3度お会いした事がありますよと、話したら、現在のアルバムを持って来て見せて頂きました。28年の時が過ぎても、その佇まいは今も変わらずそのままで、懐かしく昔の記憶が蘇えって来るようでした。(ゴミのトラックで玄関口まで乗り付けた事も・・・) アルザスの思い出と美味しいフォアグラ、両方ともご馳走様でした。本当に楽しい一時でした。レストランを出て、ふと振り返ると、サービスを担当してくれたギャルソンさんが、見送ってくれていました。「もういいですよ」と声をかけたのですが、とうとう私たちが見えなくなるまで見送ってくれました。本当に有り難うございました。そして、何よりもこのレストランにご招待をしてくれた二人の彼女たちに、心から感謝いたします。本当にありがとう。追伸、現在もポール・エーヴェルラン氏は80歳でご健在だと、アルザスの友人が知らせてくれました。
2007.06.24
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私たちの選んだワインはアルザスのミュスカ。懐かしいヒューゲル社のを見つけたからです。ところが来たワインを見たら、ヒューゲルの物ではなかったのです。一瞬「う!」と思いながら、小心者の私たちは、違いますとも言えず、同じミュスカなら、「ま、いっか~」って事になってしまいました。最初の一品は鰯のマリネ、二品目が待望のフォアグラのテリーヌです。陶器の器に入ったフォアグラをスプーンですくって、皿に盛るスタイルは、まさしくアルザス、そしてオーベルジュ・デゥ・リールのスタイルです。色は美しくピンク色で、香りも良く、塩加減もすばらしく、まさしくオーベルジュ・デゥ・リール、アルザスのフォアグラのテリーヌです。それにサービスでしょうか?、ソーテルヌワインを、一杯づつ出していただきました。甘いワインとフォアグラ、絶品でした。この一品を食べに来たようなものです。そして、平目のポワレ、飛騨牛のアントレコートと続きます。私はもうワィンはいらないと言ったのですが、スポンサーの彼女たちが、お肉もチーズもあるんだから、赤ワインも取ろうと、ジュブレイシャンベルタンをいただきました。肉料理も終わり、さてチーズですが、思った様に、やはりワゴンサービスです。私はすかさず、ギャルソンに「マンステールはありますか?」と訊ねました。ギャルソンは「こちらでございます」と。「他の皆に少しずつ、盛って下さい」と頼みました。私の番になり、「コンテがあったら私はそれだけで」と言うと、皆、声を揃えて「なんでー?」と怪訝そうです。さあ頂きましょう!!マンステールの臭いを嗅いだ一人が、「う、何これ~」と!! はい、マンステールはアルザスで(いや、フランス全土でも)最も臭いの強い事で有名なチーズでした。私は彼女たちにぜひ一度、アルザスのマンステールの香りを味わって頂きたかったのです。私は遠慮しますが・・・・。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/recipe.htm
2007.06.23
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さあ、レストラン内に入り、まず思ったのは店内の装飾がアルザス風ではない、と言う事でした。なぜか志摩観光ホテルに似た色調で、どちらかと言うとモダンな雰囲気です。席に着いて、周りを見ると、もう半分ほどは席が埋まっています。少し時間が経ち、「メニュー持ってこないね~」と話していると、まず、ワゴンで3種類ほどのシャンパーニュが運ばれて来て、「食前酒はいかがですか?」と。ワインリストも見ていないのに、値段が分からないでしょうに・・。「いくらですか?」なんて格好悪くて訊けないですし・・・我らが大蔵省が「遠慮しないで取ったら!」って、ありがとうございます。 ソムリエの薦めるまま、適当にシャンパーニュを選ぶと、すかさずアミューズが運ばれて来ました。さすがです。「グラスをあてない様にね」などと言いながら乾杯、その後にメニューが運ばれて来ました。それぞれにメニューが配られ、まず出た言葉が大御所二女子の「値段が書いてない」でした。そうです、こう言う高級レストランでは、気を利かせて女性のメニューには、値段が書いてない事が多いのです。しかし、今回の私たちのディナーは、彼女たちがスポンサーです、彼女たちにコースを決めてもらわないと。 さっさとメニューを交換をして、フっと見ると、その様をギャルソンが見ていたのでしょう、なんだか笑っているようでした。「ほっといてちょー」と思いながら、メニューを見ていると、どうも食べたいものがそれぞれまちまちで、中々決まりません。ここのレストランは、各グループごとに、コースを統一しなければならないそうです。私がフォアグラのソテーよりもテリーヌが食べたいと言ったことから、かなり高価なコースになってしまいました。(彼女たち、ごめんなさい) フランスの友人に訊いたところ、フランスでも高級レストランはメニューを統一させる所が増えてきているそうです。(本当の事を言うと私はデザートを食べないのでオードブル二品だけでよかったですが) コースが決まり、今度はワインです。ワインリストを頼み、持ってこられたリストを開くと、これまた一切日本語が書いてない。私たちは、そこそこワインについて詳しい面々ですので、どうって事はないですけれど、中にはビックリする人もいるんだろうなぁ~と思いながら、私は小声で「一番安いのでいいよ」と、なんだか彼女たちに申し訳なくて・・・・。※昨日のブログを読んだ友人のS氏から、「ちょっとちょっと!!わしゃあ~、賽銭100円、入れたに~」とお叱りの電話をいただきました。勘違いしてごめんなさい。因みに私は45円しか入れていません。
2007.06.22
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昨日、私の誕生日を兼ねてと言う事で、親しき友人たちに、オーヴェルジュ・デゥ・リール名古屋に招待していただきました。私にとってアルザスで満更、関係がない訳でもないレストランだけに期待感で一杯で、この日が来るのを、本当に楽しみにしていました。自分の頭の中だけで、オーダーのシュミレーションをしてみたり、また、28年前の本店での事を思い出してみたりと、期待だけが膨らみ過ぎて・・・、(往々にしてこう言う場合は、行って見てガッカリする事が多いのですが・・・。)とうとう、当日が来てしまいました。友人のs氏が久しぶりの名古屋なので、早めに行こうと言う事になり、予約の時間よりも4時間も早く、出かける事になりました。この所、続いた暑さも天気が悪かったせいか、この日は朝から涼しく、出掛けるには持って来いの日和です。大須商店街をぶらぶらし、観音様に御参りし、と言うわけですが・・・、s氏は、私の横で、御参りしてましたが、お賽銭を入れてなかった様な・・・?、もしかして、私のお賽銭で、御参りしてた・・・?の、かな?ご利益が半分になってしまうんじゃあ~ない?私の勘違いならごめんなさい。何はともあれ、定刻前に到着、s氏は写真マニアで、外からの写真を撮りに行き、残された私は、食前にと、スクエアー内のお店で小ビールを一杯、後は、仕事帰りの大御所二女子の到着を待つだけです。さあ、今晩は何が頂けるのやら・・・・。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.21
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以前、私をフランスに派遣した企業のフランス駐在員の方に聞いた話ですが、一つのレストランで日本人が二人になると、よくケンカやトラブルが起きて、現地に飛んでいかなくてはならない、との事です。私もアライ君やアズマさんら、3~4人の日本人と働きましたが、いたって仲が良かったと思うので、あまり信じられなかったことですが。パリや都会に出て行くとそんな話をよく聞きました。フランスの田舎では、当時あまり日本人にお目にかかれなませんでしたので、偶然にも知り合えば一遍に仲良くなれたように思いました。それと私が知り合った方々が良い人ばかりだったのかもしれません。私が思うにはやはり同じ店で働く事はそこで認められようとライバル意識も生まれてくるでしょうから、一概には言えませんが。そのライバル意識を良い方にもっていければ良いと思うのです。それは日本人同士だけでなく、他の国の人ともです。せん越かもしれませんが、私から、これからフランスに行こうと思っている若いコックさんに言えることは、どこの国に行っても、一生懸命働けば、必ず認めてくれると言う事です。フランス人はプライドが高いとよく言われます。確かにそうでしょう、しかしひた向きに頑張る者を必ず評価してくれるのは、日本となんら変わることはありません。私の事を言うのも何ですが、日本に帰国して、もう四半世紀も経ちますが、今でもあちらに訪れると、以前と変わらず家族として迎え入れてくれます。私にとってアルザスは第二の故郷とも思っているのです。笑われるかもしれませんが、TVの{うるるん滞在記}などを見ていると、昔の事が思い出されてくるのです。違う文化風習の中で生活するのは、決して楽な事ばかりではありません、そしてその時は必死かもしれません、でも何年か経って振り返ってみると、辛いことよりも、楽しかった事うれしかった事の方が、思い浮かんでくるのです。どうぞ、これからの若き料理人の皆さん、頑張って悔いを残さぬ様に励んでもらいたいと思います。何だか説教じみた話になってしまいました。次はもう少し楽しい話をしたいと思います。
2007.06.20
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待ちに待った休日、日本料理の料理長と待ち合わせ、最近の仕事の事などを聞いて、フランス料理のレストランで働かないか?と切り出しました。彼もいつまでも日本料理屋にいるつもりではなく、それに料理長と言っても、料理場は彼一人でやっていたので、何の勉強にもならず、案外あっさりとその気になってくれた様でした。アズマさんがいれば心強いですし・・・・。ところうが、これだけの付き合いをしてきていながら、彼には私たちのレストランの名を告げていなかったのです。彼に私たちのレストランの名前を言った時、彼の驚きようは、ただ事ではありませんでした。そうです、かれが以前辞めたレストランがラ・ムーラッションだったのです。何となく、話が白紙になってしまったようで、それからの説得が大変でした。それに、うちの料理長の説得も・・・・・。まさか私が入る前に辞めて行ったコックさんが彼だったとは。でも、うなずける様な気がします。私の場合は、ここへ来る前、アルザスで1年間働いていましたから、フランス語も何とか話せたので、耐える事もできました、アズマさんもそうです。しかし、日本から来たばかりのコックさんでは、とても耐えられる所ではないと思いました。私がここへ来たばかりの事を思うにつけ、あれをやられたのでは、無理もありません。しかし、今の彼は、何ヶ月もフランス語学校に通いフランス語にも慣れ、それに、今度は彼一人ではなく、アズマさんがいるのですから。その事をそのまま、料理長に伝えました。最初は渋っていた料理長も、私がバカンスに手伝いに来る事を条件に何とか了解してくれました。それにいざ、仕事に入れば、私より数段、知識も技術も上の二人です。うまく行くと思っていました。でもアズマさんが仕切るときっと料理長は淋しくなるだろうと、想像はつきましたが・・・。そして次の休日、旅立ちの日、料理長に挨拶に行きました、昼近くと言うのに、料理長はまだ、ベッドの中にいて、「ありがとうございました」と言うと、「アルザスが嫌になったらいつでも帰ってこい」と言われました。私は「必ずバカンスには来ますから」と。料理長の「頼むよ」の一言があんなに優しげだとは・・・、あらためて、私はここで良くしてもらっていたのだと感じました。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.20
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何年ぶりかにフランスへ行くと、いつも困るのが何かに付けて、自動販売機化されている事です。たとえば、電車のチケットなどは、日本の券売機と違い、文章を追って、次のステップに進まないと、最終的には、購買出来ないのです。単語力が堪能な人ならいいのですが、私のように随分忘れてしまっているような人は途中でつまずき、辞書など開いていると、タイムオーバーで解除されてしまいます。(私の場合は機械オンチなので尚更かもしれませんが・・・)各駅には一応、窓口で買える所が用意してありますが、大変数が少なく、外国人はもちろん、フランスのお年寄りたちも(機械の操作が解らず)窓口に人が殺到することになります。ですから、出発時間によほど余裕をもって駅に行かないと、乗り遅れる可能性が高くなります。そして、その窓口も6時には閉まってしまうので、私などは、深夜見ず知らずの青年に頼んで自販機で買ってもらった事もありました。それとお札が使えない事も不便です。近郊へ行くのならともかく、遠方で高額になるとコインで払う訳にもいかず、カード精算になると、余計にややこしくなるのです。頻繁にフランスへ行けるなら慣れるでしょうが、何年ぶりかでフランスへ行く私は以前の事は忘れてしまって、毎度毎度、悪戦苦闘する羽目になります。フランス国ももう少し、お年寄りと外国人に親切になってもらわないと、せっかくの旅行も楽しくなくなってしまうのでは・・・?と心配しているのです。そんな事を考えているのは、私だけでしょうか?私は会話の方は何とかまだ使えるのですが、旅行中、一人旅をしている日本人青年たちと知り合って、話を訊いてみると、フランス語どころか、英語もほとんど話せない人が多く、それでよく、一人旅する勇気があるなあ~と感心してしまいます。考えてみれば、昔の私もそうだったんでしょうね・・。今、それだけ私が年を取ったのでしょうか・・・・・・。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.19
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どこか、俳優の藤田まことさんに似たラ・ムーラッションのオーナー。 その日の夕方、オーナーに呼ばれ、「料理長に聞いたが給料に不満でもあるのか?」と訊かれました。私は、とんでもない、あの頃の日本人の給料としては、一番もらっていると思います、と答えました。それで正直に、以前世話になったアルザスの店が人が足りなく困っている事、そしてそちらへ行けば、ラ・ムーラッションよりお給料がずっと少なくなる事.、今、ここでの待遇に不満などない事も話しました。オーナーは納得したのかどうなのか、次は料理長への説得でした。中々、理解してもらえそうになく、結局、メゾン・デ・テートを辞めさせられた経緯から、行き場をなくした私を1ヶ月半置いてもらった事まで、話す羽目になりました。そして、トリコン料理長には大変お世話になった事も、感謝していることも、素直に話しました。結局、料理長が折れる形になり、退社出来る事になったのですが、条件を二つ出されました。まず一つは、私の代わりに日本人コックを一人入れること。二つ目はアルザスのバカンスシーズン1ヶ月をムーラッションに手伝いに来る事でした。バカンスシーズンに手伝いに来る事など、何の抵抗もなく、今までだってしてきた事ですから平気ですが、私の代わりに入れるコックさんと言っても・・・・・そうすぐにとはいきません。そして一番に思いついたのが、行き付けの日本料理屋の料理長さんでした。彼も今は、フランス料理から離れていても、フランス料理を学びにフランスに来たのですから、説得出来る、いや、しないと!!気持ちが決まったら次の休みまでが大変長く感じました。そして待ちに待った休日、アズマさんとカンヌへ向かいました。アズマさんも応援してくれそうです。さあ~どこから切り出していこうか・・・・・?http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.18
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豚バラ肉のスタニナサラダ(4~5人前)豚バラ肉スライス150~200g レタス類200~300g カイワレ1/2p 焼き肉のたれ50cc フレッシュ野菜ドレッシング100~150cc サラダオイル大さじ1 作り方豚バラ肉スライスは5~6cmに切ります。レタス類は洗ってちぎり、よく水気を切ってお皿に盛ります。フライパンにサラダオイルを熱し、豚バラ肉を炒めます。八分どうり火が通ったら焼肉のたれを加え、完全に火を通します。熱々の内にレタスの上に盛り、ドレッシング、カイワレを散らしたら、出来上がりです。美味しいポイント焼肉のたれは市販の物で十分ですが、あまり沢山加えず、一度召し上がって、足りなければ足すようにしましょう。ニンニクスライス等も一緒に炒めるとより美味しくなります。お肉の量はお好みで。
2007.06.17
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私にとっては永い永いバカンスが終わり、やっと以前の生活に戻りました。従業員のメンバーが一新され、何となく私が一番古株になってしまった様な感じです。ただ料理場は、まだ新しいコックさんが入っていないので暫らくは私一人でやらねばなりません.。『好きな様にやって!!」と言われていましたし、ここの料理は殆んどがメゾン・デ・テートと同じでしたので、それプラス何かを考えればいい訳です。コースメニューの中にラ・ムーラッションや志摩観光ホテルの料理を組み込んでみるのも面白かったですし、中々好評でした。この頃は、肉類は部分買いで、掃除をするだけでしたので、比較的楽でしたが・・・。ある日、料理場の裏にトラックが入って来ました。いつもの様に牛乳屋さんかと思ったらそうではありません。暫らくすると、大きな男の人二人が何かを引きずり降ろしました。なんとイノシシが一頭、それも毛皮付です。ルディグ氏曰く、「丸のまま買った方が安いから!」でも、それを誰がさばくんだ~。結局私の仕事です。(私はこんな事もあろうかと、渡仏前、2ヶ月ほど近所の肉屋さんに通って豚を何頭もさばく練習をしていたので、それを知っていた彼が思いついたのでしょう) 最初の一頭はまだ、100キロに満たない物だったので、地面に転がっていても、何とか、さばけましたが、150キロを越した物など、ひっくり返す事すら出来ません。結局、カーブの天井に滑車を付けて貰って、吊るしてさばいていきます。捌いた後がまた大変で、格部分ごとに下処理をしなければなりません。これを夜のサービスが済んでからやるのですから、またどんどん寝る時間がなくなっていきました。結局、私は休みの日に思いっきり寝だめをしようと思うのですが・・・・・。(カンヌ ラ・ムーラションの続きをとばしてしまいました、次回で・・・)http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.16
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栄養失調?それとも過労?それとも心労?何時の頃からか、四六時中、目がショボショボして明るい所では目が開けていられなくなりました。毎日が睡眠不足と言う事もあったと思うのですが、それが日増しに酷くなっていきました。それと志摩観光時代からの手荒れもまた悪化しだしました。ただ手荒れについては、メゾン・デ・テートの時の方が酷く、手指からだんだん脇の下まで広がって、心配したエデル氏の紹介で病院で診察してもらった所、すぐにドクターストップがかかりました。その事をエデル氏の息子に相談したところ、即 「辞めさせられたいのか?」の一言でした。まあ、そんな扱いをするフランス人などいくらもいましたが・・・話をもどします。休日、楽しいはずのカンヌのビーチへいっても目が開けていられなく、洗濯を干したら屋内で篭もる事が多くなり、本当に大丈夫なのか心配な日々が続きました。病は気からと言いますが、今までは、あまり食べなくても、また寝なくてもやり通してきたのに、鬱々とした日々から来たのかもしれません。アルザスからは、何度も「まだ、戻れないか」と電話があり、また私自信、その事を料理長に言い出せなく、重い気分になっていた事は事実です。トリコン料理長がエデル氏の息子の様に嫌な奴なら、すっぱり言えるのにと、何度思ったことか。そして半月程過ぎ、決心をして、料理長に辞めさせてもらいたい事を、打ち明けました。すごくがっかりされた顔は今も忘れません。そしてまずオーナーから呼び出しをうけるのですが・・・
2007.06.16
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大変お世話になった旅行社の人と。さて、当々日本へ帰る日になってしまいました。慌ただしくて、あれもこれもと盛り沢山なツアーでハプニングは多かったけど大変楽しい旅でした。帰途、先発隊は、アエロフロート(ソ連航空)で帰ることになっていました。前日、旅行社の人から、「くれぐれも手荷物に包丁等、危険物は入れない様に」と強く指示がありました。私たちは料理人の卵ですから、殆んど全員と言っていいほど、本場のナイフを買い求めていました。私たち先発隊30名は朝も暗い内にホテルを出発し、ローマから、パリ経由で、帰国することになっていました。ローマ空港に到着し、チェックインを済ませ、手荷物検査を通過する時、またも事件が起こったのです。その張本人は友人のA君でした。彼は、このツアーの間、度々、ハプニングを起こすので、旅行者の人に「彼の面倒を見て、気を付けてやって」と頼まれていたのですが・・・。昨日あれほどしっかりと『手荷物にナイフを入れるな」と言われていながら、彼はしっかり手荷物に包丁を入れていたのです。彼は私のすぐ前で、手荷物をエックス線に通しました、そしたらけたたましいブザーが鳴り、すぐに係員が飛んできて、ライフルを突きつけて、彼を何処かに連れて行ってしまいました。あまりに突然な事で、皆、呆然として見ているだけでした。さすがに旅行社の人も真っ青になっていました。私たちは、待合室で飛び立つ時間が迫る中、じりじりしているだけで、何も出来ません。旅行社の人が必死に説明をしているのでしょう。本当に飛び立つぎりぎりでした。旅行社の人に連れられてA君が帰ってきました。思ったよりも彼は平然とした顔をしていましたが、旅行者の人は頭から湯気が出ているみたいで、「お前と言う奴は最後の最後まで」・・・とすごいけんまくでした。当然です。このツアーにおいて、彼が添乗員の人達をどれほど、キリキリ舞させた事か、彼らも後に『未だかつてない、困った客だった」と話してくれました。本当にご苦労様でした。何はともあれ、アッと言う間のヨーロッパ旅行。何時かまた、きっと来れます様に、と、帰ったら学業に励みます。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.16
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コロッセオ前にて!!さて、今晩は、オステリア・デル・オルソーでディナーです。ホテル・ミケランジェロから、ぞろぞろと、バスに乗り込んで、夜景を観ながら向かいます。到着してみると、それほど間口が大きいとはいえない建物ですが、3~4階建てになっていたでしょうか。私たちは、確か3階を貸しきってのディナーだったと思います。建物自体、相当な年代物に感じられ、ローソクの明かりに、ふんわりと照らされ、中々な雰囲気です。食事を始める前に、旅行社の人から何か連絡があるそうで・・・・。「今晩のお飲み物は各自めいめいでお支払い下さい」との事でした。私は、その頃、旅行社の人と仲良くなっていたので、「何で?」と、こそっと訊きました。彼が言うには、「このツアーの参加者は、殆んどが未成年だから、ワインはあまり飲まないと思ってたんだけど、パリからもう全然予算オーバーなんだわ~」と。そうか~、確かに、どのレストランでも飲んだ暮れていたもんなぁ!! 旅行社の方々、本当に申し訳ありませんでした。さて、食事が始まり、オードブルは、定番生ハムとメロン、トマトベースのスパゲティー、魚のグリエ、メインはローストビーフ、デザートは大きなチョコレートケーキとアイスクリームの盛り合わせ、定番と言えば定番ですが、ほぼ完全なフルコースでした。今回はチーズを殆んど使っていなかったので、ほっとしたディナーを楽しめました。帰りは違うコースを辿り、夜景を眺めながらホテルに戻ります。ローマは町自体が美術館と言われますが、まさしくその通り、ライトアップされた数々の遺跡を目の当たりにして、またいつか来ようと思いました。永いようで短かったヨーロッパツアーも今日で終わり、明日はまた永い飛行機の旅です。今晩は早く寝よう。もうパプニングは起きないだろうと思って・・・・・?http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.15
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スパゲティー200g・小海老8尾・シメジ50g・生クリーム30cc・アメリケーヌソース200cc・サラダ油大さじ2・塩・コショー・ブランディー少々作り方 フライパンにサラダ油を熱し、小海老、シメジを炒めます。ブランディーで軽くフランベし、アメリケーヌソースを加え、塩コショーで味を整えます。そこへ茹で立てのスパゲティーを加え皿に盛ります。仕上げに生クリームをかけたら出来上がりです。美味しいポイントスパゲティーは、たっぷりのお湯と、少しきつめの塩で茹でましょう。また、ソースの濃度が濃いようでしたら、スパゲティーの茹で汁を少し加えましょう。
2007.06.14
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スペイン広場からタクシーを拾い、ホテルへ一旦帰らなければなりませんが、イタリアでは、3人以上のお客はまず乗車させてくれません。私たち仲良しグループは、7人で、3台のタクシーで帰ることになりました。今朝、バスガイドさんの話では、「イタリアのタクシーは、観光客に料金を吹っ掛ける事が多いので気を付けて下さい。スペイン広場からホテルまで、せいぜい1000リラ位ですから、料金メーターより高い金額を請求されても、払わないように。」と言われていました。私はA君と2台めのタクシーに乗り込みました。ホテルに到着、メーターに表示されている金額は1100リラ、大体ガイドさんの言っていた金額です。ところが、運転手は2000リラ請求してきました。私たちはメーターを指して、「違う」と何度も言ったのですが、受け入れられず、結局2000リラ払わされました。先頭のタクシーに乗った友人に訊いたところ、「ちょっきり1000リラにしてくれたよ」って。やられた~。何だかすごく損した気分です。3台めが到着、駆け寄って、「幾ら払った?」と訊いたところ、友人は「5000リラ取られた~」って。「え~」と驚きながら、本心、さっきまですごく損した気分が、「まあ、いっか~」と言う気分に変わっていました。人の気持ちと言うものは、本当に勝手なものです。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.14
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マグロお刺身用100g 玉ネギ1/4個 レタス2~3枚 フレッシュ野菜ドレッシング100cc レモン汁大さじ2 カイワレ1/4p 塩少々作り方お刺身用マグロは5mmくらいにスライスし、軽く塩をして、冷蔵庫で30分ほど寝かせます。玉ネギは薄くスライスして水にさらします。レタスは水でよく洗い、ちぎります。ドレッシングにレモン汁を合わせよく混ぜます。お皿にレタス、マクロ、絞った玉ネギの順に盛っていきます。最後に合わせドレッシングをかけカイワレを散らしたら出来上がりです。美味しいポイントマグロは必ず前もって塩をしておきましょう。ドレッシングはお召し上がる寸前にかけましょう。素材はもちろん、お皿もよく冷やしておきましょう。また、青じそ、みょうが、アスパラなどもよく合います。
2007.06.13
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憧れのヨーロッパへ 15昼食後、トレビの泉等を廻り、スペイン広場で解散、念願の自由行動です。貧乏学生には、買い物をするお小使いもないので、もっぱら、ウインドーショッピングですが、物珍しい物ばかりで、中々楽しいものです。仲良しグループの中のA君が、イタリアの名産カメオを買って帰ると知人に約束したと言うで、途中から、カメオ探しの自由行動になってしまいました。カメオと言うのは、貝殻等に彫刻を施した、言わば、宝石と美術品を兼ねた様な物で大変高価なものです。どの店のウインドーを見ても、私たちには、「ひえ~」と思う金額の物ばかりです。ある店のウインドーで、「高っか~、やっぱ無理やわ」と、私が言ったところ、横にいたオーナーらしき人が、「高くな~い、高くな~い」と何と日本語で返してきたのです。私たちは、ビックリしたのと恥ずかしいので、そそくさと退散したのでした。イタリア人の経営者たちには、日本人観光客を目的に、簡単な日本語を学んでいる人が多い事に、その時初めて気が付きました。そう言えば、朝、私たちのホテルの前の屋台で、イタリア人のおじさんが、「安いよー安いよー、1個なら1000リラ、2個なら1800リラ、3個なら2000リラ」とサンピエトロ寺院のスライドフィルムを売るのに、日本語で客引きをしていたのを思い出しました。結局、A君は、適当な所でカメオを買ったのですか、どう見ても私でも彫れそうな代物で、やはり、すばらしいと思える様な物は、われら貧乏学生には、とても手が出る代物ではありませんでした。 今晩のディナーはオステリアデルオルソー、昔、ダンテが住んでいたとかで、重要文化財に指定されているリストランテだそうです。楽しみです。今朝ガイドさんから習った様に、一旦、スペイン広場へ行き、タクシーでホテルに帰る事になったのですが・・・・。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.13
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バチカン市国サンピエトロ寺院で、親切な神父さんと。今日は少しゆっくりめの出発です。バチカン市国サンピエトロ寺院、コロッセオなどを回り、お昼はリストランテ アルフレットでする事になっています。このレストランは、世界各国から、有名知名の方々が見える所だそうですが、比較的リーズナブルな料金で、地方料理を食べさせてくれる所だそうです。まずはコロッセオを見学し、その次がサンピエトロ寺院、まさしくローマ法王があわします、って感じの雄大さで、ガイドさんの後ろを皆ぞろぞろと付いていきます。所々に神父さんらしき方がいて、一々私たちに挨拶をしてくれます。私たちは、御のぼりさん気分でその方たちの一人に、「一緒に写真を撮っていただけますか?」と訊ねたら、快く応じてくださいました。さあ、お昼です。リストランテ アルフレット、中に入ると店中に有名人の写真が飾ってあります。私が一番感動したのは、幼い頃、テレビで見た、アメリカのホームドラマ「ローマでチャオ」の写真があったことでした。ここもそのドラマの舞台になったんですね。席について、食事が始まりました、まずはオードブルの盛り合わせ、本来は、ズラリと並べられている前菜の数々を自分でチョイス出来るのですが、私たちは100人近い団体ですので、あちら任せでした。メインは自家製の平打ちパスタの茹でたて熱々にたっぷりのチーズをからませた物で、大きな銀盆に運ばれてきて、ウエイターたちが、お皿に盛り付けていきます。私はそれを見ただけで、「アチャー」と思いました。前にも書いたように、私はチーズが全然ダメなのです。山盛りに盛られたパスタ、温かいだけに匂いが強く、鼻で息をしないように、口に放り込み、ワインで一騎に流し込みました。大分、量が減ってきて、あともう一息と言うときに、オーナーのアルフレット氏が挨拶に見えました。彼に「いかがですか?」と訊かれても、「大変美味しいです」と私は答えるしかありません。そうすると彼はパチーンと指を鳴らすのです。ウエイターがすかさずやって来て、私のお皿にパスタのお替りを盛っていきました。「ヒエ~」、やっと、終われると思ったのに。正直泣きそうでした。その後、私はバスの中では、一言の口もきけませんでした。
2007.06.12
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細めスパゲティー200g チーズ50g ベーコン50g シメジ50g トマト1個 ニンニク1かけ 野菜のクリームスープ400cc 塩 コショー パセリ少々 オリーブオイル大さじ2作り方ベーコンは1cm角に切ります。シメジは石づきを取ります。トマトは1cm角にきります。ニンニク、パセリはみじん切りにします。スープは鍋で温めます。フライパンにオリーブオイルを熱し、ニンニクを炒め香りをだします。ベーコン、シメジ加え炒めます。そこへ荒く刻んだトマトを加え、煮崩れない程度に炒めます。湯がきあがったスパゲティーとチーズを加え、素早くまぜます。塩コショーで味を整え、皿に盛ったら、スープをかけ、パセリを振って出来上がりです。美味しいポイントスパゲティーはたっぷりの湯ときつめの塩で茹でましょう。市販のスープをお使いの時は、玉ネギ、ニンジン、セロリ等、細かく刻んだ野菜を塩茹でして加えましょう。
2007.06.11
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ローマに到着して、やはり、軽く市内観光があり、ガイドさんから色々説明がありました。スペイン広場に到着時にはもう少し日が傾きかけ、夕日に映えた広場には、恋人たちが寄り添い、中々ロマンチックな風景です。明日からはローマ近郊観光とレストラン巡りです。さあ、またバスに乗り込み次の名所に向かう時、一人のイタリア人らしき男性が私たちのバスに乗り込んで来ました。私たちはてっきり、イタリアの旅行社の人だと思っていました、またイタリア側の旅行社も私たちのメンバーだと思って、ホテルまで一緒に乗車して来たのでが・・・。その日、ローマの夜景散策の後で、ホテル到着が遅かったものですから、到着後、すぐにディナーでした。今晩のメニューは、まずオードブルの盛り合わせ、そして竹輪ほどもあるマカロニのトマトソース和え、子牛のカツレツ、中々ボリュームがあります。私たちが食事をしている最中、なぜかずっとホテル側と旅行社の人たちが、難しい顔をして、食事もせず、話し合っているのが目に入りました。何なのか・・・どうも食事が一人前足りないのです。結局1人前追加をしてその場は納まったのですが、客室の部屋割りの時にとうとう事件が発覚したのです。スペイン広場から乗り込んで来たイタリア人男性、彼はまったく私たちのツアーとは、関係がない人間で、何食わぬ顔をして、バスに乗り込み無銭飲食をしていたのです。道理で1人前料理が足りないはずです。皆で彼を取り囲み、警察に引き渡しましたが、ローマ到着そうそう、こんな事があるなんて!!イタリアはフランス、スイスよりも治安が悪いとは聞いていたのですが、それを目の当たりにして、明日からの観光は自由行動もあり、気を引き締めないと、と実感させられました。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.11
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時間つぶしのトランプ。ローマへ向かう列車の中で。翌朝は、まだ日が昇る前から出発です。今日は中々の強行軍で、最終目的地は、ローマです。まずバスで出発、景色を眺めながら、越境、イタリアに入ります。私たちは当時全然距離感覚がなく、どの位かかるのかもしりませんでした。今日は途中で降りてどこかを観光することもなく、早めの昼食を取ったら一気にミラノです。その昼食はピッツェリアのようなレストランで、ボンゴレのスパデティーをいただきました。なんの変哲もないスパゲティーでしたが、ずっと胃がもたれていたせいか、何だかホっとする味でした。ミラノに到着、簡単に車窓から市内観光、ミラノの大聖堂で、1時間の休憩、今度はミラノから列車です。ヨーロッパで初めての列車の旅です。現在はあまり見かけなくなりましたが、当時の座席はコンパートメントと言って、6~8人づつの個室になっていました。1等車が6人、2等車が8人位だったと思います。まあ、私たちは、団体と言う事もあり2等車で空いているコンパートメントに順じ乗り込んで行きました。私たちは、イタリア人らしき老夫婦と相部屋になりました。大変陽気なおばあちゃんで、お菓子など頂いて。今日は早めの昼食でそろそろお腹が空きだしたころ、さすが旅行社、太巻きのお寿司が配られました。何日ぶりかの日本食です。私は元来お寿司は余り好きではないのですが、この時ばかりは、随分美味しかったように思いました。お菓子のお礼に、おばあちゃんにお寿司をあげて、喜んでくれるかな~と思ったのですが、変な顔をしていました、口に合わなかった様です。現在では、どこの国でも健康ブームで、お寿司が人気を得ていますが、当時、外国の人たちにはまだ未知の味だったのでしょうね。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.10
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きょうは、私の誕生日であります。もう目出度くも嬉しくもない年で、フランスの友人から、メールが届くまで忘れていたほどです。ただ、本当に偶然だとは思うのですが、27年前、フランスで別れてから音信不通になっていた友人のT君から、電話があった事が今日の私への最大のプレゼントになるでしょうか。 彼もフランス料理のコックさんで、私が志摩観光時代に知り合ってからの付き合いですから、かれこれ30年になると思います。彼とは、なぜか縁があり、私が志摩観光を退社し、フランスに渡ってから、彼が、2年ほど後れて渡仏して来て、その場所が同じアルザスだったのです。それも私が最初に働いていたメゾン・デ・テートと目と鼻の先ほどの所にです。彼が就職したシリンゲールと言うレストランも代々日本人が働いてきたレストランですが、まさか彼がこんなに近くに就職してくるとは、その時は本当にビックリしました。私が志摩観光時代、彼はまだ調理師学校生でしたが、年は同年で、すぐ仲良くなれ彼の大阪の自宅に泊りがけで遊びに伺った事がありました。そして今日の電話では、私が渡仏する時、彼も私の実家へ泊まりがけで遊びに来たそうなのです。(申し訳ない話ですがそこの所の記憶は全然ないのですが、私も渡仏前でバタバタしていたのだと思います) 彼は前から私の事を気に掛けてくれていたらしく、彼の友人がインターネットで私を探しあててくれたそうです。(これで少しはホームページを立ち上げた甲斐もありました。) 何はともあれ、永い永い27年間、本当に懐かしい声が聞けました。遠い昔の思い出を語り合い最良の誕生日になりました。近い再会を約束し、きょうの仕事の励みにもなりました。 追伸・・・彼は大阪でレストランを経営しています。その名もずばり、レストラン アルザス最寄の方はぜひ行ってみて下さい。http://www004.upp.so-net.ne.jp/alsace/ささやかなプレゼントが当たります応募してくださいねhttp://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.09
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ジュネーブをあとにして、レマン湖のほとりで休憩を取りました。ちょっとしたヨットハーバーの様なものがあり、1時間に1度でしたか、(もう忘れましたが)大きな噴水が上がるそうで、それを観てから、ローザンヌに向かうことになりました。確かに中々な規模の噴水でした。観終わってみなそそくさとバスに乗り込み、さあローザンヌ、翌日が早朝出発なので、少しでも早く着いて、観て回りたいと思っていました。ヨーロッパの秋は、もう随分日が短くなっています。団体旅行ですので、何かに付けて時間がかかります。ホテルに着いて、まず部屋割りに時間がかかり、夕方の食事の説明に時間がかかり、やっと、街に出た頃には、薄暗く成りかけていました。でも本当に静かで落ち着いた佇まいです。今度来る時は数日ゆっくりしたいと思いました。本当にさらーと流して観て回っただけで、もう真っ暗です。部屋へ帰って一休みして、また着替えて、今晩のディナーはこのホテルのダイニングです。このホテルは、中々歴史が古いらしく、建物も相当年期が入っているようですが、客室は広々として、ゴージャスな感じで、とても貧乏学生には、贅沢過ぎる様な気がしました。今回の旅行は、どのホテルも立派で、後に個人旅行でヨーロッパを回った時には、このようなランクのホテルに泊まったことはそうはありません。当時、日本から予約をする時はある程度のランク以上でないと取れなかったかもしれませんね!!http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.09
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家庭で簡単に出来る作り方(本場の味に比較的近く出来ます)材料 シュウクルート瓶詰め 2ビン玉ネギ 小1個 白ワイン 200cc 又は、ビール300cc固まりベーコン 400~500g ソーセージ、ウインナー 10本 ジャガイモ 2~3個 塩 コショー ローリエ等、香辛料作り方1、シュウクルートは、水を3~4回替えながら、酸味が取れるまで、よく洗います。(酸っぱいのが好きな方は、酸味が残るくらいに洗って下さい)2、深鍋にラード又はサラダオイルを入れ、スライスした玉ネギを色づかせない様に、しんなりするまで炒めます。3、白ワインを加え、1/3量まで煮詰め、まず半分のシュウクルートを加え、玉ネギとよく混ぜ合わせ、鍋底に敷くようにします。4、ベーコンをその上に置き、残りのシュウクルートを被せるようにします。5、全体にひたひたになるくらい水を加え、軽く、塩 コショー ローリエ等、香辛料を加え、蓋をして40~60分、ことことと煮て行きます。6、ベーコンに竹串がすっと入るようになれば、煮上がりです。7、ベーコンを取り出し、煮汁を半分まで煮詰め、塩 コショーで味を整えます。8、シュウクルートの上に、切り分けたベーコン、ソーセージ、ウインナー、茹でたジャガイモをのせ、再び温めたら出来上がりです。※ ポイントは、シュウクルートを水でよく洗う事。玉ネギを色付けない事。白ワインをよく煮詰める事。最初のシュウクルートと玉ネギをよく混ぜる事(玉ネギだけが鍋底に接すると焦げやすい)です。 ネズの実を加えるとより本場に近くなります。簡単ですから、ぜひ一度試して下さい。 美味しいですよ!!http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/shopping.htm
2007.06.08
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白銀のシャモニーをあとにして、国境を越えスイスです。今は本当に簡単になりましたが、当時は、税関が、バスに乗り込んできて、一人一人パスポート検査をしていきました。やましい事があるわけでもありませんが、ライフルを肩に掛けた人を見ると何となく緊張する一時です。昔と思えば、今の税関は随分、人あたりが良くなり、フランスの友人の車で越境する時など、パスポートも視ません。さあ、税関をパスし、最初に訪れたのがジュネーブです、中々大きな都市のわりに、静かで落ち着いた感じで、一辺に気に入りました。もう少し天気が良ければと、思うのですが、ヨーロッパはこんなドンヨリと曇った日が多く、仕方がありません。昼食まで、時間があるので、自由行動と言う事で、それぞれ買い物に出かけました。スイスはやはり時計が有名です、が貧乏学生には、とても手が出ません。実家の土産に木製の小さな掛け時計を買い求め、レストランに戻りました。今日のメニューは、牛肉のブロシェット(串焼き)バターライス添えでした。後の事を思えば昼はこれで十分です。ただ、ここで、また一発、ドジをしてしまいました。そのレストランは私たちを収容するには、ぎりぎりの大きさで、私たち数名は、バーカウンターに座ることになりました。食事をするには、少しテーブルが高すぎるような気がしていました。料理が運ばれてきて、ナイフを入れたら、肉が硬かったのでしょう、串から抜けないのです。仕方なく、フォークで肉を引っ掛け串から抜こうとしても、外れません。何となく料理がすぐ顔の前にある様な格好で、やり難く、無理に力を入れて引っ張ったとたん、スポーン!!と。肉もバターライスも隣の人まで飛んでいってしまったのです。目の前には、バーテンダーが立っていて大笑いされてしまいました。私は顔から火がようなおもいでしたが、しかし、こんな席でこんな硬い肉を食べさせる方もどうかしていると思いませんか・・・・?私の不注意と言えば不注意ですが・・・・。今晩はローザンヌ泊まりです。静かで落ち着いた街だと聞いています。ささやかなプレゼントが当たります応募してくださいねhttp://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.08
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材料 練り込みパイ・・・・ 小麦粉250g バター125g 塩1摘み 卵黄1個 水50cc (23cm型2~3台分 残った生地はラップをして冷凍保存していただければ1ヶ月はもちます) アパレイユ・・・・・ 全卵3個 牛乳250cc 生クリーム100cc 塩 コショー ナツメグ 少々 ベーコン 50~80g グリエルチーズ(piza用チーズでも可)50~80g パン粉30g作り方 アパレイユ 卵を割りほぐし、塩、コショー、ナツメグを加えよく混ぜてから、牛乳、生クリームで伸ばしていきます。 ベーコンは軽く茹でておきます。 練り込みパイ 1、小麦粉とバターを粉チーズ状になるまでよく混ぜます。さらさらになったら塩を入れ、全体に混ぜ合わせたら卵黄と水を合わせた物を加えだまにならない様に混ぜ、一塊にします。冷蔵庫で1時間ほど寝かせます。 2、タルト型に薄くのばし、成型したら、フォークで細かく全体に刺していきます。(プロはここで生地だけを下焼きしますが、家庭ではそのままで結構です) この生地にパン粉、ベーコン、チーズ、アパレイユを流し入れ170℃のオーブンでまず20分焼き、160℃に温度を下げ、15分ほど焼いたら出来上がりです。 (オーブンに入れる時間は目安ですので、160℃にしてから時間は調節して下さい。美味しいポイント 塩加減はまず、2~3摘みほど入れて、味を見て少し薄いかな、と思うくらいして下さい。ベーコン、チーズにも塩気がありますので!!美味しいですよ!! うまく出来たら感想お願いします。
2007.06.07
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私たちが泊まったホテル アルピナは、建物全体が山小屋をイメージした様な形をしていて、いかにも冬のリゾート地を思わせましたが、部屋へ案内されたら、寝室とリビングが別室になっていて、ちょっとしたスイートルームのようでした。食事の方は、まあ簡素なコースでしたが、パリで無理をして食べてきた私たちには、ホっとした気分にさせてくれました。食後、いつもの様に翌日のスケジュール説明があり、明日はスイス ジュネーブだそうです。そして宿泊はローザンヌ。楽しみです。今日は、何の失敗もなく、明日からの強行軍の為にゆっくり休みましょう。そして翌朝、天候が一変、一面が銀世界になっていました。(ホテルの窓から)ささやかなプレゼントが当たります応募してくださいねhttp://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.07
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久々に訪れたアルザスの市場内レストランで!! キッシュロレーヌを頂いてからのメインディッシュに取ったブッシュ・ア・ラ・レーヌです。これで1人前、キッシュも大きかったので、これが出てきた時には、ギョっとして見ただけでお腹一杯になってしまいました。昔はペロリとたいらげていたのに・・・。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.06
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大失態の翌日、早朝にホテルを出発して、次に向かうのは、シャモニーです。モンブランを背景にスキーのメッカだそうです。私たちがヨーロッパに訪れたのは、秋でしたので、まだシーズンに入っていませんでした。こちらでは、小休止と言いましょうか、食べ歩きが目的ではなく、最終目的地、ローマへの中継点で、半日自由行動と1泊をさせてもらいました。自由行動といっても、小さな街なので観る所も少なく、殆んどの人たちが、モンブランに登ったと思います。登ったといっても、登山ではなく、ロープーウェーとエレベーターを乗り継いで見晴らし台までですが、それでもたどり着いてみれば一面銀世界で雲の上にいるとでも言いましょうか、すばらしい景色です。ハングライダーに乗った人たちが、私たちのはるか下方で飛んでいたのには、感動ものでした。そして私たちが登ったのが夕刻近くで、帰り際、スイスの山々が夕日に照らされて真っ赤に染まった時には、皆で「ワーー!!」と歓声を上げました。そう言えば、アルプスの少女ハイジに「おじいさん、山が燃えている」と言う場面がありましたが、まさにその通りでした。私の人生において、こんな瞬間に出会う事はまたとなかったでしょう。 さあ、今晩の宿泊ホテル、アルピナのレストランで何を食べさせてもらえるのかな・・・?ささやかなプレゼントが当たります応募してくださいねhttp://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.06
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ご丁寧にお返事をいただいた、フォンテーヌブロー オーベルガード オーナーシェフ ルシアン・オジェ氏自記筆の手紙です。フランスでもグランムッシューと言われる方たちは、そつがなく、細やかな心を持っておられる方が多いです。私にはとてもまねができません。ささやかなプレゼントがあります応募して下さいねhttp://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.05
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笑顔の素敵なマダムと、私が大失敗した直後です。フォンテーヌブローまでは、パリから、60~70kmといった所でしょうか。バスの中、皆でワイワイやっていたら、あっと言う間の距離でした。このパリの周辺をイル・ド・フランスといって、パリに近いわりに静かで風光明媚な所ばかりです。レストラン オーベルガードも周りが清楚で木立が多く、落ち着いた佇まいであったように記憶しています。私たちが到着した時には、もうとっくに日が暮れ、レストランの明かりがほんのりと暖かく浮かび上がっていたように思います。レストランの中は、ルドワイアンとは、趣は違いますが、ここもやはり歴史を感じさせる風情でした。出迎えて下さったマダムは、少し年配の方でしたが、大変綺麗で華やかで、往年の女優さんの様な方です。さあ食事です。こちらでは、食前酒はなく、すぐにワインでコース料理が始まりました。やはりディナーともなれば、昼食とは違い料理の品数も多く、ワインも数種でたように思います。帰り際、愛想の良いマダムに写真を一緒に撮っていただけますかと訊いたところ、にこやかに、「もちろんです」の返事をいただいて、喜んで並びかけた時・・・・・・。私はその日、思ったよりも酔っ払っていたようで、私のすぐ後ろにワイングラスが並べてあるのに気が付かず、振り向いた勢いで私のショルダーバッグがグラスに当たってしまったのです。一個や二個ではありません。5~6個は一辺に。私は顔面蒼白なりました。マダムもきっと、「えー!!」と思われたでしょうが、そこはさすが、にこやかに私が怪我をしなかったか心配していただきました。本当に申し訳ありませんでした。あの時の失態は今も忘れていません。いつかお会い出来たら、もう一度お詫びを、したいと思っていたのですが・・・・。ささやかなプレゼントがあります応募して下さいねhttp://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.05
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私たちのツアーは言わば、研修と言うものの、食べ歩きです。ルドワイアンを皮切りに有名店のフルコースを食べまくるわけです。翌日の昼はレストラン マルティネ、夜はフォンテーヌブローのオーベルガードとたて続けです。今でこそ、殆んど好き嫌いのない私ですが、当時はチーズ、トマトは一切ダメ、テリーヌ等、練り物も嫌いと来ていましたので、何処へ行っても、必ず食べれない物があり、横に座った人に食べてもらっていました。この話をすると、必ず「なんでフランス料理を専攻したの?」って訊かれます。ただ、私はフランス料理食材に限らず、幼い頃から食べれる物より食べれない物の方が多いくらいでした。私が小学生の頃は、給食が大嫌いで、よく、学校を脱走しては先生や親に見付かって学校に連れ戻される事がよくありました。成人してから母に「僕は何を食べて育ったんだろう」と訊いたほどです。 まあ、その話はさて置き、翌日は、まずバスで市内観光に連れて行ってもらい、(と言っても先発隊は主だった所はもう廻ってしまいましたが)昼食のレストランはマルティネと言う比較的、庶民的なレストランでした。(よく100人も入ったと感心しするくらいの!) コース料理も品数が少なく、私はこの位で十分だと思っていましたが、最後のデザート(ボンブグラッセ)がこれでもか、と言うくらいボリュームがあり、今晩のオーベルガードのディナーまでに、お腹が空くのか心配になりました。このフォンテーヌブローのオーナー ルシアンオジェ氏は、全フランス料理協会の会長をされている様なグランムッシューで、後に私が就職する事になっていた、ジャンドラベーヌ氏の前任者です。私も以前、就職させていただこうと手紙を出した事がありますが、その時は、定員が一杯で申し訳ないと、丁寧にお返事をいただきました。こう言うところに、偉大かそうでないかの差ができるのでしょう。そして、またバスに揺られ、市内観光の続行、一旦ホテルに戻り、正装して、夕刻にまたバスで、フォンテーヌブローに向かうのですが、そちらで私は大失敗をしてしまいました。その話はまた・・・。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.04
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一旦、ホテルに帰り、ルドワイヤンに行く為には、正装をしなければなりません。と言っても、私たち学生は、スーツとネクタイ着用で、タキシードを着る訳ではありません。確か、金曜の夕べはタキシード着用だったと思いますが、私たち団体は別室にて貸切でしたので、あまり堅苦しいものではなかったと思います。後続隊は、空港から、バスで乗り付けるそうですが、私たち先発隊は、確か、地下鉄で、最寄の駅まで行き徒歩で向かったと思います。何とも情けない・・・・。私たちが到着したのは、夕闇が漂う頃でしょうか、下からライトアップされたルドワイヤンは、さながらオペラの劇場の様でした。「へ~」、中々な雰囲気で入る前から、随分緊張しました。まず通されたホールは、部屋の周りにカウンターが設けてあり、ポートワインやドライシェリー、シャンパーニュなど用意してあり、まずはそちらで、食前酒をいただく事になっていました。殆んどが未成年の学生ですが、これも勉強、後続隊が到着前に、二杯ほど戴いた様に思います。後続隊が到着して、随分広いと思っていたホールが人で溢れ、改めてすごい団体だと思っていると、人ごみの向こうで、何やら騒がしくなりました。人を掻き分け見に行くと2人ほど、倒れているのです。後続隊の中の人でした。酒も飲んだ事もない未成年が、長旅疲れと時差ぼけで、一辺にアルコールが廻ってしまったようです。[子供のくせにジュースにしろよ~」・・・・と、私も未成年でしたが・・・、やはり先発隊は、昨日一日の優があり、余裕で、運ばれてゆく彼らを眺めていました。さてディナーをいただくホールに案内され、料理が運ばれて来るわけですが、当時は現在と違い、殆んどの料理が、大きな銀盆で運ばれ、ウエイターが盛り付けをする形式です。(団体は特に) そして、大きな銀盆に盛り付けられた料理を、まずメートルドテル(給仕長)が、お客様に鑑賞させ、説明をして、盛り分けていきます。ところが日本人は、いつも料理を見せられると「メルシー」と言ってしまうので、その時は「トレビアン」と言いなさいと教えてくれた先生・・・・自分の所で、料理を観せられた時、「メルシー」と言ってました。先生も緊張してたんですね。初めて頂く一流フランス料理は確かに美味しかったと思いますが、私には、料理よりも、スマートに立ち働く、メートルドテルとギャルソンたちの方が印象に残りました。 さっき倒れた人たち、ちゃんと食事出来たのかなぁ・・・?http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.03
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後続隊が到着するのは、夕方、ルドワイアンで合流との事、今日もたっぷり時間があります。朝食はルームサービスで、昨晩の内にオーダー書を、ドアのノブにかけておけば、運んで着てくれます。何だかリッチな気分です。昨日習ったように、チップを用意して待っていると、来た来た、「ウイ、アントレ シルヴプレ」とドアを開けようと、ノブを引いたところ、ええーー?、ドアノブがスポーンと抜けてしまったのです。信じられません。このホテルはオープンしてまだ数ヶ月です。館内はピカピカなのに。ビクッリです、なんとかドアを開ける事は出来ました、ウエイトレスさんは笑っていましたが、冗談ではありません。結局朝食を済ませ、修理の為、他の部屋に替わる事になったのですが、今度は随分階下の景色があまり見えない部屋に移されてしまいました。まあ、気を取り直して、さっそく観光です。昨日行かなかったフォーブルサントノーレ、マドレーヌ寺院、オペラ座、日本人通り、そしてルーブル美術館に入りました。あまりの広さに感動ですが、とてもすべてを見てまわれません。まずはモナリザとミロのビーナスを捜して・・・と。ルーブル美術館はどんなに貴重な絵画でも部屋の壁や廊下の壁に無造作に飾ってあるみたいで、ミロのビーナスなどは、観光客があまりにも触るので足の先が丸くなっていました。数年後、私が訪れた時には、さすがに柵がしてありましたが・・・・。ただ、やはりモナリザだけは、別格でした、柵をしガードマンが一人ついていた様に思います。昼食は、美術館内のセルフサービスレストランでする事になりました。中々の品揃えで、さすがフランス、セルフサービスのレストランとも思えません。少し寒かったと思いますが、二階のテラスに出て、食事をしました。フランスでは、真冬でもテラスが出ている店が多く、あまり快晴の少ない地方だから、太陽が恋しいのだそうです。食後、またひと回りしてから、昨日行った、サンミッシェルに行きたくなり、セーヌ川に架かる芸術橋を渡りながら、パリに留学できたらいつでも来れるのに、と思いに耽りました。さあ今晩はルドワイヤンだ。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.02
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フランスの上空に差し掛かったのが朝で、日の光りに照らされた景色は一面、畑と小高い丘、色とりどりでまるで絵に描いた様な風景でした。皆で歓声を上げました。憧れのパリに着いたのが、まだ昼前で、ホテルに到着後、仲良しの友達たちと、早速、パリの街に繰り出しました。私たちが泊まったホテルは、その年、完成したばかりのホテルニッコウ・ド・パリと言って、エッフェル塔のすぐお隣で、シャンゼリゼ通りには、少し距離がありますが、地図を片手に歩いて行く事になりました。季節は秋、街の並木も色付いて本当に綺麗です。私は学校で習ったフランス語が使いたくて、道行く人に挨拶したり、道をわざと訊いたり、少し御のぼりさん状態です。私の下手なフランス語でも相手には、通じるのです、が、返って来る返事がチンプンカンプンで、友人たちに「もう少し、話せるかと思ったのに、全然じゃない」とからかわれ、「じゃ~、自分たちで訊いてよ」と返せば、「ぼくたちは、フランス語専攻してないから」とやり返され、少しプライドに傷が付いたのを憶えています。そして私たちがまず向かったのが凱旋門、それをシャンゼリゼ通りを下って?ルーブル美術館でした。本当に観光スポット巡りです。その日のお昼は皆、お腹が空いていないと言う事で、コンコルド広場で売っているパリ名物の焼き栗を買って食べたと思います。と言うのも、当時の飛行機旅は、機内食が軽食合わせて4度程出たのです。私などは、4食目は何も手を付けなかったように思います。そしてルーブルからパリ市庁舎、ノートルダム寺院、カルチェラタン、主だった観光スポットを巡り、ホテルに戻った時には、もう夕方でした。夕食は、ホテルのレストランで軽いディナーが出ると言う事で、初めて食べる本場でのフランス料理、やっとお腹も空いて来た様で、大変楽しみです。それにしても、私たち先発隊は、まる1日余分に、パリに滞在出来たのですから、本当にラッキーでした。夕食は、コンソメ、若鶏のグリエ、サラダ、デザートと簡単な物でしたが、旅行社負担ですから、文句のつけようがありなせんし、思ったより、ボリュウムがあったように思います。そしてその場で明日からのスケジュール説明があったのですが、時差ぼけのせいか、私たちの半数は、寝ていました。さあ、明日は後続隊と合流して、パリ2つ星レストラン ルドワイヤンです。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.06.01
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