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昨日は、同僚の案内で島内観光に連れて行ってもらいました。私の住んでいる島は、直径6キロ程の島ですので、車でサラっと観て廻るなら、2時間ほどで一通り廻れてしまえますが、時間が許すなら、自転車で、ゆっくり一日かけて廻ってみたくなりました。写真は島の北部遠浅の海岸を、JALの飛行練習用空港から撮った物です。昨日は満潮であまり綺麗ではないと、同僚は言っていましたが、私には正しくエメラルドグリーンにしか見えない、すばらしい眺めでした。海の色は、満潮干潮、朝昼晩、お天気、方向、四季によって変わるそうで、「今度は~~の時に来ましょう」と言ってくれました。確かに、少し先に進んで、反対から観た海の色はグリーンから、ブルーに変わっていました。今度は朝日と夕日を眺めに来ようと思っています。良い景色が撮れたら、どんどん紹介して行きたいと思っています。
2007.10.29
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可愛い友達 1皆さんは、沖縄のヤモリが鳴くのをご存知でしょうか?夜、家の外に出てみると「チチチー」と鳥の鳴き声の様な声が聞こえてきます。電灯の明かりに寄ってくる小虫たちを捕食する為か、いつも3~4匹は集まっています。私の住んでいる住宅には、家の中で産卵をしているのか、本当に産まれたばかりのような、2~3cmほどの子ヤモリが遊びにきます。何故か、シッポをピンと立て、歩くときは、手足が見えない程の速さで、一生懸命動かしているのがとても、ユーモラスです。産まれたては、警戒心がないのか手の平に載せても、あまり逃げようとしないのが、またかわいいのですが、こちらの人たちは、大変嫌う人が多く、ヤシガニを手づかみに出来ても、ヤモリは触れないと言う人が殆んどです。私がこちらに来た当初、何気なく掴んだヤモリを見て、悲鳴をあげて逃げて行く人を見て、呆気に取られてしまいました。私にしてみれば、ヤシガニの方がよほど不気味なんですが!!
2007.10.27
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皆さんは、ヤシガニを直にご覧になった事があるでしょうか?私が勤務しているホテルの料理場のすぐ近くには、夜頻繁に現れます。これはヤシガニが雑食性で料理場から出る生ゴミを目当てにやってくるのですが、「今夜は月が明るいから、ヤシガニでも捕る?」と同僚に誘われました。アダンの森を随分入って行くのかと思っていたら、料理場からほんの5メートル程の所なのです。 「え、こんなに近いところ!」と思っていたら、すぐ足元に人の顔よりも大きなヤシガニがいるではありませんか! ハサミは人の手の平程もあるのです。同僚に「気をつけて、靴ごと足の指、切り取られるから!」と言われた時には、震え上がってしまいました。確かにグロテスクなホルムでこんなハサミで切られたら堪ったものではありません。「あの大きさなら、料理屋さんに持って行けば一万円位にはなる」と言っていましたが、私自身はとても食べる気がしませんでした。因みに宮古島の人々は、ヤシガニを食べません。それは昔、埋葬を土葬でしていた時期、ヤシガニが死体を食べていたと言う話から来ているようです。私も数年前、宮古島に訪れた時、車に轢かれた動物の死骸にヤシガニが集ると聞かされていたので、ずっと食べようなどとは思ってもみませんでした。いずれにしても、あんな大きなヤシガニを見てしまってからは、夜道を電灯なしでは歩けなくなってしまいました。今回はグロテスクな話になってしまいましたが、次回は可愛いヤモリの話をします。
2007.10.26
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さて、台風も過ぎ、その後が大変で私の職場の周りには、ありとあらゆる物が風で飛んできたり、また波で打ち寄せられたりしていて、その片付けで大わらわです。ホールの面々、料理場の面々、皆でメンテナンスの仕事に借り出されます。今年は台風の数も少ないらしく、「今年はまだ良い方だよ!」と言っていましたが、こんな事が度々では堪ったものではありません。話は変わりまして、沖縄には、本島で使われる言葉とそれぞれの離島で使われる言葉がまったくと言っていいほど違うのを、皆さんはご存知でしたでしょうか?私などは、職場で同僚たちがしている会話がほとんど解らず、何か外国で働いている様な気分になる事がしばしばありますが、彼ら自身も本島から来た者、または他の島から来た者で言葉が解らない事があるようです。私にとっては、どちらも差がなく解りませんが、特にお年寄りの言葉は、まったくと言っていい程わかりません。単語自体も解らない所に持って来てアクセントが強烈で、本土で使われている同じ単語がまったくちがう言葉と勘違いしてしまう事があります。私が昔フランスのアルザス地方で働き出した頃と何だかそっくりな気がしてきて、まだこちらへ来て一ヵ月半ほどだと言うのに、私自身の言葉のアクセントも随分変わって来てしまい、その内、本土のアクセントでは話せなくなるのでは・・・と少しびびっています。今の私がアルザス語訛りのフランス語しか、話せない様に・・・・!
2007.10.25
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こちらは日中は、まだ泳げるほど暑い日々が続いていますが、本土ではもうすっかり秋になってしまっているようですね。ところで、沖縄での生活ですが、まず一番に驚いた事は、やはり台風の物凄さでしょうか・・。本土と違い台風も出来立てホヤホヤと言うか、近づくにつれて成長していくのです。そして、赤ちゃんと同じでヨチヨチ歩きで、スピードが遅く、したがって暴風雨圏に入っている時間が本土と比べ物にならないほど長く、酷い時は、一旦通り越した台風が戻って来る事もあります。ここの様に離島になると、数日間の食料確保の為、スーパーマーケットなどは、台風が来るとなると、殆んどの商品が売り切れ状態になり、物資を運ぶ船が渡れるようになるまで閉店状態です。港の漁師さんたちも、当然仕事がなく、台風が過ぎるまで待つしかなくありません。 本土でしたら、台風情報を見ながら、家でじっとしているものですが・・・・。ここは、違うのです。 明日は仕事がないと決まると、朝まで酒が飲めると言うので、大宴会がそこら中で始まります。 ですから、島の居酒屋さんは大流行で、一変に稼ぎ時になってしまいます。私自身、初めての大型台風が近づいてきた時は怖くてしかたなかったのですが、同僚たちに、「今晩あたり、台風が来るから、あなたの所で宴会だよ」と言われた時は、「は~?」と、目が点になってしまいました。その晩は、台風の物凄さよりも、同僚たちの宴会の物凄さに度肝を抜かれました。
2007.10.22
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皆さんは、プロヴァンスの12ヶ月と言う小説をご存知でしょうか?イギルス人が南フランスへ、移住してあまりの文化の違いに翻ろうされる物語ですが、現在、まさに私が経験させてもらっている生活は、その小説そのままの様に思っています。決して沖縄の文化を否定する物ではなく、ただただ、以前の私の生活環境とあまりにも違う、文化を垣間見ながらの生活になっただけで、楽しくもあり、苦しくもありで、どの程度を自分自身の基準に置くかを、まだ摸索している現状です。これから、数回に渡り、本土では、中々味わえなかった経験をつづって行きたいと思っています。
2007.10.20
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クロ・デゥ・ヴージョのシャトー前の門です。ワインがお好きな方なら、あまりにも有名なシャトーです。クロというのは、囲まれたと意味ですが。そう言えばブドウ畑を囲む様に石垣が積まれ、この地方独特の地形から考えられた物と思われます。こちらで作られるワインは、香りが強く、その中にも気品と穏やかさがあると言われています。この門には、クロ・ブラン・デゥ・ヴージョと書かれていますので、この門内は、白ワインの畑でしょうか・・・・
2007.10.15
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名も知らぬシャトーご存知の方からは叱られそうですが、私の勉強不足で、このシャトーの名は分かりません。しかし、あまりの背景の美しさに写真を撮ってしまいました。重厚な鉄の門から、奥まったシャトーまでの両脇を、ブドウ畑が生い茂っています。ブルゴーニュのワイン街道を、車で走っていると、この様な背景が、あちらこちらで、目に入り、まさしく、ワインの故郷だと実感させられます。
2007.10.12
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ルディグ氏の弟ジャッキー夫妻の車で、ブルゴーニュのワイン街道を南下している時に見付けたニュイ・サンジョルジュの標識です。よく見ていただくと、下の方にICHINOMYA(Japan)とあります。ニュイ・サンジョルジュ市と愛知県の一宮市が姉妹都市になっているのでしょうか?思わぬ所で郷里に近い懐かしい地名を見付けて感動しました。私が以前住んでいた岐阜の田舎は、イタリアのファエンツァと姉妹都市提携をしていて、ファエンツァの市長が来日された時は、私のレストランで、ファエンツァ側主催の晩餐会を開いていただいた事があります。いつかイタリアへ行く機会があったら、ファエンツァへも行ってみたいと、この標識を見付けた時、思いました。
2007.10.11
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今回は、またフランスの話に戻りたいと思います。短いブルゴーニュの旅で、まず行ってみたかった所は、ここオスピス・ド・ボーヌです。ボーヌと言う町は、ワインでも有名ですが、大変小さな町で、この町を世界的に有名にしているのは、やはりここオスピス・ド・ボーヌのお蔭です。修道院であって、また、名前の如く(オスピス)病院として多くの病に苦しむ人たちを助けてきたのです。ワインの銘柄としても有名なオスピス・ド・ボーヌは、そのワインで得た収益をも病気の人たちの為に使われたのでしょう。現在は、博物館の様になっていて、当時の有様が見学出来るようになっています。当時の医療では、とても救えなかった病人も多かったのでしょう。イエスキリストを祭った教会の中の両サイドにベッドが、並べてあり、病に苦しむ人たちは、神に救いを求めながら療養をしていた事がよく分かります。
2007.10.09
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こちらに来て、まともに台風の直撃を受けるのは初めてでした。沖縄の台風は、以前私が住んでいた岐阜と違い、出来立てホヤホヤで、接近して来ると同時に段々規模が大きくなってくるのです。私が住んでいる宮古島に達する頃には925HPまで成長していました。気象情報を見てみると、なんと瞬間最大風速が70mと出ています。前日から私の周りの人たちも段々慌ただしくなって来て、室内へ運べる物は片付け、運べない物はロープで縛り付けて固定します。私自身あまり役にもたちませんが、お手伝いしている内に段々怖くなってきました。ところが、こちらの人たちは台風慣れしているのか、皆淡々と作業を進め、私が「怖くないの?」と訊くと、「4年前の台風14号は風速が100mを越したから、こんなのまだ大した事がない。」と返ってきました。そして台風が段々接近してくると、上空では、風の音がゴーと唸りをたて始め、普通に立っている事も出来ません。(昼には気が付かなかったのですが)夜になると、見渡す限りの電柱から火花が出ているのです。4年前の台風では何十本もの電柱が倒れ、何週間も停電した、と訊いていたので私の不安は益々大きくなってきました。強風の中、何とか作業を済ませ、「何事もなく、早く台風が去ってくれるといいね」と私が言うと、「今晩からがピークで、台風の速度がかなりゆっくりだから、二日間は荒れまくるよ」と返ってきました。そして若い同僚たちが「今晩は料理長の家で宴会だから、よろしくお願いしま~す」と「はぁ~?」なんで台風の夜に宴会なんだ! こちらではあたり前の事のようです。どちらにしても、こんな大きな台風の夜を一人でいるよりは、皆がいてくれた方が心強いか、と了解してしまったのですが、結局、彼らは朝まで飲みまくっていました。ある意味、何だか大変な所に来てしまったような気がしてきました。
2007.10.08
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沖縄へ引っ越して来て、もう1ヵ月になってしまいました。慣れない環境と職場での悪戦苦闘の毎日で、まだ本格的にはブログを始める事は出来ませんが、時間を見ては少しずつ、やって行こうと思っています。どうぞ皆さんよろしくお願いします。ここ宮古島も朝夕の風は日増しに涼しくなってきました。今晩からは、今年最後と思われる大型台風が接近するようです。私にとっては、沖縄では初めての大型台風体験です。無事台風が去ってくれる事を祈り、その体験を次回には、お知らせします。
2007.10.04
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