全23件 (23件中 1-23件目)
1

タトパニという村では約¥100という、今回の僕にはほんの少し贅沢な(!?)宿に泊まりました。しかも離れ部屋を希望して、陽が沈めば真っ暗な所。空を見上げれば天の川がド~ンと見れました。部屋の壁は石で出来ていてホントに大満足。まるで高級ホテルのよう。僕は旅の途中、どこの部屋に入ろうとまず部屋に荷物を撒き散らすクセがあります。きっと落ち着きたいという習性なのでしょう。アジアの宿ならば、まず持参のヒモを部屋内に吊り洗濯物を干せる状態にします。でもここでは洗濯物はなかったのでただ無意味にリュックの中身をブチまけただけ。安宿には掛けぶとんなんてありません。持参の寝袋にくるまって今日歩いた道を思い描き、「いい夢が見れますように」と潜り込むだけ。
2004年11月30日
コメント(9)

今日からまたネパールへ行った時のことに戻ります。山奥を歩いて行くと所々に集落があります。集落には大抵1、2軒のレストラン(?)があります。食べ物はダルバート(カレー)のみの所が多い。時間が許すならモモ(シュウマイみたいなもの)も頼めます。飲み物はチャイ(ミルクティー)か、あるいは恐ろしく使い古されたビンに入ったコカコーラ。それはまるで年代物のように飾ってあります。コーラは日本円で¥60ほどもするので僕は¥7のチャイをいつも飲んでいました。大抵はそのレストランのような所で休んでいると近所のおじいさんやおばあさんや子供がやって来ます。「マ・ジャパニ・フゥ(日本人ですよ)」と言うとそうかそうかと納得しています。間違っても冗談で中国人と言わないように。仲が悪いようです。物乞いや押し売りはいませんがそれより恐ろしい強盗はたまに出るそうです。僕は出会わなかったけど同じ時期に行った登山客でお金を取られた人達もいました。僕には平和な村々に感じたのですが。 調理場は土を固めた手作り。
2004年11月29日
コメント(5)

紅葉ハイキング第2弾。三重県御在所岳の中腹に「負れ岩」という巨岩があります。鈴鹿スカイラインの登り口から歩いてたった30分。とにかく景色が良くって絶好の休憩場所。大人数人が大の字になって寝転べるほどの岩があり東側は四日市市と伊勢湾が一望できます。すぐ近くをロープウェイが通るので乗客に手なんかを振り返したりして。画像の右側に写ってるのが負れ岩。2枚の巨岩が傾斜60度ぐらいで寄り合っています。高さ13mだそうです。素手で登ろうとしたけど無理でした。次回はザイル持って行くぞ~。 こちらの画像は景色のアップ写真。山が紅葉してます。晴れてたけどうっすらとモヤがかかっていて東側の展望ははっきりしてませんでした。 岩に寝転んでずっと雲を眺めてました。あんなきれいな雲だったのに写真を撮るのを忘れた~。それぐらいみとれてしまう雲でした。
2004年11月28日
コメント(6)

三重県御在所岳の紅葉ハイキングは完璧でした。今年の紅葉はあんまり見事じゃないもののやっぱり自然の中を歩くのは楽しいことです。枯れ葉が風で舞い、まるで蝶々の群れが飛んでいるようでした。ただ、やはり穂高連峰とかに比べてスケール不足ですね。すぐ登れちゃうし。でもすごくすごくリラックスできました。明日はその時のランチスポットの紹介をします。
2004年11月27日
コメント(8)
明日というか今日の朝から三重県の御在所岳に行ってきます。先週の休みの日は雨だったので引きこもりのように家から1歩も出ませんでした。今回は降水確率0%! やったああ~!2~3日したら紅葉の画像をアップ出来ると思います。でも出来れば雪の積もってる3000mあたりの山にアイゼン履いて登りたいです。明日こそ今年最後のオフなのかも・・・。思いっ切り楽しんできます。しかし、朝早く起きれるのか???こんな時間まで仕事してて・・・。朝はとことん苦手なのです。(T_T)夜はいつまで起きてても大丈夫なのですが。
2004年11月24日
コメント(7)

標高4000mを少し越えた所にあった寺院にはヒンドゥー教の神様「ガネーシャ」も祀ってありました。仏教だかラマ教だかヒンドゥー教だかわかんないようないや、それら全ての元である「宗教」は確実に人々の生活に溶け込んでいました。日の暮れる頃に寺院を訪れてみた僕は自分の無宗教さと、彼らの宗教心の強さのギャップにしばし呆れ、恥じ、手を合わせることすらしませんでした。手を合わせてみる行為自体が偽善者に感じられて。それは身体が、心が、ごく自然に神を崇め無意識に手を合わせられるようになるまでしなくてもいいと。夕暮れが迫った寺院の帰り道にヒマラヤに今日も沈む黄金色の太陽を見ました。当たり前のような周期で延々と廻る天体の不思議。その星に生きる全ての生命の不思議。
2004年11月22日
コメント(6)

ネパール奥地で重宝したモノがあります。それは僕がハイキングで使っているドイツ軍のコンバットナイフ。(以前僕がヤフオクで売ってましたが只今完売中)村のおばさんにもらったリンゴなんかはこのナイフで切って食べてました。汚れたら足元の雪にグサッと刺して洗えばいい。途中で仲良くなったドイツ人2人組みにナイフを見せると「おお!我が国のナイフじゃあないか!」と喜んでました。そういう彼のカメラは日本製だったのでお互い様。このナイフにはヤスリも付いていて村のおじさんに爪切りを貸してもらって切った爪もヤスリで滑らかに直してました。(貸してもらった○国製の爪切りは切った後に爪がギザギザになった)標高4000mでアイゼンを売り払った時も使い古しのアルミ製アイゼンのツメをこのナイフで研ぎ直して売りました。売った相手は別のドイツ人で、日本で¥1000ぐらいで買い2シーズン日本の山で使い古してるのを5ユーロ(¥600)で売りました。(元は取れたな。(^_^) )このナイフ、アップで見るとドイツ軍の紋章が入ってるんです。これからもお世話になるナイフです。
2004年11月21日
コメント(8)

標高4000m。それでも鷹はもっと上を飛んでいる。青、白、黒、茶の4色の世界。風の音に混じってお経が聴こえてくる。・・・・オムマニペメフム・・・・。目の前の傾斜からいきなり、チベット人の女性がやって来る。数珠をまさぐりながらお経を唱えている。・・・・オムマニペメフム・・・・。この世はとどのつまりあてのない巡礼。 ※(先日の【死体を背負って歩く時】に画像を載せました)
2004年11月20日
コメント(6)

大きな吊り橋の手前で道は二手に分かれ、さてどうしようかと考えていました。本能に任そうかと決断を下す前にポケットからインドタバコを取り出して吸いました。どうせアテなどないのだからと吊り橋を渡ってみました。しばらく歩くとロバのキャラバンに出会い、自分は正しい道を選んだのだと悟りました。そこからはちょっとした森の中を通りました。左側が垂直な崖になっている細い道を歩き3時間ほど山道を登った頃でしょうか、峠に1軒の茶屋がありました。「エク・チャーイ・ディノス(チャイを下さい)」と茶屋のおばあさんに声を掛けました。1杯5ルピー(¥8)のチャイはどこから汲んで来た水で作ったのか?こんな乾ききった峠の近くに水場はないのです。延々と山道を下って汲みに行ったんだと思います。1時間ほどのんびりしていても僕のほかに訪れる人はいませんでした。ここでも僕は2杯のチャイを飲み、心から手を合わせてまた歩き出しました。
2004年11月19日
コメント(10)

ネパールのポカラから1週間ほど歩いた所にトゥクツェという村があります。石畳で出来た街で、迷路のようになっています。まだ暗いうちから安宿を出て迷路をさまよってみました。誰もいない異国の迷路。そこにいたこと自体が夢の中のよう。それでもゴンパ(お寺)ではお経が流れていて「ああ、神の国なんだな」と感じました。ゴンパへ続く長い階段を登って行くとまだ紺色に眠っているヒマラヤが見えました。こんな所に集落があること自体が不思議。そして僕の泊まった1泊¥70の宿の名前はパラダイス。まさしく。
2004年11月18日
コメント(6)

ネパール奥地のジョムソンという村の郊外の河原で僕はアンモナイトの化石を探していました。陽は傾き、山の陰に隠れそうでした。既に僕は異国の山の中の暗闇には麻痺してしまっていて陽が沈む前には宿を探そうという観念は消え失せていました。気の赴くままに夕陽を眺め星を眺め、河原に座って足元の石ころをあても無く投げていました。すると遥か彼方から人らしき泣き声が。薪を背負った母親とその子供でした。子供は泣いていました。母親に手をひかれ、ずっと泣いていました。僕は自分の子供の頃を想い出しました。あの子供がなぜ泣いていたか、僕は知っていました。なぜ泣いているのか理解出来ました。2人が闇の彼方に消えた頃、僕は腰を上げました。・・・さて、行こうか・・・。
2004年11月17日
コメント(8)

今日はネパール奥地で出会ったおじいさんの話です。10分おきにやって来る猛烈な砂嵐。それに呑み込まれ追い越され、僕は荒涼とした河原を歩いていました。5時間後、家が4軒しかない集落に到着。そのうちの1軒は食堂をやっていました。時間が止まったような、いや、止まっている食堂の中。老夫婦が窓辺に座っていました。僕はチャイ(ミルクティー)を注文しました。おばあさんは無言で薄暗い台所へ。残ったおじいさんは英語で「日本人かね?」と言ってきました。こんな年配の人が英語を話せるなんてと少し驚いていると懐かしいね、とおじいさんは話し始めました。彼はシェルパとしてエヴェレストに2回登頂したことがあるそう。30年前、日本のアタック隊と登っている時、高山病か何かで同行の日本人が死に、彼はその日本人を背負って下山したそう。結局その日本の遠征隊は2名の犠牲者を出し登頂は失敗に終わったそうです。死体を背負って歩く時、彼はそれを人と感じて背負っていたのか荷物と感じて背負っていたのか・・・。日本人の僕がそのヘンピな食堂に入ったせいで彼の記憶を掘り返してしまったような、ほんの少しの罪悪感のようなものを感じました。 ・ ・ ・ のんびりと2杯のチャイを飲み終えた頃には砂嵐は収まっていて老夫婦は丁重に見送ってくれました。「気をつけて」と心から言ってくれたような気が・・・。小高い丘に登ってから僕はその集落を見下ろしてみました。やっぱり時は止まったままのようでした。 画像中央の赤レンガが集落です。小さすぎてわかんないよね・・・。
2004年11月16日
コメント(6)
以前僕の店でバイトしてくれてた女の子がアジア3ヶ月放浪の旅から帰って来ました。やはりネパールの田舎は天国だったそう。で、水や食べ物の話になって現地ではどうも水が合わずに体調を崩してたそうです。中には水のせいで肌が荒れてた人もいたそう。僕はネパールの奥地へ歩いていく山の中で、その辺に流れている水を動物のようにガブガブ飲んでました。荒野の中、水筒やペットボトルすら持ってなかったので。延々と紫外線の強い中を歩いたり砂嵐の中を歩いたり、で、村があればそこでチャイ(お茶)を飲んだりみかんを貰ったりしていたのですが、日によって5時間歩いても次の村さえ現れない時もある。(当然地図も持たずに旅してました・・・)水は大事。水がないと人間もケモノのようになっちゃいますね。ロバくんが飲んでいる横で「ロバくん、もうちょっと向こう行ってくれる?」「うん、いいよ。ここの水おいしいね。」なんて。(^^ゞ4000mを越えたあたりからは雪も食べてました。これが溶けて水になり麓まで流れ、いつかはガンジス河へ注ぎ海に辿り着く源流か、とホントは感慨深くなるところなのですが、そんな事は現場では考えませんでしたよ、ええ。それで体調は崩れなかったか、って?はい、ご想像通り僕の場合は全く問題ありませんでした。(^_^)
2004年11月15日
コメント(6)
音楽家は風景を見て、その時の情景を音楽にするんだと思います。旅人は音楽を聴いて、浮かんだ情景を求めて旅に出るんだと思います。旅の途中、「この景色はあの音楽の情景!」というのは確かにあってそれは風すら吹かない沈黙の世界であってもかすかにそのメロディーは心の中に流れます。最近 深夜に聴いているのは有線のインド音楽。悠久の大河の流れる情景が浮かぶ曲や荒涼とした乾いた大地が浮かぶ曲など色々です。銀河系の外から宇宙全体を見渡せる曲もあるんだけどこんなこと書いたら「郡山ハルジさん」や「ドイモイさん」から「何かやってませんか?」なんてコメントされそうだなあ。(^^ゞ
2004年11月14日
コメント(7)
12/20日発売の雑誌に載せるエッセイをフリーページに追加しました。まだ編集部にも送ってないのでこの楽天日記に1番早く載せた事になります。エッセイの中に登場する少女「ブドゥー」の実際の画像を載せようかどうか迷ったのですが結局止めにしました。赤いパンジャビドレスの似合うタライ地方出身の華奢な女の子、ということで。彼女の事を考えると長い物語も書けそうな気がします。
2004年11月13日
コメント(12)
編集部からメールがあって、12/20日発売の雑誌のエッセイを11月末までに書いて下さいとのことでした。今度はちょっとシリアスものを書いてみようかな。まあ、書くネタはいくらでもあるのですが1ページにまとめるのは案外難しい。いっそのこと2ページいただけたらもっと前後の状況や情景なんかも詳しく書けるんだけど。先回は「遺灰は風に・・・」というネパールものを書いたので今回もネパールネタでいってみようかなあ。今日中には書けちゃうと思うので明日ぐらいにはフリーページにアップします。(といっても誰も楽しみにしてないよな・・・)(^^ゞ
2004年11月12日
コメント(8)
今度の木曜日は今年最後の休日なんです。バイトの姫ちゃんは週1~2回来てくれるけど1日中僕が休んで店に出ないという事はない。ネット販売の梱包・発送の仕事があるからです。ネット販売は片手間でやればいい小遣い稼ぎになります。でも僕はそれも「仕事」なんで休むわけにはいかない。僕は真剣にやっているからです。アファリエイトみたいに他力本願的ではない。自分の足で仕入れ、自分で作り、自分で売り込む。ネット販売のお客さんは結構せっぱ詰まってから買う人が多い。「今週の土曜日に友人の結婚式で着るから」とか「彼女の誕生日が3日後だからすぐ送って」とか。そういう人達を待たせるわけにはいきません。すごい数の商品の中から僕の商品を選んでくれる。これだけでもとっても感謝すべき事です。なのに時々、あ~、忙しいだとかもっと余裕持って買ってよね~とか文句を言ってしまう。死んだおばあちゃんが口癖のように言ってた「感謝の念を忘れずに」をこれからもより一層忘れないようにしなければ。今年最後の定休日、雨でも自然の中に行ってみたい。雨にすら打たれてもいい、安らぎたいです。
2004年11月10日
コメント(8)

朝から天然石ブレスのオーダーがありました。僕は店を始める前はとっても不器用だったのですが、オリジナル製品を作ることになって何とか克服しました。僕の毎日の仕事は接客と ネット販売の対応・梱包・発送。空き時間で店の袋を内職のように作ったり売れたアクセサリーの補充として制作をしています。あとはこうやって楽天を見てたり・・・。僕は基本的に怠け者なので気が向かないと商品補充としてアクセ作りはしません。何かのついでがあったら作るか~、って感じ。今日のブレス作りは作る種類も大量にあって久し振りに「働いたなあ」って気分。珍しくこんなに働いたので思わず写真を撮っちゃいました。1枚目の画像はその時の制作写真。2枚目の画像は欠品中の貼り紙。
2004年11月09日
コメント(4)
僕が読んでいるメルマガで【ブッシュ再選の意味】というコラムが本日載りました。休日でおヒマな方、ちょっとじっくり読んでみてはいかがでしょう?アメリカを、日本を、世界を少しでも知るきっかけになりそうです。この人のコラムはかなり先見の明があり、911テロ事件の頃の予測はすごく当たっています。僕は右翼派でも左翼派でもないのですがすこしでも世界が良くなればいいな、と思っています。海外に行くと現地メディアと日本のメディアとのギャップの大きさに少なからず驚いてしまいます。日本のマスコミはあまりにもお粗末だから。僕達のような資源のない島国こそもっと真実の情報を手にしなければいけないと思います。
2004年11月07日
コメント(9)
今日の午前中は車のタイヤを買いにカーショップに行きました。このチェーン店の社是(しゃぜ・会社のモットー)は簡単です。 『願望実現』10年前ここで働いていた時はとても勉強になりました。僕は元々車関係の仕事をずっとしていたのでここでの仕事は楽しくて仕方がなかった。休みの日も遊びに行ってたぐらい。2年ほど働かせてもらったのですがこのチェーン店が新店を出すのをキッカケに辞めました。新店のピット長になってくれと本部から言われたからです。そのまま行けばきっと楽しく安定した生活を送れそう。でも、もし自分がもう1人いたら何をしたいかと考えた時、今のアジア雑貨屋が浮かんだのです。本能に従いました。全く経験も知識もない職種。良くも悪くも自分に全てがかかってくる仕事。海外のツテも言葉の壁も全て勉強し始めなければいけない。自分を賭けてみるというドキドキを感じました。「もし自分がもう1人いたら何をしたいか?」その疑問のあとに僕は次のような質問を自分に投げかけます。「なぜそうしない?」と。これが自分を信じるということではないでしょうか?(ちょっと格好良過ぎ・・・。すんません)
2004年11月05日
コメント(4)
アメリカ大統領選挙は白熱戦になっているようです。ブッシュが勝てばイラク侵略が正義と認められますますエスカレートして行くのを僕は危惧します。かといってケリーが勝っても、もう中東侵略は止められない。(僕はテロ対策と言いながら実は中東侵略と思っています)昔ケネディが暗殺されたのもベトナム戦争から手を引くと発表した直後。今回ケリー氏が勝ったとしても簡単にはイラクから手を引けないでしょう。昨日のTVでアメリカの牧師さんが「正義のために戦争するべき」と言ってました。神に仕えるという牧師がですよ。あたかもアラー対キリストの戦争みたい・・・。牧師の言葉は今のアメリカを象徴してた気がしました。アメリカも日本も、みんなリーダーに頼り過ぎ。彼がリーダーになればこの国は良くなるだろう?彼がトップに立てば何とかしてくれるだろう?で、あなたはいつもそうやって他人任せ?
2004年11月03日
コメント(3)
仕事で海外に出掛けると安宿に泊まります。東南アジアなら気温が高いから水浴びして寝ればいい。ネパールなどの北アジアの安宿はとても寒いです。高いホテルに泊まればいいじゃんって?それは元々貧乏性の僕には出来ないのです。特にインドで野宿しちゃってからは金にモノを言わせてっていうのがどうしても出来ない。毎晩毎晩、暖かい布団で寝る時には感謝しています。何て贅沢で幸せなんだろうと毎晩天にも昇るような感情を持って眠りにつきます。(あのまま死ねたらなんと幸せか)僕がアジアの冷たい布団で眠ったり、インドのスラム街の路上で寝たのは「貧乏ごっこ」。全てを選択出来る旅行者と選択の余地の無い人々の生活とのギャップの大きさ・・・。新潟地震、台風による水害で「暖かい布団で眠る」という当たり前の幸せが現状では出来ていない人達がいます。今後彼らに良い事ばかりが起きますように。★新潟地震クリック募金サイト★
2004年11月02日
コメント(6)
新潟地震で壊れた家に泥棒が入る事件が多発しているとTVのニュースでやっていました。人として最低のことをしている!その反面、表には表われなくても陰で支援をしている人達がいます。現地で作業をされる人、支援物資や義援金を送る人達はもちろん見返りなど期待していない。人としての尊厳に満ち溢れています。僕の姉は大阪に住んでいます。決して裕福ではなく、いや、むしろ貧しい。3人の育ち盛りの子供がいて親が米や味噌を送っていたぐらいですから。(^^ゞ生活保護ギリギリだったんじゃないかなあ。そんな家庭状況の中、姉は阪神大震災の時大阪から神戸まで毎日毎日おにぎりを作ってリュックに入れ歩いて(!)避難所の小学校まで往復していました。「困ってる人達は助けなアカンねん」と。僕はこの姉を誇りに思います。一族の中で姉と僕はめちゃくちゃ浮いてますが僕は姉の「おにぎりボランティア」に心から敬意を感じます。
2004年11月01日
コメント(8)
全23件 (23件中 1-23件目)
1


