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2006/04/21
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「愛国」
なんだか、右翼の街宣カーの看板を思わせることばだ。
確かに「戦争」へのイメージと直結しており、アレルギー反応を起こす人も多いに違いない。

教育基本法では「愛国心」という言葉をめぐっていろいろ議論されたらしいが、結局
「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」
という表現になる方向らしい。

「愛」という言葉はなんとも美しい言葉ではあるが、その中に「自己犠牲」が見え隠れする言葉でもある。
逆に、自己犠牲を伴うから美しいともいえる。

「愛してる」といえば、その裏返しに「そのために僕はこれだけのことができる!」という部分が必要になる。

だからこそ「自発的」でなければならないのだ。

「愛」は軽々しく扱うものではないし、ましてや人にどうこう言われるべきものではない。

愛社精神、といえば結局「会社のために」ということだし、愛国心というのも「国のために」ということになる。
「きさまには愛国心がないのか!」
戦争映画で上官が兵隊を殴りつつこう叫ぶ。
「愛国心」という美しいことばで、「自己犠牲」の無理強いをしているだけだ。
愛というものは本来、各自の心の中に自発的に芽生えるべきものであって、他人が強要するものではない。
私の個人的な意見としては、「愛国心」を教育基本法にうたうこと自体はいかがなものかと思う。

ただ、一人一人の心の中にある「愛国心」を否定するつもりはぜんぜんないし、逆に「愛国心」が持てるということばすばらしいと思う。
大事なのはそれが強要されたり、洗脳の結果でないことだ。
私は「自発的」意志を尊重したいのである。


日本という国は単なる「行政単位」に過ぎない。
その意味では、「広島県」でも「東京都」でも同じだ。
オリンピックで日本を応援して熱狂した人が、「甲子園」では出身県の代表の活躍に興奮する。
どこが違うのだろう?

大学時代の専攻は、「国際関係論」だった。

国家をいう行政の枠組みと、エスニックという「民族」あるいは「血」という内在的帰属意識との対立を解説した内容だったと思う。

本来人間は、国家という人間がつくった枠組みではなく、過去からずっと繋がってきた「血」とか「ルーツ」というもののほうが大切なのではないだろうか。
自分が今生きているということは、過去からずっと繋がってきた血の流れがあるはずである。
父母がいて、祖父母が4人。さらにその祖父母にも父母がいて・・・・・。
果てしなく過去に繋がっている。
逆に言えば、過去から果てしなく積みあがってできているのが「現在」であり、今生きている「私たち」ということになる。
そう考えると、「国」という行政単位とは違う、自ずからそうなるべくしてできた「日本」「日本人」というものの意味もみえてくる。
日本という国、そして日本人というものは私たちが作り上げたものではなく、過去からずっと積み上げられてできたものなのである。
年表に出てくるものだけが歴史ではない。
名もなき多くの人々がいて今の「日本」がある。

過去に対する敬意、未来に対する責任。
過去と未来の間にいるものとして一体なにができるのだろうか?
愛国心というのは結局そういう気持ちなのではないかと思う。
それは戦闘機で敵艦に突っ込むことを強制されることではなく、一人一人が自分の立場で自分にできることを考えることだ。

過去と未来の間。
両親と子ども達との間。
過去への敬意。未来への責任。
今の日本人が失っているものの本質はこれなのだと思う。





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Last updated  2006/04/21 12:52:12 PM
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