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2006/10/14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
最近、子どもの自殺についての報道が多い。
原因の多くがいじめ。
小学生が遺書を書いて自殺したかと思うと、今度は中学二年生だ。

いじめのあった事実を認めるかどうかでまたまた物議をかもしたりする。

自殺した子もかわいそうなら、親もかわいそうで、慰める言葉さえない。
自分の子どもが自殺したら、と考えるだけで恐ろしい。

実は私が危惧してしまうのは、報道が子どもの自殺の連鎖反応をおこさせないかということだ。
自殺というのは「逃げる」ための行為であると同時に、究極の「抗議行動」でもある。
抗議行動に大きな効果があるということが分かると、自殺する動機に十分なりうると思うのだ。


私が死ねばきっと後悔するだろう。
だから私は死のう・・・・。
という単純な方向の思考を「逃げたい」という気持ちが後押しする。
あるいは「逃げたい」という気持ちを「あいつらを後悔させたい」という気持ちが後押しする。

だから、抗議行動として自殺の効果を裏づけするような報道は「18禁」にすべきだとも思うわけだ。

「食欲のある子は自殺しない」
と、私の子どもが昔お世話になったボーイスカウトの隊長が言っていた。
「おいしいものが明日も食べたい」と思う子どもは絶対自殺しないらしい。
確かにそうかもしれないと私は納得した。
ニュースで見る北朝鮮の子ども達は、なぜあの環境で生きようとするのだろう?
動物的な生への欲求があるに違いない。


今考えると子どもというのは相当残酷だ。
「あいつを見たら目が腐る」とか
「それを防ぐためには太陽を直視しないといけない」とか
フォークダンスなんてあると露骨に嫌な顔をする。
こころが未成熟なためか、相手の痛みが分からないゆえの残酷さである。


上靴を隠すとか、給食に虫を入れる、金を要求する、暴力を振るう、異性の前で屈辱的な行動をさせる・・・。
こうなると注意したから直るようなものじゃない。
いじめる側もしたたかになる。簡単には尻尾をつかませない。
教師の側もいじめられたと訴えられたからといって、一方的にいじめた側を怒るわけには行かない。
いじめた現場を見たわけではないし、いじめる側は常に強者であるので、その他の学生も簡単には教師に真実を告げない。
「ちくる」と次のターゲットにされる恐れがあるからだ。
「先生は僕を信用してくれないのか?」
いじめている方はそういって開き直る。
絶対的な証拠がない限り、いじめた側をどうすることもできないのだ。

親にも言えず、友達もいない、教師も当てにならない。
逃げ場がなくなった子どもは短絡的にまず自殺を考える。
ただ、普通は死への恐怖や、将来への希望などのために思いとどまるのだが、自殺そのものが抗議行動として非常に有効だということになりと瀬戸際の判断も当然変わってくる。
それが怖い。

死んでしまえばお仕舞いだ。

つらくても死んではいけない。
死ぬくらいなら、死ぬ気で駆け込む場所を用意してほしい。
みんなで仲良く、なんて理想を掲げても、それは不可能だ。
逃げ場がなくなるから死んでしまうのなら、逃げ場を与えてあげればいい。
子ども達の駆け込み寺はいったいどこなのだろう?

安易な逃避は人生にとってマイナスであることは間違いないが、死んでしまっては遅いのだ。





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Last updated  2006/10/15 09:29:02 PM
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