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おっとっと。いそがしやいそがしや。週末二泊の出張から帰ったと思いきや、今日からまた二泊で出張へと旅立つ。学期末試験中の息子のためにお昼ごはんを用意し、夕ごはんの準備をすませ(今日はから揚げ)、留守中のパンとおやつと果物を買いに出かけ、掃除をして風呂に入って、それからやっと自分の出張の準備にとりかかる。いやはやいそがしい。しかし、ひとたび電車にのってしまえば好きな本に没頭できる。(でもだいたい爆睡してしまうけど)もうすぐ帰ってくるであろう息子の顔を一目見てから、出かけることとしよう。
2009.02.24
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ここのことろ、ひさしぶりに内田樹さんの本を読んでいる。立て続けに読んでいる。ブログもときどきまとめ読みしているのだが、最近たまたま読んだ「下流志向」~学ばない子どもたち、働かない若者たち~ は、とんでもなくおもしろかった。目からうろこというか、背中から冷や汗というか、わが身とわが子育てを振り返ってみても、大変恐ろしい内容である。ずいぶん売れた本のようだが、その内容については私は一切知らなかったので衝撃であった。その件についてはまた別の機会に書くとして、今回書きたかったのはその内田さんがご自身のブログにお書きになった別の文章である。村上春樹がエルサレムで行ったスピーチについての「解説」なのだが…。そ、そこまで読みますか、内田先生。深いです、深すぎてよくわからないけどなんだか心に残る。あのスピーチにおける「壁」を政治的な暴力装置、「卵」をその犠牲者という見方(まあこれは一般的な見方ですよね)にとどまらず、「壁」とは「記号」のことなのではないか、と。(記号=言葉にされ、類別され、十把一絡にカテゴライズされたレッテルか)「言葉にできる」というのは理解され、共有されるということであり、それは「かけがえのなさ」uniquenesse 「代替不可能性」irreplaceablity という「いのち」の定義に悖(もと)る。言葉にすることができないものが、私たちひとりひとりの「命」soul をかたちづくっている。ひゃ~。
2009.02.20
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先日、とある学校の養護教諭の方(いわゆる保健室の先生)とお話する機会があった。ほんの数分間の会話だったけど、「ああ、いいお仕事をされているのだなあ」と、しみじみ感じた。それはなんてことのない子どもたちとのエピソードだったのだけど。その静かな語り口、ひかえめな表現、そのあたたかなまなざし。それはもう、「天職」に就かれている方のもの。素敵だなあ、と思ったのだ。若いころは、派手に活躍している女性にあこがれた。自己主張がはっきりしていて、かっこよくって、まわりから注目を浴びていて、まるでスポットライトがあたっているような、そんな女性にあこがれた。「私もあんなふうになりたいな」と。しかしいまはずいぶんちがう。ひかえめで、一見かっこわるくて、地味で誰からも特に注目されるような存在でもなく。それでもこつこつと淡々と、自分のおしごとを静かに楽しんでいる人。「自分」をちょっとわきに置いて、人を思いやることを優先できる人。そんな人にあこがれる。そういうひとに、わたしはなりたい。(by宮沢賢治)
2009.02.13
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昨日は、友人たちの集まりに久々に参加した。ちょっとごぶさたしている間に、知らない人がたくさん来ていて驚いた。すごいなあ。おもしろいなあ。そして、何より楽しそうだ。ふだん日常にどっぶりつかっている日々の中では、自分の日常を外から眺める視点が持ちにくい。でも、こんな良き友人たちとの会話は、なによりも視点が変わる刺激となる。自分はなんと狭い視点でものを考え行動していたかと。気がついたら私、元気になっていた。(昨日まではちょっとばかし落ち込んでいて、また疲れてもいたのに)つい仕事と家庭の往復になりがちな私の日々を、今年は意識的に変えていきたいなあ。そんなふうにしみじみ思ったのであった。今年はもっと友人たちに会いに出かけよう。そして会話を楽しもう。帰りに新宿のデパートに寄った。お店はもう、春でいっぱいですね。何を買うわけでもなく、ただうろうろと春の気分を楽しんだ。
2009.02.11
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昨日から、うちのばあちゃん(私の実母)、旅行でお出かけ。そういうわけで、晩御飯は、思いっきりファーストフード:モスバーガー♪(嗚呼、手抜きするしあわせ…)そして、普段は犬嫌いなばあちゃんがいるときには絶対にできないことをやることにしました。いつもは庭で泥まみれになっているわが家の柴犬を・・・お茶の間に入れてみました。ちゃぶ台でTVなどを見ながら、だんらんしてみました。彼(犬)も、満足なようです。私も、満足です。本日夕方に、ばあちゃんは帰還いたします。つかのまの、自由?でありました。
2009.02.06
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節分・豆まき。2年前の節分は、もっと熱かったが、今年も夜に大声を張り上げて豆まき。いやあ、楽しいねえ。日本には、なんと楽しい伝統があるものかと感じ入った。さて、次なるは日本の伝統シリーズ「お雛様」のシーズンですね。このごろは子育てにも暮らしにも余裕が出てきたのか、こういう季節の儀式を「いいもんだなあ」と感じることが多くなった。
2009.02.03
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昨年急逝された、大好きな宮迫さんの遺稿集。「楽園の歳月―宮迫千鶴遺稿集 」(清流出版)どきどきしながら、少しずつ読んでいった。「ちょっとばかり、大きな病気に遭遇してしまった」とはじまる、「わたしの『津波』」という文章が、胸に沁みる。「痛みとの戦いが少しおさまってから最初に考えたことは、『過去をすべてガンジス川に流そう』ということだった。病気の原因を過去の人間関係に探るというのは、手のつけようのない作業だ。かりに過去の何かが大いなるストレスになっていても、それをあらためて責める意味がない。それよりも過去をすべて手放したほうが、さっぱりする」ガンジス川に流すってところが、スケールが大きいなあ。私は思わずうふふと微笑んでしまったのだ。私も、過去はもうすべて流してしまおう。それも近所の川とか三途の川とかのちまちまとしたのじゃなく、ガンジス川くらいデカイ川がいいね。きっと私の煩悩が、豪快に流れて行ってくれるだろう。宮迫さんは、彼女を襲った突然の病を、「『津波』と呼ぶことにした」と書いている。「これから治療の日々が始まる。だが、さして憂鬱でもない。いつ人生が終わってもいいように生きて、人生の細部を楽しんでいこうと思うからだ。幸い、いま何を食べても美味しい。家族や友人とともに、美味しいテーブルを囲んで、そのことを最高の幸福であるように過ごそうと思う。『津波』は大きなものを押し流していったが、それでも海はきれいだもの」お連れ合いの谷川さんによると、宮迫さんは病床で「あっちの世界もおもしろそう」と言ってらしたとか。死を、ほんとうに恐れていなかったとのこと。今となっては、ほんとうのところはわからない。でも、自らの病も、死をも、祝福として受け入れられていたのではないかしら。宮迫さんの絵を部屋に飾ろう(と、たった今思いついた)。陽気で喜びに満ちて、そして静かな彼女の波動を、近くに感じていたいから。
2009.02.02
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