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三重県の四日市市、伊勢松本駅の近くにある大好きな本屋さん「メリーゴーランド」に行ってきました。最初に訪れたのが、もう二年ほど前のこと。あれから二年かあ。かの地に出張のたびに、時間をみつけては二駅余分に乗っては訪れていたのです。そんな二年間ずっと続いた三重県への出張も、あと1回で終り。最後の出張の日は、ついでにちょっと足を伸ばして伊勢神宮を再訪したいと思っているのです。そうなると、メリーゴーランド詣では、これで最後になるかもしれません。ここでは何冊も本を購入しました。なかでも清水真砂子さんの本は、忘れられない一冊。この書店で過ごした、なんともいえないゆったりした空間と時間は、忘れられない宝物です。子どもたちがわらわらとやってきては、勝手に座り込んで本を読みふけったり、はしごに登って本を探したりしているかんじが、いいんですよお。平積みの本の上に、「この本はぜひ立ち読みをおすすめします」なんて書いてあったりしてね。記念に?雑貨コーナーで小さなポーチと白いスカーフを購入。それから本も一冊。これまでお世話になりました。と、スタッフの人にお礼を言い、お店をあとにしました。三重なんて一生行くこともないだろうと、メリーゴーランド訪問を完全にあきらめていた10年前。今の仕事のおかげで、その夢がなんなくかなってしまったことが、いまだに信じられない。今度は、京都店に行ってみたいな。↑お日さまのディスプレイが素敵でした↑帰り道。夜の伊勢松本駅。だ~れもいないんです。
2009.08.19
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思いがけず、なつかしい友人から手紙が届きました。「60才まであと3年!」を胸に、そこへむけて準備をしていること。これまでのことを「完」にして、何かとっても新しく、また素の自分に戻れることを胸にみていること。それがなんだかわからないけど、とてもわくわくしていること。そんなことが書いてあり、私のほうまでわくわくが伝染してしまいました。「コレまでのことを『完』にして、何かとっても新しく」という言葉が、胸に響いてとても素敵!そういうスタートも切れるよね。これから。私だったら、どんな新しいスターをきろうかなあ。…なんて考えていると、ほんとうに心の底からわくわくしてきて。いつも新しくて、でもニュートラルで柔軟な、この年上の友人の存在に、私はこれまでときおり支えられてきたのでした。10年後の自分、どんな風になっているのだろう?「コレまでのことを『完』にして、何かとっても新しく」生きていくためにも、健康に気をつけて長生きしなくちゃ(?)ね。
2009.08.18
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仕事から帰ると、娘が自分のものを片付けていました。捨てるものをせっせと捨て、リビングの一角がすっきりきれいに!モノがないって、すっきりしますね。ほんとう~~に。自分まで浄化された気分です。夜は、息子の要請を受けて、英作文の宿題につきあいました。「え~と、『ぼくは亀を飼っています』から始めたいな」「う~ん、I keep the turtle. かな。have でもいいんじゃないかな」一文一文電子辞書と首っ引きになり、ああでもないこうでもないと取り組む息子をひたすらサポート。「『僕の亀の種類はミシシッピアオウミガメといって、アメリカ原産ですが日本ではわりとポピュラーな種類です。友人が飼っていた亀にならって、僕は似たような名前をつけることにしました』」…もうそのへんにくると、もうお手上げで、二人して頭をかかえてうなりながらの英作文。できあがったのは、なんだか微妙にへんな英作文となりましたが、本人は満足そうです。今秋、仕事関係でイギリスからのお客様をお迎えすることになっており、プライベートで勉強している分野でも、ラトビアからお客様がいらっしゃるので、なんとか簡単な英語はしゃべれるようになっておきたい私です。息子も頑張ってることだし、わたしもそろそろ英語プロジェクトを始動しなければ。ともあれ、子どもたち二人のがんばりに触発された夜でした。
2009.08.17
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かの有名なハチ公のお話。娘に「観にいこうよ~」と言われていて、「ううん…ハチ公かあ。。おつきあいするかなあ。。。」などと思っていたものの、その映画「HACHI 約束の犬」の監督が、「マイライフ・アズ・アドッグ」「ギルバートグレイブ」の監督と同一人物ときき、がぜん観る気になりました。(単純です)そりゃあ物語もわかっているし結末もわかっているし、ただ犬がご主人を待ち続けるだけのお話なんだけど、しみじみと、とても良かったです。ただ「待ち続けるだけ」のお話だから、感動してしまうのかな。館内は意外にお年寄りの方々が多く、それもよくわかる気がします。誰しも、誰かをずっと待ち続けた経験はあるにちがいないのですもの。私も。これまでも、これからも、きっとあるのでしょう。「待つ」ということは、尊いことでもあるんだよなあ。娘と涙ぼろぼろになって、映画館を後にしました。夫に車で迎え居に来てもらい、これで楽しいお盆休みは終りです。↓わが家のHACHI(コロ)
2009.08.16
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昨日は、子どもたちがそれぞれ出かけてしまったので、やることのない私たち夫婦は、自然発生的にお掃除を始めたのであった。私は台所へ。夫は庭へ。もくもくと。ひたすら淡々と。それなりにきれいになって満足。本日は、息子にはっぱをかけて、子どもたちも巻き込んで大掃除。ちょびっと息子の机を動かしただけで、ものすごい埃の堆積がわんさか。あまりのすごさに、息子も私もマスクを装着。動き始めたらもう止まらない。放出されたがらくたたちの山積みは、高くなるばかり。佳境に入ったところで、この日は外に出ていた夫からお誘いの電話。う~~ん、佳境なんですけど。。。しかし誘惑に負け、友人たちとピクニック(というか単なる飲み会)を楽しむ夫に合流。当然、大掃除は途中でストップしたままである。
2009.08.15
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昨夜は夫とふたりで外食。ふたりだけで出かけるのは久しぶり。1軒目、息子のクラスメートのお父さんがやっているお店へ。お店を手伝う息子のクラスメート君を見て、ふたりとも感心のまなざし。混んできたので2軒目へ。そこで話はあらぬ方向へ。子育てや生き方の方向性をめぐり、なぜか口論になってしまう。あれれ?なぜだろう?と冷静になったのは、夜中のこと。あんなことを話すつもりではなかったのになあ。昨夜の私の言葉は全く真意ではなかったなあ、と思い、言い過ぎたことを謝った。年をとり、子どもたちも大きくなり、いろんなことを不安に思っている自分がいるのだなあということが、よくわかった。まったく。いつまでたっても未熟な私である。こんな私と文句も言わずに暮らしてくれている夫や子どもたちに、心から感謝。
2009.08.14
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大阪出張~京都帰省の旅から、無事帰還。ほんとうに楽しい家族旅行&帰省だった。さて、旅行中宿泊したホテルでのこと。朝、ベッドや浴衣をぐちゃぐちゃに放り出したまま出かけようとする娘に「少しきれいに整えてから出かけない?」と提案した。「どうしてしなきゃならないの? だってお掃除の人がきれいにやってくれるでしょ?」と、娘。「たしかにそうだね。でもそれは、人としてさあ…」そのあと、どう言葉をつなげたのか覚えていない。でも、ふと思ったのだ。「どうして掃除しなきゃならないの?」「どうして家事をしなきゃならないの?」「どうして挨拶しなきゃならないの?」「どうしてごはん食べるときにちゃんと座らなきゃならないの?」「どうして勉強しなきゃならないの?」それらの問いは、私のなかにも若い頃からずっとあったものだ。今だってある。それらの問いから逃げたくて、あるいは反発して、掃除も家事も礼儀作法も親戚づきあいも勉強も、やりたくないことはずっと忌み嫌って避けてきたのだ。人は、やりたいことだけをやればよいのだと思って生きてきた。だから近所づきあいも親戚づきあいも、意見価値観がちがう人との交流も、めんどうくさいことやしんどいことは、ずっと避けてきた。そういうわけで夫や自分の親戚づきあいも、無意識的に避けてきた。「どうしてつきあわなくちゃならないの?」と。まったく子どもだよなあ、と、今は思う。最近息子が、学校の三者面談の場で「どうして英語の勉強しなきゃならないんですか」と先生に問うていた。そのときも、私は思ったのだ。『大事な問いだね。 だから、ちゃんと答えていくんだよ 時間がかかってもいいから』と。自分がちゃんと答えられているかどうか、はなはだ自信はない。しかしそういう問いに、真正面から答えていけるよう手助けしたり、その問いにちゃんと答えながら生きている私自身の姿を見せることが、親としての大事な役割なのだと、最近つくづく思う。掃除や家事や挨拶や人付き合いや勉強やなんやかやと日々どうつきあっていくかが、すなわち生きていくことなんだから。
2009.08.12
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義母と合流して、金閣寺。金閣寺からのぞむ山には、くっきりと大文字焼きの大の字が。午後からは夫の弟家族も加わり、みんなで清水寺へ。千日詣りの真っ最中で、すごい人の数。阿弥陀堂は、文治4年(1188)法然上人が常行念仏を修されたところ。千年近くの時を想い、しばし法然上人と対話(…といいたいところだけど、相変わらず私の内側は小言がうるさくてあまり対話にならず。。。)昨年は、法然、親鸞にはまって本をよみあさった年だった。その熱がある程度さめてから、こんなふうにゆかりの地を訪れることができて、幸せである。帰り道、かねてから欲しかった鳥獣戯画のお皿を購入。満足です。
2009.08.11
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午前中、お寺と仏像を堪能した私たち家族は、午後二手に分かれて行動。男組(夫と息子)は、歴史探訪グループとして、二条城をはじめ歴史遺産をめぐる。女組(私と娘)は、四条河原町でショッピング。私はぜひとも行きたかったお店、伊勢木綿の衣料品を扱うsousouへ。sousouとの出会いは、伊勢神宮内宮を訪れたときだった。神宮前のおかげ横丁にあった干物屋さんで、偶然見つけて衝動買いした麻のパンツと木綿のスカートが、sousouのものだった。それ以来、京都に行ったらぜひとも本店に行きたいなあ、と思っていたのだ。小さなお店だったけど、よだれが出るほどうれしかった。麻のキュロットと、麻の小巾折を購入。娘にも、かわいい柄の小巾折バッグを購入。満足です。以下、sousouという店名の由来について(ホームページより)。私たち日本人は自分自身や物事を考える時、人との会話の中で「そう、そう」と肯定しながら、又、相手の事を「そう、そう」と認めることによって、お互いを確認・発見・発展させ、そして社会を築いていくように思います。外国の方から「日本人同士の会話には、“ソウソウ”という音が多い」という事を聞いたことがあります。意識してみると、ありとあらゆる人が毎日そこら中で使っている言葉だということに気づきます。そう思ってみると、会話の中で「そうそう」という言葉が、なんと多いことかと気づかされる。それだけ、互いの話を肯定しあいながら会話を交わしているのだと思うと、なんともうれしい。旅の間中、身に着けるものはずっとsousou。これからの日常も、「そうそう」と、ささやかに肯定しあえる日々でありますよう。
2009.08.10
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朝一番に、東本願寺へ。三十三間堂へ。息を呑むような荘厳さ。千手観音様があれだけの数(千人)で勢ぞろいしていらっしゃるお姿に、いにしえの人々の願いがひしひしと伝わってくる。私たちは、こんなにもたくさんの御手に助けられて生きている。なにかあったとしても、きっとこれだけのたくさんの御手が差し伸べられるだろう。だから私も、そんな御手のひとつとなろう。
2009.08.10
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大阪へ出張。仕事が終わり次第、夫や子どもたちと京都で待ち合わせ。合流して夜の京都の街を歩く。娘は滞在するホテルのベッドの上で飛び跳ねて大喜び。私はというと、仕事疲れと京都の暑さにへとへと。さて、これより夫の実家がある京都滞在が始まる。「里帰り」的に京都に帰るのは、なんと6年ぶりのことだ。昔、結婚して間もない頃は、京都の実家に帰るのが重荷だった。義親とは結婚当初からぎくしゃくしていたこともあるが、「嫁」の役割と「自分らしさ」のはざまで、どうしてよいのかまるでわからず、ひとりで困っていた。相談できる人もいなかったし、近しい人にもどう相談していいのかもわからなかった。「実家の人々」とどうつきあったらいいのか、まるでわからなかったのだ。しかし私も年をとり、役割上の自分と素の自分とを、それほど矛盾もなく共存させることができるようになった。今となってみれば、それほど難しいことではなかったのだ。しかしここまでくるには、相当の時間と経験とが必要だったなあ。痛い結末を体験したことも、大事なことだった。少しは成長したのかもしれない、と思う。
2009.08.09
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出張先の仕事に出かける朝、5時に起きて、再び伊勢神宮外宮に出かける。霧雨がだんだん本降りになる中、傘をさして早朝の伊勢の森を歩く。そういえば…中学生の頃、早朝学校へ行く前に、神社にお参りに出かけていたことを思い出した。しかしその神社は、電車に乗って3~4駅もあるところで、駅からも徒歩20分ほどかかっていたはず。なんでそんな遠方の神社に、ひとりで出かけていたのか不思議である。中一の女子がである。(謎だ)まあ、そんなことを思い出しながら伊勢の森の中をお散歩させていただいた。本日も、まことに雑音だらけの私である。今度訪れるときには、少しは神さまのお声が届くように、今より少しばかり静かに澄んだ内側でいられるようにお掃除しておきます。…と、伊勢の神さまにお約束してきました。また、近々訪れることでしょう。
2009.08.02
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念願の伊勢神宮へ。伊勢市近郊への出張が決まったときから、伊勢神宮を訪れようと決めていた。これまでも何度がチャンスがあったものの、やっと訪れることができた。雨の中、傘をさして参拝。友人のSちゃんは、伊勢神宮にお参りしたときに「お告げ」が聞こえて、それから人生が変わってしまった。しかし「お告げ」以前から、ちょっとずつ彼女の生き方が変わってきているのは周囲にはわかっていた。だから、神さまが彼女にお告げをなさったのではない。彼女がそれを、「聞いた」のだ。私にはなにか聞こえるかな? …なんて、半分まじめに思って訪れたのだった。もちろん、なんにも聞こえやしない。あたりまえだ。私の心の中は雑念でいっぱいで、いつも内側はわんわんとうるさくて、神様の声なんか聞こえないのだ。「嗚呼、なんてうるさいの?私」伊勢神宮の中をひとり歩いていると、そのあまりにも澄んだ空気と静けさに、自分自身の内側にある騒音が、はっきりとあらわになる。どうか、私自身が静まりますように。清まりますように。そう手を合わせてお祈りした。
2009.08.01
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