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カテゴリ: 光圀の諸国への旅
金龍山 廣徳寺 ​」での参拝をしてから、さらに北小金駅への大道に進む。



 無事に大谷口歴史公園に到着。つまり「小金城跡」。小金城は戦国時代における下総国北西部で最大規模を誇った平山城である。大谷口城、開花城とも呼ばれる。高城胤吉が天文6年(1537年)築城した。高城氏はその後に根木内城から小金城へ本拠として移転した。



 金杉口跡。小金城の出入口は虎口と呼ばれる。金杉口は、北の虎口であった。



 防衛の兵士が身を隠すための施設と思われる「土塁」。



 休憩所となっている広場。



 「畝堀(うねぼり)」。畑の畝に似ている施設で、極端な凸凹道かつ粘土も彫り込んでいるため、滑りやすくて、ゆっくり歩行するも困難であり、侵入した敵を討つことができる。



 「障子堀(しょうじぼり)」。堀の中に侵入した敵が横に移動できなくなる仕掛けもあった。

 「畝堀」「障子堀」は小金城およびその前に高城氏の本拠地であった根木内城の跡だけではなく、後北条家に付く関東の国衆の城の跡によくある施設であるという。

 小金城は、胤吉、胤辰、胤則の3代53年で高城氏の居城となっただけではなく、永禄年間(1560年代)で、古河御所を追われた古河公方足利義氏の仮御所としても機能していた。後北条氏が足利義氏と対立した関東管領上杉憲政を擁して上杉輝虎(のちの上杉謙信)との戦いでかなり重要な役割を果たした城と言える。北小金周辺にある松戸市の古い寺院の数からみれば、当時の小金城はかなり大きい城だと推測できる。

 小田原征伐で高城胤則は後北条氏に従って小田原城に籠城したが、豊臣軍の圧倒的な兵力で浅野長政の軍に包囲された小金城を明け渡すよう家臣に命じた。高城胤則は後北条氏が降伏した後に蒲生氏郷に預けられた。高城氏は国衆としての生涯はここに終わった。高城胤則は再興を工作していたものの亡くなったが、嫡男の胤重は元服後に家康に召されて旗本に取り立てられた。








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最終更新日  2025.06.03 20:25:20
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