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「家庭の医学」(朝日文庫)
という変な名前の小説があります。お読みになられるとわかることですが、小説というよりもノンフィクションという印象をお持ちになる作品かもしれません。でも、これは小説です。
元の題名は 「EXCERPTS FROM A FAMILY MEDICAL DICTIONARY」
。直訳すれば 「家庭医学事典からの抜粋」
となるのでしょうか。
「家庭の医学」
という題名は訳者の 柴田元幸
が日本で翻訳出版するときに考えた題なのでしょう。訳者というくらいだからこの小説の作者は外国の人です。
レベッカ・ブラウン
。1956年生まれ。アメリカのシアトルに住んでいる女性の作家です。新潮文庫にもう一冊 「体の贈り物」
という短編集があります。これも 柴田元幸
の訳です。他にもいくつか翻訳されている作品はあるようですが、簡単に手に入るのはこのニ冊です。
目次を開いてみると 【貧血】anemia,【薄暮睡眠】twilight sleep、【転移】metastasis,【無能力】incompetence・・・・【幻覚】illusion,【塗油】unction,【火葬】cremation
と続いて最終章が 【remains】
はたしてこれらのことばが本当に家庭医学事典にあるのかどうか、ちょっと疑わしい気もします。しかし、こうして羅列して読んでみると家族の誰かが病気を患い、闘病生活を送り、やがて死に至ったということは想像がつくと思います。
このいささか風変わりな書名と各章の章名について訳者である 柴田元幸
はこんなふうに解説しています。
ここにはどういう意味を読みとることができるだろうか。病にせよ死にせよ、いつかは誰にでも訪れるものであって決して特殊な事件でも個人的体験でもないことを「事典」というきわめて非個人的な書物を引用することによって示唆しているのだろうか。 あらゆる生き物は死という出来事から自由になることは出来ません。もちろん「人間」も例外ではありません。魂の不滅をいう人や、来世の存在を信じる人がいますが、一人の人間としての考え方や信仰としてそのように信じることを、ぼくは非難することも、バカにすることもしません。
病気、入院、手術、治療、死、葬儀・・・確かにすべては個人的でも特殊でもない、事典的・客観的に記述しうる出来事なのだ。
一患者として、あるいは一患者の家族として、病院である程度の時間を過ごした経験のある人なら、自分や自分の家族が、客観的に見れば、二百人なら二百人いる患者の中の二百分の一に過ぎないことを思い知らされた覚えがあるにちがいない。
本書のタイトルや構成が、そういう厳然たる事実を暗に示していると考えることもできるだろう。だが、この本を読んだあとでは、その全く逆の読みとり方も可能であるように思える。」
「荷物はできたの?」「うん、母さんの荷物はね。僕たちみんな行くわけじゃないから、行くのは母さんだけだから。母さんの必要なものは全部揃っているからね。」「まあ、ありがとう・・・じゃあ、土曜日はどう?土曜日なら道もすいているだろうし・・・」
母はその土曜日には死ななかった。誰が思っていたより何日も長く母は生きた。やがて、母が死んだ時、それは安らかでも楽でもなかった。辛い死に方だった。母が死を押し戻そうとしていたあいだずっと、支度はできたよとあのとき母に言いはしたけれど、私たちは支度なんかできていなかった。 命の「かけがえのなさ」とは、幻覚の中でうわごとを発する母と交わされる会話の一言一言がくっきりと記憶されることであり、生きていることの「悲しみ」とは、正気の中にいる家族が、もうろうとしている母に語りかけたことばの嘘を誠実に引き受けることなのだと作家は語っているように、ぼくには思えます。

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