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2023.06.01
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​​​​ ​草野心平「宮沢賢治覚書」(講談社文芸文庫)​ 「銀河鉄道の父」 という映画を見ました。 宮沢賢治 とその ​政次郎​ 、そして、彼の 家族 を描いた作品でした。で、帰って来て、なんとなく気になってさがしたのがこの本です。​​​​
​​  草野心平 「宮沢賢治覚書」(講談社文芸文庫) です。​​
​​​​​​​ 映画は 1933年(昭和8年) に、わずか 37歳 で亡くなった 宮沢賢治 の臨終の場で、質屋・古着屋の篤実な主人であった 父政次郎 が息子である ​賢治​ 「最初の読者」 であることを宣言するかのように 「雨ニモマケズ」 を朗唱するクライマックスで幕を閉じた印象でした。​​​​​​​
​​​​​​​​​​ で、そのシーンを見終えたあと、 宮沢賢治 が今のように 「たくさんの読者」 を得て世に知られることになったのは、文学的には無名といってよかった 宮沢賢治 の死の翌年に 文圃堂 というところから出版された 『宮澤賢治全集・全3巻』(1934年 - 1935年) と、その原稿を引き継いで 十字屋書店 というところが出した 『宮澤賢治全集・全6巻別巻1』(1939年 - 1944年) という二つの、まあ、普通ならあり得ない 「全集」 の出版事業によってであり、それを成し遂げた人物がいたことが頭に浮かびました。のちに 「カエルの詩人」 として親しまれることになる 草野心平 ですね。​​​​​​​​​​
​ 東京から葬儀に駆け付けた、まだ若かった 草野心平 が、映画の中では洋風のトランクいっぱいに入っていたあの原稿を、実際に手に取って驚愕したことが、すべての始まりだったということがどこかに書いてあったはずだというのが気になった理由です。​
​​​ で、見つけたのがこの文章でした。書かれたのは 昭和33年(1958年) ですから、 賢治 の死後25年経って、当時のいきさつを思い出している 草野心平の回想 です。​​​
 宮沢賢治全集由来

二十六年前の九月二十二日 に、私はぶらりと駒込林町の 高村さん のアトリエを訪ねた。

「宮沢さんが亡くなったですよ。今日デンポウがあって・・・」
 多分そのような言葉で私は 宮沢賢治 の他界を知った。 文通でしか知り合っていないお互い なのでその死をは悲しむよりは、 賢治 の文学創作もこれで遮断されたか、という実感の方が強かったのをおぼろげながら憶えている。 高村さん も大体は同じような感慨ではなかったかと思う。 高村さんは賢治と一回会ってはいる にしろ、それはアトリエの玄関での僅かの時間のたち話にすぎなかったし、 賢治の家族 のことなど私たちは皆目知らなかったので、話題は恐らく賢治の芸術に限られていたことだったろう。そしてそのしめくくりとして遺稿が問題になった。おせっかいといえばそれにちがいないが、おせっかいでも考えずにはいられない気持ちだった。家庭なにの事情とかとりまく文学青年などによって遺稿が散逸しはしまいか、とつまらない取越し苦労をしたのである。(あとで分かったことだが、それは正しくおせっかいであり取越し苦労にすぎなかった。遺族による以降の整理の整然さに、私は内面赤面した程だった。遺稿に対するいかにも細心な扱い方は、家族全体の賢治への愛の並大抵でないことを強く、物語ってもいた。)
「ボク、行こうかなあ」
 というと 高村さん は即座に賛成した。そして、
「いまはないけど、明日になれば旅費は都合をつけます。君が行ってくれると一番いい」
 その 高村さん の言葉で私は安心し 花巻 行きを決めた。
    中略
花巻 は私にとっては初めての土地だった。駅前の広場に面した雑貨屋で 宮沢家 の方向をきいたがわからなかったので、一本道を歩いていった。道ばたにはコスモスが咲いていた。
 ようやくわかった 宮沢家 は相当大きな家だった。私は自己紹介して並みいる遺族の方々に挨拶した。そして仏前に焼香した。いまでは何度も何度も見ているナッパ服姿の 賢治の写真 をはじめてみた。このような人だったのかと私はボンヤリその遺影をながめた。それから 清六さん に案内されて色々見せてもらった。道路に面した格子窓のある二階には蓄音機やレコード、それからうず高く積まれた遺稿があった。横線のない縦だけの朱線の自家製の原稿用紙に、鉛筆やペンの、こっちに流れたりそっちにはみだしたりのおもに未定稿が、ずっしり積まれてあった。
賢治 が最後の息をひきとったのは別の奥まった二階でだったが、そこで私は 清六さん から意外なものを見せられた。十枚ほどの私あてのハガキの反古だった。宛名だけ書かれたものや、内容の半分だけ書かれたものや、宛名と本文の半分だけのものなど・・・・
賢治 のおおらかに流れる書体から感じられるものとは別な角度を見せられたような不思議な気がした。

   中略
東京 へ帰るとすぐ私は 花巻 の模様を 高村さん に報告した。そして遺稿の膨大さを話した。それらの遺稿を私は、 宮沢家 でほんのあっちこっちめくった程度にすぎなかったが 「春と修羅」 「注文の多い料理店」 の延長があんなにもあるのだろうかと、私にとっては一つの驚異としていつまでも頭の中に渦を巻いていた。
   以下略(P261~P263 )
​​​​​​ ​​いかがでしょうか。文中で 高村さん と呼ばれているのは、もちろん、詩人で彫刻家の 高村光太郎 です。で、この後、出版社が途中で変わった事情や、 賢治 に対する、弟、 宮沢清六 をはじめとする 遺族 の情愛深く誠実な様子についても回想している文章の一部ですが、なによりも 賢治 の膨大な遺稿に出合った 草野心平 の率直な驚きの思い出が、ボクには記憶に残っていました。​​​​​​​​
​​​​​​ 本書は 昭和10年代から20年代 に書かれた、 宮沢賢治 童話 、あるいは 賢治の世界 に対する評論を中心に編集されています。戦後、たくさんの 宮沢賢治論 が書かれていますが、始まりの1冊というべき論考群だとボクは思います。ちなみに目次はこんな感じです。​​​​​​
目次

宮沢賢治覚書

四次元の芸術
「春と修羅」に於ける雲
賢治文学の根幹
賢治詩の性格
「農民芸術概論」の現代的意義
宿命的言葉
無声慟哭 その解説
オホーツク挽歌 その解説
宮沢賢治・人と作品及び解説
二つの極
一つの韻律
宮沢賢治全集由来
​  ​この年になってしまったので 「春と修羅における雲」 なんていう綿密な論考は読みなおすのが骨でした。しかし、​​教室で子供たちと一緒に 賢治を読まれるお仕事 をされている若い人たちには読んでほしい1冊です。古い本ですが、 宮沢賢治理解 では欠かせない1冊だと思いますよ(笑)。​​​

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最終更新日  2023.06.06 12:54:27
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