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いったい 伏見稲荷大社 には何本の 鳥居 が建っているのだろうか。 まあ、こういう調子です。伏見稲荷の鳥居の数からその由来。清水の舞台が実は自殺の名所だったという驚きの真実。苔寺の拝観料が高い理由。三島由紀夫が見た二通りの金閣寺。銀はなくても銀閣寺の訳。とまあ、あれこれうんちくネタ山盛りです。
これは誰しも気になるところだろう。
二〇一〇年に、学生たちが実際に鳥居を数えたことがある。
その結果、三三一八基という結果が出た。ほかに、数えた人間はいないので、貴重な調査ということになるが、数え方はかなり難しい。学生たちは、人がくぐれる高さがあるものに限定していた。鳥居は絶えず建て替えられているので、今数え直したら、違った数字が出てくるはずである。
それにしても。三〇〇〇基以上というのはかなりの数である。 千本鳥居 が 伏見稲荷 の代名詞になるのも、それからすれば当然である。(P018)
うらやましきもの で、本書によれば、 清少納言の時代 には、実は
經など習ひて、いみじくたどたどしくて、忘れがちにて、かへすがえすおなじ所を讀むに、法師は理、男も女も、くるくるとやすらかに讀みたるこそ、あれがやうに、いつの折とこそ、ふと覺ゆれ。心地など煩ひて臥したるに、うち笑ひ物いひ、思ふ事なげにて歩みありく人こそ、いみじくうらやましけれ。
稻荷に思ひおこして參りたるに、中の御社のほど、わりなく苦しきを念じてのぼる程に、いささか苦しげもなく、後れて來と見えたる者どもの、唯ゆきにさきだちて詣づる、いとうらやまし。二月午の日の曉に、いそぎしかど、坂のなからばかり歩みしかば、巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしう かからぬ人も世にあらんものを、何しに詣でつらんとまで涙落ちてやすむに、三十餘ばかりなる女の、つぼ裝束などにはあらで、ただ引きはこえたるが、「まろは七たびまうでし侍るぞ。三たびはまうでぬ、四たびはことにもあらず未には下向しぬべし」と道に逢ひたる人にうち言ひて、くだりゆきしこそ、ただなる所にては目もとまるまじきことの、かれが身に只今ならばやとおぼえしか。
鳥居はないのです。 ね、それだけで、もう、
エッ、それってどういうこと? でしょ。
雪の庭の池の傍で静かに金色に輝く金閣寺という、まあ、多分、誰でもが思い浮かべることのできるイメージがありますが、そのイメージは、案外、新しいということを考証したうえで、あの 三島由紀夫 が 「焼かねばならない」 と主人公に考えさせた
美の象徴の金閣寺 というイメージは、焼けた後に 再建された金閣寺 であって、 三島自身 も子どものころに見たはずの 金閣寺 は、実は、かなり地味なお寺だったはずという指摘に続けて、にもかかわらず、 読者 は 「雪の庭の静かに輝く金閣寺」 を思い浮かべて納得しているのは
これいかに?! と問いかけていらっしゃる論旨には、チョット唸りましたよ。
目次それでは、また、覗いてくださいね。ああ、 島田裕巳「日本人の神道」(ちくま新書) のリンクを貼っておきます。そちらものぞいてみてください。
第1章 稲荷山に千本鳥居はいつ出現したのか
第2章 八坂神社に祀られた祟る神の威力
第3章 清水の舞台は飛び降りるためにある
第4章 苔寺に苔は生えていなかった?!
第5章 どんな金閣寺が焼けたのか
第6章 金閣寺の正体
第7章 銀はなくても銀閣寺
第8章 密教空間としての平等院鳳凰堂
第9章 京都の鬼門と裏鬼門
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