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2024.01.30
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​​ 島田裕巳「京都がなぜいちばんなのか」(ちくま新書) ​​​​ ここの所、 宗教学 島田裕巳 のお寺や神社についての面白楽しいうんちく本にはまり気味で、今回の 読書案内 「京都がなぜいちばんなのか」(ちくま新書) ですね。​​​​
​​​​​​​​​​​​​ なぜ京都は、日本で有数の、さらには世界の人々を引きつける観光地になってきたのか。ようするに 「京都がなぜいちばんなのか」 を突き詰めてみようといういうモチーフで書かれていて、取り上げられている神社仏閣は 千本鳥居 「伏見稲荷」 祇園祭 「八坂神社」 舞台 で有名な 「清水寺」 、何故か苔を喜ぶ 「苔寺」 、小説で有名な 「金閣寺」 、銀じゃないけど 「銀閣寺」 十円玉 「平等院」 、で、都の北にそびえる 「比叡山延暦寺」 と、南の果ての 「石清水八幡宮」 ですね。​​​​​​​​​​​​​
​​​​​ どなたでも、一度はいらっしゃったことがありそうなラインアップですが、実はこのボクは小学生のころに修学旅行で行った 「金閣寺」、「銀閣寺」、「清水寺」、 十代の終わりの浪人時代に京都に住んでいて通りかかったことのある 「八坂神社」 以外、50代の半ばまで知らなかったんですね(笑)。
 今でも 苔寺 は場所も知りませんし、 比叡山 は下から仰ぎ見たことはありますが、 延暦寺 には行ったことがありません。まあ、そういうわけですが、蘊蓄は好きです。​​​​​

 で、本書はこんなふうに始まります。
いったい 伏見稲荷大社 には何本の 鳥居 が建っているのだろうか。
これは誰しも気になるところだろう。
 二〇一〇年に、学生たちが実際に鳥居を数えたことがある。
 その結果、三三一八基という結果が出た。ほかに、数えた人間はいないので、貴重な調査ということになるが、数え方はかなり難しい。学生たちは、人がくぐれる高さがあるものに限定していた。鳥居は絶えず建て替えられているので、今数え直したら、違った数字が出てくるはずである。
 それにしても。三〇〇〇基以上というのはかなりの数である。 千本鳥居 伏見稲荷 の代名詞になるのも、それからすれば当然である。(P018)
​  まあ、こういう調子です。伏見稲荷の鳥居の数からその由来。清水の舞台が実は自殺の名所だったという驚きの真実。苔寺の拝観料が高い理由。三島由紀夫が見た二通りの金閣寺。銀はなくても銀閣寺の訳。とまあ、あれこれうんちくネタ山盛りです。
 こう書くと、お手軽な名所案内のようですが、例えば伏見稲荷については、上の引用の後、清少納言の「枕草子」が引用されて、平安時代に始まる信仰の起源が探られます。
うらやましきもの
 經など習ひて、いみじくたどたどしくて、忘れがちにて、かへすがえすおなじ所を讀むに、法師は理、男も女も、くるくるとやすらかに讀みたるこそ、あれがやうに、いつの折とこそ、ふと覺ゆれ。心地など煩ひて臥したるに、うち笑ひ物いひ、思ふ事なげにて歩みありく人こそ、いみじくうらやましけれ。
 稻荷に思ひおこして參りたるに、中の御社のほど、わりなく苦しきを念じてのぼる程に、いささか苦しげもなく、後れて來と見えたる者どもの、唯ゆきにさきだちて詣づる、いとうらやまし。二月午の日の曉に、いそぎしかど、坂のなからばかり歩みしかば、巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしう かからぬ人も世にあらんものを、何しに詣でつらんとまで涙落ちてやすむに、三十餘ばかりなる女の、つぼ裝束などにはあらで、ただ引きはこえたるが、「まろは七たびまうでし侍るぞ。三たびはまうでぬ、四たびはことにもあらず未には下向しぬべし」と道に逢ひたる人にうち言ひて、くだりゆきしこそ、ただなる所にては目もとまるまじきことの、かれが身に只今ならばやとおぼえしか。
​  ​​​で、本書によれば、 清少納言の時代 には、実は
​​ 鳥居はないのです。 ​​
​  ね、それだけで、もう、
​​ エッ、それってどういうこと? ​​
​  でしょ。​​​
​​​​​​​​​​​​​ もう一つ上げると、 金閣寺 について 2章 にわたって語られていますが、誰もが思い浮かべる、まあ、たとえば​
​​雪の庭の池の傍で静かに金色に輝く金閣寺​​
 ​という、まあ、多分、誰でもが思い浮かべることのできるイメージがありますが、そのイメージは、案外、新しいということを考証したうえで、あの 三島由紀夫 「焼かねばならない」 と主人公に考えさせた
​​ 美の象徴の金閣寺 ​​
 というイメージ​は、焼けた後に 再建された金閣寺 であって、 三島自身 も子どものころに見たはずの 金閣寺 は、実は、かなり地味なお寺だったはずという指摘に続けて、にもかかわらず、 読者 「雪の庭の静かに輝く金閣寺」 を思い浮かべて納得しているのは
​​これいかに?!​​
​  と問いかけていらっしゃる論旨には、チョット唸りましたよ。​​​​​​​​​​​​​
​​ で、読み終えると、チョット、 延暦寺 にはどうやったら行けるのかなとか考えてしまったりするわけで、お暇な方にはピッタリだと思うのですが(笑)。
 最後に 目次 を貼っておきますね。​​

目次
第1章 稲荷山に千本鳥居はいつ出現したのか
第2章 八坂神社に祀られた祟る神の威力
第3章 清水の舞台は飛び降りるためにある
第4章 苔寺に苔は生えていなかった?!
第5章 どんな金閣寺が焼けたのか
第6章 金閣寺の正体
第7章 銀はなくても銀閣寺
第8章 密教空間としての平等院鳳凰堂
第9章 京都の鬼門と裏鬼門
​それでは、また、覗いてくださいね。ああ、​ ​島田裕巳「日本人の神道」(ちくま新書)​ ​のリンクを貼っておきます。そちらものぞいてみてください。​​​​​​​​

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最終更新日  2024.01.30 00:28:36
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