殿上人日記

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2011年02月18日
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カテゴリ: 京都の旅

レトロ京都24

  前の日記でランチをした煉瓦の「新風館」は大正15年に
  建てられた「旧京都中央電話局」を改装したものである

  そして、このモダンな建物は「旧毎日新聞社京都支局」で
  昭和3年に建てられ、カフェやアートギャラリーなどに
  利用されている  


レトロ京都19

  東海道五十三次の終点の三条大橋より続く「三条通」は
  かつては京都の中心として賑わい、明治期には煉瓦を取り
  入れた近代建築の様式で建てられた

  この建物は明治23年に、木骨に煉瓦を貼る独特の工法に
  より建てられた元時計店で、京都で最古の民間の赤煉瓦
  建築である


レトロ京都21

  国の重要文化財に指定をされながら、今も郵便局として
  活用されている「中京郵便局」(明治35年)は、壮麗な
  ルネサンス様式の建物である


レトロ京都22

  お次は国登録有形文化財の「旧不動貯蓄銀行京都支店」
  (大正8年)で、今はブティックやカフェが入ってる

  東京や大阪などにも煉瓦建築も多少は残されているが
  その多くは関東大震災や太平洋戦争で焼失し、まとまって
  街並みが残されているのは、この「三条通」くらいかも


レトロ京都20

  そんな三条通を代表する建物が、東京駅の設計もした
  辰野金吾の設計による「旧日本銀行京都支店」(明治
  39年)で、国の重要文化財に指定をされている

  今は「京都府京都文化博物館別館」となっている


レトロ京都1

  そんな訳で娘を漫画の殿堂に置いてから、特に目的が
  ある訳でもないので、ぶらぶらと三条通を東に向かう
  事にしたのだが・・・さすがに歴史ある京都!!


レトロ京都2

  「伊勢物語」の主人公とされるイケメンで、六歌仙や
  三十六歌仙に選ばれた、在原業平の屋敷跡も・・・

     ちはやぶる神代もきかず龍田川
             からくれなゐに水くゝるとは


レトロ京都3

  後白河天皇の皇子の以仁王の住まいがあり、高倉小路に
  面していた為「高倉宮」と呼ばれた。治承4(1180)年
  源頼政と打倒平氏の挙兵を計画し、諸国の源氏や大寺社に
  蜂起を促したのだが、準備不足のうちに露見し宇治平等院の
  戦いで敗死し鎮圧をされた


レトロ京都18

  しかしながら彼の令旨を受けて、源頼朝や源義仲など各国の
  源氏が挙兵する事となり、これが平氏滅亡の糸口となったのだ

  武蔵坊弁慶が少年時代に住んだ三条京極には、弁慶がとても
  気に入っていた石がある。この石は弁慶の死後は奥州高館に
  あったのが「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近では
  熱病が蔓延したので、人々は畏怖し京都に安置がされた


レトロ京都4

  前の日記で紹介をしたテレビ番組で、タクシー運転手さんが
  おすすめしたのが有名なイノダ珈琲店の本店だが、ランチで
  食べ過ぎて、立ち寄るような気持ちにならず、残念、素通り


レトロ京都15

  新京極や寺町通などのアーケード街がある、京都の商店街は
  小学校の修学旅行で、夜にお土産を買いに来た思い出の地で
  京都に住んでいる時も、風と共に去りぬのリバイバルを見たり
  今は無き京都花月で、吉本新喜劇を見たりも


レトロ京都17

  名物の千枚漬の仕込みをしてた


レトロ京都16

  東京銀座の地価日本一で、よく名前の出てた「鳩居堂」の
  京都店。寛文3(1663)年、熊谷直実から数えて二十代目
  熊谷直心(じきしん)が、京都寺町に薬種商として創業を
  したのが、その始まりなのだとか

  薬種原料が香と共通したので、薫香線香の製造が始まり
  薬種原料の輸入先である中国より、書画用文具を輸入し
  販売をするようになったのだとか


レトロ京都5

  私の好きな歴史人物は新撰組の土方歳三と、大化の改新の
  中大兄皇子(天智天皇)と、戦国武将の織田信長である

  あまたの役者が信長を演じる中で、今年の大河ドラマの
  豊川悦司は、「・・・であるか」信長の反町隆史の次に
  好みだっただけに本能寺の変も終え、あぁ今年の大河も
  終わってしまった


レトロ京都10

  あれは無いよ。いくら主役とは言ってもあんな幼子である
  「江」を史実むちゃくちゃに、信長や、家康や、千利休や
  光秀にすら会わせて、対等のものいいにはあきれ果てた

  あまりにバカバカしすぎて見る気も失せて、今から来年の
  清盛が楽しみだ


レトロ京都6

  そんな訳でついつい、このあたりにやってくると本能寺に
  立ち寄ってしまう。信長ラブ。といっても当時の本能寺は
  蛸薬師通小川通西南角あたりで、天正15(1587)年に
  豊臣秀吉の命で現在の寺域へと移転されたのだが

  加藤清正の寄進といわれる「臥牛石」も境内にさりげなく


レトロ京都7

  織田信長の三男である織田信孝により、信長らの遺骨の
  収集作業が進められ本能寺の変から1ヵ月後、武将の魂と
  される信長所持の太刀を納め建立をした、石造宝篋印塔の
  「織田信長公廟」がある   

  この他にも阿弥陀寺の住職の清玉が、本能寺の変の直後に
  信長の遺体を火葬した場に遭遇し、その遺骨を寺に葬った
  「織田信長公本廟」や、信長の一周忌に秀吉が建立をした
  大徳寺塔頭の総見院には、ご遺骸が見つからなかった為に
  信長の木像を火葬をして納めた五輪塔など、全国各地にも
  墓所や供養塔が  


レトロ京都11

  有料の大寶殿宝物館には、信長が所持していたといわれる
  釜や茶わん、肖像や太刀などが展示されており、なにより
  本能寺の変の際に、鳴きだしたといわれる「三足の蛙」の
  香炉は一見の価値がある


レトロ京都8

  その他にも、上から順に島津義久夫人(義久の二番目の
  夫人で鉄砲伝来の時の種子島の島主、種子島時尭の二女)や
  菅中納言局庸子(五条中納言為庸の娘で、霊元天皇の皇子と
  皇女を産んだ)、徳川家重夫人(伏見宮邦永親王の姫宮で
  17歳で家重に嫁いだが早産のあとに急逝、信仰をしていた
  本能寺に遺髪や爪がおくられた)といった女性らの石塔も


レトロ京都9

  さらに播磨、備前の戦国大名であった浦上氏の末裔であり
  若くして学問、詩文、七絃琴などに親しんだ江戸時代の文人
  画家の浦上玉堂(うらかみぎょくどう)の墓所も。代表作の
  「凍雲篩雪(とううんしせつ)図」は、川端康成の愛蔵品と
  して知られている


レトロ京都12

  いよいよ鴨川にかかる三条大橋についた。戦国時代の京都
  三条河原は処刑場の代表地とされ、石川五右衛門が釜茹でに
  なったのも、石田三成の首が晒されたのもここだ。そして
  人々の涙を誘う最大の悲劇が・・・

  天下人豊臣秀吉が、我が子の秀頼を後継者にしたいが為に
  甥(実姉の息子)を養子にして後継者にしていた豊臣秀次を
  関白職を剥奪し高野山に追放。切腹の上で三条河原に首を
  晒した


レトロ京都13

  秀次の死から約半月後、秀次の首の前で秀次の妻子や愛妾
  34人が五時間にも渡り、石田三成の手で打ち首に処され
  秀次の嫡男仙千代丸5歳、次男百丸4歳、三男於十丸3歳
  四男土丸1歳、一ノ姫(享年不明)も処刑され、生後一ヶ月の
  菊姫と、既に田家に嫁いでいた二人の娘のみが助命された


レトロ京都14

  弟の吉田宗恂がかつて秀次に仕えていた縁で、京都の豪商の
  角倉了以が、慶長16(1611)年に、秀次の菩提を弔う為
  秀次の戒名の瑞泉寺殿から名を取り「瑞泉寺」を建立して
  秀次の墓石(秀次の首が入れられた石の櫃)や、妻子らや
  賜死した家臣10人の五輪の塔も・・・・


レトロ京都23

           平成23年1月13日に京都で撮影

         皆さんのところには明日夜までには伺います





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最終更新日  2011年02月18日 23時29分24秒
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