殿上人日記

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2011年02月24日
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テーマ: 京都。(6125)
カテゴリ: 京都の旅

祇園の寺13

  一見さんお断りな「祇園」のお茶屋には無縁だけど
  ここにやってきた理由は、お馴染の「京の冬の旅」で
  非公開の寺社や庭園などが、特別公開をする事から
  俵屋宗達の風神雷神図で有名な京都五山の「建仁寺」へ


祇園の寺18

  このお寺は何度となく出かけているので、このブログ
  でも以前にも紹介をした事があるが、臨済宗建仁寺派の
  大本山の寺院で、山号を東山と号し、本尊は釈迦如来
  開基は源頼家で、開山は栄西である


祇園の寺17

  地元では「けんねんさん」の名で親しまれているそうで
  毛利氏の外交僧として、豊臣政権で重用をされた安国寺
  恵瓊(あんこくじ えけい)が、関ヶ原の戦いでは西軍に
  加わって敗れ京都の六条河原で斬首され、その墓がある


祇園の寺14

  今回は、そんな建仁寺の塔頭にあたる「建仁寺両足院
  (けんにんじりょうそくいん)」が、冬の旅の特別公開に
  なっているので出かけてみたのだ。両足院の「両足」とは
  仏の別称である「両足尊」に因むそうだ


祇園の寺1

  もう見るのも断念をした今年の大河ドラマの「江」にちなんで
  京の冬の旅の今冬のテーマは戦国の天下人と名将と姫君
  って訳で、このお寺に所縁があるのは戦国の名将である
  「黒田長政(くろだながまさ)」である


祇園の寺5

  豊臣秀吉の軍師として名高い黒田孝高(官兵衛、如水)の
  長男である長政を、関ヶ原の戦いで一番の武功を挙げたと
  家康がその手をとって喜んだと言われており、筑前福岡藩
  五十二万三千石を与えられ、初代藩主となった


祇園の寺16

  そんな長政が関ヶ原の戦いで、内兜に納めていたという
  守護神で、秘仏の「毘沙門天(びしゃもんてん)像」が
  特別公開をしていたのだ

  この毘沙門天像は、鞍馬寺の毘沙門天の胎内仏であったが
  織田信長が比叡山を焼き討ちをした時に、鞍馬寺の僧らが
  足利将軍家の茶家であった比喜多養清の手元に、疎開を
  させたそうだ


祇園の寺4

  しかし鞍馬寺の僧が、比喜多家に借財をして返さないので
  像が寺に戻らぬまま、比喜多家が黒田家の御用達をして
  いた為、長政が出陣の際に身に付けるようになったとか


狛トラ!!

  その後、黒田家が保持をしていたが、明治10年になって
  両足院に寄進がされたそうである。毘沙門天のお使いは
  虎であるそうで、狛犬ならぬ勇壮な「狛虎」がいた


祇園の寺3

  ちなみに毘沙門天とは、持国天、増長天、広目天と共に
  「四天王」とされる武神で、夜叉や羅刹といった鬼神を
  配下としている。密教では「十二天」の一尊で、北方を
  守護をするとされ、日本では「七福神」の一員でもあり
  勝負事に利益があるそうだ


祇園の寺2

  聖徳太子は物部守屋追討で、四天王に戦勝を祈願をして
  四天王寺を建立し、毘沙門天を祀る為に信貴山を開山を
  したそうだし、上杉謙信は自分自身が毘沙門天の生まれ
  変わりと信じ、軍の旗印にも「毘」の文字を使っていた


祇園の寺11

  庭園に、織田信長の弟で茶人として知られた織田有楽斎が
  建仁寺の塔頭、正伝院に建てた「如庵」の写しである茶室
  「水月亭(暦の席)」と、白木屋百貨店(東急百貨店)の
  創業者である大村彦太郎が、別荘の建物を寄進し移築した
  「臨池亭」がある


祇園の寺12

  室町時代に元から来日をした僧の林浄因は、元の肉まんを
  改良をして、日本で初めて「饅頭」を作った人物であって
  その曾孫にあたる文林寿郁が、両足院を創建をした為に
  両足院は「饅頭始祖の寺」とされている


祇園の寺6

  先ほど名前の出た織田有楽斎(おだうらくさい)ゆかりの
  建仁寺の塔頭である「正伝永源院」も特別公開をして
  いたので、拝観をさせていただいた


祇園の寺9

  「永源庵」は南北朝時代に創建をされ。大名の細川家の
  最初の菩提寺であったが、明治の廃仏毀釈で建仁寺では
  50余ヶ寺の塔頭が14ヶ寺に削減され、ここも廃寺とされた

  その堂宇が残っていたところへ、「正伝院」が土地や如庵を
  処分をしての寄付を強要をされており、ここに移ったそうで
  後には「正伝永源院」と名乗るようになったそうである


祇園の寺7

  そんなお引っ越ししてきた「正伝院」は、鎌倉時代に創建を
  されたが、長らく荒廃をしていたのを織田有楽斎が再興し
  茶室の「如庵(じょあん)」を建て、茶道三昧で過ごした


祇園の寺10

  明治になって「如庵」は、東京の三井本邸に移築をされた後
  昭和13年には、神奈川県中郡大磯の三井家の別荘に移築され
  戦後になって「名古屋鉄道」の所有となり、愛知県犬山市の
  有楽苑に移築され、国宝に指定をされてる


祇園の寺8

  平成8年にその写しの「正伝如庵」が、中村昌生氏の監修で
  完成され、扁額は元首相の細川護貞氏の揮毫だそうだ


祇園の寺21

  寺には織田有楽斎や、夫人、子、孫の墓もあった。また
  この地は、かつて賤ヶ谷七本槍の「福島正則」の寓居地で
  あった為、福島家の家来の墓もあったのだが撮影をし忘れ


祇園の寺19

  こちらは細川家の墓で、細川護煕氏がお墓参りに来られる
  事もあるそうだ

祇園3

  雅な祇園には、こんな自販機がお似合いで


祇園2

  日が傾き始めて八坂神社も輝いて、そろそろうさぎの
  岡崎神社に向かうとするか。そんな訳で初日の京都は
  これでおしまい!


祇園4

           平成23年1月13日に京都で撮影






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最終更新日  2011年02月24日 22時06分31秒
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