殿上人日記

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2019年02月12日
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テーマ: 海外旅行(7536)
カテゴリ: 旅のいろいろ



意味がないように思える。これを観たさに
行先を上海に決めた部分も大きいし。どれ
だけ見ても、決して見飽きない光景だ




宿泊をしたホテルの前にある大きな交差点
からビルの合間に浦東新区(プードン)の
東方明珠電視塔や上海中心も見る事が出来
地下鉄でも簡単にアクセスが出来る




ホテルのすぐ目の前に地下鉄10号線の
海倫路駅5号口があり、そこからアクセス
出来るのだが乗り換えもなく10号線で
3駅で南京東路駅下車。料金も僅か3元
(50円位)だ




地下鉄の切符の買い方もパネルで路線を
選び、下車する駅を選ぶだけでいいので
簡単だ。略したものもあるが、一応は漢字
表示だし読めもする。地下鉄でも飛行機に
乗る前の荷物検査があった。↑これは単に
ビジュアル系の自販機




ガイドさんには、寝不足で疲れたからとか
差し障りがないように言い訳をして、上海
雑技や翌日夜のナイトクルーズを断ったが
事前にネットで旅行にいった人の体験談を
読んでいて高いオプション代を払わなくても




自分たちで地下鉄で出かけて向かい岸の
外灘(ワイタン)から眺めれば十分と
あったので、日程に南京東路がなくて
そこも行きたかったのもあり、迷わず
個人で地下鉄で行く事にした




ナイトクルーズ船は折り返しの50分の
コースで、そこまでは歩けないにしても
東方明珠電視塔の位置でもわかるように
数百メートルは歩きましたよ。てくてく
歩いて位置を変えて・・・




それに手前のナイトクルーズ船の電飾
なども、良いアクセントになりますが
自分が船に乗ってたら撮れません。窓
ガラスでもあれば、映り込みでまともな
写真など撮れないですし




中国の人に佐賀県が人気になったという
のもSNSなど、ネット上の個人の情報から
だそうですが、私も旅行の情報は実際に
そこを旅した人の旅行記を、参考にして
たりします。地下鉄の乗り方とかも




次の日もガイドさんが夜のナイトクルーズは
行った方がいいですよと勧めてくれたのだが
前夜に既に地下鉄で行ったとは言えなかった
そういった事前情報の収集や、個人で異国で
地下鉄乗って、知らない街を個人で歩く事が
面倒だったり、出来ないと思う人は素直に




ガイドさんの旗の後ろについて、あちこち
連れて行って貰う方がいいと思う。個人で
動くという事は多少なりともリスクという
ものも付きまとうので高いオプション料は
リスク回避と、色々と考えなくてもよいと
いう手間賃だ




私だってホテルからのアクセスが悪かったり
したら、素直にオプション使っていたのかも
しれないし。全てがいけないという訳もなく
旅もケースバイケースで柔軟に参りましょうか
国内などは行き当たりばったりが多い




黄浦江の奥に揚浦大橋が小さく見えていた
この浦東新区は、ウィキペディアによると
>1992年、国務院により「国家の重大発展と
>改革開放戦略の任務を受け持つ総合機能区」
>である国家級新区として設置されて以降、
>大規模開発が行われ、現在では上海新都心
>としての地位を確立している




>浦東新区は上海直轄市に所属する市轄区で
>ありながら、中国最先端の開発センター
>として副省級区(副省級市=地級行政区
>レベルを超える権限)として大幅な自治権が
>認められている。




中には国境を越え日本の森ビルグループの
都市づくりのノウハウを注ぎ込んだ、地上
101階、高さ492メートルの「上海環球金融
中心」もという高層ビルも。1990年代
半ばの写真では、東方明珠電視塔位しか
目立つ建物もなかったようだ。フランス租界
だった黄浦公園には人民英雄紀念塔があった




艶やかな真っ赤なロングドレスの女性と
イケメンの男性の写真撮影は、俳優さん
もしくはモデルさんのようだ。そのまま
写真を載せるのはまずそうなので、黒い
シルエットでご紹介




それにしてもイケメンでした。中国の
ドラマなどは脱税で引退した女優さんが
主演してた後宮ドラマをここで紹介を
した事があるけど、次々に妃らが陰謀で
殺されたり、とんでもない展開だったが




最近ネットで、大人気の宮廷ドラマも
すごかったようで、社会主義の革新的な
価値観と相いれない。贅沢を賛美しつつ
勤労や節約を攻撃していると再放送が
禁止となったものがあるんだとか




この銅像は四川省出身の国務院副総理、国防
委員会副主席、外交部長などの肩書を持つ
陳毅で、上海市人民政府を成立させて初代
上海市の市長として上海市民の為に尽力を
注いだそうである




今、私が見ているのは浅田次郎原作で日中
合作の「蒼穹の昴」の再放送で、録画した
のを年末からこつこつと見ている。日本の
女優の田中裕子が、西太后を演じているが
セリフは日本語でしゃべっていたが、後で
中国語に吹き替えになっているそうだ



彼女がまだ生きている時代に、ここ外灘
には、既にこんな西洋の洋館が次々に建て
られていたのだ。なのに紫禁城の中では
そりゃ変わるしかなかったのかも。作中に
袁世凱とか伊藤博文なども出てくる




浅田次郎が「私はこの作品を書くために
作家になった」という物語は日清戦争の
頃、保守派の西太后と改革派である甥の
光緒帝のせめぎあいを、春児と義兄弟の
文秀を軸にして描かれている




今回の旅行では上海近郊にある、東洋の
ベニスとも呼ばれた蘇州へも行くのだが
その名前を知ったのは「蘇州夜曲」からで
沢山の歌手が今でもカバーをしているので
うちの娘も知っていた程だ


            ↑陳佳さんの歌唱で。古い画像の後から始まります

この歌は、李香蘭(山口淑子)と長谷川一夫の
映画「支那の夜(後に蘇州夜曲に改題)」の
挿入歌として、西條八十作詞、服部良一作曲
李香蘭が歌って大ヒットしたものだ


            ↑新妻聖子さんの日本語での歌唱

本編では、蘇州へ新婚旅行へいった時に
歌ったようである。物語の大半は上海で
あったので、このクラシカルな建物群も
出てくるらしい




昭和15(1941)年2月から3月にかけて
上海や蘇州などでロケがされたそうだが、この
外灘の風景は80年前とかわらぬ、そのままで
あるのに、そこから見る対岸には高層ビル群も
電視塔も姿がなく、何もない




大正9(1920)年、中華民国奉天省(現
中華人民共和国遼寧省)の奉天北煙台で日本人
夫婦の間に生まれた山口淑子は、父の方針で
中国語にも堪能で、父親の中国の友人の義理の
娘分(乾女児)となり、李香蘭という中国名を
得ることとなった




後に、満州映画協会の中国人専属女優として
デビュー。日本や満州、中国で人気を得たが
戦後、中国人だと思われていた為に「漢奸(
売国奴)」として、軍事裁判にかけられるが
日本人だと証明され国外追放となったそうだ




昭和21(1946)年3月、いよいよ日本へ
帰国する事となり、デッキから遠ざかる上海の
摩天楼を眺めていると、自分が歌う「夜来香」が
流れてきたそうである


               ↑張燕さんの歌唱で

夜来香であるが、ウィキペディアによれば
>黎錦光が作詞作曲し、1944(中華民國33)年に
>李香蘭(山口淑子)の歌唱により上海の百代唱
>片公司から発売された中国の歌謡曲である。




>満洲映画協会のスターであった李香蘭の名と
>ともに歌は広がり、中国各地で人気を博した。
>やがて新中国建国の後は、国情とは合わず
>廃れてしまったものの、何十年もの長い時間を
>経て(中略)鄧麗君(テレサ・テン)の歌声で
>復活した。




>「何日君再来」等と共に中国(中華人民共和国)
>政府により、聴くことも歌うことも禁止されて
>しまった時代もあったが、現在は中国大陸でも
>解禁され、今や全世界の中国人に好んで歌われる
>チャイナ・メロディーの代表曲となっている




そして時を経て・・・子供の頃によく見ていたのが
アメリカのドラマで、グリーンホーネットも好きで
よく見てたが、そのカトー役を一世を風靡したあの
ブルース・リーが演じていたと知ったのは、平成に
なってからだった




グリーンホーネットで活躍の場を得たブルース・リー
であるが、その代表作は1973年に公開された
「燃えよドラゴン」なのだが、ドラゴンシリーズの
これが最初と言う訳でもなく、それ以前に幾つも
作られており、次々に公開された




その中で「ドラゴン怒りの鉄拳」は、ここ上海が
舞台となっている。清朝末期の上海で中国武術の
精武館の霍元甲が、ライバルの日本人道場主の
鈴木の陰謀によって死を遂げる。愛弟子の陳真
(ブルース・リー)が師匠の復讐に立ち上がると
いうものである




この作品でアチョ~ってのと、ヌンチャクが登場
上海が舞台ながら、その殆どが香港のスタジオで
撮影をされたそうだ。日本公開時は悪役が日本人
だとわからぬよう、鈴木ではなくリンという名に
なっているそうだ




まっ、私はブルースリーや、ジャッキーよりも
ジェット・リー派ですけど、彼もリメイクの
「フィスト・オブ・レジェンド」で陳真を演じ
ているが、その舞台は上海ではなく京都だ




さてさて写真は外灘から、何やら繁華街になり
ましたよ。東京でいうなら銀座。「南京東路」
大きなデパートや商業施設が、夜の10時まで
営業し、まるで不夜城のような華やかさです




この「不夜城」という言葉は、中国の
山東省にあったとされる古代都市で
夜も日が出たとされたため、この名が
ついたそうだ。このように中国発祥の
慣用句のようなものは数多い




四字熟語やことわざなど。例えば背水の
陣は中国の楚漢戦争で韓信と常山王張耳
らが率いた漢軍が背水の陣という戦術に
よって趙軍を打ち破った事からだ




干支は十干と十二支を組み合わせた60を
周期とし、暦を始め時間方位などに今も
用いられるが、起源は商(殷)代に遡る
日本には6世紀に、中国の暦本が百済を
通じ渡来したと言われている




十二支で今年はイノシシ年ですが、本来は
豚年だそうです。漢字の猪とは豚の事だった
そうです。日本の仏教では肉食は禁止されて
いたので、猪を家畜化をした豚は馴染みが
無かった為なんだとか。逆に山には猪が走り
まわっていたようですしね




今は領土や歴史認識問題などで、デモが
されたり、反日的な立場をとられてギク
シャクもしたりもするが、やっぱ日本の
文化もろもろ。言語、思想、哲学、宗教
飲食、服装、陶器・・・・もう色んな部分で




長い期間にわたって、大陸からの影響を
受けて、今の日本があるのは確かである
空海や最澄は学ぶ為に海を渡ったし、阿倍
仲麻呂は日本へと帰る事は無かった




そして日本の仏教徒の為に命を懸けて、海を
渡って来日をした鑑真和上の恩義も。現代の
中国には、残されていないようなものでも
日本には時代を超えても、面々と伝わって
いるものもあるという話だ




三国志や水滸伝の英雄たちに、心躍らせたり
傾国の美女の楊貴妃や西施を想いを馳せ、悪女
呂后や則天武后にはビビり・・・。酒池肉林は
殷の紂王が寵姫の妲己の言うがままに、日夜
酒色に耽り、民を虐げた事からだそうですよ




といった訳で、今回の上海紀行をおさらいを
してみると、地下鉄と浦東の夜景にクルーズ船
外灘から西太后、李香蘭の蘇州夜曲と夜来香で
ブルース・リー。不夜城の南京東路に中国伝来
干支は豚!という盛り沢山な内容になりました




中国では赤が好まれまして、国旗の色も赤
ですが、おめでたい時に使ったりもします。
厄除けの色、幸福をもたらす色だそうです
春節に爆竹を鳴らすのも、あの音で厄払い
しているそうですよ




春節直前の上海は、どこもかしこも赤い色で
彩られ、普段よりも華やかであったのかも
しれません。空気も綺麗で良い時期に旅行
出来ました     旅はまだまだ続く




         平成31年1月26日に上海で撮影

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最終更新日  2019年02月12日 15時14分21秒
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