らくがんの休日

らくがんの休日

PR

Profile

Rakugan is Kitten

Rakugan is Kitten

Comments

Rakugan is Kitten @ Re[1]:自宅でハロウィンアフタヌーンティー(10/09) Blackさんへ こんにちは。(^^) 返信遅れ…
Black @ Re:自宅でハロウィンアフタヌーンティー(10/09) こんにちは・w・ノ おいしそうな料理の写…
Rakugan is Kitten @ Re[1]:スターバックス 桃フラペチーノ(07/16) Blackさんへ お久しぶりです。(*^^*) ス…

Favorite Blog

英語でFF7 Part13 New! Blackさん

📣楽天ブログトップ… 楽天ブログスタッフさん

Freepage List

ゲーム一覧


バイオハザード


サイレントヒル


ICO(イコ)


ゼルダの伝説


スターフォックスアドベンチャ


トゥームレイダー1~6


探しに行こうよ


エコーナイト


サイレン


ディノクライシス


エネミー・ゼロ


アークザラッド1・2・3・4


俺の屍を越えてゆけ


ピクミン 1・2・3・4


鬼武者1・2・3・新


Devil May Cry 1・2・3


真・三国無双シリーズ


戦国無双シリーズ


悪代官


天誅


影牢1・2&蒼魔灯


ベイグラントストーリー


デュープリズム


いただきストリートSpecial


ちびロボ!


MOON、エンドネシア、チュウリップ


ボクと魔王


ゼノギアス


DQ8


ガンダムSEED 連合vsZAFT


バンピートロット


絶体絶命都市


FF9


大神、大神伝


ワンダと巨像


ダージュ・オブ・ケルベロス(FF7)


ダーク・クロニクル


Bully


戦国BASARAシリーズ


クライシス・コア


FF7


モンスターハンター P2


モンスターハンター P2G


モンハン日記 ぽかぽかアイルー村G


モンスターハンター P3


レイトン教授と悪魔の箱


FF10


ベヨネッタ1、2、3


アンチャーテッド


レゴシティ(アンダーカバー、ムービーザゲーム)


モンスターハンター4、4G


マリオカート


モンスターハンターX


トゥームレイダー レジェンド以降


ラチェット&クランク


モンスターハンターストーリーズ


刀剣乱舞オンライン2017-2022


モンスターハンター ライズ


あつ森


刀剣乱舞オンライン2023-


積みゲー リスト


気になっているゲーム


工事中


日常生活の理科


感動の食物連鎖


下水道、その働き


宝くじの当たる確立は?


体にイイこと


腰痛、寝ちがえ


足のトラブル


お腹にガスがたまる


ポン・デ・ライオン コレクション


香水


Post Pet Collection


安全に暮らそう


防犯対策


災害への備え


愛しの猫たち(プロフィール)


猫達のお買い物


猫達のお買い物2


ねこ日記 2005-2007年


ねこ日記 2008-2020年


ねこの健康について


読んだ本


小説(海外)


小説(作家別・ア~ナ行)


小説(作家別・ハ~ワ行)


エッセイ、ドキュメンタリー他


時代小説


動物が出てくる本


イベント・旅行・おでかけ


アフタヌーンティー、ランチ


ブックマーク


Keyword Search

▼キーワード検索

2012.01.29
XML
カテゴリ: 読んだ本
1998年9月 文藝春秋より


次第に激化してきた。
先進の薩摩、長州に遅れまいと、固陋な土佐藩でクーデターを起し、藩ぐるみ勤王化して
天下へ押し出そうとする武市半平太のやり方に、限界を感じた坂本竜馬は、
さらに大きな飛躍を求めて、ついに脱藩を決意した。

(裏表紙 紹介文より)

2巻に入り、ぐぐぐっと面白くなってきました!
2巻は、江戸に私費留学していた竜馬が土佐へ帰り、脱藩するまでです。
その間に安政の大獄や桜田門外の変などが起きています。
学生時代に日本史で習った時は「ふーん」という程度で、残ったのはその単語くらいでしたが、
今回読んでみたら興味深い激動の時代でした。

まず、前巻でペリーが来て威嚇外交をしたのが嘉永6年(1853年)。
この時、幕府は弱腰だったため、水戸学に影響された野の志士達は憤激して

この当時の若い武士達にとって攘夷論は大ブームだったようです。
「尊皇」と聞くだけで血が沸いて、そのために我が命も捧げたいというロマンチストが
たくさんいたようです。
こういう血気盛んな方々が歴史を動かしていったのだとも言えます。

その後ロシアが来て、強硬なアメリカとは違い、お土産などを渡しながら
「ロシアと通商を開けばアメリカの侵略から守ってやる」と持ちかけたのですね。
幕府は親露論に傾きます。

安政3年(1856年)、アメリカ人のタウンゼント・ハリスが来日。
通商条約の締結を求めて将軍への謁見を求めます。
この時点では日米和親条約・日露和親条約は結ばれていますが、通商条約はまだない。
通商条約も将軍への謁見も断りたいところですが、アメリカは前年9月に清を攻めて

通商条約はためらっていましたが、安政4年(1857年)11月に通商条約の逐条協議を開始し
安政5年(1858年)1月に議定が終わってしまいます。
条約締結に必要なのは、天皇の勅許のみ。

しかし、孝明天皇は病的なほど外国恐怖症。
300年政治に触れていなかった公卿は政治オンチ、日本の国力もわからず、海外知識もなく、

そのため勅許が得られない。

安政5年4月、彦根藩の井伊直弼が大老になります。
この時、将軍継嗣問題が起きていました。
前水戸藩主・徳川斉昭の七男である一橋慶喜か、現将軍に血筋の近い紀州藩主・徳川慶福
(よしとみ)か。
井伊直弼は勅許がないまま条約に調印し、また徳川慶福(=徳川家茂)を後継者に指名。

幕閣に対する最大勢力は御三家の筆頭・水戸の徳川斉昭でした。
水戸家はイデオロギーの家系で、尊皇派の本山とも言うべき存在。
徳川斉昭は、長男で水戸藩主の徳川慶篤を動かし、尾張藩主・徳川慶勝、福井藩主・松平慶永ら
と連合。
無勅許で条約調印した件で井伊直弼を問い詰めようとしましたが、井伊は逆に彼らを
隠居謹慎などに処します。
これが安政の大獄の始まりで、その後1年くらいに渡り、公家・大名には蟄居・差し控え、
隠居志士に対しては投獄・死刑などが行われます。

土佐藩・山内豊信は水戸派だから類が及ぶのではないかと土佐藩も大騒ぎ。
そんな頃、竜馬は藩が許可した留学期間が過ぎて土佐へ帰る事に。
まだそれほど政治に興味がなく、尊皇とか攘夷とかはっきりした思想もない竜馬です。

江戸から土佐への旅で、竜馬は無銭旅行を試みます。
坂本家は金持ちなので金に不自由をしたことがない、一文のびた銭が仏の顔に見えるような
修行を積んでみたい、ということで。
竜馬は北辰一刀流免許皆伝だし、千葉道場の塾頭だから、通過する町道場で稽古をつければ
少ないなりに謝礼がもらえるので、それが頼りの旅。
旅には「子分だから」と寝待ノ藤兵衛が付いてきます。

途中、京都の公卿侍から声をかけられ、同行することに。
この人、誰かに狙われているらしい。
空腹を我慢して竜馬が歩いていると、公卿侍から御飯や宿をおごってもらうことになり、
だんだん用心棒のような感じになっていきます。
「餅の恩で命を失う事もあるかもしれない」とお金の大切さをしみじみ実感する竜馬。(笑)

この公卿侍、内大臣・三条実万(さねつむ)の家臣・水原播磨介(はりまのすけ)でした。
三条家は土佐の山内家とは婚戚。

朝廷は幕府よりも水戸家を信頼し、井伊直弼の排斥の密勅を水戸家に出したりしています。
戊午の密勅(ぼごのみっちょく)と言われ、これが安政の大獄の直接の発火点になったもの。
安政の大獄が起こり、朝廷は戦慄したものの、その状況下で水戸家の真意を確かめるため
懲りずに三条家に命じ水戸へ密使を遣わせた。
その密使が播磨介で、実は水戸からの返事の密書を持っているのです。

播磨介は伊井家から追われていて、途中で襲われます。
政治思想がなく、「尊皇」にときめかない竜馬は、正直面倒だと思うのですが、
餅の恩もあるしで助けてしまう。
感謝されると無邪気に嬉しくて、また・・・・という成行で深みにはまっていきます。

しかし宿へ御用改めが入ります。
竜馬は密書を預かり、播磨介を逃がすのですが、結局播磨介は捕まってしまいます。
捕吏を斬り倒して助けようかと考えた竜馬を制し、播磨介は「竜馬とは無縁である」と言う。
死刑は確実なのに泰然としている播磨介の真の強さに、
「男は危機に立って初めて真価がわかるものだ」竜馬は感じ入るのです。

託された密書を、竜馬は三条家に使えているお田鶴(たづ)様に渡す事に。
お田鶴は土佐藩の家老・福岡家の娘です。
竜馬が密かに恋心を抱き、抱かれる相手でもある。
三条家はマークされているのでお田鶴は後を付けられ、密会場所がバレてしまう。
目明かしに追われるのですが、竜馬は剛胆にもその目明かしに案内をさせて
お田鶴様を三条家に送り届け、自分も土佐へと帰る事に成功します。

土佐に帰った竜馬は西洋について勉強します。
西洋の文明を知った竜馬は、攘夷攘夷と騒いでいるが、うかつに攘夷をやったら
日本は全滅するのではないか、今の徳川や土佐藩のやり方では日本はつぶれてしまうと
危機感を抱くように。

安政7年(1860年)3月、桜田門外の変が起こります。
江戸城桜田門外において水戸藩、薩摩藩の脱藩浪士が彦根藩の行列を襲撃して、
大老・井伊直弼を暗殺した事件です。

この事件の大きな意味は武士達の意識が変わったことじゃないでしょうか。
今まで強大な幕府様だったのが、徳川の大老でも手が届く、幕府なんてその程度だと
敬意が薄れてきて、やがてその意識は尊皇攘夷から勤王倒幕へと変わっていくのです。

一大事!と、武市半平太は薩摩・長州・土佐の三国同盟のため江戸へ。
翌年、三藩が時期を合わせて挙兵して京都に集結、勤王の義軍となり倒幕を目指す、
三藩ともそれまでに藩の上層部を説得し、藩論を勤王倒幕にしておくという同盟が結ばれます。
土佐に戻った武市半平太は、郷士を中心に土佐勤王党を結成します。

その頃、竜馬は讃岐や長州を旅しています。
讃岐では松木善十郎に、長州では吉田松陰の弟子・久坂玄瑞(くさか げんずい)に会いました。
竜馬に限らず、この頃重要な役割を果たした幕末の英雄達の役割は、情報を集め、伝え、
同志を増やし、士気を高める旅行家だったらしいです。 

ここで、なぜ長州・薩摩・土佐が倒幕の中心だったかについて。

長州藩は毛利元就が祖で、彼が大国を作り上げ75歳で死んだ時、家康は30歳の駆け出し。
関ヶ原の戦いの時、成行から西軍大将になってしまった毛利輝元ですが、
大阪城にはいましたが兵は動かしていない。
分家の毛利秀元の隊が関ヶ原に出陣したが、こちらも戦闘には不参加。
しかし戦後、170万石の毛利領は、長門・周防2国37万石とされました。
つまり由緒正しい大国が敗戦故に、徳川に領土を奪われたわけです。
毛利家では家臣の数を減らさなかったので、家臣団を養うため、米穀経済から軽工業中心の
産業国家に切り替えました。
このため、幕末に各藩が困窮している時に富があり、巨大軍事国家になれた。

薩摩も同様。
関ヶ原で西軍に付き、戦闘には不参加だったものの、かの有名な前進撤退を敢行。
こちらも敗戦国です。

土佐藩は、竜馬達郷士がもともとあった長宗我部家の家臣、
上士が関ヶ原の後に来た山内一豊の家臣。
1つの藩の中で敗戦国が存在し、ずっと差別され続けてきた。

どの藩にも関ヶ原の恨み・徳川時代300年の恨みがあるのです。
これが幕末の歴史の大転換のエネルギーになっている。
幕末なんてつまらない歴史だと思っていましたが、関ヶ原からつながる因果関係の故と思うと
すごくときめく♪

話は戻って。
久坂玄瑞は長州藩の上層部が変わらないのを嘆いて、飲みながら「脱藩しよう!」。
竜馬も「脱藩、いいなあ」と思い始めます。

この頃になると、竜馬の思想はだいぶはっきりしてきています。
竜馬は、開国して貿易し、西洋の文化を取り入れ、船を造り国を富ませ、日本を強くしたい。
倒幕派であるが、幕府はもちろん薩長土の3藩に拘らず、全ての藩をつぶして
日本を1つにしたい
1つにするには中心がいるからそれを天皇にする、という意味で「尊皇」。
昨今流行の熱狂的「尊皇」「天皇好き」とは違うのです。
でもそれを言ってしまうと、仲間達と志士づきあいができないから隠していますけど。

竜馬が土佐へ戻って間もなく。
薩摩の島津久光が兵を率いて上洛するらしい、と噂が流れます。
大久保利通が「幕府は弱腰、これ以上幕府に政治を任せていたら外国が増長して
日本がどうなるかわからない」と朝廷を怖がらせ、京都守護の目的で薩摩兵を呼ぶ勅定を
出すよう要請したのです。
幕府がこわい朝廷は勅定は出さず、薩摩が自らの意志で上洛するなら黙許とした、とのこと。

薩摩に遅れを取ったと焦る土佐では、武市半平太が佐幕主義の吉田東洋の暗殺を計画。
土佐藩の中心から佐幕派の東洋を退け、代わりに東洋に追われた旧守勢力を付けて
それを背後から操ろうという作戦。

竜馬はそれではダメだと思っています。
ろくでもない土佐藩を捨てて、広い天下に躍り出たいという意識が強まり、遂に脱藩へ。

脱藩は重罪なので、家族・親類まで迷惑がかかります。
坂本家家長・長兄の権平は「とんでもない」と脱藩を禁じ、竜馬が刀を欲しがるに違いないから
親戚にも言いつけて刀蔵に鍵をかけさせます。
しかし、竜馬の姉・お栄(3人の姉の2番目)が名刀・陸奥守吉行を譲ってくれるのです。
訳あって離縁された元夫から、離縁の際に形見として家宝の刀をもらっていた大事な刀。
しかもその後、元夫から「なぜ譲った」と責められて自殺してしまうのです。
乙女姉さんも、医家・岡上家に嫁いでいるが、岡上家に迷惑をかけないため離縁。
竜馬のためにここまでしてくれる姉達。
そして権平も脱藩後に
「本当に脱藩するとわかっていたら家宝の刀を持たせたのに。ナマクラ刀では心細かろう」
と涙しているのです。
本当に愛されているのね、竜馬。

文久2年(1862年)3月24日、竜馬の脱藩から15日後に吉田東洋が暗殺されます。
しかし江戸には激しく佐幕派の老公・山内容堂がまだいるのです。
どうなる土佐藩!?






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012.01.30 12:32:40
コメント(0) | コメントを書く
[読んだ本] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: