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いつも行くスーパーマーケットのヴィーガンコーナーを見るともなしにながめていた。近ごろはふつうの店でも、エコ食品やヴェジタアンやヴィーガナー用の食品が増えた。大豆ミートとか真空パックの豆腐とか、スモーク豆腐とか。ふと「セイタン用の粉」という文字が目にとびこんだ。セイタンという名前をはじめて聞いた(目にした)のは、はるか昔、ドイツに住み始めたばかりの頃だった。友だちが「これって日本の食材でしょう」と言ったけれど、わたしは聞いたことも食べたこともなかった。そのまま調べもしなかったけれど、今回は家に帰ってすぐにググった。なんだ、セイタン(どうやら日本語らしい)とは麩のことらしい。つまりは、小麦グルテンからつくられた食材。スーパーにあったセイタン用の粉も、成分表に小麦グルテんと書いてあった。あら、待てよ。小麦グルテンは家にもある。前に、バゲットを焼き始めた頃に、改良を目ざして小麦グルテン粉を添加したことがある。そのために買ったグルテン粉1キロのほとんどは、その後使われることもないまま、ガラス瓶に待機している。だってね、バゲット用の添加にはせいぜい一回、3gぐらいしか使わないのだから。賞味期限などとっくに過ぎているけれど、カビもないし、虫が侵入した気配もないので、ダメでもともと、麩だかセイタンだかを作ってみよう。どっかのレシピにしたがって、小麦グルテン粉を水で練った。あらあら、おもしろい。グルテン粉がみるみる水を吸って、ゴムまりのようにふくれた。質感もゴムまりかスポンジのよう。これを適当に切って、熱湯で茹でた。茹でていく内にまたもどんどんふくれていく。ゆであがったセイタンだか生麩もどきだかを食べてみたけれど、日向臭いばかり。冷めるにしたがって、さっきのフワフワは消えて、引き締まってしまった。ゴムというかちくわというか。味がないのと日向臭いのが気になって、だし汁と醤油と味醂でひとまずは煮ておいた。それでも味がないので、ショウガとニンニクのすりおろしと醤油と砂糖に一晩つけておいて、翌日に唐揚げをしてみた。おおー、これはいいぞ。言われなければ、鳥の胸肉の唐揚げと思えるかも。少なくともファストフードのナゲットよりはおいしい。質感は固めのチクワかさつま揚げ、あるいは柔らかめのイカとでも言いましょうか。わたしは病み付きになりそう。日向臭さも消えていたし。で、このチクワかさつま揚げの食感から思いついて、さらなる実験をした。スケソウダラ(これはタラではありませんが、よくタラと呼ばれているみたいです。養殖ではないところととびきり安いのが長所。魚肉製品の材料になる代表的な魚らしい。味は素っ気ない)の冷凍を買ってきて、半ば凍ったままの状態でフードプロセッサーでミンチしてから、すり鉢ですって、そこに少量の小麦グルテンを混ぜてみた。グルテンがプリッとした食感を出してくれるのを期待して。でもね、期待は裏切られた。いつも通り、さつま揚げもどきはサクサクしすぎで、あのさつま揚げとか蒲鉾独特の食感は得られない。もっとグルテン粉を入れれば良かったのかな。それとも、もっともっと魚肉をすり鉢で摩って、魚肉の繊維のような質、ホロホロした質が壊れるまでねとねとにしなければいけないのだと思う。ネットに出ている手作り蒲鉾やさつま揚げのレシピでは、その点をくわしく書いてないのが残念。それとも他の方々はとっくにこの問題を克服しているのかな。さつま揚げや蒲鉾は特には好きじゃないけれど、手に入らない所にいると作ってみたくなる。で、さつま揚げのことは忘れて、次なる実験をした(昼食は抜きなのに、出来損ないさつま揚げの味見でお腹はいっぱい)。またまたネットで見つけたレシピで、生麩を作るには、小麦グルテンに白玉粉を加えることを知った。白玉粉の代用は、こちらではもち米の粉のようなものを使う。これで白玉も大福も作れる。で、どなたかのレシピどおりにグルテンと水同量をこね、白玉粉と半量の水もこね、これらを合わせて、またもこねた。これが生麩の生地らしい。たまたま冷凍庫に見つけた小豆の甘煮を煮詰めて餡子にした。で、生麩のやわらかい生地で餡を包み(実験だから4個だけ)、残りの生麩の生地は棒状にした。これら両方を15分ぐらい蒸した。今回は前回の生麩もどき(グルテン粉だけの)とちがって、モチモチとやわらかい。この方が食べやすいのかもしれないけれど、味はないなあ。おいしいとも思えない。昔、京都か金沢のすてきな和食レストランで食べた生麩とは大違い。あの上品さはどこにもないな。生麩まんじゅうもおいしいとはいえない。これなら白玉粉でつくった大福の方がおいしい。なんでかな。このやわらかい生麩を前のようにショウガとニンニクと醤油につけて唐揚げにしたら、どういう食感になるんだろう。グルテン粉だけの小麦グルテンミートの方がわたしには合っているかも。
2018/01/28
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この冬はまったく冬じゃあないみたい。ふつは、ドイツで一番暖かい当地でも、11月には零下になる日があるし、12月、1月ともなれば、氷点下はふつう、ときには零下15度などという日だってあるというのに、この冬は、これまで外に氷が張った日は1日か2日だけ。先週は、他の地域は雪や嵐があったけれど、当地は雪はふらなかった。そして、2、3日前から、もっとポカポカ暖かくなり、昨日は日中は17度になった。野鳥も花も、春がきたのかとまちがえているようで、シジュウカラがさえずり、ブラックバードも小声で歌っていた。一瞬、ヨーロッパコマドリもさえずった。バラは剪定もしない内に、なんと新芽を吹いてしまった。秋に残っていたバラの花もいまだに残っている。このまま冬なしで春になってしまうとは思えないから、いつかしっぺ返しがくるんだろうな。いったん、花を咲かせてしまった植物にとっては、大打撃のはず。地球の反対側では大雪になったり、気温が下がっていると聞く。そうなると、地球温暖化なんてない、と性急に思ってしまいがちだけれど、事はそう簡単じゃない。地球全体の気温が年々、上昇していて、北極の氷が融けているのは確かだから。氷がとけると、海水の温度が下がって、海流の状態も変わって、これまで寒くなかった地域が寒くなったり、天候の動きも大きく変わっていく。この先、どうなるのだろう。アフリカの干ばつがますますひどくなっている。この状態が続けば、政治状況や社会状況の悪さも手伝って、難民はますます増えるだろう。そうなったとき、ヨーロッパを始め、豊かな国はどう反応するのだろう。自分たちが享受している富を、飢えている人と分け合う気構えがあるのかしら。まず、自分に問うてみるほかないね。さあ、どうする?って。そのときには、「自分が飢え死にしている側の人間だったら、どうする?」と自問せざるを得ない。「もっとも大切なあなたというのは、幸運が尽きてしまったときに残されたあなただ」「人生で一番大切なのは、希望が失われたあとに残る自分である」とマーク・ローランズという哲学者は「哲学者とオオカミ」の中で書いていた。わたしは大戦後に生まれ、次なるカタストロフや戦争が起こる前にたぶん、消えているはずだ。それに、アフリカとか、シリアやイラクに生まれてわけでもなく、インドの道ばたに生まれたわけでもなかった。そう、とても運が良かった。ノホホンと生きてきた自分は、上の引用文に照らせば、まだ本当の自分、もっとも大切な自分を知らないのかもしれない。ホロコーストの記録や戦争のドキュメンタリーなどを読むと、どんな人間もおかれた状況しだいでは、想像できないほど残忍、卑怯になる可能性を抱えていることがわかる。個人の生活ではやさしい人間が、他の人間にどれほどひどい仕打ちができるかを知ると、人ごとではない気がする。ナチの時代に、強制収容所の監視員になっていたら、収容所に連れてこられ、仕分けされてガス室送りになる人を、身の危険をおかしてでも助ける勇気があっただろうか、それとも、他の監視員やナチといっしょになって、ひどい仕打ちをしていただろうか、、、。海の中のプラスチック、ナノ粒子(もう海水からつくられた食塩にすら微細プラスチック粒子は含まれているのだそうな)、昆虫や植物の激減、気候変動などなど、わたしも含めた人間たちがしでかした、自らの生きる基盤の破壊を思うたびに、ますます、自分も含めて人間嫌いになる。
2018/01/25
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エコスーパーでふと思いついて、乾燥白インゲン豆を買ってきた。大昔、母方の祖母はお正月のおせちの一つとして、白インゲンの甘煮を作っていた。砂糖で煮ただけの白インゲンだけれど、わたしは大好きだった。食べ始めると止まらなくなった。煮豆(醤油味、塩味)は好きではないけれど、甘い豆は大好き。ふしぎだな。白インゲン豆500gを3リットルぐらいの水で一晩ふやかしてから、ふっとうするまで過熱し、1分ぐらい煮立てただけで、すぐに火を止めて、前に書いた鍋帽子とクッションで保温調理。2時間ぐらいたった頃に、もう一度火にかけて、30秒ぐらい煮立てて、ふたたびクッションに置いて、鍋帽子をかぶせて放置。これだけで、豆はやわらかくなった。2リットルの鍋いっぱいになった豆。これをぜんぶ甘く煮るには、砂糖はどれくらい使うのだろう。しかたがない、一部は料理に使うかな。でもなあ、塩味の煮豆は好きじゃないのよね。とくに和食の煮豆はダメ。昔、フランス人の料理上手の女性が、ライスやジャガイモの代わりに、塩で煮た白インゲンを出してくれたけれど、あれもちょっと味気ないし、胸につっかえるような感覚だったよな。などとブツブツ言っていたら、BFが「イタリア風の豆料理がいい。ニンニクとかスパイスいっぱいのやつ」チッ、何も知らないくせして、無責任な提案をするんだから。と思いながらも、ドイツのサイトで調べたら、一つだけ出てきた。ニンニク、エシャロットをオリーブ油で炒めてから、やわらかく戻したドライトマトと下茹でした白インゲンをローズマリー、タイム、オレガノなどのスパイスといっしょに軽く煮込む料理。といっても、副菜としてで、レシピではこの上に肉のローストがどかんと載る。わたしはエシャロットだけでなく、小口切りしたセロリ数本と人参数本もくわえて、レシピ通りにつくった。レシピの指示どおり、最後に辛いスパイス、「ハリッサ」(唐辛子などのスパイスのミックス、偶然、レバノン製のが手元にあった)、ミニトマト、レモンの皮もまぜて。塩味の煮豆は好きでなかったのに、いっしょに入れた野菜のおかげか、かなりおいしく食べることができた。あとでわかったけれど、このレシピを新聞(インターネットの新聞も含め)に書いたのは、知人の一人だった。定期的に新聞に「男の料理」みたいな感じでレシピを書いている、当市在住の弁護士。だから、作り方が簡単だったのね。今回は肉のローストははぶいて、いっしょに食べたのは、前日につくった大豆ミートのハンバーグやブロッコリの残り物。これで、下茹でした白インゲン豆の3分の1は処理できた。残りの豆には砂糖をドカンと入れて、保温調理をもう一度して、甘く煮た。この甘い豆、子ども時代と同じく、食べ出すと止まらない。危ない、アブナい。一部は冷凍して、残りの煮豆で、人生初の「練りきり」を作った。白インゲン豆の甘煮をバーミックスでくだいて、白あんを作ってから、白玉粉(に似た、こちらで売っている米粉)といっしょに、電子レンジで過熱するだけ。練りきりが出来たのはいいけれど、これで何を作るかはわからない。味見している内に、いつの間にか、全部消えてしまうかもしれない。練りきりって、ちょっとマジパンに似ている。これをクリスト・シュトレンに入れたら、どんな味になるのだろう。
2018/01/20
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腸内細菌のたいせつさを報じる番組を見た。ふだんの食事だけでは、増えない、または存在しない腸内細菌があって、それが腸内に存在するかしないかでは、健康にかなりの違いがあるのだそうだ。ただし、ネズミでの実験だったけどね。この望ましい腸内細菌がいないと、腸に穴があいたり、、(あとは忘れた)、、といろいろやっかいなことが起こるかもしれないと、その番組はおどしをかけてきた。父親が直腸癌で早死にしたこともあるし(わたしは歯槽膿漏といい、50肩といい、あまり望ましくない性格や外見といい、父親に似ているので、腸の癌にかかりやすい遺伝子も染色体上に連鎖してのっかっているかもしれない)、身近な友人が最近、腸に穴があいて、手術を何回もしなければならなかったという話も聞いていることだし、望ましい腸内細菌は増やすには越したことはないようだ。こういう望ましい腸内細菌を増やすのにとくに良い食物は、食物繊維で、とりわけ全粒粉やオートミール、つまり燕麦なんだそうな。全粒粉100%で焼いたパンは毎朝食べているけれど、燕麦はほとんど食べていない。たまに、思いついてオートミールのフレークやナッツやフルーツのミューズリーは食べるけれど、しばらくするとやめてしまう。それで、ふと思いついて、久しぶりにオートミールの粥、つまりはポリッジを食べることにした。毎朝、起きるとまず(寝間着のまま)、オートミール(燕麦)の細かいフレークを大さじたっぷり二杯、小鍋に入れて、牛乳を適当にそそぎ、弱火で1、2分煮てから、中火で煮立たせて、すぐに止めておく。その間にコーヒーを淹れ、ライ麦(全粒粉)サワー種とスペルト全粒粉ルヴァン種で焼いたパンをトーストして、チーズとトマトをのせて食べる(まだ寝間着のまま)。この二枚を食べ終わる頃には、オートミールが牛乳の水分を吸い込んで、お粥状になっている。これに友だちがつくった自家製ハチミツ(ものすごく香りが良い。ハチミツがこんなにおいしいとは思いもしなかった)を小さじ一杯混ぜて、食べる。オートミールなんて、昔はおいしいとは思わなかったけれど、今はこの一瞬が幸せ。BFの姉はオートミールを水で煮て、バターを混ぜて食べるんだとか。この方が正攻法らしいけれど、わたしはミルクで煮るのが好き。これまで、牛乳を買う習慣がなかったけれど、オートミールがきっかけでミルクを買うようになって、牛乳ってなにかと便利だなと思うようになった。オートミールのお粥で望ましい腸内細菌が増えてくれるのなら、喜ばしいことなのだけれど、オートミールには一つだけ難点がある。それはね、腸内細菌が活発になるためか、腸内にガスが大量に発生すること。昔、サツマイモを食べるとそうなると言われていたけれど、わたしはそうはならなかったのに、オートミールはすごい効力を出す。これは、望ましい腸内細菌が増えてくれている証拠と言えば、喜ばしいことなのだろうけれど。わたしだけでなく、誰もが経験する現象らしくて、テレビで学者だか誰だかが、「オートミールは健康のために絶対に食べるべきだ。ただし、そのあと体から噴出する香りがたいへんだけれど」とか言っていた。オートミールのおかげで、腸の働きも活発になったらしくて、いらないものがドンドン出て行ってくれる感じ。体重も減った。
2018/01/19
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わたしの唯一のぜいたくは、ダンス(サルサ)のプライベートレッスン。自分の子どもよりも若いお兄さんに、ほぼ毎週、一時間、ひとりで習っている。別に高度なテクニックを教えてくれるわけではなく、基本的な姿勢や動きをなおしてもらい、インストラクターをパートナーにして踊る。サルサはパートナー、つまり男性のリードに女性がほぼ無条件にしたがって踊る、すごいマッチョ的なダンスだ。たとえリードがまちがっていても、女性はそれに従って動かなければならず、自分からフィギュア(振り)をはじめたりしてはいけないそう。でも、現実的には、パートナーがモタモタしていると、女性はつい自分から振りの動きをはじめてしまうのよね。それに、パートナー男性がどうリードしてよいか、次にどういう動きをしたいのか思いつかないこともたびたび。プライベートレッスンではこういう心配をしないで、ひたすら先生のリードのままに「踊りまくれる」ところがすばらしい。それと、微妙な動きから、相手(つまりはリードする先生)の意図を一瞬で理解して、それに対応する、その言葉を介さないコミュニケーションが、スリリングでおもしろい。しょっちゅう「こんな高い趣味は長くは続けられない」と思うのだけれど、レッスンに行って、体をぐるぐるターンさせ、足を動かし、腕を上げと、動き回る、踊るたびに「やっぱり続けよう」と思ってしまう。そういえば、再発しそうになっている「50肩」が、レッスンの間だけは治っていた。不思議。ダンスはそれ自体を楽しむ、ダンスをすること自体を楽しむ、まさに「内在的な価値」を楽しむ行為だ。内在的な価値とは、それ自体がもつ価値、他のものを得るために価値があるのではなく、それそのものにある価値。もちろん、ダンスにも、健康に良いとか、頭をぼけさせない、人と知り合える、ダンスがすごくうまくなって人に見せてお金をとる、などといった「道具的な価値」もあるけれど、まずはダンスをすることそのものが楽しくて、ダンス自体が目的で、人はダンスをするのだと思う。この内在的な価値、というのは人生でとても大事なのだと、以前に訳した「哲学者とオオカミ」や「哲学者が走る」の著者、マーク・ローランズは「哲学者が走る」の中で書いている。ランニングやジョギングは健康、若返り、友だちづくりなどの「道具的な価値」もあるにしても、究極的には人は走ること自体のため、つまり走りたくて走るのだと。(ちなみに、道具的な価値があるもの、というか道具的な価値しかない代表的なものは、金銭。これ自体には何の価値もなくて、これを使って何か別のものを手に入れたり、何かをすることができるからこそ、価値がある)内在的な価値をもつ代表的な行為は「遊び」だ。遊びが脳や体の発達に役立つのはたしかだけれど、人間や動物は第一義的には、遊びが楽しいから遊ぶのだから。今ではなんでも、「これをすれば寿命が延びるから」「これは健康によいから」「これはお金になるから」と、何でも何か別のことのために、何かをするようになって、何か別のことのためにならないことには価値がないように考える風潮がある。でも、短い人生だもの、内在的な価値だけのために、つまりそれをすること自体が目的のことをもっともっとすると良いと思う。花を育てる(飾るという目的だけでなく、花の成長を見ているだけで楽しい)、音楽を聞く、楽器を奏でる(別に演奏会に出るためでもなく、人に聞かせるためでもなく、脳のトレーニングのためでもなく、ひたすら自分で弾いて楽しむ)、パン焼き(食べるためよりも、焼きたくて焼く)はわたしにとっての内在的な価値をもつ行為だ。プライベートレッスンの若インストラクターの弟もサルサダンスのインストラクターで、この弟先生からもときどき習うことがある。彼はときどき、タイ、ベトナム、韓国、日本などを半年間ぐらい巡り歩いて、各国でダンスのインストラクターをしている。「どうやって、インストラクターの職を見つけるの?」と聞いたら、ある都市につくと、すぐにサルサが踊れる店に行くのだそう。彼は卓越した踊り手なので、おまけにヨーロッパ人だから目立つので、かならず声をかけられて、個人で、あるいはダンス教室で教えてくれないか、と頼まれるのだそう。そんなこと、ぜんぜん知らなかった。「ヨーロッパ人はアジアではやはり有利なのだ」と彼は言っていた。もうすぐ、この弟インストラクターはアジアに出かけるらしい。もしかして、日本のどこかの町で教えることもあるかも。以前に日本に行ったときには広島や神戸で教えたそうな。
2018/01/16
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1、3キロの牛肉の塊を買ってきた。一応、ビオ、つまりはエコ農業で育てられた牛の肉。脂がまったくない、煮込み用の肉。2リットルの水とローリエ、粒胡椒といしょに火にかけて、煮立ったら、弱火にして1分(たった1分)だけ煮て、火をとめた。すぐに厚いクッションの上に置いて、自作の鍋帽子をかぶせてそのまま放置。肉の存在すら忘れたころ(数時間後、いつでもかまわないの)、帽子をとって、前の作業をくりかえした。これを全部で3回したら、肉がすっかりやわらかくなった。火(つまり電気)を使った時間は、最初に沸騰させるまでの数分と、弱火で煮た1分、次からはふたたび沸騰させるまでに1分もかからないから(鍋帽子をかぶっていたので、まだ熱いまま)、全部合わせても、10分。こうやってゆっくりと、100度以下で肉を煮ると、煮汁、つまりはスープがものすごくおいしい。最後に上の鍋にセロリ、人参、丸のままのジャガイモを入れて、ふたたびふっとうさせ、たった1分だけ弱火で煮て、鍋帽子の下でお休みいただいた。そのまま放置した時間が長過ぎたのか、ジャガイモがこわれそうになるほど柔らかくなった。保温調理は水が多いほど、効果が大きい(これは当然よね。100度に近い温度が長い間たもたれるから)。だから、大きな塊肉の煮込みとかシチュー、あるいはジャガイモなどをゆでるなど、水分をたくさん使う調理に向いている。カボチャは30秒だけ煮立てて、そのまま保温しておけば、1時間もたたない内に柔らかくなった。20年以上前から日本の「はかせ鍋」も持っているのだけれど、わざわざこれを取り出してくるのが面倒で、あまり使わなくなってしまった。保温効果は同じなのだけれど。あるとき、おみかんさんのプログ「いつも食べることばかり」で鍋帽子のすばらしい効果を知って、作ってみる気になった。今、わたしが使っている鍋帽子は、とてもデカイ手製。まず、古いウールのロングスカートを三着、ミニスカートにした(この方が歩きやすい、ダンスをしやすい)。この作業で切り取った布(この内の2枚はフェルトなので、保温には最適)をはいで、鍋帽子の表布にした。裏布は古い木綿のシーツ、表と裏の間には古い厚手のセーターを詰めた(綿の代わり)。こうして出来上がった、分厚くてドデカイ帽子をキッチンの壁にかけておいて、いつでもさっと使えるように待機させる。この帽子は、両手鍋なら、大小どんな鍋にもかぶせられる。片手鍋も小さな鍋ならかぶせられる。鍋を厚いクッションの上に置いて、この帽子をかぶせるだけなので、なんの心構えも準備もいらない。だから、なにかを煮たり茹でたりするときに、さっと使う気になる。ここが、保温調理専用の鍋を使うのとちがうところ。それにしても、鍋帽子の効果がこんなに高いとは、思わなかった。それに、角煮やビーフシチュー、塊肉の煮込みは、ふつうに調理するよりも、保温調理の方がずっと失敗が少ないと思う。
2018/01/09
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