安岡正篤の「一日一言」と言う本をぱらぱらと見ていると、“幸福”という文字が飛び込んできた。
幸福研究家(?)としては通り過ぎるわけには行かない。
よく見ると“幸と福”になっている。
原文を記すと以下の通り。
『「さいわい」にも幸と福と二字ある。学問的に言うと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたに過ぎない幸いを幸という。たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなくうまいめぐりあわせにぶつかったとかいう、これは幸。これはあてにならない。
そうではなくて原因を自分の中に有する、即ち自分の苦心、自分の努力により勝ち得たる幸いを「福」という。ふくという字がそれをよく表しておる。示偏というのは神さまのことだ。示というのは上から光がさしている、神の光、叡智の光を表す。旁は「収穫を積み重ねた」という文字だ。農家でいうならば俵を積み上げるという文字。神の前に蓄積されたるものが「福」である。』
確かに、宝くじに当たった家庭が破綻する例が数あると聞く。
“幸運”は必ずしも“幸福”をもたらさない。
玉の輿が、幸福な選択になるとは限らない。
結果ばかりを求めすぎると、神風を期待してしまう。
人ひとりの人生を構築するのならば、踏むべき手順は負わなければならない。
まさに苦労は買ってでもしろということか。
安岡先生は他の章でも“苦労”と“努力”を推奨する。
幸せを手に入れるためには通らなければならない道だ。
それにはずいぶん過酷な思いをしなければならないのかと言うと、僕はそういうことではないと考える。
嫌な苦労や、辛い努力は避けたっていい。
苦労を楽しむ、努力に喜べる、そういうところを目指せばいい。
そうならなければ続かないし、たどり着けない。
最終的に、平安な毎日に幸福を感じられれば一番いい。
その境地に至るまでが、少々時間が掛かると言うことだ。
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