夕食のとき、高三の息子が買ってきた焼肉弁当を食べ、
「この焼肉うめえ!」
と言った。
すかさず、
「この焼肉がうめえと君が言ったから9月2日は焼肉記念日~」
と言ったら、
「それ、サラダ記念日でしょ」
「あれっ、知ってんだ」
「公文でやったから」
小学生のとき通っていた『公文教室』の教材で、名前だけ知っていたようだ。
公文式は、先生が教えることなく、ひたすらカリキュラムに沿った教材をこなして丸をつけてもらうものだ。
その教材に使われている文章に、優れた名作がある。
できれば練習問題として上っ面をサッと通り過ぎるのでなはく、じっくり全部を読んでくれたら、かなり人生に役立つのにと思っていた。
全然知らないよりは、触れた経験がこんな風に蘇ったりするので良いかもしれないが。
その中に『サラダ記念日』もあったらしい。
でも、本人はそれ以上知らない。
と言うことで、今日紹介する本は、俵万智著『サラダ記念日』と『チョコレート革命』
『サラダ記念日』が出版されたのは、1987年。
俵万智は25歳で、高校の新任国語教師だった。
僕は31歳、結婚後一年で早くも人生にやつれていた。
生活の中から趣味や遊びが滅びつつあった。
「短歌」は、シンガーソングライター(?)の僕としては、遊びで作る程度で、具体的には「年賀状」に数首書いているだけだった。
たぶん毎年恒例で書いていたはずだが、5年前発作的に、自分の蔵書やビデオと共に創作記録も全部捨ててしまったのでほとんど残っていない。
どっちみちたいした作品ではなかった。
たとえばこんなの。
もし俺が 死んだとしても 悲しむな 空涙など 見たくないから
どちらかが 死んだとしたら 喜ぼう どちらにしても 俺は安らぐ
夫婦とは 人を殺して 生きるもの 俺はお前を お前は俺を
たまたま残っていたのがこれ。
夫婦喧嘩をしたときに書いたのだろうか、びっくりするほど酷い。
作品の質も、書き手の人間性も。
そんな中『サラダ記念日』は驚嘆した。
主に大学生時代の恋愛を詠った歌なのだが、新鮮でみずみずしく、眩いほど輝いていた。
もともと、短歌は俳句に比べて、心情を吐露するのに使いやすい形なので、人間を語りたい時はこちらを使うと言う程度の僕の認識だった。
ところが俵万智は、ただ吐き出すだけでなく、この字数の中で、繊細な心理までを美しく描き出していた。
『サラダ記念日』430首の中から、僕のお気に入り10首を無理やり選んでみた。
あくまで今日の選なので、短歌の完成度を問うてるものではない。
『サラダ記念日』
捨てるかもしれぬ写真を何枚も真面目に撮っている九十九里
思い出の一つのようでそのままにしておく麦藁帽子のへこみ
落ちてきた雨をみあげてそのままの形でふいに、唇が欲し
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
吾をさらいエンジンかけた八月の朝をあなたは覚えているか
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
我だけを想う男のつまらなさ知りつつ君にそれを望めり
万智ちゃんがほしいと言われ心だけついていきたい花いちもんめ
明日まで一緒にいたい心だけホームに置いて乗る終電車
「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日
可愛らしい作品ばかりを選んでしまった。
歌集の中にはこの恋の終わり、別れの苦悩の歌もある。
でも光っているのは恋に胸ときめく万智ちゃんで、心の躍動がまぶしいほど伝わってくる。
それが、10年後の1997年発行の『チョコレート革命』になると、万智ちゃんの恋の様相がかなり変わる。
28歳から34歳までの、大人の女に変貌した作品である。
まず、何が違うと言って、こんどの恋の相手が不倫関係なのだ。
著者あとがきにこう記されている-
この歌集のなかの何首かを読んだ友人が、ぽつりと言った。「会いたいときに会えないような、辛い恋をするもんじゃない」。彼は、結婚して二年になる。「でも、会いたくなくても、会えちゃうんでしょ?結婚って」と、私は返した。ついでに、「どっちが、愛を育てるかしら」という強がりも添えて。
青春の輝きいっぱいの『サラダ記念日』も好きだが、僕の今の好みはこちらである。
人は辛い思いを乗り越えて階段を登っていく。
ふわふわ浮いていた感情が、しっかり根を下ろし、大人の目で世の中を、男を切り分けている。
『チョコレート革命』
日曜はお父さんしている君のため晴れてもいいよ三月の空
ベーグルパン置かれる朝の食卓に勝てぬシャンパンをひやしつづける
二回だけベルを鳴らして切りました宙ぶらりんの「おやすみなさい」
逢うたびに抱かれなくてもいいように一緒に暮らしてみたい七月
水蜜桃(すいみつ)の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う
陽に濡れて駅まで歩く吾と君の近づきすぎて遠ざかるもの
きつくきつく我の鋳型をとるように君は最後の抱擁をする
一枚の膜を隔てて愛しあう君の理性をときに寂しむ
「愛は勝つ」と歌う青年 愛と愛とが戦うときはどうなるのだろう
焼肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き
万葉集の昔から、短歌は人の情念を燃え上がらせる。
恋だけが短歌ではないが、やはり恋の歌がわくわくするし、秀逸でもある。
そもそもDNA的には、人生は、恋愛するためにある。
俵万智は、2003年40歳でシングルマザーとして男児を出産する。
ピュアな恋愛を追及すると、こんなこともあるのかと想うのは、思い入れすぎだろうか
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