月光仮面
〈オリジナル歌詞〉
作詩:川内康範 作曲:小川寛興
どこの誰かは知らないけれど
誰もがみんな知っている
月光仮面のおじさんは
正義の味方よ良いひとよ
疾風のように現われて
疾風のように去って行く
月光仮面は誰でしょう
月光仮面は誰でしょう
どこかで不幸に泣く人あれば
かならずともにやって来て
真心こもる愛の歌
しっかりしろよとなぐさめる
誰でも好きになれる人
夢を抱いた月の人
月光仮面は誰でしょう
月光仮面は誰でしょう
どこで生まれて育ってきたか
誰もが知らない謎の人
電光石火のはやわざで
今日も走らすオートバイ
この世の悪に敢然と
戦い挑んで去って行く
月光仮面は誰でしょう
月光仮面は誰でしょう
グループサウンズブームでどっと現われたエレキバンドのひとつ、その風体の汚さから「モップス(ぞうきん)」という名が付けられました。
オリジナルの『月光仮面』を知らない世代には、なんのこっちゃという曲ですが、当時の人はひっくりかえって笑いました。
(オリジナルはこちら http://www.youtube.com/watch?v=tzcYGOGHz3M )
僕はこの時(昭和46年)すでに高校一年になってしまい、同じクラスで同じバトミントン部だった長田君(通称チョータ・現在どこかの校長をしています)がギターひきながらまねして歌っていたのを覚えています。
あの当時は、けっこうみんなギターが弾けました。
長田君はこれをちゃんとブルースで弾いていましたから、すごかったなあ。
この時期、グループサウンズ時代は終焉を告げ、かぶさりながらフォークソングブームがやってきました。
実はその時の橋渡し役としてかかせない存在が、モップスだったのです。
後のニューミュージックに大御所となる、吉田拓郎、井上揚水、荒井(松任谷)由実、小椋佳、忌野清志郎、浜田省吾などはモップスの 星 勝 のアレンジによって、燦然と世に登場するからです。
日本初のアルバムミリオンセラーを達成した井上揚水の伝説の名盤『氷の世界』は、全曲星勝の編曲で、演奏はモップスのメンバーでした(ボーカルの鈴木ヒロミツを除く)。
ボーカルが替わっただけのモップスだと、鈴木ヒロミツが自虐ネタにしていました。
http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/200703160000/
当時のグループサウンズは営業的にはアイドル志向で、海外のロックバンドを念頭にするグループはレコード会社と同調することができず、不遇をかこつことになります。
もっともタイガースにしてもスパイダースにしても、売れる前は皆海外アーチストのコピーバンドであったりして、目指すものと現実に仕事とするものとのギャップに悩まされていました。
モップスは所属のホリプロ堀威夫社長の命名で、"サイケデリックバンド"として売り出されましたが、何がサイケデリックなのか理解されず、活動拠点はジャズ喫茶や米軍キャンプに限定されてしまいます。
(しかし、海外においては評価が高く、後に初期のアルバムが何百ドルものプレミアがつくほどでした)
そんな中で『月光仮面』が深夜放送から火がつき、モップスはコミック系バンドとして知られるに至ります。
この時代は混沌としていて、『帰って来たヨッパライ(フォーク・クルセダーズ)』『ケメコの歌(ザ・ダーツ他)』『受験生ブルース(高石ともや)』など、コミックソング系のものが受け容れられる下地がありました。
またフォークソングのアーチストは必ずコミック系の曲を取り入れたりもしていました。
作詩の川内康範はもちろん『月光仮面』の原作者で、作家であり脚本家であり監督であり作詞家でありました。
生家が日蓮宗の寺ということもあり、ヒーロー番組を作るコンセプトは仏教の「借無上道」-無償の愛こそがこの世で最も尊い-という考えでした。
『月光仮面』のキャッチフレーズも、「憎むな、殺すな、赦しましょう」となっていて、月光仮面は絶対的な力を持つ超人=神仏ではなく、その代行者に過ぎず、悪を懲らしめ善人を助けても、裁くことはしないというものでした。
この性格が日本的仏教的と言われますが、キリスト教的とも言えるのではないでしょうかー「主言いたまう、復讐するは我にあり、我これを報いん。〈ローマ人への手紙・12章12節〉」。
法華経はキリスト教と通じるものがあるのでしょう。
『月光仮面』の後も、川内スーパーマンシリーズは『七色仮面』『アラーの使者』『レインボーマン』と続き、無償の愛精神は、僕の心の成長に大いに影響を与えてくれました。
川内康範は作詞家としても数え切れぬほどの名作を残しています。
『誰よりも君を愛す』『恍惚のブルース』『東京流れ者』『骨まで愛して』『君こそわが命』・・・
特に森進一は公私とも深いつながりを持ち、それ故、『おふくろさん』問題がこじれた時は、関係者がうろたえるほどの尋常でない頑迷さを見せました。
森進一が川内康範作詩の『おふくろさん』の歌いだし部分に、別の作詞家が作ったフレーズ、「いつも、心配ばかりかけて、いけない息子でした」という補詞を、勝手につけて歌っていたのが後にばれて、そのことが川内の逆鱗にふれたという騒動でした。
親子のように可愛がっていた森に裏切られて、憎さ百倍というところだったのでしょうが、詞を変えて歌ったわけではなし、この歌をよりドラマチックにするための装飾であったことは明らかで(補詞を加えたのはショーの構成作家でもありましたし、渡辺プロも了承、作曲の猪俣公章によりメロディも加えられていました)、歌わせないとまで言って怒っているのはそれ以外の理由、人間性の問題が大きかったのでしょう。
この件の後に、『月光仮面』の小説版が再販された時、あのテーマが「憎むな、殺すな、真贋(まこと)糺(ただ)すべし」と変えられていました。
二人は和解することなく、川内康範は2008年死去してしまいました。
川内康範でもうひとつ思い出すのは、昭和59年に起きた「グリコ・森永事件」で犯人である"かい人21面相"に対し、「私財1億2000万円を提供するから、この事件から手を引くように」と週刊誌で呼びかけたことです。
「グリコ森永事件」は昭和の未解決事件で、犯人は捕まっていないのでなんとも言えませんが、江戸川乱歩の『少年探偵団』に登場する"怪人二十面相"を引用して"かい人21面相"としたのは、著作権の問題を気にしたのでしょうか?
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