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ラブラブでいるためには、おままごとも大事ですね。大好きな相手といる時に、ままごと感覚でお付き合いするのは非常に大事だと思います。ままごとをしている時、相手の嫌がることをしようとする子はいません。仲のよい相手と、楽しい時を過ごすというイメージを持って遊びを進めているはずです。小さな子供の時に出来たことを、どうして大人になった今、出来ないことがありましょうか。料理は、たとえ苦手でも自分でしたほうが楽しいです。試行錯誤を重ね、時には自分の親に訊き、できれば配偶者の親に指導してもらうことが出来れば、ラブの周辺環境もよくなっていきます。まだまだ未熟なんだから、失敗して当たり前。怒られて当たり前という謙虚な気持ちでいけば、ままごとのお母さんの腕は上がるし、教える側も他人という気持ちがなくなっていきます。また、相手の気持ちを見極めるのにも、おままごとは有効です。うまく出来なかった料理に対して、相手がどのような反応を示すか。熱意を汲んでくれるか。おいしい!とあからさまな嘘をつくか。あなたのままごと感覚に乗ってきてくれる相手かどうか。結婚生活って、突き詰めていけば、おままごとをずっと続けていくようなものです。生活、とか人生、とか考える前に、おままごとをずっとやっていける相手かどうかをよおく見ておきましょう。つらいことがあったときや、厳しい状況になったとき、そのあたりが分かれ目になります。嫌がりながらもおままごとに付き合ってくれる相手なら、きっと長い間ラブラブ生活を続けていけると思います。あなたの気持ちを尊重する気持ちを持ってくれているわけですから。もしあなたが既に相手との気持ちのつながりを見失いそうになっているなら、一度おままごとのつもりで色々なことをやってみてください。最初に言ったように、ままごとは相手と楽しい時間を過ごすための遊びです。そんな気持ちを取り戻すことで、相手の心だけでなく、あなたの心についた垢や馴れ合いの気持ちを落として、新鮮にお互いを見直すことが出来るかもしれませんから。
January 28, 2005
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仕事をしている人間には、二通りの人間がいる。お金が欲しいから働く人間と、その仕事にやりたいことを見つけて働く人間だ。たとえ自由業だろうとサービス業だろうと、お金が欲しくて働く人間はサラリーマン(給料人間)だ。給料人間は悲しい。働くことの見返りが金だけの彼らは、どれほどの金を手に入れても満足できない。もっと、もっとと欲望だけが先行してしまうからだ。たとえば、自分がやっていることで金を得ていない劇団員などは、他の仕事で稼いだ金をすべて演劇のためにつぎ込んだとしても、常に満足していられる。そこまで行かなくても、やりたい仕事をやっている人間は、報酬が少なくても、自分の行動に満足できる。自分のやりたい仕事をするというのはそういうことだ。セックスを生業とするのも仕事の中の一つである。山田詠美さんの「ひざまずいて足をお舐め」のSM嬢たちも、単に金を得るためだけではなく、そこに来てくれたお客さんに、一番望んでいる形で満足してもらうことを大切にしている。彼女らのやっていることに最も近い仕事を考えると、カウンセラーや命の電話のようなものになるのではないだろうか。もちろん金は大事だが、それだけではない。そういう世界で、金になると思ってそのためだけに入ってくる人間は、いつか破綻する。そういう世界で相手を癒そうという気持ちを持つ人間は、自分自身もどこかに傷を負っていることがある。「娼年」のリョウも、自らの持つ傷のために他人と深く関わることが出来なくなっている。そして、そのことを自分自身が自覚していない。リョウをスカウトした女性は、慎重にリョウの資質を見定める。なぜなら、リョウがこれから触れ合うはずの相手は、自らのすべてを曝け出さないと得られない癒しを求めてきている人たちだからである。肉体の接触は単なる手段の一つであり、もっとも深いコミュニケーションをとる時に、セックスが有効であるから使われるに過ぎない。肉体の接触が目的でない人間もいる。人は、皆それぞれに本当に求めている癒しのカタチを持っているのだ。それは、人間一人一人によってまったく違っている。リョウはそのすべてを受け入れることが出来るほど深い傷を負っているのだ。そしてそれは傷ではあるのだが、とても、とても甘い傷である。リョウはその傷を大事に、自分の中に抱えている。この世で一番大切な宝物として。だからこそ、リョウは、いわゆる普通の世界で完全な否定をされてしまうような想いも受け入れることが出来るのだ。読んでいて、トーンが吉本ばななさんの作品とも通じるものを感じた。人は相手に癒されたいだけではなく、相手を癒すことによってより強い満足感を得ることが出来るという気持ち。人は、相手を慈しみたいのだ。この話を読んで、物語の表層に囚われて、気持ち悪いと読むのをやめてしまう人も多いのではないだろうか。もったいないことである。このお話は、人が本当に満足できるのは、受けることにではなく、与えることによるのだということを考えさせてくれるのである。
January 27, 2005
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パソコンに向かっていて、ふと気づくと、自分が短い時間の間に何回もいつもの巡回ルートをせわしなくクリックしていることに気づいた。こんな短い時間の間に、そんなに更新されるはずもないのに、無意識のうちに巡ってしまうのだ。これはどこか異常だと頭のどこかで警報が鳴る。目的のためにネットに入っていたはずなのに、いつの間にかネットを巡回することが目的のようになっている。昨年末にも、ネットにつなぐ時間がどんどん長くなっている気がして、一度ばっさりと時間を減らしたのだが、ネットサーフィンの時間が減っただけで、やはり創造的でない時間を過ごしていることに気づいた。これでは、特別見たくもないテレビの前にずっと座っているのと変わらない。精神がアイドリング状態で、前に進まないまま燃料を消費しているだけだ。自分の精神をきつく律しているつもりでもこの有様だ。もっとあからさまにものが見えるように、目を開いていかなければならない。今度は、お馴染みのサイトを一巡りしたらネット接続を切ることにした。いちいち面倒だが、そうしないとずるずると時間だけが過ぎてしまい、本当にやりたいことに向ける時間がどんどん減っていってしまう。今のままでは、サイト二つを更新していくのに手一杯で、開いたままで開店休業のサイトが三つもある。このままでは、来てくれる人にも申し訳ないし、わざわざ開設した意味がない。一つ二つは閉鎖することも考えて、一度絞りなおしてみよう。★☆★なぜ何度も行き慣れたサイトを訪れてしまうのか。私は退屈しているのだ。今の状況に。ネットの中を随分と歩き回って、感動の仕方が決まってきてしまったのかもしれない。自分自身で作り出すはずだった感動が後回しになって、誰かが驚かせてくれるのを待っている、そんな状況になってきている。これは、私にとって死ぬより悪いことだ。もっと、もっと前向きに歩いて行かなくては。
January 22, 2005
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今日は出張で品川に行ってきました。品川には久しぶりで行ったのですが、東口の方に出ると、スカイウォークという空中歩道があります。いわゆるペデストリアンデッキです。ここを歩くだけで、地面に下りることなく色々なところへ行けるのですが、どうも変な感じでした。人を上に追いやって、下は自動車が走るようになっているのかと思って下を見ると、そちらも公園仕立てのウォークエリアになっています。ちゃんと設計され、造園もされているのですが、人影がほとんどないのです。季節のせいかとも思いましたが、デッキの上はけっこうな人出なんです。何となくうそ寒いものを感じました。ここを設計した人たちは、どんな人の流れを描いていたのでしょうか。何となく、最初から人の不在を前提にしたデザインだったような気がします。人は上から、綺麗に整えられたグリーンエリアを眺めて通り過ぎるだけ。それとも、はなから地面とデッキのデザインは別々に考えられていたのでしょうか。いずれにしても、人が不在の環境設計のような気がして、あまり馴染むことが出来ませんでした。
January 21, 2005
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子供に読ませようと思って引っ張り出してきた、岩波文庫の愛の妖精 (プチット・ファデット)。ちょっと読み返してみたら、面白くなって一気に最後まで読んでしまいました。気がついたら、いろいろ仕掛けてきていた奥様はぐっすりと寝てしまっていました。うーむ、可哀想なことをした...ジョルジュ・サンドの書いたこの作品は、教養小説の趣きもある、ある意味ではとてもいい子のお話です。でも、教養小説と聞いてひかないで下さい、面白いんですから。頭が切れるわけでもなく、なかなか他人を認められない人々は、絵空事と違うリアリティをこの作品に与えているし、その人々の心を溶かすためには、それなりに大変な苦労が必要です。お金の力が大きすぎず、小さすぎず、人々に影響を与えるあたりも、お金の本来持つ力と、それに流されない人間の強さも感じられて、綺麗事だけで飾られていない、地に足のついたお話になっています。まあ、十分に消化できていない話はこれくらいにして、とにかく主役の女の子、これがファデットなんですが、これが純粋でいじらしくて、可愛い! 美人ではないというような描写もありますが、新選組!の近藤さんの奥さんがとても可愛らしかったのと同じように可愛いのではないかと思います。改めて読んでみて、やはりこれは中学生、高校生の頃に読んでおくべき本だと思いました。読んでてよかった(^_^)v女性は必読。さらに、女性をありのままに愛したい男性も、読むべき本です。ちなみに、作者のジョルジュ・サンドはショパンの年上の恋人であり、男装の麗人として知られています。すごくゴージャスな感じですが、その人がこんな作品を書くというのが、フランス人の奥の深さを感じさせられて素敵ですね。まあ、騙されたと思って読んでみてください。癒されますから。岩波文庫だから、売れなくても絶版にはなりません。だから岩波っていいんだよな~。
January 17, 2005
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今日は久しぶりにタブレットを使ってイラストを描いてみました。描いたものの一部をトップページに載せてみましたが、これで少しは地味だった入り口も派手になったような。全体はHP「微量毒素」のほうにUPしてあります。興味のある向きは覗いてみてください。絵を描く気になったのは、ブログで覗いてみた皆さんのイラストを見たからです。みんなが一所懸命描いている気迫が伝わってきて、創作意欲を刺激されました。これから、もっともっと描いていきたいと思います。また皆さんのブログを覗いて、描きたいという気持ちの燃料を補給させてもらおうと思っておりますので、よろしくお願いします。
January 16, 2005
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1月14日、本日を以って、入社以来ずっと世話をしてきたメインフレームコンピュータのコンピュータルームを閉めてきました。システム自体は一部機能を残して一昨年にはほぼ休止状態になってはいたのですが、解体・搬出と残材の整理が今日で終わったのです。システムを使っていた人間もどんどん別の仕事に移り、私もここ2年は別の仕事がメインだったのですが、結局、後始末までやることになりました。ずいぶんと貧乏くじを引かされたことになりますが、どうせやるなら徹底的に、ということで、小さなゴミまですべて処分してきました。数億円の機械ですが、8トントラック数台に積み込んで、そのまま処分場に直行するとのことでした。30年以上進化しながら使われてきたので、本体だけでなく、昔使っていたような部品だの、置き場所がないからここに置かれたような得体の知れないものが山ほど出てきました。要不要を判断しようにも判断できる人間も引退したり、まったく違う部署に行っていて手を出したがらなかったりで、しかたなく生殺与奪権をくれるという条件で、ばっさりと斬りまくってきました。よくある話ですが、捨てた後になってようやくのこのこと顔を出して、「あれ捨てちゃったの」なんてのたまう御仁もいて、よほどそのまま百烈斬の餌食にしてやろうかと思いましたが、根は温厚な私のこと、「2ヶ月前に通知を出した時に来てくれれば、大事にとっておいたんですがね」と愛想を振りまいておきました。まあ、とにかく一つの時代が終わる時は、それどころではなく色々なことがありました。とりあえず、私の手で完璧に葬り去ることが出来たので、良しとします。もちろん、最後まで旧システムに関わってしまったということは、これからのキャリアにプラスに働くことはありません。先行きも不安なのですが、とりあえず今できるのは、自分の腕を磨いていくことだけです。ま、何はともあれ、旧電脳社会を支えてきた巨人の去り行く姿に敬意を表し、哀悼の念を以って送りたいと思います。合掌。
January 14, 2005
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やっぱり恋人がいないと寂しいという気持ちからか、みなさん恋人探し及び維持に血道をあげておられますが、本当に一所懸命探さなければならないのは友人、といえる人たちではないでしょうか。私もやはり恋人探しを第一義としてきたのですが、最近どうもアプローチを間違ったのではないかという気がしています。おかげさまで、恋人といえる人たちとも出会え、色々な恋愛模様を描いてくることが出来ました。もちろん、それはそれなりに楽しかったのですが。私は恋人にしたいと思う相手は、お顔が優れている人や、お身体の優れている方という基準より、一緒にいて楽しい人、同じような価値観を分かち合える人という基準を重要視していたようです。「ようです」というのは、その渦中では、自分自身をそこまで分析している余裕などなかったからです。これは誰でもそうですよね。で、この基準をよく考えてみると、どうもこれは友人を選ぶ時の基準と同じなのではないか、などと思うわけであります。友人は、一緒にいて楽しい人、同じような価値観を分かち合える人で選びますよね。実際にそのような基準で選んできた結果、私は振られた相手とも、振った相手とも、そこで終わりということでなく、友達付き合いをしています。やはり、一緒に突っ込んだ話が出来る相手を求めていたということですね。恋人としての相手に付随する諸々のことは、もちろん大事ですが、二義的なものであったということです。その渦中の頃は、その付随する諸々の部分がクローズアップされて、それが第一義だと思っていたのですが、目新しいことは慣れれば飽きます。その後も関係を続けていくためには、異性要素よりも、友人要素のほうが大事だった、ということだったのではないかと、今更ながらに感じています。恋人作りには努力を惜しまず、多大な労力を注ぎ込んできた私ですが、友人作りにはまったく努力をしてきませんでした。それでも、数人は友人といえる相手がおります。数年間音信不通でも、会えばすぐに昔のように素を晒すことの出来るような友人たちです。今、冷静に考えると、その人間たちは、恋人よりもずっと私にとって大切なのかもしません。あ、いや、もちろん、恋人もとても大事なんです。でも、友人を作るのは、恋人を作るよりもはるかに難しい、ということを、今更ながらに感じているのです。社会人になると、なかなか本当の友人は出来ません。交友関係に、必ず利害関係が絡んでくるからです。会社の友人というのは、よほどのことがない限り、あなたが会社を離れた時点で関係が切れてしまいます。人生80年として、長くてその4分の1の、モラトリアムで交友に利害の絡まない時期に得た友人が、その後の一生を支えてくれることになります。極端な話、恋人は60歳でも70歳でも作れますが、友人は難しいです。表面だけの付き合いの茶飲み友だちならいざ知らず、自分のすべてをさらけ出せるような友人は、若いうちにしか作れません。だからといって、友人は恋人と違って努力したから作れるというものではありません。だからこそ、友人は大事なんです。恋人を作るのも大事ですが、友人を作るのも大事です。もちろん、ここで言っている友人は表面だけの付き合いの友人ではありませんよ。あなたが付き合っている恋人について、無神経や妬みからではなく、あなたがむかつくような率直な感想を言ってくれる友人がいれば、同性・異性を問わず大事にするべきです。その友人は、あなたの人生を、ひょっとしたら恋人がしてくれるより、素晴らしいものにしてくれるかもしれませんから。
January 13, 2005
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ほんとうにしばらくぶりにタブレットをつないだ。久しぶりに予定のない時間が多く取れたことと、GIFアニメを作っている友人のサイトを訪れて、見ているうちに虫を起こされたためである。GIFアニメをいくつか試作してみたが、やっぱりじっくりと取り組まないといけない。これから取り組んでみるつもりである。GIFアニメで疲れたので、イラストにも取り組んでみた。イメージを絵にするのは難しいが、楽しい。なるべく時間をとって、取り組んでいきたい。
January 10, 2005
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うちって夫婦なんだけど、ラブラブなんだろうか。知り合いは皆、仲がよくて羨ましいという。今、相手役に訊いたら、「ラブラブだよ。そうじゃない?」と返された。さて。今、私はこの相手と一緒にいられて幸せである。これは間違いがない。しかし、どうして相手役は幸せだと思えるのだろう。私は、理性が勝っているタイプである。しかも、現実世界に理想論を持ってきて、適用することが十分に可能だと思うタイプである。だから、要求水準は高い。かなり、高い。自分自身にも、とても優れたところがあると思っている。そして、とても駄目な面があることも認識している。その駄目な面を引き上げてくれるような相手がパートナーとして理想的であるとも思っている。そのくせ、駄目な面を指摘されると、怒り出す。手に負えない人間である。こんな人間とつき合うのは、実際ものすごく神経を使う、気骨が折れることだと思う。自分自身が自分の相手役になったと想像したら、1週間(それでも1週間は我慢して)経ったら、自分が半年は立ち直れないような悪口雑言を叩きつけて去るであろう。慎重にシミュレーションした結果だから、たぶん間違いない。その時自分で自分自身に対して考えた悪口で、1週間は気分が悪かった。実際、全人格を否定するような言葉を何度も受けながら、相手役は私と一緒にいる。理想を追求するので、歯に衣など着せることなく、苛烈な言葉を相手にぶちまける。相手役はかなりきつい思いをしていると思う。結婚する前から容赦をするようなことなく、毒舌というより呪いに近い言葉を浴びせてきていながら、なぜ結婚までたどりつき、今も「ラブラブだ」と言い切れるのだろうか。今回は、私自身大きなミステリーだと思っているこの部分を追求してみた。以下は相手役へのインタビューである。香林・劉(以下、劉);私はかなりきついことを言って、あなたは何度も再起不能になっていますね。相手役(以下、相);はい。劉;そのような目に遭わされながら、なぜあなたは現在の環境に甘んじているのでしょう。考え直す機会は幾度もあったはずです。相;そうですね。でも、今振り返ってみても、やはり同じ道を歩いたと思います。劉;それは、私がとても魅力に溢れているからでしょうか?相;いいえ。劉;......そうですか......では、なぜ?相;あなたは振幅が激しい。そばにいる者にとって、それはとても大変です。劉;そうかもしれません。では、尚更わかりません。なぜ現状に甘んじておられるのですか? あなたは男に寄生して、その利権を離したがらないようなタイプではない。チャンスはあったはずです。相;それは、その振れの中のどの部分においても、あなたが常に真実を語っているからです。それがわかるから、私は現在の生活がこの上なくよいものだと感じられるのです。子供たちもそれは同様です。恐れ敬いながらも、子供たちはあなたを信頼しています。それと同じように、私は現在の立場で安心していられるのです。劉;ええと...ブログを読む人は、この辺りで鼻を鳴らして立ち去ってしまうのでは...相;そうかもしれませんね。でも、話を続けましょう。偽りがないと信じ切ることが出来るというのは、生活をしていく上でいちばん大切なことです。なぜなら、疑うことで生まれる、負へ向かう力をまったく使わなくていいからです。あなたが私を批判した時、私はそれを受け入れられます。それが真実であると認められるから。あなたが私を褒めた時、私はそれをすべて正の力として自分に取り入れることが出来ます。あなたは嘘を言わないから。すべてを清算したとき、あなたといることで私が得られるのは、大きく正の方向に傾いているからです。劉;ええと...惚気るためにこの話を始めたわけではないのですが...相;あら、惚気るわよ。栗山千明の写真集を私に買わせるあなたですもの。面倒くさがりだからしないと思うけど、浮気をしたら、あなたは間違いなく私に自慢するでしょ。劉;そ、それは...そうかもしれない...相;あなたは嘘をつけない。それが私にとって、どれほど精神的に安心できることか。私はあなたに関して、何の防波堤も作る必要がない。あなたのつくる波は、私を正しいところで優しく揺すってくれるの。その波の下にサメの影はない。それで私がどれほど精神的に助けられているかわかる?劉;わかりません...相;とにかく、そういうことです。後ろに、これだけ安定したバックボーンが控えていれば、私は世間に立ち向かうのに何の不安もない。子供たちも一緒です。だから、私はあなたと一緒になってよかったと思っているんです。劉;それは私を庇護者になぞらえているってことですね。あなたはファザコンの気があるのでは...相;そうね。私にとって、あなたは実の両親より頼りになっています。そういう意味では、ファザコンと言ってもいいのかもしれない。でも、私の立場から言わせてもらえば、そんなことはありません。劉;き、今日はやけに強気だな...相;あなたがふったお題なんだから、最後まで付き合いなさいよ。私があなたに全幅の信頼を置いていられるっていうのが一番大きい要因です。次に、あなたは私と真面目に話をしてくれる。難しい話から、バカ話、艶っぽい話まで、結婚前と変わらず、話し込むことが出来る。他所では会話がないところも多いって聞くけど、だとしたら二人だけの時間は寂しいでしょうね。それにあなたは褒めるのがすごくうまいし。褒められた言葉に実がこもっているから、素直に喜べる。私の足...(以下略)少し話が艶っぽい方向に偏向し過ぎたので、ここで収録を中止します。艶っぽい話は、また別の機会に。正直、ここまで惚気られるとは思いませんでした。自分を見直してしまいました、なんて。ちょっと困っております。これからどんな顔をして相手役の顔を見ればいいんだか。こんなわけなんですが、ラブラブの秘訣、少しは参考になりましたでしょうか。もうちょっとシビアできつい話になると思って選んだのですが、ちょっと失敗です。またの機会に、もう少しシビアに突っ込んでみたいと思います。しかし、ここまで惚気話になってしまうとは(~_~;)...皆様、どうも申し訳ありませんでした。
January 9, 2005
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もう何がなんだかわからない番組になってますね、この番組。それでも、ヌッツォさんが出た時は上の子と真剣に聴きました。な、なつかしー。真剣に見ている我々を、弟がしばらく不思議そうに見て、訊いてきました。「なんなの、この歌」「いや、大河ドラマの新選組!のテーマだよ...」「ふーん」しばらくして、また弟が訊いてきました。「これ、ヌヌヌヌーしか歌詞ないの?」「いや、歌もあるよ。もっと後ろで」「ふーん」しばらくして、また弟が...「今度はずっとララララーだけど」「あ、ああ、もうちょっとかな」「ふーん」親しき~友はいずこに~ああ、ようやく歌詞が...「ほら」「うん」子供と顔を見合わせ、釈然としない風の弟を置き去りにして、見続けた者にしかわからない感動を分かち合いました。奥は10人分の食事の片付け中で、後で悔しがっていました。でも、何にも出ませんでしたね、出演者も、映像も何も。そういうのが出れば、弟も少しは納得してくれただろうに。ちょっと残念でした。まあ、局長は裏で頑張っているから無理だったろうけれど。
January 2, 2005
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今年の正月はとても寒い...ずっと暖かかったからそう感じるのかもしれませんが。日が照ってくると、けっこう暖かくなりました。それにしても、ネットに入れないでいると、一日がすごく長くなったように感じます。ネット依存症でしょうか。それはそれでまったりとしているのですが。
January 1, 2005
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