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2月ももう終わりです。さすがに一年で一番短い月らしく、あっという間に終わってしまった感じがしますが、気のせいですね。さて、今日はセックスと色恋について。色恋とセックスは不可分のもののように言われることが多いですが、それは間違いです。両者には何の関連もありません。好きあっているはずの相手が、好きなんだからセックスをさせろと言ってきて、納得してセックスしてしまっているあなた、本当にあなたはしたいんですか?偶然一緒に帰る羽目になった相手と、成り行きでセックスしてしまい、なついてきた相手を見て、ひょっとして俺はこいつのこと好きやったんかな、などと思っているあなた、あなたはその人を好きでもなんでもないんです。セックスは、スポーツや趣味娯楽の一つであり、それで色恋の感情がどうこうなることはありません。もちろん、嫌な相手とはしたくないし、スポーツとは違うだろうと思われる気持ちはわかります。でも、スポーツだって嫌な相手とはしたくないんじゃありませんか?それに対して、色恋は嫌な相手との間にも起きてしまいます。ああいうタイプ、絶対嫌なんだと思っている相手に、いつの間にかものすごい執着を覚えたりしてしまいます。ま、それはさておき。色恋は、セックスと関係なく、いや、むしろセックスと離れたところで強く動きます。身体の関係までいった相手より、キスまでしか出来なかった相手のほうが強く心に残ります。あるいは、手も握れなかった相手のほうが。本当に好きな相手には、自分の身体を見られるのにも、赤の他人に見られるよりも強い羞恥心が起こります。本当に好きな相手とベッドインして、一回目からうまく出来る人間はなかなかいません。つまり、本当のところ、色恋はセックスと関連がないどころか、相反する関係にあるんです。だから、好きだからセックスさせろと言ってくる相手は、実はあなた自身に深い関心があるのではなく、むしろ深い関心がないから求めてきているということになりますね。そんなことをいう相手とは、早々に別れてしまいましょう。さもないと、満たされることのない結婚をして、フリンだのなんだのと、ありもしない恋もどきを求めて彷徨う愛情乞食になってしまいますから。
February 28, 2005
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今日も岡田淳さんのお話です。読んでいて、途中で鳥肌が立ちました。怖い、こわいお話です。この本は子供が読む本です。読んで救われる子供も多いと思います。でも、この本は子育てをしている親たちにも、ぜひ読んでいただきたい本です。子供は、その子が愚図でも、せっかちでも、呑み込みがよくても、じっくり自分で考えるタイプでも、一人一人がみんな精一杯に頑張っているんです。それをこちらの都合でレッテルを貼って、仕分け済みにしてしまうのは、とても怖いことです。それぞれの面すべてに光と陰の面があります。陰の面を見るのではなく、光の面を見てあげられるようにすることが、子供の長所を最大限に伸ばしてあげるということにつながるのです。綺麗は汚い、きたないはきれい。追いつめられている子供はけっこう多いんです。騒がしい子も、おとなしい子も、大人が思っている以上に傷つき、重荷を抱えています。一つの物事を一面だけから判断せずに、「いいところ」を見てあげるようにしましょう。いいところを見てあげて、口に出してあげると、子供の顔がぱっと明るくなるのがわかります。その顔を見て、一番癒されるのは、褒めてあげたあなた自身なんです。※「もうひとりのぼくも、ぼく」は、楽天ブックスにもあります。最初は本の感想のつもりでしたが、この本はむしろ子育てで悩んでいる方に見てもらうべきだと思い、テーマを変更しました。ぜひお子さんと一緒に読んでみてください。岡田淳さんの本は図書館にもたくさん置いてあると思います。どの本も、安心して子供に与えられます(私はほとんど読んでいます)。
February 26, 2005
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今日は児童文学です。子供が岡田淳さんにはまっていて、クリスマスも誕生日もとにかくこの人の本が欲しいということで、こそあどの森シリーズを始めとして、もう15冊も子供部屋の本棚に納まっています。それでも足りずに図書館から借りてきたのがこの「2分間の冒険」です。子供が読み終わった後に又借りをして読ませてもらいました。導入部で、悟はいきなり思いもしない世界に放り込まれてしまいます。この部分は、実は子供の遊びの始まりによく似ています。誰かが唱えた言葉で、いつもの校庭が海になったり砂漠になったりするというのは、誰もが子供の頃体験したことではないでしょうか。ごく自然な入り口が用意されていて、子供はすっと異世界への扉をくぐります。森の中を彷徨うシーンで、子供向けの本ではなかなか描かれることのない不快さや、嫌な思いをきちんと描いています。そのため、実際に森の中を歩いているような気分になってきます。このあたりで、子供たちは世界に引きこまれていくのでしょう。怖ろしい存在であるはずの竜に子供たちは圧倒されますが、子供たちの柔軟な心は、そのかないそうにもない敵を倒す方法を考え出します。しかし、その竜も決して倒されるべきものではありませんでした。ここで子供たちは、先入観がいかに人間の目を曇らせているか、何が真実かを判断することの難しさを、100の言葉で教え込まれるよりもしっかりと、受け取ることができるでしょう。そして、大事な仲間よりも何よりも、まず自分自身の存在が確かなものであると知ることで、初めて他者に対することができるということを知っていきます。岡田淳という人は、子供たちを信頼しています。表面がどうであれ、どんな問題行動をしていたとしても、それはその子自身のせいではなく、その子の中にある、そうせざるを得ない事情というものを、一所懸命探しています。そして、岡田さんが見つけた子供たちそれぞれの事情は、優しく紐解かれ、一人で戦い続けている子供たちの魂を救ってくれるのです。
February 25, 2005
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【楽天ブックス】妖女またも出ました、異形コレクション。毀誉褒貶はいろいろありますが、面白い本を探して回る身にはとても嬉しいアンソロジーです。私の場合、気に入った執筆者がいると、その人の本を追っかけて読むので、アンソロジー形式は感覚の合う執筆者を見つけるのに、とても具合がいいんです。実際には、なかなかこれという人とは出会えないのですが、それでも色々な感覚に触れられるのは楽しいので、出ると大抵すぐに買っています。それでは、せっかくですから全作品について感想をば。海と雨と「理解者」(三川祐)…コレクターに必要なものは完璧な収集物だけではない、ということ。最後の礼拝(福沢徹三)…世の中の夫婦、実はけっこうな部分、このような関係なのかもしれないと思わせられます。嫌ならさっさと別れればいいのに、というのはまだまだ甘いと。まあこ(冲方丁)…世の中にこの手の趣味は多いと聞くし、ネットでもよく見かけるが...実はけっこう古典的なお話です。秘密(小沢章友)…なるほど、と、そこまで書いていいのか、です。ものを創作する人間には、現実と区別のつかない白昼夢を追う人間が多いのです。フニクラ(奥田哲也)…かなり好きです。違法すれすれで金を稼ぐ人間外のものを見せるポン引きを描いているように見えて、いつの間にか正統な宗教体験につながっていきます。神は死んでなどおらず、ただ人がアクセス方法を間違えているだけだということを示唆してくれます。十九番目の聖痕(小中千昭)…最後の3行でやられた、と思いました。拾った女(大石圭)…体温の感じられない現代の人たちには、こういう感覚もありかな、と。アイドル(大槻ケンヂ)…大槻さんはリンウッドテラスやオモイデ教の頃から大好きです。閉塞された世界と、それを破壊するための爆弾。どうしようもない少年期のイライラを、視覚化して目の前に拡げてくれます。このアイドルというお話も、ともすればふらついてしまう非常にあやうい部分を、とても堅固な視点でしっかりとお話に繋ぎ止めています。余所の人(早見裕司)…追いつめられている時は堅固だった信じる心が、俗世間の埃の中で次第に綻びていく時、その人の本当の姿が出てくる。信仰を失った神は、もう滅びるしかない。右時、三たび負心して活捉せらるること(立原透耶)…馬鹿だとは思うが納得させられてしまう。奇跡の少女(新津きよみ)…善意の気持ちはなまじな悪意より怖いね。通り魔の夜(中井紀夫)…これは妖女ではないでしょう。時の通い路(速瀬れい)…極限の生死が当たり前だった時代の、優しいお話。I see nobody on the road(石神茉莉)…子供の頃に知っていた魔除けのおまじないを今でも覚えていますか? 人外の存在の違和感がとてもうまく表現されています。木曽の褥(朝松健)…異形シリーズではお馴染みの一休さん。はり姫様は妖女の王女様クラスですね。二流(菊地秀行)…菊池さんは本当に達者だなあ。あの方をネタにして、しかもここまで引き下ろして。でも、私もそんな気がします。出てくる女性は妖女としては一流ですが、目指した道で上の人間には位負けするというのが面白い理です。闇の種族(井上雅彦)…井上さんの得意なカタログ型の構成による妖魔です。ディレッタント趣味の方にはたまらないでしょう。ですが、主役は妖女ではないんです。墨円(加門七海)…愛情は、それを注ぐ対象の周囲のものから見れば異形にも見えましょう。でも、どんなに歪でも、愛情は愛情です。梅雨明け鴉(中尾寛) …これは、好きです。妖女というには哀し過ぎる妖女。最後の一言が...できれば世界中の子供たちを幸せにしてあげたいです。...さすがに、これだけの感想を書くのは大変です。ネタばれしないように書いたつもりなので、ぜひ原本に当たってみてください。この本の一番の問題点は、立てても自立する厚さです。電車で立ったまま片手で支えて読むのには、ちょっとつらいところ。まあ、その分長く楽しめるということなんですけれども。
February 24, 2005
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この本は「幸運の25セント硬貨」の血を分けた兄弟です。親本が「Everything's Eventual : 14 Dark Tales」で、二分冊にされた兄に当たるのが本書です。兄が後になったのは、ただ単に手に取ったのが後だったからです。内容は6つの中短編です。「幸運の25セント硬貨」でも感じたのですが、キングの短編集は本歌取りが多い!本歌取り自体は悪いことではないのですが、本家より面白くないものが多くて。それでは、ネタばれにならない程度に各短編の感想を。第四解剖室…下ネタ!黒いスーツの男…これは、ちょっといい。たいていの人は、子供の頃にこういう経験をしています。 ...いますよね? いますよ、絶対。忘れてるだけで。愛するものはぜんぶさらいとられる…落としどころがわからない。思いつきで書いた?ジャック・ハミルトンの死…客観的に見ると、どうってことはないのかもしれませんが、個人的には一番好きです。「痩せゆく男」で、キングの描くこの手の男性キャラクターにやられてしまいまして、それ以来、この手のキャラクターには無条件に感情移入してしまうんです。お話については、結局人にとっては、金だの名誉だのなんかより、自分を本当に理解してくれる相手といる時間が、墓場まで持っていく一番大切なものなんだということを強く感じさせてくれる、いいお話です。死の部屋にて…無理。エルーリアの修道女<暗黒の塔>外伝…なかなかに面白い。この人は人外のものを描写させると、本当にうまいです。そういえば、暗黒の塔シリーズも途中で買うのをやめているなあ...買ってみようかな。この短編集の中でいちばん面白かったのは、序文のキングのセリフです。この短編集は成功したのですが、キング自身は、売れ行きなどどうでもよかったと言っているんです。キング自身が本当に知りたかったのは、この中のお話を読んで、読んでいる人がどんな風に背筋を凍らせられたか、あるいは思わず後ろを振り返ったりしたかということだと。これを聞くと、キングは本当に物語ることが好きなのだという事がわかります。キングのワードプロセッサーに向けて話を創りあげている視線の先には、夜中に一人きりでこの本を読んでいるあなたの姿があるということです。キングは、常にそのあなたに向けてメッセージを送っているんです。「どう? 怖いだろ? ねえ、大丈夫? もっと怖くなるからね」キングの作品が面白いのは、作品に向けるエネルギーが、お金のために書く作家がつぎ込むものの数千倍だからです。そんなことが出来るのは、キングが自分の紡ぐお話を、真剣な目をして聞いてくれるあなたが大好きだからです。だからこそ、お話のいくつかが「???」というものであっても、ファンはキングの次の作品を心待ちにすることが出来るんです。愛してくれるものを憎むのは難しいですから。もちろん、こんなことばが負け惜しみに聞こえないのは、キングが大成功しているからです。いやみに聞こえないのは、キングの人柄によるものです。キングの作品は、ただ怖がらせるだけのものではありません。騙されたと思って読んでみてください。お勧めは、「痩せゆく男」、「死のロング・ウォーク(ちょっと前に話題になったバトル・ロワイヤルの元ネタです)」、「スタンド・バイ・ミー」などがとっつきやすいでしょう。他にもたくさん面白いものがあるので、キングはまた取り上げて行きます。面白いんですよ、ほんと。
February 23, 2005
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最近あまり面白くないキングですが、本屋によって新刊が出ていると、ついつい買ってしまいます。この本はもともと一冊だったものを二分冊にしたものです。幸運の25セント硬貨は、その2冊目になります。読んでいる間、ずっと眉間にしわを寄せていたような気がします。キングの書く話は、生活の嫌な面をこれでもかと押し付けてくるので、元気がないと読むのがつらいかも。でも、ただ嫌な思いをさせるだけでなく、色々と考えさせてくれるのがキングのいいところです。嫌な面は裏返せば素敵な面になりますから。だからこそ、ついつい手を出してしまうのかもしれません。さて、内容について。7つの中短編が入っています。内容は...トウモロコシ畑の子供たちとか、あの手のキングの所期短編集を読んだことのある人なら、だいたい雰囲気がつかめると思います。ただ、超常世界ネタの比率が半分くらいになっています。私自身も、無駄に超常現象をかますより、現実の世界で書ききったほうが本当に怖いホラーになると思っているので、キングのこの姿勢には賛意を覚えます。短編ですから、感想はネタばれに直結してしまいますので、あまり書けませんが、けっこうキング自身の持ちネタのリフレインも多かったかな。もちろん、面白く仕上げているし、キングの作品をそれほど読んでいなければ、新鮮な迫力が感じられるでしょう。でもね、ちょっと。個人的に面白かったのは「ゴーサム・カフェで昼食を」。ホラー部分もすごかったけど、男女間の理解しあえない溝を、不可解なまま残してくれていたので、引っかかりました。ひょっとしたら書ききれなかっただけなのかもしれませんが、違和感を感じさせてくれたので、印象に残りました。
February 22, 2005
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子供の頃、聞かされるおとぎ話のラストでもっとも多いパターンが、「そうしてお姫様は王子様と結婚して、末永く幸せに暮らしましたとさ」子供のころからこれでもかと刷り込まれるこの概念は本当に正しいんでしょうか?女の幸せは結婚と言いますが、現在未婚の適齢期プラスマイナス20年くらいの人たちはどう考えているんでしょうか。けっこう懐疑的に捉えている人も多いんでしょうね。少なくとも私の周りでパワフルに生きている方々、特に女性陣は、懐疑的な方、多いです。男性は、未婚を楽しんでいるというより、面倒だからしないという、消極的かつ非建設的な理由が多いですね。女性は、結婚をすることが自分にとって本当にプラスになるのかという目で見ている人が多いです。果たして、結婚は本当に素晴らしいことなんでしょうか。結婚しないことによる様々な束縛からの自由に訣別してまでする必要があるんでしょうか。お答えしましょう。結婚は素晴らしいものです。ちょっと違うな。本当に一緒にいたいと思える相手、もしくは出来るだけ多くの時間、一緒に過ごしたいと思える相手と一緒にいるために、法律の解釈によって婚姻、もしくは養子縁組による絆を結ぶことは、とても素晴らしいことです。いちいち電話をかけたり、都合を調整しあったりしなくても、いつも一緒にいて、法律的に問題ないし、誰にも変な目で見られることがない。話をするために場所を選んだりしなくてもいいし(まあ、それも楽しいんだけど)、相手の中にある自分への気持ちを確かめるために、空いているゆっくりと時間を過ごせる場所を探し回る必要もない。疲れて自分が帰る場所に相手がいるか、相手も帰ってくるんです。こんないいことはありませんよね。しかし、にも拘わらず。現在、何より、既婚の方々の、かなりの割合の方が結婚というものについて、否定的な考え方をしています。公の場での意見表明などもかなりされています(テレビその他のことです)。そういうものを見ていれば、未婚の方々がその素晴らしさに懐疑的になるのも無理はないのですが。でも、違うんです。一緒にいたい相手といる時間は、長ければ長いほどいいのではないですか? だとすれば、社会的に認められる結婚という方策は悪いものではないはずなんです。ではなぜ、よくないという方々が多いのか。それは簡単な理由です。その人は、ずっと一緒にいたいという相手を選ばなかったのです。無知、あるいは強欲によって。無知はわかりますよね。相手を見る目を養うことが出来ず、自分に合う相手を選べなかった心の幼さ。もしくは選んだ相手のよさをちゃんと見出して、相手の嫌な部分を帳消しにする寛容の不足。どんな人間にだって欠点はあり、いいところがあります。ないものねだりは不幸への最短経路です。一緒に暮らしているうちに、相手のよさを見る目をなくしてしまった方々をたくさん見ます。でも、他人が言ってもわからないんです。自分自身の、心の持ち方の問題ですから。強欲は、自分の責任だから、不幸になって当たり前。自分にとって本当に必要なものが何かに気づくことが出来ず、世間的に望ましいとされている無責任な意見に流されて相手を決めてしまった場合。お金があれば...とか、顔がよければ...なんて考えていると、絶対後悔します。その代わりに捧げなければいけないのは、あなたの魂です。結婚が不幸なのは、相手のせいでも他の誰のせいでもありません。不幸だと思っているその人自身が、するべきことをしなかった、もしくはしていないからです。だから、結婚したいと思ったら、迷うことはありません。まっすぐに進むべきです。幸せの種類はいろいろあります。自分自身が欲しい幸せをちゃんと見極めてさえいれば、絶対に幸せになれます。極端な例ですが、相手を信じて結婚詐欺に引っかかった人の大半は、詐欺だとわかった後も、自分の被害よりも詐欺犯のことを心配しています。彼(女)らは、幸せなんです。王子様とお姫様は、末永く幸せに暮らします。それは、巡り合うべき二人が巡り合ったからなんです。結婚というシステムに乗っかったからではありません。ここを勘違いしている人が多いので、不幸自慢が始まるんでしょうね。ここで、女性限定で本当に幸せな結婚をするためのチェックポイントを一つお教えしましょう。あなたは結婚に伴う諸々のイベント(結婚披露宴とか、新婚旅行とか)を一切しなくても、その人と結婚したいですか。友人たちに隠したままで一緒になれますか。結婚した後で、自分の回りの人に冷静に報告できますか。自分の心に聞いてみて、何の問題もないという言葉が帰ってくれば、あなたはきっと幸せになれるでしょう。そうであると言い切れるなら、結婚するべきです。もちろん、それがわかってさえいれば、どれほど派手なイベントをしても、全然問題ありません。しなければ幸せになれるということではないのですから。おしあわせに。いつまでも末永く、幸せに暮らしてください。
February 12, 2005
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今日は建国記念日で、祝日ですが、お仕事がありました。休日ダイヤなので、いつも乗る電車より早く出なければならなりませんでした。時間が心配だったので少し早めに出たら、道路はがら空き。そりゃそうやな、お休みの日の朝早くだし。結局かなり早く駅についてしまいました。もう電車は駅に入っており(始発なんです)、寒い中待つ必要はなかったと、ほっとして駅の構内に入るとどうも様子がおかしい。乗る電車は一番線なのに、次の発車の表示が4番線?そうです、早く着き過ぎて、一つ前の電車に間に合ってしまったんです。せっかくだから階段を駆け上って、その電車に乗りました。うちの会社は早く着いても時間カウントできるので、ある意味ラッキーでした。意外だったのは、休日なのにけっこう電車に人が入ったこと。けっこう早い時間だったので、ちょっと不思議でした。人の様子も行楽ではないし、通勤でもない。年齢層は、いつもの時間帯より少し上下に振れていました。ちょっと年配の方と、ちょっと若い方々。皆さん、いったいどこに向かわれていたんでしょうか。ショッピングにしても早すぎるんだよな~。気になる。体調はちょっと悪かったのですが、世間様が休日のせいか、休んでいる人もけっこういて、いつもより集中して仕事が出来、いくつもある懸案事項をいくつか片付けることが出来ました。それとプロジェクト品質管理者の講習会の一回目があったのですが、なかなか面白かったし。講師が日本語がダメのスペインの方で、英語による講習で、お勉強とネイティブのヒアリング練習になると思って楽しみにしていたんですが、内容も英語もなかなかよろしくて、密度の高い時間を過ごすことが出来ました。毎週の楽しみが一つ増えた感じです。それと、理解の補助のために、通訳の子がついているんですが、その子がドイツから来た半年くらいの体験プログラムで来ている学生で、なかなか好みのタイプでした。思わずやらなくていい質問などして、アピールしてしまいました。これも楽しみの一つですが、彼女はもうそろそろプログラムが切れるので、もう少し経ったらドイツに帰ってしまうそうです。残念!さすがに帰りはそんなに遅くならず、途中で座ることも出来たし、まあ、祝日出勤にしてはそれほど悪くない日でした。
February 11, 2005
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目標にたどり着くまでが一番充実している。これは、この言葉を発した時点で、既に間違っている気がします。目標というものは、たどり着くためのものではなく、そこに到達することで満たされる何かを目指す場合の里程標に過ぎないでしょう。目指すべきものと目標は違います。例を上げてみましょう。ダイエット...目標=体重10キロ減。この場合、この人は体重を10キロ減らすということを目指しているのでしょうか。10キロ減らしたら、次は20キロ減らしたいと思うのでしょうか。そんなことはありません。その人が求めているのは、体重を10キロ減らすことではないんです。求めているのは、今より美しく見えること、あるいは健康になることです。そしてそれも最終的に求めているものではありません。美しくなることで、他人に認めて欲しい、もしくは健康になることで、現在よりももっと多くの可能性を目指したいということです。そして...と、これはどんどん広がっていきます。決してたどりついて終わりということはありません。旅行...目的地は熱海もちろん、この人は熱海にたどり着くことを目指しているわけではありません。熱海旅行という非日常を楽しんで、夜にはおいしい料理とお酒を嗜んで、パーッと騒いで浮世の憂さを忘れ、また明日からの日常に立ち向かう力を蓄えるためなのではないでしょうか。もちろん、その人が鉄道マニアだったり、新しい車を買ったばかりで、初めて彼女を乗せてドライブする先が熱海ということでしたら、求めていることは違ってくるでしょうが、いずれにしても目的地に到達することが目的ではありません。途中の道中、新たな知識や経験を積んで、自分の趣味生活を充実させて行くのが目的であり、しかもそれ自体が自分自身の生活を楽しむという大きな目的の一部でしかありません。そして、自分自身の生活を楽しむということなら、これはたどりついたらどうしようなどという心配は、まったく不要になってくるわけです。生きている間はずっと続いていくことですから。おわかりでしょうか。目指すものというのは、決してある目標を達成したからといって満たされるようなものではあり得ないのです。もし、そのようなものを目指しているとしたら、それは目指すべきでないものを目指しているということでしょう。目指すべきでないものの例としては、以下のようなものがあります。結婚 …愛せる人と一緒に暮らすためのファースト・ステップお金儲け …目指すものもなく集めるだけならゴミと変わらない安定した生活…最終形はゾンビおわかりのように、上のどれもが別の目標に向かうためのステップでしかないのです。このようなものを目標にすると、目標を目指しているはずなのに、まったく楽しみのない人生をおくることになります。つまり問題なのは、目標と目指しているものは、ちょっと油断するとすぐにすり変わってしまうということです。現に、ご自分の周囲を注意して見ると、いかに両者を取り違えている人が多いかということに気付くでしょう。もちろん、取り違えてしまっても何の問題もありません。死ぬまでそれに気付かなければ、それなりに充実した人生を歩むことが出来ますから。でも、気付いてしまった時のダメージは大きいですよ。気付くのが遅くなればなるほど、そのダメージは二次曲線を描いて大きくなっていきます。俺はいったい何のために...という言葉を吐かなくてもいいように、時々でいいから本当に自分の目指したいものを再確認する必要があると思います。一番いいのは、問題点を遠慮なく指摘してくれるような親、友人、教師を常にアサインしておくことです。苦言を吐く相手の言うことに耳を傾けること。的外れだと耳を塞いでしまうことなく、毎回必ず真剣に聞くこと。自分にとって一番価値があるのは、自分を否定してくれる人間との付き合いです。これは絶対に間違いありません。
February 5, 2005
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宮城谷さんの作品で次に選んだのは「介子推」。実在の人物とされながら、どんな人物だったのかほとんど伝わっていない介子推。そのくせ中国では敬愛されているという、謎の多い人物である。結論から言うと、今ひとつのめりこむことが出来なかった。期待をしすぎたんだろうか。山の精の祝福を受けているようなニュアンスで始まったが、時により生臭く、時により高潔すぎ、一人のまとまった人格として捉えにくいのだ。特に、政界に絶望して去るところ、ここに介子推が全中国的に敬愛される理由があると思うのだが、書ききれていない。結局他者が栄達していくのを見て、派手に自分の功を喧伝しなかった自分を引き立ててくれないのを恨んで去ったようにしか受け取れないのである。ずっと従ってきた相手が、周囲の思惑で穢れていくのが見えるのなら、それを正すのが真に君主を敬愛するものの務めであるだろう。繰言を並べて身を隠すのは、どうも潔くない。そんな人間がずっと敬愛され続けるだろうか。どうにも納得できず、引っかかるのである。魅力的なキャラクターは多勢出てくるし、話自体は面白いのだが、作者も介子推自身をつかみきれなかったのではないだろうか。あとがきを読むと、他の作品ではなかったくらい、筆が難渋したということである。しっかりとキャラクターが掴めていれば、話は自然につむぎ出されてくるものだから、やはり介子推というキャラクターを掴みきる前に、話を編み始めてしまったのかもしれない。
February 4, 2005
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今日は自分でも珍しいくらいストレスが溜まっている。原因ははっきりしているのに、どうすることも出来ない。あいつが帰ってこないのだ。もう10時を過ぎているというのに...やらなければいけないことがはっきりしているのに、あいつが帰ってくるまでどうすることも出来ない。あいつなしで済ませてしまうことも出来るけど、そんなのは嫌だ。でも...10時30分になって、ようやく上の子が公文から帰って来た。きょうは節分。いつもすべての部屋の電気を点けて、窓を開けて豆をまき、悪いものに出て行ってもらう。毎年の恒例行事なのだ。だんだん家族の時間もずれてきているけれど、出来るうちは続けていきたい。「今年は豆が少ないよ」「これで十分。後で片付けるのが大変なんだから」「食べるのは歳の数だけ?」「とうぜん」「ぼくが一番少ない...」「じゃあどこから撒き始めようか」冷えた夜気に向かって窓を開け、今年一年の息災を願う神事を今年も厳かに始めることが出来る。それだけでも、どこかにいる誰かに感謝してもいいと思える。
February 3, 2005
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通勤の時に読む本を探して本屋の棚を見ているときに、宮城谷昌光さんの本があった。以前に「晏子」を読んで面白かった記憶があったので、厚さも適度にある二冊組の「子産」を買った。読み始めたら、これが面白い。面白いので途中で中断して、宮城谷さんの他の本を読んでみることにした。さいわい駅の小さな本屋でも宮城谷さんの本は選べるほど置いてあり、「夏姫春秋」を手に取った。これも幸いなことに面白かった、が。不思議なことに、面白かったのはもっぱら主人公の夏姫が出ている部分ではなく、周囲の、あるいは同時代の人間たちが活躍する部分であった。実際、全体を見ても夏姫の出てくる部分は意外なほど少ない。実際はこの話は、春秋戦国という時代が主役であり、夏姫自身はその時代をピンナップするために用いられたピンのような存在なのかもしれない。そうすることで、時代の雰囲気を表す切り口を、通常と違う視点で書くための支点の一つとして。夏姫を取り巻く男たちは、その人間性までがくっきりと書き出され、魅力的に見える。それに引きかえ、夏姫自身はまるで周りの人間たちに引きずり回される人形のように感じられる。とにかく、夏姫の感情は浅くしか語られない。最愛の兄との別離や、夫との別離の時に、夏姫の感情はほとんど語られない。夏姫には人間的な情というものがほとんどないようにすら思えてしまう。肉欲も愛情も、夏姫にはほとんど意味を持っていないようである。当初は人形のようだった夏姫が途中から保身のために生臭いことを考えたり、生きながら得るために色々な行為をするというところが首尾一貫しておらず、作者自身が夏姫を捉え切れていない感じがする。どれもまったく別のステレオタイプで描かれており、同一の人物とは思えないのである。どうもその時々の異なる夏姫像は、回りの人間を浮き彫りにするための背景、または点景のような扱われ方をしているようである。そして作者は最終的に夏姫を一人の人間として書くことを放棄し、夏姫を神の意志のひとつの顕現としてしまう。私にはここが不満である。夏姫をひとつの意思を持った人間として捉えた上で、夏姫を表現することは十分可能だったと思えるのだ。夏姫の扱いには不満はあるものの、登場する人物たちはそれぞれ魅力的に描かれている。宮城谷作品には、またその人物たちが別の形で活躍しているものも多い。その再会を楽しみに、また宮城谷さんの作品を読んでいくことになりそうである。
February 2, 2005
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