野の花・野の豚の自己研究に根ざす、社会的な共生の道を探求する発言・2015年7月1日から

野の花・野の豚の自己研究に根ざす、社会的な共生の道を探求する発言・2015年7月1日から

2006.01.10
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カテゴリ: 自分研究
12月にあったマスコミの取材との関係で
大森さんの再審請求と
私の事件と人生の捉えなおし・自己研究からえた考え方の関係などについて
少し書いてみようとしたけれど、
やはり概略を書くのにもすごく時間が要るのを感じる。
だから肝心なところだけ書いてみる。

大森さんは1977年半ばに逮捕されてから
取調べ、裁判、そして1994年の死刑確定後今日にいたるまで、
一貫して事件については、


道庁爆破事件での逮捕・起訴自体がが非常な無理のあるものだった。
マスコミでさえ、起訴は無理だろうといった報道もしていた。
彼がやったという直接的な証拠はまったくなく、
ただ彼が爆発物を作ろうとしていたことをうかがわせる証拠は、かなりあった。
それらの傍証で埋める形での起訴だったといえる。
目撃証言といわれるものもあったが、これも不自然極まりない
とても信頼できるものではなかった。

こうしたことから
1883年に開かれた1審の判決公判では
無罪が言い渡される可能性もあることを、マスコミも報道していたと思う。
しかし、結果は死刑判決だった。

積極的に道庁爆破事件を支持する旨の発言を繰り返していたことも
かなり影響している気がする。


ともあれその判決は2審、最高裁でも維持され、
1994年に彼の死刑判決は確定した。
その後大森さんらは再審請求をするべく準備し

その再審を開始するかどうかの判断をする裁判のなかで
彼の部屋のカーテンに爆弾を作る際に使う材料が、
微量ながら存在したという検査をし
裁判でその旨証言した検察側の証人が、
それを否定してしまうような供述をした。
肝心かなめの証拠が
でたらめである可能性が出てきたのだ。
裁判での自分の発言をみずから否定する
そういう発言だったのだ。

以上のような裁判・再審請求の流れがある。
そして前に書いたように
犯行声明が東アジア反日武装戦線の名で出され、
大森さんは彼らの思想性に対しては強い批判を抱いていたし
事件後1週間ほどして電話したとき、
私に対して、
大森さんは自分がやったのではないこと
自分はまだ除草剤を入手できていないことなど私に伝えたことなどから
私も彼がやったのではないと考えている。
その他に彼はとても孤立した状況に生きていたから
爆弾の製造に必要なを除草剤・クサトール
入手するのは困難だっただろうこととか
ましてや使われた雷管を入手するなどということは
すごく難しいことだっただろうと思うことからもそう思う。
彼が一貫して自分がやったのではないと主張し続けていること
それからしても彼がやったのではないと思う

ただしこうした私の考えはいわば推論であり
事実がどうであるかはその現場にいたわけではないから
私にはわからない。
だから彼は絶対にやっていないとは私にはいえない。
かっての親しい友だちであり、
今もその存在を身近に感じる人に対して、このような言い方をしてしまうことは
何かつらいところがあるのが正直なところだ。
私のこうした趣旨の観点からの
彼の裁判でのやっていないという確信はないという証言が
裁判官の心証を悪くし彼の死刑判決につながったということもある。
こうしたことからつらい気持ちがあるのだ。

ただし以下のような考え方から敢えてそのような私の考え方を維持している。
あの時代にあのような思想性の元に爆破闘争を実行し
その誤りに気づき
その誤りとそれを生んだ生き方について
かなりに徹底的な自己省察を加え、
その責任のとり方について真剣に考えてきたものとして、
その点はとても大切なことだと考えている。

出来るならこんなことは考えたくない。
大森さんは絶対にやっていないと考えるほうがよほど楽だ。
しかし万が一彼がやっていたとしたら、
私自身にもその事件に関し
当時彼と係わり合いを持ち、ほぼ同じ思想性を抱いていた1人として
その量は測ることは出来ないが、
かなりに責任のあることになる。
そんなことからは逃げたい気持ちがあるが、
そうしたことから逃げないことが大切だと思う。

不思議なことにこの事件に関しては
東アジア反日武装戦線の名で三菱重工などを爆破し
多くの死者負傷者を出した人々、
後にその誤りについて
深い反省を表明し、社会に対し繰り返し謝罪を表現してきた人々も
批判はしているけれども
自分たちの思想と行動に影響されて
こうした事件が起こってしまったことに対して
ある種の責任があるというような表明はなされていない。
誰もあのような事件に対して責任をとろうとしていない。
大田竜という
当時そうしたし人々に強い影響を与えた人も
事件当時は支持を表明しつつも
10年程したらそうした自己の責任には触れることもなく
あのような戦いは誤りであり、当時から自分はそう考えていた旨の発言をし
平気でいた。

こういうようなあの事件にかかわる状況がある中で
私自身はそうした無責任なあり方はしたくないという強い思いもあり
大森さんは絶対にやっていないというような
無責任な発言はしたくないし
あの時代にあのような事件が起こった事に関し
思想的な、あるいはその他の責任のとり方について
回避しない生き方をしたいと思う。





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Last updated  2006.01.10 07:44:41
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