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昨日書いたスキルス胃癌の患者さんは、本当に頑張り屋さんでした。「医療」「症例」 という観点から見ると、スキルス胃癌で、腸閉塞での再発からの存命日数、1年3ヶ月というのは、「治療成績」としては、これは凄い事なんですよ。「論文」 にすると凄い症例数の一つですが、この患者さんにおいては、私などはもちろん、何の役にも足しにもなっていませんが、米村先生ですら 「ほんのちょっと手を貸しただけ」 レベルではなかったかと思うほど、ご本人とご家族は頑張りました。この 「ほんのちょっとの手」 も実は凄いことなんですけどね。普通は当然のことながら、手術対象にはなりませんし再発の時点で、治療より緩和ケアを強く薦める医師も珍しくないですからね。実際、術後、退院してから地元の病院に出向くと、この時点で緩和ケアを薦められたほどです。2011年3月に・・・ですよ。一般常識では、ここでもう緩和ケアなんです。ですが、実際はここから10ヶ月、家で過ごした訳です。家では鼻歌を歌いながら家事をしてましたし、娘の学校行事にも行きましたし、旅行にも行きました。患者さんとご家族の連携プレーと、米村先生が、時間を作り続けたのだと思います。たった1年3ヶ月と言うなかれ、この時間がどれだけの実をつけたことか。。。3人の娘さん達は、大きな成長を見せました。人としてね。彼女が命をかけて、短期決戦で娘さん達を成長させました。だから、大きな大きな意味を持ちます。ただ、こんな風に文字にすると、論文とかにしちゃうと、単に延命日数とか生存率とかに化けてしまって、時間の質と言うか、意味とか意義は含まれません。だから、時に 「無駄」 扱いにされてしまう 「治療」 があるんですよね。今は健康保険に余裕なんてないから、特に・・・です。全然、無駄なんかじゃないって思うんだけどなぁ。。。母親が癌だとわかった時、小5だった末娘さんは お母さん、死んじゃうの?死なないよね?大丈夫だよね?と言うばかりだったそうです。その末娘さんは、今 少し、ほっとしたと言ったそうです。 寂しいけど、ママはもう苦しまなくて良いから ママは凄く頑張ったしと。。。すごぉく頑張ってくれたから、もう良いよって・・・彼女を送り出してくれたみたいです。安心して旅立ったんじゃないかな。。。彼女。治療は彼女の為であり、娘達の為でもあったんだな、きっと昨日、米村先生にも報告したけど、 良い人だったんやけどなぁ。。と言うてました。
2012年01月30日
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昨年6月29日~7月12日にかけて、書いた 「小さな幸せ、だけど大きな幸せ」 でご紹介した患者さんの訃報が届きました。スキルス胃癌・40代・女性患者さんです。今回も、辛い内容ですので、スルーしたい方はここまでで。。。この患者さんのそれまでの詳細経過は、昨年の 「小さな幸せ、だけど大きな幸せ」 で書いておりますので、ご参照ください。簡単に書くと、2009年12月にスキルス胃癌で手術。この時、腹膜転移は認められずでした。採取した腹膜の細胞からも、洗浄細胞診からも癌は検出されていません。ですが、リンパ転移が認められていて、これが懸念材料でした。術後、タキソールを行うも10ヶ月で腸閉塞で再発が認められます。腸閉塞=腹膜播種 と考えられます。この時点で、米村先生の下へ来られました。腹腔内化学療法を経て、2011年1月に手術を受けました。ですが、合併症と、縫合不全を起こして3ヶ月の入院。退院してからは、ご自宅で穏やかな生活を送っていたことを過去に書いております。その後の経過が、ご主人から連絡が届いたばかりです。術後は1ヶ月に1度のイリノテカンを受けてました。ですが、術後半年を越える頃から触診でお腹が硬くなっているのがわかります。そこで、DCS療法に2011年10月に切り替えました。ですが、この直後40度の発熱が10間も続いたそうです。体力の低下著しく、尚且つ、閉じていた傷口が再び開いてしまうという事態になり、ここで治療の断念を決意されたそうです。彼女は、以前、穏やかな生活を普通に送っていた頃から、地元の病院に薦められるままに、緩和ケア病棟の見学をしていました。何時の日か、自分がお世話になる場所を知っておこうと、自ら進んで笑顔で見学していましたが、できるだけ自宅で過ごすことを、本人も家族も熱望して、年明けまで家で過ごしたと言います。ご主人が言われるには、「妻の泣き顔は3度しか見たことがない」 そうで・・・スキルス胃癌告知の時と、再発告知の時と、もう自宅で過ごせないと言われた時の3度だけ。最後の入院を告げられた時は、昨年の12月だったそうですが、 クリスマスや年末年始は何とか自宅でと、 病院にはワガママをきいて頂きましたとご主人。黄疸が酷くなり、いよいよの入院は今年に入って10日過ぎた頃。それから半月後の早朝の、病院からの緊急呼び出しで、3人の娘と駆けつけた時には、「寝顔」 だったそうで。。。 間に合わなかった・・・と一瞬、思ったけれど、散々呼びかけると目を開けて 今、何時? 学校は? 大丈夫なの?と目の前に突然現れた娘達を気遣う言葉が、ゆっくりだけど、次々と出てきたと。それから10分程度で、穏やかに旅立ったと。。。。この1年。。。小さいけど大きな幸せを、ご家族はかみ締めていました。ご主人からは、 本人の気持ちは、わからないけど、 悔いのない治療を受けたと思ってます 米村先生にも、ひろりんさんにも感謝しています そして、ひときわ大きな文字で ありがとうございましたと書かれてました。泣くことばかり多い、ひろりんです。。。
2012年01月29日
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ちょっとばかり、更新サボりまして、ごめんなさい。メール溜め過ぎちゃいまして毎日、大変な状況下の方々から届くメールばかりで、急がねばなんですが、どうしても、お待たせ状況が続いちゃってますm(_ _)m立ち直りは早いですから、ご心配なくただ、何年経っても、何年経っても、忘れることはないのが、辛いとこかな。。。つい先日、ちょっと変わったメールが届きました。虫垂癌・腹膜播種の患者さん(70代・男性)の娘さんからなんですが。。。この娘さん、PCは苦手ながら、父親の緊急事態で急遽、必死にPCにかぶりつき、病気のこと、治療のこと、病院のことetc.調べまくり、勉強しまくり、米村先生に辿り付いたばかりの方です。ですから未だ俄か知識とは言え、ご自分なりに病気や現状の厳しさや、治療のシビアさ等々、知り始めたばかりの状況です。そんな中で、ご自分で頑張って調べたこと、勉強したことを他の家族に伝えてるのですが、イマイチの反応だとか。自分が何を言っても、「知ったかぶり」 「素人の浅知恵」 扱いをされるそうです。 うちの家族は、全然、覚悟が足りません このままでは、折角、米村先生に手術をして頂いても、 場合によっては、こんな筈じゃなかった・・・ なんて言う身勝手家族になりそうです どうか、ひろりんさんのお力を貸してくださいと言われます。はぁ。。。こう言う方、実に珍しいんですよ。実際、この方の言葉をお借りすると、「身勝手家族」 という方は存在しますからねぇ。ここまで、ちゃんと飲み込めている方は、私的には実に 天晴れ な方です。 私じゃ駄目だけど、米村先生とひろりんさんが言うことなら、 家族も耳を傾けますし、納得もしてくれますとも言われます。まぁ、米村先生はプロですし、あたしゃ、この10年場数だけは踏んでますんで、リアリティってヤツはあると思いますけども。私はこのブログで、良い治療成績の患者さんの話ばかりを書いていません。治療結果が残念ながら、出なかった方の話も書いてます。過去の日記をご覧頂くとわかりますが、術後、数ヶ月~半年で亡くなった患者さんの話も書いてます。術後3年、5年・・・と元気な方の話も書いてますよ。全て、実話です。どちらに当てはまるかなんてことは、神のみぞ知るです。後悔するかもしれないけど希望に賭けてみるか、それとも、博打なんて止めて、先は見えているけど、今の治療に希望を繋ぐか・・・言うならば、究極の選択かもです。そもそも、どこの病院でも医師でも治せるレベルの癌ならば、わざわざ、遠くの病院まで来て治療を受ける必要はない訳です。どこでも受けられる、ガイドラインの治療を受ければ良いんですから。ですが、米村先生の下には、遠路はるばる来られる患者さんが7~8割というところです。待った無しの患者さんが殆どですから、治療成績がぐんぐん伸びる、誰も彼もが元気になる・・・とはいかないのが実情です。ですから、先ずは患者さんの状態を冷静に判断するご家族が、少なくても1人は必要です。できれば、ご家族の皆さんに理解して頂きたいところですが、感情が邪魔して現実が見えなくなるということは多々ありますから、これはこれで難しいです。「現実」は決して甘くはないですが、「希望」 があれば乗り越えることができます。現実を充分踏まえた上で、治療に臨むことが理想ですが、これは結構、難しい。患者さん本人より、家族の方が難しいことが多いです。患者さん本人は、周りが思うより強かったりします。まだ、この患者さんの状態等々、私把握しきれてませんが、私の経験が少しばかりお役に立てればと思っております。娘さ~ん、一緒に頑張ろうぜぃ
2012年01月26日
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手術日程が確定して、本人も人工肛門受け入れの腹を決めて、年末年始はゆっくり過ごすのだと言った、その2日後に旅立ったと知ったのは、つい先日のことです。俄かには信じられませんでした。だって本人、前向きでやる気満々で、先を見据えていて、なんでそんな2日後に何故律儀なあつこさんのことだから、入院予定の○日には、「入院しました」 ってメールが必ず来ると思ってました。それが届かない。。。年始早々でドタバタしているのかなおかしいな。。。と思っていたけれど、それならそれで術後落ち着いたら必ずメールをくれるはずと思ってました。どうにも気になって仕方なく、あつこさんのお兄さんにメールを送りました。あつこさんが私に連絡を寄越さないということは、何らかの事情でできないからに違いない。だから、お兄さんにメールしたのです。「妹がお世話になっております」 とメールを頂いたことがあったので。それで、訃報を知ることとなりました。あの前向きメールの直後に一体何があったのか。。。これは、全くわかりません。経過をよくよく辿れば、何時どうなってもおかしくは無いけれど、あつこさんに限って何かあるとは思っておらず。。。少なくても亡くなる2日前までは自宅で普通に過ごし、私にメールを送り、来年の抱負まで語っていた人ですよ。何が何だかわかりません。生前、私が送った言葉、「女は強しですよ」 にウケて、 それ、言えてます うちの男連中より、母親の方がよっぽど腹が座ってますもんと返ってきたことがあります。そんなお母さんが、なかなか手術日程が確定しないことに、相当苛立っていると言います。 後回しにされているって言って怒って、 なだめるのが大変でした 私は普通に生活できているし、他に大変な人が沢山いるのですから のんびり日程待ちをすることにしますそう言ってました。「手術連絡が未だ来ないのですが」 とか 「何とか早めて頂けないものでしょうか」 とかいうメールが多々届く中、あつこさんは実に大きな人でしたね。大変な状況下にいながらも、どこかの誰かを思いやれる強さを彼女の中に見ました。こんな風に書いては、他の癌の患者さんに大変、申し訳ないですが、スキルス胃癌は通常の癌の6倍の早さで進行すると言われる癌です。誰もが、進行の早さにおののく癌です。だから、スキルス胃癌の患者さんほど、「早く早く」 ってダダをこねてもおかしくないし、我先にっていう言動をしても、誰も責めたり非難したり出来ない癌なのに、私が知るスキルス胃癌の患者さんには、そういった人は1人もいないです。ですが、お母さんのお怒りはわかります。米村先生に怒っているというよりも、娘が自分より先に逝ってしまうかもしれないという不条理に怒っていたのではないでしょうか。。。目に見えない不条理に怒りをぶつけるよりも、形あるものに怒りをぶつける方が楽というか、納得がいくというか、何とか運命を変えることができるかもしれないというか。。。だから、亡くなってしまったことで、今は 「もっと早く手術してくれていれば」 という思いがご遺族の中には、多少なりともあるのではないかと思います。でもね、違うんですよ。2ヶ月の経過観察の中で、米村先生は膨大な症例データの中から、あつこさん同様の患者さんの症例を探しまくってました。幾つもある同様の症例データの中から、1人でも良い経過を辿った患者さんはいなかったかを探しまくってました。そんな中で、たった1人、たった1人だけだけど、延命に繋がったと思われるデータを見つけたのです。徒労に終わる可能性もとても高い状態の中、1人だけ、長いとは言えないけれど時間を延ばした人がいたんです。あつこさんにはまだ、体力がある。もしかしたら、2人目になるかもしれない。このままではもう先は無い、僅かの確率だけど可能性を捨てるのは惜しい。大博打ではあるけれど。それで日程を組んだ矢先のできごと。。。ですが叶わぬまま。。。叶わなかったけど、「希望」 だけは、あげることができたのではないでしょうか。世の中には博打が嫌いな医師がいます、大博打なんてもってのほかと言う医師がいます。でも博打に賭けて、それで負けても、後悔することになっても、少なくても今は希望が欲しいと言う患者さんもいるのです。治療に納得が欲しい患者さんもいるのです。あつこさんの旅立ちを知った晩は、またジュンコさんや、midoriさんや、susuさんをも思い出し、しばらくお風呂の中で頭を抱えてました。なかなか出ることが出来なかったです。
2012年01月22日
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生きられるなら人工肛門も厭わないと、断言していたあつこさんでしたが、少し時間が経つと気持ちが揺れ動いてきました。ご自分なりに調べたのでしょう。誰しも、避けられるものなら避けたいですからね。気持ちは十分、わかります。これまで、沢山、沢山、本当に沢山、同じ声を聞いてきましたから。 実際に開いてみないと、 体の中がどうなっているかなんてわからないんですよね だったら、開いてみたら人工肛門にしなくても良かった なんてことにならないかなこんなメールが届きました。(そう思うのは当然だよな)これに対して、私は 確かにそうですけども、仮に、今回、人工肛門をパスしても また近いうちに腸閉塞を起こしてしまう可能性がとっても高いと思うんです その時には、人工肛門さえも付けられなかったという方を 何人も知っているんです だから、ここは一つ、腹を決めちゃってくださいと返しました。敢えて文字にはしなかったけど、「何をしても良いから、兎に角、生き延びてください」 という思いを込めました。そしたら、 決心しないといけないですね 日常生活の不便さなど、色んな事を考えるとつい弱気になってしまいました 自分の体になるので、仲良く付き合っていけたら良いのですが(苦笑)と返ってきました。(これは原文のまま)また、このメールには、 夕方、米村先生から連絡があり、 年明け○日に入院、翌日○日に手術とのこと いよいよです 年越しは家でゆっくり過ごし、 新しい年は少しでも穏やかに送れますようにと書かれていました。(これも原文のまま)(米村先生も、腹を決めたんだな)ですが。。。あつこさんが旅立ったのは、このメールの僅か2日後だったんです。続く
2012年01月20日
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米村先生の最初の受診では、こんな会話があったそうです。 手術する気あるという米村先生からの問いに、躊躇無く はい、ありますと答えたあつこさん。その反応に米村先生は、 そうか・・・あるのか・・・とイマイチ、積極的ではない言葉だったそうです。この会話であつこさんは、「手術はできるけど、あまり意味がない」 とも受け取れるのですが?と私に質問してきました。米村先生とは、私も付き合いが長くなってきたせいか、米村先生が言ったという言葉一つ一つで、米村先生の 「胸の内」 が大体見当つきます。 (はぁ~ん、先生、あまり手術に乗り気じゃないな)2度目、3度目の受診の際に出てきた検査結果で、この読みは当たっていたと思いました。要は、米村先生は最初のデータで米村先生ならではの直感で、この結果を読み取っていたのだと思います。ですが、ここで手術不能と判断することは、正しく、患者さんに絶望しか与えない。この患者さん、検査結果とは違って、ありえないほど体力がありましたからね。だから、経過観察しながら最終的判断をする。。これが、米村先生の 「胸の内」 だと私は踏みました。米村先生の中での手術の判断基準に、「せめて2ヶ月、現状を維持できること」 というのがあります。この間、進行しないこと。ここで進行してしまうようであれば、手術は徒労で終わる可能性が高くなるから。ですから2ヶ月の経過観察をして、早ければ11月下旬の手術というのが、おぼろげながらの予定でした。ところが、腸への転移の顕著さが判明。いよいよ困った米村先生。。。だけど、何とかしてあげたい米村先生。。。当初の手術日程の11月下旬を迎えた頃、あつこさん、突如、高熱を出してしまいます。CRPが異常に高く、到底、手術できる状態ではなくなります。一先ず、炎症が治まるのを待つことになりました。この炎症の数値は少しずつ下がってくれたので、地元での抗癌剤治療も再開となります。既に、抗癌剤治療は期待薄ではありましたが、何もしない訳にもいかず、地元の主治医は、少しばかりではあるけれど、手を変え品を変えで治療は断続してくれていました。この2ヶ月間の経過観察期間に、あつこさんとは治療のこと、医療のこと、QOLのこと。。。色々伝えました。医療制度のせいで、やってあげたくでも出来ないことが現実にありますからね。保険適用の範囲でしか治療は行えず、医者も苦渋している現実には お医者さんも規制があって大変なんですね 患者はただ、少しでも長く生きたいだけなのにと言ってました。またQOLの件は、あつこさんの場合は恐らく人工肛門が免れないと思うと伝えたところ、 米村先生からも言われました 人工肛門って全然わからないけど、それで生きられるなら構わないですと言ってましたね。続く
2012年01月19日
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子宮と卵巣への再発転移が認められて、切除後、タキソテールで1年無事に過ごすも、1年経過すると腫瘍マーカーが上昇を始めます。この時、胃癌の一般的な腫瘍マーカー、CEA とCA19-9 は正常値ながら、CA125だけが上昇。このCA125 という腫瘍マーカーは卵巣癌で一般的な腫瘍マーカーです。ですがこの時、あつこさんには卵巣は無いので一体、どこの癌に反応しているのか?があつこさん的にはとても疑問だったようです。問題は、この頃からガスが溜まり、お腹が張るという自覚症状がありました。これは正しく、腸閉塞の症状なのです。腫瘍マーカーが上昇したこと、お腹の張りを訴えたことから(この時、主治医は腸閉塞とは言わなかったようですが、医者にわからない筈はありません)、薬剤変更となり、カンプト+シスプラチン の治療となりました。これを8回行った時に、また効果が見られなくなり、「もう治療法が無い」 との言葉が主治医から出たことから、私に相談メールが届いたのでした。これが2011年9月のことです。最初の手術から4年経ってたことになります。ここから、あつこさんとのお付き合いが始まりました。今回、この話を書くにあたり、あつこさんから届いたメールを全て読み返しました。読めば読むほど、あつこさんの中に懐かしい方々が見えました。あつこさんは、誰かに似ている。。。ジュンコさんに良く似てるし、midoriさんの要素も含まれているし、ちょっとばかりsusuさんも入ってる。。。あつこさんは私にとって、懐かしい過去の患者さん方の集合体で、とても短いお付き合いのように感じませんでした。それどころか、「どうしてたのよ、待ってたんだから」 と言いたいくらい。この方々の共通点は、家族の誰よりも患者さん本人がしっかりしていることです。私に相談が届いた時、あつこさんは、抗癌剤治療ではもう手が無いのなら、手術はどうか?と手術へ活路を見出そうとしてました。そして初めて米村先生を受診したのが、2011年10月です。この時、病院で検査を受けましたが、S状結腸の辺りに画像上、癒着らしきものが見えたようです。それと、下肢動脈瘤が見つかりました。手術するにも、この動脈瘤の対処が先とワーファリン(血栓を溶かす薬)が処方されます。血栓があっても、血流に流れているうちは良いですが、どこかで詰まってしまうと大変です。肺で詰まれば肺梗塞、脳で詰まれば脳梗塞、心臓で詰まれば脳梗塞。。。癌じゃなくても、死に至ることもある危険な要素ですからね。普通、あつこさんの年齢では、ワーファリンが必要なほどの血栓ができることは先ず無いのですが、そういう体質なのか?抗癌剤の影響なのか?それとも、運動量が極端に不足しているのか?・・・わかりませんが、セカンドオピニオンでこういったマイナス要素が見つかったのでした。この2週間後の受診では、直腸がかなり細くなっていることが判明。このまた1週間後の腸の検査では、腸全体が波打つような状態で、小腸も詰まっていることが判明。明らかに、腸閉塞がどんどん進行していることが伺えました。ですが本人、さほどの辛さも無かったようで、本当に普通に生活を送っていました。いつもは病院は1人で行くのに、3度目の米村先生の受診のこの日ばかりは、母親が付き添ってきたそうです。あつこさんからの報告メールには 本当は、もっと米村先生に聞きたいことがあったんです だけど、母がいたから聞けなかった 母に辛い思いをさせてしまいそうで・・・とありました。腸全体が癌で侵されていることがわかって、衝撃を受けない筈はないのに、自分よりも母親を気遣ってましたねぇ。 余命宣告は受けていませんし、 知るのは怖いけど、真実を受け止めなければと思っていますそう書かれていました。懐かしい方々も過去にそう言ってたっけ。。。続く
2012年01月17日
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最初に書いておきますが、これは訃報です。もしかしたら・・・という思いはありましたが、心の中でずっと否定していました。ですがつい先ほど、事実だと知りました。辛い話はパスという方は、今回はスルーしてくださいませ。ある40歳の女性患者さんの、「心意気」 と 「揺れ動く心」 等々・・・彼女から教えられたこと、書き留めておこうと思います。あつこさんから相談メールが届いたのは、昨年の9月でした。 治療法がないと言われました 今の治療よりも少しでも長く生きられるなら、 開腹手術でも受けてみたいですという内容でした。あつこさんの経過はこんな感じです。2007年にスキルス胃癌と診断を受け、胃全摘の手術を受けました。この時、腹膜への転移は認められなかったものの、リンパ転移は認めらました。この場合、癌を切除してもどこかに癌が隠れている可能性が否定できません。というよりも、どこかに未だ癌は残っていると仮定して治療を行うのが一般的です。そもそも、スキルス胃癌というだけで、超チビサイズの癌がどこに潜んでいるのかわからないですからね。術後はセオリー通り、TS-1+シスプラチン の治療を受けるも、発疹が出てしまってこの治療法は行えなかったと言います。これは、抗体異常で言うならばアレルギーだと思われます。免疫力が強すぎる為に起こるもので、TS-1 なのか、シスプラチンの方なのか、わかりませんが、あつこさんの免疫がこれを敵と判断してしまったということです。ですので、早々に薬剤変更となり、タキソールに変わりました。タキソールの方はあつこさんに合っていたようで1年、続けたようです。術後の抗癌剤治療の施行期間というのは、実際には決まりはなくて、医師の判断次第というのが、実情です。私が知るところ、1年で終了する医師が一般的のようです。2年続ける医師もいますし、米村先生などは3年以上施行が当たり前という風です。あつこさんの医師は1年で一先ず、「お休み」 という判断をしたようです。これは、決して間違いじゃないです、そもそも1年で終了という医師がもっとも多いですからね。ところが。。。「お休み」 に入って半年後に、卵巣への再発が認められ、ここで2度目の手術となりました。時間を計算すると、2009年頃でしょうか。。。ここで卵巣と子宮切除。術後の抗癌剤治療は、5FUだったそうですが、これまた様々な副作用が出てしまって断念せざるを得なかったようです。それで、次の手がタキソテール。どうもあつこさんには、タキサン系の薬剤が合っていたようで、これも1年続けらました。ここで2010年突入というところかな。未だ私と出会うずっと前です。続く
2012年01月16日
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久しぶりの 「ともこさん闘病記」 です。昨年の11月以来となります。・・・というのも、明日はともこさんの七回忌に呼ばれてまして。その前に、ともこさんに触れておこうかと思いました。2005年の話なんで、もう記憶もあやふやです。これに加え、同じ病気の方のデータがごっちゃり頭に詰まってますからねぇ。。。もうぐちゃぐちゃですわなぁ。当時、ともこさんの主治医は米村先生でしたが、実は先生、完全ボランティアでともこさんを診てくれていました。執刀は、米村先生が当時勤務されていた病院でしたが、この病院、癌専門病院。外科、内科のラインがキッチリ引かれていて、実に組織化されてます。短に外科内科だけでなく、消化器外科だけでも、食道外科、胃外科、大腸外科と3つに分かれてまして、それぞれの縄張りを侵すことまかりならん状態。胃外科の医者は、胃癌患者さんしか診ることができません。また、術後の治療は内科へと必然と流れていく形です。内科に渡った患者さんは、もう外科の範疇にあらず、外科からの口出し、手出し無用という決まりなんですねぇ。術後も米村先生に診て欲しい場合は、他の病院でしかできず。。。かといって、他の病院での公務員のアルバイトは違法。それで、米村先生は個人的に懇意にしている個人病院で、タダで診てくれていたんです。病院からも、患者側からも一切の金銭の授受なしの正真正銘のタダ働きですよ。治療変更TS-1+シスプラチンの治療中に腹水が認められたことから、一旦、腹腔内に直接、抗癌剤を投与するという手法を試みたのでした。タキソールではなく、タキソテールです。これだと、腹腔内の癌の一部、それも、抗癌剤がいきわたる箇所しか効果がないので、全身化学療法である TS-1 は続けることにしました。腹水で薬剤が薄まるので、返って薬剤による癒着を回避できるのでは?と当時は考えていました。あまりにも腹水が多量の場合は、抜いていましたけどね。腹水の圧迫で食事が摂れないようでは、元も子もないですから。この手法、ともこさんには良かったみたいでした。治療法を変えてから、みるみる食事量が増え、少しずつしか飲めなかったコップの水をゴクゴクと音を鳴らして飲む様を見たご主人、感動すらしてましたねぇ。ケンタッキーのチキンフィレサンドをペロリと平らげた時は、周りの人間は感嘆の声を上げたもんです。病院の帰りに、お持ち帰りで買って帰り、ともこさんのお姉さん宅で一緒に食べました。あの時のともこさんの言葉 ひろりんちゃん、私はこれでもうお腹一杯だから お姉さんと一緒にラーメンでも食べて来たら?には驚きましたよ。(私だってもうお腹一杯だってば、ともこさん)美味しいって言って皆でご飯食べて、お腹いっぱぁいって言って笑って、食った食ったって言ってまた笑って・・・ここに 「幸せ」 がありました。ずっと先を考えて不安になるより、怖がるより、今のこの笑顔に浸るっていうの、悪くないなって思ったりしてね余談ですが、当時は米村先生とよくお会いしてましたねぇあの頃は、包括診療制度もなく、入院治療がまかり通ってましたから、治療は定期的な入院で行ってました。ある時、うちの博士が、 明日、急に休みになったんで、また明日、病院に来ますよと言うと、何を勘違いされたのか あ~、明日は僕、出張で○○まで行かないといけないんです 帰りは何時になるかわからないと言われます。 明日はお留守ですか、それは残念 まぁ、心配要らないでしょうけど、ともこさんの様子だけ 見に来ますよこんな会話があった翌日の夕方、 ともこさんの状態、どうですかと先生、出張先から電話をくれました。どうやら気にしていてくれた様子です。で、まだ続きがあって これから帰るから、病院に顔を出しますわ 僕、今夜はヒマです~と言って、病院に顔を出してくれた後、うちの博士と飲みに行ってしまったりしてねぇこりゃ、確信犯だな
2012年01月14日
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1月12日より、楽天ブログの機能変更が行われます主だった機能変更は 掲示板(BBS)この機能が終了し、これまでの書き込みは全て自動削除となります ブックマークこの機能も終了となりますこれまで、このブログから飛んでいた方はご自身のPCにお気に入り登録をしてくださいまた、私からの希望でブックマーク登録をさせて頂いたサイトの管理人の皆様方、自動削除となってしまいます、ごめんなさい メッセージこの機能が一番、重要なのですが、この機能もなくなりますこれまで、ご相談頂く場合は、一旦、このメッセージ機能を使用して相談内容及び、アドレスを頂いておりましたですが、1月12日よりこれができなくなりますこれに伴い、以前使用していたアドレスを暫定アドレスとして公表いたしますこちらのアドレスに1度、相談メールをくださいその後、本来のアドレスのご連絡を私からいたします以前、使用していたこのアドレスは、公表したことから迷惑メールが山ほど届くようになりました現在も一時より減ったものの、迷惑メールが届いておりますですので、この公表アドレスには、今後また大量の迷惑メールが届く可能性が考えられます頂いたメールが迷惑メールフォルダに入ってしまうことも考えられますので、私からの返事が1週間待っても届かない場合は、お手数ですが再度、メールをくださいますようお願いいたします相談受付メールアドレスあくまでも、一旦、メールを頂くためのアドレスとなりますyukibasiri1188@yahoo.co.jpこちらのアドレスは、別途、ホームのページにも載せます
2012年01月10日
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PCのハードディスクが壊れ、PC入れ替えたら今度はモデムが壊れましたネットは繋がるんですが、着信は問題ないけど、こちらから電話がかけられないサポセンに電話したら、モデム交換だそうです。また、面倒な手間が・・・私のケータイに、昨日と一昨日と合せて3件の同じ番号からの着信履歴が。このうち、何故か2件にワン切りマーク。誰?固定電話の番号で、市外局番から大阪なんだけど、誰だかサッパリ米村先生の本拠地が大阪ってこともあって、大阪の知り合いはとても多いですからねぇ。ケータイへの電話って聞くところによると、悪質なワン切りもあると言うしぃ、かけなおすってことはしないんですが、何か気になる。。そもそも大阪ってトコが特に。で注意深く、かけなおしてみました。マナーに反しますけど、このご時世、むやみに名乗ってはいけない時代。 こちらの番号から、何度かお電話頂いているようなのですがと、かけてみると、 ・・・・ひろりんさんですかと女性の声。「はい」 と答えると急に何故だか、物凄く大げさに恐縮されてしまいましてねぇ、 恐れおおいことでございます 1回、切らせてください、直ぐにかけなおしますから そう言われ、直ぐにかけなおされてきました。アタシはどこぞのお姫様なんだろかこの女性、スキルス胃癌の患者さん(76歳)で、1年7ヶ月前に米村先生の手術を受けたらしい。病気が判明した時は、近くの大学病院でスキルス胃癌だし、おそらく腹膜にも行っているだろうし・・・と説明を受けたと言います。何をしてもあまり意味がない・・・みたいな空気が流れていたようです。この時、ご本人は悩まれたのでしょうけども、治療の一切拒否を決意したと言います。 それをねぇ、子供達が許してくれませんでしてねぇ インターネットで米村先生を探し出して、 私を連れて行ったんですこの時も、治療を受ける意思はなかったようです。 主人を病気で亡くしておりましてね、 偉い先生というのはどういう人なのか、私、知ってましたから きっと、米村先生も有名で偉い先生だから、そういうものだと思って 診察室に入りました そしたら、私を笑顔で迎えて下さいましてね それで急に気持ちが和らぎました この先生の言う通りにしようと思いました それで手術を受けたそうです。術後の入院での回診時も、米村先生は物凄く格好よかったんですって。白衣を翻してあるく姿が、月光仮面のようだったと、オーラが出ていたと、後光が差していたと・・・(いやぁ米村先生、べた褒めです・・・しかし、月光仮面とは)あれから1年7ヶ月、今は月に1度の定期外来が楽しみなのだとか。年齢から仕方ないのでしょうけども、周りには癌患者さんの知り合いが多いそうです。その誰もが、病院の前日は憂鬱になり、食べ物がのどを通らなくなるそうです。 だけど、私はあの先生の笑顔が見れると思うと、 受診日の前日は、嬉しくってと、この患者さんは言われます。 ひろりんさん、私ね、こんな厳しい病気になりましたけど、 米村先生と出会えたこと、ひろりんさんのような人がいることを 知ることができただけでも、本当にありがたいと思ってます 米村先生とひろりんさんのコンビは、本当にすばらしいです と言われます。そー言えば、年末に届いたメールにも、「米村先生とひろりんさんは、神様が使わしたコンビです」 って書いた方がいましたっけ。これ、米村先生ご本人にも言いましたけどね、 あっははは・・・と、どえりゃ~笑ってましたよ。実際は、米村先生にとって私は小言ばっかり言う、ただ煩いヤツなんですけどねぇ子供達に教えて貰って、ようやくこのブログを見れるようになったこと。メールを始めたばかりで、書くことがまだまだ難しいこと。忙しい大晦日に失礼とは思いながら、ようやくメールを送ることができたこと。お返事のメールに、電話番号を書いて下さって本当にありがたかったこと。 何のお役にも立てませんが、私、本当に米村先生とひろりんさんを 尊敬しております 陰ながら、応援していることをどうしてもお伝えしたくてと言うておられました。大変失礼ながら、76歳というご年齢で頭の回転の早いこと早いこと。お元気な声で、力強いエールを頂きました。ありがとうございます
2012年01月09日
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年末に、「大腸癌・再発 明るい診察室」 で書いたワタナベさん(30代・男性)から年賀状を頂いたのですが、これがまた、あーた、可愛い男の子の写真が2歳8ヶ月だそうですが、上は青いセーラーカラーで、下はぼっこり大きなお尻に、まん丸しっぽ。(今は、こんな服があるんですねぇ)あれ確か。。良く似たのをディズニーシーに行った時に見たような。。。とにかく可愛くて、可愛くて、見せたくて仕方ないってオーラまで付いてましたわワタナベ・ダック君と名付けた私です他にも12月3日に書いた、「1年遅れの約束・・・」 の虫垂癌の患者さん(30代・男性)からも、岡山の患者さん(大腸癌・30代・男性)からも、可愛いご自慢のお子さんの写真付き年賀状が届きました。結構、30代の患者さんって多いんですよ。患者さんご本人の周りには、そうそういるものじゃないでしょうから、「なんでこの歳で」 って嘆いておられるでしょうけども、 30代只今、幼い子供がいながら頑張って闘病中という方は女性でも男性でも、沢山おられます。一杯知ってますもん。他にもお元気連絡の年賀状やメールを頂いておりまして、お正月ってたっのしい~のひろりんですところで、題名に書いた例の小腸癌の患者さんのその後です。前回は、ドタバタで手術にこぎつけた話までを書きました。この時ばかりは、ちょっとばかり胸張って自慢しちゃいますが、アタシ、役に立ったんですから手術は予定通り行われ、手術自体は大成功。癌は全て、切除することができました。ちょっと横道に反れますが、小腸癌って実に珍しいって話を以前、書いてます。心臓と小腸は癌にはならないと言われた時期もあったほど、まず、癌にならない臓器なんです。と言うのも、小腸と言うのは、四六時中、新陳代謝を行っているんです。古い細胞をさっさと捨て、次から次へと新しい細胞ができてくるという、実に、新陳代謝の忙しい臓器なんです。だから、ちょっとおかしな細胞ができても、癌になる前にポンポン捨てられてしまう。癌になって発病するには、それなりに時間が必要ですからね。ですから、滅多に癌が発病する臓器じゃないんですねぇ。実に稀だけど、存在するのが小腸癌です。この患者さん、病状の悪化で食事が殆ど取れていなくて、静脈からの栄養点滴で誤魔化してました。だから、正常だったんですが、もともと、糖尿病の持病があったんです。術後、食べられないから高カロリー輸液を使用したところ、血糖値が500まで上昇そのうちに、腸に小さな穴が空いてしまい・・・一時は、とても心配な状況になりました。確かに・・・これを聞いた時は、癌より糖尿病で死んじゃうんじゃないかって私も心配しました。ですが、穴と言っても小さい穴で、予想以上に早く塞がりましてね。入院は年を跨いでしまいましたが、無事、退院となりました。今は、少しながらも食事が摂れているので、血糖値も正常です。栄養点滴を止めれば、この患者さんの場合、血糖値は元に戻る状態でしたからね。まだまだ、病人モードで弱弱しいですけども、70代後半という年齢を考えましてもこれはしゃ~ないです。ゆっくり養生して、元気を取り戻してくださいませ
2012年01月07日
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元旦にあった地震でPCのハードディスクが壊れちゃいまして。。。更新した2日は、まだ大丈夫だったんです。その後、カタカタ、カタカタ・・・って嫌な音がして・・・壊れる前に博士が急いで必要データを移し、1階から別のタワーを持って上がり、PC入れ替え。入れ替えると面倒なんですよね、それこそプリンターのドライバーからインストール、入れていたソフトを再インストール。この間、しゃ~ないから私的には、使い勝手の悪いノートPCでしのぎました。しかし・・・我が家には一体、何台のPCがあるのでしょう仕事柄とは言え、博士がどんどん増やすもんだからサッパリ全部、うちの博士が組み上げた物か、はたまた中古のジャンクを修理したものですけどね。新品なんて買ったことないですもん。ところで、昨年11月に書いたあのマサコさん(30代)の話で、もう一つ書きたかった内容があるんです。マサコさんシリーズは何度も書いてますが、ザックリ説明すると・・・スキルス胃癌で術後2年で腹膜播種で再発し、その後、米村先生の手術を受けたのが2010年の3月です。同日に、やはりスキルス胃癌の再発で手術を受けた、同じ名前のマサコさんがいました。こちらのマサコさんは術後、4年での再発でした。2年後再発のマサコさんと、4年後再発のマサコさんです。同じような状態で同じような運命のこの2人は、同じ日に手術を受けたんです。ですが、4年後再発のマサコさんは、術後3ヶ月で他界。このマサコさんの分まで、2年後再発のマサコさんは生きねばならない人となりました。2年後再発のマサコさんは、術後1年9ヶ月を越えています。術後しばらくは、食べられなくて自宅で24時間の栄養点滴を受けていましたし、極度の貧血で輸血を繰り返したこともあったとは思えないほど、今は、普通に当たり前に食事ができています。ここまでの話は過去に書いてます。術後の抗癌剤治療は、2週間に1度のイリノテカンです。実に32回だったか、37回だったか・・・こなしましてねぇ現在は、月1度の頻度に変わりました。このイリノテカンという抗癌剤、副作用にやられる方が多いです。TS-1もきつかった、タキソールもきつかった、でも、イリノテカンはその比じゃなかった・・・ってねを上げてしまう方もいるほど。にも関わらず、このマサコさん 私には合っているみたいです ちょっと下痢するくらいで、そんなに大したことないです って言って、ケロっとしているんですよこれほどイリノテカンを制覇する患者さんって、私、初めてでして2010年の年末には、 ひろりんさぁん、私、来年も年賀状書けているかなぁって泣き言言ってましたけど、2011年の年末は 「元気自慢」 に変わってましたからね。ホント、驚きです今年もどう飛躍していくのか、実に楽しみです
2012年01月05日
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新年、明けましておめでとうございます今年の新年の挨拶は、震災の影響で 「おめでとう」 の言葉を敢えて控える方が多いと聞きますが、例年通りの挨拶に致します。今年も、どうぞ宜しくお願い致します。年末年始、何をしていたかと申しますと、30日は山梨の県立フラワーパークへイルミネーションと花火を見に行って来ました。ここは、「ハイジの村」 と名前が付いてまして、宮崎アニメのハイジが随所に存在してます。大晦日は黒豆を煮たり、お雑煮の出汁を取ったり。。。2007年に他界されたスキルス胃癌の患者さん(60代・男性)の奥さまが、お商売をされていて、毎年、暮れになると黒豆を送ってくれます。この患者さんのことは過去に何回も書いていますが、初期の胃癌の手術を受け、その後、20年経って残胃がスキルス胃癌になったという方です。20年もの時間が経っていることから、残胃が新たなる胃癌を発症したものと考えるのがセオリーですが、この時、腹膜播種だったんです。2005年にこの患者さんご夫婦と出会い、私はサポートなんて言えるほどのことはしていませんが、2007年に他界されるまで、ずっとお付き合いが続きました。当時のことを、どういう訳か奥さんが恩義に感じてくださっていて、今も尚、毎年、このようなお付き合いが続いているという訳です。恩義に感じると言うよりも、今この時を闘っている患者さん、そのご家族は言うなれば、過去の自分。あの時、貴女がいてくれたから、どれだけ心強かったことか・・・と言うて下さり、今、闘っている方の為に貴女を応援したいと言われるんです。ですから、間接的ながら今の患者さん、そのご家族を応援してくださっているんですねぇ。で、おかげさまで、黒豆を煮る腕が上がりましたちなみに、我が家の雑煮の出汁は鶏がらです。鶏がら(60円也)を山ほどの長ネギと一緒にコトコト3時間くらい煮て出汁を取ってます。昨日の元旦は、初日の出が天気が悪くて見れそうもないので、今年は家で過ごし、年賀状のお返事を書いたり、のんびり過ごしました。そうそう、元旦に米村先生からも年賀状を頂きましたよんのんびり過ごし・・・と申しましても、メールのお返事は元旦から開始しました。今日は、叔母宅で従妹親子(小5女、幼稚園男)達とずっと過ごしておりました。小5の女の子は大晦日生まれでしてね、少し遅くなったけど、ケーキ買ってお祝いしたら盛り上がりましたわこの年末年始は、何とか家で過ごせた患者さん、病院で過ごさざるを得なかった患者さん、双方を存じております。術後の入院が長引き、病院で年越しした患者さん方は、寂しい思いをされたと思いますが、元気になって退院できるまで、もう少しですからね癌という悪いヤツは退治したのですから、あとは元気になるだけです
2012年01月02日
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