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先日、ふとしたことから、本当に久しぶりに友人と会ったんです。この友人、奥さんがスキルス胃癌でね。それが縁で知り合ったんです。15年前ですよ、くどいようですけど、15年前です。奥さんがスキルス胃癌と診断されて、即、手術となりました。奥さん、職業が看護師さんでね、ご自分が勤務する病院で、そのまま手術したんです。開いてみたら、癌が胃壁に浸潤していて、胃の裏側まで出てました。分類でいうと、T4 ってやつです。こうなるとですね、腹膜播種の可能性がかなり高い。目視レベルでも、細胞検査レベルでも腹膜にはっきり癌は認められませんでしたが、通常なら、ほぼほぼ 腹膜播種決定ってもんです。あと、リンパ節にも転移があるのが普通ですけど、不思議とリンパ節には転移が認められずでした。それでも、腹膜播種の可能性は否定できませんので、術後も化学療法が行われました。TS-1 の服用です。あっ、これ、今は S-1タイホウって呼ぶらしいですね。もともと、S-1 が正式名称で、大鵬製薬が作った薬だから T が付いて 「TS-1」特許が切れて、ジェネリックが作られるようになって、今は、S-1タイホウ に呼び名が変わったのだとか。でも、私の中ではやっぱり TS-1 です。TS-1の服用期間をどれだけにするべきかで、奥さんとご主人は対立しましてねぇ。。。早く止めたい奥さんの 2年が限界と、スキルス胃癌の恐ろしさから、3年を推すご主人。結局、間をとって2年半の服用で卒業となり、今に至ります。元気ですよ~とってもね。今は、看護師さんとしてフルタイムでお仕事をしています。食事も、別段困ることなし。お酒が好きらしく、一人でワイン1本空けるなんてことも。太ることはなくて、体重はそのまま。今の奥さんの腸をレントゲンで見たらしいんですが、腸が、これ本当は胃なんじゃないかって思う形になっているんですって。それでも、本当の胃ではないので、ワイン1本空けても、さほど酔わないのは、アルコールの吸収率が違うから。それにしても、15年前はこんな15年後があるなんて、本当に思えなかったです。米村先生のもとへセカンドオピニオンに来た時、米村先生、おまけして5年生存率40%って言ったんですよねぇ。米村先生的には、あの時、かなり盛ったってもんです。でも、TS-1 が出てきて、本当に生存率は飛躍的に伸びました。凄い薬です。癌が胃のショウ膜を突き抜けていたから、多少なりとも、腹膜に癌が飛んでいたと思うですよねぇ。これ、証明できませんけど。術後の TS-1 だけで、癌患者卒業しちゃったんですから、凄いです。 相談受付アドレス yukibasiri1188@yahoo.co.jp「 癌の相談」である事がわかるように件名にご明記ください 沢山の方とメールの交流がございます 必ず、お名前の明記をお願い致します お返事は別の未公開の交流アドレスから致します通常、新規の方には3日以内にお返事していますが、3日以上、経ってもお返事が届かない場合はお手数ですが、再度、メールをお送りください。尚、通常のお返事は4~5日程度お待ち頂いております。
2020年01月29日
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ながらく書いて参りました、あの 腹水4Lからの癌 の患者さんが先日、永眠されました。死因は癌ではなくて 「老衰」 です。80代半ばでした。腹膜播種 の患者さんが 老衰 で亡くなるというのは、本当に何と申しましょうか・・・これは、凄いことだと言えますし、論文史上でも、初症例かもしれません。訃報の連絡の後、これまで、闘病も看護もずっと付き添ってきた娘さんと電話で長々とお話しました。この患者さん、癌になる前はかなり太っていたそうです。147cm で 74kg あったと言います。ご多分に漏れず、高血圧の持病。なので逝く時は頭か、はたまた心臓か・・・ってなんとなく思っていたと。頭か心臓でってことになれば、ある日突然、「あっ」 とか 「うっ」ってこともありますからね。ある意味、いつどうなっても・・・それが、癌になり痩せてきて体重は60kg前後に。高血圧は普通血圧になり、癌になって、健康体になったというのもおかしなものですけど、「あっ」 や 「うっ」 って事態は回避できるようになったと申しましょうか。ただ、突然の癌でそれも腹膜播種です。ステージ4に加え、腹水4L ですから、突然の 「あっ」 や 「うっ」 はなくなったとはいえ、余命数ヶ月宣告となった訳です。それから米村先生の元へ来て、抗がん剤治療やって、腹膜切除の手術を受けて、10年経ちました。そして 11年目に老衰で・・・って、この流れ、本当に想像できませんでした。娘さんが、 母が癌になった時 知り合いが、抗癌剤治療で本当に凄い状態になって・・・ 抗癌剤治療は怖い、大変っていう印象しかなくて・・ 母親には抗癌剤治療だけは やらせたくなかったんです・・・ それでも、これしか方法がないってわかって、 最初の病院で母の投与の日、 母ではなく、私が吐いたんです それくらい、抗癌剤治療って恐怖で・・・ だから、絶対になんとかして手術をして欲しかったんですって言ってました。でも抗癌剤治療は、普通にちゃんとやりましたけどね。術前化学療法に、術後もね。脱毛はあったけれど、ひどい副作用に悩まされることはなくて、聞いていたのと大違いという結果になりました。米村先生が、この患者さんを手術するって言った時、慌てたのは私でした。「えっこの患者さん、70代半ばですよ。 先生、腹膜切除は70歳までって言ったじゃないですか」って言ったもんです。 大丈夫や、手術に耐えられる人はわかるんやと軽く仰る。私の心配をよそに、ご家族も患者さんも大喜びで手術となったんです。当時、私は頭抱える、患者さんサイドは喜ぶ、米村先生はやる気満々という図式でした。どう考えったって、この患者さんを手術するなんて医師、どっこにもいません。 (はぁ~。。。 これからどうしよう、私。。。)心配なんてもんじゃなかったんですよね。そ・れ・が・・・術後は海外旅行はするし、大好きな歌舞伎見物はするし、TDLにも行くし、食欲は旺盛そのもので、定期的に行く、大阪の通院はどんな時も楽しみの一つでした。そんな10年でした。この3か月、本当にこまめにご報告を頂いていましたが、何というか、理想的な幕切れでしたよ。痛みもなく、苦しみもなく、穏やかそのものでね。通常、腹膜播種が再発し進行すると、腹部は固くなるものですが、この患者さん、お腹は柔らかくぺっちゃんこ。米村先生に訃報を報告したら、 本当に老衰やねぇ・・・ 人生、全うしたんやねぇって、仰ってました。遺影に選んだお写真は、米村先生とツーショットで撮った写真を切り取った物だそうです。これが一番、良い顔をしていたからって。相談受付アドレス yukibasiri1188@yahoo.co.jp「 癌の相談」である事がわかるように件名にご明記ください 沢山の方とメールの交流がございます 必ず、お名前の明記をお願い致します お返事は別の未公開の交流アドレスから致します通常、新規の方には3日以内にお返事していますが、3日以上、経ってもお返事が届かない場合はお手数ですが、再度、メールをお送りください。尚、通常のお返事は4~5日程度お待ち頂いております。
2020年01月27日
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ひさしぶりに、あやちゃんママの近況を。前回、いつ書いたっけ・・・で、過去の日記を遡ってみたら、2017年7月23日でした。あれれ・・そんなに長く空いてしまったっけ前回は、長年お付き合いしてきたストマを卒業してからの、あれこれを書きました。永久ストマの患者さんもおられますけども、あやちゃんママみたいに、一時的にストマという患者さんもいます。一時的と言っても、あやちゃんママの場合は長かったですけどね。実は、あやちゃんママからは年に1回か2回、 用はないんですけどぉ ひろりんさんのお声が聞きたくて ・・・って電話がかかってきます。そこで、長々と近況のおしゃべりが開始です。あやちゃんママ、とってもお元気ですよ。過去の日記に書いていますけど、あやちゃんママが癌告知を受けたのは、2007年のことで、当時33歳でした。高分化の虫垂由来の腹膜偽粘液種です。ゆっくりの癌だし、子供を設ける時間はあるよと米村先生に言われて、女の子、あやちゃんを授かりました。あやちゃん、今年の春で小学6年生になります。あやちゃんの夢は、お医者さんになること。ママの病気を治すこと。あやちゃんママ、癌歴13年目に入りましたが、再発を繰り返しています。2011年に再発。2016年に再発。その都度、手術を受けています。そして2018年にも再発が認めれていて、今後、また手術が予定されています。この病気は本当にしつこいでも、あやちゃんママの偽粘液種はゆっくりタイプなので次回の手術は2年でも3年でも待てるよって米村先生に言われています。彼女の場合は、抗癌剤治療もないので普通の日常が送れています。反抗期のあやちゃんとバトルすることもしばしば。あやちゃんが生まれた時、10年生きることが目標でした。10年生きたら、この子は何とか生きていけるだろうって思ってました。でも、10年じゃ足りないってこと、10年経って気づきました。だから、まだまだ生きねばなのです。米村先生には、まだまだ頑張って貰わねばなのです。今回、どんな話をしたかと言うとですねぇ。。これはちょっと書けないなぁ。米村先生の面白話がてんこもりでしたからねぇ。暴露話をたっくさんしちゃいました。あやちゃんママ、声をあげて あっはははは・・・の大笑いの連続でした。そんな話の中で、 本当に辛かった時に、 ひろりんさんに一杯励ましてもらってって言うんです。でも、私、全然覚えてない。私、何言いましたそもそも、癌って言われて辛くない人はいないでしょうけど、あやちゃんママが、そんなに辛かった時ってあったかなぁその記憶もない。逆に言うと、強い人だなぁ、私よりずっと若いのに、凄い人だなぁって記憶ならあるけれど。私の方こそが、尊敬すべき人だと思っています。2007年に出会って、13年経ち再発は繰り返しても、お元気そのもの。今もなお、仲良しのお友達です。この病気、長生きできます相談受付アドレス yukibasiri1188@yahoo.co.jp「 癌の相談」である事がわかるように件名にご明記ください 沢山の方とメールの交流がございます 必ず、お名前の明記をお願い致します お返事は別の未公開の交流アドレスから致します通常、新規の方には3日以内にお返事していますが、3日以上、経ってもお返事が届かない場合はお手数ですが、再度、メールをお送りください。尚、通常のお返事は4~5日程度お待ち頂いております。
2020年01月23日
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先日の続きです。そんなこんながあって、私からの話を聞いて、米村先生が気にかけてくれていることを知り、単純に嬉しかったようです。即、外来予約をいれて、実際、半年ぶりに大阪へ。僅かばかりの時間での診察でしたけど、ご本人、なんだか嬉し気でした。なんかめでたし、めでたし。。。みたいな流れでしたね。ですが、この20日後、透析を受けているクリニックで胸水の指摘が。胸水って、胸膜に癌が転移しても出てしまいますが、栄養不良でも出るので、少量だと区別がつきません。慌てて、大阪の病院へ行くと、胸水そのものは大したことはなかったのですが、肝臓に幾つもの大きな腫瘍が認められました。更に、ここにきて痛風で足が腫れあがってしまって、痛くて歩けなくなり・・何度となく行ったり来たりを繰り返し、入院となりました。痛風は治療で改善傾向になりましたけど、肝心の癌の治療はできる状況にはなく・・それでも米村先生は治療、考えてましたよ。考えることはやめませんでしたね。透析患者さんに治療って、実際は、難しいのです。単純に言えば、入れた薬を翌日出してしまうようなものですから。日に日に弱っていく父親を傍で見て、娘さん方は、地元でのホスピスを検討し始めます。もう、どうすることもできないと、素人でもわかるほどであり、この現実を受け入れなければならない状況でしたから。そして、さりげなく転院話を父親に話します。すると、 ここを離れたくない、 転院なんてしたら、 もう米村先生に診てもらえなくなると、きっぱり。本人はまだまだ戦う気持ちでいたのです。米村先生の傍にいたかったようです。以前は怖いと言っていた治療ですし、行こうとしなかった病院です。ですが、最後の最後に選んだのが行こうとしなかった病院での怖いと言っていた「治療」でした。ですが、残念ながらもうどうすることもできず・・しばらくして、旅立たれました。この患者さんには、透析という、いたし方ない事情がありました。やっと行った治療では、アレルギーが出てしまいましたし・・結果的に、術後の治療ができなかったことがやはり残念だったと思いますが、それでも、余命3か月と宣告を受けたままでは、絶対に存在しなかった穏やかで幸せな時間が少しの期間であっても、作れたこと・・・これが救いです。残された娘さん方には、今後の人生において糧になってくれるでしょう。父親が残してくれた絶対無二の宝物です。完追記家族からは感謝の言葉を頂いています。それでもいつも米村先生は言います。 僕は、病気を治したかったんやって。相談受付アドレス yukibasiri1188@yahoo.co.jp「 癌の相談」である事がわかるように件名にご明記ください 沢山の方とメールの交流がございます 必ず、お名前の明記をお願い致します お返事は別の未公開の交流アドレスから致します通常、新規の方には3日以内にお返事していますが、3日以上、経ってもお返事が届かない場合はお手数ですが、再度、メールをお送りください。尚、通常のお返事は4~5日程度お待ち頂いております。
2020年01月16日
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先日の続きです術後4ヶ月が過ぎた頃に、クレアチニンの数値が上昇したり、腫瘍マーカーのCEAが 37になったりの、痛風なんて思いもしなかった頃、輸血や、透析、カリウムを抜く処置を何度となく繰り返していました。その間、約4ヶ月です。透析をやめ、いよいよ術後の抗癌剤治療を開始です。ベクティビクス を開始したのですが、アレルギーが出てしまいました。中断を余儀なくされます。再び腎機能が悪化となり、2019年を迎えた頃には、完全に透析生活となりました。同年3月には、腸閉塞の症状がでてしまいます。この時は、大阪の病院へ。詰まりかけたり、絶食することで腸を休めて改善したりの繰り返しながらも6月を迎えました。体調を崩す度、ご家族は米村先生の受診を薦めましたが、本人が首を縦に振りません。行こうとはしませんでした。 こんな時ばかり行ってもな・・ 米村先生だって困るやろそんな事を言っては、その場をしのいでいました。3月以来、大阪の病院には行っていません。それでも何とか穏やかな日々は戻ってきて、秋には、週1回、娘さん達とランチを楽しむのがおきまりとなりました。相変わらず、治療はしないまま。。何度も、米村先生の元へ行こうって家族は言いましたが、相変わらず、返事はNOのまま。。。そんな時です。私がふと漏らしたんです、娘さんにね、米村先生と私の会話を。これが、このシリーズの最初の話です。※2019年9月21日のブログです。そしたら、ご本人が行く気持ちになり、予約を入れて、久しぶりの外来となったのでした。相談受付アドレス yukibasiri1188@yahoo.co.jp「 癌の相談」である事がわかるように件名にご明記ください 沢山の方とメールの交流がございます 必ず、お名前の明記をお願い致します お返事は別の未公開の交流アドレスから致します通常、新規の方には3日以内にお返事していますが、3日以上、経ってもお返事が届かない場合はお手数ですが、再度、メールをお送りください。尚、通常のお返事は4~5日程度お待ち頂いております。
2020年01月13日
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間が空いてしまいました。昨年から書いている患者さんの経過の続きです。術後の回復に時間を要してしまった為に術後の抗癌剤治療は行えないまま4ヶ月が経過しました。この間、地元の病院で、理学療法士や言語療法士によるリハビリを受けていました。※米村先生は、術後2ヶ月以内に抗癌剤治療を再開すると、再発率が激減すると仰います。術後4ヶ月が経過して、異変に気付きます。CEAが37に上昇下腹部が固く、尿の出が悪くなり、クレアチニンが急上昇です。大阪の病院に緊急入院となりました。この連絡が届いた時、私はてっきり、尿管狭窄が起こり、水腎症になったのだと思いました。これは癌が進行するとよく起こる症状だからです。この場合は、尿管を広げる処置を施すものですが、どうも処置の内容が違います。輸血に透析に、カリウムを抜く処置・・この患者さんの体に何が何度かこんな処置を繰り返しているうちに夏になると尿酸値が100という異常な数値が出ました。でもこの時は、私、この尿酸値は、あまり気に留めていなかったんです。後になってわかりましたがこれは、痛風 が原因だったんです。癌にばかり目が行ってしまって、考えもしませんでした。後で調べて知りました。酷い痛風から慢性腎不全になることがあると。癌患者さんが、別の病気で腎不全を起すなんて思いもしませんでした。相談受付アドレス yukibasiri1188@yahoo.co.jp「 癌の相談」である事がわかるように件名にご明記ください 沢山の方とメールの交流がございます 必ず、お名前の明記をお願い致します お返事は別の未公開の交流アドレスから致します通常、新規の方には3日以内にお返事していますが、3日以上、経ってもお返事が届かない場合はお手数ですが、再度、メールをお送りください。尚、通常のお返事は4~5日程度お待ち頂いております。
2020年01月10日
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年末のドタバタで、メールのお返事がなかなか書けず。。もし、私からのお返事が届いていない方がおられましたら、すみません、お手数ですけど、もう1度メールを送ってください。本当に申し訳ないです。2020年の活動は、既に開始していますよ昨年の12月から書き続けている「大阪の病院には行かない?」シリーズの続きの前に、こちらの話を先に。腹水4Lからの癌の患者さんの近況を。80代半ばの年齢になりました。腹水多量で癌性腹膜炎を発症したのは2009年6月ですから、癌性腹膜炎から今年で11年目です。普通って言うか、絶対と言うか医療の常識ではありえない現実です。今現在も、ご存命ですからね。ですが。。。実は今、寝たきりの状態なのです。癌が原因で・・・という訳ではありません。昨年の10月あたりから、なぜか急に加齢が加速してしまったと申しましょうか・・・食べられない訳じゃないのに、食べなくなってしまったんです。どこも痛くありません。吐き気もありません。過去には抗癌剤の副作用で、すっかり抜け落ちてしまった毛髪ですが、今は、ふっさふさの艶やかです。顔色も艶やか。なのに、今は1日の大半を寝て過ごしておられます。寝て・・・って横になっているという意味ではなく、眠くて眠くて寝ているのです。寝息が聞こえます。鎮痛剤とか、薬の類は一切使用していませんよ。何故、私がこんなに詳しいかと言うと入院したと聞いてから、私、お見舞いに行ったんです。なので、ご本人をこの目で見ています。気持ち良さそうに寝ておられました。娘さんが、お顔を軽くつついて起そうとしたんですけど、ぐっすりでした。「老衰」だと思います こちらの先生も、検査してくれましたが、 やはり老衰だと。 癌は肝臓にはあるものの、 大した状態ではないって そう娘さんが言ってました。このまま、いずれ亡くなるのだと思いますけど、まさか、癌ではなく老衰で死ねるとは・・・そう言ってました。まだ今、ご存命ですよ。でも、ゆったりまったり過ぎていく時間の中で、毎日、ずっと側で付き添っている中で、こんな風に思えているようです。いなくなるのは悲しい、寂しい、考えただけで号泣してしまうけど、癌性腹膜炎から10年が過ぎて11年目。米村先生の元へ行って本当に良かったと。。。手術して貰って良かったと。。。11年前には腹膜に沢山、癌はありました。酷い癌性腹膜炎でしたが、手術しました。肝臓に癌の再発が2回、再度手術もしました。手術だけでなく、抗癌剤治療にも随分と助けられました。恩恵を一杯受けました。そして今、天寿を全うすべく、ゆっくり穏やかに時が流れています。癌性腹膜炎から11年目です。娘さん 癌には勝てたけど、歳には勝てませんそう言って、軽く笑ってました。相談受付アドレス yukibasiri1188@yahoo.co.jp「 癌の相談」である事がわかるように件名にご明記ください 沢山の方とメールの交流がございます 必ず、お名前の明記をお願い致します お返事は別の未公開の交流アドレスから致します通常、新規の方には3日以内にお返事していますが、3日以上、経ってもお返事が届かない場合はお手数ですが、再度、メールをお送りください。尚、通常のお返事は4~5日程度お待ち頂いております。ねん
2020年01月07日
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明けましておめでとうございます。現在の我が家のシクラメンです。我が家に来て、6年目7年目ハイジの村で300円で購入したシクラメンです。今年が一番、お花をつけてくれました。昨年、休眠させなかったのが良かったのかしらまだまだ蕾があるので、しばらく楽しめそうです。このブログを開設して、14年目を迎えます。元旦には、癌がご縁で知り合った方々から、年賀状が届きました。中には、当時(お母様がスキルス胃癌)、青年だった方がすっかり父親になっていたり、30代でスキルス胃癌で奥様を亡くされた方に、お孫さんが生まれていたり。。。時代の流れを感じました。時は流れても、ご縁は今も尚。。。です本年もよろしくお願いいたします。相談受付アドレス yukibasiri1188@yahoo.co.jp「 癌の相談」である事がわかるように件名にご明記ください 沢山の方とメールの交流がございます 必ず、お名前の明記をお願い致します お返事は別の未公開の交流アドレスから致します通常、新規の方には3日以内にお返事していますが、3日以上、経ってもお返事が届かない場合はお手数ですが、再度、メールをお送りください。尚、通常のお返事は4~5日程度お待ち頂いております。
2020年01月02日
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