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撮影地:福岡県北九州市戸畑区役所周辺 戸畑祇園大山笠↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.31
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撮影地:福岡県柳川市 『三柱神社』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.28
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撮影地:福岡県みやま市矢部川瀬高橋上流付近 みやま納涼花火大会 The FINAL↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.27
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記事はこちら→大分県日田市 『楓葉の滝』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.21
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記事はこちら→宮崎県延岡市 『行縢の滝』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.19
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読みは「うどのたき」。杵築市南部を流れる松尾川に懸かる滝。落差は12m。段差のある黒い岩肌を枝分かれするように水が流れていくのが特徴。白竜が潜むという伝説が残り、秘境感のある滝となっている。遊歩道があり滝の近くまでいけるようになっているが、長年にわたって放置され悪路となっており、さらに一部が崖崩れになっているので危険。かつては下流に松尾川河川プールがあり、夏は納涼地として多くの人が訪れていたが、2020年(令和3年)3月をもって閉鎖している。目印となっている白竜伝説 名瀑羽門の滝と書かれた立て看板。駐車場。休憩スペースもあり。川の方へ下りる階段。滝まで伸びている遊歩道。長期にわたって放置されているようで、荒廃が進み一部は崖崩れが起きており危険。近くまで見に行くのは自己責任で。滝の全景。足元に注意しつつなんとか撮影。周辺は滝を特徴付けるようなものがないが、秘境感溢れる雰囲気の中、静かに流れ落ちている様が美しい。水が黒い段状の岩に当たり、枝分かれしながら流れ落ちていく様子。松尾川河川プール跡。2020年(令和3年)に閉鎖してからずっと放置されているようで、雑草が生い茂り廃墟と化してしまっている。ウォータースライダーがあり、奥にもう一つ小さなプールがあるらしい。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.15
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○瓦そばと岩国寿司瓦そば、岩国寿司四角い形に盛った酢飯の上に山菜、レンコン、錦糸卵、でんぶを乗せた岩国寿司。熱した大きな瓦の上に盛った瓦そば。ダシにもみじおろしを入れてレモンを搾り、海苔・肉・錦糸卵を入れ、麺をダシにつけていただく。錦帯橋を渡った先にある、瓦そばが食べられる食事処。瓦そばは山口県を代表する郷土料理で、熱々に熱した大きな瓦の上に茶そばを乗せ、錦糸卵や肉などを盛りつけたもの。西南戦争の時に薩摩軍の兵士たちが野戦の合間に瓦を使って肉や野菜を焼いて食べたという話を元に、川棚温泉で考案された料理だといわれている。茶そばは上の部分ほどもっちりとしていて、下の部分は熱した瓦でカリッと焼きあがっている。岩国寿司は岩国領初代領主の吉川広家が合戦に備えて作らせた保存食で、それがやがて町民へと広がったものだと伝えられている。ちらし寿司を四角い形に切り抜いたようなもので、「角ずし」と呼ばれることもある。今回いただいたものは一層だけの作りだが、本格的なものだと食材を酢飯の上に載せて何層も重ね、サンドイッチ状にしたものとなっている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.13
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読みは「きっこうじんじゃ」。岩国藩主、吉川氏歴代の神霊を祀る神社。本殿、拝殿、幣殿、神門、鳥居は国指定重要文化財に指定されている。御祭神は吉川元春、吉川經義、吉川友兼、吉川經基、吉川興經、吉川元長、吉川廣家、吉川經幹、吉川廣嘉。いずれも岩国藩主だった吉川氏歴代の神霊。岩国藩主の祖先である吉川元春が、天文年間に祠を建て祖霊を奉祀したことが始まり。後に岩国藩主吉川氏の先祖を祀る三社を統合し、1884年(明治17年)に御土居跡に建立され現在に至る。現在の社殿は1728年(享保13年)に白山神社の境内に造営され、1885年(明治18年)に現在の場所に移築された。春は桜やツツジ、初夏にはアジサイ、秋には紅葉が周辺を彩る。かつては社殿の左手に天然記念物にも指定されていたエンジュの巨樹があったが、幹の空洞化によって大部分が伐採されてしまっている。参道入り口の石橋。外堀。鯉と亀が泳いでいて、鴨もおり、時々白鳥がいることもある。一の鳥居。くぐったすぐ先の両脇に玉乗りの狛犬がある。田中穂積先生胸像。元日本海軍の軍人で作曲家の田中穂積の胸像と同氏の代表曲「美しき天然」の歌碑。1954年(昭和29年)に田中穂積顕彰会が設立され、彼の名誉を後世に伝えるために建立された。周辺では美しき天然がずっと流れ続けている。二の鳥居。国指定重要文化財に指定されている。この鳥居から神門、拝殿、本殿と一直線に繋がる構造になっている。神門。国指定重要文化財に指定されている。檜皮葺の四脚門で、冠木の中央には吉川家の家紋がある。拝殿。国指定重要文化財に指定されている。1728年(享保13年)に建立されたもの。入母屋造で、背面に幣殿が張り出している。神門、拝殿、幣殿、本殿が同時期の建築で揃っているのは大変貴重であるという。本殿。国指定重要文化財に指定されている。1728年(享保13年)に建立されたもの。横からの写真しか撮れなかったので全体像が見えないが、三間社流造で正面に軒唐破風と千鳥破風が付く構造となっている。吉香公園の古桜。吉香公園には明治時代に植えられた古い桜が数多く残っている。この桜は明治時代に植えられた百年桜と呼ばれる桜の一本であると言われている。褒忠社。吉香神社の末社。岩国領初代領主の吉川広家が竜門寺境内に節臣廟を建立し、死節の家臣を祀り回向所としていたが、廃藩後にそれを神社に改めたもの。吉香公園のエンジュ。かつては高さ約25m、幹の周囲は3.3m、樹齢は約130年。公園のシンボル的な存在で天然記念物にも指定されていたが、幹の空洞化によって2018年(平成30年)に指定解除され、安全を考慮して大部分が伐採されてしまった。池と藤棚。東の鳥居。御土居跡。吉川広家がこの地へ移封され、岩国領初代領主となったときに建立した、日常の居館である御土居の跡。現在は公園化されている。1615年(元和元年)に江戸幕府から一国一城令が出され、山上に築城された岩国城は廃城・破却されることとなり、以後はこの御土居が岩国領・岩国藩の陣屋となり廃藩まで利用された。当時の建造物はほとんど現存していないものの、外堀や石垣など一部が残っている。錦雲閣。吉香神社の南隅にある矢倉に似せて造られた絵馬堂。元々この場所には三階建ての矢倉があり、1885年(明治18年)に御土居跡が公園化されたときにこの絵馬堂が建立された。旧吉川家岩国事務所。県指定文化財に指定されている。岩国藩主の吉川家が1889年(明治22年)頃に建設した邸宅。近代日本の代表的建築家の1人である堀口捨己が設計したもので、同氏の現存する初期の作品として貴重なものとなっている。旧吉川邸厩門。岩国藩13代藩主で、明治維新後に岩国藩知事も務めた吉川経健の邸宅にあった長屋門。1892年(明治25年)に建立されたものだといわれている。邸宅は岡山県にある後楽園に移築され、鶴鳴館と呼ばれている。吉川広家公像。岩国領初代領主、吉川広家の像。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.12
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岩国領(岩国藩)初代領主の吉川広家が、横山の山頂に築いた城(山城)。別名は「横山城」。日本100名城に選定されている。1600年(慶長5年)に毛利輝元が関ヶ原の戦いに敗れ萩城に移封となり、同時に毛利家存続に力を入れていた吉川広家がこの地に移封された。1601年(慶長6年)に広家が岩国領領主に赴任すると岩国城の築城が開始され、麓に御土居を、横山山頂に横山城を築き、1608年(慶長13年)に竣工した。周囲を流れる錦川を天然の外堀とし、横山城は本丸を中心として、南西に二ノ丸、北東に北ノ丸、西に水ノ手郭の4つの区画で構成されていた。ところが竣工からわずか7年後の1615年(元和元年)に江戸幕府から一国一城令が出され、横山城は廃城となる。以後は麓の御土居が岩国領・岩国藩の陣屋となった。1885年(明治18年)に御土居跡が吉香公園として整備され、1962年(昭和37年)に天守構造図という絵図を元に鉄筋コンクリート構造の復元天守が山頂に再建された。山頂の岩国城までは岩国城ロープウェーで繋がっており、登山で行くことも可。天守内には刀、甲冑や錦帯橋の模型などが展示されており、最上階からは城下町が一望できるようになっている。入場料は大人270円、小学生120円(団体割引有)。錦帯橋、岩国城、岩国城ロープウェー3つのセット券もあり、料金は大人970円、小学生460円(団体割引有)。岩国城ロープウェー。白山比咩神社の隣から標高約200mの山頂まで伸びている。所要時間は片道3分程度。ロープウェー山頂駅に到着。ここから岩国城まで約10分ほど歩いていく。山頂駅前の広場中央に立っているからくり時計。20分おきに時計のからくりと共に、童謡、鵜飼音頭、美しき天然の音楽が流れる。大釣井。1608年(慶長13年)の築城の際に造られた大きな井戸。水の手とも呼ばれ、城の水を確保する重要な役割を果たしていた。また、非常時には武器や弾薬を収納し、敵に攻め入られた時の脱出口も備えていたと言われている。旧天守台。1994年(平成6年)に天守台を発掘調査した結果、往時の姿がよく残っており、1996年(平成8年)に築城当時の技術を用いて復元した天守台。石は護館神から切り出されたものを使っており、石垣の積み方は自然の石をそのまま積み上げる野面積みとなっている。空堀跡。敵の侵入を防ぐ目的で掘られた大きな堀。幅は約19.6m、深さ約10m、長さ58.2mで、日本最大の箱堀構造となっている。江戸時代は平城が多い中で山城を築城し、さらにその山中に堀を造るのは全国的に見ても珍しい例だという。北ノ丸跡。本丸の北東に位置し、東櫓と北櫓が建てられていた。北側には御土居の保護のために残された築城時の石積が見られる。歴史との出会いの道。道沿いに見える石垣は築城当時のもの。大手門。二ノ丸広場。本丸の南に位置する。現在は公園化されている。岩国城天守。元々の天守は1608年(慶長13年)に吉川広家によって本丸北隅に築かれ、南蛮造り(唐造)で三層四階に物見を置く様式だった。しかし7年後の1615年(元和元年)に江戸幕府から出された一国一城令によって破却となる。現在の復元天守は1962年(昭和37年)に錦帯橋からの景観を考え、旧天守台から南へ50mの場所へ移し、古図面を元に再建したもの。天守内に展示されている刀や甲冑、錦帯橋の模型。天守の最上階から見た景色。眼下には城下町に吉香公園、錦帯橋も見える。奥の方には岩国錦帯橋空港(岩国航空基地)も見え、天気が良いと瀬戸内海の島々や宮島も見える。櫓跡。竪堀。城に対して垂直方向に設けた堀。上から見て左の方には登り石垣が積まれている。護館神。1603年(慶長8年)から始まった岩国城築城の際にこの周辺にあった石灰岩を切り出して、現場まで運び石垣を造ったと言われる。天明年間に入ると藩内で飢饉や災害が相次いだため、1783年(天明3年)に社殿が建立され、城山を鎮めるための護館神が祀られた。錦帯橋とそこから見える岩国城天守。一部期間中はどちらもライトアップがされ、その幻想的な景色は日本夜景遺産にも認定されている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.11
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撮影地:福岡県太宰府市 『太宰府天満宮』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.10
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2024.07.07
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○ワサビ丼ワサビ丼、刺身こんにゃく、山菜の小鉢、味噌汁寂地川の清らかな水で育ったわさびを使ったワサビ丼。寂地峡にある食事処。名水百選に選定されている寂地の名水で育った野菜や、名水でダシをとったうどん、名水で淹れたコーヒーなどが楽しめる。今回いただいたワサビ丼は、店主さんが寂地の水で育てた天然のわさびを使った丼もので、菩提樹の人気メニュー。ご飯の上にすりおろしたわさびとわさび漬けが載っており、その上に醤油をかけ、卵かけごはんのような要領でいただく。わさびなので相当辛いと思いきや、辛みはマイルドでむしろほんのりと甘さを感じるほど。匂いこそわさびそのものだが、辛いものが苦手でも大丈夫。さっと箸が進み、ついおかわりしたくなる一品だった。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.05
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山口県岩国市 『寂地峡①』の続き。竜頭の滝を目指してまだまだ上へ登っていく。上へと登っていくたび、どんどん澄みわたっていく寂地川の清流。竜門の滝。落差は18m、段のある岩を勢いよく水が流れ落ちる。手前に大きな岩があるので全体像を見れないのが惜しいが、轟音や少し見える大きな滝壺から相当なスケールであることがうかがえる。竜頭の滝。落差は14m。薬研のような形をしたV字に凹んだ岩の真ん中を、滝壺に向かって豪快に水が流れ落ちている。五竜の滝の中で最も上流にある滝。5つの滝の中でも一番全体像がはっきりと見える滝で、深く大きな滝壺の水は底が見えるほど澄みわたっている。竜頭の滝から木馬トンネルまでの極端に狭い一本道。木馬トンネル。ケヤキ、ブナ、スギなどの木材を運搬する目的で掘られた手掘りのトンネル。完成まで10ヶ月かかったという。拝み堂。木馬トンネルを出て右手、少し上ったところにある拝み堂跡。かつて観音様が竜ヶ岳の頂上にあり、参拝が困難であったため、ここにお堂を設けていたという。現在は石造仏が安置されている。木馬トンネルを出たら、あとは山道をひたすら下っていく。宇佐八幡宮。御祭神は明記されていない(八幡宮だから応神天皇、神功皇后、仲哀天皇だろうか?)。1108年(天仁元年)に豊前国(現福岡県東部、大分県北部)の宇佐八幡宮の御分霊を勧請し鎮座したのが始まり。1312年(正和元年)に現在の地に奉遷し、その際に宇佐の地名を賜っている。古くは大内氏や毛利氏からも篤い崇敬を受けていたという。南蛮鉄燈籠。県指定有形文化財に指定されている。室町時代の初期に藤原朝臣安信によって作られたもの。災害によって土中に埋もれていたため一部が失われているが、鉄燈籠としては県内で最古のものと言われている。宇佐八幡宮の大スギ。八幡宮の周辺に自生しているスギの巨樹群。その中でも参道の左手に見えるスギの巨樹は樹高約60m、周囲7.5m、樹齢900年と言われ、県内で最大の大きさを誇る。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.04
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山口県の高峰、寂地山を水源とする寂地川の流域にある峡谷。峡谷を流れ落ちる五竜の滝は日本の滝百選、寂地川は名水百選にそれぞれ選定されている。宇佐川の上流3.5kmの犬戻峡と、その支流で約1kmの竜ヶ岳を総称して寂地峡と呼ぶ。三段峡や匹見峡と共に、西中国山地国定公園を代表する渓谷の一つに数えられる。峡谷にはカタクリが自生しており、スギやブナの原生林が広がっている。名水が流れる寂地川には大小様々な滝や淵が連なり、川の周辺には奇岩が多く見られる。犬戻峡にはいくつもの滝が続き、その中でも竜尾の滝、竜門の滝、白竜の滝、登竜の滝、竜頭の滝の5つの滝は総称して五竜の滝と呼ばれ、大きな見どころとなっている。夏は避暑地として、秋は紅葉の名所として有名。かつてこの山に大蛇が棲んでおり、暴れると山と谷が揺るぎ、吐く息は農作物を全滅させこの地に住む人々を困らせていたという。そこにある時、寂仙坊という老僧が現れ法力によって大蛇を退治し、安芸国(現広島県)に追い払ったという伝説がある。この伝説から、寂地山という名前が付いたと言われている。峡谷には遊歩道が整備され、散策ルートも複数ある。一部の道がかなり狭いので注意。峡谷の駐車場付近には売店・観光案内所や食事処がある他、キャンプ場も整備されている。寂地峡観光案内所。駐車場のすぐそばにある。寂地峡やその周辺の観光スポットの案内、食品や飲み物、キャンプ用品の販売もされている。食事処の菩提樹。寂地峡の名水で育った野菜の料理や名水でダシをとったうどんが食べられる。中でも天然のわさびを用いたワサビ丼が人気メニューとなっている。寂地峡キャンプ場のキャンプサイト。家族連れの観光客がアウトドア・キャンプを楽しんでいた。寂地川沿いのテントサイト。他にも4人まで泊まれるコテージもあり。寂地川の清流。名水百選に選定されている。水は綺麗に澄みわたっていて、清流にはアマゴやイワナが生息している。竜尾の滝。落差は20mで、2段の流れを持つ。五竜の滝と呼ばれる寂地峡の5つの滝の中で最も下流にあり、最も落差が高い滝。峡谷の中では一番手軽に見れる滝で、広くて大きな滝壺を持ち、夏場は子供が水遊びできるようになっている。竜尾の滝の近くにある延齢の水。名水百選、日本の滝百選の碑と竜尾の滝。竜尾の滝のすぐそばに五竜の滝を巡るルート(Bコース)があり、ここから竜頭の滝を目指して歩いていく。登竜の滝。落差は8m、2段の流れを持つ。五竜の滝の中では最も落差が低い滝。滝の落ちた先には深く大きな大乗淵があり、木漏れ日が差し込むと水がエメラルドグリーンに輝いて見える。白竜の滝。落差は10m、苔の生した急傾斜の岩肌を滑るようにして水が流れ落ちる。五竜の滝のちょうど中間地点にある滝。川の水が岩を削ってできた大きな滝壺(甌穴)を持ち、ちょうど日が差し込む場所に滝があるため、寂地川の澄みわたる清流と相まって滝壺がまるで宝石のようにきらきらと輝いて見えた。山口県岩国市 『寂地峡②』へ続く↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.07.03
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